【完結】ハリー・ポッターは邪悪に嗤う   作:冬月之雪猫

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最終話『禁断の果実』

 世界を初めて見た時、へルガは美しいと思った。そして、同時に醜いと思った。

 世界を滅ぼしたい。世界を救いたい。二つの相反する思想が彼女を中庸に留めた。

 正義に傾く事もなく、悪に傾く事もない。

 愛する事もなく、嫌う事もない。

 極まった矛盾を抱える彼女は誰よりも中立な人間だった。

 

 愛せば憎んでしまう。

 憎めば愛してしまう。

 だから、愛さないし、憎まない。意味がないからだ。

 それでいいと思っていた。それではいけないと思っていた。

 

 何でも出来る。何者にもなれる。

 けれど、彼女は動かない。一年、十年、百年、千年、ただ世界を見守り続けた。

 ある時、偶然にも彼女が存在している空間を見上げて、神に祈りを捧げた少女がいた。

 マーキュリー(・・・・・・)という名を持ち、彼女は川の氾濫を鎮めて欲しいと願った。

 願いを叶えたい。願いを叶えたくない。二つの意志が再び彼女を停滞させる。けれど、停滞し続けていた彼女は停滞したくなかった。だからこそ、停滞したくなり、矛盾は連鎖を開始した。

 矛盾が生み出す矛盾の螺旋。やがて、彼女は答えを出す。

 

 ―――― いいでしょう。あなたの願いを叶えてあげます。

 

 彼女は川の氾濫を鎮めた。そして、喜ぶ彼女を見て、醜い生き物へ変えた。

 笑顔が愛おしかった。彼女の喜びが嬉しかった。

 同じくらい、笑顔が憎らしかった。彼女の喜びが疎ましかった。

 同じ事を何度も繰り返した。

 フィリウスという老人、ウォッチャーという名の青年、ドビーという名の少年。

 数える事がバカらしくなるほど、たくさんの人の願いを叶えては絶望させた。

 

 ある時、彼女は楽園を築いた。誰もが笑顔で生きられる世界だ。

 そこで彼女は人々に幸福を与え、そして、自分では何も出来ないくらい堕落させた。

 全てを与えられていた人々は、全てを失うと生きる事すら出来なくなった。

 そうやって、希望の後に絶望を、絶望の後に希望を、彼女は交互に与え始めた。

 

 そして、更に千年が経ち、彼女の前に一人の少女が現れた。

 極まった善性を持つ少女。悪性を極める者は数あれど、善性を極めた者など初めて出会った。

 

 彼女は善性が好きだ。

 彼女は悪性が好きだ。

 彼女は混沌が好きだ。

 

 悪性を極めた者達に彼女は多くの祝福を与えてきた。そして、奈落へ落としてきた。

 同じように彼女にも祝福を与えようとした。後に奈落へ落とす為に……。

 

『必要ありません』

 

 けれど、彼女は祝福を拒絶した。

 それでも、彼女を幸福にしようとした。

 けれど、彼女にとっての幸福は他者の幸福であり、彼女にとっての他者とは友人や親兄弟のみならず、世界中の人々を差していた。

 ここに新たな矛盾が生まれた。世界中の人々を幸福にすれば彼女は幸福になる。けれど、世界中の人間を幸福にする事はヘルガにとって素晴らしい事であり、同時に悍ましい事でもあった。希望と絶望がつり合わない。希望ばかり大きくなってしまう。

 そもそも、世界中の人間を同時に幸福にする事など神の如き力を持ってしても不可能な事だった。

 誰かの嘆きが幸福である人間もいる。誰かの苦痛が快楽である人間もいる。

 嘆きや苦痛は絶望であり、それを快楽だと宣う者は壊れているだけだ。壊れている人間には幸福も不幸もない。

 絶望があれば、ロウェナの希望は満たされない。

 

『わたしは世界を救いたい』

 

 ロウェナの欲望は彼女が知るどの人間よりも深く大きい。

 それでも、彼女を幸福にしたい。不幸にしたい。

 

 ―――― ならば、先に絶望を与えましょう。

 

 いつか彼女が幸福になれる時まで、彼女を不幸のどん底に落としてあげよう。

 希望とは反対に、絶望を満たす事は簡単だった。

 他者が泣けば、彼女は悲しんだ。

 他者が傷つけば、彼女は痛がった。

 自分の事はいくらでも犠牲にする癖に、他人が犠牲になる事を彼女は嫌がった。

 だから、彼女の理想の為に人形(レベッカ)を殺してみせた。

 賢者が混沌よりピーブズを生み出したように、彼女はレベッカを生み出した。

 ロウェナの理想を体現する存在として、そして、彼女に絶望を与える為の存在として。

 効果は覿面だった。彼女の心は大きく歪み、絶望を味わわせる事が出来た。

 それからも人形を幾人も彼女に与え、彼女の心を砕いていった。

 それが楽しくて、嬉しくて、気持ちが良くて!

 それがつまらなくて、哀しくて、腹立たしくて!

 

 ―――― いつになったら人類の救済を諦めるの?

 

 絶望を与え続けた。心を狂わせた。それでも彼女は人類の救済を諦めない。

 みんなの笑顔が欲しいと願い続ける。

 絶望ばかりが極まっていく。だけど、希望を与える事が出来ない。

 それはヘルガにとって苦痛だった。

 

 ―――― どうして、あなたは自分の幸福を祈ってくれないの?

 

 自分が大事な人間は希望も絶望も与え放題だった。

 それなのに、自分が大事ではない人間には絶望しか与える事が出来ない。

 己の破滅や死すら厭わない者に何を与えられるというのか。

 

 ―――― もう、絶望なんて与えたくない。幸福になって欲しい。

 

 矛盾はすでに壊れていた。彼女には不幸しか与えられていない。幸福など一欠片も与えられていない。

 辛い、苦しい、耐えられない。

 

 ―――― いっそ、このまま……。

 

 彼女が導き出した理想の答え。偉大なる王による完全なる統治。

 そんなもの、所詮は狂った人間の考え出した絵空事だ。どんなに偉大な王が完璧な統治を行っても、不幸な人間は現れる。善と悪をどちらも内包しているのが人間なのだ。一人の不幸で彼女の幸福は破綻する。

 だけど、もう……、その絵空事を実現させてあげる事しか出来ない。それで死の間際に少しでも自己満足を得る事が出来たのなら、それは彼女にとって……、僅かでも幸福な事なのかもしれない。

 

 ―――― イヤだ。

 

 それのどこに希望がある? 

 結局は絶望だ。

 彼女は道化のように死んでいき、永遠にその名は呪われる。

 

 彼女を救う道を模索した。

 ハリー・ポッター。ロウェナが見初めた彼なら、あるいはと思った。

 だから、ずっと見ていた。魔法使い達に屋敷しもべ妖精と呼ばれている、かつて彼女が祈りを叶えた存在達を通して、ずっと……。

 けれど、とんだ期待外れだった。

 彼は孤独でなければいけなかった。人と交わる度に彼の牙は丸くなっていった。

 如何に卓越していても、彼は人の枠を出ない。初めから、偉大なる王になどなれなかった。

 

『僕、力になりたいんだ!』

 

 だから、衝撃を受けた。

 ロン・ウィーズリー。平凡を絵に描いたような少年。彼がロウェナの心を動かした事に驚愕した。

 神の如き力をもってしても不可能な事を彼はいとも容易くやり遂げたのだ。

 まるで恋する乙女のような表情を浮かべるロウェナにヘルガは時が来た事を理解した。

 それはまるで物語のようだ。

 千年の時を経て、彼女は運命の相手と巡り合った。

 どうして彼なのか、それは分からない。彼女の力になりたがる者など、他にもたくさんいた。

 彼よりもずっと優れた者達が彼女の理想に賛同してきた。

 だけど、そんな事はどうでもいい。彼女の希望となる存在が現れた今、ようやく彼女を幸福にする時が来た。

 希望と絶望は等価でなければいけない。極まった絶望には、極まった希望が相応しい。

 

 そのために、人類を滅ぼした。

 理不尽な死による絶望で世界を満たした。

 少数の生き残りにも満遍なく苦悩と苦痛を与えておいた。

 これで心置きなく彼女を幸福にする事が出来る。

 

 迫る斬撃が止まる。ヘルガが思い描いていたシナリオでは、彼が彼女にとどめを刺す筈だった。

 シナリオ通りに進む事、それを良しとする彼女は微笑み、それを良しとしない彼女は嗤う。

 斬撃が止まらなければ、嗤う彼女が彼を殺していた。そして、ロウェナの希望は絶たれる。絶望は究極へ至り、ヘルガも止まる。世界も滅びたまま、何も変わらず終焉を迎える。

 だからこそ、彼女は微笑んだ。

 

「……大正解よ、坊や」

 

 前に死の世界でハリー・ポッターに問いかけた事がある。

 

 ―――― 君は本が好き?

 彼は普通だと答えた。そんな彼に彼女は言う。

 

 ―――― この物語にも主人公がいるんだよ!

 

 ロウェナを救う者、ロン・ウィーズリー。彼こそが主人公だ。

 彼の存在に歓喜して、思わず取り繕っていた仮面も取れてしまった。

 

「天邪鬼め」

 

 ヘルガを殺した男が呟く。彼は彼女の本質を理解していた。

 彼女がサラザールに化けてハリーに助言を与えていた事などから、彼女の目的を推察していた。

 だからこそ、彼女に対するトドメをハリーやロンに先んじて刺した。

 ロウェナを救いたいと願っている相手を邪悪の化身として殺す。

 例え世界を救う為であっても、それは紛れもない悪であり、地獄に堕ちるべき者の所業であるゆえに。

 

「アハッ」

 

 ヘルガは無邪気に笑う。

 

「だって、それがわたしだもん!」

 

 混沌こそ、彼女の本質。悪であり、善。善であり、悪。希望と絶望の等価交換。そこに邪気などない。

 究極の絶望には究極の希望を。

 世界に光が広がっていく。

 神の如き存在たる彼女のすべてを代償に、奇跡は成る。

 

 最終話『禁断の果実』

 

 気がつくと、ハリーはベッドで横になっていた。

 前後の記憶が曖昧になっている。

 

「……僕は一体?」

 

 頭を悩ませながらベッドから出る。ふと、ベッドの脇の机に大きなトロフィーが置いてある事に気がついた。

 

「そっか……、優勝したんだな」

 

 それは三大魔法学校対抗試合優勝者である彼に授与されたトロフィーだ。

 

「……これで、ゴスペルやエグレと映画を観れるな」

 

 ドラコを起こそうとして止めた。

 

「……へへ、アステリア。むにゃ……、僕はここさ……」

 

 アステリアとデートしている夢を見ているようだ。

 クスリと微笑むと、ハリーは部屋を出た。

 

「おはよう、ハリー! 優勝おめでとう!」

「さすがハリーだぜ!」

「我らがハリー!」

「スゲェ奴だぜ、やっぱ!」

 

 フレデリカやエドワード、ダン、ジャクソンが声を掛けてくる。

 

「当然だ。僕を誰だと思っている?」

「ハリー・ポッター!」

 

 声を揃えて答える仲間達にハリーは笑う。

 

「その通りだ」

 

 寮を出ると廊下をスネイプとシリウスが歩いていた。

 

「頼むぜ、兄弟! 就職しないと家を追い出されるんだ!」

「誰が兄弟か! そもそも、人事権は校長が握っているのだ! 吾輩に言っても仕方なかろう!」

「いやいや、お前さんがちょいっと言ってくれればよ! ほら、飛行訓練の教師をもう一人追加とかさ!」

「貴様に教師は向かん! 放牧犬として羊でも追いかけていろ!」

 

 ハリーは情けない同居人の姿に涙が出そうになった。スネイプがシリウスに就職先を斡旋してくれる事を願いながら静かに立ち去る。

 更に歩いていると、トムとダフネがいた。

 

「次は龍痘や黒斑病を治癒する薬を作りたいと思ってるんです」

「中々難しい挑戦だが、君なら問題あるまい。全力でサポートするからやってみたまえ」

 

 相変わらず、変身術の教師でありながら魔法薬学の先生を差し置いて魔法薬学の相談を受けている。ハリーはトムがロリコンの罪で捕まらない事を祈りながらその場を後にした。

 図書館に向かうために階段を上がると、ヘレナとルーナの姿があった。

 

「……お母様が再婚するのは嬉しい事よ? ええ、素晴らしい事だと思うの! でもね? わたくしより年下の彼をお父様と呼ぶのって、すっごく憂鬱なの」

「複雑だね、うん」

 

 ルーナはヘレナの頭をよしよしと撫でている。

 自分より年下の父が出来る苦悩など、ハリーにはどうしようもない。こそこそと立ち去る。

 図書館にたどり着くと、コリンとロゼがいた。二人の距離がいつもより近い気がする。

 

「コリン。ここの内容なんだけどね」

「うん。僕も少し変えようと思ってた」

 

 コリンがロゼの肩を抱いた。ロゼが頬を赤らめた。ハリーはタジタジになった。

 

「……ロ、ロゼ、コリン。お、大人になったんだな……」

 

 嬉しいような、寂しいような、不思議な気分。ハリーはちょっぴりセンチメンタルな気分になりながら場所を移動した。

 

「……ベイリン達に会いに行ってみるか」

 

 中庭に出るとロンがロウェナと一緒にいた。ハリーは見ないようにした。祝福したかったけれど、ヘレナの悩みが晴れる方法を探す方が先決だろう。さっきは逃げてしまったけれど、何か考える必要がある。

 ヒッポグリフの牧場に行くと、ニュートがハグリッドと話していた。

 

「やあ、ハリー!」

「よう!」

「おはよう、二人共」

 

 二人は次の授業の内容を相談していたようだ。

 

「動物もどきの研究が完成したからね。みんなで動物もどきになって、動物とコミュニケーションを取るっていうのはどうかな? リドル先生と相談しないといけないけど」

 

 ハグリッドが歓声を上げている。みんながどんな動物に変身するか、今から楽しみだ。ドラコも蛇になってくれると個人的には嬉しいとハリーは思った。

 ベイリン達と過ごしているとロルフが現れた。ニュートの孫である彼と魔法生物学の話題で盛り上がりながら時間を過ごしていると、昼まであっという間だった。

 昼食を食べる為に大広間に行くと、そこには愛する女性の姿があった。

 

「ハーマイオニー!」

 

 ハリーが向かっていくと、みんなが自然な動作で道を開いてくれた。

 

「体の具合はどうだ?」

「バッチリよ。……いや、ちょっと恥ずかしいというか、いろいろあるんだけど……」

 

 彼女のお腹には命が宿っている。まだ目立つほどの変化は無いけれど、その事は誰もが知っている。

 

「恥ずかしがる事はない。君と僕の愛の結晶だ。路頭になど迷わせない。愛しているよ、ハーマイオニー」

 

 ハリーは無敵だった。ハーマイオニーに対する愛を隠す気ゼロである。ハーマイオニーは深々とため息を零した。

 

「ちょっとは照れてくれた方が嬉しいんだけど」

「すまないな。嬉しいが勝り過ぎている。お詫びと言ってはなんだが、夏休みに入ったら早速家を建てよう。間取りは君の好きなようにしていい。ニワトコの杖ならば君の理想の城を建てられる筈さ」

「期待しておくわ」

 

 クスリと笑う彼女もハリーには魅力的だった。

 

「可愛いな」

「……もう」

 

 そんな二人の姿に呆れる者もいれば、憧れる者もいる。怒ったりイライラする者がいないのは、彼らがハリー・ポッターとハーマイオニー・グレンジャーだからだ。

 昼食の後、二人で愛を深めあった後、ハリーは秘密の部屋を訪れた。

 そこには数人の人影とエグレの姿があった。

 

『よう! エグレ!』

 

 ゴスペルがハリーの服から飛び出してエグレの下へ向かっていった。

 

「おはようございます、ハリー・ポッター様!」

 

 海のような紺碧の瞳を持つ少女が恭しく頭を下げてくる。

 

「おはよう、マーキュリー。いつもすまないな」

「好きでしている事ですので」

 

 ホグワーツで働く者は多い。彼女もその一人だ。厨房で働く時もあれば、城内を清掃している時もある。

 働き者の彼女にハリーは頭が下がる思いだった。

 

「それでは、厨房に向かう時間ですので失礼致します」

 

 マーキュリーが立ち去ると、初老であるフィリウスや赤髪のウォッチャーも頭を下げながら退出した。

 

「どうかな?」

 

 エグレの傍で寛いでいたサラザールが問いかけてくる。

 

「この世界は快適かい?」

「……ああ、完璧だな」

 

 完成されたパズルのように隙がない。

 誰もが笑顔を浮かべている。

 この世界を否定するものなど、よほどのひねくれ者くらいなものだ。

 

「……けど、作られた世界だ」

「これがロウェナの作ろうとした世界であり、ヘルガが作り出した世界だ」

「……違和感は感じる前に解消される。ロウェナの術だな? 僕に効いていないのはお前の仕業だろ?」

「その通り。せめて、一人くらいは選択肢を持っておくべきと思ったのでね」

「……禁断の果実だな」

 

 この世界は楽園だ。ホグワーツの外でも蘇った人々が元の日常を送っている。

 戦争など、小さな内紛一つ起きていない。

 そうなるように思想を操作されている。

 

「争いは起きない。けれど、人々が他者の為に世界をよりよくする為に動いている。だから、文明が衰退する事はなく、世界が豊かになっていく」

「素晴らしいな」

 

 否定など出来ない。これで理不尽な目に遭う人は居なくなる。

 

「……悪いな、サラザール。僕はイヴのように愚かになれない腰抜けになってしまったようだ」

「好きにするといい。禁断の果実(しんじつ)は君だけのものだ。物語は幕を閉じた。後はエピローグを残すのみ。後は君に託すとするよ」

 

 そう呟くと、サラザールは姿を消した。

 そして、ハリーは禁断の果実を胸の内に隠してエグレやゴスペルと戯れた。

 誰もが笑顔でいられる世界。そこはとても居心地がいい。




まだちょっとだけ続くんじゃ

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