クロス暗殺事件から3ヶ月後。
イノセンス絡みと思われる事件があり、マリアは神田、アレン、マリの計四人のエクソシストと、2人の監査官が付きパリに向かっていた。
現在パリは12月ということもあり、街は雪で覆われている。
恩人の死にしばらくの間落ち込んでいた彼女も、この頃には気持ちの落としどころを見つけていた。
「確か派遣された科学班のメンバーも、ことごとく事件の犯人にされてるんだっけ」
「はい。「怪盗G」と呼ばれる存在で、捕まる人間は毎回異なり、その誰もが「自分は犯人ではない」と主張しているそうです。警察も取り調べの間に新しい怪盗Gからの予告状が届いたりと、相当苦戦していると伺っていますわ」
テワクは書類を見ながら淡々と答える。しかし時折その視線が前方のリンクに向く。何気に監査官二人が同じ任務に同行するのは初だった。
「リンク兄さまは今日も素敵ですわ…」
少女の瞳は恋する乙女だ。
マリアは苦笑いしながら、列の後方をゆっくりと歩いた。
前方からはいがみ合う神田とアレンの声が聞こえ、マリは二人の仲裁に躍起している。
「…ん?」
その時ふいに、道路を挟んだ向かい側の歩道で子供が泣いていることに気付いた。
本能的な衝動と言っていいかもしれない。道路に飛び出て危うく車に轢かれそうになった彼女は、怒髪天の運転手に謝罪して子供に歩み寄る。
「ううっ、ぐすっ…痛いよぉ……」
「大丈夫?」
少女が足首を押さえて泣いている。
その隣では友だちと思しき少女が心配そうに見つめ、もう一人いた少年も同じように不安の色を覗かせている。少年の頰には、殴られたような痕があった。
マリアは雪よけでかぶっていたフードを取り、つとめて優しい声色で事情を聞いた。
どうやら少女は男とぶつかり転んでしまったらしい。当たって来たのは向こうで、その事に怒った「ティモシー」という少年が殴られた──と。
「そっか……みんなよく頑張ったね」
マリアは微笑み、少女二人の頭を撫でる。ヘアバンドを頭につけた少年だけ警戒して逃げた。
「あっ、ティモシーが逃げた!」
「綺麗なお姉さんだからはずかしいんでしょ〜〜」
「ばっ……! ち、
ケガをした子供もクスクス笑い、すっかり泣きやんだ。ただ歩くのが難しそうだったため、マリアがおぶって家まで送り届けることになった。聞けば三人は孤児院の子供のようだ。
「そっか。じゃあみんな私と同じだね」
「……あんたも?」
あからさまに少年の表情が変わる。ティモシーの視線は少女を背負う時から不自然に動かぬ右腕に注がれている。マリアは普段、科学班の計らいで作られた装飾義肢をつけている。
「それって親にやられたの?」
「えっ? …あ、違う違う。これは前に事故でケガしただけだから」
そもそも私捨て子だし、と続いた内容にティモシーの顔が歪んだ。今にも泣きそうだ。
「……っ、ごめん、嫌なこと聞いちまって…」
「い、いいよ! 全然気にしてないから!! だから泣かないで……ねっ?」
少年の髪にマリアの手が触れる。壊れ物を扱うような手つきに、ティモシーは不思議な感覚を抱いた。胸の内からポカポカとする。その感覚を言葉にするのはとても難しい。だからせめてお礼だけは言った。
「……ありがと」
「ふふ。どういたしまして、ティモシーくん」
その後、四人は孤児院に向かっていたが、「エミリア」という院で働く女性を迎えに行く予定だったことを思い出した少年が、輪から外れて去って行った。
マリアもマリアで今更勝手に仲間から離れてしまったことに気づいたが、まぁいいか、と開き直った。最悪ティムキャンピーの居場所を辿れば、彼女に行き着く。
しかし彼女は知らない。
この時アレンたちに自分の存在が忘れられていたことに。
「このクソモヤシ!!」
「はいはい。すぐにそうやって神田は暴力に訴えるんですねぇ〜?」
「頼むから喧嘩はやめてくれ、二人とも……」
「リンク兄さま…」
「テワク、距離が近いです」
彼らがマリアがいないことに気付くのは、少し先のことである。
*****
ハースト孤児院。
それがティモシーたちが暮らす孤児院であった。
院長はマリアにお礼を言い、紅茶の一杯でもと誘う。
マリアは最初こそ断っていたが、子供たちにせがまれてお邪魔することにした。
来客用の部屋は小ぢんまりとしている。
彼女の前には院長が座っている。その他数名の子供たちは扉の隙間から中の様子を覗いていた。
「あらら…ごめんなさいね。お客さんが珍しいから、みんな興味津々みたいだわ」
「構いませんよ。それより少し気になったことがあるのですが…」
マリアが気になったのは孤児院の中に所々あるキズだ。子供が付けたであろうキズだったり、単純に建物の劣化だったり。
「子供がいるとはいえ、あまりに修復されていないといいますか…少し、変だなぁと」
「………」
「あのっ、だからと言って貶してるわけでは…!!」
「いえ…違うの。自分の不甲斐なさを感じてしまっただけよ」
院長は子供たちに遊びに行くよう話し、扉を閉じる。もの寂しさを感じさせる背中だ。
「実はこの孤児院がもう少しで閉鎖するんです。財政難で、経営自体が難しくなってしまって……。本当に、あの子たちには申し訳ないと思っています」
堪えるように院長は言った。
ぼんやりとその様子を見つめるマリアの瞳に、かつてのシスターの姿が過ぎる。お人好しで、どこまでも優しい。
「子供たちは他の施設にバラバラに預けられるんですね」
「……えぇ。みんなが家族でいられるのも、あともう少しだけなの」
「そうですか…」
マリアの時は教会がボロボロに壊れて、それでもその場所が街にとっては大切な場所だったため、復興の目処は立っていたと思う。
「聖母マリア」を信仰していた教会。考えたくないことが脳裏によぎってしまう。
(「
運命というものか。神に仕組まれたルート。そこをマリアは歩いている。
ならばこの孤児院や院長の女性、ティモシーという少年たちも運命に沿って生きているのだろうか。『14番目』の宿主であるアレン・ウォーカーも、また。
「これも神のお導きであるなら、仕方のないことですね…」
院長は胸に提げられたロザリオを握る。
紅い瞳が温度を宿さぬままその光景を見つめた。
「「いんちょーせんせぇ〜〜い!!」」
その声と共に、突如扉が開いた。
側にはケーキを持った女性と、子供たちがクラッカーを持って笑っている。
目を白黒させる院長に、「エミリア」と呼ばれる女が、掛け声を言う。
「せぇーの!」
その言葉の後に、子供たちは院長の誕生日を祝い合唱した。
歌が終わると、院長はメガネを取り涙を拭って、テーブルに置かれたロウソクの火を吹き消す。
突然のことに目を白黒させていたマリアも、微笑ましい光景に微笑んだ。
「もう帰っちゃうの、マリア?」
来客の足にへばりつく子供たち。すっかり懐いたようだ。マリアは苦笑いしながらどうにか出口に向かう。
「こら! あなたたち、マリアさんに迷惑をかけないの」
「えー、エミリアのケチー!」
「ケチババアー!」
ケチババア、と叫んだのはティモシーだ。エミリアは口角を上げると拳を握りしめ、少年を追いかけ始めた。二人はそのまま去ってしまう。
「じゃあ、私はこれで失礼します」
「えぇ、気を付けてね。凍結した路面は滑りやすいから。あと高い所から落ちてくる氷柱にも用心してね」
「は、はい…」
マリアの出が教会育ちと知ってから、院長は目に見えて優しくなった。お土産に菓子までもらっている。
「やだやだ! マリア行かないでー!」
「あそぼ、マリア!!」
「ここにしゅーしょくしろよぉー!」
院長は微笑むばかりで子供達に埋もれた彼女を助けそうにない。このなつき具合は『聖母』のメモリーが影響しているのかもしれない。それにしたってモテ過ぎだが。
「まりあ、行っちゃやー!」
倒れたマリアの顔をぺちぺち叩いてきたのは、一番最年少と思われる4〜5歳の少女。
黒髪に跳ねた髪。どことなくロードと似ている少女に彼女は固まる。心臓が早鐘を打つ。抱きしめたい衝動は子供たちの重みで物理的に抑えられた。
その後も少女は「まりあー」だとか、「ちゅき」と言ってくる。
そこにティモシーを成敗し終えたエミリアが戻って来て、ようやく彼女は助けられた。
「マリアさんごめんなさいね。この子は特に甘えんぼで──「泊まります」………えっ?」
子供たちの瞳が光り輝く。
「一泊します」
その瞬間、わぁぁっ、と孤児院の中で歓声が上がった。
*****
夜の10時ごろ。
マリアは寝入った子供たちに毛布をかけ、そっと部屋を出た。
階段を降りたところでちょうど寝巻き姿の院長と出くわす。少し皺のある手にはコップに入ったミルクが白い湯気を出していた。
「よければあなたもどう?」
「あぁ…じゃあお言葉に甘えて。あと一つ、聞きたいことがありまして」
「私に話せることならいいわよ」
「ティモシーくんのことについてなんですけど…」
テーブルの上には湯気の立つコップが一つ。
院長は両手にもう一つのコップを持ちながら、目を細めた。
「…ティモシーはね、彼がもっと小さい頃………ここに来る前に、ある事件にあったの」
「事件ですか?」
「彼の父親が窃盗犯でね、警察に捕まりそうになって追い込まれたのが原因でしょう。証拠隠滅を謀り、ティモシーに盗品を飲み込ませたの。幼い子供に…本当に、ひどい話よ……」
「その人間はどうなったのですか?」
「父親は…エミリアの父親、ガルマー警部と言うのだけれど、彼が捕まえてくださったわ。もう既に刑も執行されて、牢屋の人生よ。以前から悪さをしていたのか、相当重い刑に処されたと警部から伺ったわ」
「…そうですか。ティモシーくんも大変だったんですね」
「……?」
何か含みのあるマリアの言葉に、院長は首を傾げる。
「
「…!」
少年はマリアの前でずっと頭にヘアバンドを付けていた。ゆえにその隠された額の下を彼女は見ていない。
しかし
マリアが実際に額の下を見たのだと勘違いした院長は、重い口を開ける。
「ティモシーがここに来た時にはすでに、額に小さな水晶玉のようなものがあったんです。私や他の子供たちがバカにすることはありませんが、他人というのは冷たいもので、ティモシーを口汚く罵りました。彼はその頃から額を隠すようになりました…」
「………」
「あの子は口が悪いしイタズラばかりするけれど、根はいい子なの。他の子供たちの面倒見もいいし…」
「ティモシーくんは辛かったでしょうね。きっと、院長先生も……」
「……っ!」
院長は目尻に涙を溜め、顔に手を当てる。
「私のシスターも、とても優しい人でした。問題児気味だった私に良くしてくれて……子供たちに分け隔てなく愛情を注ぐ人だった。あなたのように。ただ一つだけ違うのは、女性的な魅力が彼女にはなくてですね……」
ポロポロ泣いていた院長は最後の方で呆けたような顔をした。
「ふふ…私なんてもうおばちゃんよ。冗談でもありがたく受け取っておくわね」
それに、と院長は続けて。
「女の幸せが結婚だけとは限らないわ。私には女の幸せよりもっと大切なものがあるから」
院長の視線の先には、壁に貼り付けられた彼女の似顔絵があった。
この幸福でできた箱庭がそう長くないうちに壊れる事実が、マリアにはもの悲しく感じられた。
*****
それから話は終わり、マリアは案内された屋根裏で眠ることになった。急きょ客人が泊まることになり、院長や子供たちが協力して掃除した部屋だ。マリアも手伝おうとしたが他の子供に捕まってできなかった。
寝巻きはエミリアが用意してくれたものを借りている。身長の違いで丈が短い。
ベッドに横になれば多少の埃臭さは残っていたが、そこまで気にはならなかった。
月明かりがマリアの顔を照らす。相棒もまた彼女の頭の上に止まり、おやすみモードだ。
「偶然、では片付けられないよなぁ…」
フランスで多発する「怪盗G事件」。
狙われるのは金目の物ばかりで、売れば相当な金になる。
次に財政難で閉鎖するハースト孤児院。金があれば閉鎖は免れる。例えば
最後に────ハースト孤児院に住む、ティモシーという少年。
彼はイノセンス持ちであり、怪盗G事件の資料をファインダーの頃の癖で読み込んでいたマリアは、犯人が共通して子供らしい行動を取ることが多いことに気づいている。
つけ足すなら少年の父親が「窃盗犯だった」ということも留意しておきたい。
「というか、ここまで来れば黒確なんだよなぁ……」
能力はおそらく他人に乗り憑るものだろう。そう考えれば次々と現れる怪盗Gや、その人間が子供らしい言動を取るのにも説明がつく。
「ガウガァ?」
「ん…? 報告はしないよ。彼らの幸せを壊したくないし、その権利は私にないもの」
ティモシーがエクソシストになって教団と交渉すれば今後この孤児院は安泰だろう。悪いことをしなくても済む。
けれど彼女はその選択を強いたくない。
それがたとえ少年がイノセンスの力を持ってしまった時点で、神の望むままに進められる運命を歩まされているのだとしても。
「彼の選択は、彼自身に任せましょう」
おやすみ、と声がする。
紫の尻尾がそれに応えるように、あるいはあやすように、マリアの頭を撫でた。