「わたしは神様が嫌い」   作:アビ田

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箱の中身は何じゃいな

 ────世界は愛で満ちています。

 

 ────戦いなさい、マリア。

 

 ────赤ん坊が生まれました。微笑み、祝福しましょう。

 

 ────戦いなさい、マリア。

 

 ────抱きしめ、愛を捧げましょう。

 

 ────戦いなさい、マリア。

 

 

 マリアは頭の中でこだまする声に今にも発狂しそうだった。

 

「……リア、マリア! しっかりしてくださいっ!!」

 

 テワクが彼女の体を揺すり、声をかける。

 青白い顔の女は不自然に伸びる爪──しかも黒い──で、己の顔を引っかこうとしている。

 その異様な状態に監査官の少女は背筋が寒くなる感覚を覚え、首を振る。

 

「ぐっ……!!」

 

 レベル4が放った攻撃が、無作為にその場にいる人間を襲う。

 マリアは突き飛ばされるようにして、壁に吹き飛んだ。対してテワクは義肢の部分が焼けこげ、その生々しい機械の色が浮かび上がっている。

 

 レベル4はその後、第5研究所(ラボ)を出て、外に侵攻を始めた。

 教団本部内は緊急連絡が入り、可能な者は速やかに方舟のゲートを通じてアジア支部に避難するよう指示が出される。

 

「私たちも行きましょう」

 

「………」

 

 テワクはマリアの手を引く。

 あれだけボロクソに蹂躙されたというのに、この女はレベル4が出て行った場所へ向かおうとしている。

 

「テワクちゃん。戦わない私は、何?」

 

 戦えないわけじゃない。血反吐を吐くかもしれない。さらなる痛みを味わうかもしれない。

 けれどエクソシストはその上で戦う存在だろう。

 

 戦わないマリアはならば、“何者”なのだろう? 

 

 いっそ────いっそのこと、彼女を迎えにきたルル=ベルの手を取れば、これ以上周りの人間が犠牲にならずに済むのではないだろうか? 

 

「……貴女はどうしてそこまで戦場にこだわるのですか? 「戦わなければ、守らなければ」──と。それとも、そこまで貴女を駆り立てる理由が、何かあるのですか?」

 

「………」

 

 クロスの言葉がその時ふいに、彼女の脳裏によぎる。

 

「マリア」が何者なのか、彼女自身が気づいていると、男は言っていた。

 

 もう、もう、知らないふりはできないところまで来ている。

 

 

「……! ……はい、監視対象は現在私とともにおります」

 

 テワクがつけていたイヤホン型の通信機器に連絡が入った。

 少しのやり取りを終えて、通信が切られる。

 

「長官からの命令です。ただちにアジア支部へ向かいます」

 

「………」

 

「…貴女はいつまで悩んで、グズグズしている気ですか?」

 

「分かんないよ……!!」

 

 ハァ、と監査官の少女は息を吐く。

 

「この戦いにいるのは、貴女だけなのですか? 違うでしょう? 他にも戦うエクソシストがいます」

 

 戦う方はいつも、前を向いて後ろにいる守る者のために戦えばいい。

 しかし守られる側の者たちは、そんな彼らを送り出して、待つしかないのだ。時に弱い己に無力感を抱いて苦しむ。

 

 

「待つ方もまた、覚悟がいるのです。戦いに出た者が帰って来ないかもしれない。それでも彼らの「(ホーム)」であるために、唇を噛んで堪えるのです」

 

 

 ぁ、とマリアは小さく声を漏らす。

 

 そうだ、言っていたではないか。アレンが彼女に“守られる側”になって欲しいと。

 それすなわち、ボロボロでも帰ってきた少年に「おかえり」と言ってあげる立場で。

 

 守るものがあるから、戦う者たちは傷ついても諦めずに戦うことができる。

 

 

「私、アレンくんの言うこと、信じてあげられなかったんだ…」

 

 鼻の奥がツンとした。

 ぐちゃぐちゃに悩んでいた女はそこで、一旦思考を止めて、深呼吸する。

 

「…うん、もう大丈夫。行こう、テワクちゃん」

 

「本当に大丈夫なのですか?」

 

「……ごめん全然大丈夫じゃない。みっともなく泣きそう」

 

「…そうですか」

 

 テワクは歩くのも辛そうな女を背負い、歩き出す。

 後ろからは少女の背中に顔を埋めて号泣する声が聞こえる。

 

 

(………上官はなぜ、「マリア」という存在にここまで気にかけるの?)

 

 

 テワクには疑問だった。少なくとも今こうして泣いている女は、大きな影響力を持つ人間には見えない。

 

 しかし時折瞳が紅くなった時、雰囲気が一転して冷たくなる。

 

 その変化は一応、イノセンスの体内で占める割合が大幅に広がったことで、起きるもの──だという風に科学班たちは考察していた。

 

 

(「マリア(彼女)」はもしかしたら、聖戦において何か重要なカギを握っているのかもしれませんわ…)

 

 そう考えるテワクの後ろではいつの間にか、小さな寝息が聞こえている。

 心身ともに疲れきった女は、とうとうダウンしたようだ。

 

「……寝顔は子供っぽいですわね、あなた」

 

 

 

 

 

 

 

 ⚫︎⚫︎⚫︎

 

 

 

 夢。

 

 

 

 

 厚着をした少年が廊下を歩いている。堂々と真ん中を歩くその子供に使用人たちは頭を下げた。

 

 窓から覗く景色は一面の銀世界。手を伸ばせば届きそうな曇り空だ。

 

 少年はこれから外に行くつもりだ。

 

 双子の兄は朝から楽しそうな彼を見て、少し羨ましそうだった。少年の片割れは病弱で、今は少し風邪気味だ。だから彼はその兄がいる部屋から雪だるまが見えるように作って、早く治るように祈る気でいる。

 

「おいマリア、ちょっと協力しろ!」

 

 マリア。そう呼ばれる女は、この屋敷のメイドである。

 

 中から返事はない。まだ寝ているのだろうか。他の使用人はすでに働き始めているというのに。

 

「給料ドロボーとはいいご身分なこって…。開けるからなぁ!」

 

 ガチャ、と扉を開けた少年はひっくり返る。

 下着姿の女が、毛布を肩に引っかけて真ん前に立っていた。

 

「なっ、なな………なぁ……っ!!?」

 

 顔を真っ赤にした少年は物言いたげに口を動かす。

 視線はばっちり白い胸元に釘付けで、慌ててそらした先には白い太もも。鼻からつう…と赤いものが流れた。

 

 

「だれ、キミ」

 

 首を傾げる女は本気でわからない様子だ。もう何年も仕えてきた主人の息子を忘れている。

 

「またかよ……」

 

 異様なこの状況はしかし、少年にとっては日常茶飯事のこと。

「お前はマリアで──」と簡潔な説明をして、女がプチ記憶喪失から戻ったところで協力の約束を取り付けた。

 

「ところで何で鼻血出てるんですか?」

 

「……〜〜ッ!! うっせぇ、ババア!!」

 

 少年はこの後このメイドの地雷を踏んで、頭ぐりぐりの刑に処された。

 

 

 

 そして、その夕方。

 

 協力者の女が行方知れずとなった少年は屋敷を探し回った。大きな雪玉を二つ作ったものの、一つを上に乗せられないまま終わった。

 

 女がいたのは倉庫に使われている部屋で、埃の積もったソファーに腰かけ窓を眺めていた。

 

「心配させんなよ、もう!!」

 

「……? キミ、誰?」

 

 それが少年とマリアの日常だった。

 

 

 

 

 

 ⚫︎⚫︎⚫︎

 

 マリアは少年が赤ん坊だった頃、小麦畑で佇んでいたところをカテリーナが発見し、連れて帰った。

 

 小麦畑の中にいた以前の記憶がなく、医者は認知障害の一種だろうと診断した。

 

 マリアの動作は時折ひどく幼い。

 ついさっきまでできていたテーブルマナーが突然分からなくなって、半べそでカテリーナの腰にしがみつくこともある。

 

 主人のカテリーナはそれに苦笑しながらも、温かい目でマリアを見守っている。

 

 

 だが少年はどうもこの女を好きになれなかった。

 

 こう、何だか見ていると心臓がバクバクして、冷静さが失われていく。だから嫌なのだ。

 

 そんな少年は時々、遠くを眺めるマリアを見かけた。

 

 

 

 雪が過ぎ去り、麦の青芽が芽吹く頃。

 

 掃除の途中で廊下に突っ立っているメイドの女に、少年はそっと近寄る。

 

 女の視線の先には夕陽がある。紅い瞳で同じく赤い陽を見つめる様は息を飲む美しさがある。けれど何故かそこに温度がない。暖かな色に包まれているはずなのに。

 

「………」

 

 少年は思わず白い手を握った。そうしないと、そのままどこかへ行ってしまいそうな危うさがこのメイドにあったから。

 冷たい手が一瞬硬直して、紅い目が少年をとらえる。

 

「…何、見てたんだよ」

 

 マリアは微笑み、いつもとは違う「様」を付けないで、少年の名を口にする。

 

 この時の彼女はマリアであるが、少年は別の得体の知れない()()()だと感じていた。

 

「早く死ねばいいのに。神よ早く死んでくれ」

 

「は?」

 

「夕陽が沈んだら、また次が来る。神が回しているの。明日が来てしまう。だから神が早く死にますようにって」

 

 ただでさえ儚さを滲ませる女が、この少しイかれている時はさらに危うい。

 

「……何であんたは、オレの前にだけ現れるんだろうな? カテリーナにもアイツの前にも現れないのに…」

 

「ふふふふ。さぁ? きっと神のみぞ知ることよ」

 

 マリアは笑い、少年に顔を近づけて、じっと見つめる。

 ふつふつと沸騰するように、少しずつ少年の顔が朱に染まる。妙に甘い香りが追い打ちをかけた。

 

 しかし助け舟の如き声が聞こえて、我に返った。カテリーナが彼と女メイドを呼んでいる。

 

「晩飯だ。ほら、行こうぜマリア」

 

 マリアの目は、またあどけないものへと変わっていた。

 

 

「あなた誰?」

 

 

 そんな、日常。

 

 

 

 

 

 ⚫︎⚫︎⚫︎

 

 また白銀の季節がやって来る。黄金の麦が風に揺れ、その中を双子の兄弟が駆けていく。

 

 マリアは主人の後に続き、開けた場所でゴザを敷いた。カテリーナの手には昼食の入ったバスケットがある。

 

「ねぇマリア」

 

「はい、何でしょうか?」

 

「マリアは、私のことが好き?」

 

「え……? いっ、いけませんカテリーナ様! カテリーナ様には旦那様がいらっしゃるのに…!! 私は旦那様を見たことがありませんが…」

 

「んもう、ふざけてないで。「ラブ」じゃなくて「ライク」の話よ」

 

「あ、あぁ、なるほど…。えぇ、もちろんでございます。カテリーナ様に拾って頂かなければ、私はそこら辺でのたれ死んでいましたので」

 

 そう、とカテリーナは呟いて、嬉しそうに笑う。

 

「ならあの子たちは好き?」

 

 カテリーナの視線の先には、麦畑を駆け回っている双子の姿がある。

 愛おしげに見つめるカテリーナに、マリアもそちらに視線を移す。

 

「カテリーナ様の御子なら」────そんな理由がなくとも、双子のことは好いている。

 

「好きですよ。彼らももちろん」

 

「そう…よかった」

 

 なぜ突然そんな話をしたのだろうかと、メイドの女は疑問に思った。

 そう言えば主人の表情が少し暗い。何かあったのだろうか。

 

「あのね……。次期当主が、まだ若いけどサイラスになるそうなの」

 

「サイラス?」

 

「私の弟よ。前にも話したじゃない」

 

 研究ばかりで、執事にも「変人だ」と噂されているカテリーナの弟。

 しかし己の主人や双子以外と関わりを持とうとしない女は、その話を耳にすることはあっても、これまで右から左に聞き流していた。

 

「というか、その弟君と会ったことがないような気がします」

 

「本当? あなたのこと嫌ってるみたいなのは知ってたけど……」

 

「私がボケてるからですか…?」

 

 露骨に落ち込んだメイドの女に、カテリーナは頭を撫でて励ます。

 

「あなたはあなたよ。ちょっと抜けていても、そこ含めて愛嬌なんだから」

 

「……! か、カテリーナ様ァ!!」

 

 感極まった女は主人に抱きつき、犬の如くすり寄った。双子よりも言動が子供っぽい。

 

「ねぇ…もし何があっても、あなたはあの子たちの側にいてあげてね」

 

「はい! カテリーナ様のご命令なら」

 

「命令じゃないわ。お願いよ」

 

「お願い?」

 

 カテリーナは微笑み、またマリアの頭をひと撫でした。

 

 

「あなたなら、きっと私以上にあの子たちを愛せるから」

 

 

 それはカテリーナが何もないマリアに贈った言葉だった。

 

 人は「愛」を通して変わる。

 そう信じるカテリーナは、「愛」を通して、マリアにも変わって欲しいと願った。

 

 専属の侍女として、長くこのメイドが側にいるからこそわかる。

 

 マリアには本当に何もない。記憶も、何もかも。

 

 その全てが、薄っぺらの紙の上で消えかかっているインクのように見える。

 

「あなたも大切な私の家族よ」

 

「……家族?」

 

「えぇ」

 

 カテリーナの言葉をマリアは理解できていない様子だった。

 

 

「母さん見て! バッタが取れたよ!!」

 

「オレはヘビ取ったぜ!!」

 

 

 その時、ゲテモノを捕獲した双子が麦畑を駆けてきた。

 病弱気質の兄は左手に足のもげたバッタを。元気過ぎる弟は両手にがっしりと掴んだヘビを。

 

「ヒッ! ………」

 

「おっ…お気を確かに、カテリーナ様ァァ!!!」

 

 意気揚々な子供たちに対して、母親は卒倒してしまう。

 カテリーナが最後に見たのは、双子の兄の頭でピクピクと痙攣するもげたバッタの足だった。

 

「「母さん!?」」

 

 ゲテモノを持った二人は、追い討ちをかけるようにカテリーナを囲む。一瞬蘇った女は、きゅう…と、また目を回して倒れた。

 

「お二人とも……覚悟はいいですね?」

 

 微笑だメイドはげんこつを握った。

 

「いっで!! 何でオレだけ?! マナは??!」

 

「だってマナ様は女の子よりか弱いから」

 

「えっ……?」

 

「何だよそれ! ()()()()()だろ、クソババア!!」

 

 弟はヘビの頭をわしづかみ、ブンブンとマリア目がけて振るう。

 だがこのメイドの女は無駄に身体能力が高い。躱され続けた末、彼はつまずいて転んだ。

 

 オロオロしていた兄は、転けた弟の手を引っ張って起こし、カテリーナに謝りに行く。

 

 マリアは腕を組み、その様子を見つめながらよぎる穏やかな感情に、これがもしや「愛」なのか? ──と、胸に手を当てた。

 

 

 

 

 

 ⚫︎⚫︎⚫︎

 

 マリアがカテリーナに拾われから随分と月日が経った。

 

 当初は記憶障害を持つ女にカテリーナのみならず、他の執事や使用人も優しく接していた。

 しかし人々は次第にメイドの女を好奇な目で見て、恐れるようになった。

 

 マリアは何も変わらない。少年だった双子が青年に近い年頃になっても、何も変わらない。

 

 見目が変わらず、少女のように笑い、「カテリーナ様」と言う。

 

 執事たちはそれを見る度に、嫌悪の表情を浮かべた。或いは、魔女なのでは──と、疑う者もいた。

 

 

 マリアの周囲にある「害悪」に、少年は舌打ちこぼす。

 女は今日もカテリーナの部屋にあるソファーに腰かけ、外を眺めていた。

 

「あら……あなただぁれ?」

 

「カテリーナの息子」

 

「…あぁ!」

 

 もう何十回も、何百回も同じやり取りが繰り返されてきた。

 少年は幾分も縮んだ背丈で彼女に近づき、女の顎をすくう。

 

 少年の表情はひどく余裕が無い。とっくの前にメイドの女に抱く感情が恋なのだと理解した。

 自覚してからの行動は早かった。

 

 好きだ好きだ、とまるでわがままな子供のように言っていた最初の頃。冗談だと相手にもされなかった。

 

 少し成長してからは格好つけるようになった。こっそり買ってきたバラの花束を兄に見られて、「(……ニコッ!!)」とされたこともあった。メチャクチャ恥ずかしかった。

 少年の感情が本物らしいとようやく分かった女は、それでも流し続けた。

 

 

 そうして二人の駆け引きが続いて、今に至る。

 

 もう無理やりキスしてやる、ぐらいに少年は追い込まれている。

 

「………」

 

「……あの、いつまでこうしてる気?」

 

「〜〜ッ、うっせェ!」

 

 見つめ合いが数分続いて、結局少年は行動に移せず撃沈した。

 顔を離そうと思っていたところで、ちゅっ、と頬に軽い感触が当たる。

 

 見れば、ニヤ……という感じで笑う女の顔があった。

 

 

「…………ババア変態死ねっっ!!!」

 

 

 部屋を吹き飛ばす勢いで少年は出て行き、クスクス笑う女の声だけが部屋に残された。

 

 

 

 想いを寄せれども、なかなか叶わない。

 しかしこの関係がどこか居心地がいいと思っている節も彼にはあった。

 

 マリアがずっとメイドとして側にいるという考えがあったからこそ、尚更。

 

 

 だがその均衡が崩れる。

 

 

 

 ────カテリーナが死んだ。

 

 

 

 

 

 ⚫︎⚫︎⚫︎

 

 記憶のないマリアを気味悪がりもせず、温かく接してくれたカテリーナ。

 

 マリアにとって彼女は唯一無二の主人であり、恩人でもあり、母親のようでもあった。

 

 カテリーナだった肉体は肌が黒く変色して、見るも無残な姿になっている。

 

「カテリーナ様…」

 

 今は朝日が昇る前。夜明けが来ればカテリーナの遺体は埋葬されるだろう。それも恐らく遠くに。

 

 マリアは冷えた黒い手を握る。

 

「なぜ、なぜですか、神よ。なぜ私から奪ったのですかッ!! カテリーナ様を…………カテリー……」

 

 言葉は途中で止まる。

 黒い手を見つめる女は、ついで主人の顔を見る。

 

 

「カテリーナって、だれ?」

 

 

 マリアには、何もない。

 

 

 

 

 

 

 

 ⚫︎⚫︎⚫︎

 

 夢を見るマリア。彼女は夢の中で、さらに夢を見ている。

 真っ白な空間に一人座り込み、頭を押さえてうずくまっている。

 

 

「違う、違う、ちがうちがうちがう!! こんなの()じゃない!! 知らないッ! 知らない…」

 

 

 否定の言葉を続ける女の耳に、靴音が響く。

 

 そこにはティキ・ミック────いや、夢の中で見た双子の弟がいる。名前の方はどうにも思い出せない。

 

 男は笑うと、また一歩彼女に近づく。

 

 

『愚かなマリア。お前には何もない。あるのはただの気が狂うほどの“愛”だけ』

 

「違う、私には感情がある! 私は自分で自分の道を進んで来たんだ!!」

 

『神に愛され、踊らされ、壊れた人形が踊り続けられるわけがないというのに、神も酷なことをする』

 

「黙れ…!!」

 

『可哀想に、お前の運命は絶望しかない。神の道具になることを選び、必死に進んで来た。確か、無辜の命を救いたい…だったか? ハハッ! ………だが、お前の望みはどこまでも叶わない』

 

「黙れッ!!!」

 

 男はマリアの肩を抱き寄せると、背中を撫でた。

 

『オレはお前だから』

 

「だまってよ……」

 

『マリアの『守りたい』も、全部“()”から来てるんだ。マリアは愛せずにはいられない。何もないけれど、“愛”に飢えている。マリアは壊れてるんだ』

 

「知らない、私はそんなの知らない」

 

『嘘付け。お前はかつてのシスターに家族の『親愛』を抱いた。伯爵やロードに『愛情』を抱いた。仲間たちに『友情』を抱いた。AKUMAと人間の愛の悲劇を見た。エクソシストとAKUMAの悲劇さえも。お前の全てに、『愛』が関わっていないとどうして言える? マリアは、『愛』をなぞらえて生きているじゃないか』

 

「……()()()が言ったんでしょ。「愛を知れ」って」

 

 マリアが男を睨め付けた途端、青年は笑みを深めた。

 その姿が男から、メイドの女に変わる。

 

 二人の容姿はさほど似ていない。ただ血のような瞳だけは瓜二つだ。

 

 

『マリアはじきに思い出すでしょう。忘れている「マリア」の記憶を」

 

「アンタが言った、「Ave Maria」って言葉は……」

 

『あぁ、それ?』

 

 随分と前にミイラのバケモノがマリアの夢の中で投げかけた言葉、「Ave Maria」。

 

 

『「おはよう、マリア」────目覚めの挨拶にはピッタリでしょう? うふふふ…』

 

 

 あぁ。もうマリアは、彼女は、自分を騙し続けることができない。

 ゆっくりと、メイドの女の口が開く。心底楽しそうに笑っている。

 

 

 

『貴女は神の使いマリス・ステラに愛された────、

 

 

 

 ──────ノア、「聖母(マリア)」』

 

 

 

 

 

 メイドの女は、固まった女をやさしく抱きしめた。

 

『さぁ、聖戦を終わらせましょう、マリア』

 

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