ヘルガ・ハッフルパフ。彼女はホグワーツ四強の中で最も慈愛に満ちた女性だと伝えられていた。
実際に対面した今も、その印象が変わる事は無かった。
彼女の正体を教えられ、敵だと確信していながら、彼女の顔を見ていると闘争心が薄れていく。
まるで、聖母のようだ。表情は穏やかであり、瞳には温かい光が宿っている。
「落ち着きなさい、坊や」
その声は心によく馴染む。ぬるま湯に浸かっているかのような気分に浸らせる。
「彼女を離せ」
呑まれてはいけない。ハリーは自分自身に言い聞かせながらヘルガを睨む。
「彼女はロウェナ・レイブンクローよ。世界を滅ぼそうとしている天下の大罪人。今も彼女の分霊によって多くの人の命が失われていっている」
「貴様! どの口で!」
ゴドリックが吠えた。
「貴様がロウェナの理想を歪めたのだろうが!」
「あらあら、それは誤解よ。私は彼女に助言を与えたの。彼女が世界の敵になったのは、彼女自身が決めた事よ」
「耳を貸すな、ゴドリック! アレは人間ではない。会話など無用。打ち倒すのみ!」
叫ぶと共に、サラザールの掌から炎の蛇が飛び出した。悪霊の火だ。
「困った子達ね」
けれど、サラザールの火は彼女に届かなかった。
「サラザール。あなたの魂は風前の灯。もはや、生前の力は振るえない。自分でも分かっているのでしょう?」
その言葉にサラザールは険しい表情を浮かべた。
ハリーは疎か、ダンブルドアやトムよりも強大な力を持っていた筈のサラザールが今に至るまで息を潜めていた理由が分かった。
図星なのだ。サラザールにはヘルガに対抗出来る力が残っていない。
恐らく、ゴドリックも同様なのだろう。既に息を荒くしている。
「無駄な事はお止しなさい。私にあなた達を害する気などありません」
「だったら、ロウェナを返せよ!」
ロンが叫ぶ。すると、ヘルガは不快そうに表情を歪めた。
「……貴様こそ、無駄な演技を止める事だな」
サラザールは言った。
「貴様の本性は分かっている。どこまでも邪悪な奴め。貴様はロナルド・ウィーズリーがロウェナを改心させた事が気に入らないのだろう。ロウェナの破滅を見届ける為に、彼が邪魔なのだろう!」
「……まったく」
それまでの慈愛に満ちた笑顔が剥がれ落ちていく。
「不条理だわ」
ヘルガは言った。
「この子は多くの人を苦しめて死に追いやった悪魔よ? 彼女が許される事は決して無いし、許されてはいけないの。僅かたりとも救われてはいけない存在なのよ。己の罪すら自覚出来ないまま道化のように死んでいく事が最も相応しかったのに……。ただ、罪を自覚させて苦しませるならともかく、救いを与えるなんて、人の心が無いとしか思えないわ」
「巫山戯るなよ、お前!」
ロンは怒りの形相で叫んだ。
「あらあら、酷い顔ね。憎悪に彩られている。殺人鬼のようだわ。恐ろしい」
「お前……、お前!」
「落ち着けよ、ロン」
ハリーはいきり立つロンの肩を押さえた。
「ハリー! でも!」
「耳を貸すな」
「その通りだ、ロン」
その言葉と共にエグレがヘルガの背後を取った。人間では認識出来ない速度の攻撃だ。
「あらあら」
けれど、攻撃は空振りに終わった。ヘルガは一瞬の内に数メートル先へ移動していた。
「オイタはいけないわね」
「なっ!?」
魔法を発動する動作など欠片も無かったのに、エグレの体が吹き飛ばされた。
「エグレ!」
「問題ない!」
ハリ―が視線を向けた時、既にエグレは体勢を整えていた。
「エクスペクト・フィエンド!」
ハリーは安堵すると共に悪霊の火を発動した。蒼き龍がヘルガに迫る。
「その程度では私に届きませんよ」
「なにっ!?」
龍がヘルガに触れる前に弾かれた。これまで、ただの一度も防がれた事のない最強の攻撃に対して、ヘルガは指一本動かす事なく防いでしまった。
ロウェナを対象から除外したとはいえ、威力を抑えたつもりはない。
「ならば一緒にいくぞ!」
トムが叫ぶ。
「ああ、同時攻撃だ!」
ハリーとトムが同時に悪霊の火を発動する。二つの炎は一つになり、黒炎の龍と化した。
「足りませんよ。ちっとも足りない」
けれど、炎龍がヘルガに届く事はない。
世界最強の二人の同時攻撃が防がれた。その様にドラコやダフネ、コリンは動揺した。
「無駄な事はお止しなさい。坊や達では私に敵わない。だから、ねぇ? ハリー・ポッター。あなたが戦うべき相手は別にいる。今も世界を壊し続けている悪魔こそ、あなたの最大の敵なのよ。ロウェナ・レイブンクローのオリジナルはロンドンにいる。彼女の望むまま、救世主となりなさい。それが彼女の為であり、世界の為であり、あなた自身の為でもあるのだから」
「断る。世界を救う役目は僕のものではない。ロンのものだ。だから、僕にとっての敵は貴様のみ!」
ハリーが言うと、ヘルガは深く息を吐いた。
「……困ったわ。あなた……、思ったよりおバカさんね」
呆れたように彼女は言う。
「私には敵わないのよ? それに、そこの坊やの救世はロウェナを救うもの。救われてはならないものを救うなんて、許されない事なのよ?」
「知った事か!」
ハリーは叫んだ。
「ロンが救うと決めたなら、それが全てだ」
「付き合いきれないわ」
そう言うと、彼女の姿がゆらぎ始めた。
「待て!」
ロンが叫びながら杖を振り上げた。けれど、ロウェナに当たる事を気にして呪文を唱える事が出来ない。 サラザールやゴドリック、ダンブルドアは動く素振りも見せなかった。
「ロウェナ! クソッ、絶対助けるぞ!」
消えゆく彼女に対して、ロンは必死の形相で叫んだ。
第百三十二話『怒り』
「……ちくしょう!」
完全に二人の姿が消えると、ロンは地面を殴りつけた。そして、動かなかった三人を睨みつけた。
「なんでだ!? なんで、ジッとしてたんだよ!?」
自分も何も出来なかった。ハリーのように対象を除外する攻撃方法など無かったからだ。
けれど、この三人は別だ。史上最高クラスの魔法使い。彼らならトムやハリーと共に攻撃出来ていた筈だ。二人でダメなら五人で同時攻撃すればいい。もしかしたら、届いていたかもしれない。
「いや、動いても無駄だ。なるほど、アレはトリックがあるな」
トムが言った。
「トリック?」
ドラコが首を傾げると、ダンブルドアが「然様」と口を開いた。
「恐らく、今のままでは勝てぬ」
「勝てぬって……、じゃあ、ロウェナはどうなるんだよ!?」
「……とりあえず、ロウェナがヘルガに消される事はない。ヘルガが現れたのは君がロウェナの心を開き、改心させた為だ。アレはロウェナ自身が開発した術だ。決して己を曲げてはならないという誓いが込められている。それ故に分霊箱は術者が改心する事で解除される。連れ去られたロウェナは術が解除される寸前に意識を封じられたのだろう」
「……なんなんだよ、アイツは!」
ロンが叫ぶと、ゴドリックは忌々しげに言った。
「悪魔だ。アイツは始めからロウェナの理想を嗤っていたんだ。叶わぬ夢だと嘲笑し、彼女の心を弄んでいる」
その言葉にロンは涙を溢れさせた。
「ちくしょう!」
悔しかった。助けてあげたかった。それなのに、助けられなかった。
「終わってないぜ、ロン」
ハリーが言った。
「その通りじゃ。勝利する術は必ず存在する。そして、その為にはお主の存在が不可欠じゃ。俯いておっては、彼女を救う事が出来ぬぞ」
「……ロウェナ」
ロンは涙を拭った。そして、立ち上がると大きく頷いた。
「やってやる! やってやるさ!」
「その意気じゃ」
「……ところで、アンタ、誰?」
「ほっほっほ」
「ダンブルドア先生だよ、ロン」
慌てたようにコリンが教えた。
「ええっ!? ダンブルドア!? 死んだんじゃなかったの!?」
「いや、それを言うなら僕も死んでたろ」
ハリーが言うと、ロンは首を傾げた。
「え? 君はレベッカとハーマイオニーを二股にかけてハーマイオニーと自分の死を偽装して逃避行しただけじゃないの?」
「なんでそうなった!?」