ハリーはシーザーの下を訪れた。たっぷりのブランデーと肉の塊をトランクからドサドサと出すと、シーザーは大いに喜んだ。
これから、シーザーには答えの見えている選択を迫る事になる。
ここに残るか、生息域に戻るかの二択だ。
力で服従させた以上、彼は喜んで生息域へ帰る筈だとハリーは信じていた。そして、その事を深く悲しんでいた。
「……シーザー」
ハリーはシーザーに触れた。
ゴスペルやエグレのようには言葉を交わせない。けれど、シーザーの知性はハリーの言葉を確りと理解出来る。
だから、意志の確認は簡単だ。いとも容易く出来てしまう。
「選んで欲しい。ここに居たいか? それとも、故郷に帰りたいか?」
目をパチクリさせるシーザー。
「オレはお前の意志を尊重する。帰りたいなら、すぐにでも送り届ける」
その言葉にシーザーは首を傾げた。
「シーザー。故郷に帰りたければ、頷いてくれ。それだけでいい」
シーザーはハリーを見つめた。やがて、ゆっくりと首を横に振った。
「シーザー……?」
頷くという言葉の意味を間違えているのか、それとも、頷くという動作を間違えているのか、ハリーには分からなかった。
すると、ゆっくりとシーザーの後ろからエグレが姿を現した。
『マスター』
エグレはシーザーを見上げた。
『見た通りだ。シーザーは故郷に戻る事を望んでいない』
『い、いや、しかし……』
『シーザーの意志を尊重するのでは無かったのか?』
『それは……、その通りだが、どうして……』
ハリーはシーザーを不思議そうに見つめた。
『……さて、そこまでは我にも分からぬ。だが、シーザーはマスターの下に残る事を望んでいるようだ』
ハリーは信じられない思いでシーザーを見つめた。
そして、ゆっくりと頷いた。
「お前が……、そう望んでくれるなら」
ハリーの言葉に満足したのか、シーザーは嬉しそうに吠えた。
想定外の事に対して、ハリーは歓喜しながらも、どこか夢を見ているかのような気分になり、よろよろと城へ戻って行った。
もう、空はすっかり暗くなっていた。
第七十三話『トムとハリー』
目が覚めると、ハリーは白い世界にいた。よく見れば、そこがキングス・クロス駅である事が分かる。
ハリーはベンチで寛いでいるトムを見つけた。
「やあ、久しぶりだね」
「ああ」
ハリーは手元にチェスを用意した。ここは生と死の境界であり、精神と物質の狭間にある世界。望む事で、あらゆる事を実現する事が可能だ。
「早速かい?」
「ああ、待ちかねていたからな」
トムはクスリと微笑むとハリーの用意したチェスの駒を手に取った。
「ずいぶん、愉快な事になっているね」
「色々と、な。シーザー、かっこいいだろ?」
「うーん……、カッコいいと言えなくもないね」
「なんだ、微妙な反応だな」
「ちょっと大き過ぎるかなって……。恐らく、何らかの実験の副産物だろうね」
「実験の……?」
トムはボーンを動かしながら頷いた。
「ハンガリー・ホーンテイル種は成体でも100フィート程度だ。それなのに、シーザーは300フィート近くもある。明らかに異常だよ。突然変異だとしても、あそこまで大きくはならない。明らかに人為的な手が加えられているね」
「人為的に……」
ハリーはナイトを叩きつけるように進ませた。
「君は知らないのかもしれないけれど、魔法生物の研究は綺麗なものばかりじゃない。まあ、これは魔法生物に限らないけどね。生物のメカニズムを解明する為には、とにかく実験と解剖の繰り返しだ。時には人工的に交配する事もある」
「そんな事を……」
ハリーは嫌悪感に顔を歪ませた。
「実に残酷で非道な行為だけど、それが人以外のモノに対してなら、誰もが仕方ないで済ませる。君だって、肉を食べるだろ? 殺す為に育てて、無慈悲に殺して、その肉に値段を付ける。そして、時には食べる事すらせずに捨てる。だけど、その事を厭う人間など早々いない。その延長線上のものだよ。仕方のない事さ」
「し、しかし……、シーザー……」
「シーザーを想うなら、彼の望み通り、ずっと傍に置いてあげる事だね。どうせ、生息域に戻ってもシーザーに居場所なんてない。人の手が加えられた動物は群れから弾き出される。あんな歪な巨体じゃ、尚更だよ」
ハリーは無言でクイーンを動かした。
「君、魔法生物関係の仕事を目指してるんだろ? なら、そういう事も受け入れないといけないよ。生態を識る事は人間と魔法生物が共存する上で必要不可欠だ。それが如何に血に塗れていてもね」
「……善処する」
「うん」
二人はそれからしばらくチェスの対局に興じた。
一進一退の攻防。けれど、勝利の回数はトムが上回っている。
「……シーザーの事以外でも悩んでいるね」
「別に……」
トムはやれやれと肩を竦めた。
「ここにはボクしかいない。どうせなら、すべて打ち明けてみなよ」
「……悩んでなんていない」
頑ななハリーにトムはクスクスと笑った。
「そうか……。なら、話を変えよう。ニコラスの姿を見て、人に物を教える事に興味が出たんだ。何か、魔法の事で聞きたい事はない?」
「ニコラスって……、お前……」
「もう、君は気付いているんだろ? 彼はボクだよ。もっとも、肉体は別人のものだけど」
サラッと打ち明けられた事実にハリーは驚きこそしないものの、呆れた様子を見せた。
「一応、アイツは隠してるんじゃないのか? 教えていいのかよ……」
「別に、ボクはアイツの味方じゃないからね」
「お前なんだろ?」
「そうだよ。だけど、違う。オリジナルとボクの考え方が違うように、ボクとアイツの考え方も違う。アイデンティティっていうのは、環境や出来事次第で幾らでも変わるんだ。幼い頃の悪童が、大人になったら立派な聖人になっている。逆に、幼い頃は天使のように優しかった子が、成長して悪魔のような人物になる事もある。同一人物であっても、ボクとアイツは既に別人なのさ」
「そういうものか……」
「それが分かっているから、君もヴォルデモートだと知りながら、アイツを野放しにしてるんだろ?」
「……別に」
「君、このボクやクィディッチ・ワールドカップの時に現れたボクの事を考えて、迷ってるんだろ? 本当に倒すべき相手なのかどうか……」
ハリーは押し黙った。
「教えてあげるよ、ハリー。君はアイツを倒すべきだ」
「お前……」
ハリーはトムを睨みつけた。
「ボク達はヴォルデモートなんだよ、ハリー。君にとって、許してはいけない敵なんだ」
「お前、変だぞ。なんで、自分を……」
「……君のせいじゃないか」
トムは言った。
「この世界で再会して、今もずっと……、君はボクを友として接してくる。本当……、勘弁してくれよ……」
苦しそうに、トムは顔を右手で覆った。
「君の人生を歪めたのはボクだ。君からお父さんとお母さんを奪って、ダーズリー家で過ごす原因を作ったのはボクなんだよ、ハリー……」
「……ったく」
ハリーはやれやれと肩を竦めた。
「友達になりたいと先に言ってきたのはお前の方だぞ」
「分かってる……、分かってるよ……。だけど、本当に友達になるなんて……、そんなの……」
「ごちゃごちゃ言うなよ、トム。オレは……、ダーズリー家を恨んでいる。ダンブルドアやヴォルデモートも恨んでいる」
その言葉にトムは表情を歪めた。
「だけど、不思議なものだ」
ハリーは言った。
「恨んでいるのに、ペチュニア叔母さんには幸せになって欲しい。バーノンとダドリーにも、忌々しいが……、それでも不幸になる事を望めない。ダンブルドアに対しても、オレ以外の奴がアイツを傷つける事が……、許せない」
「……複雑なんだね。でも、ヴォルデモートは違うだろ?」
「ああ……、そう思っていた。だから、オリジナルは言い訳も聞かずに滅ぼしたし、お前の事も……」
ハリーは苦悩の表情を浮かべた。
「だけど、オレはお前を嫌いになれない。クィディッチ・ワールドカップの時のアイツも……、アイツはアステリアを救う為に自ら死を選んだ。ニラコスと接して、ダフネを思いやる姿やダリアの水薬の為に懸命な姿を見て……、憎んだままでは居られなくなった……」
「それは……、間違いだ。ハリー、他の誰を許しても、ヴォルデモートを許してはいけないよ。ダーズリー家やダンブルドアとは違うんだ。ヴォルデモートは悪なんだ。そして、その悪意が君を……」
「それでも……、オレはニコラスが今のままなら……、倒す気はない」
「ハリー……」
トムはハリーを責めるように睨み、そして、溜息を零した。
「……話を戻そう。君には力が必要だ。だから、ボクが識る限りの力を君に与えるよ」
「トム……?」
トムは言った。
「まず……、君が望んでいた悪霊の火の更なる進化について。これは問題無いよ。次からは君の望んだ通りに発動する。理由は説明しなくても分かるだろ?」
「……ああ」
「それから……、そうだね。君、空を自由に飛びたくない?」
「空を……?」
トムは微笑みながら立ち上がった。そして、ゆっくりと浮遊を始めた。
「《
「魔法ではなく、魔力を使った技術なのか?」
「その通りだよ。幼少の魔法使いは呪文など使わなくても瞬間移動や治癒術、空中浮遊を使う。ボクの場合、そういう事をホグワーツに来る前から意図的に出来ていた。その技術を研鑽して、完成させたものがコレさ」
「なるほど……」
「一朝一夕で身につくものではないけど、練習しておけばいざという時に役に立つはずさ。友達としての贈り物だ。有効に活用してくれたまえ」
「ああ……、ありがとう」
ハリーは目が覚めるまでトムから《
「ああ、最後に一つ言っておくよ」
意識が遠のき、意識が現実世界で覚醒する寸前にトムは言った。
「君の場合、恋愛は直球勝負がベストだよ。好きなら好きって、ハッキリ伝えてあげなよ」
「おまっ……」
そして、ハリーは起きた。
「……ったく、アイツ」
ハリーは小さく笑った。