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教団から逃走する身となった少年は彼を追って来たリナリーに別れを告げ、方舟を使いマザーの元に訪れた。
マザーはケガを負ったアレンの体に視線を向け、一拍置いてから部屋へ招き入れた。
クロスのパトロンである彼女はアレンが14番目の宿主であることを知っていた。ゆえに大まかの事情は把握している。
少年に座るよう促し、マザーは紅茶を出した。
夜も更けてきた頃合いのため、バーバは目を擦りつつアレンにハグした後、眠りについた。
必然とリビングに残るのは、アレンとマザーの二人のみ。
「まぁ…なんだい、せっかく来たんだ。少しはゆっくりしていきな」
「僕もそうしたいんですが、教団に追われる身になったので長居はできないんです」
「……無茶はするんじゃないよ。それにしても…なら、何でお前はここに来たんだ?」
「実は…昔マナが使っていたピエロの道具を借りたくて来たんです。逃走するにもお金は必要なので」
要するに、食いぶちを稼ぐために必要な物を取りにきたらしい。
偶然にも日にち同じく、マザーは家の掃除をしていた。その時バーバにクロスの部屋の整理をさせた際、大道芸の道具を見つけている。
「そこら辺に置いてあるから、勝手に持っていきな。どうせ使う奴はいないからねぇ」
「ありがとうございます!」
それから暫し二人は、談笑に花を咲かせた。
マザーはクロスの襲撃事件を聞いた時、驚いたものの薄々予想していたことではあったので、そこまで取り乱すことはなかった。
それよりもふと気になったのは、短い間だったがここで共に過ごした少女のことだ。
「アレン、あの子は元気かい?」
「あの子って、誰のことですか?」
「マリアだよ、マリア。アンタも教団にいたんだから、少しは知ってるだろ?確かファインダーをやってたはずだが…」
「マザーはマリアさんのこと知ってたんですか!?」
「知ってたも何も、あの子はアンタと同じでここに一年間だけだが住んでたんだよ。
「………いえ、何も」
アレンは姿を消してさえも迷惑千万な己の師に遠い目をした。
そもそも修行時代に「マリア」の名前すら聞いたことがない。
席を立ったマザーは、しばらくしてから少し古めのアルバムを持って来た。整理をしていた時に出てきた代物だ。
皺がれた手がパラパラとページをめくり、指差す。
「ほら、コレだよ。あの子が家出をしていた時、よく送って来たんだ」
「マリアさんが子どもだ…!」
「当たり前だろ。誰だってガキの頃はあるんだ」
「ハハ…そうですよね」
どれもティムと映っているものが多く、その中で少女は無邪気に笑っていた。アレンにとってはそれが新鮮だった。
だからこそ、写真の笑顔とは正反対な冷たい女の笑顔が脳裏に過ぎる。
「……マザー」
「どうしたんだい?」
「彼女はイノセンスが戻ったんです。だから僕と同じエクソシストになったんですよ」
「……!そうかい、あの子のイノセンスが……」
感慨深そうにマザーは目を細める。当然の如く今はどうなっているのか尋ねられ、アレンは言葉を濁した。
マリアがノア側の人間だと知ってしまえば、マザーはきっと悲しむだろう。
アレンに対しても辛そうに、でもどこか受け入れるような顔をしているくらいだ。
「……」
マザーは黙り込む少年を見つめる。仔細は知らないが、薄っすらと察せた。
「…マリアは教団には、もういないんだね?」
「………!」
マザーも事情は知らない。彼女にとってマリアの像は大食らいだが手伝いもよくし、笑顔が眩しい子どもだった。
しかしその反面、バーバは気付いていなかったが、時折少女は冷えた目をしていた。
────
言葉だけでは表しにくいが、人間を老若男女関係なく「人間」として見ていた。
人がアリを見て、「あぁ、アリだ」と思うのと同じような感じで。
「アイツが拾って来たくらいだ。何かあるだろうとは思っていたさ。あたしも詳しくは知らないが、「当分預かってくれ」と言われて、面倒を見ていたんだよ」
「そう…なんですか」
「あぁ。まぁ途中で変に好奇心を発揮させて、家出しちまったけどね」
「家出って……師匠じゃないんですから…」
「言っとくがアレン、あんたも大概だからね。本当にアイツはアレンといいマリアといい、面倒ごとは昔っから全部あたしに押し付けるんだ。こっちは堪ったもんじゃないよ」
「は、ハハ…」
それより、とマザーは薄汚い少年に問答無用で風呂に入って来るよう告げた。
土や血が付着した体は確かに、お世辞にも綺麗とは言えない。
バーバのサイズのでかい服を渡されたアレンは、蹴っ飛ばされるようにして風呂場に追い込まれた。その後、浴室からは「痛ァ!!」という声がちょくちょく聞こえた。
「ハァ……」
リビングに一人になった老婆は、紅茶を飲みながらアルバムを見つめる。
ふとそこで思い出したのは、複雑な色を宿していた男の赤い目だった。
*****
クロスが14番目の宿主であるアレンを見つけた頃。
当時のアレンは捨て子だった。その異様な左腕から「赤腕」と呼ばれ、サーカスで雑用として働いていた。この時すでにアレンは、ピエロを勤めるマナとも出会っていた。
ティム越しにアレンを観察していたクロスは、時折マザーの元へと訪れ酒を盗んでいた。
その日、マザーは編み物をしていた。
時刻は少し昼を過ぎた辺りで、バーバは畑仕事に行っており、家には彼女しかいなかった。
穏やかな日常が破られたのは、ほんの一瞬の出来事。
突如足で扉を蹴破ったのは、いかにも不機嫌を露わにした赤髪の男。
神父が浮かべるものではない顔付きに、マザーは唖然と扉の残骸を見つめた。
「今時猿でも扉くらい開けられるってのに…」
彼女の小言を無視し、クロスは着ていた礼装を床に脱ぎ捨てる。シャツ姿になった後は、そのままズカズカと自室に入ってしまった。
ついでドカドカと、室内を荒らす音が聞こえる。
「また家具壊してんのかい、あんた……」
扉を開けて見れば、そこには何かを探しているクロスがいた。タンスは倒れ、ベッドまでもがひっくり返っている。
呆れて物も言えないマザーに気づいたのか、クロスが顔を上げる。
「マザー」
「ハァ…何だい?」
男は真顔のまま、口を開いた。
「マリアの私物、全部出せ」
マザーの第一声は先よりも苛立ちの混じった「ハァ?」である。
文字どおり、意味が分からなかった。
だが不機嫌なこの男をそのままにすると本当に家が丸ごと壊されそうなので、彼女は渋々マリアが使っていた私物を見つけ出した。
唯一アルバムにあった写真だけは念のため…と残し、持って行くとクロスがいない。
外から焦げた匂いがしたため慌てて飛び出せば、本やら何やらがパチパチと音を立てて燃えていた。
勢いを増していく炎の色は、正しく男の髪の色を体現するかのようだ。影に覆われたその後ろ姿には、何か異様な────底冷えするものがある。
「…………なに、してんだい?」
「………」
クロスは無言のままマザーからマリアの私物をひったくると、炎の中に入れた。
みるみる内に物は燃えていく。
しばし二人は、燃え盛る炎を見つめていた。
感じる重い空気に居た堪れなくなりマザーは、口を開こうとする。そこに重なるようにしてクロスが呟く。トーンはほぼ独り言のものだ。
「…14番目が」
「それが、何かあったのかい?」
「……アレンを見て、14番目を思い出した。それだけならまだよかった」
普段の豪胆な男とはかけ離れた様子に、マザーは口を紡ぐ。
長いことパトロンをやっている彼女でも、あまり見たことがない表情だった。弱さ、とでもいうのだろうか。
「アレンがマナといた。ただ他愛もなく話していた、それだけだ。ネアとマナ────だから、余計なことまで思い出しちまった」
炎と同じ結われた赤い髪が、微かに動く。
「神に、
その真意がマザーの理解に及ぶことはない。
ただ真理を見て、呪われた男が言うにしては少し滑稽な気はした。
全て燃え尽きて灰になった頃、マザーは燃えカスを見つめる男を杖で小突いた。
「で、気は済んだのかい?」
「全く」
「アンタねぇ……散々部屋をとっ散らかして、それを言うのかい」
「バーバに片付けさせりゃあいいだろ」
「……本当にイイ性格してるねぇ」
「ハッハッハ!今更だろ」
いつもの俺様に戻った男は先ほどまでの様子は何処へやら、豪快に笑う。
そのまま足で灰を踏みにじり、タバコを取り出した。踏まれた拍子に灰が宙を舞う。
「悩むのなんざらしくねェ。運命に囚われてたらキリがない」
「「マリア」には……何かあるのかい?」
「……何もねェさ。文字通り何もない。だからこそアイツは足掻いてるんだろうよ。何も知らないなりにな」
「…アンタはあの子に隠しておく気なんだね」
「今知ったら壊れるだろうな。教えなくとも壊れる。だが今まで変調はなかった。恐らくは14番目の目覚めと共に、「マリア」も覚醒する」
男の口調は、まるで少女が死ぬかのような口振りだった。
「あの子は………」
「“死ぬのか”…か?まぁ、死ねたら幸せだろうな。それにもう神にイノセンスを植えられている。完璧に八方塞がりだ。どうにも出来やしないし、どうにかする気も俺にはない」
「薄情だねぇ、アンタ。あの子も女の子だってのに、ドライなもんだ」
「……どういう意味だ」
「それともアレかい?“親心”って奴かい、アンタに?そりゃあないだろうに」
「だから、どういう、意味だ」
詰め寄るクロスに、マザーは知らん顔をする。
赤い瞳の奥には様々な感情がある。それを見逃すほど彼女は年老いてはいないし、無駄に長く共にいるわけではない。ただ、関わろうという気は彼女にはない。あくまでクロスとはパトロンの関係であるから。
しかし別としてマリアは、我が子のように思ってしまう気はある。ゆえに少々、この男に苛立ちを抱いているのかもしれない。
(どうにもできやしないだって?「助けたい」
マザーは内心思う。
ただ「どうにもできない」という意味から、本当にクロスでさえ手段がないのかもしれない。
話の流れから、鍵を握るのは今までの会話からすればアレン────つまり「14番目」なのだろう。
「やっぱりあの子をファインダーになんてさせるんじゃなかったよ。だからあたしゃ反対したんだ」
「だがあいつが選んだ道だ」
「掲示したのはアンタだろうに」
マザーの言葉に、男は何も答えない。視線はこちらではなく、空に向いていた。いつの間にか白い影がチラチラと覗いている。今晩は寒くなるだろう。
(神から逃れられない運命なのだとしたら、あの子は………)
下界に舞う雪は、まるで地上に縛られた者の堕罪を露わにするように降り積もっていった。