今話に限ったことじゃないですが、大分暗いです。
元帥たちによる蹂躙劇。レベル3のAKUMAが赤子の手をひねるように壊され、消滅していく。
方舟の、心身ともに成長する前のアレンたちであれば、レベル3を一体破壊するだけでも命懸けだった。
これがある限界をうち破り、臨界点を越えた者たちの力であった。
「忌々しいエクソシストどもめェ!!」
ルル=ベルはミランダを人質にしながら、窮地へと追いやられて行った。
一方、フロワ・ティエドールの武器、『
そこでマリアは何かの脈動する音を聞いていた。
卵の包み込むような温かさとは違う。
まるでそれは母の胎の中で、子が早く出たいと蹴っているような、そんな感覚だ。
「タップ……タップゥ…!!」
心ここに在らずな女に対し、ジョニーはスカルにされた仲間の死と対面していた。
「やだよ、死ぬなよっ…! タップッ!!」
タップ、と呼ばれた骸骨頭は最後に目の前の青年に笑いかけ、塵芥となって消えた。
その場に崩れ落ちたジョニーは仲間の残骸に額をこすりつける。
「う、ぁ、あぁぁ……!!」
いつも弾力のあった腹の肉の感覚を、もう感じることができない。それが途方もなく、ジョニーの胸を締めつける。
同時に教団を襲ったノアに対し、「どうして?」という気持ちを抱く。
「どうして、どうして俺の仲間が死ななきゃいけないんだよ…」
「ガウガウ」
何度も何度も地面を殴る青年の手を、黄金のゴーレムが止める。尾が紫なので、マリアのティムだ。
ティムはバクたちがいる方を小さな手で示す。ティエドールの絶対防御を誇る庭の中とはいえ、耐久性がある。このゴーレムはより安全な方へと誘導しているようだ。
「ガウガウッ!!」
「うげぇ!!」
ついで、黄金色の弾丸が女の頭にクリンヒットする。
キレたマリアはそこでようやく正気に戻った。
「ガウガーッッ!」
「……悪かったよ。ジョニーくん、君も一緒に行こう」
「うぅ、ゔゔー…」
「泣くなよ。生きてれば、泣く時間は後でいくらでもある」
「タップ……ごめんな、ごめんなっ! お前のこと救ってやれなくて……」
ジョニーはマリアの肩を借りて立ち上がり、歩き出す。
しかし女の足が途中で止まる。
不思議に思った青年は見上げたところで固まった。
「どうしたの、マリア? すごく苦しそうだけど……」
「声が」
「声…?」
「赤ん坊が、泣いて………ママが居ないから…」
────ニン、げ ン。
その声は、
それは人よりも大きい巨大なAKUMAの目玉の中から発せられたもので、マリアにだけ聞こえる赤ん坊の声もそこからする。
瞳の中から伸びた数本の腕が青年をつかむ。
「うわあああっ!!?」
ジョニーの悲鳴を聞いた女はハッとして、
ブチッとちぎれた腕はしかし異常な速度で修復すると、今度はマリアの首をつかみ、丸呑みした。
「あ、あぁ……マリア!」
ジョニーの悲鳴にバクとレニーが気づいた。
事態を察したアジア支部長は、他にも生き残っていた本部の科学班班長を従え、救出作業を始める。
始めに結界を張り、AKUMAの動きを止める。
そしてその中に入った数名が、AKUMAの口からはみ出ている女の足を引っ張り出す。
(こんなところで彼女を死なせれば、フォーに半殺しにされるだろうな…)
傍迷惑な迷子女──アレンとともに潜った女が秒速で消えたので、この時バクは激昂して血まで吐きかけた──は、アジア支部の襲撃が遭った際にバクを救った。
ここで救えなければ、恩を仇で返すことになるだろう。そいつは何とも格好悪い。
「全員、救出を急──」
『に、んん げン』
「────!?」
バクの言葉を遮るように、不気味な声が結界の周囲に響く。
彼らはAKUMAを見たが、異常はない。
そして無事にマリアの体を引きずり出し、数名の科学班が結界の外へ出ようとした。
「うまれる」
やけに紅く映る女の口元がそう呟いた瞬間、AKUMAの瞳から無数の手が這い出てきた。
中にいた数名はすでに外に出ていたため、事なきを得た。しかし。
「まずい…結界装置を維持できる電力がもうねェ!!」
「何だと!? それは真か、本部の科学班班長ッ!」
「俺の名前はリーバーです! アジア支部長!!」
結界装置が壊れればAKUMAが解き放たれる。さすればこの場にいる彼らが全員殺されることになる。
「ッ! 総員、ここからただちに撤退せ──」
バクの指示が間に合わない。結界が割れ、次々と伸びるAKUMAの手が人間を貫き、引きずり、咀嚼する。
(クソッ…!
どうすれば、と高速に頭を回転させる男のその一瞬が、隙を作った。
迫る手。恐怖がバクの中でよぎった時、彼の体は横に吹っ飛んだ。
「フォー直伝、ドロップキック!!」
「ぐはっっ!」
マリアが華麗にバクに飛び膝蹴りを食らわせたのである。間一髪で助かった男はしかし、激昂する。助けてもらったのに三途の川が見えた。
「キッ、キキ…貴様ァァァァ!!」
「少しでも私が時間を食い止めます。だから逃げてください」
「……ッ、だが、貴様はまだ体が本調子じゃなかったはずだろう!!」
「えぇ、だからどれだけ持ち堪えられるか分からないから、早く逃げろって言ってんだよチビ支部長」
「オレ様はまだ成長期が来ていないだけだ!!!!」
「三十路(笑)」
「うぐあぁぁっ、こんな時に蕁麻疹が出るようなことを言うなッ!!」
マリアは笑い、かろうじて
黒いベールに隠された顔。影のような漆黒が揺らめきながらドレスとなる。この服こそが彼女の戦闘着。
衣装からのぞく白い肌は蠱惑的で、ベールから紅い口元だけがかすかに見えるのもまた妙な艶がある。
改めてその姿を見たバクは、息を呑んだ。人を魅了する闇が、ここに存在する。
「まるで、闇の
「では、参ります」
黄金の剣が彼女の肋から出現する。
それでも声が聞こえる。
(────私はエクソシスト)
赤子の声が。
(私はエクソシスト)
母を求めている。
(私はエクソシストだ……!!)
アヴェ・マリアは戦う。
今この時も、マリス=ステラは微笑み、彼女を見つめているのだ。
*****
戦いの結末はあっけなかった。
バクたちは逃げた先で目の当たりにする。
AKUMAの死骸を巻き込み、天に伸びる異形の姿を。
その腹は膨れ、まるで子を宿す女のようだった。
白く発光する身体の腹には、「
その下部には木の根のような無数の触手が伸び、人間の血を吸っている。
そして壁に縫い止められ、ずり落ちた女の体にはいくつもの穴が空いていた。
マリアは動かない。しかし口元だけは微笑んでいた。
────レベル4。
それは教団にとっても、歴史を記録するブックマンにとっても、史上初の遭遇であった。
*****
「本当に無茶をしますね、貴女は…」
遅ればせながら着いたテワクが、気絶している女を運ぶ。ケガを確認したが、やはりと言うか、イノセンスが凝固して血を塞いでいる。かすかに呼吸して、マリアは生きていた。しかし体はボロボロである。
「あれが、レベル4…」
頭に円環の輪を浮かばせるレベル4。その体は人間のようで、張ったような腹部は子どものそれに似ている。小さな体格に内臓が詰まっていて膨れている姿と同じだ。
今はアレン・ウォーカーが戦っているが、一方的に追い込まれている。
「テワク、ちゃん……?」
「起きましたか。誠に申し訳ありませんでした。貴女を護衛することができず……」
「……いいよ。あなたにも色々とあるらしいのは知ったから。それより…」
現状はどうなっているのかマリアは監査官に聞き、困惑した様子だ。何せレベル4が出現したのである。
「これ以上戦おう、などとは思わないでくださいね。長官にも言われましたので」
「………大丈夫? テワクちゃんの首が飛ぶってことないよね?」
「私の心配より、貴女の心配です」
「でも、あなたもボロボロじゃない…」
道中戦闘に巻き込まれたテワクの服はところどころ破れ、薄汚れている。剥き出しになった肌はしかし、人間の色をしていない。無機質な冷たさがのぞくばかり。
この少女の体は一部、機械でできている。
風呂に入る際にこの事実を知ったマリアは、だからこそテワクの過去に「色々ある」と察したのだ。
「生身のエクソシストよりは動けますのでご安心を。いざという場合は私の命を使います」
「……バカなこと言わないでね。貴女が監査官で良かったって思ってるんだから」
少なくともあのとっつきにくそうなハワード・リンクよりはマシだ。それに幼さの抜けきらない一面を少女がのぞかせるたびに、そこがマリアに擁護欲に似た感情を抱かせる。
守らなければ──ではなく、守ってあげたい。そう思わせる。
マリアにはこれが不思議な感覚だった。自分に子供がいたら、もしかしたらこのような感情を抱くのではないか、と感じる。
ロード・キャメロットに抱くものと似ているかもしれない。
「でも、無事にここから出られるかな?」
「…はい?」
「だって、赤子は泣くんだもの」
テワクが女の意図を図りあぐねている時、音速よりも早い衝撃波が起こった。部屋全体を揺らし、聞く者の聴覚を狂わせる。空気が震え、床に転がっていたビーカーが割れた。
「うぁぁ……! 頭がッ、割れるよう、ですわ……っ!!」
素の口調になった少女は頭を押さえながらマリアを見る。
音の発生源はレベル4で、元帥までも音によって著しくイノセンスとのシンクロ率が下がり、戦闘不能に陥っている。
「……なぜ、貴女は、笑っているのですか…!?」
血の涙を流し、アヴェ・マリアは微笑んでいた。
愛おしげに紅い瞳が、
そして矛盾した感情にさらされる女の心は磨耗し、苦しめられた。