「兄、さま…」
少女の腹には鋭い鉤爪が突き刺さっている。
血を大量に吐きながら、兄さま、兄さま、とうわ言のようにテワクは呟く。
そうして縋るように、少女は兄に抱きつく。世界でたった一人の、同じ血を持つ家族。大好きな兄。
「テワクは……テワクは強くなったんです。兄様に守られてばかりの…テワクじゃ……もう、ないんです」
ほんの一瞬、抵抗していたマダラオの身体が止まった。ついで虚ろだった瞳に薄っすらと光が差す。
「にいさま……」
「テワ……ク?」
ずり落ちていく少女の肢体を、マダラオは掴んだ。
そして彼は気づく。自分の変形した腕が妹の腹に突き刺さっていることに。思わずそれを抜き取ろうとすれば、耳を塞ぎたくなる悲鳴が上がった。
「すまない、すまないっ…!!」
「やっと、しょう、きに…」
変形していた腕が収縮し、あるべき形を取り戻す。ついで彼は腹に札を貼りつけ、止血を試みた。しかし出血が多過ぎる。普段の冷静さを手放した男の目には憎悪の色が浮かび、ターバン頭のノアを睨む。
「ホォ、辛うじて意識を取り戻したか。だがおぬしではワタシに勝てん」
「………」
無言のまま、マダラオは立ち上がる。ワイズリーはレベル4に命令した。
「痛ぶってやれ」
『わかりましたぁ、のあさま』
レベル4が口からエネルギーの弾を放つ。間一髪でそれを避けた男はレベル4に肉薄する。
アルマ細胞を埋め込まれた部位は、接触することでAKUMAを吸収する力を持つ。
マダラオは細胞が移植されている左腕をレベル4に向けるが、体に触れることすら叶わない。その間にレベル4の拳が太腿に当たり、鈍い音を発して数十メートル後方に吹き飛んだ。
『ふつうのにんげんよりはかたいですねぇ』
天使の如きAKUMAの羽が開いた刹那、広がった距離は一瞬にして縮む。地面にマダラオが落ちる前に、上からレベル4が踏みつける。ガハッと、腹を潰された男の口から血が噴き出た。
噛み殺すような悲鳴が、何度も聞こえる。
テワクは遠くなりかけていた意識の中、必死に腕を伸ばした。
「やめ…てよ、やめてよぉ…」
「おぬしが殺していれば、あの男は苦しんだ末に死ななかっただろうに」
「にいさまぁ……!」
「本当におキレイな『愛』だ。妹は兄を想い、同時に兄も妹を想う。その二人が殺し合う……が、ちと盛り上がりに欠けたかのう」
どこか自重じみた笑みを浮かべ、ワイズリーは肩をすくめる。
その後もマダラオの悲鳴は聞こえた。だがだんだんとその声も小さくなり、少女の前に四肢の潰れた肢体が投げ出される。まだ、それでも男に息はあった。
「やだ、やだやだやだ、しなないで、しなないで兄様」
「テワ…ク……」
「おねがい、おねがい……!! テワクを置いていかないで!!!」
「すまな…い……」
少女は兄に縋りついた。動かなくなった兄に、何度も声をかけた。
感情を滅多に表に出さない兄ではあったけれど、仲間のことを、そして妹のことを誰よりも大切にしていたことをテワクは知っている。
なぜなら少女はいつも自分を守ってくれる兄の背を見ていたから。
テワクは子供のように泣きじゃくった。
「──死んだか」
静寂の中でワイズリーの声がよく通る。
青年の言葉に反応したテワクの顔がゆっくりと上がった。涙で顔を汚し、憎悪に染まりきった目で彼を見る。
「その顔がワタシは見たかったんだのう」
拍手すらしそうな雰囲気で、ワイズリーは続ける。
「ただの人間が、母上の側にいるだけで罪であろう」
「………ノア、貴方はマリアを愛しているのですね」
「当たり前だ。同時に母上もワタシたちを愛している」
瓦礫から降り立った青年が、地べたに転がって顔だけ上げる少女を見下ろす。
死を前にした少女はしかし、微笑んで見せる。
「貴方に愛されるマリアが、可哀想ですわ」
テワクにはマリアがまるで、古城に閉じ込められた姫のように感じられた。
ノアは姫を寵愛する王子さま。愛し過ぎるがゆえに、姫を古城に閉じ込めている。
普通ならばそんな王子など姫は愛さないはずだが、王子が姫を想う以上に、姫は王子を愛しているのだろう。
「マリアに愛される貴方たちもまた、可哀想ですわ」
「…言いたいことは、それだけか?」
何も喋らないテワクにワイズリーはニッコリと微笑み返し、手を上げてレベル4に命令を下す。
「殺せ」
ゆっくりと、その死神の足音を聞かせるようにレベル4が兄を抱きしめる少女に近付く。
テワクは一人ぼっちが嫌いだ。でも兄は今、彼女の腕の中で事切れてしまった。
トクサやキレドリ、ゴウシもきっとノア側に付いてしまうのだろう。
リンクがまだ残っているが、その存在は兄の死以上に大きなものにはならない。この場に彼がいて、そして手を差し伸べてくれたなら、彼女もまだ生きる気力を取り戻したかもしれない。
「テワクも、いっしょに…」
レベル4が、足を振り上げる。
少女は兄の手を強く────強く、握った。
「……?」
しかし衝撃が来ない。おずおずと顔を上げたテワクの目に、見慣れた姿が目に入った。
「やぁワイズリー、さっきぶりだね」
マリアはそう言い、微笑んだ。