第七十一話『アルバス・ダンブルドアの苦悩』
主催者側に落ち度があると主張する者達も、内心では『もう少し抑えてほしかった』と嘆息していた。
彼ならば、もっとスマートにドラゴンを鎮圧出来た筈だ。それなのに、結果としてホグワーツの城が半壊し、湖は形を大きく変え、禁じられた森の一部が燃え尽きてしまった。
幸か不幸か、バジリスクとドラゴンの殺気がぶつかり合った時点で、すべての生物が森の奥、あるいは水底へ避難していた為に被害は最小限に抑えられたが、一部の魔法生物が発狂して森から逃げ出し、
特にケンタウロスは必死だった。何故なら、森を焼いた張本人であるハンガリー・ホーンテイル種の特殊個体が禁じられた森の敷地内に棲む事になった為だ。おまけに、監視の為という事でバジリスクまで徘徊し始めた。
触れてはならない天災級の魔法生物二体に、あらゆる生物が怯え切っていた。それこそ、暗黒の生物と呼ばれるような悪しきモノ、悍ましきモノ達も例外なく怯えている。
禁じられた森の生態系ピラミッドが一気に塗り替えられてしまったのだ。
それでも、ハリー・ポッター本人に抗議するモノは誰も居なかった。
彼らも見ていたのだ。雲海を泳ぐ焔龍の姿を……。
第七十一話『アルバス・ダンブルドアの苦悩』
「ダンブルドア!! やはり、ハリー・ポッターは危険過ぎる!!」
寝る間も惜しみ、ホグワーツの修繕に追われていたダンブルドアを校長室で待ち構えていたのは魔法省の高官達だった。
ダンブルドアはやれやれと息を吐くと、彼らに言った。
「ハリーは見事に試練を乗り越えてみせた。それだけではないかね?」
ダンブルドアの言葉に高官達は血相を変えた。
「馬鹿な!! あの悪霊の火を見ていないのか!?」
「人化したバジリスクの異常なまでの力を目の当たりにして、何を悠長な!!」
「アレは既にヴォルデモートを超える脅威だ!! 野放しにしておくわけにはいかん!!」
この場に魔法省大臣であるコーネリウス・ファッジの姿はない。彼は第一試合を観覧していたが、試合終了後、早々に青褪めた表情で魔法省へ帰還した。
彼らは独断でダンブルドアに直訴する為にやって来たのだ。
時は一刻の猶予もない。彼らは悪意などではなく、魔法界の……、引いては世界の為に恐怖を押し殺してこの場に立っている。
「天を覆う程の規模の悪霊の火! 究極の殺戮能力を持つバジリスク! そこに加えて、特殊個体のハンガリー・ホーンテイル種ですぞ!!」
「ホーンテイルがハリーに服従した事に責任を感じるべきはお主等の方ではないのかね?」
ダンブルドアの言葉に高官の一人は顔を赤くしながら叫んだ。
「彼の一存で世界の命運が決まってしまうのだぞ!! 明日、世界が滅びるかもしれない!!」
「そのような選択を、ハリーは選ばぬよ」
「彼の理性や良識に期待する余裕など無いのが分からんのか!? 世界を滅ぼせるのだ!! そういう力を未熟な子供が持ってしまったのだ!! 彼に比べれば、まだグリンデルバルドやヴォルデモートには目的意識や野心がある分、行動も理解が出来る!! だが、子供は気分次第で突飛な行動に出るものだ!! その突飛な行動が世界を終わらせるかもしれないのだ!! 善人振っている暇などないのが分からんのか!!!」
ダンブルドアは深く息を吐いた。
彼らを突き動かしているモノは二つ。
恐怖と勇気だ。相反する感情ながら、打ち消し合う事なく、むしろ相乗させている。
第一試合で目の当たりにしたハリーの力に、それでも屈するわけにはいかないと立ち上がった。
だからこそ、彼らは止まらない。彼らにとって、現状は既に背水の陣なのだ。後がないからこそ、覚悟も決まっている。
「……ハリーは優しい子じゃよ」
「優しい子が悪霊の火など使うものか!!」
「彼のこれまでの行動には問題視すべき点が多くある!!」
「そもそも、性格がどうこうの段階ではないのだぞ!!」
「アルバス・ダンブルドア!! 教師として、生徒を信じる姿は感動を覚える!! だが、その為に世界を危険に晒すなど、許される事ではありませんぞ!!」
彼らの気持ちや意見にも理解出来る点はある。
ハリーの力は強大過ぎる。しかも、彼は子供であり、まだまだ成長の余地が大いにある。
いずれ、彼はダンブルドアすら超えるだろう。そうなれば手がつけられなくなる。
それが分かるからこそ、彼らは今の段階で手を打とうとしている。
ここが瀬戸際なのだ。今ならば、ダンブルドアが彼を倒す事が出来る。
そう、彼らは信じている。
「はっきりと言っておく」
ダンブルドアは言った。
「わしには、ハリーと戦う気は一欠片たりとも無い。そして、仮に戦ったとしても、敗北するのはわしの方じゃろう」
「そんな筈はない!!」
「あなたなら勝てる筈だ!!」
「戦ってくれ、ダンブルドア!!」
ダンブルドアにとって、それは嘗てグリンデルバルドと戦う事を迫られた日々を思い出させる光景だった。
あの時もダンブルドアは戦いたくなどなかった。あの時との違いは、そもそも戦うべきではないと考えている事だ。
「あの子は道を誤らぬ。あの記事を読んでなお、これほどまでにわしを信じてくれるお主等に、どうかハリーを信じてもらいたい」
ダンブルドアは真っ直ぐな眼差しを高官達に向けて言った。
恐怖に抗い、勇気と覚悟を手にした彼らだからこそ、ダンブルドアは信じた。
彼らは周りに流されるばかりではない。自らの意志で進む事が出来る。
「……話にならない」
けれど、ダンブルドアの祈りは通じなかった。
「あなたなら……、あなたしか居ないのに……」
悲しげに彼らはダンブルドアを見つめていた。
「アレは怪物だ……。悪霊の火は憎悪の炎だ。あれほどの憎悪を持つモノを信じるなど……、出来る筈がない!」
「ハリーは心優しき少年じゃよ、アルフレッド・レイリー、ゼノ・プルウェット、マイケル・アボット……」
三人の名前を呼び、ダンブルドアは真摯な眼差しを向けた。
けれど、彼らは背中を向けた。
「失礼した、ダンブルドア」
「……あなたは、我々の理想としたアルバス・ダンブルドアとは違うらしい」
「さようなら、アルバス・ダンブルドア」
三人が去って行くと、ダンブルドアはゆっくりと傍にあるソファーに腰を落とした。
そこへ不死鳥のフォークスが飛んできた。
慰めるようにダンブルドアを見つめるフォークスにダンブルドアはぽつりぽつりと呟き始めた。
「……彼らに語った言葉は本心じゃよ、フォークス。わしは……、ハリーとは戦えぬ」
手の中で、ダンブルドアは己の杖を転がした。
「この杖を持ってしても……いや、杖は関係ない」
ダンブルドアは悲しげに俯いた。
「彼らの言う通り、わしは理想などではない……」
その弱々しい姿を見ないよう、歴代の校長達は肖像画から姿を消した。
この場にはフォークスだけが残り、ダンブルドアは囁くように言った。
「わしは……、ハリーをヴォルデモートの手で殺されるよう……、そう仕向けようとしていた」
より多くの者を救う為の犠牲として一人の少年に死の運命を背負わせる。
その決断を下した時、ダンブルドアは心を凍てつかせた。
けれど、その企てはハリー自身がヴォルデモートのオリジナルを滅ぼす事で打ち砕かれた。
それからも、ダンブルドアはハリーが第二のヴォルデモートにならないよう疑い続けた。
そして、彼がマクゴナガルやニュートを信じる姿を見て、友の為に戦う姿を見て、後輩を思う姿を見て、バジリスクや屋敷しもべ妖精に優しくする姿を見て、
凍てつかせていた心は
「ハリーと戦えば、わしは自らの罪と対峙する事になる。その時、わしには何も出来ぬ。為す術もなく、ただ倒れる事になるじゃろう……」
勝ち負けを語るのなら、ハリーがヴォルデモートのオリジナルを滅ぼした時、既に決している。
ダンブルドアが定めた運命を彼が乗り越えた時、手の中には罪だけが残った。その罪は鎖となり、ダンブルドアを縛り付けている。
戦いになどならない。ハリーに杖を向けられれば、ダンブルドアは断罪される事を喜び、杖を手放してしまうだろう。
それほど、彼は追い詰められ、苦悩し続けて来たのだ。
「……
計り知れない苦悩に苛まされる主をフォークスはひたすらに慰めた。愛の篭った歌声を響かせ、寄り添い続ける。
それほどまでに苦しいのならば捨ててしまえばいい。逃げてしまえばいい。
より大きな善の為、より多くの人の為、身も心もすり減らして、それなのに誰もあなたの本当の姿を見ていない。見ようとさえしない。
その気になれば何者にだって成れる。求める物を手にする事が出来る。あなたを識る者が誰もいない新天地でも、今より孤独になる事はあり得ない。
あなたは誰よりも幸福になっていい。救えなかったものよりも、救えたものの方が大きいあなたを誰が責められよう。
それでも、あなたは他者の為に自らの人生を使い潰す。苦悩と苦痛と屈辱に苛まされる苦行の道を征く。
ああ、偉大なるアルバス・ダンブルドア。
愛を信じていながら、愛に怯える哀れな人よ。
誰かの幸福の為に不幸になり続ける人よ。
この身の愛をあなたに注ごう。
この身の炎であなたを暖めよう。
その魂に慰めあれ。
その心に救いあれ。
言葉を交わす事は出来なくとも、フォークスは深い愛と想いを込めて彼の為に歌い続けた。