一日目、心弱き者達が淘汰された。
二日目、死の恐怖に心を折られた者達が淘汰された。
三日目にして、人類は気づく事になる。
これは全人類に対する宣戦布告である。
世界大戦が終結した年の総人口は約25億人だった。1994年現在の総人口は56億人。その差はおよそ30億人。その数字こそ、人類が50年の間に得られた繁栄の証だ。だが今、血の呪いによって世界の総人口は50年前と等しくなりつつある。これは人類の繁栄の否定に他ならない。
日毎に億を超える人間が死んでいく。史上類を見ない大量殺戮に対して、全世界の魔法省が《死》を《全人類の敵》と定義して、共同戦線を張る決意を固めた。
今、イギリス魔法省のウィゼンガモット法廷には世界中の魔法大臣が集まっている。彼らの他にも各国の
「ミスタ・スクリムジョール」
アメリカ魔法省大臣のエマ・スチュワートは鋭い眼光をスクリムジョールに向けた。
「何故、イギリス魔法省大臣のコーネリウス・ファッジがいないのですか?」
「……大臣は急病の為、欠席している」
「魔法で治癒出来ぬ難病を患っていると?」
苛ついた表情を浮かべるエマにスクリムジョールは深く息を吐いた。
「わたしは大臣から全権を委任されている。わたしの意志がイギリス魔法省全体の意志だ」
「……この状況で大臣が逃げ出すとは、さすがですね」
エマは侮蔑の眼差しをスクリムジョールに向けた。
「どういう意味かね?」
「さすがはグリンデルバルド、ヴォルデモート、そして、今回の《死》を生み出した国だと称賛しているのですよ。世界に災厄を齎す事において、イギリス魔法界に並ぶ国はありませんわ」
その痛烈な皮肉に対して、スクリムジョールは深く息を吐いた。
「否定はしない。だが、状況は差し迫っている。我が国に対する糾弾は世界を救った後にしてもらいたい」
彼の言葉にエマは険しい表情を浮かべたが、マグルの大統領が彼女を窘めた。
「ミセス・スチュワート。この場はイギリス魔法省を糾弾する為の場なのかね?」
エマは大統領を睨みつけると、「いいえ」と配られた資料に視線を落として沈黙した。
「さて、状況は最悪だ。このままでは人類が滅亡する。防ぐ為にはどうすればいい? 何が必要だ? さあ、議論を始めようではないか!」
大統領の言葉に場の空気が切り替わる。この場に彼をマグル風情と侮る者はいない。
世界最大の国家の頂点に君臨する男。そのカリスマ性は瞬く間に法廷を支配した。
「まず、敵を知る事から始めるべきではないかね?」
ロシア連邦の大統領が資料を叩きながら言った。
「残念ながら、資料に記されている以上の情報は我々にも……」
「分かっているとも。我が国の魔法族が集めた情報と照らし合わせてみたが、ここに載っている以上の情報はなかった。だが、情報は情報のままで意味がない。この紙束に記されている内容から分かる事は《死》と呼ばれる存在が如何に理不尽な存在であるか、その点のみだ。実体が全く掴めない。これでは戦う以前の問題だ。違うかね?」
スクリムジョールは「ごもっとも」と応える他なかった。
精々が数千を取り纏める立場のスクリムジョールにとって、二人の大統領が持つ覇気はアルバス・ダンブルドアにも匹敵するのではないかと感じる程だった。
「最初の議論はそれだな。我々は魔法の存在を知っているに過ぎない。識っている諸君ら専門家に議論を進めてもらいたい。構わないかね?」
「もちろんですわ、大統領閣下」
アメリカ大統領の言葉にエマは恭しく頷いた。イギリスの首相はそんな二人の関係に羨望の眼差しを向けている。彼にとって、魔法族は圧倒的な強者であり、双方の関係は決して対等と言えるものではなかった。
ロシア連邦、中華人民共和国、ドイツ連邦共和国、オーストラリア連邦も首脳同士が対等に語り合いながら議論に参加していた。
「……首相殿」
スクリムジョールも彼らの在り方に思う所があったのだろう。マグルであるイギリス首相にすまなそうな表情を向けた。
「我々はもっと歩み寄るべきかもしれませんな」
「……ええ、そうですね」
僅かな変化を伴いながら今、世界を救う為の議論が始まろうとしている。
第百十五話『君を想う』
ハリ―が死んだ。
「わたしのせい……?」
ドラコは《死》による要らぬ犠牲を生み出さない為に自ら命を断つ決断を下したと言っていた。だけど、それはあまりにもハリーらしくない選択だ。
そのらしくない選択をさせてしまった元凶は?
魔法省が彼に死を迫ったから? 《死》があまりにも強大な存在だから?
その程度の事で彼が揺らぐ筈がない。揺らいだのだとしたら、それはきっと……、
「なんで、ちゃんと言わなかったの?」
誰かに対しての問い掛けではない。わたし自身に対する問い掛けだ。
「あなたは悪くないって、なんで言わなかったのよ!?」
彼の前で泣いてしまった。彼の前でニコラス先生に対する想いを叫んでしまった。彼を裁いてすらあげなかった。
あんなの、責め立てるよりもたちが悪い。わたしの態度はより深い罪悪感を彼に味わわせた。
「わたし……」
青褪めた。あの時、彼に対して一切の憎しみを抱かなかったとは言えない。
むしろ、わたしは……、
「……わたしだ」
彼の心を傷つけた。
彼だって、先生の事が好きだった。それなのに、彼を思い遣ってあげる事が出来なかった。
「ハリー……」
ハリーを殺したのはわたしだ。
その苦痛は想像を絶する。そして、気づいた。彼もこの苦痛を味わっていたのだ。
謝りたい。許してほしい。裁いてほしい。死にたい。
そんな考えが頭の中を駆け巡っている。
もし、この状況で自らの死を正当化出来るなら、迷わずに飛びついてしまいそうだ。
「ごめんなさい……。ごめんなさい……、ハリー」
―――― ……。
何か、声が聞こえた気がした。けれど、その声はあまりにも遠くて、すぐに聞こえなくなった。
「今のは……」
空耳だったのだろう。気にしても仕方がない。
わたしは出かける準備を始めた。これから、ハリーの葬儀が始まる。
欠席するなんて許されない。わたしは他の誰よりも彼の死をまっすぐに受け止めなければいけない。
■
ハリーとダンブルドアの葬儀は長時間に渡った。なにしろ、参列者の数が尋常ではない。
イギリス全土の魔法使いはもちろんの事、海外からも二人の死を悼む人々が大勢押し寄せて来て、二人の棺に花を飾っていく。
わたしはその光景をドラコの隣で見つめていた。彼は憔悴し切っていて、アステリアが寄り添っている。
やがて、式の締めくくりとしてハリーの恋人が花を飾る為に席を立った。
「……え?」
まるで、それが当然の事のように、誰もが彼女の歩みを見つめている。中には彼女を励ましている者の姿もある。
金色の髪の美しい少女。わたしの知らない女の子が、ハリーの恋人としてハリーの遺体の前に立っている。
「……ハリー」
声を震わせながら、彼女はハリーと築いてきたらしい思い出を語り始めた。
「……覚えてる? 最初に会った日の事……。わ、わたし達、最初は対抗心ばっかり燃やしてたよね……」
あまりにも異質な光景だった。
わたしだって、ハリーの交友関係を完璧に識っているわけではない。だけど、彼の恋人が誰かは識っている。彼女にエールを送った事もあるのだ。
ハーマイオニー・グレンジャー。彼女こそ、ハリーにとっての運命の相手だ。ハリーが彼女以外を選ぶなんてありえない。そう思えるくらい、ハリーは彼女にぞっこんで、彼女もハリーにぞっこんだった。
そもそも、あのハリーの恋人と
少なくとも、ホグワーツで一緒に過ごしていたみんなは分かっている筈だ。それなのに、誰一人違和感を感じている様子がない。彼女がハリーの恋人だと信じ切っている。
葬儀が終わると、わたしはそっと彼女に近づいた。彼女はロンと話している。聞き耳を立ててみると、やはり彼女が突然のイメチェンを決めたハーマイオニーという可能性は消えた。そもそも、名前が違う。彼女の名前はレベッカ・ストーンズだ。背格好は似ているけれど、それだけだ。
「ん? ダフネ? どうしたの?」
気づかれてしまった。わたしは必死に表情を取り繕った。
「えっと、あなたの事が心配で……」
「ありがとう。でも、大丈夫だよ……。くよくよしてたら、ハリーに怒られちゃうもん」
健気だと感じたのだろう。ロンは鼻をすすりながら彼女を元気づけるための言葉を考えている。
「……何かあったら言ってね。力になるわ」
「ありがとう!」
わたしは彼女から離れると、スリザリン寮へ戻る列からも外れてニコラス先生の研究室に向かった。
■
中に入ると、そこは以前入った時のままだった。荒らされた様子もなく、今でも先生がそこにいるように錯覚してしまいそうになるほど、何も変わっていなかった。
きっと、この部屋が先生の魔法で異界化している為だろう。異国の魔法を幾つも重ねた規格外の魔法が敷き詰められていて、迂闊に手を出せないのだ。
「……先生」
わたしだけがレベッカの存在に違和感を持てている理由。
わたしにあって、他の人にないもの。
決まっている。答えは一つだ。
「先生……」
あの日、あの時、死を願ったわたしに発動した先生の魔法。
強力な守護と治癒の呪文がわたしを包み込んだ。
てっきり、あの魔法はあの場だけで、効果はとっくに消えているものと考えていた。
だけど、それは違った。
ニコラス・ミラー。その正体はヴォルデモート卿。史上最悪の闇の魔法使い。
数え切れない程の罪を犯し、数え切れない程の不幸を生み出し、数え切れない程の死を齎した。
嗜虐と簒奪こそ、彼の本質。
そんな彼が、自分の在り方を曲げてまでも全身全霊を掛けて構築した一人の少女を守る為の魔法。
その効力は一時的なものなどではなかった。
《死》に気づかれぬ程に密やかに、《死》の悪意すら払い除ける究極の守り。
それは、《この少女に永久なる安息を》と望んだ彼の想いの結晶。
その効果は今も続いている。恐らくは、ダフネ・グリーングラスという少女が天寿を全うするその日まで――――。
「……先生、わたしに勇気を下さい」
返事など返ってくる筈がない。
分かっている。
だけど、錯覚だと分かっているけど、彼が背中を押してくれた気がした。
レベッカの存在が《死》によるものならば、まだ何も終わっていないという事だ。
終わっていないという事は、ハリーの死もわたしの考えている以上の理由があってのものかもしれない。
それでも、わたしが彼を傷つけた事には変わりない。
だからこそ、わたしは彼の為に戦わなければいけない。
「ハーマイオニー」
レベッカに立場を奪われた少女の顔を脳裏に浮かべる。
まず間違いなく、彼女は危機にひんしている。
「必ず助けるわ!」
敵は強大だ。だけど、勇気をもって立ち向かう。
それはホグワーツで学ぶ間にハリーから教わった事だ。
「……でも、一人で出来る事なんてたかが知れている」
せめて、あと一人、協力者がいる。
わたしは一縷の望みにかけて、図書室へ向かった。
この状況でも、ハリーと最も近い距離にいた人達なら違和感を感じているかもしれない。ドラコやローゼリンデは憔悴し切っているけれど、葬儀の時、一人だけまっすぐに前を向きながら献花していた少年がいた。
図書室に入ると、幸運にも彼はそこにいた。熱心に羊皮紙の束を読み耽っていた。