その出会いは突然だった。
マリアが旅の中、偶然立ち寄った田舎町。そこで懐かしい姿を見かけた。
ご飯を何にしようか悩みながら歩いていたその時、庭で花壇に水をやる女を見つけたのだ。
「はにゃ、どっかで見覚えがあるよーな…」
「あら、何かご用……! マリア、マリアじゃない!!」
首を傾げマリアが突っ立ていれば、ジョーロを投げ出し、駆け寄って来たその人。
記憶がぼんやりとする中、唐突にその名が浮かぶ。
「シスター…?」
「ふふ、そうよ。今はもうシスターじゃないんだけどね」
「シスターが、シスターじゃない?」
理解が追い付けないマリアに、自分の薬指を見せるシスター。
その指には綺麗な指輪が輝いていた。
つまり、シスターはめでたくゴールインしたのだ。
「ウソ!? おめでと、シスター! にしても、よくわたしって気付いたね」
「気付くに決まってるじゃない! 大きくなったのに…相変わらず貴方ってネガティブなのね、食以外に対して」
なにおう、と少女が思っていれば、昼飯に誘われた。
ぜひと、目を輝かせる少女にため息を溢しつつ、シスターはマリアを家に招き入れた。
「結婚てことは、もうシスターは辞めちゃったんでしょ? あの街から嫁いで来たってことで…」
「そういうことになるわ。それより見て、これが私の彼よ!」
20代半ばにして、少々痛いそのテンション。苦笑いしながらマリアはその写真を見る。
お相手は中々にハンサムだった。
まぁしかし、クロスよりは劣るなと、判断基準が少しおかしい部分はある。
「…ねぇシスター、一つお願いがあるんだけど」
「何かしら?」
「あのね、今日泊まってってもいい?」
「それは……あの人がダメって言いそうだから、ごめんなさい。その代わり、この街の知り合いで民宿やっている人がいるから、そこの主人に話しておくわ」
無料になるようにね、とウインクして、シスターは美味しそうなご飯を持ってくる。
マリアは喜びながら、それを平らげた。
そして、談笑しながら過ごす。いつのまにか陽は落ちていた。
外から旦那であろう男の帰宅を告げる言葉と同時に、玄関の開く音が聞こえる。
「あら、彼だわ」
「ん? じゃあわたし帰るね。お邪魔しちゃ悪いから」
「…なんか、ごめんなさいね」
「いいのいいの」
シスターの旦那に会釈しながら、逃げるようにマリアは帰って行った。
夜道を歩く中、少女はポツリと呟く。
「血の匂い……」
*****
街に滞在してから数日。
わたしは旅行者として田舎町を物色していた。
旅人は珍しいのか、町の人々はお節介をやいてくれる。
細っこいんだからもっと食えと、餌付けもされた。
調べてみれば、シスターは1年前に嫁いで来たらしい。
美人だと、騒ぐおじさんたち。美人か? と思うわたしに、中身がいい子なんだと酒臭い男たちは言っていた。
「旦那の方はな、これまた好青年でな。偶然怪我をしていた嫁さんを助けたのが、きっかけらしい。女の方から猛アタックされたそうだ」
「あー…それはすごく、シスターらしいや」
そう言えば彼女と知り合いなのかと、男たちにさらに騒がれる。
そんな感じだと、返しておいた。
「えんらいべっぴんさんじゃ。どうだ、おれの
「いやいや、儂の愛人に…」
酔っ払いどもめ、情報収集しに来た場所を間違ったかな。
伸ばされる手を次々と叩き落として行く。さながらモグラ叩きだ。
その後、総菜屋でおやつのコロッケ10個とメンチカツ20個を買ってティムに持ってもらい、食べながら歩く。
向かう場所は、シスターの旦那が働く工場。
到着すれば、汗を垂らしながら溶鉱する人物を発見。一度見たことがあったから、すぐに分かった。
「……あれ、君は確か…」
「こんにっちはー」
笑顔を振りまいて来た好青年。もしかしたらシスターより若いかもしれない。
「実は、シスターとの馴れ初めを聞きに来ました」
「マリアちゃんだっけ? 仕事が終わってからでもいいかな」
「いいですよー、待ってます」
そして、待つこと1時間。今はタオルを肩にかけた旦那と一緒に歩いていた。
「この間、彼女から君のことを聞いたよ。面白い女の子だって」
「照れますにゃ〜。この間は泊まりたかったんだけどなー」
「? 滞在してる間くらいなら、別に泊まっていっても構わないよ。旅ってのは金が掛かるからね」
どうやら旦那は、若い頃に旅をした経験があるらしい。なるほどね。
見たところ彼自身は、わたしが泊まるのはOKらしい。
ならなぜシスターはあんな風に言って、断るような真似をしたんだろう。
しかし悩みは解けぬままシスターの家に着き、答えは結局分からなかった。
「貴方、お帰りな、さ………マリア?」
「ただいま。君との馴れ初めが聞きたいって、話してたんだ。可愛い子だね」
「テヘッ!」
ぺろっと舌を出して、可愛い子ぶった。でもシスターの顔色はよくない。
いや別に、旦那を取ろうとかそういうんじゃないから…!!
そう思いつつ、追っ払われるように追い出された。
クソ、わたしより旦那の方が大切だっていうの……。
口を尖らせてもどうにもならない。
外の寒さだけじゃないものに、身震いした。
これ以上考えたくない。小石を蹴れば、周囲にぶつかり跳ね返る。
そして、ガツンと頭にクリーンヒット。悶えながら脇の牧草に倒れ込んだ。
「あぁぁぁぁ、もう!!! 神様のイジワル!!!! 死ねっ!!」
ジタバタと暴れる。
そのとき視界に入った夕焼けと混じった夜空が、イヤに不気味で美しかった。
*****
街の外れの教会。
そこで彼女はやはり、手を握っていた。
ゴォーンと、鳴る鐘。やっぱり彼女は結婚した今でも、心はまだシスターなんだ。
「シスター、隣いい?」
「…いいわよ、どうせ貴方は祈らないんでしょうけど」
「うん、まぁね」
笑って返せば、ため息を吐かれる。わたしが祈ることは一生ないのだと、彼女も分かっているんだろう。
「……ねぇ、シスター。シスターは今幸せ?」
「何言ってるのマリア、当然じゃない。あの人と出会えて、こんなにも幸せなのに」
「…そっか」
前の祭壇を見る。
そこに飾られているのはキリスト像。
よくもまぁ、神の前でそんなことが言えるね。
「シスター、昔言ったと思うけど、わたしはシスターのことが大好きだよ」
「なぁに急に、真剣な顔しちゃって」
「シスターに何があったかは知らないけど、このまま貴女を生かすことは出来ない」
渦巻く胸の中から、
愚かだ。あなたって本当に、本当に、どこまで。………どこまで。
「血の匂い。気持ち悪いぐらいの血の匂いがするの、貴女から」
「…そう。でも大好きな私を、マリアは殺せるの?」
「正確には
「あら、随分冷たくなったのね」
そう言い、シスターは立ち上がった。
剣を持ち構えるわたしの前に、ゆっくり歩み寄る。
「祈ったのね、伯爵に。誰を失ったの? いったい誰の名前を叫んだの?」
「愚問ね。あの時、伯爵様があの街を襲った時、私の唯一の肉親が死んだのよ」
「……!」
「だから祈ったの。ただ、それだけのことよ」
冷たい目をして彼女は言う。元から温度なんて、心なんてなかったかのように、冷たい。彼女の目が。
頰から伝わる汗が止まらない。神父様の話に聞いたことはある。でも遭遇したのは二度目だ。
「……レベル2。自我を得たAKUMA。どれだけ多くの人間を殺したの」
「さぁ、覚えてないわ。だってお腹が空くんだもの」
「あの青年も、シスターは殺す気なのね」
「彼は違ウワ!!」
彼女の皮が完全に剥ける。その姿は正しく、AKUMA。
「彼ハコンナ私ヲ愛シテクレタ!!」
「その愛は認められるべきものじゃない。シスター、貴女は神に捧げたはずの純潔を、どこまで穢す気なの」
「煩イ!!! エクソシストガ!!!」
いくつもの触手が、バケモノの体から現れる。
避ければ先程までいた地面が抉れる。
神のお膳で元シスターがやることじゃない。
息を大きく吐いて、
避けながら壁を駆け上がって、天井に到達した後、そのまま思いきり足に力を込める。
「ソンナ攻撃、効クカ!!」
「っ…!!」
脳天から貫こうとした瞬間、突如壁から触手が出てくる。
分離して活動出来るのか…!
そう思った束の間、壁に思いきり叩き付けられた。吸ったはずの空気が一瞬で口から漏れて、ジュワジュワという音が耳に入る。見れば、肌が溶かされている。
「痛っ………た!!」
「死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ。彼トノ生活ヲ邪魔スル奴ハ、全員死ネ!!」
「……シス…ター」
ああ、そっか。邪魔されたくなかったから、わたしを泊めたくなかったのか。
独り占め? 独占したい気持ちってことかな? …うーん、愛か……。わたしにはまだ、よく分かんないよ。
走った痛みに瞑った目を、大きく開く。
首に触手が巻き付いて、ギリギリと締める。普段戦うレベル1とは比べ物にならない強さ。
こんな無様な姿を晒して、よく初めてイノセンスを発動した時、レベル2のAKUMAを倒せたもんだ。
尚も、首が締まる。
ああ…これは、駄目かもしれない。
「シ、ス……」
「死ネェェェエエエエ!!!」
_____ドン!!
何かがぶつかる音。
急に自由になった肢体に驚きつつ前を見れば、シスターに突っ込んだ男性が居た。
普通の人間にあの触手の溶解は耐えられないのか、すでに体の半分が溶けて、異様な色を成している。
恐らくずっと、ここに来るわたしたちを尾けていたんだろう。
「ア、アァァァ、ア、アナタ……何デ……」
「…も、う。やめ……よう、これ以上……たのむ。殺さない……で、くれ」
それはきっと、禁断の愛。
AKUMAとヒトが、愛を誓い合った姿なのだ。
二人の出会いをわたしは詳しく知っているわけじゃない。
でも、美しいと思った。許されざる愛を神のお膳で見せ付ける、その姿は反逆者と言っていい。
「……キレイ」
剣を握り締める。
内では、イノセンスが禁忌を成した存在をまとめて殺せと、呟く。
許されないからこそ、そこに一種の美しさを感じるのだろう。
陶酔するわけじゃない、でも甘美だ。
これ以上、シスターを苦しめたくはない。
彼もすでに絶命している。
AKUMAを生かしちゃいけない。
このAKUMAは多くの人間を殺したんだ。
だから…だからね、シスター。もうこれ以上、罪を重ねなくていいんだよ。
「ア、アァ、アナタ、アナタ……」
「お前の罪を数えよう」
ドロドロに溶けた肢体を持ちながら、こちらを一瞬、シスターは見た。
笑って_____「ごめんね」と、言っていた。
それは神にか、わたしにか? それとも死んでしまった彼にか?
分からない、分からないけどとにかく、殺さなきゃ。壊さなきゃ。
罪を数える間も、シスターはずっと動かなかった。
ただ泣きながら、謝り続けていた。
愚かな修道女、そんな言葉が頭を過ぎる。
そうだ。確かに彼女は、愚かだ。
「おやすみ、シスター」
*****
穏やかな風。
そこから聞こえるピアノの音に、街の人々は目を細めた。
マリアは様々な思いを馳せながら、鍵盤の上で指を踊らせる。
弾くのは眠りの歌。
それは、形を無くした一人と一匹のバケモノに贈る鎮魂歌。
「禁断の恋なんて、シスターもやるじゃない」
「グルルル!」
マリアが夢中になって弾く中、側にいたティムが唸り声を上げた。
その声に気を取られ彼女が振り返れば、そこにいたのはかつて見た、千年公の姿。
「止めちゃうんデスか?」
「……貴方に贈っている歌じゃないもの。用がないなら帰って」
「残念デス♡」
千年公はマリアに歩み寄る。その側には無数のAKUMAもいた。ただで帰す気は、向こうにはないようだ。
少女も手を止め、己のイノセンスを取り出す。
体外に出るまで気配の知れない
「やはり不思議デスネェ、そのイノセンス」
「わたしだって知らないわ、こんなもん」
その言葉に伯爵は大笑いした。マリアもマリアで、伯爵の側にいた傘が急に喋り出したことに驚いた。
「何それ何それ!? ちょー可愛い!!」
「ヒィィィィィ!! エ、エクソシストが近寄るなレロ!!!」
「ほ、欲し………ちょうだい!!」
「あげませんヨ♡」
速攻で伯爵の後ろに隠れる傘。マリアは眉を下げ、口を尖らせる。
「ンフフ♡やっぱりこっちに来ませんカ、お嬢サン♡」
「やっぱり貴方……貴族さんだったのね」
随分前に見た、夕焼けの中一瞬浮かんだ、伯爵の姿。
彼が人間なのか、はたまたバケモノなのかは、マリアには分からない。
しかし間違っても、その誘いに乗ろうとは思わなかった。
例え死のうとしても、その決意は揺がないだろう。
「…どうしてわたしなの、どうせエクソシストにならなきゃいけない運命なのに」
「神を嫌うエクソシストなんテ、滑稽じゃないデスカ♡」
「………」
伯爵は続けて、気になってしょうがないのだ、と続ける。
これは新手のストーカーより陰湿だ。マリアは眉を顰めつつ、黄金に煌めく剣の先を相手に向ける。
頭に過るのは、シスターの死に顔。
胸に渦巻く殺意に、改めて少女は感じた。己がやはり、シスターを好いていたことに。彼女がAKUMAになっても、その気持ちは変わらなかった。
「…シスターは、わたしのお姉ちゃんみたいな人だった。なのに…千年伯爵、貴方のせいで彼女の幸せが壊れたんだ」
「ンフフ♡愚かな人間二、吾輩ハ救いの手ヲ差し伸べたまでデス♡」
少女の黒い瞳が紅く煌めく。獣のような瞳に、伯爵の笑みが溢れた。
壊す楽しさ。それを内に秘め、AKUMAを動かす。
襲い掛かるは弾丸の雨。それを剣でいなしながら、マリアは走る。
先程の傷は癒えていない。本物の戦場とはこういうものなのだ。
死にそうだろうが、弱かろうが、死は平等に襲う。
だからこそ人々は生きるために、あるいは守るために戦う。
溶解され、肉が見える足に負荷をかけようが構わない。
少女の感情と共に、剣は姿を変える。
そこにあるのは強い怒り。
「人の命を玩具のように奪う貴方を、わたしは許さない!!」
その脳裏に過るのは、神前で祈らないマリアにため息を吐いていたシスターの姿。
そして少女が顔を背けた先に映っていたは、聖母マリア像。
_____マリア、戦いなさい。
そんな声が聞こえた。
場が一気に神聖な空気に包まれた。
伯爵は驚きの目を向けながら、変化して行くマリアの様子をじっと見つめる。
「
煙の中から現れた大剣は、先程の二倍以上ある巨大な槍に変化した。
黄金の剣には紅いラインが無数に走り、肋を模していた部分はマリアの手に巻き付くように
また目元には、血を塗りたくったような縁取りがなされていた。
伯爵はイノセンスから感じる悍しいまでの深い執着に、笑いが止まらない。
_____ハートの存在。
数年危惧してきたが、その可能性が一気に跳ね上がった。
「さぁ、殺シまショウ♡」
伯爵が手を伸ばすと同時に、更なる弾丸の雨が降る。
マリアは避けながら、距離を徐々に詰めて行く。
そして立ち止まり、思い切り砲丸投げの要領で槍を投げた。
それを容易く伯爵は避ける。
後ろにいたAKUMAの数体は、飛んできた槍によって消滅した。
辺りには煙が舞っている。視界の悪さに伯爵は機嫌を悪くし、弾丸で晴らそうとすれば、後ろ___それも至近距離から、音が。
すぐそこには、マリアがいた。
「伯爵たま、後ろレロォ!!」
「_____ンフ♡」
ガッと、呻き声が上がる。腹を蹴られたマリアは吹っ飛び、地面に叩きつけられた。
「が、はっ……」
「芸ガないデスねェ♡そんなものニ、騙されるわけないデショウ♡」
きゅるんと体を一回転させ、伯爵は喋る傘_____レロを持ち踊る。
あぁ、楽しい。エクソシストが痛みに呻く様はなんと心が躍るのだろう。
そんな歪んだ考えだ、伯爵の内にあるのは。
対してマリアは、急速に鈍っていく思考に舌打ちした。
丸い体型の体が、まるで重力のないかのように近づく。
経験も力量差も全く違うのだ。それでもと、少女は血が滲むほど強く唇を噛む。
「わたしは……思ったんだ。シスターみたいな不幸な人間を、救いたいって……」
マリアは立ち上がる。震える体を何とか堪えように、掌を握りしめた。
「ちょこザイナ♡」
そう言うと同時に、伯爵が持っていた傘が剣の形に変化した。
そのまま剣はマリアの腹を貫く。ズプリ、と。
瞬間、激痛が走る。
「あああああぁぁあぁああああああああああ」
痛い、痛いいたい、いたい、いたいいたィいいたい
続く言葉は、もはや意味をなさない悲鳴。
辺りに響く絶叫に笑いながら、伯爵がとどめを刺そうとしたところで、一発の銃声…いや、何発もの弾丸が突如襲いかかった。
反射的に伯爵は後方に下がったものの、まるで生き物のようにその弾丸が後を追いかける。
「邪魔デスネェ〜〜♡」
伯爵は剣で追跡する弾丸を薙ぎ払う。
そのまま華麗にAKUMAの上に着地し、犯人である人物を笑いながらも睨め付けた。
ぐったりと動かなくなったマリアの前に立ちはだかるのは、赤髪の男。
少女はぼんやりと瞳に映るその姿を見ながら、「神父様」と、小さく呟く。
それに男は目を細め、己のもう一つのイノセンスを発動した。
「!」
伯爵が目を見開く。
急いで弾丸の雨を降らそうとしたものの、男のイノセンスの能力によって姿を視認出来なくなった。
額に浮かぶ青筋。ハンカチを噛みながら、伯爵は地団駄を踏んでいた。
*****
マリアは虚ろな思考の中、香った酒の匂いに懐かしさを覚えた。
ぼんやりとその名を呟けば、帰ってきたのは思い浮かべた人物通りの声。
まさか。目を開ければ、そこには数年前に別れた師_____クロスの姿があった。
はにゃと、疑問が浮かぶ。一体なぜこの男がここにいるのか。
尚も湧き出る血を吐きながら、燃えるような色の髪を見やる。
「神父……さ、なんで…?」
「仕事だ」
「うそ、だ…」
実際には、数年の余地を経て緩くなった監視をかいくぐり、任務後に逃走しただけだ。
そして少女の回収を、と思いマリアの持つティムを辿って来てみれば、とある場所に滞在していた。
エクソシストの勘で、何か怪しいと調べてみれば、そこは教団でもここ一年の間で不審な失踪が増えている街で、調査対象になっていた場所ということがわかった。
案の定着いてみれば、街に蔓延る大量のAKUMA。
それは伯爵の連れて来たオモチャたちであった。
AKUMAを破壊しながら探れば着いた場所、それが町外れの教会。
もうすでに建物は男の弾丸と、伯爵の攻撃のせいで倒壊してしまったが。
マリアはクロスを見ながら、安心感を覚えた。
強い存在、そこから来る安心感。弱い自分とは大違いだ。
「わたし……弱い…」
「アホか。お前ごときが千年伯爵に勝てるわけないだろ」
「そ、ぅ……だね」
イノセンスを破壊するため切り開かれた腹からは、鮮血がしとどに垂れる。
それに伴い、少女の肌はどんどん白くなっていく。
そこに彩るように流れる紅はどこか美しい。
まるで女が口紅を塗っている情景のようだ。
「美人になったな」
あ、たらしだ。そう開こうとしたマリアの口から出たのは、血。
吐かれたそれが男の肌を伝う。少女は死を覚悟した。腹の傷とはまた別の意味で。
しかし不思議と、心は穏やかだった。
重くなる瞼を瞑ろうとして_____声がした。
_____戦いなさい、マリア。
またあの声だ。
自分を戦場に駆り立てる声なのだと、マリアは感じていた。
内のイノセンスが囁くのだ。
そしてそれは、神からの言葉でもある。
(嫌だ、神の僕になんてなりたくない。エクソシストになるぐらいだったら、このまま自由を失うのだったら、死んでしまいたい)
そう思いながら、ついにマリアは意識を失った。
沈んだ暗闇の向こうでは、ただ神へ捧げられる歌だけが頭の中に反響していた。
*****
_____戦いなさいマリア。
どこからか響く声に、マリアは目を覚ました。
痛みに呻きながら、己の腹を探る。
死んだんじゃなかったっけと、クリアになって来た思考で傷の部位を撫でた。
しかし、塞がってる。
それに驚いて飛び起きた瞬間、激痛が走った。
「い、い゛〜〜っ!! いででで!!」
脂汗が頰を伝う中、大人しくしてろと、頭を叩かれた。
少女を叩いた犯人は、仏頂面で立っている。
マリアが巻かれた包帯の下を恐る恐る見れば、キズが塞がっている。だが何か違和感を感じる。
この感じは……。
「イノセン……ス?」
思わず顔を歪める。強い執着をソレから感じたからだ。
そんなに神様は彼女を戦わせたいのか。いや、だがおかしい。彼女がイノセンスを発動させようと思っても、うんともすんとも言わない。
少女が混乱していると、ティムキャンピーが包帯の上に心配そうに擦り寄る。
痛みに彼女がうめいても、なかなか離れない。
相棒に悪いことをしたかなと、マリアは目を伏せた。
「発動出来ないのか?」
「……うん。そうみたい」
顎に手を当て、何か考えているクロスは放っておき、マリアは腹が減ったためベッドを降りようとした。
しかし襟根っこを掴まれ動けなくなり、首が容赦なく締まる。
「し、しまっ、首、しまっ…!」
「お前は本当に……色気より食い気か」
「〜〜〜!!」
クロスは深い溜息を零すが、マリアには関係ない。三途の川が近づいてきている。
現状はいたずらをして、首の皮を掴まれ宙にぶら下がる子猫だ。
身長は伸びたものの、埋まらない差というものがある。
「とりあえず、お前は本部に連れて行く」
「!?!」
「あ?」
クロスの有無を言わさぬ眼光に、マリアは思わず竦む。
どうやら師の方は、勝手に逃げたことをまだ根に持っているらしい。
そして掴まれていた体がようやく降ろされた。
何やら真剣な話があるらしい。食は少し我慢だと、ベッドに座らされたマリアは自分に言い聞かせる。
「お前は伯爵に完全に目を付けられたはずだ。壊されたのに尚も形を崩しながら残ってるイノセンスなんざ、聞いたことがない」
「……神様が言ってるの」
「は?」
「「戦いなさい、マリア」って」
漆黒の目から覗いた煌めきに、クロスは一瞬目を見開く。
「壊されても、戦えと言ってるの。きっと逃げた罰。死んでもなお、戦えと神様が言っている。わたしの………罰」
まるでそれは、神に選ばれた存在というより、神に呪われた少女だ。
イノセンスが使えない今、AKUMAと応戦する術はない。
ただでさえイノセンスの存在を感じられないマリアは、ただの一般人だ。
でもと、彼女は続ける。
「わたしは神に仕えない。これからも、一生。でもね、戦いたいと思ったの」
「…それは、誰にだ?」
「
マリアは立ち上がり、窓の外を見つめた。
朝露が窓を濡らしている。その奥にはまだ、暗闇が覗いている。
「シスターや子どもたち。そんな弱い人間が、伯爵のオモチャにされて死ぬのを、初めて嫌だと思った。……うぅん、違う。きっとずっと、前から思ってた」
「……」
「その考えを肯定すれば戦うことになる。わたしは目先の自由に囚われて、自分勝手な奴になっていた。でももう、そんな甘い考えはしちゃいけない。逃げちゃいけない。わたしはだって、選ばれてしまったんだから、神の道具に。だから……戦わなくちゃいけない。強制されるならわたしはわたしの意志で、この道を選ぶ。選んでやる。────この腐った現状を、ぶっ壊してやる」
黒から一瞬、瞳が血に染まった色に変わる。
神に呪われた色なのだろうとクロスは思い、目を閉じた。
「お前はきちんと、自分の道を歩けるようになったんだな」
「…当たり前でしょ、もう子どもじゃないもん」
「ッハ、ガキだろ」
「ぬぅ……!」
体はでかくなっても、中身が相変わらず幼い。胸の方は指摘してやるべきではないだろう。ただ、貧相だ。
吸えていた煙草をティムに押し付け、クロスは立ち上がる。
覚悟が決まったなら、歩むべき道を指し示す必要がある。
「なら進め、自分の道を。エクソシストとしては戦えないが……いや、逆に隠しておいた方がいい。今の教団は不穏だ。バレたら確実に人体実験行きだ」
「え、怖…」
マリアは顔を歪めて口を抑える。オーバーリアクションだが、本気でマジかと思った。伯爵に勝ちたいとはいえ、人間の倫理を超えている。
「それでもお前が戦いたいと言うなら、道はある」
「?」
「ファインダーになれ。エクソシストと共に戦う存在だ」
「…!」
なるほど、その道もあるかと、マリアは頷いた。
神は嫌いだが、それ以上に今は自分の見つけた理由のために戦いたいと、そう思った。
「_____分かった、わたし……ファインダーになる! 戦うわ」
朝日がちょうどその時、昇った。
マリアを照らすようにその姿を映す。
逆光になった姿に眩しそうにクロスは目を細めながら、少女の数奇な運命を想った。
神に愛され、戦うことを強いられた哀れな少女。
しかし様々な色のクレヨンで塗り潰されたような色の瞳は、今は綺麗な紅色に染まっている。
昇った陽のように、少女の戦いはまだ始まったばかりなのだろうと彼は思いながら、新しい煙草の火を付け紫煙を吹く。
マリアはその様子を見ながら、もういいかなと、空腹の腹を摩った。
_____戦いなさい、マリア。
少女の運命は、動き出す。
【包帯】
「神父様って、やっぱり不器用だよね。ここら辺とか…」
「………ハァ」
「え、な、何でため息?」
鈍感過ぎてこいつ将来危ないなと、真摯に思ったクロスだった。