【完結】ハリー・ポッターは邪悪に嗤う   作:冬月之雪猫

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第百二十七話『ベールの彼方から』

 ホグワーツの地下深く、そこに彼女はいた。

 

「……外はどうなっているの?」

「想定の範囲内に収まっている。気にするな」

 

 エグレの言葉に眉を顰めた。

 

「マーキュリー……」

「申し訳ありません」

 

 屋敷しもべ妖精のマーキュリーまで口を閉ざしている。ウォッチャーやフィリウスに聞いても同じ事だろう。

 想定の範囲内だと、エグレは言った。けれど、ちっとも安心出来ない。

 彼女にとっては外の人類が絶滅していても想定内なのだ。

 

「……安心しろ。ホグワーツは無事だ。それに、各国の軍が動ける程度の体力は残っている」

「軍って……。なら、本当に第三次世界大戦なの?」

「これ以上は話さないぞ。貴様は身重なのだ。あまり心を揺らすな」

「……無茶言わないでよ」

 

 お腹を擦る。まだ、目に見える変化はない。けれど、ここには確かに命が宿っている。

 ハリーの子供だ。エグレやマーキュリー達にとって、ハリーは神の如き存在。そして、この子は正しく神の子だ。

 ハリーが不在の今、彼女達はこの子の命を護る為に全力を尽くしている。情報統制もその内の一つだ。わたしがストレスを感じて流産してしまう可能性を恐れている。人間のように見えても種族の異なる彼女達にとって、人間の出産は未知のものであり、笑い飛ばせそうなほどに僅かな可能性だろうと無視出来ないのだろう。

 

「あっ」

「え?」

 

 突然、エグレが間の抜けた声を発した。

 

「ど、どうされたのですか?」

 

 マーキュリーも動揺している。

 

「ゴスペルが消えた」

 

 彼女の言葉にわたし達は歓喜の笑みを浮かべた。

 

 第百二十七話『ベールの彼方から』

 

 目の前に掲げた筈の掌さえ見えない霧の中を歩いている。

 

「おい、二人共! 居るのか!?」

 

 ハリーが叫ぶ。

 

「いる! だから、振り返るな!」

「そうじゃ、ハリー! 振り向いてはならぬ!」

 

 トムとダンブルドアが叫ぶ。

 

「わかっている!」

 

 ギリシャの神話に登場する吟遊詩人オルフェウスの物語をはじめ、世界中の民話や伝承にも黄泉路で振り返る事は禁忌(タブー)とされている。

 その理由を三人は肌で実感していた。

 常に背後から覗かれているような気配がある。後ろに引っ張られる感覚がある。

 霧で前が見えない事に不安を覚え、三人で再会したキングス・クロス駅の空間に戻りたくなる。

 その耐え難い誘惑に乗った瞬間、取り返しのつかない事になる。

 それは数々の戦いの中で生と死を間近に感じてきた三人だからこその直感だった。

 

「恐怖に抗うのじゃ! お主等なら出来よう!」

「貴様こそ、怖気づくなよ!」

「ッハ! 恐怖を乗り越えてこそ、生を掴み取れるんだ!」

 

 歩く。

 

 歩く。

 

 歩く。

 

 一体、どれほどの時間を歩いたのだろう。いつしか、二人の声が聞こえなくなった。気配も感じ取る事が出来ない。

 不安と恐怖がのしかかってくる。

 瞼を開いているのか、閉じているのかも分からない。

 音がないのか、耳が機能していないのか、それすら分からない。

 体を動かしている感覚も分からなくなった。

 自分という存在が希薄になっていく。白の中に溶けていく。

 

 ああ、そうか……。

 

 この霧は魂の集まりだ。そして、ハリーも魂の状態だ。

 川に水を注げばどうなるか? 答えは分かりきっている。水は川の一部となり果てる。

 集合無意識。魂の至る場所。輪廻。天国。地獄。混沌。冥界。

 ここはそうした名で呼ばれる場所だ。黄泉路ではない。ここが黄泉だった。 

 帰るどころか、進んでしまった。

 

 間違えたのか?

 

 ロウェナ・レイブンクローはハリーを偉大なる王にする為に蘇生させなければならない。だから、ハリーの為に現世への道を開く。その道を進む事で蘇生は成る。そう考えていた。

 見通しが甘かったのかもしれない。

 ロウェナはハリーを黄泉帰らせる気など無かったのかもしれない。

 そもそも、彼女に完全なる死からの蘇生など出来なかったのかもしれない。

 ロウェナの思想を理解した気になっていたけれど、その実、何も理解出来ていなかったのかもしれない。

 自分の中から何かが失われていく。欠けていく。

 

 トムはどこだ? ダンブルドアはどこだ?

 一人では無理だ。意志の力だけではどうにもならない。

 ロウェナと遭遇した時と一緒だ。

 勝てない。

 出来ない。

 消えていく……。

 

 救世主様。

 

 声が聞こえた。

 

 助けて下さい……

 

 救世主様……、どうか我らをお救い下さい

 

 我らをどうか、お導き下さい

 

 救世主様!

 

 幾つもの声が重なり合っている。その声に縋り付く。

 聞いているのが耳なのか、それとも脳なのか、あるいは魂そのものなのか、そんな事はどうでもいい。

 声のおかげで自分自身を認識する事が出来た。

 再び歩き始めると、声は更に大きく、そして、多くなっていく。

 

「……なるほどな」

 

 いつの間にか、隣にトムがいた。

 

「これが蘇生か……」

「君にも声が?」

 

 さっきまで一言も喋れなかったのに、自然と声が飛び出した。

 

「……ああ、ダフネの声が聞こえた」

 

 予想とは違った。

 

「あの子が助けを求めていた。わたしの中のニコラスが反応して、自我を取り戻した。まったく……」

 

 呆れているのか、照れているのか、微妙に判断が難しい。

 

「わしはグリンデルバルドの声じゃった」

 

 ダンブルドアもいつの間にか隣にいた。

 

「どうやら、生者の呼び声が鍵だったようじゃな」

「そのようだな」

「……サラザールの言っていた言葉の意味が漸く分かった」

「サラザールの?」

 

 ハリーはサラザールの言葉を口にした。

 

「『生きる理由こそ、魔法使いにとっての寿命』。彼は《死》を停滞と定義していた。不死とは歩み続ける事であり、歩み続ける理由を持つ事こそ不死に最も必要なものらしい」

「……なるほど、言葉通りだな」

 

 トムは言った。

 

生きる理由(ダフネの声)が無ければ、あのまま立ち止まっていた。魂の渦に呑み込まれ、死んでいた」

 

 トムは霧の向こうを見つめている。

 

「戻らねばならない」

「そうじゃな」

「ああ」

 

 霧が晴れていく。

 そして、ハリー達は白い光に包まれた道に出た。

 オーロラのようなベールがいくつも靡いている。

 三人は無言のまま進んでいく。

 やがて、大きなアーチが現れた。

 

「これは……!?」

 

 トムが少し驚いたような声を上げた。

 

「行こう」

 

 ダンブルドアが先陣を切る。

 アーチを潜ると、そこは広々としたホールだった。

 

「……現世なのか?」

 

 ハリーが辺りを見回しながら問う。

 

「間違いない。ここは神秘部だ」

「神秘部……? 魔法省の?」

「然様。ここは魔法省じゃよ」

 

 ダンブルドアはくぐり抜けてきたアーチに振り返る。

 

「《死のアーチ》。神秘部が専門で研究しておるものの一つじゃ。くぐり抜けた者は死の世界に招かれる。よもや、その先から出てくる事になろうとは……」

「問題なく受肉しているな。いや、以前よりも無駄が無くなっている。魂という設計図を元に再構築されたのだろうな」

「そう言えば、ダンブルドアもちょっと若返ってるな」

「そうかね?」

 

 魂の時はあまり感じなかったけれど、受肉した今は違和感を覚えるほどにダンブルドアが若い。

 

「五十代前後か? グリンデルバルドとの決戦の頃みたいだぞ」

 

 言われて、ダンブルドアは自分の髭を触った。長かった髭もかなり短くなっている。

 

「なんと! 丹念に育てておった髭が無くなってしまった」

 

 おどける姿はダンブルドアらしい。

 

「まあ、その姿が全盛期って事なんだろうな。とりあえず……、サーペンソーティア」

 

 ハリーはいつの間にか持っていた杖を振った。よく見ると、スリザリンの制服を身に纏っている。これも再構築されたものなのかもしれない。男三人が裸で魔法省を彷徨く羽目にならなくてよかったとハリーは今更ながらに安堵した。

 杖の先から一匹の蛇が飛び出してくる。蛇はハリーを見ると飛び上がった。

 

『あ、あ、相棒!』

 

 ゴスペルだ。ダイアゴン横丁でマクゴナガルが買ってくれたハリーのペット。

 

『ほ、本当に!? 本当に!?』

 

 ハリーはゴスペルを持ち上げた。

 

『ああ、僕だ。待たせたな、ゴスペル』

 

 ハリーはゴスペルをローブの中に招き入れた。そこがゴスペルのいつもの場所だった。寝る時や戦う時以外は常に一緒なのだ。

 

『相棒! オレ様、オレ様、寂しかった!』

『僕もだ! 君が傍に居ないと不安で仕方がなくなる! 愛しているぞ、ゴスペル!』

『相棒!』

 

 ハリーのゴスペルに対する耽溺振りにトムは共感していた。

 

「……サーペンソーティア」

 

 トムも再構築された己の杖から蛇を呼び出した。

 

「ハリー。ナギニだ。わたしの蛇だ。どうだ? 美しいだろ!」

「……た、たしかに!」

 

 トムはドヤった。ハリーは息を呑んだ。ゴスペルは衝撃を受けた。ダンブルドアは吹き出した。

 

『あ、相棒! オ、オレ、オレ、オレ様やエグレというものがありながら!』

『ち、違う! そうじゃない! 僕にとってのNo.1は君だ! 当然じゃないか! その次がエグレだ! か、彼女は……、その……、三番目だ』

『……はん。御主人様がちょっと目移りした程度で慌てふためくなんて、情けない』

 

 せっかくフォローしたのにナギニがゴスペルを煽って来た。

 

『う、うるさい、三番目!』

『どうでもいい。御主人様の唯一無二である事以外に興味などない』

『そ、そんな事言ってるけど、お前の主人はエグレの前の主人だったんだぞ! お前、二番目だぞ!』

『……は?』

 

 ナギニはトムを見た。トムは額から一筋の汗を流した。

 

『ち、違うぞ、ナギニ! わたしの愛はお前だけのものだ!』

『ダフネって人間の女にゾッコンらしいぞ!』

『貴様のペットを黙らせろ、ハリー!』

『ご、御主人様……』

 

 ナギニが悲しげな声をあげる。トムは必死に言い訳をした。その様は浮気がバレた亭主のようだ。ハリーは爆笑した。ダンブルドアはお腹が痛そうだ。ゴスペルは勝ち誇っている。

 そんなやりとりをしていると、不意に炎が現れた。美しい旋律と共に不死鳥のフォークスが現れ、ダンブルドアの肩に止まる。

 

「おお、フォークス。す、すまんのう。ちょっと待ってておくれ。ちょっと、まだ収まらんのじゃ」

「ジジイ! いつまで笑ってんだ!」

「す、すまん」

 

 フォークスは感動の再会なのにトムとナギニのやりとりで爆笑し続けている主人に不満を抱き、そのおでこを突き始めた。

 

「イタッ、イタイ! や、やめておくれ、フォークス」

 

 やめてくれない。かなりご立腹のようだ。

 トムとダンブルドアが必死にペットのご機嫌を取る横でハリーはゴスペルに訪ねた。

 

『ハーマイオニーは元気か?』

『ああ、相棒の嫁さんは今日も元気いっぱいだぜ!』

『そうか!』

 

 ハリーはゴスペルの首に手を伸ばした。そこには密かにニワトコの杖で作っておいた移動キーが括り付けられていた。

 

「おい、トム! ダンブルドア! そろそろ行くぞ!」

「あ、ああ!」

『ほら、ナギニ。とりあえず、小さくなってわたしのローブの中に入っていなさい』

『むぅぅ……』

 

 どうやら、それなりにご機嫌取りが上手くいったようだ。ナギニは小さくなってトムのローブの中へ入っていった。伸縮自在らしい。

 

「フォ、フォークス。お、お主も……」

 

 フォークスの機嫌は直っていなかった。すごい眼光で睨んでいる。ハリーはとばっちりを受けないように顔を逸らした。

 そして、三人と三匹は移動キーによって移動した。ホグワーツの地下深く、秘密の部屋へ。


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