ワールドカップが開催される当日の朝、僕は両親やドビーと共にマクゴナガル邸の前に姿現した。
「では、ハリー達を呼んできます」
「ああ、失礼のないようにな」
「ええ、もちろん」
最近、父は変わった。
前は状況毎に仮面を使い分けていたのに、その仮面をどこかに落としてしまったかのように素の表情を見せる事が増えて来た。
今も、母にこっそりと「マクゴナガル先生は厳しい人だから緊張するな……」などと話しているのが聞こえた。
それもこれも、ロンの父親であるアーサーとの交流が増えた事が原因だろう。魔法省の内部でハリーを擁護する者達の旗頭となった二人はよく一緒に呑みに行くようになった。
最初の頃は互いに緊張感を持った関係を維持していたのに、いつの頃からか真っ赤になるまで呑んで、笑い合いながら家に帰ってくる事が増えて来た。
嘗ては不倶戴天の敵同士だった癖に、今では無二の親友の如き関係になっている。この前など、二人で釣りに出かけたらしい。その時の写真を見せながら、自分の釣った魚のサイズを自慢する父に僕は苦笑いを浮かべたものだ。
―――― マグルの技術は素晴らしいな! まさか、魔法も使わずに水底の魚の存在を探知するとは! しかも、スイッチ一つで勝手に糸を巻き上げるのだ! 呪文も要らない!
アーサーの趣味に影響を受けたのだろう。最近、マグルの技術を褒める場面もあった。
「ふっふっふ、今日はアーサーと賭けをしているんだ。勝つのはアイルランドチームに決まっているというのに、ヤツめ、ブルガリアチームも侮れんなどと戯言を口にしていてな。それで、どっちが勝つか賭けたのだよ。負けた方は勝った方にオールド・ファイア・ウイスキーを奢る事になっている」
玄関を潜って中に入ると、そんな声が耳に届いた。ちらりと振り向けば、久しぶりに悪い顔をしながらくだらない事を言っている。
どうやら、母上の呆れ顔が見えていないらしい。
「……やれやれだ」
楽しそうでなによりだ。
第五十三話『ジネブラ・ウィーズリーは告らせたい』
「ルシウスめ! 迂闊なヤツだ! ブルガリアチームには、あのビクトール・クラムがいる事を忘れているに違いない!」
「あー……、はいはい。そうね、良かったわね」
パパの戯言を適当に聞き流しながらママは朝ごはんを作っている。
昨日、わたし達は家族総出でクィディッチ・ワールドカップの観戦の為にテント村へやって来た。
兄さん達は祭りの雰囲気に当てられて、ワールドカップが終わったらゴミになっていそうなグッズを買い込み、浮かれ切っている。
「ジニー! 見て見て!! クラムのプロマイド!!」
そして、ここにはもう一人、浮かれきった女がいる。
アステリア・グリーングラス。わたしを《淫乱ジニー》と呼んだ脳内ピンクの勘違い女である。
正直、《桃色アステリア》なんかと一緒に来たくは無かった。だけど、これは取り引きの為だ。
わたしがフレッドやジョージを唆して、アステリアを連れてくる代わりに、ドラコはハリーとわたしをくっつける為に最大限の努力をする契約になっている。
未だに信じ難い事だけど、何をトチ狂ったのか、ドラコはよりにもよってあの桃色アステリアに惚れたのだ。
―――― あ、アステリアと付き合いたいんだ! 頼む! 力を貸してくれ!
一瞬、アステリアが媚薬でも盛ったのかと思った。
次に彼の正気を疑い、その次に病気を疑った。けれど、彼は本心からアステリアに惚れていた。
それなりに彼の事を知っていたつもりだったけれど、今では、彼はわたしにとって宇宙人に等しい存在になってしまった。全く理解出来ない。
けれど、ドラコが宇宙人だろうとどうでもいい。わたしにとって重要な事はハリーと付き合えるかどうかだ。その為ならば、桃色アステリアと友情ごっこを嗜みながら、ドラコとくっつくように誘導する手間を厭うつもりはない。
「わーお! すごいわ、アステリア!」
ワールドカップのチケットは純粋な魔法使いの一族でも中々手に入れる事が出来ないものだ。つまり、マグル生まれのハーマイオニー・グレンジャーには入手不可能。
ここに、彼女はいない。ここが勝負の決め所だ。
「アステリア! 入場の時間まで散歩にでも行かない?」
「行く行く!」
人の事を淫乱ジニーとまで言った癖に、ママの雷を落とされた者同士として、謎の連帯感を持ち、妙に馴れ馴れしくなったアステリア。けれど、ドラコとくっつける為には都合がいい。
ハリーを手に入れる上で最も重要なものは
これまでも、彼はわたしに協力してくれていたけれど、どうにも消極的だった。けれど、アステリアとくっつけてやれば、それこそ馬車馬の如く働いてくれる筈だ。
「……絶対に負けないわ」
「ほえ? どうしたの?」
「なんでもないわ! 行きましょう!」
ハリーをずっと見てきたからこそ、分かってしまう。彼は、ハーマイオニーを特別視している。もしかしたら、既に好意を抱いているのかもしれない。
だけど、まだ二人は付き合っていない。だから、諦める必要なんてない。
彼を先に好きになったのはわたしの方だ。わたしの方が彼を愛している。
どんな手を使っても、彼を手に入れてみせる。
「およよ? あそこに見えるのは、ドラコ様とハリー様!?」
計画通り、アステリアはドラコとハリーを発見した。ここで遭遇出来るように、わたしとドラコは綿密に計画を練っていたのだ。
けれど、予定よりも5分23秒も遅い。
―――― アンタ、やる気あるの?
わたしはドラコを睨みつけた。
―――― す、すまない。だが、これでも頑張ったんだ……。
ドラコは情けない表情を浮かべた。
視線だけでやり取りをしているわたし達を尻目に、アステリアは無邪気にハリー達の一行へ挨拶に向かった。わたしも慌てて追いかける。
「ドラコ様! ごきげんよう!」
「ご、ごきげんよう、ア、アス、アステリア!」
みんなの視線がドラコに集まった。
分かり易過ぎる。真っ赤になっているドラコに、彼の両親やマクゴナガル先生、そして、一年前にホグワーツに現れたシリウス・ブラックが「あっ……」と何かを察したような表情を浮かべ、生暖かい視線を向け始めている。ハリーもやれやれと苦笑している。
これは不味い。このままだと、勝手にくっついてしまいそうだ。そもそも、アステリアはドラコに好意的だし、二人共純血の一族の末裔だ。障害なんて、多少の年の差だけで、殆ど無いに等しい。
けれど、それは困る。
わたしがドラコとアステリアをくっつけたという事実が無ければ、彼を馬車馬の如く働かせる事が出来なくなる。
つまり、動くなら……、今!!
「あれれー? ドラコってば、顔が真っ赤よ? どうかしたのー?」
我ながら頭の悪そうな話し方だけど、今ここでドラコとアステリアをくっつける為にはドラコのアステリアに対する恋心をアステリア自身に気づかせる必要がある。
「はっ!? ま、真っ赤だって!? な、何の事だ!?」
動揺のし過ぎで周りは呆れ返っている。けれど、彼の想い人だけは彼を心配そうに見つめた。
「ほ、本当に真っ赤ですわ!? 大丈夫ですか!? もしや、風邪ですか!?」
さすがは勘違いに定評のあるアステリア。ここまで分かり易い反応をしているドラコに対して、ベタな勘違いを発揮している。
そして、無駄にプライドの高いドラコは咄嗟に自分の恋心を隠そうとしてしまう。
だけど、そうはいかない。彼にはここでアステリアに告白してもらう!
「まあ、熱があるんじゃないの!? アステリア、確かめてみて!」
「う、うん!」
ドラコを純粋に心配しているアステリアがドラコのおでこに触れる。ドラコ、更に顔が真っ赤になる。
「まぁ!? 熱いわ! ど、どうしましょう!?」
こうしましょう。わたしはそっとアステリアの背中を押した。
「わきゃっ!?」
「ほあっ!?」
アステリアがドラコの胸にダイブ。
「ちょ、ちょっと、何をするのよ!?」
「あれれー? おっかしいぞー。ドラコったら、なーんか、アステリアが近づくほど赤くなってる気がするなー」
ちなみに、ドラコの両親やマクゴナガル先生達は固唾を呑んで見守っている。
「およよ? わたしが近づいたら……?」
「あっ、いや、それは! その……、そ、そういうアレではなく……」
「ほほう。ならば、どういうアレなんだ?」
ここに来て、ハリーが斬り込んだ。その表情はちょっと嗜虐心が滲んでいて、ドキッとする。
優しい笑顔も素敵だけど、悪い表情も悪くないわ……!
「は、ハリー!?」
「ほらほら、どうした? 説明してやれよ。なーんで、アステリアが近づくと赤くなっちまうんだ? なぁ、ドラコ・マルフォイくんよぉ」
楽しそうなハリー。
けれど、うっとりしている場合じゃない。決め手はわたしでなければならないのだから。
「ド・ラ・コ・くーん! どうして赤くなっちゃうのか、アステリアに教えてあげたらー? 彼女、あなたの事をとーっても心配してるんだよー?」
「うぐぐ……」
「ドラコ。男ならビシッと決めろよ」
「ぐぎぎ……」
ちなみにわたし達の周りには人だかりが出来ていた。
当然だろう。こんなに面白い見世物を見逃す手はない。けれど、ハリーが咄嗟に周囲の声がドラコに聞こえないように防音呪文を唱えていたから、ドラコは気付いていない。
さすがは出来る男ね、ハリー!
「ドラコ!! 男らしく、ハッキリ言いなさい!!」
「ぎぃぃ……」
「ド、ドラコ先輩!」
ここに来て、アステリアが動いた。なんと、彼女はドラコを抱きしめたのだ。
「なんと!?」
ルシウスは目を見開いた。ナルシッサはキャーと嬉しそうな悲鳴をあげた。マクゴナガルは「あらまあ」と口に手を当て、シリウスは「ほほう」と感心したように顎に手を添えている。
「ジ、ジニー! それに、ハリー様も! よく分からないけど、ドラコ様を虐めないで下さい! こんなに顔を赤くして、苦しそうなのに!」
その言葉にドラコはようやく言葉らしい言葉を発した。
「……ち、違うんだ、アステリア」
「ド、ドラコ様……?」
ドラコはアステリアの肩を掴んで引き剥がすと、彼女を見つめた。
その情熱的な視線に、アステリアは照れたように頬を染めると、そっと目を伏せた。
そして、ドラコは意を決したように彼女に言った。
「ぼ、僕は君が好きなんだ、アステリア!!」
「……へ?」
言った!!
「ド、ドラコ様……? い、今……、なんと?」
「アステリア」
一度好意を口にしたことで落ち着いたのか、ドラコはさっきまでの情けない表情を消し去り、全力でハンサムフェイスを作った。
ハリーが吹き出しそうになるのを必死に我慢しているのが見える。かく言うわたしも必死に我慢している。
あの決め顔! カメラで撮って、永久に残してやりたくなるわ!
「僕は君が好きなんだよ、アステリア。その……、迷惑かもしれないが、僕に気持ちを君に知って欲しい」
「ド、ドラコ様……」
アステリアは真っ赤になった。
ミッションコンプリート。わたしはハリーと一緒に大人達と彼らの傍を離れた。
そして、群衆と共に成り行きを見つめた。
「あ、あの……、ど、ドラコ様……」
そして、アステリアは言った。
わたし達は拍手喝采の準備をした。
「ごめんなさい!!」
空気が凍った。
「……ア、アステリア」
「わ、わたし……」
アステリアは涙を流していた。そして、後ずさりながら表情を歪める。
「わたし……、ダメなんです……。わたしなんて……、呪われていて……、ドラコ様には相応しくありません!」
「呪われてって……、何を言ってるんだ……? ア、アステリア!」
アステリアはドラコに背を向けて走り出した。
ドラコは戸惑っている。だけど、それはわたしも同じだ。こんな展開になるなんて、思っていなかった。
だって、彼女は彼に好意を懐いていたし、彼も彼女に惚れていた。だから、告白さえ成功すれば、そのまま付き合い出す筈だと確信していた。
「追いかけろ、ドラコ!!」
ハリーが怒鳴った。
「呪いはボクがどうにかする!! だから、とにかく追いかけろ!!」
「は、ハリー!? 君、何か知ってるのか!?」
「彼女は血の呪いを受けているんだ! だが、解呪する目処が立っている! 彼女の姉、ダフネ・グリーングラスの研究が実を結びつつあるんだ! ニコラス先生とボクも協力している! もう、研究の完成は目前だ! だから!!」
ハリーの言葉にドラコは目を見開いた。
そして、怒りの表情を浮かべた。
「血の呪いだと……? 研究していた……?」
「ドラコ……?」
ハリーが首を傾げると、ドラコはハリーに掴みかかった。
「お、お前! どうして黙っていたんだ!?」
「ちょっと、ドラコ!?」
わたしは慌ててハリーとドラコの間に割って入った。
「な、何してるのよ、あなた!」
「うるさい!! 彼女が血の呪いを受けていただと!? どうして、それを知っていながら黙っていたんだ!?」
「血の呪いは解呪出来るんだ! だから、どうでもいいだろ! それより、彼女を!」
「どうでもいい!? 僕は……、彼女が苦しんでいた事を知らなかったんだぞ!?」
ドラコは血を吐くように叫んだ。
「それなのに……、僕はろくでもない事ばかりを考えて……」
「大事なのはこれからだろ!? たしかに、彼女が苦しんでいた事は事実だ! だけど……、だけどな! 彼女はその事で誰にも同情なんてして欲しくなかったんだ! だから、いつでも明るく振る舞っているのだと、ダフネが言っていた!」
ハリーの言葉にわたしは息が出来なくなった。
ろくでもない事ばかりを考えていたのは、わたしだ。
血の呪い。それがどんなものか、わたしも少しは知っている。遺伝する呪詛であり、発症した者は長く生きられない。
知らなかった。そんな事、言い訳にもならない。
わたしは彼女の事を何も考えていなかった。彼女の事を知ろうともしていなかった。明るい笑顔を向けてくれた彼女を、ただ、ドラコを利用する為に使っただけだ。
「巫山戯るな!!」
ドラコは叫んだ。
「僕は……、僕の方こそ……、相応しくないのは僕の方じゃないか!!」
「ま、待て、ドラコ!!」
ドラコは走り出した。アステリアが去っていた方向とは真逆だ。ハリーが慌てて追いかける。
「おい、大丈夫か!?」
茫然としていると、シリウスがわたしに声を掛けてきた。
「真っ青じゃないか!? ゆ、友人の事が心配なのは分かるが、ハリーならば彼女を救ってくれる筈だ! だから、安心しなさい」
その言葉にわたしは笑いそうになった。
ハリーはアステリアを救おうとしていた。高潔で優しく、妥協しない彼らしい……。
「……あはは」
相応しくない。
わたしに彼は……、相応しくない。
「き、君!?」
気づけば、わたしも走っていた。どこに向かっているのか、自分でも分からない。ただ、その場にいる事が辛かった。消えてしまいたかった。
そして、気がつけば暗い森の中にいた。
「……おや、お嬢さん」
そこには先客がいた。息を呑むほどに美しい青年だった。
「泣いているね。どうかしたのかい?」
その声には特別な魔力が篭められていた。
そうとしか思えなかった。
荒れ狂う感情の波が途端に収まったのだ。
「安心するといい。ここには君とボクしか居ない。悩みを聞こうじゃないか」
そう言うと、彼は目の前に机と椅子を作り出した。杖を振るったようには見えなかったけれど、間違いなく魔法による現象だ。
そして、彼は机の上にカップを置いた。黄金で出来ていて、宝石が散りばめられている。そして、穴熊の模様が刻まれている。
彼はカップをわたしに差し出して来た。中には琥珀色の液体が満たされていた。
「飲むといい」
「……はい」
わたしは疑う気持ちすら持てないまま、そのカップを手に取った。そして、その中身を飲み干した。
すると、胸の辺りから温かいものが全身に広がっていった。
「安心するといい、ジネブラ・ウィーズリー。ボクは君を傷つけない。ただ、君という器の片隅を貸してもらうだけだ」
青年はそう呟くと、光になって消えた。
そして、ジニーはどういうわけか、アステリアの下へ行くべきだと思い立ち、歩き出した。