【完結】ハリー・ポッターは邪悪に嗤う   作:冬月之雪猫

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第百二十九話『ボーイ・ミーツ・ガール』

 レベッカ・ストーンズはロウェナ・レイブンクローの分霊である。

 嘗て、ロウェナの教え子だったレベッカとは何の関係もない。それなのにレベッカと名乗っている理由は一つ。彼女はレベッカの死によって生まれた分霊なのだ。

 最初に死亡した教え子。その死によって生まれた分霊。つまり、彼女こそが始まりの分霊であり、ロウェナの人としての心の大部分を注ぎ込まれた存在なのだ。

 ロウェナが彼女をレベッカ・ストーンズとしてホグワーツに潜り込ませた理由は一つ。ハーマイオニー・グレンジャーを護る為だった。

 ハリー・ポッターにとって、彼女の存在は大きい。身に彼の子を宿しているとなれば尚更だ。彼女や赤ん坊の身に何かあれば、ハリーはその時点で偉大なる王ではなく、魔王になってしまう。それ故に彼女は隔離されたままでいてもらう必要があった。幸い、エグレやマーキュリー達が彼女に万全の護りを敷いていた。後は彼女を探そうと考える者を排除すればいい。その為に彼女の立場をレベッカに担わせたのだ。

 生徒に扮するならば、子供のように思考しなければならない。だからこそ、彼女は始まりの分霊をレベッカにした。

 

「ロン!」

 

 オリジナルがしている事を彼女は知っている。

 恐ろしい事だ。悍ましい事だ。酷い事だ。

 分かっている。それでも、彼女は止めない。止まらない。

 

 自らの苦悩など、どうでもいい。

 自らの苦痛など、どうでもいい。

 自らの未来など、どうでもいい。

 

 倫理を捨て、常識を捨て、人間性を捨て、何もかも捨て去った事で得られた解答。

 世界を救う唯一の答え。人類の明るい未来を創造する方法。

 誰に頼まれたわけでもなく、誰からも理解される事なく、否定の言葉だけを浴びながら、世界を壊し、世界を創る。

 それはまさしく悪魔の所業。

 己は間違いなく地獄に堕ちる。永劫の苦痛の中で磨り潰される事になる。

 

「ロン!」

 

 それでも、世界を救いたい。みんなに笑顔でいて欲しい。

 

「レベッカ!」

 

 それなのに……、

 

「おはよう!」

「おはよ!」

 

 どうして、あなたの前に立つと心が揺れるのだろう?

 迷う必要も、迷う資格も、迷う理由も無いのに、どうして?

 グリフィンドールの継承者。どこまでも凡庸で、だけど、すごく優しくて、すごく強い人。

 

「今日、変な夢を見たんだ」

「夢?」

「うん。ロウェナっていう女の子の夢」

 

 息が出来なくなった。

 

「へ……、へぇ、どんな?」

「妙な夢だったよ。夢の中で、これは夢だって言われたんだ」

 

 ロンは欠伸を噛み殺しながら夢の内容を語った。

 

「すごく可愛くて、すごく優しい子だったんだ」

「へ、へぇ」

 

 思っていたものとはかなり違っていて、レベッカの頬はちょっと緩み気味になった。ロンがあまりにも可愛いを連呼し過ぎる為だ。

 彼が夢を見た理由は明白だとレベッカは思った。グリフィンドールの剣だ。あの剣が彼にロウェナの事を教えようとしたに違いない。

 あまり悪い印象は抱かれていないようだけど、どんな夢を見せたのだろう? とても気になった。

 だから、つい開心術を使ってしまった。

 

「……あっ」

 

 それがパンドラの匣を開く行為だと気付いたのは、手遅れになった後だった。

 

 第百二十九話『ボーイ・ミーツ・ガール』

 

 彼女が視たものはロンが夢の中の彼女を変える光景だった。

 

 ―――― 君が誰かの幸せを願うなら……、まずは君が幸せにならなきゃダメだよ!

 

 ロウェナ自身、誰かの為に頑張り過ぎてしまう人に似たような言葉を掛けた事はあった。

 けれど、彼女にその言葉を掛けてくれた人は一人もいなかった。

 おかしいと言われた。間違っていると断じられた。馬鹿げていると嗤われた。

 凄いと褒められた。素晴らしいと賛同された。正しい事だと認められた。

 誰もが彼女の理想に対して言葉を向けた。

 誰も彼女自身に言葉を向けなかった。

 

 彼女は誰よりも賢い。

 彼女は誰よりも優しい。

 彼女は誰よりも強い。

 

 だから、彼女は人間として扱われなかった。

 超越者。神。賢者。救世主。狂人。化け物。傑物。人でなし。

 それが彼女だった。

 

「……わたしは間違っているの?」

 

 それは抱いてはいけない疑問。これまでの道を否定する可能性を生むもの。けれど、理性が働く前に言葉は喉元から飛び出してしまった。

 幸福を知らない者が幸福を祈る。その事に歪さを感じてしまった。

 

「レベッカ……?」

 

 溢れ出す涙と共にレベッカという偽装が剥がれ落ちていく。

 ロンは目を丸くした。金色の髪は黒く染まり、その瞳の色も変わっていく。そこに立っていたのは夢の中で出会った少女だった。

 

「ロウェナ……?」

 

 何が起きたのか分からない。それでもロンは彼女が泣いている事に気付いた。

 

「だ、大丈夫!?」

 

 慌てたようにポケットをひっくり返して薄汚れたハンカチを取り出すと、彼は彼女の目元を拭った。拭ってから、しばらく洗っていなかった事に気付いてしまったという顔をした。狼狽えるロン。そんな彼を見て、彼女は問いかけた。

 

「わたしが怖くないの?」

「へ?」

 

 意味がわからない。そんな顔だった。

 

「いや、びっくりしたけど……。だって、レベッカがいきなりロウェナに……、どうなってるの?」

 

 ロンは混乱している。目の前でいきなりレベッカが別人になってしまった。しかも、夢の中の住民である筈のロウェナに変わった。この状況を冷静に分析して理解する事など彼には出来なかった。

 

「……わたしは分霊なのよ。ハーマイオニー・グレンジャーの存在を隠蔽して護る為に配置されたの」

「ハーマイオニーを隠蔽? 護る?」

 

 ロンがハーマイオニーという名前に違和感を覚えていない事にロウェナは驚いた。

 

「ハーマイオニーを覚えているの!?」

「え? う、うん。いや、同級生の事を忘れるわけないだろ! 僕の事をバカだと思ってない!?」

「えっ!? いや、そうじゃなくて! だったら、どうしてわたしの存在を普通に受け入れていたの!?」

「え? いや、みんなが知ってる風だったし、知らないの僕だけっぽかったから、変だなーって思ったけど、まあ、うん……。あんまり深く考えてなかったよ」

「えぇ……」

 

 ロウェナはあまりにもあんまりなロンの言葉に少し呆れた。

 

「……わたしの魔法の影響を受けなかったのはグリフィンドールの剣の自動防御かしら? まさか、素でボケていたとは見抜けなかったわ……。さすがはロンね」

「バカにしてない?」

 

 ロウェナはそっぽを向いた。

 

「……それにしても、天下の大罪人であるロウェナ・レイブンクローを前にして怯えの一つも見せないなんて、さすがはグリフィンドールの継承者だわ。大した勇気ね」

 

 ロウェナが言うと、ロンは首を傾げた。

 

「ロウェナ・レイブンクロー? え? えっ!? どこにいるの!? まさか、近くにいるの!? ロウェナ・レイブンクローが!?」

「……え?」

 

 ロウェナは辺りをキョロキョロしているロンに恐る恐る問いかけた。

 

「……ロン。わたしの名前を言ってみて」

「ロウェナでしょ!? それより、ロウェナ・レイブンクローはどこ!?」

「ん? ん? ん?」

 

 ロウェナは混乱した。開心術によって、本気でロンが自分以外のロウェナ・レイブンクローを探そうとしている事に気づき、余計に混乱した。まったく理解出来なかった。

 すると、ロンの腰からグリフィンドールの剣が浮かび上がった。

 

「うわっ!? また、魔剣が勝手に! おい、いい加減にしないと本当に捨てるぞ!? 勝手に浮かぶんじゃない!」

 

 ロンはグリフィンドールの剣に説教した。グリフィンドールの剣は高度を下げた。こころなしかシュンとしている。けれど、すぐに気を取り直したように虚空に光の文字を浮かばせ始めた。

 

「また変な芸を覚えた!?」

 

 グリフィンドールの権能を芸扱いするロンにロウェナは顔を引き攣らせ、グリフィンドールの剣も思わず光の文字を刻むのを中断してしまった。

 

「ほ、ほら、ロン。その文字、よーく読んでみて」

「え? 文字? あっ! 文字だ!」

 

 文字だという事にも気付いていなかったようだ。グリフィンドールの剣はガクッと横にぶれた。

 

「えーっと、なになに? うーん。うーん? うーん……」

「ど、どうしたの?」

「いや、光ってて読みにくくて……、全然読めない」

 

 グリフィンドールの剣は光の文字を消すと勢いよく地面を切り裂き始めた。やけくそになったのかと思ったけど、どうやら地面に文字を掘る事に方針転換したようだ。

 

「おい! 校庭を勝手に掘るんじゃない!」

 

 なんと! ロンはグリフィンドールの剣を爆破した。

 吹っ飛ぶグリフィンドールの剣。頑張って書いた文字は地面ごと抉れてしまった。

 

「ちょっと!?」

 

 ロウェナは思わずロンを羽交い締めにした。

 

「お、落ち着いて、ロン!」

「わわっ!? や、やわらか……じゃなくて! だって、アイツ! また悪さしようとしてんだもん!」

 

 爆破されたグリフィンドールの剣はゆっくりと起き上がる。そして、まるでそっぽを向くような素振りを見せると、イライラした様子で近くの石を叩き始めた。また文字を書いているのかと思ったけれど、そうではない。本当に、ただイライラして八つ当たりをしているだけのようだ。

 

「ほ、ほら、何か伝えたい事があるのよ! だから、ね? ちょっと待ってあげようよ!」

「う、うん。ロウェナが言うなら……。あ、あと、その……、背中に……」

「え? あっ」

 

 ロウェナは思いっきり胸をロンの背中に押し付けている事に気付いた。ロンは顔が真っ赤だ。

 

「えい」

 

 ロウェナは胸を押し付けてみた。

 

「なにしてんの!?」

「なんとなく」

 

 反応が面白すぎるのがいけないとロウェナは思った。そうしているとグリフィンドールの剣が漸く戻って来た。そして、その周囲に光を集め始めた。

 

「な、なんだ!?」

 

 しばらくすると、光は人の形になり、やがて、嘗てホグワーツに現れたゴドリック・シャドウの姿になった。

 

「貴様はゴドリック・シャドウ! 野郎! やっぱり碌でもない野郎だったな! この魔剣め! ナメクジ喰らえ!」

「やめろ、ロン! ナメクジ喰らえじゃない! 私は正真正銘のゴドリック・グリフィンドールだ! いずれ来る《始まりの魔法使い》との戦いの時まで剣の中に己の魂を封印していたのだ! だけど、君があまりにも……、あまりにも! あまりにも!! あまりにも鈍すぎる上に人が頑張ってメッセージを送ってるのに理解してくれないから出て来たんだ! いいかげんにしろ!」

「なんでいきなり説教されなきゃいけないんだよ!? お前がジニーやエグレにした事は忘れてないぞ! 野郎ぶっ飛ばしてやる!」

「こっちがぶっ飛ばすぞ、ロン! いいから話を聞け!」

「聞く耳持たん!」

 

 唸り声を上げながら威嚇し合う二人。ロウェナは手を叩いて二人の注目を集めた。

 

「……ゴドリックに説明させるのは止めます。話が進みません。ロン。わたしはロウェナです。ロウェナ・レイブンクロー。分かりますか? わたしがロウェナ・レイブンクローなのです」

「……君は何を言っているんだ?」

 

 首を傾げられ、ロウェナは深くため息を吐いた。

 

「だから! わたしが! ロウェナ・レイブンクローなのです! ロウェナが! ロウェナ・レイブンクローなのです!」

「……え? ええ? ええっ!? ロウェナがロウェナ・レイブンクローだって!? そんな!? 嘘でしょ!? ロウェナがロウェナ・レイブンクロー!?」

 

 ロウェナとゴドリックは頭を抱えそうになった。

 

「っていうか、ロウェナの名前の時点で気づけ!」

 

 ゴドリックはちょっとキレ気味に言った。

 

「だ、だって、ロウェナは世界をメチャクチャにした悪い奴って聞いてたから……」

 

 その言葉にロウェナは苦しげな表情を浮かべた。

 

「だから、ロウェナみたいな可愛くて優しくて、その上、頭もいい子とは思わなくて……」

 

 ロウェナはちょっとだけ頬が緩んだ。

 

「でも、そうか……。ロウェナはロウェナ・レイブンクローだったんだね」

「う、うん」

 

 微妙に締まらない。

 

「そっか……」

 

 ロンはロウェナの方に振り返った。

 

「ロウェナ。どうして世界をメチャクチャにしたの?」

「……世界を救う為です」

 

 ロンは少し考えてみた。だけど、分からなかった。

 

「世界をメチャクチャにして、どうやって世界を救うの?」

「それは……」

 

 言葉を濁そうとするロウェナをロンはジッと見つめた。

 

「話してくれなきゃ分からないよ。僕は君を悪い奴って思わなきゃいけないの?」

 

 少し不機嫌そうに彼は言った。

 

「ロン……?」

「僕、君が悪い奴だなんて思えない。だから、ちゃんと教えてよ。ちゃんと聞くからさ」

 

 そう言うロンの肩にゴドリックが手をかけた。

 

「ロウェナ。君が今でも自分の行いを正しいと思うなら、あるいは疑念を抱き始めているにしても、彼には話すべきだろう。彼の為にも、君自身の為にも」

「いや、話に入ってくるなよ! お前、関係ないだろ!」

「あるよ!?」

 

 ゴドリックの悲痛な叫びがこだました。


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