血の呪い。それはロウェナ・レイブンクローが考案した卑劣な魔法である。
ハリー・ポッターはニコラス・ミラーから許可を得て、図書館の禁書の棚を調査していた。
彼が求めている物は闇の魔術、魔法薬、そして、ロウェナ・レイブンクローの軌跡である。
「……分霊箱、死の呪文、更には血の呪い。エグレも言っていたが、改めて考えてみるととんでもないヤツだな」
エグレはこれらの魔法を悪意に満ちたものだと語っていた。
けれど、その詳細を聞いたハリーには、むしろ悪意など感じられなかった。
一人の人間を徹底的に利用し尽くし、すり潰す分霊箱。
あらゆる無駄を削ぎ落とし、死を与える事のみを突き詰めた魔法であるアバダ・ケダブラ。
受精卵の時点で間引きを行い、更に劣性遺伝子を根絶する事で種を更なる次元に押し上げる血の呪い。
これらの共通点は、徹底的なまでの効率化だ。
「倫理、人道、情愛を無視すれば、これらの魔法はまさに完成されている。ここまで効率のみを追求出来るとは……、本当に人間なのか?」
むかし、居間でダドリーが観ていた映画*1を思い出す。《2001年 宇宙の旅》という題名だった。
血の通わないAIによる、殺戮。そこには一切の慈悲がない。
「恐ろしいな……」
あの映画の感想は悍ましいの一言だった。その感想が、ロウェナ・レイブンクローを調べた感想と一致する。
「悪ではない。善でもない。人ですら無い。なるほど……、《偉大なる人でなし》とは、そういう事か」
彼女が現代に存在していない事に、ハリーは心から安堵した。
もし存在していたのなら、如何なる手段を使っても排除しなければならない。
善悪を超越した脅威。人は、それを厄災と呼ぶ。
第四十七話『ハリー・ポッターは思春期である』
ハリーの生活は多忙を極めていた。
朝、エグレの世話と秘密の部屋の清掃を行い、昼間は授業を受けながらニコラスやダフネとの研究について考え、昼休みにはヒッポグリフのバックビークやベイリン*2を世話して、放課後はロゼやジニーの勉強をみながら自身も勉学に励み、その後にはニコラスやダフネとの研究の時間が待っている。
けれど、ハリーはどれ一つとして疎かにする気はなかった。
眠る前、色ボケたドラコの戯言を聞き流す度、ハリーは何としてもアステリアを救わねばならないと誓いを新たにしている。
そんなある日の事だった。
ハリーがローゼリンデやコリンと共に図書館で調べ物をしていると、フレッドとジョージ、リー、アステリアの四人組が現れた。
「ハリー! ロゼ! コリン! 第二回・ヒッポグリフレースを開催するぞ!」
「……は?」
ヒッポグリフレース。それは、去年のクリスマス休暇前に行われたイベントだ。
ハリー達が内輪で楽しむだけの筈が、教師達の頑張りによって学校全体を巻き込んだ一大イベントになってしまい、第二回も予定されていた。
けれど、新年度に入ってから今に至るまで、誰も話題に出さないから第二回は自然消滅したものとハリーは考えていた。
「日程は3月の下旬だ!」
「イースターの少し前!」
「今回は凄いぞ!」
「わたし達、がんばりました!」
どうやら、この四人は図書館でイヤンイヤンしていたばかりではなく、長い時間を掛けて、第二回のレースの企画を考えていたらしい。
「実は親父を通して、魔法省の魔法ゲーム・スポーツ部や魔法生物規制管理部に掛け合ったんだ!」
「ヒッポグリフレースを是非ともホグワーツの新しい伝統行事にしたくてね!」
「ルード・バグマンやセドリックの親父さんのエイモス・ティゴリーも乗り気になってくれたんだ!」
「わたしのお父様も関係各所に話を通して下さいましたのよ!」
ハリーは思わずローゼリンデやコリンと顔を見合わせた。
内輪だけのちょっとした遊びだった筈なのに、いつのまにかとんでもなく規模が膨れ上がっていた。
「その甲斐あって!」
「なんと!」
「ホグワーツに新しい競技場が設営する事になったんだ!」
「ドンドンパフパフー!」
フレッドはどこからか巨大な羊皮紙を取り出した。そこには巨大なレース場の絵が描かれていた。
「来週から施工が始まるんだ!」
「ハグリッドのヒッポグリフ牧場にも新しいヒッポグリフが来るんだぜ!」
「とりあえず三人は選手登録しとくから、確り練習しておいてくれたまえ!」
「ふっふっふ、ナイトハルト先輩! 今年の優勝はわたしがもらいますよ!」
言いたい事だけ言うと、四人は去って行った。
まるで嵐のようだとハリーは思った。
「……参ったな」
やるからには負けたくない。それがハリーの心情だが、その表情には疲れの色が浮かんでいた。
◆
フレッド達による第二回・ヒッポグリフレース開催の宣言の翌日、ダンブルドアが朝食の席で新しい競技場の施工が開始される事を発表した。
「ホグワーツに新しい伝統行事が生まれる事、実に喜ばしい事じゃ!」
ヒッポグリフレースは魔法界の新たなスポーツとして正式に認可を受け、ルールもより厳密に設定された。
選手登録を行う際には適性検査を受ける事が義務付けられ*3、合格した者にはルールブックと一頭のヒッポグリフが割り当てられる。
適性検査とは、視力、身体能力、ヒッポグリフ乗りとしての適正の3つを調べられる。どれか一つでも基準に達していない場合は選手登録を行えない。
見事に適性検査に合格しても安心は出来ない。割り当てられたヒッポグリフをレース開催の日まで選手が自ら世話をする事が義務付けられている。
世話を疎かにした事が露見した時点で資格は取り消しになり、来年度は適性試験を受ける事すら許されない。
世話の監視には丁度暇になってしまったハグリッドとケトルバーンが任せられている。
「本当に大事になって来たな……」
「……アステリアも出るのか」
ドラコは未だにアステリアの事で頭がいっぱいだった。
「……やれやれだぜ」
ハリーは苦笑した。
その内元に戻るだろうと予想していたのだが、ドラコは相変わらずアステリアにメロメロだ。
クィディッチの練習の時、やる気が空回りしていて困っているとキャプテンのマーカス・フリントに相談された事もあった。
だが、それは悪い事だろうか? ハリーは違うと思った。
だって、ドラコは幸せそうだ。それ以上に重要な事など無いだろうとハリーは考えた。
「ドラコ。かっこいいところを見せてやれよ」
「ああ!」
その夜もドラコは熱心な恋愛トークをハリーに語り聞かせた。
最近では、どうやって振り向いてもらうか作戦を考えるようになり、デートの企画だとか、告白の方法だとかを考案している。
疲れているからか、ハリーはぼんやりとした気分のまま彼の話を聞いてあげた。
「ハリー! 君にも気になる女の子が居るだろう!」
話の流れで、ドラコはそんな事を言い出した。
気になる子。この場合、その言葉の意味するものは好きな子の事だ。
ハリーは睡魔に襲われていた為か、素直に考えてしまった。
自分が好きな女の子について。
「……そうだな」
脳裏に浮かぶ女の子の顔は多くない。
ローゼリンデ・ナイトハルト。ジネブラ・ウィーズリー。ハーマイオニー・グレンジャー。ダフネ・グリーングラス。フレデリカ・ヴァレンタイン。ルーナ・ラブグッド。
普段から接しているのはこの六人くらいだ。
そこから次々に候補を絞っていく。
まず、ローゼリンデ、ジネブラ、ルーナの三人は除外された。ローゼリンデとの交流を通じて、年下と恋愛関係になる事が想像出来なかったからだ。
残る女の子達の事をしばらく考えていると、ハリーはうつらうつらし始めた。
そして――――、
『ハリー! 好きよ!』
そんなセリフを口にする女の子の姿が脳裏に浮かんだ。
栗色の髪の女の子。
不倶戴天の敵である筈のハーマイオニー・グレンジャーがはにかむような笑顔を浮かべる姿にハリーの心臓はドクンと高鳴った。
その衝撃で目を覚ました彼は頭を抱えた。
「いやいやいやいや」
何かの間違いだ。ハリーは必死に自分に言い聞かせた。
可愛らしさで言えば、フレデリカの方が上だ。
ダフネに対しては尊敬の念を抱いている。それに、彼女の魔法薬学の才能にも一目を置いている。
それなのに、脳裏に浮かんだハーマイオニーの顔が瞼の裏に焼き付いて取れなくなっている。
「待て待て待て待て」
あんな前歯が大きくて、でもそこもチャーミングで……、
髪はいつもボサボサで、でも長くてフワフワしているのは女の子らしくて……、
「違う違う違う違う」
必死に勉強しても敵わないくらい頭が良くて、でもそれは努力の結果で……、
間違えそうになった時、道を正してくれて……、
頼んでもいないのに二年生の時は必死に駆けずり回ってくれて……、
「……ぐ、ぐぐぅ」
ハリーは布団を頭から被り、ベッドの上で転がりまわった。
油断すると、頭の中がハーマイオニーの事でいっぱいになってしまう。
けれど、そんな事は認められない。
彼女はライバルなのだ。今まで、一度も勝てていない、倒すべき敵なのだ。
だから、だから、だから……、
「……と、とりあえず、今は他にやるべき事が多過ぎる」
ハリーは保留する事にした。幸いにも、色ごとに配分出来る程の余裕が彼には残されていなかった。
多忙な毎日にヒッポグリフレースの練習も加わり、ハリーはそれでもすべてに手を抜かなかった。むしろ、自分をもっと追い詰めようとしているかの如く、寝室に戻っても睡眠時間を削って勉学に励むようになった。
「……は、ハリー、大丈夫?」
「当然だ」
ジニーが心配して声を掛けても、
「ハリー・ポッター様! あの、あまり無理はなさらないで下さい!」
「無理などしていない。それより、ほら、そこはこの参考書が分りやすいぞ」
ローゼリンデに懇願されても、
「ハリー、真っ青だよ!? 医務室に行った方がいいよ!」
「必要ない。それより、ナーグルについてだが、図書館で似たような生物の文献を発見したんだ」
ルーナが慌てても、
「ハリー! バックビーク達の世話は僕がやりますから!」
「何を言っているんだ。コリンの愛馬はエスメラルダだろ。嫉妬されてしまうぞ? そうだ、写真を撮ってやるよ。いつも撮ってばっかりじゃなくて、たまには自分の思い出を確り残せ」
コリンが似合わぬ厳しい声を発しても、
「ハリー!?」
その時まで、ハリーは立ち止まらなかった。
大広間で食事を取り、授業に向かおうと立ち上がった瞬間、目眩を感じて、そのまま倒れるまで……。
そして、彼は医務室で目を覚ました。
何故か、傍らの椅子にはハーマイオニーがいて、ハリーは夢でも見ているのかと思った。
「ハリー。抱え込みすぎよ」
開口一番に彼女は言った。
「ロゼとジニーが大泣きしちゃって大変だったんだから。ルーナはパニックを起こすし、ダフネは自分のせいかもとか言い出すし、コリンは慌てちゃうし、ドラコなんてショックのあまり唖然としてたんだから」
「……悪い事をしたな。まったく、情けない」
そう呟きながら起き上がろうとするハリーのおでこをハーマイオニーは人差し指で押さえた。
「聞こえなかったの? 抱え込み過ぎだって言ったでしょ」
「別に……」
ハリーが目を逸らすと、ハーマイオニーはやれやれと肩を竦めた。
「あなたって、本当に……」
しみじみとした口調でつぶやくと、ハーマイオニーは近くのテーブルに山のように積まれたお菓子の一部をハリーに渡した。
「……なんだ、これ」
「あなたを心配した人達からのお見舞い」
「こんなに!?」
その数にハリーは目を丸くした。
「そう、こんなに心配されてるのよ、ハリー」
ハーマイオニーは言った。
「あなたはもっと自分を大切にするべきよ」
「何を言っている? ボクは常に自分の為に動いているだけだぞ」
ハリーの言葉にハーマイオニーは深々とため息を零した。その態度にハリーがムッとすると、彼女は言った。
「じゃあ、言葉を変える。あなたはもっと周りを頼りなさい! じゃないと、また倒れるわよ! そして、みんなを心配させる! ……同じ愚を犯すほど、あなたはバカじゃない。そうよね?」
「ハーマイオニー……」
ハリーはハーマイオニーを見つめた。そして、気がついた。
彼女の目元が少し赤くなっている事に……。
「……すまない」
ハリーはそう呟くと、起き上がった。
「そうだな……。同じ愚を犯すなど、このハリー・ポッターにはあり得ない事だ」
そう言うと、彼は立ち上がった。
「もう、夜だな。寮まで送る。行くぞ、ハーマイオニー」
「……ハリー。うん」
ハリーはマダム・ポンフリーに声を掛けた。
彼女から過労で倒れる前に休むよう叱られ、栄養剤を渡された。
そして、ハーマイオニーをグリフィンドール寮まで送ると、スリザリンの寮へ向かって行った。
その途中で、彼は近くの壁にもたれかかり、顔を手で覆った。
「ああ、クソッ……」
心臓が高鳴っている。
ただ、ハーマイオニーと夜の校舎を歩いただけなのに、顔が熱い。
「……こ、このボクが」
この日、ハリーは思春期に突入したのだった。