長々とNGルートにお付き合いをいただきありがとうございました。次回からは本編更新予定です。
後今更ですが、本特別編におけるキャスターは完全に堕ちた後です。
解決に時間が経っているからね。仕方がないね。
※22/4/3 誤字脱字修正
「あらぁ? アサシンさぁん? 何故此処にいるのでしょうか?」
「い、いや、その、お嬢様、ええと……」
「おかえり、桜。助けてもらったんだよ。臓硯関係で色々と」
「あぁ、成程。……では、そっちの方がいるのは?」
ハサンに助け舟を出したり。
「――――てことだよ」
「あぁ、そういう……キャスターさんから話が来た時には、どういう事かと思いましたが、合点がいきました」
「いやぁ、マスターに住む場所追い出されちゃって……あ! そうだ! そういう事で、泊めて下さい、お願いしますっ!」
「あぁ、まぁ、それは――――」
「ダメに決まっているでしょ!!!!!!!!」
武蔵が泊まろうとしたり。
「お兄ちゃん、あんな知らないサーヴァントがいるのって困るよね? お兄ちゃんのテリトリーに不審者いるのって嫌だよね? そうだよね?」
「えーと、イリヤ?」
「てことで、お兄ちゃんを私のお城に招待するね! ちゃんとお兄ちゃんと私の部屋を用意してあるからね! 一緒に寝ようね!」
「イリヤスフィール、戯言はそこまでにすることだ」
イリヤの目論見に皆が殺意を飛ばしたり。
「ちぇー。じゃあ3/14はどう? ホワイトデー!」
「戯け、殺す」
「私のお城じゃなくてもいいよ? 新都方面にあるお城でもいいよ?」
「殺すっ!!!」
エロガキへの制裁が検討されたり。
――――そんなこんなで、ホワイトデー当日。
■ こんなふぇいとはいやだ ほわいとでーとくべつへん こうへん ■
その日の穂群原学園の3年生クラスは、誰かが死んだのかと言わんばかりに、早朝から殆どの面々が消沈をしていた。
天井を生気の無い眼で見上げている者、突っ伏して身動ぎ一つしない者、二次元や妄想の世界に逃避する者、教室の隅の方から響く「オオンッ、アオンッ」の音。まるで地獄の一丁目である。
「ふひひ……ホワイトデーなんて滅んでしまえ……」
誰かが生気のない声で零す。随分と物騒な言葉。だが周囲の面々は、示し合わせたかのように頷いたり溜息を吐いた。
……何でこんなことになっているかって?
そりゃあほとんどの穂群原学園3年生徒は、ホワイトデーに同校の男子からお返しを貰えない事が確定しているからだ。
例えば間桐慎二。「いらないよ。お返し面倒なんだよね」で門前払い。
例えば柳洞一成。「精進の足らぬ身である故、遠慮をさせてもらいたい」で門前払い。
例えば衛宮士郎。ミス穂群原、もしくは一成の尽力により阻止。
……穂群原学園3年生は泣いていい。
まぁ、そんなわけで。
上記のかしまし3人組からのお返しを期待するどころか、そもそも手渡す事すら絶望的な以上、学外の別の人に渡すくらいしか、彼女たちにはバラ色のホワイトデーを過ごす手立てはない。だがこの男性が極端に少ない世界で、そんな簡単に男性が見つかるとでも? しかも彼ら以上のイケメンが、だ。
そんなわけで。学外に彼ぴっぴのいる超ラッキーガールを除く殆どの3年女子は、華の高校生活最終学年にも関わらず、色気のないラストイベントを過ごすことが確定したも同然であった。そりゃ絶望に消沈もするというものである。
ちなみに全くの余談だが。休職中の葛木宗一郎にチョコを渡しに柳洞寺へ行こうとした場合、何故か辿り着けなくなるバグが発生するらしい。決して迷う道でもないのに。何それ怖い。
「美綴、お早う。バレンタイン、ありがとうな。これ、お返し」
「!!!!!!!????????!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?」
前述の通り、穂群原学園の生徒の殆どが、かしまし3人組に贈り物が出来ていないのは周知の事実である。が、奇跡的な確率でその狭き門を潜り抜けられた人物の一人が、美綴綾子である。
朝早くの3年生クラス。負け確で意気消沈して死にかけの面々。そんな彼女たちの目の前で繰り広げられる、夢にまでみた憧れの光景。意中の人からのお返し。しかもマカロン。わざわざ綺麗にラッピング。という事は既製品ではない。は?
「手作りなんで、そんなに長くは保たないと思う。早めに食べてくれたら嬉しい」
完全フリーズ状態の綾子を他所に、士郎は少しばかり早口で口上を述べた。この世界に慣れたとは言え、やはり衆人環視の状況で手渡しは恥ずかしいものだ。が、そうも言ってはいられない。何せ彼にはまだ渡さないとならない相手がいる。
一方で綾子は一か月前の事を回想していた。2/14。凛と帰ろうとしている士郎を無理矢理に呼び止め、一方的に渡したチョコレート。嬉しそうに微笑んでくれた士郎。その隣で悪鬼羅刹もかくやと言わんばかりのトンデモナイ顔をした凛。けどそんなの怖くない。お返しだっていらない。受け取ってくれたという、この思い出だけで生きていける。そう思っていたのに、今日まさかのお返し。しかもマカロン。手作り。手作り。手作りっ!
「――――ッ、衛宮ッ!!! ……あれ?」
フリーズ状態から回復した時には、既に士郎は居なくなっていた。どこにもいない。目の前はおろかクラス内にもいない。いや、そりゃそうだ。彼はC組だからA組にいるはずが無い。
という事は、今しがた見たのは幻だったのだろうか。夢だったのだろうか。妄想が天元突破したのだろうか。いや、違う。幻でも夢でも妄想でもない。胸に大切に抱えている手作りマカロンは間違いなく現実である。彼が此処にいた事実であり真実である。
「衛宮ぁ……」
抱き抱えながら崩れ落ちた女傑を見て。
衛宮君なら多分すぐそこの廊下にいるよ、とは誰も声を掛けなかった。
それは1人バラ色の3/14を迎えられた裏切り者への、醜い嫉妬であり嫉みであり妬みであり僻みであった。
「蒔寺、お早う。これ、バレンタインデーのお返し。ありがとうな」
蒔寺楓は戦慄した。今しがた士郎から、ホワイトデーのお返しを渡されたという事実に戦慄した。A組目前の廊下での出来事だった。
彼女も士郎に贈り物を渡す事が出来た数少ない人物の一人である。陸上競技部の備品を直してくれるブラウニーに、日ごろの感謝の意と下心を込めて高級和菓子を手渡した2/14。お返しを期待しつつも、遠坂がいるから無理かないやでももしかしたらいやでもいやでもいやでもでもでもでもな一か月。そして今日、お返し。渡されたマカロン……マカロンってなに? まぁいいや。お返し、そうお返しである。やったぜ。
「氷室と三枝もありがとうな。これ、お返し」
「え、い、いいの!?」
「頂けるのあればありがたく頂くが……本当に構わないのか?」
氷室鐘と三枝由紀香も、直接手渡しこそできていないものの、結果的に士郎に贈り物が出来た面々である。先の楓が渡した高級和菓子は、3人がお金を出し合って購入したものである。名目は、陸上部品を修理してくれている事への感謝。下心が無いとは言わないけど、楓よりも薄い。由紀香に至ってはほぼほぼゼロだ。
ちなみに渡す際には、対遠坂凛は由紀香、柳洞一成は鐘が受け負い、士郎から保護者面共を引き剥がして、楓が贈り物を渡している。適材適所、チームプレイの勝利である。
「わぁ、マカロン!」
「既製品ではないな。……もしかして手作りか」
「ああ、その通りだ。……あ、すまん、手作りは嫌だったか?」
周囲の女性陣が皆一様に手作りを求めた事もあり、そのついでで彼女たちの分も用意したのだが、よくよく考えれば全員が全員手作りが良いというわけではないだろう。配慮欠いた己の浅慮さに、士郎は恥じ入る気持ちを覚えた。そりゃこのご時世、手作りより既製品の方がいいよな、うん。
何やら1人納得しかけていた士郎だったが、納得しきる前に楓が鐘の腹部にボディーブローを見舞った事で、思考が中断される。
「いや、違う! 手作り万歳! ありがとな!」
「うん、そうだよ! ありがとう、衛宮君! 大切にします!」
「お、おう……」
何とも言えない気迫に気圧されて、士郎は二の句を告げられずに頷いた。常時騒がしい楓単体ならまだしも、大人しい筈の由紀香からも気迫をぶつけられると何も言えない。
まぁいいか。喜んでくれたなら。士郎はそれ以上を考えるのを止めた。有事以外の事での思考の放棄は、彼がこの世界で学んだことの一つであった。
「わざわざお返しとか馬鹿だろ、衛宮」
間桐慎二は何やら疲れた顔でC組に帰って来た士郎を見て、思いっきり溜息を吐きつけた。
「優しさのつもりか知らないけどさ、無駄な期待をさせるだけだって」
どーせホワイトデー案件だろ。何で士郎が疲れた顔でC組に戻って来たのか。その理由が分からないほど慎二は愚鈍じゃない。
「いや、貰い物にはやっぱりちゃんと返すべきじゃないか? 今日はそう言う日だろ?」
「はぁぁぁぁぁぁぁ、この平和ボケ。頭天国かよ。そりゃ遠坂や柳洞が保護者面もするわな」
無菌室で育てられたのかと思う程に絶滅危惧種な純粋無垢。呆れて物も言えない。
ぶっちゃけた話をすれば。士郎にバレンタインデーの贈り物が出来れば、お返しが来るのは間違いない事である。古風過ぎる義理堅さ。実際、1年時はそれを危惧した藤村大河によってバレンタインデーの贈り物は全面禁止にされているのだ。ブラコン恐るべし。ちなみに、流石に2年目は反対意見が多すぎて、大河1人では如何とも出来なかったのだが、丁度校内でガス漏れ事故が発生(実際には聖杯戦争の隠蔽)したことで有耶無耶になっていたり。
「どーせ下心ありきなんだから、わざわざ財布痛める必要ないだろ」
「いや、手作りだからそこまで費用はかかってないぞ」
「そういう事を言ってんじゃないんだよ、この天然ボケ」
コイツ、その内変な女に騙されないだろうか。あらぬ方向で慎二は心配をしたが、すぐに「桜や遠坂がいるから平気か」と納得をした。そしてもうすでにトップクラスに面倒な面々に囲われている友人に、心の中でそっと十字を切る。まぁ上手くやれよ。
そんな慎二は置いておき、士郎はクラスに入って来た女子生徒の1人に声をかけた。そして渡す。「バレンタインデー、ありがとう。これ、お返し」
「え、え、えええええええええええええええええっ!!!!!???????!?!?!?!?!?!?!?」
「は、衛宮!? はぁ!?!?!?!?」
混乱の極地に至り、泡を吹いて卒倒しかける女子生徒。そして目の前の光景の意味が分からず、素で大声を出す慎二。さっき忠告したばかりなのに何してんだコイツ。
「手作りだからそんなに長くは保たないんだ。早めに食べてもらえるとありがたい」
「しかも手作りかよ……あぁ、いや、さっきそう言っていたな……」
このご時世に手作りでお返し、しかもマカロン。最早意味を超越をして「俺を食べて♡」である。絶対
ちなみに。この女子生徒が士郎に贈り物をしたのは、以前に士郎にボールをぶつけて気絶させてしまった事があったからだ。つまりは謝罪やお詫びの意味。下心なんて恐れ多くて込められやしない。
なのに……なのにっ! 今彼女の手にはマカロンがある。しかも手作り。前世でどれだけ徳を積めば、このような結果に落ち着けるのか。クラス中の敵意と殺意が惜しみなく注がれるが、彼女は全く気にもならなかった。今が彼女の人生における絶頂期なのだ。
「慎二にも、はい」
「はぁ!?!?!?!?!?!?!!?!?」
慎二は渡されたマカロンを見て、その思考を停止した。そして思い出す。確かに彼には、バレンタインに士郎にチョコレートを渡した記憶がある。だがそれは、適当な奴だ。別に意味なんか込めちゃいない。どれだけ友好的に捉えようとも、所謂友チョコが限界的なそれ。「お前、どーせ遠坂たちにもらうんだろ、大変だな」的な労いを込めたチョコ一粒。
「早めに食べてくれ。乳製品だしさ」
士郎は朗らかな微笑みを浮かべた。友人へ見せる、気さくな表情。そこらの女どもに見せるのとは少し違う、多分自分しか見られないであろう、その笑み。
「……ま、仕方ないね。貰ってやるよ」
慎二は小馬鹿にする態度を崩さずに、士郎からマカロンを受け取った。……いや、態度崩さずにいられたかないられたっけきっといられたよ多分。
■
カレン・オルテンシアは、朝から不機嫌であった。
何故ならば。彼女は3/14というこの大いなる記念日に、衛宮邸に行けないことが前々から確定していたからだ。
詳細は省くが、早い話が己の欲を信仰で昇華させようと言う、不純極まりない理由で懺悔に訪れる信徒の対応をしなければならない。そんな聖職者としての職務のせいである。
そんなわけで。彼女は早朝から信徒の対応で忙殺されていた。自身が神に祈りを捧げる暇もないほどだった。
因みにだが、1人だと対応は絶対できないので、
「誰が部下ですか」
脳内へのツッコミは野暮だから止めてほしいと思ったが、そんな余裕も今のカレンには無い。漸く信徒の対応に一区切りがつき、疲労を存分に乗せた息を吐き出すのでいっぱいいっぱいだった。
「食べないと保ちませんよ」
ガツガツガツ。色気もへったくれも無くコンビニ弁当をかき込むお手伝い。手元の袋にはサンドイッチやおにぎりが適当に突っ込まれているだろう。あと栄養ドリンクとかも。
そんなんだからサーヴァントに愛想を尽かされるんですよ。思ったが口にはしない。以前に口にしてぶん殴られた事があるからだ。
「はぁ……もうPM4:00ですか……いつもだったら御主人様の元へ馳せ参じられる時間帯なのに……」
「言っても仕方がないでしょう。ほら、早くしないと敬虔な信徒が痺れを切らしますよ」
30分の時間も待てない程度の信徒なんて願い下げだ。なんてカレンは言わない。祈りの優劣を決めつける程、カレンは自身が出来た存在で無い事を自認している。
「……サンドイッチ一つで充分です」
もそり。小さな口でも咀嚼し、水と一緒に無理矢理にでも胃の中に落とす。味覚が死んでいるので味なんてどうでもいい。とりあえずエネルギーに変わればいいのだよ、うん。本人は気が付いていないが、それはバゼットと別ベクトルでありながら同程度の考え方である。士郎が聞いたらきっと泣く。
「あ、そうだ。士郎君来るそうですよ」
「!?!?!?!?!?!?!?!?!?は!?」
先に言えやこのボケカス性別不詳の暴力クソ女。浮かぶはいつもの皮肉のキレなんかどこにもない、ただの暴言の羅列。つまりはそれほどまでの強烈な混乱。無いと思っていた幸福に、一瞬で上がるテンション。彼女も結局は人の子なのだ。
「入るわよー」
「遠坂……せめて呼び鈴くらい鳴らさないか?」
「別にいいでしょ。あんな雌犬に気遣いなんか必要は無いわ」
「そこは私も姉さんと同意見です」
そして計ったかのようなタイミングで裏口から声。気に入らないメスネコと、その妹と、そして聞き間違えることなんて絶っっっっっっっっ対にあり得ない我が主の声。
カレンは怒涛の幸運に身を硬直させた。まさか……まさかまさかまさかまさかまさか――――御主人様が私に会いに来てくれた!?
「ようこそ。指定通りの時間ですね」
「お疲れ、バゼット。悪いな、仕事中に」
おいこら待てボケ、なんで貴女が出ているんですか。と、カレンは言葉には出来ない罵詈雑言を脳内にて流した。脳内なのは、早朝から働きづくめで疲労満杯の身体と、降って沸いた幸運を前にし、身が完全に硬直して動く事が出来ないでいたからだ。
「カレンは?」
「先ほどまで一緒に食事をしていましたが……カレン?」
裏口から声が聞こえる。愛しの御主人様とアルバイター。だがカレンは動けなかった。動かなければならないのに、脳からの電気信号を上手く身体に送ることが出来ていなかった。完全硬直状態であった。え、なんで?
「……おかしいですね。もしかしたら職務に従事しているのかもしれません」
そんなわけないでしょう、この筋肉ダルマ。と、カレンが思ったかは定かでは無い。定かでは無いが、カレンは少しでも硬直しきった自身の筋肉を動かそうと試みた。そしてその間にも裏口から聞こえる楽しそうな声。役割を放って御主人様と談笑するなんてイケない子ね。
「忙しいのかな。じゃあ、渡しといてくれるか。出来れば手渡ししたかったんだけど、時間取るのも悪いし」
「ホワイトデーのお返しですね。成程、承知しました。伝えておきます」
「ああ、よろしく。あと夕ご飯は……」
「前日から伝えている通り、今日は仕事で手いっぱいですね。カレンと私の分は必要ありません」
何故そんな簡単に断るのか。シレっと結論付けるのか。そして人を巻き込むのか。
聞こえる声。御主人様の足音。そしてパタンと閉じるドアの音。
カレンは絶望という言葉の、その真なる意味を初めて知った。頭の中は真っ白だった。
遠坂凛は上機嫌だった。あの雌犬を出し抜いた事に上機嫌だった。
いつかの日に。士郎の寝顔を堪能しようと用意していた、空間歪曲の魔具。それの改良版。
秘かにそれを使い、カレンの足止めの魔術をかけて、士郎と会話が出来ないようにした。そもそもの話、雌犬如きが士郎からお返しを貰おうという事自体が烏滸がましいのだ。
空間歪曲なんて現代技術ではまだ実用化できない、ある種では立派な魔法である。勿論事前準備が必要で、且つ限定的にしかその効果を発揮しないが、それがどうであれ天才遠坂凛に不可能は無いのだよ。
待たせていたタクシーに乗り込むと、士郎は行先を告げた。柳洞寺。
「へ? 柳洞寺? なんで?」
「キャスターと武蔵の分があるからな。2人に渡せば最後だよ」
「え゛? キャスターさんはともかく、アレにも渡すんですか?」
「貰い物はしてないけど、助けられたからな。一昨日」
桜は天を仰いだ。それを引き合いに出されてしまうと自分は何も言えない。
「渡さなくていいんじゃない? 一宿一飯で恩義は返したようなものでしょ」
凛はさり気なく、士郎の考えを変えさせようとした。士郎は優しすぎるのだ。あの性欲な権化みたいなのを甘やかさないでほしいと思っているのだ。
何せ前日、及び前々日。あれだけ釘を刺されたにもかかわらず、武蔵は士郎に夜這いを掛けようとしていた。当然警戒に当たっていた衛宮邸面々が見逃すはずもなく、ボッコボコにして追い払って叩き出した訳なのだが。流石の宮本武蔵と言えども、サーヴァント×2と魔術師×4と教会関係者×1には適う筈もなかった。
「まぁ前日のはな。でもそれ以前にスカサハ関係でも助けられているし、用意もしちゃったから」
苦笑いに爽やかさが同居するのは士郎くらいのものである。その眩しさに凛は眼を眇めた。護らねば、この笑顔。
士郎を挟んだ隣では、桜がトンデモナイ顔をしていた。やっぱり殺さなきゃ、あのクソババァ2号。そっちから凛は視線を外した。血のつながった妹ながら、随分と雰囲気が怖くなったものである。ああ恐ろしや恐ろしや。
柳洞寺には何の問題もなく到着した。それでもって、何の問題も無く門を通り抜け、何の問題も無く居住スペースまで到着してしまった。警戒は拍子抜け。武蔵は何処にもいない。
「アレならどーせ、そこら辺をほっつき歩いているわよ」
出迎えたキャスターは、頭痛を堪えるかのように言葉を吐き出した。
「アレの位置なら分からないわ。どういう了見か分からないけど、勝手に別の依代を用いて好き放題しちゃうくらい破天荒なんだから」
武蔵には日頃キャスターも悩まされているらしい。ははぁ、と。3人は頷いた。そりゃそうだわな。
「じゃあ、これ。色々と世話になっているから」
「ふぅん、ホワイトデーってことかしら」
「まぁな」
「義理堅い子ね。……宗一郎様の件があるから、どちらかと言えば私が渡さなくちゃいけないのに」
「いや、葛木先生のは、捲き込んじゃったようなもんだから」
桜は顔色を変えず、しかしその心の内には少なくないダメージを負った。士郎だけでなく、理想の主婦像として参考にしているキャスターにまでも、アレの件で迷惑をかけてしまっている事実についてだった。帰ったらあのクソババァにもう一度折檻をせねばなるまい。
「ありがとう。アレにも渡しておくわ。……渡した後の事については、まぁ、困ったら言いに来なさい」
キャスターは近い未来に訪れるゴタゴタを思って、秘かに胸中で溜息を吐き出した。どうにもこの坊やには面倒事が付いて回るのだ。純粋無垢って罪ね。まぁ今回の恩もあるし、一回くらいは助けてやっても構わない。
「それじゃあ帰りましょう。遅くなったら色々とウルサイのいるし」
用事は済んだと判断すると、凛は士郎の腕を軽く引っ張った。いつアレこと武蔵が帰って来るかも分からないのだ。長居は無用である。
あ、ちょっと待ちなさい。キャスターは3人を呼び止めると、その手に杖を握った。そして振る。
シャランと。なにやら鈴が鳴る様な綺麗な音と共に、3人の視界が回り、
「へ? あれ?」
「先輩の……お家?」
桜の言葉の通り、次の瞬間には3人は衛宮邸にいた。正しくはその庭。縁側ではイリヤがポカンとした表情で3人を見ている。
「……ああ、なるほど。何てデタラメ」
凛は1人、その意味を察した。早い話が空間転移である。柳洞寺内ならともかく、衛宮邸は自分の陣地でも無いのに。流石は神代の魔術師と言うところか。魔法級の所業である。
だがその真価を理解出来るのは、この場には凛しかいなかった。士郎も桜も「それじゃあ夕ご飯を用意しようか」なんて笑っている。まぁ2人は正規の魔術師というには色々足りてないし、理解をしろと言う方が酷だろう、うん。
「……これ、空間転移でしょ? こんな事出来るの、キャスターくらいだと思うんだけど。柳洞寺行ったの? 何で?」
唯一凛以外でのその真価を理解出来るイリヤは、凛に事の次第を詰め寄った。いつもは只のエロガキの癖に、魔術が関わると一転して聡明な魔術師になるのだ。流石はアインツベルン。無駄に勘のいいエロガキである事だ。
■
衛宮邸の面々にホワイトデーのお返しが渡されたのは、夕ご飯の後だった。勿論個別に渡すとそのまま何をされるか分からないので、皆がいる前で。他の面々は勿論個別に渡してほしかったと考えているが、士郎とて馬鹿ではない。嫉妬や妬みやその他諸々で、衛宮邸をこれ以上の地獄にするのは嫌なのだ。
まぁ夕ご飯は士郎の手作りだし、その後のケーキも手作りだし、勿論マカロンも渡したしで、今日士郎から渡された他の面々に比べると、彼女たちは随分と豪奢なお返しを味わえている状態である。それで充分と己の幸運に感謝しなきゃね、うん。
「今日、シロウの事、もらうから」
まぁそんな簡単に安全に平和に3/14が終わるわけがない。
酔いつぶれた我らのタイガーを士郎が藤村邸に送りに行った、その時間を使って。
イリヤは宣言をした。真っすぐ行ってぶっ飛ばすと言わんばかりの、剛直な宣言だった。
「殺すわよ、クソガキ」
凛は笑顔で、それでいて混じり気のない純粋な殺意をイリヤにぶつけた。彼女の思考は瞬間的に沸騰していた。言葉に表せないほどの怒りで、彼女の全ては満ちていた。お家芸の様に、その右手が光って唸っている。
「ふふっ……」
桜は瞬間的に真っ黒になった。いつもだったら顔くらいは残っているのに、頭の先から足元まで真っ黒になっていた。あのタコさんウィンナーみたいな形であった。足元は真っ黒な闇に侵食されていた。つまりはヤバいレベルである。
「イリヤスフィール、それを私たちが許すとでも?」
ライダーは出来の悪い子を諭すかのように、穏やかな口調で言葉を紡いだ。だがその右手は眼鏡の蔓に添えられており、いつでも魔眼外しは可能であった。彼女が本気を出せば、たかだかアインツベルンのホムンクルス程度、簡単に石化出来る。
「あら、許可なんて求めないんだけど。先に言っておかなきゃ、ってだけよ。士郎は私たちのものって事をね」
イリヤスフィールは余裕綽々の表情で、3人に言葉を返した。ウィンクを返す余裕すらあった。クソガキにしてはあるまじき態度であった。
はて、なんでコイツはこんなに余裕を見せられるのだろうか。
僅かに残っている冷静な部分が3人に疑問を浮かばせ――――一つの形となる。あれ、そう言えばセイバーは?
「――――っ、まさかっ!」
「あら、早いわね。そのまさかよ」
3人が思い当たるのと、イリヤがその口角を釣り上げたのはほぼ同時だった。彼女はニヤリと、実にあくどい笑みを浮かべると、その指をならした。パチン。
「私たちアインツベルンは……セイバーと同盟を結んだわ」
すとっ。まるで忍者の如く突如としてイリヤの背後に現れるセラとリズ。そして端の方で優雅にお茶を飲んでいたセイバーは、何も言わずに、しかし意味アリ気に3人に視線を向けた。その口角は、僅かばかり上がっている。
「いつまでも仲良しこよしではいられないわ。時間は有限。それは皆も分かっているでしょう?」
「だからアインツベルンで囲おうと?」
「ええ、そうよ。もうすぐお兄ちゃんは卒業してしまう。それで、卒業したらイギリスに留学に行くつもりなんでしょ。だったら、タイミングとしては今日が最後にして一番じゃない?」
「戯けた事を言わないでくれますか、イリヤさん?」
「えー、そんなこと言ったって、他の皆じゃお兄ちゃんを幸せに出来ないじゃん」
「……あら、イリヤさんったら。少しばかり口上が過ぎているではないでしょうか?」
「そうかしら? まぁ確かにサクラは良い子だもんね。そう思うかも」
「随分と物分かりが――――」
「でも、マキリじゃダメでしょ。
ぐはっ。黒いタコさんウィンナーのまま、桜はその口から黒い液体を吐き出した。身内が恥を重ねたばかりで、それは実にタイムリーにしてクリティカルな一撃である。禁止カード禁止カード。反論の言葉が見つからない。
「で、リンの場合は……シロウが一緒にイギリスに行ったら、絶対他の魔術師共が狙うでしょ」
「あら、私が有象無象に負けるとでも?」
「リンはなんでもソツなくこなすくせに、ここ一番で失敗するじゃない。なんか他の第三者に搔っ攫われそう」
言うじゃない。凛はにこやかな笑みのまま硬直した。イリヤの言葉はイメージ先行の言いがかりである、と言うには諸々思い当たる節が多すぎた。雌犬の件とか、武蔵の件とか。勿論認めないけど。
「あとライダーはほら……変態だから」
「あぁ……」
「言いがかりにも程がありますし、皆の態度が心外でならないのですが」
ライダーは溜息を吐き出した。何でこんな時に皆同じような態度なのか。言葉の通り心外である、が、彼女が士郎に夜這いを掛けようとバレバレのムーヴをし、桜に捕まって折檻を受けるまでが、彼女の楽しみの1セットであることを、この場にいる皆は知っている。救いの手はない。
「だったらもう私たちアインツベルンとセイバーで、士郎をしっかり保護すべきじゃない? お兄ちゃんの夢も、アインツベルンが全面サポートすればいいしねー」
「「「戯けるなクソガキ」」」
全くの同時に3人は言葉を発した。その結論だけは認められなかった。確かに3人ともに至らぬ点はあるかもしれないが、それでもこのエロガキの手の者に囲われるよりは問題無いと思っていた。五十歩百歩、目くそ鼻くそ的な考えだった。
「そもそもの話、時代は兄ロリよ。誰もが皆心の内に、そして潜在的に、ロリとなって兄という存在に甘やかされて絆されて蕩けたいと考えるの。――――もう甘える事が難しい年齢だからって、八つ当たりは止めてもらいたいわ」
勝利宣言と言わんばかりに、イリヤは鼻で笑って言葉を発した。自分の優位性を疑わぬ態度に口上。単純な年齢だったらアンタの方が士郎より上な癖に。瞬間的に3人の感情が沸騰し、目前の敵を殺さんと、その意思を折らんと目が眇められる。
「……?」
そんな。殺意と敵意が綯交ぜになって膨らむ衛宮邸居間。
唯一冷静だったセイバーは、ふと疑問を覚えた。
シロウ、まだ帰ってこないのでしょうか?
「しーろー、えへへへへ」
「飲み過ぎだろ、藤ねえ」
「いーんですー、うへへー」
士郎は自身の膝元で、だらしない様相を見せる姉代わりに、深々と溜息を吐き出した。
藤村大河。士郎の保護者兼姉代わりにして、穂群原学園に勤務する英語教諭、そして剣道五段の腕前を持つ女傑である。
生徒からの人望も篤い彼女ではあるが、今は蕩けた笑顔で寝転んで弟分の名前を連呼するなど、しっかり者としての面影はどこにも無い。
「えへへー、ことしもー、しろーからのー、あいのぷれぜんとー♡」
大河は士郎からもらったマカロンを大切に掲げると、それに口づけを落とした。余程嬉しいのだろう。その顔は明らかにお酒以外の要因で朱に染まっている。
士郎は溜息を吐きつつ、そんな姉代わりの頭を撫でた。知らない人が見たら驚くだろうが、このトラは気心の知れた仲だと途端にだらしなくなるし、酒が入れば尚一層と言う奴だ。つまりは士郎からすれば今までに幾度となく見てきた様相である。
「明日も仕事だろ? もう飲むなよ」
「らーいじょーぶ、らーいじょーぶ」
何も大丈夫じゃない。顔は真っ赤だし呂律も回って無いしで、このままだと明日の仕事に差し支えが出るのは間違いない。絶対頭を痛めながらの授業になるだろう。
士郎は大河からお猪口を取り上げると、彼女の代わりに口にした。これ以上飲ませない為である。未成年飲酒? 大丈夫、バレなきゃ問題ない。
「あー、しろー、のんだー」
「はいはい、これでお終いな」
「えへへー、かんせつきすだー」
馬鹿言うな。言葉にする代わりに士郎は溜息を吐いた。この姉代わり、酔えば酔う程質が悪くなる。
衛宮邸でのホワイトデーパーティー。イリヤが持ってきたワインを、彼女は1人で5本は空けただろうか。そんでもって藤村邸で日本酒を追加。酔っぱらいを自宅へ送るだけの筈が、無理矢理同席させられてそのまま2人だけの二次会に突入。士郎は完全な被害者だ。
でもまぁいいか。だらしない姉代わりの髪を撫でる。さらさらとした手触り。にへら。さらにだらしない笑みを見せる大河。この世界では、いつもなんだかんだで忙しい身だ。偶にはハメを外してもいいのかもしれない。
くいっ。お猪口に残っていた残りの日本酒を士郎は口に含んだ。寝転がっている大河からすると見上げる形。開け放たれたジャージ。見える喉元。アルコールが多少なりとも回っているのだろう。肌が少しだけ朱に染まっている。コクリとお酒が通って動く喉。うわっ、えっっっっっっろ。
「……なんだよ、もう飲ませないからな」
視線に気が付いたのだろう。ジト目で士郎は大河に視線を向けた。なんだか子供っぽい口調。幼い頃の彼を思い返すようで微笑ましい。
「ふふっ、しろーのことは、わたしがずーっと、ずーーーーーっと、まもってあげるからねー」
「はいはい」
呆れを隠さない溜息。でもその顔は仕方がないなぁとでも言いたげに緩んでいて。
ただただ、幸せだと。大河は思った。
士郎と一緒にいられること、その事に言葉に言い表せられないほどの幸福を感じていた。
「あ、しろー、てれびつけてー。どらまー」
「はいはい」
士郎は抵抗一つせず、大河の言う通りに動いた。世界が変われど、酔った虎の相手程面倒な事は無い。それを彼は知っている。
テレビをつけると、すでにチャンネルは件の放映局にセットされていたらしく、タイガーお目当てのドラマが今まさに始まろうとしていた。
「いまいいところなのよねー」
「はいはい」
士郎は興味ないので詳しくは知らないが、それなりに話題になっている事は知っている。桜が食い入るように見ているのを何度か目撃した事があった。何でもどこかのお屋敷に住まうお嬢様の元に、生き別れの兄が戻ってくるお話だとかなんとか。でも単純なラブストーリーではなく、伝奇ホラーラブストーリーらしい。なんじゃそりゃ。
点けたテレビの先では、髪を真っ赤にして恐ろしい形相を浮かべる女の子が映し出されたところだった。なんでもこの子が件のお嬢様らしい。
「ん?」
ドラマに集中する前に、画面の上部に文字が映し出される。緊急速報。
「へー、あのはいゆうさんけっこんするんだー」
緊急速報の内容は、とある俳優の結婚報道だった。わざわざ結婚くらいで緊急速報? と士郎は思ったが、そもそもこの世界は男が少なく、加えてわざわざ衆目を集める芸能人になりたがる人物は一握りもいない。つまりは超希少。そりゃ緊急速報テロップも流れると言う奴である。今頃は件の俳優にお熱を入れていた方々は、皆死屍累々と言った有様でいることだろう。
そんな事を考えながらテレビを見ていたら、CMに入るタイミングでニュースが入った。どうやら番組を差し替えて、テロップだけでなく大々的にアナウンスするらしい。芸能人も大変である。……心なしかすすり泣く様な声がテレビから聞こえてくるのは気のせいだろうか気のせいだよね気のせいであってほしいなぁ。
「そくっ、速報を゛っ! お伝え゛します……」
アナウンサーがもうダメだった。どうやらかなりお熱を入れていた方らしい。
そのまま嗚咽を堪えながら読み上げられるニュース。バックに映るのは切り抜かれた件の俳優さんたちの写真。そして結婚報告のファックス。各放映局に連絡がされたのだろう。結婚一つが国内に知れ渡る事を考えると、この世界の俳優さんは大変だ。
「たいへんだねー」
「そうだな」
「でもしろーはもっとたいへんかなー」
「そうかな?」
「でもだいじょーぶ、わたしがまもってあげるからー」
はいはい。士郎は軽く流しながら、大河の頭を撫でた。さらりさらり。柔らかな髪質。
「てことでー、まもってあげるからー、あしたはひさしぶりにしろーのあさごはんがたべたーい」
可愛らしい交換条件である。別にそんなこと言われなくても作るのに。
そう思いながら士郎は口を開いた。いいよ、オッケー。
「まずたまごやきだよねー、あまいやつ」
「いいよ、オッケー」
「おみそしるのぐは……なめことおとうふでー」
「いいよ、オッケー」
「それからー、おてせいのおつけものー。きゅうりとかぶのやつ」
「いいよ、オッケー」
「それからそれからー、えーと、あ! にくじゃが!」
「いいよ、オッケー」
打てば響く様な会話に、なんだか大河は楽しくなってきた。最近は朝は桜が台所を譲らないので、士郎のお手製朝食を食べる機会は減っているのである。桜のご飯も好きだが、大河としてはやはり切嗣存命の頃から食べ続けている、士郎のご飯の方がいい。
その調子で大河は希望を重ねて行く。手作りふりかけ、季節の魚の照り焼き、野菜の味噌炒め物、切り干し大根の和え物、etcetc.
士郎も士郎で調子よく答えて行く。勿論全部調理可能だから答えているのだけど。なんだかんだ言っても姉には甘いのである。殺伐とした衛宮邸とは異なり、何とも優しくて柔らかな空間なことだ。もしも士郎が今の衛宮邸の惨状を知ったら多分泣く。
ふと。何の気なしに大河は口を開いた。
「あさごはんのきぼうなんて、しんこんさんみたいだねー」
彼女の友人が聞けば「そこまでにしておけよ藤村」とでも言うだろうか。いや、その前に取っ組み合いの喧嘩になるだろう。現役DKで家事上手で気立てのイイ婿とか、多分彼女は認めない。と言うか世界が認めない。
はいはい。士郎は適当な相槌で流した。酔っぱらいの相手はこれくらい適当でいいのだ。
「えへへー♡」
何度も言うが、大河は幸せだった。ほど良く回ったお酒。ふわふわした頭。士郎の膝枕。優しく撫でてくれる手。邪魔者はどこにもいない。2人だけの世界。
彼はいつか自分の元を離れて行くだろう。だって男の子だから。優しい子だから。そしてその時彼の隣にいるのは、あの子たちの内の誰かに違いない。
でも。その時が来るまでは。
護り続けても、罰は当たらないだろう。
「しろー、あいしてるよー♡」
「はいはい」
その時が来たら、笑って見送ろう。誰の手を取っても、あの子たちの内の誰かであれば、祝福をしよう。
だから、今だけは、
「……私のだもん」
「ん?」
「なんでもなーいよー」
アルコールで少しずつ遠くなっていく意識。夢の世界はもうすぐそこ。あぁ、今日は何て良い一日――――
ホワイトデー勝者:藤村大河
おまけ(と言う名のNGルート)
「あさごはんのきぼうなんて、しんこんさんみたいだねー」
⇒他に希望は無いか訊く
適当に流す
彼女の友人が聞けば「そこまでにしておけよ藤村」とでも言うだろうか。いや、その前に取っ組み合いの喧嘩になるだろう。現役DKで家事上手で気立てのイイ婿とか、多分彼女は認めない。と言うか世界が認めない。
他に希望はないか。士郎は撫で続けながら訊いた。昨今では教職の大変さがニュースを騒がせることも少なくない。いつも笑顔を絶やさぬ彼女とて、気苦労を抱え込んでいないとは言い切れない。ならせめて、朝ごはんくらい好きなものを作ってあげようと言うものである。
「じゃあね、もうはるだしー、たきこみごはんもたべたいなー。たけのこのやつ」
「いいよ、オッケー」
「あとはー、たけのこをつかって、なにかおいしいのおねがーい」
「いいよ、オッケー」
テレビでは相変わらず俳優の事を伝えている。時間が経って悲しみの感情が増幅したのか、すすり泣きは大きくなり、画面が微妙にブレている。テレビスタッフの方々も心にクリティカルダメージを負っているらしい。
結婚の報道。ホワイトデー。愛情の詰まったお返し。少々飲み過ぎたアルコール。弟分との幸せな会話。幸せな空間。
いい具合に頭がほわほわとしてきたこともあり、大河は眠気を覚えて来た。もう少しこの幸せな状況を楽しみたいところだが、この眠気には如何とも抗いがたい。
「うーん、あ、」
だから、きっと。
これはどっかの誰かの癖が移った。
「あとね、あとねー、」
そんな『うっかり』。
「しろー、およめにもらってくれるー?」
「いいよー、オッケー」
さらりさらり。変わらず撫で続ける手。暖かな感触。ああ、ほんとうにいいきもち……じゃなくて、あれ、いまわたし、なんていった? それでしろーはなんていった?
ぐるり。大河は膝枕堪能中のその頭部を、士郎の顔を見上げる形に戻した。いきなりの行動に、撫でていた士郎の手が驚いて止まる。
「……………………………………………え?」
たっぷり三点リーダ17個分の空白を経て。
大河の口から飛び出たのは、そんな気の抜けるような疑問の音だった。
「いま、なんて」
「だから、オッケーって」
「……えーと、あさごはんのおはなしじゃなくて、ね?」
「……」
「その、さっきの、えーと……」
「……何度も言わすなよ」
大仰に士郎は溜息を吐いた。彼にしては珍しい息の吐き方である。そしてアルコールとは別に朱の色に染まっている頬。でもきっと自分も顔赤い。そう大河は思った。全く以って正しい理解だった。
「大切な人を、そこらのやつには任せられないからな」
ぶっきら棒な言い方だった。回りくどい言い方だった。思春期という事を差し引いても、分かり辛い言い方だった。
でもそれは。感情表現を得意としない彼にしては、精一杯とも言える言葉で――――
「――――士郎」
「……何だよ」
「ふ、不束者ではありますが……今後とも、どうぞ、よろしくお願い致します」
3/14の夜。
世間が俳優の結婚報道で悲しみの慟哭を迸らせ。
衛宮邸では意味のない争いを馬鹿共が繰り広げる中。
こうして。衛宮士郎と藤村大河の婚約が決まったのだった。
藤ねえルート、完!