最後の【歌】はどうしても書きたかった話で、若干本編との齟齬があるかもしれません。まぁ、番外ってことでユルシテ…。
他にも舞踏会などいくつか書きたい話があり、気が向けばまた更新します。
【双子と少女】
ジャスデロとデビット。二人で一つのメモリーを形成する双子は、もっぱら夜遊びに明け暮れていた。
貴族であるノアの生活は優雅の一言。一般家庭より教養も自由な時間もある。世界を破滅に導くことさえ除けば、上流階級な一般人の枠組みから外れない。
ただ優雅なのは千年伯爵やシェリルなど一部のメンツで、他はワイズリーを筆頭に優雅の「ゆ」の字もない連中もいる。
ティーンで絶賛今を楽しんでいるジャスデロとデビットの場合は、社交界に参加することもない。政治など、表ないし裏の情勢を操っているのは千年公とシェリルである。
そんな折、二人に口煩く言う者が現れた。
夜遊びについて「程々ニなさイ♡」と黙認していた千年伯爵。だが一人の少女は夜中に帰ってきた双子に対し、仁王立ちで立ち塞がる。眠そうに目を擦って、枕を抱えながら。
「ッケ、お前につべこべ言われる筋合いなんてねぇっての」
「ヒッ!ガキはおねんねの時間だよ!」
「ふーん……後で後悔しても知らないよ」
意味深に、何か含みを持った物言いをするマリア。
それに双子が訝しげな視線を向けつつ耳を傾けたところで、少女は人差し指を立てた。
「知ってんだよ、わたし。
ジャスデロとデビットは日によってだが、ナポレオンの三時間よりも睡眠時間が少ないことがままある。
早起きの理由はメイクに時間がかかるためだ。昼寝を取るには取っているが、それでも健康的な生活とは程遠い。
「確かに二人は見違えるほど大きくなったさ。もうホント、まるで巨人みたい」
「お前がチビになったんだろ」
「ヒヒッ、そうそう」
「ムー、チビじゃないもん!……それでぇ、ジャスデロくんとデビットくんは18歳じゃん?」
双子の身長は伸びはしたが、それでも年下のアレンよりは低い。何なら一つ下のワイズリーの方が高い。
マリアは二人の周囲を名探偵さながら、ゆっくり回る。
二人の顔には、いつの間にか冷や汗が浮かんでいた。
「二人とも思ってんでしょ。「オレたちはまだ成長期だから大丈夫だ!」────って」
その考えが甘いと、彼女は続ける。
「ここで突然ですが、ノアの中で身長が高い人たちを挙げましょう。千年公に
このメンツの共通点は、睡眠時間が多い。ティキの場合は双子と同じように夜の街に出かけることが多いが、その分昼に惰眠を貪っている。昼寝を含めたら半日以上寝ている者までいる。千年伯爵である。
「それに朝風呂より夜に入った方が、睡眠の質がグンと上がるんだよ」
「…別にオレらがどう過ごそうが、お前には関係ねーだろ。なっ、デロ」
「いっぱい寝ると、翌朝のキューティクルが半端ないよ」
「ヒッ!デロはすぐに寝るよ!」
「ちょ……こンっの裏切り者ォ!」
「そう言いつつデビも心が揺らいでるんだよ、マリア」
「言うなバカッ!!」
ジャスデロの頭をひっぱ叩いたデビットは、唸りながら少女を見た。
彼の瞳に映ったのは、某ピンク髪の超能力者で、偽装家族をやっている少女ばりのにやり顔を浮かべるマリアの姿。
「あぁー…これはもうマジにオレ怒っちゃったわ。蜂の巣の刑だわ」
「ヒヒ、マリアに手ェ出したらロードに殺されるぜ?前に寝ている顔に落書きしようとして、ベッドの中にいたロードに見つかって……………ヒ、ヒヒィ……」
「それじゃあ、オレはこのイライラをどうすりゃいいんだよ!」
他人の不幸が蜜の味なジャスデロとデビットの好物。それを生み出す方法はイタズラしかあるまい。
ティキあたりでもまた標的にするか。
明日(というかすでに時間的に明日なのだが)の双子の予定が決まったところで、真っ直ぐに頭上に挙げられる小さな手が一つ。
「わたしもやる!」
「何でお前がノリ気なんだよっ!」
「ヒヒッ、ガキになって言動まで子どもっぽくなってるね!」
「マリアちゃんはね、がっこうにいかされるときはロードちゃんよりふたつもしたなんだよ」
「学校行ってたのかよ」
「違うよ。行かされてるんだよ」
成人女性から年端も行かない少女にジョブチェンジしたマリア。別名、年齢詐称女(ティキ命名)。
ロードと千年伯爵から圧をかけられた彼女は、渋々スクールバックを持ち、ロードに手を繋がれて学校に通っている。
「つーか何歳なんだよ、お前。それにどうして小さくなってんだ。ワイズリーは「イノセンスの影響で…」とか言ってたけど、イノセンス壊せねェのかよ」
「わたしのイノセンス壊したい?デビットくんは」
「…………別に、オレはやんねぇ」
壊すことはできるだろう。でも消すことはきっと不可能だ。そも伯爵が動いていないことからも、双子は言われずとも、うっすら理解している。
壊せばよりイノセンスは少女に絡みついて、その体を害すと。まるで、獲物を絞め殺す蛇のように。
「ふふ、イジワル言っちゃってごめんね。──さっ、そろそろメイクを落としてお風呂に入って、寝ようよ。お風呂はちゃんと沸かしてあるからね!」
「ヒッ、デロはキューティクルヘアーを目指すよ!」
「………ガキ扱いすんな、ババア」
「ア゛?」
一瞬の静寂。二人の前を扇動して歩いていた少女の歩が、止まる。ついでに、少女の声帯から聞こえてはならない重低音が聞こえた。
ニッコリと笑うマリアの笑顔に、デビットは激おこの伯爵を幻視した。
閑話休題。
翌日。午前中に各々アイディアを出し合い、ティキに一週間連続でイタズラを仕掛けた双子と少女。
イタズラの内容は定番の大穴ドッキリから分かりづらいものまで、多種多様。一週間の災厄ウィークを終えたティキ・ミックに、三人からさらに、どんなイタズラが仕掛けられていたかの問題も出されたのだった。
さすがにこってり伯爵に叱られたのは、言うまでもない。
頭にたんこぶを作った双子と、おやつを抜きにされた少女。
この一週間で彼らに悪友の友情のようなものが生まれたとか、生まれなかったとか。
「ヒヒッ!でも何でマリアはイタズラに参加しようと思ったんだ?」
「ん?そりゃ、アレだよ」
「アレ?」
思い出作り。
窓の外の青い空を見つめながら、少女は言った。
とある日の、双子と少女の話である。
【風呂】
シェリルの養子となった少年、ワイズリー。
この親子は正反対な性格である。
教養も高く神経質で潔癖な一面を持つシェリルに対し、ワイズリーはとにかくマイペースだ。
根っからのズボラーな少年は、たとえ自分の体から異臭が漂い始めても気にしない。これまで義理の愛娘を溺愛していた男に、胃痛をもたらしたのだ。
「いい加減ッ風呂に入りなさい、ワイズリー!」
「イヤだのぉ〜〜〜!!」
潔癖パパVSお風呂大嫌い義理息子の戦いが、今日も幕を開ける。万物を操ることのできるシェリルは力を使ってでもワイズリーを浴槽に入れようとするが、服を剥ぐ段階で逃げられてしまった。
相手はヒトの精神に介入できるワイズリーだ。分が悪い。
逃走を果たした魔眼の少年は、キャメロット邸をぶらぶら歩く。
そうしてまた一日が終わる。いよいよワイズリーの風呂に入っていない記録が更新されかけた折のこと。
こういった場合、シェリルが白旗を挙げ千年公に助け舟を求めるのが定番になりつつある。さしもの少年でも、千年公には敵わない。渋々風呂に入る。
だが、今回は別の方向からアッパーを食らった少年は、青天の霹靂と言っても過言でないほどの変貌を見せた。
「生ゴミみたいな臭いするね、ワイズリー」
ロードに引きずられ、風呂に連れて行かれるマリアが発した言葉。若干鼻声なのは、彼女が手で鼻を摘んでいるからだ。
シェリルから逃げていたワイズリーは、見事に固まった。
歯に衣着せぬマリアの物言い。だが少女からしてみれば、実際に臭ったのだから仕方ない。
この一言が心にグサッと来たワイズリーは悩んだ末、風呂に入ることを決めた。
ただし、シェリルに一つ条件を出して。
「マリアと一緒に入りたいのう!」
件の少女は、いつもロードと共に入っている。というより、ロードに捕まって入っている。たまにルル=ベルを混じえ、女子で入っていることもままあった。
これがワイズリーには羨ましい。古い「
少年の中では湯船を共にしても問題ない。マリアもワイズリーが強請れば「いいよー」と、二つ返事で返すだろう。
だがシェリルと、偶々通りかかったティキも「それってどうなんだ?」という、懐疑的な視線を送る。
マリアの姿は今ロリボディ。シェリルの対ロード用パパセンサー(?)は、めざとく反応する。
「ワイズリーは少女趣味だったわけかい?まさか僕のロードとも……」
「違うわい、おぬしと一緒にするな。ロードを見てしょっちゅう鼻血を出しているおぬしが、な」
「そうだぞぉ、
ドン引きなシェリルに対し、ワイズリーとティキの冷ややかな視線が刺さった。ティキは若干楽しんでいる。
実際シェリルはドSの、義理娘溺愛男である。ついでに顔面偏差値の高いティキにキッスをかまそうともしてくる。つまり、そう。紛うことなく変態だった。
ちょうどその時、廊下にバタバタと走る二つの足音が響いた。
「もお〜……さすがにロードちゃんはわたしにベタベタしすぎっ!!」
「待ってよマリア!!」
「わたしだってたまには一人でゆっくり入りたいもん!」
廊下に佇む男三人のもとへ、体にバスタオルを巻いた少女二人が駆けてきた。シェリルはロードを見て「!?」と驚き、ティキは面倒な空気を察知する。だが逃げる前に、ティキの後ろにマリアが隠れた。
「わたし
「えっ、無理」
「ティッキーとなんてダメ!何されるかわからないし!千年公とだったらいいよ!!」
「無理、って言ったの聞こえなかったか?それと俺にあらぬ容疑かけるのやめてくんない?」
「たまにはデザイアスと入ってあげなよ、ロードちゃん!」
「無視すんなよ、おい」
いやだ、と言おうとしたロードは、後ろから感じた黒いオーラにハッとする。
ショックを隠しきれないシェリルが、今まさに膝から崩れ落ちそうになっていた。さながら、この世の終わりのように。
「お、お父っ様…」
「ロードが僕のこと、ロードが僕のこと、ロードが僕のこと、ロードがロードがロードがロードが────」
「ぼ…………僕、お父様といっしょにお風呂入りたくなって来ちゃった!」
上目遣いの娘のサービスに、途端にシェリルの機嫌が直る。彼は花を飛ばし、娘を抱き上げた。
そのまま風呂に行く二人に手を振るマリア。シェリルの肩口から顔を覗かせ、頬を膨らませたロードの姿が遠ざかっていく。
「いいのかよ?あの調子だと絶対に面倒な拗ね方するぞ、ロード」
「でも毎日のように、ロードちゃんに密着24時されろっていうの?わたしでもさすがに疲労困憊だよ……」
おはようからおやすみまでロードと一緒の生活。
マリアもいくら愛しているとはいえ、彼女もまた一人の人間。個人の時間が欲しい。
「のの……マリア、さっき言っておったが、本当にジョイドと一緒に入るのか?」
「えっ?ムリ」
「ソレ、俺のさっきのセリフなんだが」
「いや、別に一緒に入ってもいいけど、お義父さまの顔がムリだからムリってこと」
「ハァ………あのさ、俺だってキレるんだからな?」
身内からの扱いが雑になっているティキは、拳でぐりぐりと少女の頭を攻撃する。加減されたその威力はほぼない。
「そういやワイズリーがよ、あんたと一緒に風呂に入りたがってたみたいだけど」
「えっ、千年公じゃなくてわたしと?」
「の、ののの!?なぜ言ってしまうのだ!」
「ふーん……」
少女の口元が弧を描く。嬉しそうに笑うマリアは、ワイズリーの手を握った。
かくして少年は、母と風呂を共にすることになった。
よほど嬉しかったのか、少女から女性の姿へと一時的に体を戻したマリアは少年の髪を洗いながら、鼻歌を歌う。
「母上は随分と上機嫌だな」
「うふふ。だってあなたが久しぶりにこの母に甘えてくれたんですもの」
「……だが、今の状態で体を戻しても大丈夫なのか?肉体に負担が…」
「大丈夫よ。結構吐血するだけだから」
「そうか、結構吐血を……………全然大丈夫じゃないではないか!!」
「あははっ、吐血くらいで──ゴフッ!」
浴室が、まるで殺人現場の有様になったのは言うまでもない。
それでもマリアは、風呂に出るまで姿を戻すことはなかった。体を綺麗にするはずが、結果としてワイズリーの体は真っ赤に汚れた。
しかしその温い血に、少年が妙な安心感を覚えてしなったのもまた、事実である。
死にたがりだった母はこうして、
【歌】
『────♪』
黄金色の小麦が風に揺られる中、それに混じって女性の歌声が響く。
ベランダのロッキングチェアに揺られながら、女は毛糸で編み物をする。
『カテリーナ様は歌われるのがお好きですね』
編み物をするカテリーナの側に立つのは、キャンベル家のメイドの女。黒い瞳をジッと、己の主人に向けている。
『気持ちが落ち着くの。それに歌はスゴいのよ』
古い、それこそ紙に残されていないような記録も、先人が残した歌によって伝聞され、残されている。あるいは教会に集まって歌う少年少女の聖歌。あるいは、幼子を眠りに就かす子守唄。
人間に結びつき、その心を魅了する。それが歌。
少なくともカテリーナは、そのように考えている。
『あなたも何か歌って欲しい曲があるなら、歌ってあげ………あっ』
そこでしまった、というようにカテリーナは口を押さえる。最近彼女が拾ったこのメイドは、このキャンベル家で働く以前の記憶が一切ない。
それこそ、自分の名前以外を除いて。
『──────アヴェ・マリス・ステラ』
メイドの口から滑り落ちたのは一つの曲の名前。
聖母に捧げる歌だ。
『あら、どこでその曲を知ったの?』
『………?わかりません。でも、何となく頭の中に浮かびました』
『そう…なら、私が張り切って歌ってあげるわ!』
一旦手を止め、ロッキングチェアからカテリーナは立ち上がる。双子の赤ん坊のために作っていた編み物は椅子の上に置かれた。
『じゃあ聞いていてね!』
『はい』
フンス、と鼻を鳴らすカテリーナを見たメイドの顔は、無表情だった。
⚪︎⚪︎⚪︎
「むにゃ……」
マリアは、瞳を擦りながら体を起こした。
辺りを見回せば周囲はうすら赤く染まり、真上にはより暗い色が広がっている。その中にぽつんと、一番星が出ていた。
「起きたんデスか?」
「ん?…………うわっ!」
少女はすぐ真上から聞こえた声に視線を向ける。そこには人間の姿の千年伯爵の顔があった。
伯爵はキャメロット邸のバルコニーでロッキングチェアに座り編み物をしていたようで、マリアはさらにその膝の上に腰かけ寝ていたようだ。
先まで置く場所がなく少女の体の上に乗せられていた編み物一式は、彼女が飛び起きた拍子に吹っ飛んでいる。
虚しくも残されたのは伯爵の両手にある二つの棒と、編み物の一部のみ。
「あ、そうだ。わたしってば、千年公のお腹を枕にして本を読んでたんだっけ……」
「随分ぐっすり寝テいましタね」
「うん、だって枕に弾力があるから」
「………」
「……ハッ!べ、別に千年公が太ってるってわけじゃなくて、これは世では「ぽっちゃり」認識だから!ぽっちゃり!」
「………グスン」
「あぁ、千年公が泣いちゃったぁ…」
確かに同じ身長のティキと比べれば体つきに差があるが、枕にするならば多少太っている方が都合がいい。その点で言えば、千年伯爵の腹はマリアにとって100点満点である。
ちなみに、ノアの中で一番涙腺が脆いのが誰なのか選ぶとするなら、満場一致で千年公が選ばれる。
「うぅ、泣かないでよう……そうだ!」
マリアはふと夢で見た歌を思い出し、伯爵に抱きつきながら歌う。
少女の手では絵面的に抱きしめるというより、しがみつくような格好になる。
その歌は、聖母のイムヌスではない。かつて壊れたメイドが仕えていた女がよく歌っていた曲。
その曲の名前をマリアは知らない。あるいはこの歌は、あの主人自身が作ったものだったのかもしれない。
とても良い曲であると、少女は思う。
それはひとえに、心から歌を愛する女が紡ぎ出す歌声だったからこそ、気に入ったのだろう。
「────♪」
その歌に、伯爵は一瞬固まり、目を細める。
「何の曲デスカ?」
「────、さぁ?知らない。でもとてもいい歌でしょ」
「……えぇ、いい歌ですネ」
しばしキャメロット邸のバルコニーで、少女の歌声が響いた。
夜が深まるまで、あともう少し。それまで少女と伯爵は、束の間の時間を過ごす。
⚪︎⚪︎⚪︎
「何だか上機嫌だのう、マリア」
「そーお?」
キャメロット邸の書庫。多くの蔵書があるその部屋で、夕食を終えたマリアは読書に耽っていた。
いつもならロードがべったりしているが、今日はシェリルとその妻、三人で出かけている。彼女は現在家族サービス──否、パパサービス中だ。
「千年公と二人っきりって、あんまりなかったから」
「なるほど。だから上機嫌なのか」
「…まぁ、わたしのメモリーの状態じゃ、
「ふふ、そうかのう」
文字を追っていた視線を止め、マリアは空中をぼんやり眺める。
黄金の世界。そこで歌うカテリーナ。懐かしい光景。
今日見た夢は、初めて見るものだった。
「────♪」
徐に少女は、夢の中の歌を口ずさむ。
その瞬間、「え」と、ワイズリーの口から発せられた言葉。
「…何?」
「い、いや、何でもないのだ」
「何でもなくないでしょ。どうして急に汗をかくのよ」
ワイズリーの額からはうっすら汗が滲んで、こめかみを伝う。少年の表情をじっと見つめたマリアは本を置き、ジリジリ近寄った。逃げを打つ少年に。
「何さ何さ、何かまずいことでもあるの?」
「い、いやぁ……」
「ひどい、わたしに隠し事するのぉ…?」
キュルンと、瞳を潤ませマリアは泣いたフリをする。嘘泣きは側から見れば一目瞭然だが、うっ、と少年は分かりきったトラップに嵌る。
「……は、母上、どうしても話さないとダメか?」
「えぇ。だってあからさまに怪しいし、気になるよ」
「うーん……」
ワイズリーはマリアの頭に手を乗せ、そのままポンポンとリズムを刻む。
唸るような声が続き、少年は深く息を吐いた。
「怒らないなら話すのう」
「わたしが怒る前提の話なの……?」
「その……母上にはまだ、隠していたことがあったというか…」
「ハ?」
「うっ…!お、怒るならワタシは話さないのだ!」
「怒らないから話しなさい。いいですね?」
「その口調、絶対怒られるのだ……」
床の上に正座させられたワイズリー。マリアは少年の前に腕を組んで立った。だが少女の見た目ゆえ、恐怖よりも愛らしさの方が勝っている。だが、少年の内では恐怖に軍配が上がる。
「──で、魔眼のあなたが秘密を作るなら、大方記憶関連のことなんでしょうけど、このわたしに何を隠しているのかしら?」
「………その、マリアの記憶をだな」
「わたしの記憶?」
「ちょっと、いじっておったのだ。ワ、ワタシが」
「………え?」
マリアの──いや、この場合は「聖母」の記憶か。
それをワイズリーはイジったのだという。
しかして「智」が他のノアの記憶に介入することができたとしても、千年伯爵や「聖母」には記憶をいじることはできないはずだ。
あくまで彼がまだエクソシストだった頃のマリアに「聖母」の記憶を見せることができたのは、彼女が完全に覚醒していなかったからだ。今となっては彼女の記憶をどうこうするのは難しいだろう。
「ただ、唯一例外があったのだ。それはキャンベル家でメイドをしていた頃の「聖母」だ」
「…!あぁ、なるほど。そん時壊れてたからねぇ、わたし」
「壊れ、
「急にネアへの復讐スイッチ入れるのやめようね、ワイズリーくん」
額に聖痕が浮かび褐色肌に染まるワイズリーをあやすように、少年の背を叩くマリア。
歯を軋ませていたワイズリーは落ち着きを取り戻し、一つ咳をこぼした。
「それで、わたしが壊れてたからこそ君が「聖母」に介入できたのは分かったけど、わたしの記憶をどう変えたの?」
「それは……あの女だ」
「女?」
──────カテリーナ・イヴ・キャンベル。
今度はマリアが目を丸くし、固まった。
⚪︎⚪︎⚪︎
あるいは「イヴ」の名を持つ彼女がネアとマナを拾ったのも、一つの運命だったのかもしれない。
ミドルネームにあたるこの「イヴ」。
ミドルネームを付ける習慣は古代ローマから来ており、18世紀にその習慣がヨーロッパ諸国に広がった。特に貴族の間で広がり、彼らは生まれた我が子に好きな名前、もしくは聖人の名前を付ける際に迷った時、二つの名前を付ける、という形で習慣化されて行った。
この場合ファーストネームの「カテリーナ」は、イタリア語で“純粋な”を意味する。
「イヴ」は聖人ではないが、中世ごろから国によって聖名祝日が祝われてもいる。
「え、う、え、……あれ、カテリーナ
「母上、落ち着け。母上はキャンベル家のメイドではないだろう」
「えっ?わたしはカテリーナ様の……………あ、そうね。メイドじゃなかったわ」
「ハァ……」
途端にマリアの様子がおかしくなった。これだからワイズリーは教えたくなかったのだ。
「ホホホ…ごめんなさいね。んで、察するにカテリーナ・キャンベルのミドルネームを忘れさせたわけ?確かに当時のわたしが「イヴ」って言葉を聞いたら、どうなるか自分でも分かったもんじゃないけど」
「それも理由の一つだが、カテリーナがキャンベル家の当主を退いた後の部分も記憶を改竄しておる」
「ホォ?」
「睨まないで欲しいのう…」
カテリーナは当主の座を弟に渡した。
そしてそれから歳月が経ち、彼女は病気で死んだ。元の美貌が見るも無惨に、真っ黒に。流行病ということもあり、その遺体は体を布で覆われ、その側でメイドの女は冷たい手を握り、座り込んで泣き────、
「多くの人間を殺す流行病に罹った人間を、屋敷に残しておくと思うか、母上」
貴族だからこそ、使用人も多くいる。当主になった弟や、双子も。
赤ん坊と壊れた女を拾ったことを踏まえても、優しきカテリーナならば屋敷に残るだろうか。伝染病を他の人間にうつしてしまうかもしれないのに?
それに彼女の墓は、屋敷からはるか遠い場所にあった。流行病に罹った人間が埋められる、いわば集合墓地だ。そこに骨が埋められた。別に屋敷で死んだなら、わざわざ遠い場所でなくともよかっただろう。伝染病の遺体でも、ある程度距離を置けば────それこそあの黄金の世界の片隅にでも、よかったはずだ。
彼女の好いていた、あの世界に。
「ふ、ふふ、ふふふふふふ」
マリアは笑う。覗いた口の隙間は真っ黒に染まり、両目からは血が流れる。瞳も白眼を含め、黒く彩られる。
ガリガリと、伸びる爪で彼女は頬をかいた。当然そこからは血が流れ、ワイズリーは慌てて少女の手を掴む。
「カノジョ、歌が好きでした。歌」
カテリーナの黒くなった手を握り埋葬までの一夜を過ごしたあの出来事が、偽りならば。
彼女が当主をやめ、その間過ごした日々がニセモノならば。
果たしてその時壊れたメイドはどう過ごしていたのか。
双子がまだ幼かった頃、優しく接していた使用人たちの態度が変わった理由は本当に、メイドの女の姿がずっと変わらなかったから、恐れたのだろうか。
「カテリーナは当主を退いた後、屋敷にはいなかったのだ」
いなくなったカテリーナ。
その時壊れたメイドは、何を「カテリーナ」と呼んでいたのだろう。誰を、「カテリーナ」と呼んでいたのだろう。
壊れた聖母。彼女にとって人間は老若男女問わない。いや、愛護すべき子どもを除きすべて等しい。
であるなら彼女には、判別能力がない、と考えていい。
そんな彼女は人間を見て言うのだろう。
カテリーナ様、と。
「…母上」
ワイズリーは呼吸の上手くできぬ少女を抱きしめ、抱え上げる。
幼子をあやすように少女の背を叩き、彼は書庫を後にした。
ワイズリーは少女の頭に手をかざす。
彼は一つ、黙っている。
確かにワイズリーが「聖母」の記憶をいじることは難しいだろう。
だが、かつてのメイドの女よりも、今のマリアの方が壊れている。
なぜなら壊れきった末に、今の「マリア」がいるのだから。
「悪夢はもう良いだろう、母上」
忘れてしまえばいいのだ、悪夢など。
少年はカテリーナと壊れたメイドが共にいた記憶を消す。
マリアはカテリーナの歌を聞いてはいない。
そして赤い瞳を持つ少年と屋敷で会ったことも、覚えていない。
果たして「
彼女の柩は、どこにあるのだろう。