セストラルが引く馬車に乗って、ハリー達はホグワーツにたどり着いた。
「ねえ、あの記事を読んだ?」
誰かが囁いた。
「ダンブルドア先生の? 読んだけど……、あれって本当なの?」
「ダンブルドアがマグル支配に乗り出そうとしていたって、マジなのかな?」
「あんなの嘘っぱちに決まってる!」
「でも、あの情報は確かなものだって、爺ちゃんが言ってたんだ。爺ちゃんはダンブルドアの家の近くに住んでいたんだよ」
「記事に掲載されていた写真を見てないのか? ガッツリ肩を組んでいたじゃないか」
誰もが同じ話題を口にしている。
クィディッチ・ワールドカップの翌日に発行された日刊預言者新聞。
そこに掲載されたダンブルドアの過去の暴露記事についてだ。
「……くだらね」
「あれ……? ハリーは興味無いの? ダンブルドアの過去」
ドラコは意外そうにハリーを見つめた。
―――― 許さん……、アルバス・ダンブルドア!!
ハリーがダーズリー家と決別した日に、彼はドラコの前でそう叫んだ。
あの後、すぐには理由を話してくれなかった。
けれど、シーカー選抜試験の後で、彼は話してくれた。
自分がダーズリー家に預けられた切っ掛けであり、叔母であるペチュニアを過去の事で脅し続けていた。
特に、嫌っていても、家族だった人を脅し続けていた事はハリーの逆鱗に触れるものだった。
「どうでもいい」
ハリーは言った。
「自業自得とか、思ってないの?」
「ちょっと、ドラコ! それ、どういう意味!?」
ハーマイオニーはドラコを睨みつけた。
「まさか、あんな記事を信じているの!?」
「ド、ドラコ様に向かって無礼ですよ!」
掴みかかりそうな勢いのハーマイオニーに、アステリアが割って入った。
「……そうじゃないよ、ハーマイオニー」
ドラコはアステリアに「大丈夫」と声を掛けつつ肩を叩きながら言った。
「僕はハリーが興味を持つと思っていたんだ。だって、ダンブルドアは……」
嫌悪感を滲ませるドラコにハーマイオニーは困惑した。
「どういう事……?」
「……ダンブルドアはペチュニア叔母さんを過去の事で脅していた。昔、姉であるリリー・ポッターがホグワーツへ入学した時に、自分も一緒にと希望した事を家族に知らされたくは無いだろうって……。オレを育てたダーズリー家では、魔法はタブーだった。もし、家族にそんな過去を知られたら……いや、実際にはバーノンは彼女を愛していたし、特に何も起こらなかったかもしれないが……、それでも、彼女が夫や息子との関係が壊れる事を恐れるには十分な理由と成り得た……」
ハリーは拳を強く握り締めながら言った。
「そんな……、ウソでしょ!? ダンブルドア先生が……、そんな事……」
「信じなくてもいい。それに、どうでもいい」
「……あの、よく分からないんですけど、どうでもいいって事は無いのでは?」
アステリアは首を傾げながら言った。
「だって、ハリー様は怒っていらっしゃいますよね? 叔母様を脅された事を……」
「ああ、怒っている。オレはペチュニア叔母さんを憎んでいた。だけど……、それでも不幸になって欲しくないと願っている。まあ、彼女の不幸の理由の大半はオレの存在だったけどな。それでも……、脅され続けていたなど……、許せる筈がない……」
ハリーは感情を懸命に押し殺しながら絞り出すように言った。
「なら……、どうして?」
ハーマイオニーは気遣いながら問いかけた。
「脅されていた事はペチュニア叔母さんだけの秘密だった。バーノンも知らなかったんだ。二人は……、オレの存在を憎んでいたが……、それでも捨てなかった。脅されている事を話題に出す事も無かった。つまり、脅しなど必要無かったんだ。ダンブルドアは単なる間抜けだったという事さ。ペチュニア叔母さんの事を何も理解せずに、無駄な事をしたんだよ。無駄な事をするのは、愚かな事だ。要するに、アイツは愚かなんだよ。愚か者が卑劣な策に手を染めて、それがそのまま自分に返って来たってわけだ。……笑い話にもならない。そんな事を気にするなんて、無駄だ。……無駄なんだよ」
「……なるほど」
ドラコは納得した。
ハリーはダンブルドアを憎んでいる。けれど、彼を傷つける為に彼の過去を持ち出すなど、それでは同じ穴のムジナになってしまう。
憎んでいるからこそ、彼はダンブルドアの過去に関心を抱かないのだ。
「それより、オレはあの記事を書かせた黒幕の方に興味がある」
「黒幕って……?」
ハーマイオニーが問い掛けると、ハリーは笑みを浮かべた。
「ヴォルデモートの分霊だ。どうやら、今までとは違うらしい」
「ヴォルデモートの分霊ですって!? まさか……、あなたが倒した筈でしょ!?」
「倒したのは日記の分霊と……あと、よく分からない奴を一人だ。まだ、三人いる」
「よく分からないって……? それに、三人って、そんなに!? どうして、そんな事を知っているの!?」
ハーマイオニーは矢継ぎ早に質問をした。
「クィディッチ・ワールドカップの日だ。……奴が現れた。ドビーと一緒にロンドンまで追跡して、奴は箒もなく、空を飛んだ。マーキュリー、ウォッチャー、フィリウスにベイリンと一緒に来てもらって、空で追い詰めると……、奴は……、何故か……自殺した」
「自殺!? えっ、分霊が!?」
「ああ……、オレにもよく分からなかった。ただ……、何ていうか……、ヴォルデモートである事は間違いなかったけど……、良い奴だった気がする」
「良い奴……? 君……、自分が何を言っているのか分かっているのかい? ヴォルデモート卿なんだろ?」
ドラコは信じられないという表情を浮かべた。
「ああ……、分かっている。だが……、いや、気の所為だ。ああ、大変だ。もう、みんな城の中だぞ。オレ達も急ごう」
「あ、ああ」
第五十九話『糾弾』
ハリーは新入生達を哀れに思った。
本来、この日の主役は彼らの筈だった。
それなのに、在校生の視線や意識はすべてアルバス・ダンブルドアに向けられていた。
懐疑、不信、憎悪。どの視線にも負の感情が色濃く乗せられている。
「なんだか……、変な空気ですね」
大広間で合流したローゼリンデが言った。
「一大スキャンダルだからな。特に、ダンブルドアは聖人のように扱われてきた。悪人が悪事を働く以上に、善人が悪事を働くと、反応は過敏になる」
ハリーはテレビのニュースを見ている時のバーノンの姿を思い出しながら言った。
―――― 連続殺人の犯人を捕まえた? まったく、警察は何をしていたんだ! 遅過ぎる! おかげで十人以上がやられたぞ! 怠慢だ!
悪党のニュースに対して、バーノンの憤りは犯人よりも逮捕が遅れた警察に向けられていた。
―――― 弁護士が賄賂を受け取っていたらしいな。ッハ! 慈善活動だとか、弱者の味方だとか持て囃されておったが、わしには分かってたぞ! 善人の皮を被った姑息な奴だって事はな!
正義の弁護士と謳われていた男の賄賂を受け取った疑惑があるというスキャンダルにバーノンは大喜びだった。善人が堕ちる様は悪人が堕ちる様よりも絵になる。
後に、疑惑は疑惑でしかなく、正義の味方は正義の味方だったけれど、バーノンが彼の正義を信じる事は無かった。そして、それは世論も同様だった。
ペチュニアの読んでいた雑誌に、彼の私生活を暴く記事が掲載されていた事を覚えている。
徹底的に粗を探そうとしていた。穢れている筈だと信じ、穢がないのなら、いっそ穢してしまおうとしているようだった。
「……実にくだらない」
ハリーは不愉快そうに呟いた。
「……ハリー・ポッター様」
ローゼリンデは不安そうな表情を浮かべた。
◆
食事が終わると、ダンブルドアは立ち上がった。
いつもの諸注意を言う為だろう。
「さて! みんなよく食べて、よく飲んだ事じゃろう」
生徒達から注がれる視線の意味に、ダンブルドアも気付いている筈だ。
それでも、彼はおくびにも出さない。いつものように穏やかな微笑みを浮かべている。
「いくつか知らせる事がある。管理人のフィルチさんから伝えるようにとの事じゃが、城内持ち込み禁止の品に今年は次の物が加わった。『叫びヨーヨー』、『噛みつきフリスビー』、『殴り続けのブーメラン』。禁止品は全部で437品目ある筈じゃ。リストを確認したい生徒が万が一にも居るのであれば、フィルチさんの事務所で閲覧可能である事を申し上げておく。一応のう」
いつもであれば、それなりに笑いが起こる筈のダンブルドアのジョークにも誰も反応しない。
けれど、ダンブルドアは気にしなかった。
引き続いて、彼は言った。
「いつもの通り、禁じられた森は立入禁止じゃ。ホグズミード村へも三年生になるまでは禁止じゃ。そして、これを言うのは実に辛い事なのじゃが……」
ダンブルドアが更に話を続けようとした時、一人の生徒が立ち上がった。グリフィンドールの生徒だ。
「ダンブルドア先生!」
「……ミスター・ロジャー。どうかしたのかね?」
アーノルド・ロジャー。去年はパーシーが付けていた首席のバッジを身に着けている。
頑固そうな男だ。
「クィディッチ・ワールドカップの翌日に発行された記事にあなたの事が掲載されていました! あれは事実なのですか!?」
みんなが息を呑んだ。教師達すらギョッとした表情を浮かべている。
まさか、生徒が真正面から詰問してくるなどと思っていなかったのだろう。
ただ一人、ダンブルドア自身を除いて。
「事実じゃよ、ミスター・ロジャー。すべて、事実じゃ」
躊躇う素振りすら見せずに、ダンブルドアは言った。
「あの手紙も、わしがゲラートに宛てて送った物じゃよ」
「そんな……!?」
ロジャーは否定して欲しかったのだろう。彼は周りの生徒達がダンブルドアに猜疑の視線を向けている事が我慢ならなかったのだ。
彼は衝撃を受けた表情で、倒れ込むように椅子に座った。
「校長先生! では、先生はマグル支配を企んでいたという事ですか!? あ、あなたは……、マグルを……お母さん達を見下していたという事ですか!?」
マグル生まれなのだろう。一人の女生徒が泣きそうな表情で、悲鳴のような声を上げた。
すると、ダンブルドアは笑みを消して、悲しげに首を振った。
「……あのような手紙を
「グリンデルバルドは闇の魔法使いじゃないですか!! マグル支配に乗り出した大罪人ですよ!? ぼ、僕のお爺ちゃんもアイツに殺されたって、父さんが言ってた!!」
レイブンクローの生徒が叫んだ。
「グリンデルバルドを擁護するなんて!!」
「あなたは今でもマグル支配を企んでいるんですか!?」
「信じていたのに!!」
「許せないわ!!」
ハッフルパフからも、スリザリンからも、ダンブルドアを糾弾する声が上がる。
ハリーは不可解に思った。
何故、ダンブルドアはグリンデルバルドの事をわざわざ口にしたのだろうかと。言わなくてもいい事だった。むしろ、言うべきではなかった。たとえ、本心がどうあろうとも。
うっかり余計な事を言ってしまっただけとは思えない。何故なら、彼はアルバス・ダンブルドアだからだ。今世紀最高の魔法使いであり、比類なき知性の持ち主だからだ。
だから、ハリーは気付いた。
―――― なるほど、糾弾される事が目的か。
ダンブルドアは敢えて糾弾を受け入れている。
マクゴナガルが彼にハリーの言葉を伝えた事は聞いていた。あの記事がヴォルデモートの分霊の攻撃である事も、彼は知っているのだ。
その上で、相手の策に乗るつもりなのだろう。相手の出方を窺うために。
「……これ、ヤバイんじゃないか?」
ドラコが小声で言った。
ハリーはダンブルドアを見た。
「ダンブルドア!! あなたは今までマグルやマグル生まれの守護者として扱われてきた!! それなのに!!」
「何を思っていたんですか!? 愚かだと? それとも、愉快だと?」
「守ってきたのは、信奉者を募る為だったんですか!? すべてはマグル支配の布石とする為に!?」
糾弾の内容が飛躍し始めた。
そう考えられなくもない程度の浅い考えを、まるで真実であるかのように錯覚し始めている。
糾弾している生徒達は自分に酔い始めているのだ。
「……なんだか、怖いです」
アステリアはドラコの腕を掴んだ。
「ああ、恐ろしいな……」
ドラコは言った。
「いくらなんでも、どうかしてる」
スリザリンに入って来た一年生達も怯え切っている。
「楽しいんだろうな」
ハリーは言った。
「楽しい……?」
ローゼリンデは首を傾げた。
「今、糾弾している連中は自分に正義があると確信しているんだ。なんせ、ダンブルドア自身があの記事を真実だと認めたからな。相手が悪なら、何をしても許される。正義っていう免罪符を手に入れて、偉大な存在だった男を罵倒し、貶めている。それが楽しくて仕方ないのだろうな」
「そんな……」
ローゼリンデはショックを受けた表情を浮かべた。
そして、ハリーは徐々に表情を歪ませていった。
「ダンブルドア! アンタはクソ野郎だ!!」
もはや、糾弾ですらない罵倒。その光景にハリーはローゼリンデが虐められていた事を知った時と同じように爆発しそうになっていた。
相手が弱者だと知れば、調子に乗って虐げる。
それはハリーにとって、最も許し難い行為の一つだった。
ダンブルドアを憎み、ダンブルドアの思惑を察していて尚、ハリーの怒りは極限に達しようとしていた。
後数秒でプッツンする。それが分かるからこそ、押し黙った。
けれど、押し黙っても、愚か者共の喚く声は耳に入ってきてしまう。
そして、三秒。二秒。……一秒。
彼はプッツンした。
「……エクスペクト・フィエンド」