「やっぱ矢吹さんと長谷見さんは神だな……」
真っ暗な部屋の中。ベッドの上に寝っ転がった俺は、スタンドライトの明かりに照らされ、漫画のページをめくる。
何て事のない、生活のひとコマだ。高校生活最後の夏休みだってのに、過ごした日々がいつも通りの毎日だったと思うと、なんだか泣けてくるが……宿題は一応早めに終わらせたし、残りの予定を家の中の片付けと、本や漫画などに全て注ぎ込んだ俺が悪いのだが、少し楽しかったから良しとする。
そんな読書の一番最後に読んでいたのが、この『ToLOVEる』という漫画だった。
この漫画の簡単なあらすじを説明すると。主人公『結城リト』は、初恋の相手である『西連寺 春菜』に告白しようとするのだが、ひょんなToLOVEるで『ララ』と言う美少女に告白してしまい、その彼女に振り回されていくという、キュートでちょっとHな(本当に『ちょっと』か……?)ドタバタラブコメディーなのだ。
『BLACK CAT』から作者のファンだったが、この『ToLOVEる』が出た時は正直驚きを隠せなかったものだ。なんせ、突然ジャンルが『アクション』から『ラブコメ』に変わったものだから、俺は温度差に大いに困惑した。正直、買おうか買わまいか迷っていた。
それでも、色々あって購入してみるとやっぱり面白い。作者の絵は話が進む事に腕が上がっている凄さを、見て感じる。
そして恋愛は、いつ見ても楽しいものだ。
それにしても面白い。この『ToLOVEる』、ヒロインの数がかなり多いというのに、そのどのキャラも色あせないと言うか、存在が薄れていない。その辺やストーリなどを含めて、あの人は凄いんだと思った。
そんな事を考えながら読んでいる内に時計の針は深夜遅くを指していた。あまり夜更かしはしたくない。読み終えた『ToLOVEる』を本棚に戻し、明かりを消してベッドに潜り込んだ。
明日から学校か……ダルいな……
どうしようもない事に溜め息をひとつ。そして俺はゆっくりと思考を止め、眠りに落ちていった。
・・・♡・・・♡・・・
チュンチュン……
朝だ。小鳥のさえずりで目が覚めるとはなんとも珍しい。ちなみに、俺は目が覚めたらすぐに起きれる方だから目覚まし時計は必要ない。
そんな事はともかく、目を瞑りながら背伸びを1回。ベッドから下りようと、体を右に傾けた。
ゴン!
そして盛大に窓ガラスに顔をぶつけたのだった。もっとも、この時はいったい何に顔をぶつけたのかも、わかっていなかったが。
「ゴゥ!!!?」
側頭部へ響き渡る衝撃に、滅多に出ない様な声が漏れた。反動で大きくぶれた俺の体は、自分の部屋に存在するハズのない、ベッドの反対側へと転がり落ちた。
「グぇ…………??」
更に変な声を漏らした俺だったが、瞼を見開いたその景色に、思わず声を詰まらせる。
「………………………………………」
視線を右へ移す。次に左へ……。開いた口を閉めないまま、とりあえず視線を戻す。
全く見慣れない景色。自分の全く知らない部屋。
何がどうなっている?
しばらく体を逆さまの状態でぼんやりとその光景を眺めていたが、徐々に体勢が辛くなってきた俺は、上下反転している世界を元に戻し、まだ痛む頭を抑えながら立ち上がった。
「……?」
少し広く感じるその部屋の周りを見渡してみる。教科書が開きっぱなしの勉強机。漫画などが沢山入った本棚。フローリングの床に敷かれている小綺麗なカーペット。その他エアコン、テレビ、ゲーム機、ビデオデッキ…………一人部屋だとしたらかなり贅沢な部屋だな。
で……ここは何処だ?
俺はベットに飛び乗り、そこに接していた窓を乱暴強く開ける。射し込んでくる朝日に目が眩みつつも、無理をしてまでして瞼を見開いた。
そこに広がる風景は、全く知らない住宅街。歩いている人の姿は遠くの方にちらほらと見えているが、この距離からでは俺の声はかけられない。いや、声のかけようがなかった。
「……ッ!」
急に込み上がる、言葉にならない恐怖。過呼吸にも近い息遣いのまま、俺は窓を乱暴に閉めると、もう一度部屋の周りを見渡す。そして机の上に開かれた教科書に目を付け、手を伸ばした。ここはいったいどこなのか。もしかしたらこの家の住人の名前が書いてあるかもしれない。そうすれば何かわかる。そんな期待を込めて、俺は教科書をパタリと閉じた。
『一年 A組 結城梨斗』
「…………は?」
結城『梨斗』。つまり……結城『リト』。見間違いかと思ったが、間違いなく結城リト。ハッキリと細いマジックで書かれてあった。
が、そこに書かれていた名前は実在する筈のない人間。昨日まで俺が読んでいた漫画に出てきたキャラクターの名前だったのだ。
体からドッと汗が噴き出す。喉がヒリヒリと痛くなり始め、咳き込んだ俺だったが、寝惚けていた思考が落ち着きはじめた事もあって、更に嫌な事に気付いてしまった。
自分の声が違う。やる気のなさそうな、低い『俺』の声じゃない。活発で元気そうな男の声に変わっていた。
「……う……ぇ……?」
何が何だかわけわからなくなった俺は、込み上がる正体の掴めない恐怖に煽られて、逃げる様に部屋から飛び出した。所々壁にはぶつかり、階段を転がり落ちる。それでも俺は足を止めずに駆け出した。
そして、不意に見つけた洗面所。俺は夢中になって走っていたにも関わらず、一瞬だけ見えたソレに全ての行動がピタリと中断された。
来た道を振り返る。逆再生する様に戻る足並み。恐ろしかった。自分が自分でないと目で感じてしまったこの感覚は、今までの人生の中で最大の恐怖だった。
ヨロヨロと痛む体を押さえながら、俺は恐る恐る洗面所の中…………そして、そこにある鏡の前に立ち尽くした。
「……………………………」
無言のまま、鏡に映る『彼』を眺める。恐る恐る、自分の右手に頬を当ててみると、鏡の中の『彼』は左手で自分の頬を押さえた。酷く真剣な眼差しで俺を見てくるソイツの眼は、僅かに怯えているのがわかる。
黙っていればカッコいい二枚目の顔に、特徴的なオレンジ色っぽい跳ねた髪型。それは『彼』以外、誰でもない。
鏡に映った姿は『俺』ではない。
「冗談……だろ……?」
俺は『ToLOVEる』の『結城リト』になっていた。