ラブストーリー   作:まなぶおじさん

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三話

 

「おはよう、乾君」

「おはよう、さくらさん。……どう? 調子は」

「いいよいいよー、ダンススクールの講師もにっこりだった」

「やったね」

 

 あれから、さくらとはちょくちょく話し合う関係になった。

 アイアンフリルという共通の話題もそうだが、やはり後ろの席というポジションは強い。こうして声掛けをしても、周囲のクラスメイトが冷やかしたりはしない。

 ――いずれは、からかわれるような仲にはなりたいのだけれども。

 

「んー、これなら」

 

 さくらが、ぐっと握りこぶしを作り、

 

「来年のオーディションでは、いいところまでいけるかも?」

「ああ。アイドルの、だっけ?」

「そうそう、ZLS社主催の。やっぱり人が集まるらしくって、激戦区だって」

 

 さくらから聞いた情報によると、ZLS社とは、サガに存在する大手オーディション事務所であるらしい。

 サガでアイドルになりたければ、まずはZLS社を通過すること。こう言われているぐらいには、名前が売れているのだとか。

 サガという世界は何度も散歩したものだが、ZLS社のことは少しも知らなかった。やはり人間、知ろうと思えなければ何も入ってこないものであるらしい。

 ――激戦区と聞いて、太郎は「へえ」と声が漏れる。

 

「このサガにも、やっぱり、輝きたい人は多いんだね」

「うん。たぶんみんな、私と同じくらい……ううん、私以上に頑張っている人が多いと思う」

「そうかな? さくらさんは、いい感じに練習を積み重ねていると思うよ」

「そう思いたいけど、やっぱり慢心しちゃいけない。もっと頑張らないと」

「ま、待った」

 

 そこで太郎は、あえて口を挟む。

 

「さくらさんは十分頑張っているから、時には休んだりすることも大事だよ」

「ええ、そうかなあ?」

「そうそう」

 

 珍しく強気に、太郎は頷く。

 

「練習もいいけど、そればっかりだと、やっぱりまずいよ。本番にちゃんと参加できるように、休みを挟まないと」

「……んー」

 

 一概に否定しないあたり、さくらも分かってはいるのだろう。ましてや太郎とは小学校からの付き合いだから、リアリティのある証言としてよく受け入れてくれている。

 さくらはうんうん唸り、腕を組み、「そうだね」と微笑して、

 

「乾君の言う通り、だよね。うん、私もそう思う」

「うん。たくさん頑張れるのは、さくらさんの美点だけど、ね」

「ありがとう。そだね、本番までコンディションを整えられるように、ほどほどに遊んでばりばり練習するよ」

 

 太郎から、安堵の鼻息が漏れる。

 さくらは昔から、目標へ頑張りすぎる傾向がある。リレーにしろ、白雪姫にしろ、試験にしろ、とにかくそうだ。

 そうして報われないのも、源さくらという人の特徴ではある。けれど怪我とか、体調不良とか、そういったものは何とかして予防は出来るはずなのだ。だから太郎は、なけなしの男気を全て使ってまで、さくらの努力に反論してみせた。

 嫌われたらどうしよう、そうは思った。けれども、異論を口にしたかったのも事実だ。さくらには、今度こそ報われて欲しいと考えているから。

 

「ありがとう、乾君。君がいなかったら、危なったかも」

「い、いや、その……僕の方こそ、あれこれ言ってごめん」

「ううん! 乾君は正しいことを言ってくれただけ、謝る必要なんてないよ!」

「そ、そう? それなら、よかった」

「うんうん」

 

 朝の教室は、ずいぶんと静かだ。笑い声の一つも聞こえてはこない。

 

「さ、さくらさん」

「なに?」

「その、」

 

 呼吸する、もう一度息を吸う。空っぽになった男気を、再び回収する為に。

 さくらとは、少しばかり会話を交わし合う程度の仲だ。それ故に、これ以上モノを言うのは、いくらなんでも馴れ馴れしすぎるとは自分でも思う。

 でも自分は、さくらに恋してしまったのだ。

 恋とは、無謀を繰り返さなければどうにも転ばないのだ。

 太郎は、最後の呼吸をして、

 そして、

 

「えっと……成功談とか、失敗談とか、僕でよかったら聞くよ。何か吐き出したいこととかがあったら、うん」

 

 さくらには、アイドルという最高の夢を掴んで欲しい。

 それが、乾太郎の願いだった。

 

「乾、君」

「うん」

「……いいの?」

「うん。僕は、さくらさんの夢を、応援したいから」

「そっか……」

 

 さくらが、小さくうつむく。訪れた沈黙に、太郎の心中が不安へ染まっていく。

 さくらは、しばらくはそのままでいて――

 

「――乾君」

 

 目が、合った。

 

「君はとても、優しい人なんだね」

 

 やっぱり僕は、この人のことが好きだ。

 源さくらと、結ばれたい。

 それが、僕が初めて抱いた夢だった。

 

「じゃあ今日のダンスが終わったら、明日は……休みだし、どこか遊びに行くかな」

「うん、いいんじゃ、ないかな」

「だね。……あー、何して遊ぼう。ここ最近はレッスンばっかりしてたからなぁ」

 

 やはり、妥協というものをしてこなかったのだろう。さくらが、気まずそうに苦笑いする。

 ――胸の内で熱くなっていく夢は、いまはそっとしまっておこう。

 

「さ、散歩はどうかな? 気分転換にはもってこいだよ」

「おお、散歩! それはいいかもしれない……うん、そうしようかな、うんっ」

 

 笑顔が眩しい彼女が、アイドルになれるその日まで、僕はずっと待ち続けよう。

 

 さくらがアイドルになれたら、万が一なれなくても――いや、絶対になれる。

 そうなったら僕は、さくらさんに想いを伝えるんだ。

 

 

―――

 

 

送信者:源さくら 受信者:乾太郎

『明日からオーディションということで、ぜんぜん眠れません。といっても、何とかして寝るけど。

本当にドキがムネムネしてるけど、不思議と嫌な感じはしないの。自信があるからかな? サクラサク予感がするからかな?

なんつって、さくらなんつって!

でもクラスメイトのみんなも応援してくれてるし、乾君も話し相手になってくれたから、なんていうのかな……そう、一人じゃない! みたいな?

まあ、あれです。今まで付き合ってくれて、本当にありがとう! アイアンフリルのファンになってくれて、本当にありがとう!

これを打っていくうちに、なんだかいい感じに眠くなってきました。それじゃあ明日、がんばってきます!』

 

 ベッドの上で寝転がりながら、携帯を胸元に置く。

 ぼうっと天井を眺めながらで、太郎は、時の流れの早さをぼんやり実感していた。

 

 気づけば高校二年生になっていて、あっという間に雪も溶けきって、何やかんやでオーディション前夜にまで差し掛かっていた。

 本当、これまで色々なことがあった気がする。

 さくらはダンスと歌に励みながら、時には舞い上がったり落ち込んだりもした。たまに愚痴や弱音を語られたりもしたが、太郎からすれば何でもどんとこいだ。それで気分転換になるのであれば、恋する太郎からすればこれほど至福なことはない。

 とにかくさくらには、最高のコンディションであり続けてほしかったのだ。

 

 満足げに、口元を曲げる。

 このメール内容からして、たぶん今も、さくらは笑えているはずだ。

 自分も、微力ながらさくらの役に立てたと思う。そのかいあってか、親からは「最近、いい顔をするようになったな」と言われるようになったし。

 ――やっぱりさくらさんは、人を変える力を持ってるよ。

 

 力なく、あくびを漏らす。

 さて、そろそろ眠ろう。あとは吉報を待つだけだ。

 

 さくらは、やれるだけのことはやった。だから今度こそ、今度こそ、報われるべきだ。

 

 

―――

 

 休日。

 オーディション当日になろうとも、太郎の日課は「あまり」変わらない。

 緊張感を腹に抱えたままで朝を迎え、味のしない朝飯を口にし、他に手がつかないからと部屋でゴロ寝して――やっぱり落ち着かないので、サガを散歩することにした。

 

 日差しが実に眩しかったが、気分はこれっぽっちも晴れない。原因はもちろんオーディションで、「さくらは合格するだろうか、するに決まってる、でも厳しい世界らしいし」を、頭の中でずっとリピートし続けていた。

 腕時計を見る。まだ、午前九時半。

 こんな時間では、合否なんて出てもいないだろう。今日という日に限って、やけに時の流れが遅い気がする。

 もうちょっと、遠くに歩いてみるか。

 そう思って、歩き慣れた道から少し外れ始める。目印になるビルは目に見えているから、多少迷ったところで問題はない。

 

 そうして、初めて見る喫茶店を一瞥する。知らなかったラーメン屋を横切る。公民館らしい施設を横目で眺める。そうしていつの間にやら、物静かな住宅地に足を踏み入れていた。

 数分ほど歩いて、思う。

 サガとは、こんなにも静かだったかなと。

 朝っぱらという時間を抜きにしても、いくらなんでも人と会わなさすぎだろうと思う。車だって、僅か数車程度しかすれ違わなかった。

 人が少ないのかなあと、太郎は何となく考える。散歩をしている時だって、そんなにも人とは会わないっけ。

 そう思うと、何だか寂しいなと思う。これでも、郷土愛は割と強いほうだから。

 そうして表情を一つも変えないまま、住宅地を無感動に歩んでいく。ポケットに潜ませておいたイカゲソを口にしながら。

 さて、

 そろそろ戻ろうかなと、そう思った矢先、

 

 後ろから、サイレンの音が聞こえてきた。

 

 とっさに振り返る。太郎の後ろから、ランプを赤く照らした救急車があっという間に太郎を追い抜いていく。

 どこかで事故でも起こったのかなと、太郎は他人事のように思う。そして救急車は曲がり角を曲がって――すぐに停車した。

 うん?

 当然気になり始めた太郎は、早歩きで現場にまで駆け寄ってみる。本当に何気なく、確認したらすぐにでも引き返そうと、そんな意気込みで救急車へ近づいていって、

 

「さくら! さくらぁ! 大丈夫か! なあ!」

 

 太郎は走っていた、考えるよりも先に。

 思う。聞き間違いであってくれ。思う。同姓同名であってくれ。

 足首を捻ってまで、曲がり角を曲がった。野次馬らしい人の集まりが目に入ったが、それを容赦なくかき分けていく。非難の声を次々と浴びるが、どうでもいい。

 

 そして太郎は、ストレッチャーの上で血だらけになっている、その人を見た。

 

 太郎から、一切の言葉が失われる。

 その人の瞳は、何も映し出してはいなかった。

 現場の近くで停車していた軽トラを目にして、ふしぎと冷静に「ああ」と思った。

 なんとなく、03-56というナンバーを覚えた。

 ドライバーらしい男が、土下座をしてまで何度も何度も謝っていた。

 父親らしい男性が、さくらの傍らで幾度となく名前を呼びかけていた。

 それを目にしようが、耳にしようが、限りなく似た誰かが被害に遭ったのだと思い込みたかった。

 

 けれど太郎は、何の不幸かそれを見つけてしまったのだ。

 「源」と書かれた、表札を。

 

 現実をねじこまれた瞬間、僕は現場からふらふらと離れていって、吐いた。

 

 

―――

 

 

 あれから、数日が経った。

 

 今でも、これまでのことを鮮明に思い出せる。

 さくらの惨状を目にした時の、真っ白な呆然を。家に帰った後の、真っ黒な脱力感を。前の席に誰も座っていなかった時の、灰色の実感を。死化粧に染められたさくらを見た時の、真っ白な空虚感を。

 生きてきて十七年になるが、これほど感情を吐き出したことは初めてだと思う。二度と、こんなことはないだろう。

 

 だからか、今の自分は「前」と同じようになってしまっている。ただ息をして、ただ歩いて、ただ食うだけの乾太郎に。

 学校にいる時は、それこそ淡々の一言に尽きる。表情を一つも変えず、受け身のまま授業を受けるだけ。けれども、挨拶だけは交わしていた。

 家にいる時は、大抵は寝てばかりだ。やる気なんてこれっぽっちも起きない。

 家族も察してくれているのだろう。ロクに会話もしない自分に対して、あえて不干渉の選択をとってくれている。いまの太郎からすれば、それはほんとうにありがたかった。

 

 

 休日の夜。寝てばかりの一日を過ごしたせいか、何十分も目を閉じてもぜんぜん眠れる気がしない。頭だって冴えきってしまっている。

 ずっと同じ体勢でい続けたせいか、体もずいぶんと熱い。「くそ」と吐き捨てながら、太郎はベッドから起き上がり、

 窓を、何となく見た。

 嘘みたいに丸い月が、太郎の目を静かに射抜く。

 いい景色だ、と思った。

 だから、外に出てみようかなと思った。

 お行儀の良い太郎からしてみれば、実に大胆すぎる選択だ。けれども眠れやしないし、源さくらはもういない。だから、いいのだ。

 

 

 □

 

 

 夜十一時のサガは、本当にほんとうに静かだった。

 そんなサガの中で、太郎は背筋を曲げながら、あてもなくどこかへさまよっている。

 

 人はもちろん、車の一台もすれ違ったりはしない。すっかり寝静まっているらしい一軒家を横切り、シャッターが閉じられた店を通り抜け、交通量ゼロの横断歩道を渡っては、何となく左右を見渡してみる。

 ――ほんとう、静かな場所だ。

 今の自分には、まさにお似合いの世界だと思う。喧騒の一つでもあったら、たぶん苛立ってしまっていただろうから。

 ため息をつく。

 いつか、乗り越えなければならない現実ではあるのだろう。

 けれども源さくらの存在は、あまりにも大きかった。これ以上の恋なんて、できそうにもないくらいに。

 今だからこそ、さくらのことはよく思い出せる。ほんとう、報われない子だった――笑顔が、あまりにも眩しい女の子だった。

 

 さくらは、立派な人だった。だからこそ、つくづくつくづく思う。

 ――どうしてさくらが死んで、僕なんかが生き残って、

 

「――おい」

 

 心臓ごと震えた。

 明らかに自分に向けての、よく通る声だった。

 無感情だったはずの太郎に、恐怖が芽生え出す。そしてそのまま、声のした方へと、ゆっくり振り向いていって、

 

「何してんだ。そんな死んだ目ぇして」

 

 中年の男と、目が合った。

 その男は両腕を組んでいて、見るからに面倒臭そうな態度をとっていて、けれども太郎のことを明らかに見据えている。

 

「あ、えと、その」

「こんな時間にふらっふら歩いて、何か嫌なことでもあったのか? うん?」

 

 簡単に見透かされるほど、いまの自分はひどいのか。

 たぶん、そうなのだろう。

 

「ま、まあ、はい」

「そうか。……良かったら、話だけでも聞いてやるぞ」

「いえ、いいですよ、そんな」

「構わねえって」

 

 男は、やれやれと両肩を上下させて、

 

「いまのお前さん、相当堪えてるみたいだしな」

 

 まるで、今の今までを見てきたかのような言動。

 太郎は、沈黙で肯定することしかできない。

 

「ほら、入りな」

 

 店長が、親指で後ろの店を指し示す。

 看板には、「BAR New Jofuku」と書いてあった。

 

「……失礼、します」

「いいってことよ」

 

 太郎は、なぜだか思う。この人になら、すべてを話せると。

 

 

 □

 

 

 BARなんて、生まれて初めて入った。

 暖色に包まれた店内は、明らかに子供お断りの雰囲気を醸し出している。カウンターの向こう側に置かれた棚には、酒という酒が並べられてあるし。

 

「座りな」

「で、でも、僕は未成年ですよ」

「酒は出さねえよ」

 

 そういう問題なんだろうかと、太郎は思う。

 もし客が入ってきたら、もしかしたら通報されてしまうかも。そうなったら、親に迷惑をかけてしまう。

 太郎は落ち着き無く、出入り口の方を注視した。

 

「心配すんな、客は滅多にこねえよ」

「は、はあ?」

「お前さんのような客は、あんまりな」

 

 その言葉に、太郎は首をかしげる。

 

「ほら、水だ。……さて、何があったか話してみな」

「……暗い話ですよ」

「俺はバーのマスターだ。グチを聞くことは慣れているさ」

 

 しみったれた自分の顔に対して、マスターは始終軽快そうな表情を露にしている。

 不快感、は覚えなかった。

 今の自分にとっては、こうした雰囲気が一番必要なのかもしれない。

 

「じゃあ、言います」

 

 僕には、源さくらという友人がいました。その子はとても頑張り屋さんで、すごく眩しくて、自分なんかとは比べ物にならない人だったんです。

 僕は見ての通り、こんなにも暗い男です。ですがさくらさんは、いつだって僕に対して、挨拶を交わしてくれました。

 

 ――ほう

 

 さくらさんはとても優しくて、それでいて才能がありました。けれどもさくらさんは、けっこう不運な人で……いざ見せ場がやってきても、不意にトラブルがやってきては、全てがおじゃんになってしまうんです。

 それが、本当に辛かった。あんなにも優しい人が、どうしてこうも報われないんだと、つくづく思っていました。

 

 ――なるほどな

 

 それでもさくらさんは、決して絶望したりせず、自分の力で立ち上がっていきました。

 ……彼女がアイドルになるって宣言した時、彼女はとても輝いていた、今度こそ報われて欲しいと思った。だから僕は、彼女のことを心の底から応援し続けました。

 

 ――ほほう

 

 それなのに、それなのに、さくらさんはまた報われなかった。それも、死というどうしようもない結果を押し付けられてッ!

 どうしてあんなにも優しい人が、死ななければならなかったんですか。どうせなら、自分が、

 

「おい」

 

 有無を言わさぬ呼びかけを受け、太郎の言葉がぶっつり切れる。

 

「す、すみません……」

「そんなこと、滅多に言うもんじゃねえよ。気持ちはわかるけどな」

 

 マスターが、酒を一杯煽る。

 

「しかしまあ、あれだな」

 

 そしてマスターが、深々と苦笑いして、

 

「お前さん。その子のこと、よっぽど好きだったんだな」

「――はい」

「どれほどだ」

「これ以上の人は、いないと思えるくらいには」

「そうか」

 

 水を飲み干す。気づけば、こんなにも長居していた。

 

「なあ」

「はい」

 

 そしてマスターは、特に雰囲気を変えないまま、

 

「また会いたいか、その子に」

「はい」

 

 迷いなく、答えられたと思う。

 

「そうか」

 

 マスターが、ウイスキーを飲み干して、

 

「もしも、だが」

「はい」

 

 マスターは何でもないような様子で、さも日常だとばかりの態度で、

 

「源さんを蘇らせる方法があるのなら、お前はそれをやっちまえるのか?」

「――はい」

 

 迷いなく、答えられた。

 好きだから、そういう私欲も間違いなくある。

 けれどもそれ以上に――彼女には、今度こそ幸せになって欲しかった。

 

「そうか」

 

 最初は、単なる質問だと思っていた。

 

「じゃあ、会わせてやるよ」

 

 けれども、マスターの表情はこれっぽっちも変わってなどいない。

 ――察する。この人は、本気で物事を口にしているのだ。

 

「ただし、時間はものすごくかかるがな」

 

 時間がかかる。その言い方に、とんでもないリアリティが生じた。

 動揺しきっていた太郎は、なかなか言葉を紡げない。それをマスターも分かっているのか、ただただ太郎の反応を待ち続けている。

 

 死者の蘇生。

 それは、決して抗えない万物の夢。

 自分も決して例外じゃない。棺の中に眠るさくらを目にした時、目を覚まして欲しいと何度も何度も願った。また笑ってほしいと、幾度も幾度も祈った。

 さくらが目を覚ますのなら、自分の命と引き換えになってしまっても良い。本気でそう考えていた、それを間違いだとも思わなかった。それほどまでに、源さくらという人は大きかったから。

 ――だから、

 

「本当、なんですね」

「ああ」

「からかい、ではないんですね?」

「ああ」

「……どう、蘇らせるんですか」

 

 マスターが、ふっと笑う。

 

 

「ゾンビとして、だな」

 

 聞き覚えのある単語を耳にして、うわ言のように「ゾンビ?」とつぶやく。

 

「そう、ゾンビだ。……これには、二つの蘇らせ方がある」

「それは?」

 

 マスターが、人差し指を立てる。

 

「ロボットとして使役する為に、イメージ通りのゾンビとして起き上がらせるか」

 

 イメージ通り。つまりは、今の自分のようなやつか。

 ――そしてマスターは、今度は中指を立て、  

 

「生きている人間と同じように、自我を保たせて蘇らせるか」

 

 太郎の思考が、強張った。

 

「そんなことが、本当に、できるんですか?」

「出来る」

 

「おお……」

 

「ただし、」

 

 

 マスターが、空になったコップを置いて、

 

「一度これをやっちまったら、二度とお天道さまに顔向けはできねえぞ」

 

 マスターの表情から、初めて色が消えた。

 それだけで、乾太郎は全てを察する。

 

 前に進むためなら、魂すら弄ぶ外道に堕ちるのか。

 悲しみを背負いながら、常人として前へ歩み続けるのか。

 

 そう、問われている。

 太郎はうつむき、人差し指で己が額を支えた。

 マスターの言う通りだ。親が執り行うならまだしも、こんな赤の他人が、手前勝手な欲望で誰かの魂を呼び戻そうとしているのだ。それは間違いなく、悪の所業以外にほかならない。

 

 ――さくらの死を、見届けてきた人たちのことを思い起こす。

 死とは、本人だけにもたらされるものではない。さくらの親は嘆き、さくらの友人は嘘だと叫び、さくらを轢いた男は罪を認め、さくらに恋した自分は抜け殻同然と化した。命は一つだと理解しているからこそ、誰もがさくらの死を認め、そっと受け入れようとしている。

 それは絶対に、簡単なことではない。

 だからこそ、なかったことになどしてはいけない。

 けれども太郎は、マスターの案に乗ろうと――違う。本心本音の願いを、欲望のままに叶えようとしている。

 否定はすまい。だって自分は、さくらと自分の命を比べてしまうような男なのだ。さくらの死を、まるで全然受け入れられていないじゃないか。

 冷静になろう、常人らしく考えよう。さくらの死を、ありのままに受け入れて、

 

 ――ありがとう、乾君

 

「……やります」

 

 ごめん、さくらさん。

 

「本気か」

「はい」

「理由は」

「――彼女を、アイドルとして輝かせたいからです」

 

 君のおかげで、僕は、生きていて良かったと思えたんだ。

 

「……俺はてっきり、源さんって人と結ばれたいものかと思っていたぜ」

「外道と源さんとでは、まるで釣り合わないでしょう?」

「そうか、それもそうだな。――てことは、あれか、自我を保たせたままで蘇らせたいんだな?」

「はい」

「わかった。……じゃあ、これだけは言っておくぞ」

 

 何だ。

 太郎は、ぐっと奥歯を噛みしめる。

 

「絶対、見捨てるなよ」

 

 その質問に対しての答えなんて、たった一つしかない。

 

「当然です。蘇ってしまった命の責任と、ずっと向き合います」

「そうか」

 

 自分は、源さくらのことが好きだ。

 だからこそ、アイドルとして輝いて欲しかった。絶対的な幸せを、その手で掴み取ってもらいたかった。

 さくらが笑顔になってくれれば、恋なんて実らなくてもいい。むしろ、こんな外道の事なんて忘れてもらって構わない。

 僕は世界一、死と向き合えない男だ。

 だから、こんな手前勝手を願えてしまえるのだろう。

 それでいい。僕の世界は、さくらとサガで出来ているようなものなのだから。

 

「……で、だ」

「はい」

「アイドルってのは、そう簡単になれるモンじゃないんだろ?」

「ですね」

「――のワリには、全然堪えてねえみたいだな」

「言ったでしょう。俺は必ず、さくらをアイドルにしてみせるって」

「なるほどな」

 

 マスターが、どこか楽しそうにくつくつと笑う。

 

「よしよし、わかったわかった。やっぱり、俺の目に狂いはなかったみてえだな」

 

 まるで、こうなることが分かっていたかのような言い回しだった。

 けれども、不思議とはまるで思わない。相手は、魂すらも操れてしまうような男なのだから。

 

「ほれ」

 

 何かの鍵が、カウンターの上にことりと置かれる。

 

「これは?」

「昔住んでいた、隠れ家の鍵さ。町はずれに館がある、知らねえか?」

「館、」

 

 散歩がてらに、それらしいものを見た気がする。あの時は、なんとも薄気味悪い場所だなあと何気なく思っていた。

 

「そこには、『術』を使うのに必要なモノも揃ってある。どうだ、日陰者にはもってこいな場所だろう?」

「確かに」

 

 太郎は、鍵に手を伸ばそうとして、

 

「なあ」

「なんです」

「ここまで言っておいてなんだが、本当に悔いはないんだな?」

 

 鍵を、握りしめる。

 

「そうか。じゃあ、もう何も言わねえよ」

 

 呆れたのかどうなのか、マスターは苦笑いをこぼした。

 

「ま、せいぜい頑張れ。アイドルのことはよく知らねえが、なるだけ手伝ってやるよ」

「――あの」

 

 マスターが、「ん」と唸る。

 太郎は、未だに笑みを絶やさないマスターの目を見て、

 

「どうして、そこまでしてくれるんですか?」

 

 それほどまで、自分は「見込み」のある男なのだろうか。

 そんな疑問に対して、マスターは「なあに」とひと置きして、

 

「なんか、昔の俺と似ていたからさ」

「――へえ」

 

 その返答に対して、太郎は、なんだか自然と笑ってしまっていた。

 

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