ドラコ・マルフォイは闇の中を彷徨っていた。
親友を殺害した。例え、それが本人の望んだ事であっても、彼の心には大きな傷跡が残った。
いつだったか、占い学の授業でハリーと互いのティーカップを交換して未来を読み合った。
―――― 最も信頼している者に最も残酷な事をする。
それがドラコの読んだハリーの未来。その未来は現実となった。
「……ハリー」
瞼を閉じれば蘇る。ハリーと過ごして来た日々。他の誰よりも近くにいた。楽しい事、悲しい事、苦しい事、すべてを分かち合ってきた。
家族を救われ、自身も救われ、報いたいと想い続けて来た。
助けたかった。守りたかった。彼に生きていて欲しかった。
「君一人に死を押し付けて、どうして、僕が生きていけると思ったんだ?」
ハリーは死んだ。
ロウェナの件だけなら、あれがハリーの策略の一つであり、いずれ復活する腹積もりなのだろうと考える事も出来た。けれど、ヴォルデモートの件がこの考えを否定する。
他の誰にも話していない。ドラコとスクリムジョール。この二人以外、誰も知らない事実。ハリーの中でヴォルデモートが完全復活を遂げていて、ハリーの肉体を奪おうとしていた。
策略なんてない。復活する事もない。ハリーが死を選んだ理由は、他の手立てを考える時間すら無かった為だ。
「だが、君は死んでいない」
部屋に男が入って来た。
「……忙しいのでは?」
「ああ、忙しい。今も各国の首相達と会議の真っ最中だ。すぐに戻らなければならない」
ルーファス・スクリムジョールはドラコに近づいていく。
「生きている理由は一つだ。まだ、役目が残っている。その事を自覚しているからだろう?」
「……僕なんて」
「ハリー・ポッターの親友であり、彼が最も信頼する男よ。未成年の少年に対して、あまりにも酷な事を要求している自覚はある。だが、それでも君には立ち上がってもらう必要がある。戦いはまだ、終わっていない!」
その言葉にドラコは歯を食いしばった。
ハリーが己の死をもって止めようとした《破滅的な闘争》。それが終わっていない。
「まだ、公表していない。いや、公表する事は出来ない。《死》は全世界に対して、言葉無き宣戦布告を行った。既に全人口の半数以上が死滅している」
「……は?」
あまりの内容にドラコは言葉を失った。
「言いたい事は分かる。既に手遅れなほどの被害が発生している。だが、このまま手を拱いていては数日中に人類が滅亡してしまうのだ」
「……おい、待てよ。なんだよ、それ。人類の半数!? ウソだろ!?」
思わず立ち上がって叫ぶドラコにスクリムジョールは暗い表情を浮かべている。
「事実だ。気づいたのは数時間前であり、全世界に魔法による雨雲が発生し、その雨中に《血の呪い》が含有されている事が判明した。《ダリアの水薬》による治療は可能だが、まったく足りていない。おまけに、この状況でマグルが魔法界の存在に気づき始め、各地で暴動が起こり始めている」
「待ってくれ! どういう事だ!? あまりにも急過ぎる! 血の呪いの雨にマグルの暴動!? なんで、そんな……」
「どちらも《死》の攻撃だ。情けない話だが、対応が全く追いついていない」
「なっ……」
ドラコはスクリムジョールの頭がおかしくなったのかと思った。
「なら、なんでここにいるんだ!? こんなところで油を売っている場合じゃないだろ!?」
「油など売っていない。世界を救う為に必要な事をしている」
「……何を言っているのか分からない」
ここに世界を救う鍵があるなんて、ドラコには到底思えなかった。
けれど、スクリムジョールは確信に満ちた眼差しを彼に向けている。
「ドラコ・マルフォイ。君の力が必要だ」
「僕の力……?」
何を言っているのか理解出来なかった。
友達を守る事も出来なかった自分に一体何が出来るというのか、ドラコにはさっぱり分からなかった。
「君は君が思っている以上に優れている。あの時……、ヴォルデモートが競技場を悪霊の火で包囲した時、君は誰よりも先にフィニートを発動した。勇敢で行動力がある」
その言葉に、ドラコは思わず笑ってしまった。
これまで、何も成し遂げる事が出来なかった。所詮、ハリーの後ろを追いかけていただけだ。
勇敢でも無ければ、行動力があるわけでも無い。
「……僕に出来る事なんて、何もないよ」
「そうか……」
スクリムジョールはドラコに背を向けた。
「もう少し時間が掛かるようだな。だが、あまりのんびりもしていられない状況だ。待っているぞ」
「いや、だから……」
そのまま、スクリムジョールは部屋を去って行った。その勝手な振る舞いは、どこかハリーに似ている気がした。
「……僕は」
第百十八話『解放』
人一人が世界に及ぼす影響力など高が知れている。そう考える者がいる。けれど、それは間違いである。
権力者でなくても、億万長者でなくても、俳優でなくても、その人が居なくなる事で悲しむ人がいる。その人がしていた仕事が一時的に停滞する。その人が買う筈だった物が売れなくなる。それは小さな変化かもしれない。だけど、それは確かな変化である。
全人口の半数の消失。それは無数の変化を巻き起こした。変化と変化が連鎖する事で指数関数的に増加していく変化の波は世界を覆い尽くす。
親を、伴侶を、恋人を、子供を、友を失った人間の心には大きな傷跡が残る。その傷跡から流れ落ちるものは血液などではなく、憤怒と憎悪。積み重ねられた負の感情は人々を闘争に駆り立てていく。
各地で巻き起こる暴動は歯止めが掛からなくなっている。そして、この状況を更に扇動する者も現れ始めていた。武器や麻薬の商人達が暗躍し、地獄は更なる地獄へ変貌していく。
呪いの雨が降り始めて四日目。
人類は自らの意志で更にその数を減らし、そして、更に憎悪を深めていく。憎悪はそれぞれの国の内側だけに収まらなくなり、やがて外へ飛び出していく。
◆
「まず、掴むべきは目的だ」
ドイツ魔法省の魔法大臣アダム・ヴァイツが言った。
「《偉大なる王》を求める。これでは漠然とし過ぎている」
「ハリー・ポッターが《偉大なる王》だった。それならば彼の死によって《死》も止まる筈だったのでは?」
「止まっていない現状が考えるに、この《偉大なる王》という目的がそもそも誤りという事になるのでは?」
「《死》がロウェナ・レイブンクローというのも眉唾に過ぎませんか?」
「今更、《死》の正体から洗い始めていては時間が足りなくなるぞ!」
「バカを言うな! 誤った情報で議論を進めても意味がない。間違っていたでは済まない案件だぞ!」
「しかし、こうしている間にも事態は悪い方向に転がり続けている。悠長に構えている時間が無いのは事実ですぞ!」
議論はすぐに停滞してしまった。あまりにも敵の正体が謎に包まれ過ぎている為だ。
情報が不足している。その事を誰もが痛感していた。
「ミスター・スクリムジョール。ゲラート・グリンデルバルドをここへ連れて来てくれないか?」
このままでは埒が明かないと、合衆国大統領は言った。
「いや、それは……」
スクリムジョールは表情を曇らせた。
現状を動かす為には情報が必要であり、それを得る手段は一つしか無い。それは分かっている。
けれど……、
「君の気持ちは分かっているとも、ミスター。犯罪者の手を借りる事は司法の正義に反する行いだ。だが、今回のような事態において、正義に拘る事は必ずしも正しい事ではない」
「……正義に拘っているわけではありません。ただ、危険なのです」
「リスクを背負わずして勝てる相手なのかね?」
ロシアの首相の言葉にスクリムジョールは言葉を窮した。
「勇気を出すんだ、ミスター。世界の為に」
勇気。その言葉はスクリムジョールの心を揺さぶった。
この期に及んで、恐れていた。ハリー・ポッターの勇気を目の当たりにしておきながら、ドラコ・マルフォイの勇気を目の当たりにしながら、勇気を持てていなかった。
その事実にスクリムジョールは激しい怒りを抱いた。
「……決断が遅くなり、申し訳ありません。今、ゲラート・グリンデルバルドを連れて参ります」
「ありがとう。君の勇気に感謝するよ」
合衆国大統領の言葉にスクリムジョールは深く頷いた。
会議室より退出すると、スクリムジョールはすぐにホグワーツへ向かった。アズカバンがハリーに消滅させられ、ヌルメンガードからの脱獄歴のあるグリンデルバルドを収監しておける設備が他に無かった為、現在も彼はホグワーツの地下牢に閉じ込められている。
地下牢に向かう前に彼はスリザリンの寮を訪ねた。何故訪ねたのか、彼自身にも計りかねている。もしかすると、蹲っている彼の姿が自分と重なったのかもしれない。
グリンデルバルドの解放はリスクと同時に停滞した状況を一歩前に進める事が出来る。
その時、彼の力は大きな助けとなってくれる。そんな気がした。
「……ック」
スクリムジョールは邪悪に嗤う。
「わたしは地獄に堕ちる」
邪悪を解き放ち、子供を戦わせ、子供を死なせる。
これを正義などとは言わない。むしろ、これは悪だ。
「勇気などではない。そんな言葉は相応しくない」
勇気とは、正義と共にある。
邪悪と共にある言葉、それは悪意だ。
「ああ、それで構わない」
悪意を持って、悪を挫く。それでいい。
覚悟を決めて、スクリムジョールは地下牢の扉を開いた。
「……ああ、待っていたよ」
ゲラート・グリンデルバルド。最悪の闇の魔法使いは牢獄の中でありながら、寛いだ様子でスクリムジョールを出迎えた。
「出ろ。世界を救え。そして、死ね」
「ああ、素晴らしい。漸く、覚悟を決めたのだな、ルーファス・スクリムジョールよ」
薬物と呪詛による憔悴も見せず、グリンデルバルドは立ち上がった。
「友よ。ああ、共に世界を救おうではないか」