陽気な空の下、マリアは買い物カゴを持ち、鼻歌を歌いながら歩いていた。
少女はステップを踏みながら、少し前のことを懐かしむ。
マザーやバーバは優しい人たちだ。
二人と過ごしていると、自然と教会で過ごしていた日々を思い出す。
少女がいつも「シスター」と言っていた女性や、教会の子どもたち。
大抵は、捨て子を心優しい老女のシスターが引き取ってくる。マリアもそうだった。
少女は自分の親の顔を覚えていない。他の子どもたちも、似たような境遇の子ばかりだ。
中には親に執着を残す子どももいるが、マリアは違う。少なからず好いてはいなかった。
どうして自分を捨てた親に好意を持てるだろうか、いや、否だ。
しかし嫌いだとも思わない。根本的に興味がないのだ。
元々好きなものも少ない上に、興味のあること以外にはとことん希薄だった。
そんな少女も教会や、今共に暮らす二人。そしてクロスやティムキャンピーに対しては、わりかし好いた感情を持っている。
心が温まるのだ。動物たちと過ごす時に感じるような、温かさ。
それがマリアは好きだった。
今の生活はいい。このままエクソシストにならず、生きたい。
そう思いながら、商店街に赴く。
そして橋を渡ろうとした所で、ティムから『___ガガ』と、ノイズのような音が漏れた。まさか故障だろうか。
慌てて飛んでいるティムを捕まえた。
「ティム、どうしたの?変な物でも食べた?」
『____か』
「シャベッタ!!?」
驚いた拍子に、マリアは地面にティムを叩きつける。悪いことをしたとは思うが、突然のことに開いた口が塞がらない。
『落ち……着…け』
「……!神父様……?」
内蔵された通信機能かと、一人納得する。驚いた自分が恥ずかしいと感じながら、マリアは再度ティムを手に取った。
「神父様、どうしたの?」
『簡潔に言うぞ、教団に来い』
「……ん?」
_____エクソシストになれ。
……あぁ、ついにこの時が来てしまったと、マリアは項垂れた。思えば自分の人生は短かったと、これから死地に行くような顔つきになる。
だから、逆に考えることにした。
「よし、逃げよう」
通信先から『は?』と、俺様な男から珍しい声が聞こえる。
マリアは知っていたのだ。
男と過ごした一年と少し。その間、クロスが教団から逃走していたことに。
逃走というよりは、ずっと任務をしていた、と言い張っているだけだが。そんなこと、マリアには関係ない。
いい見本があるなら、真似るだけ。
子は親に似るというし、責任はすべて
「ティムおいで、私はまだエクソシストになんてならない!神様が無理やりなれって言うまではね!!」
すっかりマリアに懐いているティムも嬉しそうに返事をして、通信を切った。クロスが怒ろうと関係ない。彼女はもう少しの自由を謳歌したいだけだ。
買い物カゴを持ったまま、マリアは走り出す。子どもが一人でと、普通なら思われるだろう。
しかし野生児の気がある彼女にとって、むしろ人との接触の方が億劫だった。
それに少女自身もクロスと旅をし、少なからず価値観が変わった。
___世界にはまだ、本では得られないものがある。
未知を知ったマリアは、好奇心の扉を開けようとしていた。
どこでもいい、どこへだっていける。きっと、この相棒とだったら。
一方、連絡を切られたクロスは溜息を吐いていた。
もう少し女だったら淑やかにと思うものの、あの野生児には言っても聞かないだろう。すでに旅をした中で分かりきっている。
来い、とは言ったものの、まだ教団本部にはマリアについて報告をしていない。
恐らく寄生型のはずが、体外に出て武器化するイノセンス。強く装備型の特徴が出ている。
また、ノアやアクマに発動時まで感知されなかった点。明らかに今までのイノセンスに無いパターンだ。
もしや少女の内にイノセンスの存在を悟らせない、ジャミングする
そして、最もたる憂慮事。
伯爵がマリアに接触を図ったことだ。
前に少女がクロスに見せた、赤いカーネーション。その時はどうとも思わなかったものの、次に千年伯爵と対峙した際に、向こうが発した言葉で一気に警戒心が起こった。
_____彼女、喜んでくれましタか?
明らかに、目を付けられている。
目的が何かは分からないが、少女を狙っていることは確かだ。
しかしならば、花を渡した時に殺さなかったのもおかしい。
それらを踏まえてマリアを保護すべきだと、連絡をしたのだ。
マザーの場所にいたままでは、己のパトロンも少女も危険にさらすことになる。
思いきり逃げられてしまったが。いったい誰に似たのかと、クロスは自分のことは棚に上げ、眉間に手を当てた。
まぁ、伯爵も手は出さなかったのだから、急に殺されることはあるまい。
今は久しく帰った男に、教団は逃さまいとしている真っ最中だ。当分逃げられる気がしない。
取り敢えず今は、少女に寄り添うティムに同行を見張らせつつ動くしかないと、クロスは結論づけた。
ーーーーー
マリアが旅に出てから、3〜4年が経った。
流石にお世話になったバーバやマザーに無断で出て行くのは気が引けたのか、置き手紙を残した。
今でも偶に旅した場所の風景を撮り、手紙に添えて送っている。
幼さを残していた少女も、女性に近付いた。
寄生型はエネルギー消費が激しい。数年の内に不安定な旅の中で、その体躯はモヤシに近付いている。身長も女性にしては高い方になったため、余計にだ。
何が言いたいかというと、花よりも食。
そして、食のためには金。
マリアは見事に、やんちゃな方向に育っていた。
ある街の市街。
スラムの通りにはヤクで溺れた人間や、身寄りのない者たちがいる。その中に一人、パーカーの帽子を被った人物は、倒れる体躯を避けながら歩いていた。
そこに金目のものを狙う男たちが現れ、いかにも弱そうな人物に目を付ける。
「おいアンチャン、金貸してくれや」
「ひひ、寄越せ寄越せ!」
急に現れたゴロツキに、「アンチャン」呼ばわりされた人物は振り返る。
目元は窺い知れないものの、やはりこいつはいいカモになりそうだと、男たちは口角を上げた。
「頭を下げててね」
「あ?何……」
そう言い、パーカーの人物は、胸元に手を伸ばす。
まさか銃かと、男たちが思ったところで、辺りに先程まで倒れていた人間が一斉に起き上がった。
虚ろな目。
次の瞬間、その彼らがこの世の者ならざる姿に変わる。
キリキリと、まるで機械が不具合を起こしたような音。二人が耳を瞬間的に塞げば、眼前に銃口が向けられていた。
悍ましい、バケモノが無数に現れた。
「ギャアアアアアア!!」
「あ、兄貴ィィィィ!!!」
咄嗟に倒れるようにしゃがみこむ二人。
そんな男たちを横目に見つつ、パーカーの人物は胸元に出現した黒い渦の中に手を沈めた。
そして囁く。
「_____イノセンス、発動」
するとパーカーを着た胸内からズズと、黄金の大剣が現れる。
すっかりびびった男たちだったが、その異常な光景に倒錯した。
まるで何かの宗教絵のような、神秘さを感じたのだ。
「お礼はあなたたちの有り金で、宜しくねん」
そう言い、パーカーの帽子が剣を振るう風圧で取れる。
細さと中性的な顔で一瞬判断しかねたが、男たちがアンチャンと呼んでいた人物は、紛うことなきネーチャンだった。
「兄貴!!めっちゃ上玉ですぜ!!」
「バカお前、んなこと言ってる場合か!……うおおお!!」
飛んでくる瓦礫に二人はコントもどきを繰り広げつつ、恩人の女性にお礼を言うのだった。
鼻歌が辺りに響く。
有り金を受け取った女は、上機嫌に歩いていた。
その側に少し不機嫌そうなティムキャンピーが飛び回る。
「そんなに怒らないでよ」
「ガウガウ!!」
「わざとあの人たちを、あの場所に誘導しただろって?こんなか弱い女性を狙うのが悪いんだよ」
「ガガウ!ガウ!」
「……アンチャン扱いは、ちょっと利いたけど……いやでも、淑やかに生きるなんて無理デショ」
だって生きるのだけで大変だもの、とマリアは言った。
数年の内に彼女は、沢山のものを見た。
風光明美な景色。人間の作った人工物。どれも少女の開いた好奇心をくすぐった。
しかし旅をして良かったと思うものの、社会を甘く見ていた節があった。
まず子どもが一人でと、誘拐されそうになったり、金欠だったり、手っ取り早く金を稼ごうとした博打で命を狙われかけたり。
勝負ごとに異様な強運を持つマリアは、よく狙われた。
AKUMAよりも社会で生きる方が、よっぽど彼女にとって過酷な道だった。
それゆえにこんなにもワイルドに育ってしまったのだが、特にそれに後悔もしていない。
やっぱり自由は楽しいと、そう思うのだ。
再度帽子を被り、安くて量の多いジャンクフードを食べようと、彼女は表通りに足を運ぶ。
そこで声が掛かった。
振り向けば、旅の中でよく出会う人物の姿があった。ストーカー的なあれではと最初の内は思ったが、それはないと、直ぐに結論付けた。
「お久し振りですね、お嬢さん」
「貴族さん、こんにちは」
大分前に赤いカーネーションを授けた貴族の男。マリアは名前を聞いたことがないし、男から聞かれたこともない。
だから『お嬢さん』『貴族さん』
必然的に、そう呼び合うようになった。
「今日はまた迷子?」
「いえ、舞踏会にお呼ばれしてたんです」
ふーんと、彼女は頷く。確かに富裕層の住む場所がこの街にもあったと思い出した。
「貴族は大変だね。あっちこっちにお呼ばれして、優美を演じなきゃならないんだから」
「楽しいですよ?どうです、そろそろお受けしませんか?」
「んー、養子はちょっとねぇ。もっと別の子にしたらどうなの?」
そう、ストーカー云々の疑いが消えた理由がこれだ。
聞けば、子供に恵まれなかった家庭らしい。そんな中、偶然マリアを見つけ、不思議な運命を感じたそうだ。
だから養子にしたい、と。最初にそう言われた時の彼女は腰が抜けたが、そりゃあ驚きもする。
「それに、もうわたし大体10代後半よ?大人って言っても差し支えないもの」
「残念です…」
あからさまに、しゅんとする男。マリアは慌てて弁明した。
別に貴族の男が嫌いなわけじゃない。寧ろ好きな方だ。
しかし少女は今は逃げているものの、いずれ必ずエクソシストにならなければならない。
神が決めた道から、そして運命から逃れることは出来ないと諦めきっている。
もし自分が招集されれば、二度と貴族さんには会えない。迷惑を掛けたくないのだ。それくらい目の前の人物を良く思っていた。
マリアからすれば、それは珍しいことである。
「こうして貴族さんと会うのは楽しいよ。だからまた会いましょう、ね?」
「優しいですね…」
貴族の男はやはり、感情豊かだ。
二人は暫し、談笑する。
太陽のもと。男の伸びた影は、兎のような形をしていた。
【送られた写真を見るマザーとバーバ】
「全く、あの子思いっきりあいつの悪いとこに似たね…」
「でもマザーの顔嬉しそうだべ〜」
「ふん…元気にしてりゃあ、それでいいさ」
写真にはひまわり畑の中、ニッカリ歯を見せる一人と一匹の姿があった。