雨が降り注ぐ中、アルバス・ダンブルドアとハリー・ポッターの葬儀が始まろうとしている。
ヒッポグリフレース用の競技場には多くの人が喪服に身を包んで参列している。中には海外から来ている人もいた。
競技場の中心で、無数の花に包まれながら、二人の偉大な魔法使いが横たわっている。
「イヤだ……、ハリー!」
一人の青年がハリーの棺に縋り付きながら泣き崩れた。彼の名前はパーシー・ウィーズリー。
ホグワーツ特急で初めて出会った時の事を今も鮮明に覚えている。
彼はハリーをもう一人の弟のように思っていた。
「ダメだ、ハリー! 起きなきゃダメだ! 起きてくれよ、ハリー!」
「お、落ち着きなさい、パーシー!」
取り乱しきっている息子を宥めようと、アーサー・ウィーズリーは彼の腕を掴んだけれど、パーシーは棺に縋り付いて離れようとしない。
堅物で、感情的になる事など滅多に無い彼の涙を見て、アーサーは唇を噛み締めた。
「……ハリー・ポッター」
直接会った事は一度もない。けれど、息子達や娘から耳にタコが出来る程、その武勇伝を聞かされてきた。
その顔にはあどけなさが残っている。
「十四才だ」
ルシウスが妻のナルシッサを引き連れて近づいてきた。
「あまりにも……、若過ぎる」
ルシウスは憔悴しきった息子の様子を見て、打ちのめされていた。
守らなければいけなかった。その為に力を尽くしてきたつもりだった。
けれど、彼は死んでしまった。
「……何をしていたんだ、我々は」
過程に意味などない。
守れなかった。
その結果がすべてだ。
「正しさになど、拘るべきではなかった……」
手段を選ばなければ、排斥派の動きを完全に封殺する事も出来た。
けれど、正しくあろうとしてしまった。
「何を言っているんだ、ルシウス。彼はグリンデルバルドと相打ったのだ。我々に出来た事など……」
アーサーは聞かされていない。けれど、ドラコの親であるルシウスは聞かされていた。
ハリーはグリンデルバルドと相打ってなどいない。圧倒して勝利を収めた。死はその後の事であり、手を下したのはドラコだった。
ヴォルデモートやグリンデルバルドを超える驚異たる存在、《死》。その者が猛威を振るい始める前に、要因その物を取り除く。その要因がハリーだった。
まるで、正しい事のように聞こえる。けれど、ドラコは泣いた。今も苦しんでいる。それが正しい事の筈がない。
ルシウスはアーサーから視線を逸らし、魔法省の役人達が座る席を睨みつけた。
何故、ハリーは死を選んだのか? あの勇猛果敢なる英雄が戦う事を避けた理由は何か?
分かり切っている。それが正しい事なのだと刷り込まれていたからだ。
魔法省が彼を何度も殺そうとしたからだ。それが正しい事なのだと確信しながら、彼の心に毒を注ぎ続けて来たからだ。
奴らのせいで、ドラコは苦しんでいる。
「……許さん」
「ルシウス……?」
嘗て、己の不徳でドラコを危険に晒してしまった。あの時、一歩間違えれば死んでいた。
だから、二度と息子が苦しまなくて済むようにルシウスは必死だった。
ハリーを守ろうとしたのも、すべては愛する息子の為だった。
「お、おい! ルシウス!」
ルシウスはアーサーに背を向けたまま遠ざかっていく。
―――― 可哀想に。
声が聞こえてくる。
それが何者のものなのか、不思議と気にならなかった。
―――― 闇に魅入られながら、それでも正道を歩もうとした。それなのに、今また闇に堕ちようとしている。
それでも構わない。愛する我が子の笑顔を取り戻す為ならば、いくらでも穢れてみせよう。
―――― 素晴らしい。
声は言った。
―――― 穢れなさい、ルシウス・マルフォイ。そして、世界を変えるのです。あなたの息子の笑顔の為に。
「……ああ、変えよう。ドラコの為に」
「あなた……」
瞳に狂気を宿していく夫の手を、ナルシッサはそっと握りしめた。
止めるためではない。共に歩むために、彼女も瞳を狂気で彩っていく。
すべては愛する息子の為に……。
◆
葬儀が進行していく。一人ずつ、花を棺の周りに置いていく。
ローゼリンデはコリンに付き添われながら花を置いた。そして、ハリーの亡骸を見た彼女は泣き崩れた。
彼女を慰めながら、必死に堪えていたコリンも泣いた。
連鎖するように、ホグワーツで彼と共に学んだ生徒達は涙を止められなくなった。
それほど、彼らの心にはハリーの存在が鮮烈に焼き付いていたのだ。
その光景は多くの人々の心を揺さぶった。
「……あんな子供を罠にかけたのか?」
死は終焉であり、生は過程だ。
生きている限り、人には無限の可能性がある。
魔法省はその可能性を恐れた。ハリーの持つ規格外の力に、魔王となる可能性を垣間見てしまった。
闇の帝王など歯牙にもかけない最強の魔王。ダンブルドアですら敵わない存在の出現など、認められる筈がなかった。
けれど、終焉を迎えた今、彼の可能性は結末を得た。
「英雄だ」
ヴォルデモートの討伐。秘密の部屋の発見とバジリスクの完全制御。ヒッポグリフレースの考案。特殊個体のホーンテイルとの対決。アズカバンの破壊。ダフネ・グリーングラスとの共同研究によるダリアの水薬の作成。グリンデルバルドの討伐。
一つ一つの逸話が伝説級であり、そして、彼は常に邪悪ではなかった。
「ハリー・ポッターは……、英雄だった」
その言葉にホグワーツの教師陣は暗澹たる気持ちになっていた。
あまりにも遅すぎる。
「……ふざけるな」
セブルス・スネイプは憎悪に身を焦がしていた。
ダンブルドアから受け継いだ校長という役職が辛うじて彼の理性を繋ぎ止めている。
―――― もう、十分に耐えた筈です。
声が聞こえた。
―――― あなたの望みは何ですか?
「……吾輩は」
答えられない。何もかも失ってしまった。もはや、この身に生きる意味などない。
―――― あなたがしたい事は何ですか?
そんなものは無いと言っている。
―――― もはや、耐える必要などありません。
耐えてなどいない。
―――― あなたを押さえつけていたアルバス・ダンブルドアはもういないのです。
関係ない。
―――― 激情を解き放つのです。
「黙れ!」
「ほあっ!?」
スネイプが叫ぶと、様子のおかしい彼の様子を伺っていたシリウスは目を丸くした。
「い、いきなり黙れとは何だ、貴様!」
「……今のは」
声は聞こえなくなっていた。
不思議な声だった。その声が聞こえる事に疑問を抱かなかった。今も、殊更気にする事でもないと考えている。
異常を異常と思えぬ異常。その事に不安を抱く事さえ許されない。
それでも、セブルス・スネイプは嗤った。
「……なるほど、貴様が呑気な顔で居られる理由が分かったぞ、シリウス」
「あん?」
スネイプはシリウスを睨みつけた。ハリーの死の報せを聞いた直後こそ、誰よりも取り乱した男。ところが、一夜過ぎてみればケロリとした表情を浮かべ、ハリーの葬儀に堂々と出席している。
その事に対しては奇妙だと感じる事が出来た。
「終わっていないのだな?」
干からびた心に僅かな活力が戻る。
「ああ、終わる筈がない。彼はハリー・ポッターだからな」
第百十四話『終わりの始まり』
ハリーの死は多くの人の心に陰を落とした。
その声は、彼らの心の陰を利用する。それは正しき事ではないと理解しながら、必要な事だと確信している。
ロウェナ・レイブンクロー。《死》と呼ばれる古の魔女。彼女こそ、マクゴナガルやルシウスに語りかけた声の正体だ。
「正しき道を歩む者も、悪しき道を歩む者も、己で歩む道を見定めた者達は等しく新世界の礎と成り得る」
セブルス・スネイプやシリウス・ブラック、コリン・クリービーには《言葉》を跳ね除けられたが、構わない。
むしろ、自らの意志を強固に持つ事こそ、最も重要なのだ。自らの意志を持たない者には欠片の価値も存在しない。
選別は既に始まっている。連日降り注ぐ雨は彼女の魔法だ。
その魔法の名は――――、《血の呪い》。
千年に渡り、魔法界を脅かし続けて来た呪詛だ。
ダフネ・グリーングラスによって特効薬が生み出されたが、主成分がバジリスクの毒である以上、量産するにも限度がある。今現在、地球全体に降り注いでいる呪詛をすべて解除する事など、到底不可能だ。
加えて、千年の間に血の呪いも進化を遂げている。より効率的に、より効果的に、人類を間引く為に。
人類にとっての不幸は、各国の魔法省がダンブルドアとハリーの葬儀に出席する為に多くの人員を割いてしまった事だろう。それにより、事態に気づくのが遅れてしまい、対抗策を打ち出す為の会議の進行も遅れてしまった。
その間に、
心身の弱い者が淘汰されたのだ。
「礎となる事さえ出来ない欠陥品など、新世界には不要」
進化した血の呪いは感染者の全身を駆け巡り、発症した者は骨も残らない。細胞一つ一つを朽ちらせる。
道を歩いていた人が突如塵となる現象にマグル達は騒然となり、それが世界中で同時に起きている事に気づいた時、人々の心は恐怖に包まれる。そして、一日目を乗り越えた人々に血の呪いは再び牙を剥く。
「塵は塵に還り、世界は生まれ変わる」
優しくて、穏やかで、慈愛に満ちた笑顔で彼女は言う。
「人類の明るい未来を創りましょう」