さて。
そろそろ、特殊メイクの「本番」に移ろうと思う。道具はバッチリ揃っているし、照明は順調に稼働中。大雨が降りしきる中で、さくらは横たわったまま動かない。
メイクを行うにおいては、最高のシチュエーションだろう。
けれど、なかなかどうして踏ん切りがつかない。
そんな風に陥っている理由は、極めて簡単。めちゃくちゃ恥ずかしいからだ。
――だって、好きな人の肌に触れるんだぜ。
だからなるだけ、「これはただの特殊メイク」と考える。
「ただ」と「特殊」を違和感なく組み合わせている時点で、平常心も何もあったものじゃない。
だめだ、落ち着け。別に、やーらしかをしでかすつもりはない。さくらの素肌を、お化粧で覆い隠すだけだ。
そうでもしなければ、死者であるさくら達に陽の光など浴びせられない。アイドルデビューなんて、夢のままで終わってしまう。
お前の十年間は、羞恥心一つで潰されるようなタマなのか。違うだろう。
ああ、違うとも。
巽太郎は、そっと筆を手にとって、筆先をさくらの顔へ近づけていって――
さくらと、目が合った。
情けない声が漏れた、腰まで砕けた。
さくらの方はといえば、ごくゆっくりと、その身を起き上がらせていく。そうして女の子座りをしたまま、太郎から決して目を離さない。
まさか、芽生えた?
期待と不安を胸に抱えながらで、さくらの方に姿勢を傾ける。対してさくらは、「うう」の唸り声を上げた。
――まだ、か。
でも、それでいい。焦らなくたっていい。
一瞬だけ、雷鳴が部屋中を白く上塗りする。それに照らされたさくらの顔色は、やはり真っ青だった。
――よし。
このままのさくらだっていい。けれどやっぱり、さくらの人生に色を染め上げてあげたい。
今度こそ、筆を手に取る。
ゆっくりとさくらに近づいていって、冷え切ったさくらの頬に手を添える。何だか微笑んでしまいながら、太郎はさくらの顔色に命を吹き込んでいく。
しばらくして、生前の顔を完全再現させられた。あまりの出来栄えに、俺凄いとまで呟いてしまった。
――ふう。
顔を塗っただけなのに、ひどく疲れた。
異性と、はじめて触れ合ったからかもしれない。
しかもその相手は、よりにもよって源さくらだ。そりゃあ疲れもする、両肩から息だって漏れる。
床の上に腰を下ろしながら、太郎はさくらの顔を見る。
改めて目にしてみても、さくらの顔色は生前と変わらないように見える。ゾンビであることに違いはないが、いまのさくらは歩けもするし、簡単な返事もこなせるし、肌色だって取り戻せた。
いまこの時をもって、さくらは生まれ変わった。太郎は、臆せずそう思う。
「うう」
さくらが、ゆっくりと立ち上がった。
一体どうしたんだろうと、太郎は首をかしげる。さくらはそのまま、鏡のある方へふらりと歩んでいき、鏡に映し出された己が顔を無表情で眺め続け、
「……あ……ああ……」
何の前触れもなく、さくらは後ろ向きに倒れた。
太郎はすかさず立ち上がり、同時に「ごん」という音が部屋じゅうに反響した。さくらの頭が、床に思いきりぶつかったのだ。
やばい、大丈夫なんだろうか。太郎は無我夢中で、ぴくりとも動かないさくらを抱きかかえる。そしてそのまま、さくらの表情を伺ってみて――
さくらの両目が、絶句していた。
「え」の一声が出た。
半ば焦りながらで、場を推測する。この状況と顔色からして、何か恐ろしいものでも見て気絶してしまったのだろう。
その恐ろしいものとは、メイクに染まったさくらの顔、なのだと思う。
最初から最後まで見届けていたからこそ、そう断言できる。
ただのゾンビだったら、こうはならないだろう。けれどさくらは、自我が芽生えつつある特別なゾンビだ。
だからこそ、「ゾンビの顔じゃない、私じゃない。あれ、私ゾンビだっけ? あれ?」と衝撃を受けたのだと思う。あくまで推測でしかないが、きっとそうだ。
そっと、さくらを床に寝かせる。
そうやって納得してみれば、急に体の力が抜けていって――さくらの「素足」が、目に入った。
あ。
間抜けな声が漏れた。
そうだ。メイクを施さなければいけない箇所は、何も顔だけではない。
「体のすべて」を、生前のように処理しなければいけないのだ。
――塗るべき部分を考えてみて、巽太郎二十七歳は頭を抱えた。唸り声だって上げた。
それでも、やらねばならないのだ。
男には、そういう時が訪れるものなのだ。
もう一度、筆を手に取る。史上最大の戦いが、いま、始まろうとしていた。
―――
Z月Z日
さくらに、渾身の特殊メイクを施してみた。みたのだが――見事、大成功に終わった。ただ、ものすごく疲れたけれど。
まさかこの日を以て、彼女と触れ合う日が来るとは。世の中、どう動くかわかったものではない。
煩悩を抱いたことは認める、それもまた「好き」ということだし。
けれど、この想いを打ち明けるつもりはない。
俺は、さくらの魂を弄んだ外道なんだ。
俺とは、決して結ばれてはいけないんだ。
俺はただ、輝く君さえ見られれば、それで良い。
――
日記を書き終え、太郎はうんと背筋を伸ばす。首を鳴らし、だるそうに欠伸を漏らして、凝りに凝った右肩を左手で揉みしだき始めた。
寝る前は、だいたいこんな流れだ。
ふたたび欠伸を垂れ流しながら、ノートのページを閉じようとして――もう二十冊以上になるんだなと、ふと思う。
日記を書き始めた理由は、ごくごく真面目なものだった。改善点を見直すため、成功体験を忘れないようにしたいから、自分への励ましになると思って。
けれど数年前から、「日記を書きたいから」に移り変わっている気がする。何というのか、日記で一日を締めないとモヤモヤしてしまうのだ。
何だか脱線してしまっているが、それはそれで良いと思う。ろくに趣味も持たなかった身としては、日記はなかなかどうして良い刺激になってくれていた。
時折日記を読み返しては、「そんなこともあったっけ」と思う。
しおりを挟んでいるページを見ては、ため息をこぼすこともある。
こういった感慨は、日記でしか味わえないものだ。
――さて。
そろそろ眠ろう。太郎は、部屋の電気を消そうとして、
天井ごしから、大きな物音が反響した。
地響きすらも伝わってきて、太郎は声にならない声を出す。眠気なんてあっという間に吹き飛んで、代わりに嫌な予感めいたものを抱いて、そのまま二階まで駆けつけていき――さくら以外のゾンビ達が、廊下でうろついているのを目にする。よく見てみれば、扉のすりガラスが割れていた。
――まさか
さくらの安置所めがけ、全力で駆けつける。ドアノブを思い切りひねると同時に、扉を体当たりでこじ開けて、
さくらが、どこにもいない。
太郎は、屋敷の外にめがけ走る。なんでここはこんなに広いんだ、なんで雨なんか降ってやがるんだ――
雨。
その一文字で、ふと我に返る。
降り注ぐ雨音を耳にしながらで、太郎の口から「まずい」が漏れた。
いまのさくらには、自慢の特殊メイクが施されたままだ。下手なことさえ起こらない限りは、ゾンビバレなどは起こらないはずである。
そう、下手なことさえ起こらなければ。
水を、思いきり浴びない限りは。
万が一に備えて、太郎は「使えそうなもの」を雑に探し始める。なるだけ「大丈夫だ」と思い込もうとするが、さくらという人はここぞという時に災難を呼んでしまう体質持ちだ。そのため、恐れるべき万が一――人と出会ってしまうという場面を、想定しなければならない。
物置部屋に足を踏み入れ、秒も考えずに使えそうな「武器」を手にする。そのまま傘も回収しては出入り口をブチ開け、すぐさま傘を開いては闇雲に雨の中を駆けずり回った。
そうして、数分ほどが経過した後だったと思う。
「助けてください、お巡りさん!」
鍛えられた聴覚が、さくらの声を決して聞き逃さなかった。
数年ぶりに、とにかく全力で走り込む。呼吸は乱れに乱れ、思いきり水たまりを踏み、雨のせいで前すらよく見えない。荒れた声を吐き出し、頭の中が良くない予感でいっぱいになって、次の曲がり角まであと三歩、二歩、一歩と踏み越えていき、
居た。さくらと――舌打ちする――腰を抜かした男の後ろ姿が、太郎の視界に入る。
まずい、早く何とかしないと。そう思っても、勇気を振り絞れないせいで両足が、
弾けた音、
それのせいで、時間の流れに粘つきが生まれたのだと思う。
だから、目と鼻の先の現実を把握出来たのだと思う。
さくらは、拳銃に撃たれていた。
頭が真っ赤になっていた。
半ば自我を失いながら、男の背中めがけ突っ走っていき――「武器」であるスコップを、男の頭めがけ思いきりブン回していた。
嘘みたいな金属音が、雨の中に反響する。
今になって、警察帽の存在に気づいた。
しまった。いやそれよりも、
「さくら」
倒れ込んでいるさくらと、目が合ったと思う。
喉の近くに銃痕が生じてしまっていたが、たぶん死にはしないだろう。さくらは、ゾンビなのだから。
――さて、
警官が目を覚ます前に、さくらを屋敷に運ばないといけない。だから太郎は、躊躇うこと無くさくらを背負ってみせた。
服ごしからも、さくらの冷たい体温が伝わってくる。
蘇ろうとも、死人は死人なのだと実感する。
けれども、さくらは確かに喋った。そして、こんなところにまで駆けつけた。トラブルには巻き込まれてしまったけれど、それも生きているからこその出来事だ。それがどうしようもなく嬉しい。
とりあえず今は、安全な場所まで運ぼう。さくらも疲れ果ててしまっているはずだ、ゾンビだけれど。
話をするのは、その後でも良い。
――気絶している警官を、一瞥する。
雨の当たらない場所へ、警官を移動させておいた。これで少しは、もやもやも晴れてくれるだろう。
何より彼は、サガを守ってくれる警官なのだ。決して、無下にはできない。
―――
さくらを部屋に横たわらせて、もう数分が経過していた。
雨音を耳にしながら、太郎はずっと、さくらの目覚めを待ち続けている。それもこれも、さくらに状況を説明するためだ。
――頭の中で、さくらへ何を言うべきかはしっかりシミュレートしておいた。何度も何度も。
自分はさくらのプロデューサーで、さくらはサガのアイドルで、ゾンビで、自分の正体は絶対に明かさない。
自分が乾太郎とバレてしまえば、さくらの新しい人生に支障をきたす可能性が出てくる。私情丸出しだと暴かれれば、メンバーの間に不平不満が生じてしまう。
だから自分は、正体を明かさないのだ。
さくらの笑顔さえ見られれば、それで良いから。
――乾太郎がネクロマンサーだと、バレたくないからだろう?
太郎の本心本音が、そうやってささやいてくる。
ああそうだ。太郎は、横たわるさくらに対して頷いた。
ネクロマンサーなんて、プロデューサーなんて、独走めいた精神力があってナンボだろうが。
自分はこんな野郎だ。だから、何としてでも己が願いを叶えてみせる。絶対に、彼女たちを幸せにしてみせる。
両肩で、思いきり息をする。
ふたたび、さくらの寝顔を見届けて、
「う、」
太郎の体が、嘘みたいに震えた。
「あ、あれ。こ、ここは……?」
そして、さくらと目が合った。
間――さくらが、小さく悲鳴を上げた。腰が抜けたままで、緩慢に後ずさっていく。
それを見た太郎は、思う。
――生きている。
そう、思う。
「あ、あ、あの、え、えっと……ここは、どこなんですか?」
そして、さくらは頭を抱える。
「あ、あれ? 私はだれ? なに? 何も思い出せない」
どうやら、記憶の改ざんは成功したらしい。自我も、見ての通り芽生えているようだ。
どうして自我が芽生えたのだろう。もしかして、先ほど頭を打ったからだろうか。
――いい。術の考察は、あとでいくらでも出来る。
それよりも、今は、
「お前は源さくらだ」
「え?」
続きを言え。シミュレート通りに口を動かせ。
「十年前に、お前は死んだ。ゾンビィとして」
噛んだ。
緊張のせいで、ゾンビの名がファンシーになってしまった。
「ぞ、ぞんび……し、死んだ?」
「そうだ」
「じゃ、じゃあ、どうして私は蘇ったんですか?」
「アイドルになって、サガを救うためだぁ」
だめだ。さくらと話すと、こうも発音が上ずってしまう。
――けれど、少しも不快なんかじゃない。
こうしてさくらと話せて、体なんてものすごく熱くなっている。機嫌なんて、数年ぶりに最高潮だ。
緊張というよりは、はしゃぎすぎて発音が二の次になってしまっているのかも。
「あ、あの。どういうことですか? いったい……」
わけがわからないという様子で、太郎に疑いの目を投げかけてくる。
そうだよな、ほんとうにそうだよな。わけがわからないよな。
けれどさくらには、何の後腐れもなく前へ走っていって欲しいんだ。だから自分も、まくし立てる調子で喋ってしまったんだ。
――ゆっくりと、さくらへ近寄る。
さくらの瞳が、困惑とともに大きく揺れ動く。それは、自我があるからこその感情表現だ。
「さくら」
俺は敵じゃない、不運から守る為の盾だ。味方なんだ。
そう示すために、俺は言葉ではなく、
「あっ」
さくらの顎を、そっと傾ける。
さくらの瞳に、俺が映り込む。
この瞬間を以て、俺は報われた。
「俺に、すべて任せろ」
「え?」
だから俺は、ようやく太郎の名を捨てられる。
「……俺は」
これからは源さくらを、二階堂サキを、水野愛を、紺野純子を、ゆうぎりを、星川リリィを、山田たえを、ロメロを、サガを幸せにするために、俺はこう名乗ろう。
「――
そして、神へ宣言してやるのだ。
「