結城リトの受難   作:monmo

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第十三話

 結城家での生活は兼ねて順調である。初めの頃は美柑の様子を窺うだけでも精一杯だった日々が続いていたが、陽気なララとの出会いを迎い終えた今では、彼女達との毎日に振り回されつつも、『結城リト』として馴染めてきたようだ。

 

 これを順調に、過ごしていく内に、時期は夏休みへと突入する。長い休暇を得る事に、少しだけ気休めの息を流した俺だったが、その前には『定期試験』と言う名の大きな壁が立ちはだかった。

 『試験』と聞かせれて、簡単そうなモノを想像してしまった『俺』は、かなり馬鹿な男だったと思う。

 なんやかんやであるのだが、彩南高校はしっかりしている高校である。授業のレベルが高ければ、たまに教師にやらされる小テストの難度も高い。だから当然、定期試験のレベルなどは前述に比例してとてつもないモノへと変化する筈。『俺』の通っていた掃き溜め高校のやる様な、選択問題オンパレードのテストではないのだ。

 

 というわけで、俺はイマイチ予想のつかない大きな存在に悩みながらも、『結城リト』の面目を保つために、なんとか勉強を続けていた。

 そんな試験前の猶予もあっという間に過ぎ、当日。夏の始まり頃に幕を開けた彩南高校の試験は、やはり『俺』の通っていた高校などとではとても比べ物にならない程の難易度を誇り、一筋縄ではいく事はなかった。

 だが、今の俺のそばには所属『天才』という名の『ララ』がいた。基本的な自宅学習を彼女と二人で行っていた俺達は、酷い赤点などをとる事などなく、結果としては、有意義に夏休みへと入る事ができたのだった。

 

 さぁ、そんな休みに入ってから、しばらくは美柑やララと仲良く、ぐったりと項垂れた不健康まっしぐらの日々を過ごしてはいたのだが、それに飽きてくるとそれぞれやるべき事を行動し移し始めた。俺達三人は学校からの宿題が預けられているし、ララと俺にはやるべき事があるのだ。取っとと終わらせる事にした。

 夏休みになろうが、オヤジは相変わらずの仕事に追い詰められていて、特別いつもより早く帰ってくる日が増える事もない。だから俺達の日常は随分とだらけきったモノから、ただの休日の様な感覚に変化していった。

 

 そんな風に、以前よりは健康的な生活習慣に戻った俺は、ある日自分の部屋の掃除と次いでに、廊下をモップがけしていたところ、それを見た美柑に驚かれた。

 「あれっ?」って言ったそうな反応をする彼女に、何がおかしいか聞いてみると、どうやらこの仕事も元々は彼女の管轄範囲だったらしい。この程度の家事『お前』がやれよと心の中で『結城リト』を責めた俺は悪くないだろう。

 このとき、無意識に美柑への気遣いを覚えていた俺は「お前の仕事を減らしたいだけだ」と、嘘を言ってしまった。彼女はその事にこれっぽちも気づく事はなく、ただ俺に「ありがと」と嬉しそうにはにかんでみせた後、今度は自分の部屋もモップがけしてくれと命じてきた。どうやら俺を扱き使う気のご様子。

 

 別に嫌ではなかった。『妹』と言う存在など、俺にとっては無縁だった関係であり、その彼女が喜んでくれる方法が俺にはまだイマイチわからない。

 だから、なるべく彼女の役に立ちたいと思ったのだ。俺は料理以外なら、彼女よりも腕が立つ自身がある。伊達に独りぼっちで8年間も過ごしていた訳ではない。

 

 と言うのも、親父が仕事の関係で年中海外へ単身赴任であり、母親と二人っきりの生活をしなければならなかった俺にとって、家事とは生きていく上では欠かす事のできない技術能力のひとつであった。母親が家を出て行ってからは尚更で、俺は小学校高学年になって、逃れる事の出来ない一人暮らしが始まっていたのだ。

 

 なぜ、母親が家を出て行ってしまったのか。それには紛れもなく、俺の親父が関係していた。

 

 小さい頃、まだ『親父』という言葉すら頭の中に存在しなかった俺は、物心芽生え初めてすぐに認識したのが、言うまでも無く『母親』である。女手だけで俺を育てただろうその母親に対し、始めは子供らしく反感やワガママを言い散らしてはいたものの、ある日俺を抱えたまま居間のソファーで疲れきった様に眠る母親の顔を見て、俺は身の心が一新した。日頃からヤンチャばかりをして母親を困らせてはいた俺だったが、決して母親が嫌いだったわけではない。むしろ、今目の前で眠ってしまっている『母親』を『子供』だった俺はなんとかしたかったのだ。『子』は『親』の気持ちに、恐ろしい程敏感に反応する、と言うのは本当なのかもしれない。

 

 その日以降、俺はこの人の事に素直な従順を示し、自分から積極的に家事を手伝う様になっていった。母親は最初は驚きもしたが、やがて俺の気遣いに慣れてくると、母親はまるで自分の旦那でも見ているかの様に俺を見ながら笑ってみせ、俺に家事を教えてくる様になったのだ。

 

 母親が俺をどう思ったのかはさっぱりわからないが、そんな事俺にとってはどうでも良かった。なぜならその頃には、俺の中ではある種の目的が固まっていたからなのである。母親に楽をさせたいという、無い知恵を絞った俺の愛情表現を母親に伝えたかったのだ。

 

 そして、そんな俺の思いが報われたのは夜中。ふと目を覚まして横を見ると、そこには自分の布団の隣りでぐっすりと眠る母親。それを見た時、俺の心の中はキッチンの汚い汚れが全て流れ落ちたかの様に、とても満足していたのだ。幼稚園にも通わず、友達も少なかったその頃の『俺』には、これが当たり前の事なんだと思い始めていた。

 

 そんな俺の現実が壊れたのは、小学校に入って初めての運動会が始まった時である。周りに然も当然の様に自分の息子を嬉しそうに眺める『父親』と言う存在に、俺の頭で組み立っていた現実は積み木の家を押し飛ばされた様に崩れ去った。

 呆然としていた俺の目の前では、その父親の下に突進していく俺の友達。それを受け止めながら、隣りにいる自分の妻と楽しそうに笑う、なんて事ない幸せそうな家庭の姿。

 ずっと母親と二人っきりの生活をしていたあの頃の俺にとって、『父親』と言うのは全く未知なる存在でありながらも、とても輝かしく、どこか暖かみのある、羨ましい存在であった。だがしかし、それを『父親』の居ない自分との家庭を比べた瞬間に、俺は酷く疑問を持ち、同時にその気持ちは段々と複雑を極めながら惨めな気分へと変貌していったのだ。

 

 どうして自分には『父親』が居ないのか。そんな事を調べる方法など知らなかった俺は、真っ先に母親へ迫った。「ボクのパパはどこにいるの……?」と。

 その言葉を聞いた母親は、酷く険しい壁にでも直面した様な表情で俺の事を見ていた。それを見て俺は、母親にとって何か辛い事でも言ってしまったのかもしれない、と反射的にそれを親の顔から読み取り、口を閉めた。

 だが、母親が見せた表情は一瞬の間だけで、そこからはただ単調に俺の父親の事を話してくれたのだ。母親の表情が俺の頭の中で気にかかりはしていたが、自分にも『父親』がいたという事を知った時、俺は暗闇の中で明かりを見つけた様にホッとしていた。だからこの時はもうどうでもよくなっていたのだ。

 

 そんな話を聞いた数週間後、突然「父親が帰って来る」という話を母親から聞いた。この時、俺はようやく自分の『父親』に会える事に、過剰すぎる喜びを感じていた。後で大後悔する事も知らずに。

 

 そして翌日。母親の言った通り、『俺』の親父は帰ってきた。インターホンが鳴ってすぐ玄関で待ち構えていた俺は、今まで自分が知った記録の中から『父親』と言う勝手な人物像を描き出してしまっていて、本当に過剰な期待をしてしまっていたと思う。リーマン姿の親父を見て、俺の高ぶっていたテンションは徐々に降下を始め、そんな気も知らない親父は、俺の頭にポンッと手を付け「よう」っと一言呟いただけで、そのまま居間の方へと行ってしまった。俺の気持ちは歪な紙飛行機を飛ばしたかの様に墜落したのだ。

 

 こんな最悪とも言える親父との初見(でも、恐らく『初めまして』ではないと思う)に続き、俺と親父との関係は最悪の真っ只中を、突き抜ける事もないまま、ただ驀進していた。

 なんせ俺の親父は基本的無口だった。家にいる間はずっと居間で仕事の資料に目を通しているだけで、特別俺に構ってくれるという事もない。でも食事には参加するという妙にタチが悪い様な存在だと、俺の中で解釈されていった。

 一応、親父を遊びに誘ったり、母親のお手伝いの一環として親父に飲み物を運んでみせた事もある。だが、それでも親父の反応は特別変わる様な事もなく、ただひたすらにつまらなかった。なんとかならないのだろうかと俺が悩みながら眠りについたら、起きた二日目にはもう家にいなかった。そんな日がこの後年に一回ぐらいの感覚で起こった。

 

 自分の理想としていた『父親』を、完膚なきまでに踏みにじられた俺は、段々と腹が立ってき始めていた。

 俺は母親に、なんで俺の親父はあんな変な奴なんだと質問を投げつけたが、母親は深く語る事も無く、俺に一言「ごめんね」と呟くだけだった。今の俺なら、こんな事に対しても構わず、母親を問い詰めようとしたかもしれないが、子供だった俺はそこで母親の気持ちを汲み取ってしまい、何も言えなくなった。そしてそれ以降、二度と口に出す事も無くなった。

 だが、それでも俺は諦めてはいなかった。あの時、運動会で見た光景を実現させるため、俺は自分を磨く事を決めたのだ。『俺』がもっと変われば親父は俺の事を見てくれる筈だと思ったのだ。

 

 だがそんな希望も空しく、終わりは突然にやってきた。

 

 俺が小学校五年生になったばかりの時、母親は家を出て行く事を決めた。とうとう親父に愛想が尽きたのだと思った。その事を知らされた俺は、全ての努力が無駄になった様なある種の絶望感に包み込まれ、恐怖した。

 しかし同時に、俺の心にはメラメラと赤い炎が自分の気持ちを抑圧するかの様に灯っていた。今になって考えればただの逆恨みだったのかもしれない。だが、俺はいくら自分を磨いても反応を示さない親父に対し、怒りを持ち始めていたのは事実だ。

 母親の離婚に対し、親父は何て事でもない様な態度を示す。それがますます俺の心の炎に油を注いでいく。俺はなんとかして、このクソ親父に一泡吹かせてやりたかった。

 

 そのチャンスは、案外早く訪れた。俺の両親は、ある程度の知識や空気を読む事に慣れていた俺をほったらかしにして、この家の財産をどうするのかという話をしていた時だった。専業主婦だった母親は実家が裕福だったためか、今住んでいるこの家を親父に譲ろうとしていたのだ。

 それを知った瞬間、両親とは別の部屋から聞き耳を立てていた俺は素早く行動に移った。居間のテーブルで話をしている二人の元に突進し、俺は言い放ったのだ。「オレはこの家に残りたい」って……。

 この家を出て行くなら、俺は当然母親側についていく。しかし母親の実家は、ここから遠く離れた場所に有るので、小学校に通う俺は転校をしなくてはならない事になる。

 

 だが、俺にとってそんな事は特に重要な事ではない。クソ親父の焦る顔を見れば満足だったのだ。

 

 しかし、この家に残ると言う事は、これからは一人だけで生活を行わなくてはならなくなる。当然、そんな事を母親は許してくれる訳も無く、断固として反対をしてきた。でも、あの時の俺は、このまま親父の澄まし顔を目に焼き付けたまま終わりを迎える事が猛烈な程腹立たしく、そんな怒りを行動で表す事しか出来なかったのだ。母親の気持ちもわからずに。

 

 俺は必死に抵抗した。俺の最大級のワガママに母親は困りながらも「いい加減にしなさい」と怒りを込めた声色を発し始める。だが俺は抵抗を止めず、暴れ続けた。その時だった。

 親父は俺を押さえ付けようとする母親の言葉を遮ると、ただ一言「いいぞ」と俺に両親の居ない生活を許してくれたのだ。いや、許してしまったのだ、と言い表した方がいいかもしれない。

 そのまま親父は光熱費も生活費も自分が払うと言い、話を進め始めたのだ。呆然としている俺の気も知らず、厄介払いでもする様な態度で。

 母親は慌てふためいたが、親父は俺の生活能力を簡潔な説明として母親に言い聞かせ、そのまま納得までに追い込んでしまった。

 

 その時の俺は一人で料理をする事などが出来ていたし、勉学もある程度なら進んで行うほどの意志を持っていた。だから親父は俺の意見を反対する様な理由を持っていなかったんだと思う。もしくはただの無責任だったのだろう。

 

 俺は何も言う事ができなかった。

 

 離婚の話はその日で全て終わり、その次の週の休日で母親は家を出て行った。その日も珍しく親父は帰ってきていたが、一週間前の事が脳に焼き付いている俺にとって、親父はもう次元が違う様な存在になってしまっていて、顔を見る度に燃えていた赤い炎は、段々と青みを帯び始めていた。どれだけ努力しても、変わっても、失っても、何一つ変わらない親父に対して、俺の心は怒りを通り越して、冷めてしまった様だった。

 

 そもそも、このワガママで失ったものは俺にとっては大きすぎた。大好きな母親から手を放し、必死にこの親父に変わってほしいと願った俺は、今更になって後悔をしていたのかもしれない。

 それなのに、母親が出て行ったドアを眺める親父の顔は、どこか笑っている様な気がしたのだ。隣りに立っていた俺は溜まらず、悔しさと悲しさでグシャグシャの顔で親父を睨みつけながら、思いっきり叫んだのだ。

 

 

 

 「パパはママの事が嫌いなの!!!?」

 

 

 

 親父は俺を見下ろして、大きな掌を俺の頭の上に乗っけた。

 

 

 

 「……そんな訳あるか……。……いいんだよ、これで……」

 

 

 

 もう意味がわからなかった。コイツは自分の大切な人が離れていく事を、不幸だとも思わないのか。そもそも、もうコイツは母親の事を大切な存在として見ていないのだろうか。

 

 この後、親父は仕事の為にとっとと家を出て行ってしまった。その時の俺は自分の部屋でドアに背中を向けていたのだが、親父は家を出る時に俺の部屋のドアを開け、挨拶だけ言うのかと思うと、「頑張れよ」と一言呟き、家を出ていった。

 玄関の閉まった音を最後に、何ひとつ音の無い空間が生まれる。これを決めたのは他の誰でもなく『自分』が決めた事なのだ。

 俺は自分の部屋のベットに顔を突っ伏して、叫んでしまいたい声を必死に押し殺しながら、溢れ出てしまいそうな涙を我慢したのだった。

 

 

 

 親父の一言で始まった一人暮らしは、それほど困難なわけではなかった。家事はできるし、母親は週に数回も俺の所に様子を見にくる。光熱費は全て親父の口座から引かれていくので、余っ程の事がない限り問題にはならない。

 

 問題だったのは学校の生活である。家の事情を知っている教師は余計なお世話な程、俺に気遣いをかけてくる。『うざい』と一言で済ます事ができるのなら問題ないのだが、向こうは慈悲で行っているのだから、どうも振り払いにくい。

 これが災いして、周りの奴等には俺が教師にひいきされていると思ったのか、徐々に距離をとり始めてきた。

 だが俺にとってこれはまだマシの方である。それよりも、どうしても許せないものがあった。教室で耳を澄ませば、こんな声がちらほらと聞こえてくるのだ。

 

 

 

 ウチのクソババア、死んじまえばいいのに〜♪

 

 

 

 あたしん家のジジイもチョー口うるさいし〜

 

 

 

 くたばってくんねーかな〜

 

 

 

 アハハハハハッ!

 

 

 

 子供らしさのある、本意でもない親への悪口。普通の人なら、それはよくある小学校の風景に見えたかもしれない。

 だが、『俺』は違う。どんなに、どれだけ足掻いても手に入れる事ができなくなったソレを、周りの奴等は当たり前の様に受け取り、罵倒する。俺にはそんな情景にしか見えず、そんな奴等が俺には反吐が出そうな程に大っ嫌いで、俺自身からも彼等と距離を離していった。

 

 こうなってしまうと、世の中への見解などどうしてもひん曲がってしまい、俺の常に否定的な弁は周り奴等の喧嘩をどんどん買ってしまったらしく、俺は周囲から阻害されていった。けれども、俺が引いた境界線の向こう側は恨むべき対象にしか見えていない。別に苦痛でもなんでもなかった。俺は中学に入るまで、独りの世界を歩み続ける事ができてしまったのだ。

 

 

 

 そんな訳で、俺の生活スキルは料理を除けば美柑よりも高い。彼女の部屋をモップで拭き終えた俺は、その道具を片付けて、美柑と昼食をとる。それも終わってしまった俺は、自分の部屋に戻り、外へ出る為の着替えを始めた。

 

 複雑な家庭環境を迎えていた俺だったが、そこにはまだ未練と言うものが残っている。ここ数ヶ月間思いとどまっていたそれを全てぶちまけるべく、俺はある事を知るつもりだ。正直、今から自分のやろうとしている事は正気ではなかなか起こさないものだと思う。もしこれを知ってしまえば、自分は自分ではなくなるかもしれない様な、そんな恐怖感すら体にへばりついてくる様な気がする。

 

 だが、それでも俺は知りたい。この世界を。この思いを。

 

 この世界は『俺』の居た世界と同じ都市、地名、駅などが存在した。だとすれば、この世界には俺の知っている場所、市名があってもおかしくはない筈だ。

 そして、もしその市名が有るとするならば、絶対にもうひとつのモノだって存在するであろう。自分の生まれた町、自分の育った家、そしてもしかしたらまだそこに住んでいるのかもしれない、もう一人の『俺自身』を。

 

 もし、そこに『俺』が居たら、俺はどうすればいいだろう。この体は『俺』からしてみれば赤の他人なんだから、下手に声などかける事は出来ない。

 

 もし、そこに『俺』が居なかったら、そこに有るモノとは一体……??

 

 既に夏休みは始まっている。いつもなら出かけようとすると、糸で繋がった様について来るララは、今は家にいない。彼女は臨海学校で話した通り、久しぶりに家族の所へと会いに行った。ザスティンが話を聞いた時は、恐慌した様な表情で俺に掴みかかってきたが、俺とララでなんとか落ち着かせた。まぁ、大変だった。

 ララの説得にザスティンは何か別の事で悩んでみせながらも、彼女に自分の宇宙船を貸し出すことを賛成してくれた。本当は自分も行こうかどうか迷っていたらしいが、オヤジの一声で『スタジオ栽培』へと戻っていった。

 

 ララは俺を連れて行こうとしたが、「それじゃ意味がないだろう」、「美柑が独りぼっちになってしまう」と適当に彼女を言いくるめ、俺は取れそうで取れないささくれを見つけてしまった様な憂鬱な気分を背中に抱え込み、彼女の乗った宇宙船を結城家の屋根から見送ったのだった。ちなみにこれは、今朝の事である。

 

 今、俺の行動を邪魔するものはいない。

 

 着替えを終えた俺は、財布だけを持ち、玄関へと向かった。途中居間でくつろいでいる美柑に声をかける。もう、すっかり慣れてしまった行為であったが。この時は、いつもより緊張していたかもしれない。

 

 「美柑、ちょっと出かけてくる……」

 

 「ん〜、いってらっしゃ〜い♪」

 

 いつも通りの様な美柑の挨拶を受け、俺は履き慣れた靴を履いて玄関を出た。彼女に聞こえるか聞こえないかぐらいの声で「いってきます」と呟いて。

 

 玄関を出れば相変わらず激しい日の光が俺の頭を照らし、大量の蝉の音が不協和音になって俺の耳へ流れ込んでいく。真夏の真っ昼間なんてあまり外出したくなる様な雰囲気ではないのだが、それでも俺は頭の中で万華鏡の様に形が変わり続ける大いなる謎を解くべく、歩みを始める。これから少しの間だけ、俺は『結城リト』ではなく『俺』個人としての人間に戻るのだ。

 

 深呼吸をひとつ。熱気を鼻で感じながらも、俺は心を落ち着かせ足を踏み出す。

 

 

 

 俺はゆっくりと…………………………走り出していた……。

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 東京メ◯ロで『池袋』に降りた後、山手線で『品川』を目指し、そして最後に『JとR』の電車に乗り込んだ。あのときと何ひとつ変わっていない駅の光景、電車の窓から見える景色が俺の不安を募らす。

 目的の駅で電車を降りた俺は、通り慣れている筈の改札から出ると上から直射してくる日光に目を眩ませた。相変わらずの日差しの暑さで、ダラダラと額に汗が流れ始める。

 そこには冷や汗も混じっていただろう。改札を出た周りに広がる光景は、俺が『俺』であった時と全く変わらない光景が広がっていたのだから。都市部である事を示す様に立ち並ぶビル群、くそでかいショッピングモール、何て事のないファーストフード店、ラーメン店、自分の記憶に残っているモノがほとんどリンクした。

 しかし『寄ってみたい』という願望は起こらず、俺は駅の近くのバス停へと向かった。自分にとって今知りたいものが、周りの風景よりも大きすぎたのだ。

 

 

 

 バスに乗り込み、そこから見える風景を眺めても俺の心が更に高ぶる様な事はなかった。元々『俺』だった時に散々と見慣れている景色なのだから。純粋に飽きてきたのだろう。仕舞いにはひと眠りしてしまった程だ。

 

 だが目的のバス停に辿り着いた時には、心境は一変する。既に日が沈み始め、気温も先程よりはマシに感じてきた俺は、一歩一歩見慣れた町並みを歩き出す。土壇場を上っている様には感じなかったが、妙に足が動かしにくい。真実を知る事に今更恐れているのだろうか。少なくともいい気分ではなくなっていた。

 

 『俺』の元居た掃き溜め校の前を通り過ぎた。特に、入りたい、様子を見てみたい、と言った気は起こらない。なんやかんやあって嫌いではない学校だったが、俺はもう『彩南高校』の風紀になれてしまった。これが一番の原因だろう。

 

 住宅街に入り、歩き慣れた道を歩き続ける俺の目に、ゴールである場所が見えてきた。心臓の鼓動が早くなった気がする。体の内側からカイロで暖められた様に肺の周辺が熱い。呼吸は乱れてきたかもしれない。それでも俺は目を見開き、真実が映るその場所を見つめ続ける。

 

 そのときだった。俺が凝視していた一軒の家から幼い少女が飛び出してきた。

 

 「ママー、早く早く!」

 

 少女は子供らしさのある濃い色の洋服に身を包め、手に持っているのはここからでは何の動物だかわからないぬいぐるみを振り回して、俺の見えていない方向にいるのであろう親を呼んでいる。その口調は、これからとても楽しい事が始まる事を予感しているかの様に、急かしているのだ。

 そんな少女の言葉をなだめながら、俺が近付くに連れ段々と見えてくる家の玄関から、二人の若いカップルが出てきた。少女の言葉を察するに、この二人が彼女の両親なのだろう。

 その家族は、車が一台程しか止められない家の駐車場の方に移ると、そこに置いてある新車に近い光沢を持った車に乗り込んだ。すぐにエンジンの音が聞こえてくると、少女を乗せた車が動きだし、安全運転のスピードで俺の横を通り過ぎていった。窓から一瞬だけ見えたその子の表情は、羨ましいくらいに輝いていた。

 

 どうやらあの子はこれからお出かけらしい。どこへ行くのであろうか、もう時間が時間であるから、きっと食事にでも行くのだろう。本当に楽しそうな笑顔であった。

 

 俺は少女の乗った車に背中を向けて、先程よりは軽い足取りで歩き続ける。そして真実の終点でその歩みを止めると、ゴールの目の前に仁王立ちをする。

 

 そこは先程、あの幸せそうな家族が出てきた家だった。

 

 そう、ここが『俺』が住んでいた筈の家。地形も場所も、ましてや家の作りすら変わっていないのだから、俺が見間違える事など有り得ない。自棄になってれば、うっかり踏み込んでしまいそうな雰囲気だ。

 

 だが俺には理性がある。今さっき見た記憶が頭に焼きついている。ここはもう『俺』の住んでいた家ではないのだ。

 そう理解した瞬間、俺の心は枷が取り払われたかの様に清々しく、ゆったりとした心地に包まれた。幸せと言うわけではないのだが、自分の予想を斜め上を貫いた結果が、俺は苦しくなかったのだ。

 

 今ならゆっくりと理解できる。今この家に有るのは一人の少年の不幸ではない。とあるひとつの家族の幸福だ。だから『俺』が来る様な場所ではない。『俺』が帰るべき場所でもない。

 

 既に太陽は東に沈み始め、周りはオレンジ色の景色から真っ暗な世界へと移り変わろうとしている。さぁ、早く帰ろう。美柑が……心配する。

 

 目の前にある過去の遺物を絶対に忘れない様に目を貫き通した俺は、ゆっくりときた道を戻り始める。今は考える事は何もない。

 

 だが、人間の性であろうか、どうしても記憶から掠れ始めてきた思いを感じた俺は、これで最後ともう一度自分の家だった場所を振り返った。

 やはり、ここから見る風景も何ひとつ変わっていない。でも俺の中で求めていた記憶は、鮮明なる自分自身との別れ。曖昧になってしまえば、俺はまたここにやって来てやりようのない時間を過ごす筈。そんなつらすぎる事は嫌だ。だから俺はなんとしてでも、記憶に鮮明に残しておきたい。

 

 俺は頭の中で必死に答えを探る。方法など何でもいい。目として、感覚として、音として……自分の記憶に……残る方法を……

 

 

 

 「さよなら……『俺』……」

 

 

 

 それだけ呟いた時、酷いくらいに鮮明に、心の心底で響いた様な感覚が、俺にはとても満ち足りた様に感じていた。そしてこれが自分自身への別れなのだと、今はっきりと理解したのだった。

 

 俺は再び歩き始める。遠くの空に沈む、雲でよどんだ夕焼けを見遣った。

 

 ひと雨ふりそうな空だった。

 

 

 

 ・・・♡・・・♡・・・

 

 

 

 (ララ視点)

 

 

 

 『夏休み』っていう長い長いお休みが始まってから、私は臨海学校の海でリトの言われた通り、久しぶりにパパや妹二人の所へ会いに行く事にした。

 

 本当はリトも一緒に連れて行きたかったんだけど……なんだかリトには別の目的があるみたいだったから、ガマンする事にした。

 ホラ、リトって考えてる事あんまり口に出さないから……きっと何か重要な用事があったんだと思う。リトのしゃべり方見てると……なんとなくわかるんだ……

 

 だから私も今回はあきらめたよ? そのかわり、帰ってきてからい〜っぱい甘えちゃうつもりなんだけどね♪

 

 そんな事を考えながら、私はザスティンに借りた宇宙船で私の故郷、デビルーク星へと向かっていた。

 

 『それにしてもララ様、よくお戻りになられる気になりましたね……』

 

 ペケは私が故郷に戻るのが不思議でしょうがないみたい。家出を始めたのが私なんだから、戻るのが不思議って思うのはおかしくはないよね……。

 

 心配そうにしているペケとおしゃべりをしながら、私はリトの家から持ってきてたぬいぐるみを抱きしめる。コレは彩南町の商店街のゲームセンターでリトがとってくれたあのぬいぐるみ。最近はこれに抱きつくよりも、リトを抱きしめて寝ている日が多くなっちゃったなぁ……。でも、このコの抱き心地も捨てがたい……。

 

 リトは「夏の間だけ、俺の部屋で寝て良い」って言ってたから、いつも一緒に眠るのがあたりまえのようになってるんだけど、最近ある事に気がついてから、やっぱりこれからも、夏を過ぎてもずっとリトと一緒に眠りたいって思うようになったの。

 

 夏の暑さと違って、寝てるときのリトの手は氷みたいに冷たい。こういうの『冷え性』とか言うらしくて、その事を教えてもリトは『気にしてない』って言うんだけど…………手を震わしたまま寝てるリトはとてもつらそうで……こんなの私にはほっとけないもん。

 だからね、リトと寝る時はいつも手のひらを一緒に合わせて私の体温を伝えるの。こうしてると手の震えがだんだん治まってくるし、リトは私に抱きついてくるんだよ♡ やっぱり、リトは私と一緒に眠りたいんだって思って、それが私にとってなによりも嬉しいんだ♪ 

 

 それでも、たまにリトの手は震えが止まらないときがある。最初は、やっぱり寒いのかな〜って思ってたんだけど……私、わかったんだ……。

 

 私はこの感覚を知っている。私がまだ小さい頃、初めてお城を抜け出して森に行った時に、私はそこで迷子になっちゃった思い出がある。歩いても歩いても出口の光は見えるどころか、周りがだんだん暗くなってきて……すごく不安だった。あの頃はペケもいなかったから。

 

 リトが感じてたのは、その感覚だと思うんだ。『怯えてる』って……。

 

 何に怯えているのかはわからない。きっと今の私が問いつめたってリトは話してくれないと思う。でも、この気持ちを知っちゃったら、私は絶対にリトをほっとけない。なんとかしてあげたい!

 だからね……私、毎日リトと一緒に眠る事に決めたよ。私はリトが大好き。だから、リトが私の事を好きになってくれるまで、私はこの事を心の中にしまっておく事にしたの。

 いつかきっと、打ち明けられる時がくるまで……。

 

 

 

 『ララ様……、ララ様?』

 

 そんな事を考えてたら、いつの間にかデビルーク星に着いちゃったみたい。ペケが私に何度も呼びかけていた。

 私は気持ちを切り替えて宇宙船の外、デビルーク城の宇宙船停泊所に降りた。私の乗っていた船を見て待ち構えていたのかな、外で敬礼をしていたデビルークの兵士数人が、私を見るなり声を引っ繰り返して驚いた。……そうだよね、この船はザスティンが乗ってるものなんだから……。

 

 そのまま停泊所は大騒ぎになっちゃって、私はパパがいつも座ってる玉座のお部屋までバケツリレーのバケツみたいに運ばれちゃった。

 突然強く開いた扉から運び出てきた私を見て、パパは目を丸くして驚いてた。

 

 「ラっ……ララ!!? 何でお前がここに!? ……っおい!今すぐ結城リトに連絡をとりやg、

 

 「パパ、落ち着いて! リトは関係ないよ!」

 

 私の言葉に、怒りのこもっていたパパの口調がやわらいで、静かになった。

 

 「?……、……どういう事だ……」

 

 「それはね……えっと〜……」

 

 

 

 そのあとはと〜〜っても大変だったんだから! パパは、リトに追い出されたのかって勘違いし始めて話をややっこしくするし……。もうっ! リトがそんな事するわけないじゃん!

 私はそう言って、素直に会いに来たって事を話したら、今度はビミョーに居心地の悪い様な顔をして話が進まなくなったり……。

 

 でも、『私が会いたいから』って言ったとき、パパは笑ってくれた。数ヶ月前まではあたりまえの様に見てた笑顔なのに、こんなになつかしく、嬉しく感じるなんて……。ここに戻ってきて本当によかった!

 本当は、ママにも会いたかったんだけど、今は忙しいみたい。残念だったけど……仕方ないよね……。

 

 

 

 その後、二日三日泊まる事をパパに伝えて、私はゆっくりのんびりする事ができたから、これからもう二人の大切なヒトのところに会いに行く事にした。

 広い広い王宮の中庭に接する長い廊下を歩いていく。お庭の花がすっかり変わっている事をペケと一緒におしゃべりしていたら、私が曲がろうとしていた曲がり角から、私の双子の妹、『ナナ』と『モモ』の姿が見えたんだ。私と同じ、ピンク色の髪の毛だからひと目でわかったよ。

 

 「あぁーーー姉上っ!?」

 

 「あら!? お姉様!?」

 

 二人には私が戻ってきていた事がまだ回ってこなかったのかな。私を見つけた二人は、まるで突進するイノシシみたいに私の方へ迫ってきて、私の目の前に急ブレーキをかけると、こんどは二人とも物凄い勢いでしゃべり始めてきたんだ。

 

 「お久しぶりだね姉上! もう地球から戻ってきたの?」

 

 「婚約者はお気に召さなかったのですか?」

 

 二人はリトの話は聞いてないと思うけど、婚約者の話は知ってるみたい。話す事が省けてちょっとだけ助かったかな。

 

 「えへへ、今日はちょっと帰って来ただけ。地球には、また戻るつもりだよ」

 

 私がそう言うと、ナナは残念そうにしていたけど、モモは何だか嬉しそうな表情をしていた。このまま廊下で立ったままなのもなんだか変だったから、私達はそのまま中庭のテーブルでおしゃべりをする事にしたんだ。

 

 おしゃべりの内容はいっぱい。地球の文化の事とか、食べ物とか、お洋服の事とか。そうそう、今の私の服装はドレスフォームじゃなくてリトの買ってくれた洋服姿なんだよ♪ 

 そんな事を話すと、モモは楽しそうなんだけど、ナナの様子はなんだかモヤモヤしてる。私がリトの事を話すとなおさらで、ナナはちょっとだけ不機嫌そうにしていた。なんでだろ?

 それでも、私のお話を聞いてる二人は楽しそうに笑ってくれた。パパが笑った時と同じ様に。私には、二人の笑顔がお日様よりも明るく感じたんだ。

 

 それは本当に楽しい時間だったんだけど……ふと思った。リトは私のキモチがわかってたんだよね?

 

 私はここに戻る事にちょっと心配だったんだよ、本当に戻ってきていいのかな? って。

 でも、リトは『会いたいなら戻った方がいい』って言ってた。今の私の気持ちを素直に開いてみると、私にはやっぱり家族とはなれてどこかさみしいって気持ちがあるんだと思う。なつかしいって言っても正しいかな? 

 そんな私のキモチをリトは理解していたんだ〜って思うと、なんだか心の中がくすぐったくなってくる。でも、これはイヤっていうキモチじゃない。うれしいって言うか、落ち着く……? そんなキモチが私の中からあふれてくるんだ〜。

 

 そんな事を考えていたら、だんだん…………リトの様子が気になってきちゃったんだ。あのとき、リトが見せた表情はなんだったのかな。私に言えない用事ってなんだったのかな。美柑とお昼ごはんを食べたのかな。

 

 

 

 今日は……体を震わせたまま眠るんだよね……

 

 

 

 それを考えた瞬間、私はいてもたってもいられなくなってきた。心配で心配でどうしようもないキモチが私の中からあふれ出て、雫になって零れ落ちそうになった。

 

 ダメだ! 私、こんな所でいつまでものんびりなんてしていられない!

 

 「お姉様……?」

 

 「……ゴメン二人とも!!」

 

 「『「?」』」

 

 モモに呼びかけられた私は、テーブルから立ち上がった。二人は椅子に座ったまま、飛びはねた様に驚いてた。

 

 「私……やっぱり地球に戻る! パパに伝えといて!」

 

 「えぇっ!! お姉様!?」

 

 「ちょっ! 姉上!?」

 

 私は中庭を勢いよく飛び出し、宇宙船の停めてある場所へと走った。一歩一歩、走るごとに段々速さが増してるのが自分でもわかる。

 

 今、私はとってもリトに会いたい! 言葉で伝えたいの。大好きって事!

 

 だから……待っててね、リト♡

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