クリスマスの夜、談話室はドレスローブに着替えた生徒達でいっぱいだった。
「あっ、ハリー! ドラコ!」
真っ先に二人に気付いたのはフレデリカだった。彼女は白くて清楚なドレスローブに身を包んでいる。
隣には真紅のドレスローブを纏ったエドワードの姿があった。どうやら、二人はペアになったらしい。
「二人共、ばっちり決まってるわ!」
「本当か!?」
ハリーはホッとした。自分なりに頑張ってみたけれど、女の子の視点でお墨付きを貰えた事は心強かった。
「ハリー、緊張しているのかい?」
エドワードの言葉にハリーは「少しな」と白状した。
「……ダンスは付け焼き刃なんだ」
一応、秘密の部屋でエグレに相手役を務めてもらい、かなりの練習量をこなしてきた。
最初の内は何度も足を踏んでしまって、エグレに呆れられたものだ。客観的に見る為にコリンに写真を撮ってもらい、ドラコにアドバイスをもらい、寝る前には必ずダンスの本を読んだ。
「そう言えば、コリンはダンスパーティーの公式カメラマンに選ばれたそうだな。スタッフの腕章を貰ったと喜んでいた」
「凄いな!? まあ、コリンの技術は結構なものだしな」
「将来はプロのカメラマンになってそうだな」
「あははっ、そうかも!」
フレデリカやエドワードと話している内に時間が過ぎて行った。
いよいよ、ダンスパーティーのスタートだ。
第七十八話『Shall we dance?』
ダンスパーティーの会場である大広間が解放されるのは午後八時。玄関ホールは大勢の生徒達でごった返していた。
大広間の扉の向こう側からは微かなクラシックの旋律が聞こえてくる。
「……さて、ハーマイオニーはどこだ?」
ハリーは緊張しながらハーマイオニーを探し始めた。
「待ち合わせ場所を玄関ホールにしたのは失敗だったな……」
グリフィンドールとスリザリンの寮は遠く離れている。だから、丁度中間地点である玄関ホールで落ち合う事に決めたのだ。
だけど、これだけ人が多いと探し難くて仕方がない。
キョロキョロしていると、不意にフラッシュが焚かれた。
「ん?」
「ハリー!」
目を丸くしていると、カメラを構えたコリンが駆け寄ってきた。
「すごい! イケてるよ!」
「そうか? そうかぁ!」
ハリーはコリンに褒められて鼻の穴を広げた。
「コリンも仕事を頑張っているようだな。素晴らしいぞ! それでこそ、オレのコリンだ! いいか? ベストショットを逃すなよ? ただし、かっこ悪いシーンはカットだ。いいな? 分かっているな? オレのコリンよ……!」
「わ、分かってるから、そんなに凄まないでよ……、ハリー」
コリンは呆れたように笑いながらドラコを撮りに走り去って行った。
「それにしても、ハーマイオニーはどこに……」
もしかしたら、人混みから逃げる為に玄関ホールの外にいるのかもしれないと思い、ハリーは外に出た。
すると、外にも思った以上の人集りが出来ていた。
煌びやかなドレスを着た少女達が各々のパートナーと仲睦まじく談笑していたり、何人かで集まって戯れていた。
「そろそろ時間ね!」
近くの女生徒の言葉にハリーは慌てた。
折角のドレスローブを乱しながら周囲に視線を巡らせる。すると、人集りから少し離れた場所に一人で空を見上げている女の子を見つけた。
ハリーは喉がカラカラになってしまったように感じた。
「……ハーマイオニー」
ゴクリとツバを呑み込み、覚悟を決める。シッカリとした足取りで彼女の下へ向かい、深く息を吸い込んで声を掛けた。
「おい」
ハリーが肩を掴んで呼びかけると、彼女は不満そうに頬を膨らませながら振り向いた。
「もう少し、ロマンチックには出来なかったのかしら?」
責めるようなハーマイオニーの言葉に、ハリーは反論しなかった。そんな余裕はどこにもなかった。
薄い青色のドレスを身に纏った彼女は反則的に魅力的で、ハリーは思わず息を呑んだ。
「……す、すまない」
ハリーが申し訳なさそうに謝ると、ハーマイオニーは吹き出した。
「本当に謝るなんて、あなたらしくないわね。もしかして、緊張しているの?」
薄っすらと微笑みながら言う彼女に、ハリーは溜息を零した。
「君は緊張していないのか?」
顔を赤く染めながら不満そうに言う。すると、ハーマイオニーは肩を竦めた。
「どうかしら……。どっちだと思う?」
蠱惑的な眼差しを向けてくる彼女に、ハリーの心臓は早鐘を打つように鼓動した。
こうして近くに立つと、彼女の身長はハリーよりも低かった。
不思議だと、彼は思った。出会った時は、そんなに身長に差は無かった筈だ。
「そうか……」
ハリーは出会ってからの時間の流れを感じた。ホグワーツ特急で出会ってから、三年以上の月日が経ち、成長期の少年の身長は少女をすっかり追い抜いていたのだ。
この身長の差は、二人が出会ってからの時間を表している。
「なにが《そっか》なの?」
一人で勝手に何かを納得しているハリーに、ハーマイオニーは不満そうに尋ねた。
「なんでもない。それより、よく似合っているぞ」
ハリーが巨匠ロックハート仕込みの笑顔を浮かべながら口にした言葉に、ハーマイオニーは目を見開いた。
顔が火照って、胸の辺りが熱くなってくる。嬉しくて堪らない。
僅かに顔を上げて彼の顔を見ると、ハーマイオニーの心臓は高鳴った。彼の笑顔に例えようのない愛おしさを感じたのだ。
「か……」
「か?」
「……髪型も変えてみたの。ど、どうかしら?」
ハーマイオニーは彼に背中を向けた。普段はボサボサと広がっている彼女の髪が艶を帯びていて、頭の後ろで捻られ、優雅なシニョンに結い上げられている。
「……美しい」
ハリーは呆然と呟いた。その言葉に、ハーマイオニーはまるで頭をトンカチで叩かれたかのような衝撃を受けた。
綺麗だとか、可愛いだとか、そういう言葉はチョウやルーナから嫌という程投げかけられた。二人共、自分達で磨き上げた最高傑作にご満悦だったのだ。
もちろん、彼女達からの言葉も嬉しかった。
だけど、これは違う。ハリーの一言はハーマイオニーの心の奥底まで浸透していき、一瞬にして彼女の心をかき乱した。
「う、美しいだなんて……」
顔を真っ赤に染め上げながら否定しようとするハーマイオニーに、ハリーは信じられないものを見るような目で彼女を見つめた。
「オレは嘘など言わない。今の君を見て、美しくないなどと言える者はいない! 断言してみせる! 君は……、最高に美しい」
ハリーは情熱的に彼女を抱き寄せた。
「君と踊る事が出来て、オレは幸福だ。ありがとう、誘いを受けてくれて」
その言葉に、その状況に、ハーマイオニーの頭は真っ白になった。
チョウに相談して、失敗しないように、先手を打って主導権を握る予定だったのに、彼女の心は完全に支配されてしまった。
まるで、度数の強い酒を一気に飲み干したかのように、頭の血管を流れる血を感じる。
「……行きましょう、ハリー。時間だわ」
「ああ、そうだな」
二人は寄り添いながら歩き始めた。
◆
平静を装いながら、ハリーは息をする事すら困難になっていた。全身が幸福感に包まれて弛緩し切っている。倒れないようにするのがやっとの有様だ。
今から、ハーマイオニーと踊る。そう思うと、心は熱く燃え上がった。そして、確信した。
隣に立っているのが他の女性だったら、これほど心が動かされる事は無かっただろう。こんなにも狂おしい欲望を抱く事は無かっただろう。
まるで、砂漠を何日も彷徨っていたかのような渇きを覚える。
それほどまでに、彼女が欲しい。
「これより、大広間への入場が可能となる。代表選手はこっちへ!」
スネイプが嫌そうな顔で呼んでいる。彼も黒を基調としたドレスローブを着ていた。意外と似合っている。
ハリーとハーマイオニーが苦笑しながら近くを歩いていたクラムやフラー、セドリック達と共に彼の下へ向かった。
「ハーマイオニー」
セドリックのパートナーはハーマイオニーに声をかけた。
「素敵だわ。あなたも、彼も」
「そっちこそ」
どうやら、彼女はハーマイオニーの友人らしい。
「代表選手の入場は最後だ。ここで待っていたまえ」
副校長は大変だ。ハリーとハーマイオニーは彼に同情し、そのおかげで少し緊張が解れた。
彼らの前を生徒達が通過していく。
「……美しい」
クラムがハーマイオニーを見つめながら言った。
そして、恨みがましい眼差しをハリーに向けた。
「オレのものだ」
ハリーはハーマイオニーの肩を抱き寄せた。その行動にチョウやフラーは黄色い悲鳴を上げ、クラムのパートナーを務めている少女は彼の耳を抓んだ。
「ちょっと、ビクトール! あなたのパートナーはわたしなんだけど?」
ギロリと怖い顔で彼を睨みつけたのは、なんとジニーだった。
「ジニー!? 君、クラムのパートナーになったのか!?」
ハリーは目を丸くした。そして、彼の隣でハーマイオニーは彼以上に驚いた表情を浮かべた。
「……ええ、そうよ」
ジニーはツンケンした態度を取った。
ハリーはそんな彼女に戸惑いつつ、ハーマイオニーと顔を見合わせた。
そして、そうこうしている内に他の生徒達の入場が終わり、いよいよハリー達の番が回って来た。
「……ついて来なさい」
スネイプは死刑台にあがる囚人のような顔で言った。
彼に続いて大広間に入ると、生徒や教師達が一斉に拍手で代表選手達を歓迎した。たしかに、スネイプがこれを先陣切って身に受けるのは辛いだろう。
ハリーはスネイプに奇跡的にパートナーが見つかっている事を心から祈った。
ランタンの仄かな灯りに照らされた大広間の壁はキラキラと銀色に輝く霜に覆われていて、天井には満天の星空が投影されていて、その下には何百ものヤドリギや蔦の花綱が絡んでいた。
普段置かれている長テーブルは撤去され、代わりに十人程度が座れる小さな丸テーブルが百余り置かれている。
ハリーはハーマイオニーの肩を抱いたまま、堂々と大広間の真ん中を歩いていく。その姿に生徒の多くが色めき立った。
ハリーとハーマイオニーの関係が決定的なものになった事を誰もが確信したのだ。
代表選手達が審査員の席に近づくと、ダンブルドアは嬉しそうに笑顔を浮かべたが、他の審査員達の表情は暗かった。
「あれ? パーシー?」
「やあ、ハリー」
審査員席の端には去年卒業したパーシーの姿があった。
「久しぶりですね、元気でしたか?」
「それなりに……」
ハリーはパーシーの顔色が悪い事に気がついた。
「大丈夫ですか?」
「……大丈夫だよ、ハリー。君はダンスパーティーを楽しみたまえ」
「は、はい」
ハリーとしては、久しぶりに尊敬するパーシーとゆっくり話をしたかったけれど、今はダンスパーティーの真っ最中だ。
仕方ないとハリーは諦めた。
「とりあえず、座るか」
ハリーは代表選手の為のテーブルにハーマイオニーの手を引きながら向かい、彼女の為に椅子を引いた。
「どうぞ、レディー」
「あ、ありがとう……」
ハーマイオニーはハリーが一々紳士的かつ情熱的な行動を取るせいですっかりカチカチになっていた。
それからしばらく、適当に雑談を挟みながら食事を取っているとダンブルドアが立ち上がった。
どうやら、食事の時間は終わりらしい。
ダンブルドアは全員を立たせると、杖を振るった。すると、テーブルは一斉に壁際に退き、右手の壁に沿って大きなステージが立ち上がった。
ドラム一式、ギター数本、リュート、チェロ、バグパイプが設置されている。
そのステージに熱狂的な拍手を送られながら《妖女シスターズ》という魔法界で大人気のミュージシャンが登っていく。
彼らがそれぞれの楽器を手に取ると、ランタンの灯りが一斉に消えた。
「さあ、出番だ」
ハリーはハーマイオニーに手を差し伸べた。
「Shall we dance?」
その言葉にハーマイオニーは吹き出した。
その奇妙な言い回しは映画のタイトルだ。マグルの世界で生きた者同士にしか通じないジョークに、ハーマイオニーは笑顔で応えた。
「Sure, I'd love to」
二人は手を取り合って、他の代表選手達と共に大広間の中央へ向かって行った。