「わたしは神様が嫌い」   作:アビ田

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閲覧いつもありがとうございます。
ネタ提供ありがとうございました!今回は拗ねた千年公の小話です。大分長くなってしまった…。

※本文の後半人によっては気分を害すシーンがあるのでご注意ください。


なくしたもの

 上から落とされたマリアとアレン。

 落ちた際に扉も巻き込まれ、粉々に砕けた。

 

「ぐ、うぅ…」

 

 何メートルもある高さから落とされたアレンは、扉の残骸を握りしめる。

 

 一方で空中で拘束が解けたマリアの肢体は、柱に勢いよく激突した。

 

「かはっ……!」

 

 衝撃で肺から酸素が一気に抜ける。衝撃で脳が揺れ、意識が朦朧とした。

 切れた頭からはつうと、固まった赤黒い血の上に新しい赤が重ねられる。

 

 吹っ飛んだ女の側にいるレロは、まだかまだかと千年公の姿を探す。

 

「伯爵タマァ……なんで来てくれないレロォォ…」

 

「う、っ……」

 

「ヒィ! エクソシストが起きたレロ!!」

 

「この……声は、傘……?」

 

 ずり落ちたマリアは、手元を探り傘の柄をつかむ。逃げ遅れたレロはピーピー騒いだ。

 

「エクソシストがレロに気安く触るなレロ!!」

 

「あぁ、このカボチャ美味しそう……」

 

「ギャァァ! ヤメレロォ──ッ!!」

 

「あれ? 何これ固っ…」

 

「コッ、コイツ……! 冗談じゃなくて、マジでレロのことが食い物に見えてるレロッッ!!?」

 

 顔(?)の部分がよだれでベトベトになった傘は、すっかり大人しくなる。

 心なしか、「もうレロはお嫁に行けない…」みたいな空気を出してやがる。

 

 

「ねぇ、今どうなってんの…?」

 

「………今レロか?」

 

 瞼を開けるのも辛そうな女に、レロは仕方がないと、辺りを見渡す。

 別に絆されたわけではない。ただ本気でまたかじられるのが嫌なだけである。

 

 

 中央には人影がある。

 

 土埃の隙間から覗いた顔はティキ・ミックで、ポツンとそこに佇んでいるようだ。

 

「レロロォー!! ティキタマ助けてレ、ロ……?」

 

 煙が完全に晴れた時、レロは絶句した。

 

 男の背中から、ムカデの脚のようなものが何本も──、しかも長く巨大な触手が周囲を蠢いている。

 

 その姿を見たアレンは驚愕した。

 

「ティキ・ミック…なのか?!」

 

 ノアのメモリーは確かに神ノ道化(クラウン・クラウン)によって破壊されたはずだ。しかし、男の掌には聖痕が現れている。

 さらに奇妙なのは、ティキ本人に意識がないところだ。

 

 目が虚ろで、その瞳は何も映していない。

 

 

「あ、ああああ、あああアアアア』

 

 

 顔を覆った男の姿が変貌していく。

 

 

 そして現れたのは、一本角の黒い仮面を付け、長い黒髪をうねらせる男の姿。腰布が風に煽られて揺らめいている。

 果たしてその男を「ティキ・ミック」と呼んでいいものなのか。いや、背中から生えた羽はあまりにも人間からかけ離れている。

 

 言うなれば、黒いバケモノ。

 

『────ハァ』

 

 ソイツは口の端を吊り上げ、ひっ迫するアレンに襲いかかった。

 

 

 

 一連の様子を見つめるレロはパニックになり、グルグルと意味もなく回る。柄をつかんでいた女の手は途中で外れていた。

 

 この時点でレロは逃げられるはずなのだが、妙に女が気になってしまい、移動できずにいた。これが傘デレであろうか。

 

「ど、どうしようレロ…。ティキタマが暴走しちゃったレロ!!」

 

「ね、ぇ、状きょ、おしえて…」

 

「なっ、何でレロが……」

 

 ブツブツと文句を言いながらも、教えてくれる傘である。

 レロは端的に、ノアのメモリーが暴走したティキが、アレンをボコボコにしていることを伝える。

 

「まぁ、お前らの中で一番強そうなあのエクソシストがあの調子じゃあ、すぐにみんな殺されるレロ!」

 

「ノアのメモリーは、暴走…するの?」

 

「場合によるレロが……伯爵タマが前に言ってたレロ。『快楽』を持つノアタマには毎回期待してる、って」

 

「期待……か」

 

 ということは、あのバケモノの姿がティキ・ミックの真の姿なのかもしれない。

 

 ただメモリーが暴走状態であることを踏まえれば、アレは本来、表には出ない姿なのだろう。

 アレンの攻撃によって追い込まれ、その姿が現れたのだとしたら──。

 

 

(本当に、やばい)

 

 

 ちょうどその時、マリアの顔に土埃がかかった。

 

 首だけ動かしどうにか片目を開けた彼女が見たのは、床に転がっているアレンの姿である。

 

 出血がひどく、神ノ道化(クラウン・クラウン)の白いマントには血がベッタリとついている。

 

「アレン、くっ…」

 

「っ………!!」

 

 伏した女を巻き込まないようにと、アレンはすぐに立ち上がり距離を置いた。

 

 マリアもどうにか左手に力を入れて立ち上がろうとする。しかし上半身を起こすこともできない。

 

「………」

 

 レロはそんな女の姿をバカにするでもなく、ただじっと見つめる。

 

 

「…どうしてオマエはそんなに、頑張るんだレロ?」

 

「どうして…って、戦わなきゃいけない、から…」

 

「……どうして、どうしてロードタマや伯爵タマは、オマエなんかに気持ちを揺さぶられてるんだレロ?」

 

「………」

 

 マリアだってそんなことは知らない。

 それに想像でしかないが、ロードや伯爵も自分の感情を正確には把握していないのかもしれない。

 

 わからないけれども、きっと名前をつけがたい感情の答えを探しながら、人間もエクソシストも、そしてノアも生きているのだろう。

 そんな風に彼女は思う。

 

 そういったなかなか答えの出ない悩みは、人生の片隅で行われる問題なのかもしれない。

 

 だが、なんとなくでも、答えを探している。

 

 

「人間のこころって、ふしぎ……だか、ら」

 

「伯爵タマやロードタマを人間扱いするなレロ!」

 

「ふふ…」

 

 プンプン怒る傘は、女の微笑みを見て一瞬固まり、口をへの字にした。

 そして何を思ったのか、マリアの背後に回って背を押し始める。

 

「ほら、さっさと起きあがるレロ!」

 

「えっ、急に何?」

 

「か、勘違いするなレロ! もしもの時のために、オマエをこうして盾にするだけレロ!」

 

 紛うことなき傘デレ。

 それを言ったら本気で傘がキレそうな気がしたので、思うだけに留めてマリアはその好意に甘えることにした。

 

 そうして何とか座る体勢になる。

 

「アレンくんは…」

 

 アレンはティキの前でうずくまっていた。

 腕は深くえぐれ、傷口からしとどに血が流れている。

 

 思わず彼女が手で口を覆った時、ティキ・ミックと目が合ってしまった。

 実際、仮面でその目は見えない。だが、不気味に弧を描いた口元で、マリアは理解した。

 

 

「────ヒッ」

 

 

 本能的な恐怖で、身が竦む。

 ティキの肢体が消えた瞬間、目を閉じて死を覚悟する。

 

 そして激しい衝突音が起こった。

 

「……?」

 

 だが身体に衝撃が訪れない。

 恐々と彼女が目を開けたその先に、槌を持ったラビがいる。上からリナリーやチャオジーを残し、降りてきたのだ。

 

 赤毛の少年の表情に、余裕はない。

 

「遅れてわりぃ! 大丈夫さッ!?」

 

「…だい、じょぶ」

 

「全然大丈夫じゃねぇだろ!!」

 

『ハハァ!!』

 

 新しいエモノがやってきた。そう言わんばかりにティキから殺気が放たれる。

 

 吹き飛ばされたラビは槌を地面のヒビに引っかけ、停止する。

 

「──ッ!? コイツ、速ッ…!?」

 

 正面を向いた先にはすでに、迫り来る拳がある。

 

 槌で防御した拳は、鉛玉のように重い。

 少年の体は衝撃に耐え切れず床に転がり、追い打ちとばかりにティキの蹴りが入った。

 

「ぐっ……!!」

 

 強い。その強さは、アレンと戦った時の男の比ではない。

 

 

 これが『快楽』のメモリーに呑まれたティキ・ミックの、圧倒的な力である。

 

 それはまるで、元帥がレベル1の悪魔を相手取るのと大差ない。

 

 彼らと今のティキでは力量差があり過ぎる。

 

 このままでは、全員死ぬ。確実に。

 

「なんて…強さ、だよ…」

 

 大量の血を吹き倒れ込む赤毛の少年を見たティキは、心からエクソシストが壊れていく様を()しんでいる。

 

 少年二人は、蹂躙される。

 圧倒的な力を前に。

 

 

 

「うっ、うぅ……ぐっ」

 

 マリアは床を這いずり、二人の元へ向かう。その距離は全く縮まらない。

 

 それが悔しくて、もどかしくて。息も絶え絶えな自分がいっそ死んでしまえとさえ、彼女は思った。

 

 

 そんな時、ティキの無差別な攻撃で崩壊した天井から、リナリーとチャオジーが落ちてきた。

 

 リナリーの肢体は空中で触手に捕まる。

 

 チャオジーは幸運にも、落下の途中で触手に何度か当たったことで衝撃が弱まり、何とか生きている。

 

「あっ、うぅ…」

 

 しかして捕まったリナリーは首を絞められ、口元に小さな泡をこぼす。

 足がバタバタと動き、苦しさで少女の目尻に涙が浮かぶ。

 

 ラビとアレンは瓦礫に埋もれて、動けない。

 

「……ぁ」

 

 ティキの腕をつかんでいたリナリーの手が、ゆっくりと、ずり落ちていく。

 

 

 マリアはその光景を見ているだけだ。

 

 地面に転がって、死の順番を待っているだけだ。

 

(違う)

 

 マリアは戦わなければならない。

 

(私は……)

 

 マリアは守らなければならない。

 

(エクソシストだ。だからっ……)

 

 どれだけ苦しもうと、痛みにうめこうと、彼女は立ち上がらなければならない。

 

 

「あっ、あぁぁぁぁ──────このっ、クソッタレイノセンスッ!!!」

 

 

 叫んだ女に呼応するように、液体の黒衣(ドレス)が彼女の四肢に絡みつく。

 そして無理やりに体を動かし、左手が神ノ剣(グングニル)をつかんだ。

 

 全身の痛みで歯がギシギシとひどく軋む。生理的な涙がこぼれる。

 

 マリアは真っ直ぐに、前を向く。リナリーの姿を視界に入れ、駆け出した。

 

 

「私の仲間にッ、それ以上手を出すなぁぁぁ!!!」

 

 

 折れた骨が軋み、血がいたるところから漏れる。

 彼女が通った地面には、血の道ができた。

 

 アドレナリンが出て一時的に痛みが遮断された中、マリアは黒衣(ドレス)の一部を弾力性の高い性質に変化させ、跳ぶ。

 

『カハッ!』

 

 ティキがけしかけた触手はしかし、飛来した神ノ道化(クラウン・クラウン)によって斬られる。

 

 

 

「え」

 

 

 リナリーの肢体が投げ捨てられた直後、黒い物体が動いた。一瞬のことで、マリアの反応は遅れた。

 瞬きのうちに黒いバケモノがすぐ目の前に現れた。

 

 大きく、大きく女の目が見開かれる。スローモーションで世界が動く。

 

 伸ばされた男の手がマリアの頭をつかみ、地面に叩きつける。

 

「ぎ、ぃ………あぁっ!!」

 

 とっさに首の衝撃を和らげようした彼女の右手が地面にめり込む。

 負荷のかかった右上半身は全体の衝撃を受けることになり、折れていた腕に激痛が走った。

 

「〜〜……!!」

 

 声も出ない、とはこのことで。マリアの視界がチカチカとハレーションを起こした。

 

 音が聞こえない。自分がどこにいるかもわからない。ただ、痛みが現実に彼女を引き戻す。

 

 それでも滑り落ちた剣をつかもうとした手が、踏みつけられる。そのままジリジリと圧をかけられれば、新たな痛みが生まれる。

 

「………ぁ、う」

 

 ついにマリアのイノセンスが解けた。長い髪を床にばらまいて、そのまま意識を手放しかける。

 

『────?』

 

 首を傾げたティキが、おもむろにしゃがみ込む。うつ伏せだった女の体を仰向けにして、その顔を覗きこんでいるようだ。

 

 じっと見られていることすらよく分からなくなっているマリアは、頬に触れられた手に笑いかける。

 

 沈む意識とは別に、体の奥がふわふわとしていく。

 

 男の手は指先で愛撫するように白い首から少しずつ下がる。

 黒く鋭利な爪がシャツを裂きながら、ゆっくりと胸に向かって、やがて胸骨で止まる。

 

 

『ァ、ハハ』

 

 

 その笑みで、宙を漂っていたマリアの感覚が現実に引き戻された。

 今ティキ・ミックが触れている場所は。そこは、彼女のイノセンスがある部分。

 

 壊される? 

 

 また、壊される。

 

 彼女の脳裏に伯爵にイノセンスを壊された記憶がよぎって。

 アレンがこの男に左腕を壊された映像の記憶がよぎって。

 

 そしてさらに、記憶がその先へ進もうとする。

 

 

「マリアさん!! 逃げてッ!!!」

 

「っ、あ!」

 

 アレンの叫び声で我に返ったマリアは、体の痛みを無視して横に転がった。

 

 直後、肋のあった位置が鋭い触手で貫かれる。刹那ブチリと、何か嫌な音がした。

 その不可解な音に黒い瞳がティキの足元を見る。

 

 

 

 そこにはマリアの右腕が落ちていた。

 

 

「えっ? あっ………あ、あっ、あ」

 

『キキッ』

 

 欠けた腕を押さえる女の元に、カツカツと黒い足が迫る。

 

「やめてっ!!」

 

 横から入ったリナリーだが、触手に振り払われ、瓦礫の山にぶつかる。

 だがそれでティキの意識が移ったのか、その関心は今度リナリーに向かった。

 

 リナリーのぶつかった衝撃は凄まじく、その衝撃で天井にヒビが入った。ミシミシッという音は大きくなり、ついに崩落する。

 

「リナリーさん!!」

 

 地を蹴って、そんな少女を救おうとチャオジーが手を伸ばす。間に合え、と。

 

 

『ハハッ! ………ァ?』

 

 

 二人を殺そうと動いたティキだが、片足が動かない。

 見れば、ボロボロの女が足にしがみついている。余程の力がこもっている中、力んだせいで右腕の断面からプシャッ、と血が噴き出る。

 

 女の顔は、死人のようだ。

 

「ダメ」

 

『………』

 

「ダメ……」

 

『アー』

 

 首を捻った男は、女を見てまた首を捻り──を何度か繰り返して、その体を蹴り飛ばした。

 

 マリアの肢体は壁を突き抜け、外に出る。

 崩落するこの方舟の外は、文字通り何もない。落ちればそのまま消え、死ぬだろう。

 

 一瞬こちらに向かおうとしていた少年二人の姿が見えたが、マリアは笑って、リナリーの方を指差した。

 

 

「ふたりを、おねがい」

 

 

 

 

 

 彼女にとって今日は、血濡れの一日だった。しかし皮肉にも、空は快晴だ。太陽は遠くて、伸ばした手は届きそうにない。

 

「ちゃんと……まもれ、たかな?」

 

 瞼が重くなる。

 マリアが最後に聞いたのは、黄金に光る相棒の、ひどく懐かしい声だった。

 

 

「グルガァァァァ!!」

 

 

 ティムキャンピーは落ちていく彼女に向かって高速で接近する。

 

 遠くから見れば豆粒ほどだったティムは、近くで見るとヒト一人簡単に飲めこみそうな巨体さである。

 

 黄金の弾丸と化したティムは女を咥えると、今度は上空へ一直線に突っ切る。

 

 マリアは久方ぶりの相棒の存在に目を細めながら、ふと懐かしい酒とタバコの香りに眉を動かした。

 

「…お、まえ、神父さまのとこに、いたのかッ……!!!」

 

「グルルゥ!」

 

 ということは、すぐ側までクロス・マリアンが来ているに違いない。

 

 あるいはマリアが落ちた後、アレンたちの前に現れたのかもしれない。

 

(だったら、みんな大丈夫だな…)

 

 どっと襲った安心感に緊張の糸が切れ、マリアの意識が途切れた。

 

 


 

【すねーク】

 

 とある日の午後。

 

 ロードは飴を舐めながら、ロッキングチェアに座り、せっせと編み物に勤しむ千年公の様子を眺めていた。

 黒一色で統一された部屋には、モノトーン柄の床一面にプレゼントが山積みにされている。

 

 いつもなら鼻歌でも歌って編み物をする千年公はここ最近、ふと何かを思い出してはしょんぼりとしている。

 

「何してんの?」

 

 ロードの背後に現れたのは、最近覚醒した「快楽」のノアを持つ家族、ティキ・ミックである。

 無精髭とセンスを疑うビン底眼鏡を見るに、どうやらまた放浪でもする気のようだ。

 

「ティッキーも好きだよね、人間と戯れんの」

 

「ハハ…まぁどこかの誰かさんよりはイイ趣味してると思うけどな」

 

 人間を「もの」として見て、精神を壊した人間を人形にしているロードよりはよっぽどマシだ。

 

「ロードは何でここにいるんだよ。宿題がテーブルに置かれたままだったけど」

 

「んー? ちょっとねェ…あ、宿題はティッキーが片付けておいていいよ」

 

「いや、何で俺が」

 

 人間嫌いであるのに、普通に学校に行っているロードに疑問を懐くが、ティキ自身も似たようなものなので何も言えない。

 

「ん?」

 

 そこでティキは、ギィギィと派手な音を立てて揺れている千年公に気づいた。荒ぶっておられる。

 

「……お前、また千年公にイタズラでもしたのか?」

 

「ボクのことなんだと思ってるわけぇ〜?」

 

「イタズラ症候群だろ。こいつめ」

 

「いやぁー、頭ぐりぐりしないで〜〜」

 

 ティキの制裁から逃れた少女は、タタタッ、と千年公の元に駆け寄る。

 おっとこれはチクられる流れか? ──と思った男だが、予想とは違った。

 

 千年公の背後に忍び寄ったロードは、思いきり丸々したボディーに抱きつく。千年公は驚いたものの、愉快そうに笑う。

 

「ねぇ、千年公」

 

「何デスカ?」

 

 ロードを見る目はひどく穏やかで、優しい目をしている。

 その様子はいつもの伯爵と何ら変わりないようにティキには思えた。

 

 しかしロードは、伯爵の瞳の奥にくすぶる影を見逃さない。

 

「千年公、なんか悩んでるの?」

 

「ンフフ♡何も悩んでませんヨ」

 

「本当?」

 

 ロードは伯爵に抱きついたまま、さらに顔を近づけ目の前の瞳を凝視する。

 すると伯爵の張りつけたような笑みが消えた。

 

「……分からないんデス」

 

「何が?」

 

「たった一人の少女に、我輩ハ何故、こうも感情を乱されるのカ」

 

 

 己が手で殺した少女。イノセンスを宿す人間を殺したことに対し、感情の動きはない。

 強いて言えば、イノセンスを壊したという狂気と喜びは得られる。

 

 普通ならばそこで完結して、終わる。

 

 ただ数年経った今でもなお、時折記憶の片隅に少女の言葉がよぎる。

 

 

『人の命を玩具のように奪う貴方を、わたしは許さない!!』

 

 

 その言葉すべてが問題なのではなく、「許さない」という部分だけが、小骨のようにずっとつっかえて取れない。

 

 

「……大丈夫、千年公? 考え込んでるみたいだけど」

 

『…エェ、大丈夫デスヨ♡」

 

 少女は絡めていた腕を離すと、ティキの元に戻る。

 

 そうすれば佇んでいたティキの視線と、伯爵の視線が合わさった。

 伯爵は先ほどの雰囲気が嘘のように、愉快げな表情をしている。

 

「ティキぽん、普通の格好なさイ♡」

 

 明らかに縒れたTシャツやら、ダメージ加工じゃないジーンズのことを言われている。

 

 半分聞き流しながら、ティキは首を縦に振った。

 だが突如、横っ腹にロードのタックルが炸裂する。

 

「ぐはっ!」

 

「千年公〜、せっかくだしティッキーに合う正装さ、見繕っといてよぉ」

 

「フフ、いいデスヨ♡」

 

 ロードに手を引っ張られながら、ティキは渋々と後に続く。

 部屋を退出した後、男の脳内によぎるのは、少しの会話の違和感。

 

 ロードは何故千年公を気にかけていたのに、わざと自分に話を逸らしたのか。

 というか生贄にされた。

 

「なぁ、どうしたワケ」

 

「……」

 

 ロードは無言のまま歩く。

 

「…千年公、拗ねてた」

 

「拗ねてた? 何で?」

 

「……ボクにも、分かんない」

 

 下を向き、ポツリと呟いたロード。

 

 

「少女」────と、千年公は言っていた。

 

 

 思い返してみれば、伯爵の様子が少しおかしくなる前に、ある一人の人間について話していたように思う。

 

 神を嫌う、神に愛された少女──と。

 

 ロードの胸の中に、殺意と、ひと欠片の好奇心が湧く。

 伯爵が感情を揺れ動かされる人間というものに、興味が唆られないわけがない。

 

「キャハハ!」

 

 だったら行動に移すまで。

 ロードは上機嫌にティキの側から離れ、傘をお供に華麗なステップで廊下を歩む。

 

「ハァー…」

 

 ティキは機嫌が戻ったロードに短息し、自分も出掛けようとボロのバックを肩に提げた。

 

「宿題ちゃんとやれよ」

 

「えー、ボクちょっと出掛けるからムリぃ〜」

 

 ロードはそう言って、笑った。

 

 

(まずは、千年公が言う「少女」について調べなきゃなぁ)

 

 

 そしてロードは、伯爵が殺したはずの少女………否、女がファインダーとして生存していたことを知る。

 

 その女の任務先の街中、すれ違いざまにファインダー服のフードから見えた表情に、ロードの中で殺意とは違う、形容し難い感情が浮かぶ。

 

 

 奇しくもその感情は女────マリアに抱いた、伯爵と同じ、名前の付かない感情だった。

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