アレンはラビと食堂で食事をしていた際、リナリーと遭遇した。流れで彼らは相席する。
少女はいかにも不機嫌、といったふうだ。
「リナリー、どうしたんさ?」
「何でもないわ」
リナリーの態度はそっけないもので、黙々とチャーハンを口に運んでいる。
心当たりのあるラビは隣のアレンに耳打ちする。
「こりゃーあれさ、マリアが関わってるぜ」
「まふぃふぁふぁんが? (マリアさんが?)」
それはラビ曰く、マリアが病室から抜け出し、アジア支部の門番と飲んでいたというもの。しかもその後ケガが悪化したらしいのだから、そりゃあリナリーも怒るだろう。
ちなみに朝とれたてのブックマンJr.情報である。
「本当にもう! ケガ人がお酒を飲むなんて…!」
怒り心頭の少女の後ろでは調理場が近いこともあり、多くの人が行き交っている。
「ん…?」
ふとその時赤毛少年の目に、どでかいお盆の上に、これまたどでかい器を運ぶ女の姿が見えた。
片手で熟練のウェイターのように運んでいる。顔はパーカーのフードに隠れてよくは見えない。しかし側にいる黄金のゴーレムで、誰か分かった。
リナリーを見ていた女の目がラビをとらえると、首を横に振る。
(黙っててね、ラビ)
(アイアイサー)
ここで少女の前にマリアが現れれば、火に油を注ぐことになる。
暗黙のうちに行われたやりとりは、しかしてみたらしを頬張る少年によって崩される。
「あっ、マリアさんだ!」
ブンブンと手を振ったアレンに、ラビの深いため息が重なる。
「マリア、ですって?」
立ち上がったリナリーは、目を光らせて逃げる女を捕まえに行く。
「まだ病室で安静のはずでしょ!!」
「病院食が味気ないんだものぉ!!!」
「いいから戻ってください!」
鬼ごっこの軍配は少女に上がり、マリアを引きずるようにして二人は食堂を後にした。
これにアレンは苦笑いである。
一方ラビは安堵の息をつく。マリアの容態はリナリーから聞いていたが、やはり実際の目で元気そうなところを見ると安心する。元々リナリーと彼女の病室が同じだったため、室長の命令で男どもは近づけなかったのだ。そして逃亡事件で、次は面会禁止状態になった。
「あと目覚めてないのはクロウリーだけですね…」
「クロちゃんなら大丈夫だろうさ」
「…そうですね。僕らもたくさん食べて、早く傷を治しましょう!」
「お前は食べ過ぎなんさ、アレン…」
賑やかな食堂。
ホームの居心地の良さを、彼らは改めて感じた。
⚪︎⚪︎⚫︎
方舟から帰還して、数日が経つ。最近はもっぱら人の出入りが多い。
今日は本部で各支部長や元帥、それに中央庁の代表が集まっての大きな会議がある。
現状の私は、方舟で神父様と話した内容が喉につっかえている状況だ。
どうにも私のこの悩みは、あの人以外に話せる相手がいない。
自分が何者なのか。そればかりが気になってどうしようもない。
それに最近夢を見る。長い長い夢。
「マリアの夢」────。そんなアイツの声から始まり、長い長い夢が始まる。
けれど一部の夢しか記憶に残らない。
覚えているのはティキ・ミック似の青年が、黄金の麦畑で佇んでいる光景だけだ。
彼は一体、誰なんだろう。
知りたい。でも知ってしまったら最後、何か怖いことが起こりそうで恐ろしいんだ。
「ガウガウ」
ティムは相変わらず元気だ。今は小さくなって、夜の読書に耽る私の隣にいる。
時折どこかに行っているけど、別段気にしなくてもいいだろう。最後はちゃんと帰ってくるから。
「私は誰なんだろうね、ティム」
「ガウ?」
「マリアでしょ? じゃないよ。そんなこと、私が一番知ってるよ」
静かな部屋に、時計の秒針がいやに響く。
窓の側に設置されたベッドからは、夜が一望できる。
無数の星の中に、あれは────あの星は、今日も輝いて私を見つめているんだろうか。
気味がわるい。
「ティム、おいで」
「ガル」
シャツの上からパーカーを着ると、ティムは定位置のフードの中に入った。
忍び足の技術はムダに洗練されたので、バレる心配はない。
そして看護婦が夜の巡回に来るタイミングを見計って、うまく抜け出した。
ちなみにファインダーの服は、本部に戻ってきた後に没収された。もうこの手を使ってアジア支部に行くのは無理だろう。当分はフォーと会えない。
どこに向かおうか迷って、無意識に私の足は礼拝堂に来ていた。
しんと静まったこの場には誰もいない。
壁にかけられた大きな十字架の下には、ピアノが一つ置かれている。
「何が聞きたい?」
気分で呟いてみたけどもちろん私とティムしかいないから、返答は帰ってこない。それが少し寂しい気もしたけど、観客がいない方がかえって自由に弾けるか。
なら、私の好きに弾こう。
「アヴェ・マリス・ステラ」
昔教会にいた時、シスターから教わった曲だ。
壊滅的な演奏センスだったのに、彼女はプロぶって子供の私に教えていた。
そういえば、愚かな修道女の最期に弾いた曲も、この歌だった。
「ねぇ。私は誰なんだろう、シスター」
エクソシストなのか。ただの愚かな人間なのか。堕罪を持った女なのか。
わからない。
わからない。
マリアって、いったい何なの?
その時耳元で、
──────戦いなさい、マリア。
「黙れ!!」
……本当に、アイツの言う通りだ。
マリアは苦しみの中で戦うんだ。
だからこそ考えてしまう。もしあの時アイツが伯爵の……いや、私が伯爵の手を掴んでいたら、私はどうなっていたんだろう。
私はもしかしたら、自分を知ることができたのかな?
「…バカバカしい」
エクソシストがノアに捕まったら殺されるに決まってる。
気付いちゃいけない。考えちゃいけない。なぜロード・キャメロットが、千年公が「マリア」に興味を示したか探ってはいけない。
ミイラやロードが言った『Ave Maria』の意味を理解してはならない。
だって私は、エクソシストだから。
「ティム、帰ろう。……ティム?」
楽譜台の上にいた相棒の姿がない。
周囲を見回して、後ろを振り向いた時、ティムはいた。
神父様の、頭の上に。
*****
夜の礼拝堂。天窓から覗く月明かりが、ステンドガラスを彩る。
「会議……すっぽかしたんですか?」
「出た」
クロスはかなりご機嫌斜めなようで、椅子に座るとタバコを吸い出した。
会議で色々と言われたであろうことは想像に容易いので、マリアは苦笑する。
「お前ピアノなんて弾けたのか?」
「教会にいた時、シスターから教わったんですよ」
「…あぁ、お前が殺した女か」
「………あの、もうちょっとその、歯に衣着せぬ物言いどうにかしてもらえませんか?」
「ケガの具合はどうだ」
「会話のキャッチボールをしてください?」
マリアは呆れながら、概ねは問題ないことを告げる。
「他には何か弾けるか?」
「いや、特には…」
「ならもう一度弾け」
「……下手でも文句は言わないでくださいね」
夜の冷たい空気の中に、包み込むようなメロディーが流れる。
太陽のような暖かさとはまた違う。例えるなら夜に浮かぶ星のような、そんなささやかさ。
マリアの頭の中には暗い海の頭上。そこにマリス・ステラが微笑みように存在する様が浮かんだ。思わず鍵盤を叩きたくなったが、男の反応が怖いので抑えた。
そして、曲が終わる。
「………」
「………」
期待してはいなかったが、拍手はなかった。
その代わり、クロスは目を細めて楽譜台の場所を眺めている。
「……あの、神父様」
話すなら、今しかない。そう考えたマリアは方舟の話の続きを切り出す。
「神父様は私が──いえ、「アヴェ・マリア」が何者なのか、ご存知なのですか?」
「………」
「元帥」
「……愚問だな」
「なっ……!」
あまりの言いように、握られたマリアの拳が震える。
彼女が真摯に悩む問題は、「愚問」の一言で片づけられるものではない。
「お前はもう、気付いているだろう」
────「マリア」が、
「……っ、はっ…」
何か言おうにも彼女の頭は真っ白になるばかりで、意味もなく口がパクパクと動く。
瞳からは壊れたように涙がこぼれて、ティムがそっと拭った。
「じゃあ、私がエクソシストになった意味は、何だったんですか……?」
顔を覆うマリアの爪が黒く変色し、不快な音を立てて伸びる。
今にも顔をかきむしりそうなその爪を、ティムが甘噛みして止める。
指の隙間からのぞく女の目は紅い。はたして彼女は今己が笑っていることに、気づいているのだろうか。
「お前が決めた道だ。貫くと決めたなら、歩み続けろ」
「どれだけ私が、苦しもうとですか?」
「…己を知れ。お前が進むにはそれしか残されていない」
「助けて…くれないんですか? 私の故郷が襲われた時、伯爵に殺されかけた時、神父様は……助けて、くれたのに」
苦しんだ先に、マリアはどうなってしまうのだろう。そう考えるだけで怖い。
あのとち狂ったミイラのようになるのだろうか。
「俺にお前は救えない」
「……っうぅ」
子供のように泣きじゃくるマリアの頭を抱き寄せ、クロスは背中を叩く。
その後、ひとしきり泣いた女はぐっすり寝てしまい、ティムが咥えて病室に戻した。