ロウェナ・レイブンクロー。彼女を指して、ゲラート・グリンデルバルドは《夢見る乙女》と評した。それは正しい見解だ。
彼女は幼子の如く純粋であり、一欠片の悪意も抱いた事はない。
世界を救いたい。誰もが笑っていられる世界にしたい。誰に対しても優しい世界がほしい。
それが彼女の祈りであり、目的だ。
『母……、ロウェナは目的の為に手段を選びません。人として、決して踏み越えてはいけない一線を平然と踏み越える事が出来ました』
ロウェナの娘であり、レイブンクロー寮のゴーストである《
『そういう事が出来るように、自分自身の心を作り変えたのです』
「作り変えた!?」
「自分の心を!?」
スリザリンのダフネ・グリーングラスとグリフィンドールのコリン・クリービーは目を丸くした。
あまりにも常軌を逸した行動だと、信じられない気持ちでいっぱいだった。
『わたくしも全てを識っているわけではありません。この事はサラザールから聞いたのです。彼は言いました。【君の母上は、本心では君を愛している。当然だ。君は大切な愛娘なのだから】。だけど、あの頃のわたくしは彼の言葉を信じ切る事が出来なかった。だから……、愚かにも母の関心を得る為に……』
悲しげに顔を伏せるヘレナ。けれど、すぐにハッとした表情を浮かべて首を横に振る。
話すつもりでは無かった。それなのに、つい漏らしてしまった。
ゴーストは生前と比べると感情の起伏が虚ろとなる。それでも、母親の事は無意識を表出させるほどの衝動を彼女に与えた。
「大丈夫だよ。ヘレナ。大丈夫」
彼女の事情を識っているルーナは慰めるように言った。
『……すみません、話を続けますね』
彼女は数秒の間、瞼を閉ざした。そして、再び口を開いた。
『母の理想の為に多くの子供達が死にました。レベッカ。アビゲイル。フレンダ。アレン。オリマー。ヒルデ。サニー。アルベルト……。彼らは母の理想を信じ、その為に死んだ。死が積み重ねられる度、母の心は引き裂かれていったそうです。やがて、己に失望した母は二つの選択肢の中で揺らいでいました』
「……立ち止まるか、進むか」
ドラコ・マルフォイの言葉にヘレナは頷いた。
『死を求めるようになった母を盟友であるヘルガ・ハッフルパフが励ましたそうです。そして、母は歩み続ける事を選んだ。これまでの犠牲とこれからの犠牲を無駄にしない為に二度と立ち止まる事のないよう、自分を作り変えて……』
その時に
『ドラコ・マルフォイ。わたくしは母を止める術を知りません。そんな方法が存在するかも分からない。だから、これは単なる可能性の話です』
ヘレナは言った。
『母に本来の自分を取り戻させるのです。そんな事が可能だったなら、もしかしたら止められるかもしれない』
「……自分を作り変えた。その方法を識る事が出来れば……」
ドラコの言葉に、ヘレナは少し考えてから言った。
『地下牢の傍に秘められし通路があります。そこにサラザールの肖像画が隠されている。彼ならば、あるいは……』
「サラザール・スリザリンの!? たしかに、彼ならば……」
ドラコはダフネやコリンと頷きあった。
「ありがとう、ヘレナ。おかげで一歩前進出来た!」
感謝の言葉を告げると、ドラコはすぐさま地下牢に向かって駆け出した。
その背中をヘレナはジッと見つめていた。
そして……、
『……お母様を助けて』
第百二十四話『ロウェナとロン』
僕を助けてくれた女の子は自分の事をロウェナと名乗った。ちょっと不吉な名前だと思った。
だけど、まさか彼女がロウェナ・レイブンクローの筈がない。見た事ないし、よく知らないけど、諸悪の根源でメチャクチャ恐ろしい存在らしいから、こんなに可愛い女の子な筈がない!
恐らく、彼女は魔法使いだ。古めかしいけど、マグルのようなヘンテコな服を着ていない。
「……なるほどね。気がついたら、あの場所に立っていたと」
彼女は僕の話をすんなりと信じてくれた。瞳や口を見れば嘘が分かるらしい。よく分からないけど凄い特技だ。僕も真似してみたけど全く見分けられなかった。
「いくつか質問するわね」
彼女の質問は多岐にわたった。出身地、移動する前の場所、移動する前の時間、日付、家族、魔法使いについてなどなど。魔法使いなのに魔法使いについて聞いてくるのは不思議だったけど、とりあえず答えておいた。
「……ふむふむ。ふむふむ……、ふむ?」
なんだか難しい顔をしている。
「すごく先進的な概念を識っている。それなのに、妙な部分が無知。かと思えば……」
「ど、どうしたの?」
「……いや、君と言葉が通じているのが不思議で」
「それ、僕の事馬鹿にしてるの!?」
「え? ち、違うよ!」
ロウェナは慌てたように言った。
「そうじゃなくて、君とわたしの言葉は同一ではない筈なのよ。魔法がどういうものか、わたしも完全に理解しているわけではないけど、多分、君は時間を遡っている。もしくは、それに似た現象に巻き込まれているのよ」
「時間を!? それって、どういう事!? ありえないでしょ!?」
これでもハリー達に影響されて、それなりに勉強を頑張っている。だから、《
だから、いきなり時間を逆行する事なんてありえない。そう言うと、彼女は考え込み始めた。
「……仮説だったんだけど、実際に可能なのね。でも、やっぱり言葉が通じる説明にならない」
しばらくして、彼女はなにかに気付いたように僕を見た。
「な、なに?」
「ねえ、君にはこの世界がどう映ってるの?」
「へ?」
それからロウェナはさっきよりも一層奇妙な質問を重ねていった。
道行く人々の顔。足元の草花。雲の動き、星の輝き。何の意味があるのかちっとも分からない。
とりあえず素直に答えてみると、ロウェナはパンと手を叩いた。
「あなた、夢を見ているわね」
「……はい?」
意味が分からない。
「夢よ。夢! これはあなたの夢なのよ!」
「……君は何を言っているんだ?」
可哀想に……。
考えすぎて頭がおかしくなったのかもしれない。
「哀れみの目を向けないで!」
もーっと怒るロウェナはすごく可愛かった。
「……言い方を変えるわ。あなたは何者かの魔法の影響下にある。この状況はその魔法によるものよ。目的は多分……、わたしとあなたを接触させる事ね」
「……つまり、どういう事?」
「そのままの意味よ。君、未来のわたしと何か関係しているみたいね。恐らく、あまり良くない関係。だけど、理解を深める必要がある。関係の改善? あるいは、他の……。ただ、君に魔法を掛けている者に悪意は無いと思う。しかし、完全な善意とも言い難い……」
「……なんで、そんな事分かるの?」
僕が彼女に伝えた事なんて、ほんの僅かなものだ。それなのに僕が魔法を掛けられている事や、その魔法を使った相手の事まで把握するなんて尋常じゃない。
頭がいい人間を僕は何人も識っている。だけど、彼女はその中でも規格外だ。
「あなたの言動。あなたの知覚。魔法の可能性。この世界の未来。この状況。それらを吟味すればこの程度の事は分かるわよ」
いや、それはおかしいと思う。
「す、凄いね」
「エヘヘ」
照れたように笑う彼女を見て、僕は細かい事を気にするのはやめた。
「と・に・か・く! この夢を見せた魔法使いの目的を達成させてあげれば、君は元の世界に戻れる筈よ」
「そうなんだ! でも、どうすればいいのかな?」
「簡単よ」
「そうなの?」
「うん!」
ロウェナは僕の手を掴んだ。
「一緒に遊びましょ!」
「よく分からないけど、分かった!」
僕はロウェナと一緒に彼女の家を飛び出した。