「……校長、これは」
新学期を前に、ホグワーツ魔法魔術学校の校長室にはアルバス・ダンブルドアとニュート・スキャマンダー、セブルス・スネイプ、リーマス・ルーピンの四人が集まっていた。
スネイプは新聞記事に目を通しながら苦々しい表情を浮かべている。
「すべて、真実じゃよ。よく調べられておる」
ダンブルドアは感心した様子で言った。
「し、真実なのですか!? こ、この記事にはあなたがマグル支配に乗り出した事があると……!」
リーマスの言葉にダンブルドアは恥じ入るような表情を浮かべた。
「書いてある通りじゃ。この手紙も間違いなくわしがグリンデルバルドに宛てて送ったものじゃよ」
「そんな……」
リーマスは信じられないと表情を歪めた。
「あなたは……、マグルを魔法使いが支配する事を正しいと……、そう信じていたと!? あなたが!?」
「落ち着かんか、ルーピン!」
取り乱すリーマスをスネイプが諌めた。
「過去の事だ! 後に校長はグリンデルバルドと袂を分かち、決闘の後に奴をヌルメンガードに収監している。そして、今はマグルやマグル生まれの保護に苦心なされている!」
「セ、セブルス……。君は……、この記事を読んでも……、それが事実だとダンブルドアが認めても、信じるのかい……?」
「若き日の過ちなど、誰にでもある。まさか、貴様……。校長が生まれながらの聖人だとでも思っていたのか?」
「だ、だって……」
リーマスはダンブルドアを見つめた。何か言い訳をして欲しい。この記事を否定して欲しい。そう、視線で訴えかけても、ダンブルドアは黙秘を貫いた。
「……ハッ」
スネイプはその姿に遠い日の事を思い出し、苦笑した。
彼もアルバス・ダンブルドアを何一つ欠点を持たない完璧な聖人だと信じていた。
あの日までは……。
―――― その代わりに、わしには何をくれるのじゃ、セブルス?
いずれ、ヴォルデモートを打ち倒す者が現れる。
シビル・トレローニーの《予言》を、当時死喰い人であったスネイプから齎されたヴォルデモート卿は、スネイプが愛していた女性の子供が予言の子である事に気づき、一家を殺害する事を決めた。
スネイプは後悔した。そして、
だから、スネイプはダンブルドアを頼った。リリーを救って欲しいと……。
あの時のダンブルドアが己に向けた軽蔑の眼差しを、スネイプは今でも覚えている。侮蔑の声が今でも耳に残っている。
誰に対してもチャンスを与えようとする慈悲深き彼ならば、リリーを救う為に何も言わず、全力を尽くしてくれると思い込んでいたのだ。
あれから十数年の月日が経ち、スネイプはダンブルドアの二面性を知った。
慈悲深く、誰に対しても穏やかで優しい賢者。
冷酷で、目的の為ならば手段を選ばない
それが彼なのだ。
決して、悪ではない。彼の目的は常に《より大きな善のために》だ。
犠牲は最小限に、最大の効率をもって世界を救う。
必要とあらば、己自身の命や尊厳すらも平然と
それがアルバス・ダンブルドアなのだ。
―――― セブルス。お主には明かしておこう。
ハリーがヴォルデモートのオリジナルを滅ぼした夜、ダンブルドアはスネイプに己の企みを明かした。
ハリーが分霊箱の一つである可能性に気づき、ヴォルデモートを完全に滅ぼす為には彼の死が必要不可欠であると考えた事。そして、その死はヴォルデモートの手によって与えられなければならない事。だから、彼をヴォルデモートと殺し合わせる為に育てようとしていた事を。
まるで、屠殺されるべき豚のように扱おうとしていた事を聞いた時、スネイプはダンブルドアを責めた。
約束が違う。リリーを救わなかったのなら、せめて、その息子は救ってくれるものと信じていたのに、裏切られた為だ。
それでも、スネイプはダンブルドアの下を離れなかった。
他に居場所など無かったからだ。光の下にも、闇の中にも、セブルス・スネイプの安息など無かった。
ただ、ここには己を導いてくれる存在がいる。そして、リリーの息子がいる。
ハリー・ポッター。入学早々にスリザリンの継承者となり、秘密の部屋を見つけ出し、バジリスクを使役し、ヴォルデモートのオリジナルを滅ぼした少年。それ以降も彼は数々の伝説を作り出した。
あまりにも出鱈目な彼の在り方には、彼の母親の面影はおろか、父親の面影すら無かった。
そう、思っていた。
―――― 先生! 魔法薬について教えて下さい!!
彼は非常に知識欲が旺盛で、何度も授業の内容に関する質問をしに来ていた。
―――― 先生! オリジナルの呪文を使った事があるって、本当ですか!?
親友のドラコと共に尊敬の眼差しを向けてきて、スネイプにむず痒さを感じさせた事もあった。
ダンブルドアの命令もあって、誰よりもハリー・ポッターという少年を注視していたスネイプは気付いていた。
彼の行動の裏には、明らかにリリーから受け継がれた優しさがある事に。
だから、セブルス・スネイプはここにいる。
「アルバス・ダンブルドアは人間なのだ、ルーピン。それだけの話だ」
「……セ、セブルス」
ルーピンはスネイプの言葉に目を見開き、そして、俯いた。必死に、今の言葉を飲み込もうとしている。
「それより、問題は記事に振り回される愚か者共への対処と記事を掲載させた者への対策ですな」
「必要無かろう」
ダンブルドアは言った。
「受けるべき糾弾を受ける時が来た。それだけの事じゃ」
「馬鹿な事を! あなたも気付いている筈だ! これは明らかに何者かの攻撃ですぞ!」
「攻撃……?」
リーマスが顔を上げると、スネイプは腹立たしげに言った。
「如何に真実に基づいていようと、このような記事を日刊預言者新聞が掲載するなどありえん! 出版前に差し押さえられるべき内容だ! にも関わらず、こうして我々の手元へ届けられた。明らかに何者かの悪意が動いておる!」
「……おそらくはヴォルデモート卿の分霊だろうね」
それまで沈黙していたニュートが口を開いた。
「だからこその無抵抗……、ですね?」
ニュートの言葉にダンブルドアは頷いた。
「そ、それはどういう事ですか!?」
リーマスの言葉にダンブルドアは言った。
「ヴォルデモートの分霊が動いておる。これは間違いない。ハリーも証言しておる」
「ハリーが!?」
「どうやら、クィディッチ・ワールドカップの日、彼はヴォルデモートの分霊の一体と戦ったようじゃ」
「なっ!? 聞いていないぞ! どういう事だ!?」
スネイプがダンブルドアに掴みかかると、彼は「すまない」と謝った。
「わしも昨日、ミネルバから聞いたばかりなのじゃ。戦いはすぐに終結し、ハリーが勝利したようじゃ。おそらくは、そこで残りの分霊の事を知ったのじゃろう。残り三体の分霊が動いておるそうじゃ」
「さ、三体……!? し、しかし、さすがはポッターですな」
当然の事のようにヴォルデモートの分霊を倒しているハリーにスネイプは顔を引き攣らせた。
「残りの三体もポッターに任せておけば良いのでは……?」
「……確かに、ハリーは凄いですね」
スネイプとリーマスの言葉にダンブルドアは首を横に振った。
「今回の分霊は搦め手を使っておる。これまでのようにはいかん」
「……ならば、尚の事! このようなゴシップであなたが力を削がれるなど、それこそ相手の思う壺ではありませんか!」
「さようじゃ、セブルス。今度の分霊は非常に慎重じゃ。この記事を出版出来る程度に魔法省内部へ根を張り、極一部の者しか知り得ぬわしの過去を調べ尽くし、自身の存在は霞の如く隠し通しておる。こちらから打てる手はほとんど無いのが現状じゃ」
「だからこそ、相手の思惑に乗る事で、相手の行動を縛る必要があるんだ」
ダンブルドアの言葉を補足するようにニュートが言った。
「ヴォルデモートは典型的な劇場型犯罪者だ。己の思惑通りに進めば、最後の一手を必ず自らの手で打つ。予言を知り、ハリーの両親を自ら殺した時のように」
ニュートの言葉にスネイプとリーマスの表情は同時に歪んだ。
「……馬鹿げている」
スネイプは吐き捨てるように言った。
「残り三体なのだろう!? その内の一体の為に、どれほどの犠牲を出すつもりだ!? 残りの二体を相手にする時、こちらが満身創痍では、それこそ勝ち目が無くなるではないか!」
「だからこそじゃよ、セブルス」
ダンブルドアは言った。
「残りは三体。その内の一体の為にお主等や他の勇敢な者達を疲弊させるわけにはいかぬ。わしの名声と地位……そして、必要とあれば命を代償に分霊の一体を滅ぼしてみせようぞ。その後は……、セブルス。お主に託したい」
「わ、我輩に……?」
「無論、まだ役割が残っておる内は命を悪戯に捨てるつもりはない。じゃが、万が一の時はお主がヴォルデモートに挑むのじゃ。リリーの息子を守る為ならば、お主は如何なる危険にも飛び込んでいける勇気を持っておる」
「……戯言を」
「セブルス。わしは時々、《組分け》が性急過ぎるのではないかと思う事がある……」
ダンブルドアの言葉にスネイプは雷に撃たれたような表情を浮かべた。
「わしが後を託せる者が居るとすれば、それはお主以外に居ないのじゃ。どうか、この哀れな老人の願いを聞き届けてはくれんかのう?」
「……十四年前のあの日から、我輩の答えは決まっております」
「ありがとう、セブルス」
第五十六話『思い』
スネイプ達が去った後、校長室に残ったダンブルドアに歴代の校長達の肖像画が語りかけてきた。
【……ダンブルドア。わたしは反対です。如何なる犠牲を払おうとも、あなたは傷を負うべきではない】
ディリス・ダーウェントの言葉にダンブルドアは目を細めた。
「必要な事じゃ」
【分かりませんね。たしかに、セブルス・スネイプは優秀です。ここで、ずっと見てきました。彼の行動原理も知っています。ですが、あなたに代われる程の器ではない】
「わしはそうは思わぬよ、ディリス」
【どんな形であれ、ハリー・ポッターが死ねば、彼は再起不能になる。彼の生きる理由が無くなるからです】
「だからこそ、あの子を守る為に命を賭けられるのじゃ」
【……逆に言えば、彼にはそれしかない。そんな者にホグワーツを守る事は出来ません。まして、世界を背負える器ではない】
「それを言うなら、わしもじゃよ」
【たしかに、あなたも世界を背負える器ではない。あるいは、ヴォルデモート卿となった彼ならば背負えたかもしれないが、彼は道を誤った】
【グダグダ言いなさるな、ダーウェント殿!】
オッタライン・ギャンボルが噛み付くように口を挟んだ。
【ギャンボルの言う通りだ。賢いつもりになっているところを悪いが、ダンブルドアが考えなしに賭けに出ると思うのかね?】
エルフリーダ・クラッグの言葉にディリスは【……どういう意味でしょうか?】と問いかけた。
【残りは三体。今動いておるのが一体のみとも限らぬ。あるいは、三体の分霊が同時に動いておる可能性もある。現状はダンブルドアがスネイプ達に語った以上に厳しいのだ。なにしろ、敵の事が殆ど分かっておらん。故にこそ、ダンブルドアは自らを囮にする事を考えたのだ。そして、おそらくは死に限りなく近い状態になる気でおる。それによって、奴、あるいは奴等の警戒を解く気なのだ。それで漸く、勝機を見出す為の可能性が生まれるのだ】
【一人だけでも厄介な存在が三人同時に存在しているのだ。常道では勝ち筋など見えぬ】
エルフリーダの言葉に普段は口数の少ないリガルド・ヒューイックが続いた。
【だが、ハリー・ポッターはオリジナルを含めて三度! 赤子の頃を含めれば四度もヴォルデモート卿を滅ぼしているではありませんか! 警戒するあまりにドツボにハマってしまうのは如何なものかと思いますが?】
デクスター・フォーテスキューの言葉にアーマンド・ディペットとフィニアス・ナイジェラス・ブラックが【その通り!】、【まったくである!】と追随する。
【話を聞いていなかったのか!? オリジナルはバジリスクという反則技を使った上で奇襲を仕掛けたからこその勝利だった! 日記の分霊は、所詮は子供時代の魂であり、未熟だった! ワールドカップの際に現れた分霊については分からぬが、これまでの勝利は幸運と状況が揃っていたからに過ぎんのだ! 今度の分霊は《政治》を武器にしておる! これは全盛期の手管だ。あの頃の魔法界を思い出せ! 一人の男の策略によって、人々は友や家族すら信じられなくなった! 多くの者が為す術無く死んでいった! これからなのだ! これからが本当の戦いなのだ! 闇の帝王との戦いは、これからが始まりなのだ!】
エルフリーダの言葉に全ての肖像画が押し黙った。
「……さようじゃ、エルフリーダ。これは、嘗ての暗黒期の始まりと同じじゃ。魔法省は徐々に死喰い人に乗っ取られていき、新聞は人々の不安や不信を煽る為の物と成り果て、やがては悪意が国中に蔓延した。手を誤れば、同じ事が起きるじゃろう」
【し、しかし……! あなたの力が失墜すれば、それこそ暗黒期の再来となってしまいます! その状況で、スネイプに何が出来ると!?】
「セブルスには……」
【囮になってもらうのだよ、ディリス】
【……囮に】
ディリスの声は僅かに震えた。
【あなたは……、彼を買っていたのでは?】
「……セブルスは勇敢な男じゃ。わしの思惑にも、薄々とは気付いているじゃろう。そして、必要な事をしてくれる筈じゃ」
【しかし……!】
【ディリス殿、いい加減にしなされ。何を犠牲にしても、と言ったのはあなたでしょうに】
エルフリーダの言葉にディリスは【それは……】と言葉を濁した。
【それに、スネイプだからこそなのだ! あやつでなければ任せられぬ使命なのだ! 買っているからこそなのだ! ダンブルドアの言葉に偽りはない!】
ダンブルドアは押し黙っていた。甘言を囁き、一人の男を死地へ送ろうとしている自らの罪を深く、深く、深く心の底へ沈めていく。
あるいは、ハリーならばすべてを変えられるかもしれない。
己の企みなど、何の意味も無い事なのかもしれない。
けれど、すべてをハリーに託すという選択をダンブルドアには選ぶ事が出来なかった。
ミネルバから、もう、ハリーに如何なる相手であっても殺人など行わせたくないと言われた事も理由の一つだが、それ以上に、不確定要素を盲信出来る程、愚かになる事が出来なかった。
「……わしは」
ダンブルドアは肖像画達に背を向け、苦悩の表情を浮かべた。
◆
『……なるほど』
その会話をエグレはすべて聞いていた。マーキュリーからクィディッチ・ワールドカップでハリーがヴォルデモートの分霊と戦闘になった事を知らされ、情報を集める必要があると判断した為だ。
『我も今のままでは……』
エグレはしばらく思考した後、静かに秘密の部屋へ戻った。そして、ゆっくりと過去の記憶を振り返り始めた。
『偉大なる父上よ、どうか……』
偉大なる魔法使い、サラザール・スリザリンに与えられた叡智。その一つ一つを検証していく。
そして……、
『……気は進まぬが、マスターの為ならば』
蛇の王は密かに決意を固めるのだった。