第八十一話『コンビ』
ハリーがホグワーツに戻って来ると、辺りは騒然としていた。
「ア、アズカバンが溶けた!?」
「今の……、現実なの?」
「……ハリー、空飛んでなかった?」
「悪霊の火が途中で赤から青に変わってたけど、なんで?」
「ハリーって動物もどきだったの!?」
「二つの魔法を同時に使うって、どうやったんだろ!?」
「ハリーを心配する必要、一切なかったね」
「アズカバンの囚人達、可哀想だったね」
「吸魂鬼、完全に消滅したのかな? たしか、吸魂鬼を完全に消し去る事は出来ないから、アズカバンは解体されないまま監獄として利用されていたんだよね?」
「アズカバンが燃え尽きちまった!」
「建物が溶け落ちるって、どんな火力なんだろ……」
「ハリーの守護霊、バジリスクじゃないんだね」
「牡鹿かな? すっごい意外!」
「っていうか、魔法省って何考えてるの!? 囚人に杖を渡して死の呪文を使わせるなんて!」
「ハリーが圧倒してたからアレだけど、明らかにハリーを殺そうとしてたよね!?」
「他の代表選手のステージの適当さとか、もう三大魔法学校対抗試合じゃないよ!」
「ほんとだよな!? なんだよ、コレ!!」
「ヴォルデモートより酷くない!? 少なくとも、あの人は自分で戦ったわよ! 負けたけど!」
「そうだよな! ヴォルデモートは男らしかったぜ……って、あれ? でも、クィレルの後頭部に隠れてただけで、戦ってなくね?」
「いや、分霊の方ね。後頭部の方は……、うん」
「分霊の方もドラコに取り憑いてて、割と小癪な事してたぜ?」
「でも、一応は自分で戦ってたじゃない!」
「……まあ、ヴォルデモートは頑張ってたよな」
「一人でハリーに立ち向かうとか、マジで勇者だよな」
「僕、ちょっと尊敬するよ」
「いやいやいやいや! 待て! ちょっと待て! ヴォルデモートはただの悪党だからな!? 尊敬も何も無いだろ!」
「それより魔法省だよ! どうなってんの!?」
「アズカバンの消滅も結構な大問題だぜ!? 犯罪者の収容先、これからどうすんの!?」
「ヌルメンガードがあるじゃない!」
「あそこって、機能してんの?」
「アズカバン送りにならなかった犯罪者はあそこに収容されているのよ? 知らないの?」
「はえー、そうだったんだ」
「魔法省よりハリーだろ。アイツ、いくらなんでもおかしくね!? なんだよ、あの力!」
「そうだよね!? 魔法省云々言ってる場合じゃないよね!? アイツ、なんなの!?」
「ちょっ! ハリーに聞こえたらどうすんだよ!?」
「いや、このくらいでハリーは怒らないだろ」
「……いくらなんでもやり過ぎだぜ、魔法省」
「杖を持たせた重罪人共と吸魂鬼の前に
「いくらなんでも悪辣過ぎるよ……」
ハリーはどうでも良さそうに欠伸をした。
「ハ、ハリー……」
直ぐ傍に居たセドリックが恐る恐る声を掛けてきた。
他の代表選手の二人は化け物を見るような目をハリーに向けている。
「だ、大丈夫だったのかい?」
「歯応えがなかったな。数だけ揃えた所で、質が悪過ぎる。もう少し、頭を使えばいいものを……」
ハリーはつまらなそうに舌を打った。
「……囚人達はみんな死んだのかい?」
「はぁ? 殺してねぇよ。理由もないしな」
「理由って……、彼らは君を殺そうとしたじゃないか!」
セドリックの言葉にハリーは吹き出した。
「その程度の事で一々目くじらを立てたりしねぇよ」
「その程度って……」
セドリックは
暴力に対する恐怖とは違う。得体の知れない存在に対する恐怖を彼は感じていた。
同じ人間とは思えない。まるで、悪魔が人の皮を被って、人を演じているかのようだ。
「ハリー!!」
自分から後退っていくセドリックを見つめていたハリーは、その声と共に彼に対する関心を失った。
「ハーマイオニー!」
駆け寄ってくる彼女をハリーは抱き締めた。
「ハリー……、無事で良かったわ……」
「すまないな。心配を掛けた……」
「本当よ! あなた、《三分やろう》だなんて! 心臓が止まるかと思ったわ!」
ハーマイオニーは鬼のような表情で怒った。
すると、ハリーは弱り切った表情で頭を下げた。
「わ、悪かったよ。けど、一撃で決めたらつまらないだろ? だから……」
「命が懸かってるのよ!? つまらないとか気にしてる場合じゃないでしょ!!」
「あ、ああ、そうだな。その通りだ……」
「分かってるの!? わたし、本気で心配したのよ!? 二度と! あんな真似はしないと誓いなさい!! 窮地に立たされたら、初手から全力!! 分かった!?」
「わ、分かったよ! だから……、あんまり怒らないでくれ。誓うよ。次は遊ばない。それでいいかい?」
「……絶対よ?」
「ああ、絶対だ」
二人が会話をしている間に競技場は静まり返っていた。
さっきまで、映像の向こうで魔王の如く暴れまわっていたハリーを叱りつけるハーマイオニーの姿に視線が集中していた。
そして、ハリーの《次は遊ばない》という言葉に青褪める者達がいた。
遊ばないとは、次は最初から全力を出すという事だ。
―――― 殺せない。
ハリー・ポッターの殺害を企んでいた者達の心に、その言葉が浮かんだ。
世界を震撼させた闇の帝王、ヴォルデモート卿。小城の如き巨体を持つ、特殊個体のホーンテイル。討伐不可能な忌まわしき闇の生物、吸魂鬼。そして、アズカバンに収監されていた極悪人達。
その尽くが返り討ちにあい、手傷の一つもつける事が出来なかった。
ここに至り、ようやく彼らは理解した。
―――― ハリー・ポッターの殺害は不可能である。
その恐怖は筆舌に尽くし難く、彼らはハリーに敵対してしまった事を後悔した。
殺そうとしたのだ。怒りの矛先を向けられても、文句を言う資格などない。
殺される。アズカバンの囚人達と同じ末路を辿る事になる。
ある者は吐き、ある者は涙を流し、ある者の髪は一気に抜け落ちた。
彼の通り名の通り、彼らは死の恐怖を味わったのだ。
「……ハリー。魔法省は明らかにあなたを殺そうとしていたわ」
そして、彼らに対する死刑判決を下すかの如く、ハリーに対して唯一物を申す事が出来る少女は言った。
彼女は怒りに燃えていた。許すべきではないと考えていた。
「みたいだな」
「みたいだなって……、怒ってないの!?」
それなのに、ハリー自身はどこか他人事のようだった。
「ああ、怒ってないぞ。どうせ、裏にはヴォルデモートがいる。アイツの策略に踊らされてるだけの連中に怒りを向けても仕方ないだろ」
「で、でも……!」
「落ち着けよ、ハーマイオニー。怒っている顔も悪くないが、出来れば笑顔がいい。折角、第二の試練を突破したんだぜ? ちょっとは祝福してくれよ」
「ハリー……」
ハーマイオニーは溜息を零した。彼は魔法省の暴挙に対して、一欠片の怒りも抱いていない。
不満を感じながらも、ハーマイオニーは渋々笑顔を浮かべた。
「分かったわよ、ハリー! 第二の試練突破、おめでとう!」
「ありがとう。君のおかげだ」
そう言うと、ハリーはハーマイオニーにキスをした。
第八十一話『コンビ』
白い世界にハリーは居た。目を凝らせば、そこがキングス・クロス駅だと分かる。
ここは生と死の狭間にある世界。現実からは隔絶された、精神の世界だ。
「お疲れ様、ハリー」
黒い髪の少年がハリーに微笑みかける。
彼の名前はトム・マールヴォロ・リドル。この世界の住民であり、ヴォルデモート卿の分霊でもある。
「そっちもな」
ハリーはトムに笑いかけながらチェス盤を取り出した。この世界では、イメージが形となって現れる。彼はチェス盤をイメージして具現化させたのだ。
「相変わらず、君はチェスが好きだね」
「面白いからな。お前との対局は特に」
「光栄だね」
二人はしばらく対局を楽しんだ。
「……しかし、驚いたね」
トムはナイトを動かしながら言った。
「ああ、アズカバンに送られるとは、さすがに予想していなかった」
「アレは……、恐らくだけど、ボクの仕込みではないね」
「だろうな。アズカバンは最後までヴォルデモートに忠誠を誓っていた死喰い人達が多く収容されている。折角の手駒をあんなテキトウな策で無駄に消費するなど愚策にも程がある」
「……どう見る?」
「分からん」
ハリーはルークを進めながら言った。
「単なる魔法省の暴走と考えても、今回の一件は妙だ。アズカバンの囚人に杖を渡すなど、常軌を逸している。オレを殺したいのなら、他にもやりようはあるだろう」
「それこそ、送った先に地雷を敷き詰めておけば、さすがの君もお陀仏だったのにね」
「それだ。殺す事が目的なら、それで済む話だ。それこそ、火山の火口にでも飛ばせばいい。マグマに溶かされて生きていられる程、オレは人間を止めていないからな」
「ハハッ、ナイスジョーク」
「ハッハッハ」
ハリーはクイーンを動かした。
「《気をつけろ、ハリー・ポッター。敵はボクだけじゃない……――――》。クィディッチ・ワールドカップの時に現れた分霊の言葉だ。どうやら、アレはマジな事らしい」
「何者かは分からないが、不愉快な話だね」
トムはナイトを動かした。
「……トム。ありがとう」
「なにが?」
「アズカバンでの戦い、協力してくれただろ?」
ハリーの言葉にトムはクスリと微笑んだ。
あの時の戦いで、トムはハリーに力を貸していた。
―――― 力を貸すよ、ハリー。
この世界以外でトムと言葉を交わしたのは彼を殺した時以来だった。
彼はハリーの中でハリーの代わりに死角を見て、ハリーの代わりに悪霊の火を発動させた。
それが死角からの攻撃にハリーが対処出来た理由であり、守護霊の呪文と共に悪霊の火を同時発動させる事が出来た理由だ。
魔法とは心で操るもの。呪文とは心の所作。
ハリーの心は守護霊を、トムの心は悪霊の火を生み出した。
「……ハリー・ポッター。君の命はボクの命だ。その終わりまで、共に戦おう」
「ああ、頼むぜ、相棒」
「ハハッ、その呼び名はゴスペルに怒られるよ」
「それもそうだな、トム」
「うん。そっちがいいよ」
二人は再びチェスに熱中し始めた。
朝になって、ハリーが目を覚ますまで、何度も何度も……。