【完結】ハリー・ポッターは邪悪に嗤う   作:冬月之雪猫

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第百六話『死者行軍 ― ワイルド・ハント ―』

 奇妙な一日だった。

 今日の朝、クラウス・リンデンはいつものように仕事へ出掛けた。

 出勤直後は普段と何ら変わった様子はなかった。異常に気がついたのは、クラウスの隣の席でパソコンを操作していたデイヴ・ウィンソンだった。

 

「おかしいぜ、クラウス。日付が間違ってる」

「え? どれどれ」

 

 たしかに、パソコンのデスクトップに表示されているカレンダーの日付が間違っていた。

 明日の日付になっている。

 

「あっぶねー」

 

 デイヴはカレンダーに一日の予定を入力している。その予定を確認してから一日をスタートさせるのだ。

 それなのに明日の予定を見て、その通りに行動してしまったら大問題だ。

 クラウスも自分のパソコンを確認した。

 

「おいおい、こっちもだ」

 

 クラウスのパソコンの日付も間違っていた。

 困惑していると、急に電話が鳴り始めた。クラウスの席だけではなく、デイヴの電話も、他の社員の電話もすべてが同時に鳴り出した。

 その電話の内容がまた、とても奇妙だった。

 今日、連絡する筈だった海外の取引先の会社から約束をすっぽかした理由を聞かれ、今日発注する筈だった業者から発注が無かった事に対する確認を取られた。

 他の社員が受けた電話も似たり寄ったりな内容らしく、誰もが首を傾げている。

 

「おいおい、なんで、こんなにメールが来てるんだ!?」

 

 デイヴは悲鳴を上げた。

 

「メール……?」

 

 電話が途切れたタイミングでクラウスもメールソフトを確認してみた。

 すると、そこには今日の日付のメールが百通近くも届いていた。取引先だけではない。何故か、政府や家族、友人からのメールまで来ている。内容もまた、とても奇妙だった。

 

「な、なんだ……?」

 

《あなた、無事なの!? お願いだから連絡をちょうだい!!》

《ロンドンの皆様、今直ぐ避難を開始して下さい》

《おい、クラウス! さっきのメールに添付されていた画像は何の冗談だ!?》

 

 どれも意味が分からなかった。

 

「ジョージ……、添付画像?」

 

 クラウスは送信済みメールのトレイを確認してみた。

 すると、ここにも驚くほどの量のメールが並んでいた。

 

「これは……」

 

《ナンシー!! 今直ぐに逃げるんだ!!》

《ジョージ!! ドラゴンだ!! 青いドラゴンが……》

《助けてくれ!! 誰でもいい!! 何が起きているのかわからないんだ!! 助けてくれ!!》

 

 わけが分からなかった。こんな内容のメールを書いた記憶はない。

 

「ドラゴンって……」

 

 ジョージのメールにあった通り、画像が添付されていた。

 開いてみると、それはロンドンの夜景だった。ただ一点、青いドラゴンが映し出されている以外は、至って普通の写真だった。

 

「おいおい、なんだよコレは……」

 

 子供騙しの悪戯画像だ。こんな物を会社のパソコンからメールで送るなんて正気の沙汰ではない。

 もちろん、クラウスには正気を失った記憶などない。

 

「もしかして、ウイルスか?」

 

 引っ切り無しに掛かって来る電話の応対で、この日はほとんど仕事にならなかった。

 

 結局、一時間も残業する事になり、クラウスは不貞腐れた態度で帰路を歩いていた。

 

「なんなんだ、まったく!」

 

 ブツブツと文句を言いながら歩いていると、クラウスは首を傾げた。

 

「霧……?」

 

 この季節には珍しい事だ。急いで帰った方がいい。クラウスは帰路を急いだ。

 けれど、奇妙だ。

 いくら霧が出ていても、通い慣れた通勤路を迷う筈がない。それなのに、気づけば知らない場所にいた。

 

「えっ?」

「あれ!?」

「どうなってるの!?」

「わたし、なんで!?」

 

 周りには混乱した様子の人々がいる。彼らも同じ様に迷い込んだようだ。

 

「え?」

「どうなってるの!?」

「はぁ!?」

 

 更に人が増えていく。

 どうなっているのかと振り返ると、濃霧は一メートル先すら見通せない程になっていた。

 乳白色の気体の壁からは更に続々と人が出てくる。

 

「ど、どうなってるんだ?」

 

 第百六話『死者行軍 ― ワイルド・ハント ―』

 

 月が雲に隠れると共に暗黒の帳が降りてくる。灯りは消え去り、街の生気が失われていく。そして、霧と暗黒に満たされた魔都を骸の群れが歩き出す。

 骸の数は千を超え、万に届き、更に数を増やしていく。瞬く間に、ロンドンは骸によって埋め尽くされた。

 この刻よりヴァルプルギスの夜が始まる。

 生者は冥府へ、死者は現世へ、その立ち位置が反転する。

 

 ―――― イキタイ。

 

 所詮、それは仮初の命。けれど、彼らは確かに甦った。

 蘇る寸前の記憶は死であり、彼らの生に対する執着心は生者の比ではない。

 如何なる勇者も、如何なる聖者も、死の恐怖には抗えない。自ら死を選ぶ者も、理由の如何に関わらず、その瞬間には恐怖を覚えるものだ。まして、死を体感した者に二度目の死など耐えられる筈もない。

 

 ―――― イキタイ。

 

 それでも、彼らの中には術者の命令に背く者もいた。命を握る相手に対する反逆は、そのまま死を意味する。

 そうした者達には、望み通りの死を与えられ、そして、再び仮初の命を与えられる。

 服従するまで、何度でも死を与えられた。苦痛に満ちた死を、屈辱に塗れた死を、必要なだけ与えられた。

 

 ―――― イキタイ。

 

 ある男は、愛する妻に殺された。その後は娘に殺された。父に殺された。

 四肢を切断されて殺された。首を刎ねられて殺された。毒を飲まされて殺された。水に沈められて殺された。火で炙られて殺された。

 死の記憶が増える程、生に対する執着が強まっていく。

 

 ―――― イキタイ。

 

 その執着は、やがて理性に亀裂を入れ、人としての倫理を失わせていく。

 彼らは生きていた頃の記憶を持ち、生きていた頃と同じ思考が出来る。

 それでも、術者の命令に背く事はない。例え、それが一人の少年を殺害する事であろうとも。

 

 ―――― イキタイ。

 

 生きたい。一日でも、一時間でも、一分でも、長く生きていたい。

 その為なら、何でも出来る。一人の人間を殺す事も、それが子供でも、何の躊躇いも持たない。

 

「―――― さあ、始めよう」

 

 冒涜の限りを尽くし、歓迎しよう。

 ゲラート・グリンデルバルドは遥か彼方に姿を現した少年の姿を視界に捉え、笑みを浮かべた。

 

 ◆

 

 決戦の時が来た。

 ロンドンで起きた異変の情報は即座にホグワーツへ届けられ、スクリムジョールは蛇王の騎士団を率いて魔都に降り立つ。

 天から降り注ぐ暗黒の帳。アレはグリンデルバルドが信奉者達を招集する際に使っていたサイン。しかし、半世紀もの間ヌルメンガードに投獄されていた彼の下に集う者は残っていない。

 つまり、これは一人の少年に対する宣戦布告に他ならない。

 

「ああ、始めよう」

 

 ハリー・ポッターは杖を抜く。嘗て、闇の帝王(ヴォルデモート)が振るっていたイチイの杖だ。

 イチイの杖は傑出した者を主人に選ぶ。例え、主人を打ち破った者であろうとも、その者が凡俗ならば主とは認めない。

 その杖が彼を主として強く認めている。

 

「ゲラート・グリンデルバルド。貴様は、このハリー・ポッターがぶっ殺す!!」

 

 その宣言と共に、ロンドンを覆い尽くす骸の群れが動き出す。

 だが、此度の戦場は主人公(ハリー)敵役(グリンデルバルド)のみに(あら)ず。

 ハリーと共に戦う事を決意した蛇王の騎士団が一斉に駆け出した。

 

「生きるのだ!! そして、勝利するのだ!! すべてを薙ぎ倒せ!! 我らは蛇王の騎士団(Order of the Basilisk)!! この世界を守る者だ!!」

 

 スクリムジョールの号令に騎士団は雄叫びを上げた。

 闇祓いの精鋭、不死鳥の騎士団の元団員、ホグワーツの教師陣、そして、ハリーと共に戦う事を決意した者達。

 ハリーがローゼリンデ達と共に残るよう如何に説得しても聞き入れず、コリン・クリービーは最前線で雄叫びを上げている。彼の周りには同寮の上級生達やスリザリンの生徒達が集い、その勇敢なる闘志を守るために一致団結している。

 もはや、不倶戴天の敵であった時代は過去であり、グリフィンドールとスリザリンは固い絆で結束している。

 そんな彼らを見て、シリウス・ブラックとセブルス・スネイプは同時に最前線へ躍り出る。両雄が並び立ち、接近してくる骸の軍勢を薙ぎ払った。 

 

「行くぞ、セブルス!!」

「黙って集中しろ、シリウス!!」

 

 ありえない筈の光景が広がっている。

 決して相容れないと憎み合っていた男達が、一つの目的の為に命を預け合う。

 

「ハリーも、誰も、一人足りとも傷つけさせんぞ!!」

 

 人生が最も輝く筈の時期を監獄の中で過ごした男。家族と縁を切り、最高の親友を失い、それでも彼は曲がらなかった。

 愛すべき家族となった少年を守る。そして、少年の守りたいものを守る。

 それこそが己の使命であり、生きる理由なのだ。

 

「消え失せるがいい」

 

 一度は悪の道に堕ちた男。彼は、己の咎によって最愛の女性を失い、同時に生きる理由も失っていた。

 彼を導く筈の男も命を落とし、もはや進むべき道すら見えなくなっていた。

 けれど、彼はここに居る。誰に命じられたわけでもなく、己の意志によって立っている。

 過去の憎しみは消えない。悔いも消えない。それでも彼を突き動かすものがある。

 

 ―――― 先生! 魔法薬について教えて下さい!!

 ―――― 先生! オリジナルの呪文を使った事があるって、本当ですか!?

 ―――― セブルス。わしは時々、《組分け》が性急過ぎるのではないかと思う事がある……。

 ―――― 先生、どうか力を貸してください。

 

 根暗で陰湿な男。頑固なまでに一途で、それ以外に対してはロクでなし。

 そんな彼を変えたのは、小さな切っ掛けの数々だった。

 愛する女性の子供は彼を頼り、尊敬した。

 愚かだと軽蔑されながら縋った男は彼を認めた。

 

 ―――― これは私が始めた事です。最後まで責任を持ちます。

 

 そして、一人の少女の黄金の如き意志に彼は敬意を抱いた。

 尊敬された。認められた。敬意を抱いた。

 ならば、そんな彼らの前でみっともない真似など出来ない。

 齢35にして、彼は成長を遂げたのだ。

 今は亡き一人の女性の為ではなく、今を生きる生徒達の為に戦う決意を固めた。

 その為に、彼は憎き仇敵たるシリウスのファーストネームを呼んだ。共に戦う仲間として認めたのだ。

 

「無理すんなよ、先生!」

 

 そんな二人の更に前へ飛び出したのは闇祓い達だ。

 

「最前線に立つべきは我々だ!!」

 

 燃え盛る闘志を魔力に変えて、彼らは一気呵成に攻撃を開始する。

 大地が鳴動して、土の津波が巻き起こる。天から渦が降りてきて、竜巻が骸を彼方へ飛ばす。雷光が迸り、肉片一つ残さずに焼き焦がしていく。

 死の呪文が飛んでくるが、地面を盛り上げて壁を作り出し、その尽くを防いでいる。

 所詮、相手は死人であり、此方は百戦錬磨の闇祓い。数の差は絶望的であれども、圧倒される事などあり得ない。それどころか、骸の波を押し返して行く。

 

「……さすがだぜ、みんな」

 

 その光景にハリーは微笑む。

 これで、彼は有象無象に気を取られる事なく本来の敵に集中する事が出来る。

 

「ハリー」

「僕達は君と一緒にいくよ」

 

 ドラコとロンはハリーと共に残っていた。

 ハリーにとって、掛け替えの無い親友達。

 命を預けてもいいと思える程に彼は二人を信頼している。

 

「ああ、行くぞ!! ドラコ、ロン!!」

 

 三人は揃って姿を消した。そして、同時にビッグベンの上に降り立つ。

 

「わーお、出来た!」

 

 ロンは姿現しの練習などした事が無かった。ハリーやドラコのように、付き添い姿現しを行う機会も殆ど無かった。

 それでも彼はハリーとドラコと共に姿現しを成功させた。

 彼にはグリフィンドールの剣がついている。戦う覚悟を決めたロンの為に、剣は彼の知らない力で彼を助けている。

 

「集中しろよ、ロン! 居たぞ!」

 

 ハリーはメガネに備わっている遠視機能を活用して、遥か彼方で骸の指揮を取っているグリンデルバルドの姿を捉えた。

 まるで王様のように骸達を傅かせている。

 

「まるで、伝承にある死者行軍(ワイルド・ハント)だね。もっとも、僕達は死なないけどさ」

 

 死者行軍(ワイルド・ハント)。それは死者で構成された狩猟団。彼らを率いるのは神、あるいは偉大なる王。

 

「勝つぞ、二人共!」

「ああ!」

「うん!」

 

 三人は同時に姿くらました。

 

 ▲

 

 眼前に姿を現した三人に対して、グリンデルバルドは優雅に微笑んだ。

 

「待っていたぞ、ハリー・ポッター。さあ、感動の瞬間だ」

 

 その言葉と共に、傅いていた骸達が顔を上げる。

 そして、その内の二人がグリンデルバルドの前に立つ。

 

「ふん! 死んだ人達を道具みたいに使って、この卑怯者! 恥知らず! お前なんかに僕達は負けないぞ!」

 

 ロンが叫ぶとグリンデルバルドは肩を竦めてみせた。

 

「君達の相手はわたしではない。彼らだ」

 

 グリンデルバルドの言葉と共に二人の骸が前に出る。

 そして、彼らの顔を見た時、ロンとドラコは目を大きく見開いた。

 

「に、似てる……」

「まさか……」

 

 男女の骸。男の方はハリーにとてもよく似ていた。そして、女の方の瞳の色はハリーと同じ緑色だった。

 

「どうしたのかね? 死に別れた親子の対面だ。驚くのではなく、感動するべき場面では?」

 

 その言葉にドラコは体を震わせた。

 

「……貴様」

 

 拳を硬く握り締めながら、ドラコは射殺さんばかりの視線をグリンデルバルドに向けた。

 

「それが……、それが人間のやる事なのか!?」

 

 叫び、そして、憎悪と憤怒に身を焦がす。

 グリンデルバルドが悪の魔法使いである事は知っていた。けれど、今になってハッキリと理解した。

 この世には、決してやってはいけない事がある。

 

「貴様は……、貴様はぁぁぁぁぁぁ!!!!」

 

 グリンデルバルドはハリーの両親の死体を蘇らせた。そして、よりにもよってハリーと戦わせようとしている。

 許せなかった。許すわけにはいかなかった。

 

「お、落ち着け、ドラコ!」

 

 ハリーがドラコの肩を掴んだ。

 その冷静な声に、ドラコは涙を零す。

 

「落ち着けるわけないだろ!! この男は君に……! 君の御両親に……!」

「その通りだよ、ハリー……」

 

 冷静さを失っていたのはドラコだけではなかった。

 

「巫山戯んなよ、お前」

 

 ロンは肩を震わせながら言った。

 

「それはダメだろ。それだけはやっちゃいけない事じゃないか……」

 

 二人はハリーの前に立った。

 

「お、おい、二人共!?」

「ハリーは戦うな」

 

 戸惑うハリーにドラコは言った。

 

「アイツは……、アイツだけは僕達がやる!!」

 

 ロンの言葉にハリーは目を見開いた。

 

「お、おい! 何を言っているんだ!? 相手はグリンデルバルドなんだぞ!」

「分かってる!!」

「だけど、君と御両親を戦わせるわけにはいかないんだ!!」

 

 その二人の反応を見て、グリンデルバルドは笑みを深める。

 そして、その笑みを見て、ハリーは気づく。

 これがグリンデルバルドの罠だ。

 

「落ち着くんだ!! 相手の思う壺だぞ!!」

 

 叫びながら、ハリーは忌々しげに両親の骸を睨みつけた。

 こうなる事は読めていた。死者の兵士を生み出せるなら、最も効果的な使い方は敵の身内を使う事だ。身内と戦う事になれば、誰でも抵抗を覚える。

 だから、覚悟を決めていた。両親の骸と戦い、その肉体を破壊する事になると……。

 

「オレは大丈夫だ!! 覚悟は決めてある!! 両親だろうと、この手でぶっこ――――」

「巫山戯るな!!」

「させられるわけないだろ!!」

 

 ドラコとロンは怒鳴り声を上げた。

 

「そんな覚悟してんじゃねぇよ!!」

 

 ドラコは悔しかった。これがグリンデルバルドの罠だという事は分かっている。

 それでも……、だからこそ許せなかった。

 

「どいつもこいつも、ハリーを苦しませやがって!!」

「許さないぞ、絶対に!!」

 

 ドラコとロンは杖と剣を構えた。

 そして――――、


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