「おい、マシュ。学校は楽しいか? ……まあ、意味がないと思ったら小僧に言え」
朝、学校に行く準備をしていた私の部屋をエヴァさんが訪ねて来ました。何時もの二日酔いなのか少し青ざめた顔でお酒臭いです。この人、懲りないですね。きっと昨日も浴びるように飲んだのでしょう。
「はい! お友達も出来ましたし楽しいですよ」
でも、こうやってわざわざ訊いてくる事から優しい方だと思っています。万が一、と言ってドラゴンのオーラによる異性を引き付ける効果への耐性を魔術で付加して下さいましたし、少し他人を見下した発言が多い方ですけど面倒見が良くて義理堅い凄腕の魔術師です。
「……ふん、それは結構。早く行け。遅刻するぞ」
鼻を鳴らして背を向けると部屋から出ていくエヴァさん。本人に言ったら烈火の如く怒りますから口には出しませんが、見た目が見た目なので子供が背伸びして大人ぶっているみたいで可愛らしいと思いました。実際にそうなのですが、砂漠の国のリトルプリンセスといった感じです。
「ヤッホー! エヴァちゃん、相変わらずのツンデレBBAだね!」
「BBA言うな! 殺す! 今日こそは殺してやる!! この腐れパンダ擬きがぁあああああああああっ!!」
廊下の向こうから聞こえてくるのは眷属でもトップクラスの問題児とエヴァさんの声、その後に爆砕音。……今日も慌ただしい一日になりそうです。
ああ、本当に毎日が楽しい。昔が嘘の様です……。
「もう大丈夫です。貴女を苛める者はもう居ませんよ」
何処の勢力が傘下に置いていたのかは知りませんが、とある組織が悪魔からも誘拐の被害者を出しながら運営していた神器の研究所。わたしの最初の記憶は其処から始まっている。日々繰り返される苦痛を伴う実験。晴れ渡った空の色も笑い方も知らずに実験動物としてだけ生きていた日常は突如終わりを迎えました。
「成る程、身寄りがないのですね。なら、私の娘になりませんか? ……私にとっても罪滅ぼしになりますから」
この時、わたしはお義父さんの娘になり、実験動物その一からマシュ・キリエライトとなったのです。
「あっ! お早う御座います、リッカ様!」
登校前にルーク様にご挨拶をと思い廊下を歩いていると、ルーク様のお姉さんでヴォラク家当主のリッカ様の背中を見かけたので話しかけたのですが、結論から言うと失敗でした。何故近くに誰も居ないのかを考えず、そろそろ周期であった事を失念していたのです。
「うへへへへ! マーシュー!!」
普段のリッカ様は明るくて真っ直ぐな瞳をしているのですが、振り返った彼女の瞳は濁り焦点が合わなくなっています。不気味な笑みを浮かべたリッカ様の姿が一瞬で消え去り、次の瞬間にはわたしの背後に居ました。
「可愛い可愛い茄子ちゃーん!!」
「ひゃうんっ!? や、止めて下さ……わひゃっ!?」
怪しく蠢く両腕はわたしの胸をまさぐり全身を撫で回す。妙な感覚に全身から力が抜けて来ました。
「リ、リヨ化の時期なのを忘れて……うひゃっ!?」
ヴォラク家の紋章は双頭の龍。一族のとある特性を表しています。家の血を濃く受け継ぐ者は一定の年齢になると一定周期で『リヨ化』か『オルタ化』と呼ばれる状態になってしまい、性格の豹変と能力の向上を得るのです。ほぼ全員が性格が反転する程度のオルタ化で済むのですが、リッカ様はリヨ化でして……。
「姉様、マシュは僕の眷属だよ」
「良いじゃないですか、減るもんじゃないし」
「皆ー! 姉様を引き剥がすの手伝ってー!」
騒ぎを聞きつけたルーク様達によって何とか助かって遅刻は免れましたけど、ルーク様はオルタ化であって欲しいと切に願うわたしでした……。
「……話にならん。魔力の量は生まれ故に仕方がないとして、格闘術が稚拙過ぎる。素人に毛が生えた程度の喧嘩殺方も良いところだぞ」
本日はシトリー家の眷属の皆さんとの合同訓練の日。ルーク様がソーナ様のお婿さんになりますし、わたしが同じ学校に通っている事もあってエヴァさんに稽古を付けてもらっています。
……どうもこの件にはソーナ様の姉上のレヴィアタン様が絡んでいる様なのですが、容易に話せない事態だとかでエヴァさんとランスロットさんは聞かされてもルーク様やわたし達には教えて貰えませんでした。
「まあ、悪魔自体、特に純血悪魔は格闘技に無頓着な部分が有るがな。マシュ、理由は分かるな?」
「はい! 上級悪魔の全力の魔力は遠方の山の一角を吹き飛ばせる威力ですし、空を飛べるからだと思われます!」
広範囲高威力で射程も長い魔力と違い、近接戦は空を飛んでいる時、正確に言うならば踏み込みがきちんと出来ない場所では威力が大幅に下がります。足腰が大切だからとわたしもトレーニングには気合いを入れて取り組んでいるのです。
「ああ、その通りだ。まあ、客に魅せる必要があるレーティング・ゲームの場合は近接戦のスキルも必要になるのだから鍛えておいて無駄にはならんだろうな。それに魔力や魔術は大規模な攻撃を行えば消耗も激しい。一概に遠距離攻撃だけ行えば良いとは言えんさ」
わたしの答えを聞いて、遠距離攻撃に自信がない匙さんが少し落ち込んだ様子でしたがエヴァさんのフォローが入ります。因みにエヴァさんの近距離戦の能力はお義父さんや圧倒的な体格差で攻めてくるあの人に次いで三位タイなのです。わたしも戦車ですが同じ駒で三位タイの方に比べればまだまだ。防御が主な役目だからと甘えてはいられません!
因みにお姫様で魔術師のエヴァさんが近接戦が得意な理由ですが、教師に徹底的に剣術と格闘術を叩き込まれたとお聞きしています。
「さて、次はマシュだ。貴様には少し本気を出してやろう。出来るな?」
「は、はい! 頑張ります!」
先に挑戦して今は倒れているソーナ様の眷属の皆さんを一瞥した後、エヴァさんの空気が変わって砂を含んだ風が舞い起こりました。彼女のことですから痛いで済む程度の力でないのは確かです。本音を言えば少し怖いですが……頑張りましょう。お義父さんに一歩でも近付く為にも!
わたしは瞬時にエヴァさん謹製の鎧を装備した姿に変わる。戦車の特性である力と頑丈さの強化を更に引き上げてくれる上に眼鏡も必要なくなる優れ物ですがピチピチで身体のラインが丸分かりな上に露出が多いのは少し恥ずかしいです。形状にも魔術的意味が有ると言われれば仕方有りませんが……。
「さて、先ずは小手調べだ」
エヴァさんとの鍛錬ですが、直接戦うわけではなくて空飛ぶ絨毯に座っている彼女(本日は砂漠の国風の服ではなくてワンピースな上に胡座をかいているのでパンツ(フリル付きの白)が見えていますが言い出せない雰囲気です)の前方の線を越えれば勝利で、一定距離ごとに決まった妨害をしてくるのでギブアップか気絶か転倒で敗北となります。
エヴァさんは膝の上に地図を広げ、人差し指に括り付けた紐の先端から水滴状の水晶を吊してダウジングの様な事をしながらも十体ほどの砂の兵士を作り出します。先程匙さん達が相手していた個体よりも一回りほど大きく、持っている武器や身体を構成する砂は常に流れ落ち再び身体に戻っていきますがとても頑丈です。
「やあっ!!」
見た目に反して素早いので動かなければ簡単に囲まれるからとわたしは走りながら正面の三体を盾で薙払います。拳銃で撃たれても表面の砂が僅かに散らばる防御力を持っていますが、今のわたしなら数体まとめて一撃で破壊できます。
「すげぇ……」
観戦する匙さん達の声を背中に受けながら次々と向かってくる砂の兵士を破壊し、最後は踏み込みと同時に盾を突きだして残った一体に叩き付けて破壊しました。
この試練を先程突破したのは女王の真羅さんだけ。わたしも今まで何度も失敗を重ねて来ました。そして、次から難易度は一気に跳ね上がります。
「……落ち着いて、落ち着いて」
前方から飛んで来るのはソフトボール程の大きさの砂の球。ですが速度は銃弾ほどで重量や硬度は鉄球に匹敵します。そして先程の兵士もですが、エヴァさんの操る砂の恐ろしさは帯びた熱です。真っ赤に焼けた鉄よりも熱く、周囲の水分を奪い息をするだけで肺が焼けそうな熱が周囲に広がるのです。
正面からでなく軌道をランダムに変え、時に通り過ぎた後でUターンして背後からも襲ってくる砂球を弾き飛ばしながら突き進む。弾け飛んだ砂粒が当たった部分が痛みますがグッと堪え、最後に豪雨の様に飛来する無数の砂球を正面から受け止めた時、エヴァさんが微笑みました。
「やるではないか。随分と成長したな」
普段は四千歳越えとは思えない少女らしい反応や自堕落な印象が強い彼女が時たま見せる年長者としての顔。素直な賞賛を送って下さったと言うことは、次の最終試練は更に厳しくなるということです。
前方の地面が波打ち膨らんで、膨大な量の砂が雪崩を思わせる規模と勢いで押し寄せる。逃げても無駄。怒濤の勢いで押し寄せる砂の洪水に捕まって飲み込まれるだけ。助かる術は一つ。
「はぁああああああああああああああっ!!」
それは正面から受け止める事。振り上げた盾を地面に振り下ろし気合いを入れた声と同時に叩き付けて構える。怒濤の勢いで押し寄せる砂に対し、わたしが持った盾を中心に半透明の壁が出現して迎え撃った。
手に伝わってくる衝撃。熱と恐怖で震えそうになる腕に力を込め必死に耐える。わたしの後ろには何一つ通さないという強い意志で自分を奮い立たせ、遂にわたしは初めて最後の試練を受けきりました。
「実戦では更に追撃をする所だが、今日は褒めておいてやろう。……むっ」
先程同様に笑みを向けていたエヴァさんの表情が一変する。怒りや焦りが浮かび、最後に深いため息が口からこぼれました。何か捜し物をしていたようですが、一体何があったのでしょうか?
「おい、小僧に伝えておけ。妾はレヴィアタンの所に急がねばならんとな。……よりによって彼奴の妻の遺品に手を出すとは」
その出生や経歴からエジプト神話関連の外交に関わる事があるエヴァさん。深い魔術の知識での貢献もあって普段の言動は見逃されているのですが、どうも今回はただ事ではない様子。わたしの不安を感じ取ったのか、転移する寸前、此方に顔を向けて来ました。
「安心しろ。最悪、妾が頭を下げて頼めば奴も堪えるだろう。冥界が滅びる事態は防げるさ」
どうも予想以上に大事の様ですが、エヴァさんが安心しろと言った時点でわたしの不安は消え去りました。では、先程から魔力の撃ち合いをしていたルーク様達の観戦をしましょうか。
「よっし! これで会長の勝ちだ!」
匙さんの視線の先では様々な形態の水の魔力を出現させたソーナ様の姿。どうやら本気で行く様子ですが……。
「いえ、まだです。……匙さん、貴方がルーク様の事を気に入っていない理由は分かりませんけど侮らないで下さい。あの方は紛れもない天才です」
わたしの言葉とほぼ同時にルーク様の腕に籠手が出現する。あれが神器だと皆さん理解した様子です。
「ヴォラク家の特性は『創造』。魔力を全く別の物質に変換するのですが、ルーク様は本来は困難な複雑な構造の機械だけではなく、条件があるとは言え神器すら創り出す。もう一度言います。ルーク様は天才です、と」
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