【完結】ハリー・ポッターは邪悪に嗤う   作:冬月之雪猫

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第九十四話『オリジン』

 気がついたら、知らない場所にいた。何もかもが燃えている。彼方では蒼炎の龍と竜が暴れまわっている。

 

「な、なにこれ!?」

 

 パニックを起こしかけながら、必死に頭を働かせる。

 直前の記憶は秘密の部屋。そこで、ハリーの瞳が紅く輝くのを見て、意識が遠のいた。

 

「……どうして」

 

 ―――― 怖がる事はないよ、ジネブラ。

 

「だれ!?」

 

 すぐ傍から聞こえた筈なのに、どこにも人の姿がない。

 前にも同じ事があった。誰も居ない筈の廊下で、声が聴こえて来た。

 

「どこにいるの!?」

 

 ―――― ワタシの事などどうでもいい。それよりも、君は見なければならない。

 

「なんなの!? 誰なのよ!? 見なければならないって、何の事!?」

 

 怖くて堪らない。明らかに異常な事が起きている。

 

 ―――― 真実だよ、ジネブラ。真実を見るんだ。

 

「真実!? なんの事を言ってるの!? どこから話しかけてきてるの!? わたしに何をしたの!?」

 

 涙が溢れ出す。まるで、悪夢の中を彷徨っているみたい。

 理解を超えた事態に、頭がおかしくなりそうだ。

 

 ―――― 見るんだ、ジネブラ。君が愛した少年の真実を。

 

「愛した……、ハリー……?」

 

 ハリーの事を考えると、少しだけ心が安らいだ。

 

 ―――― 右下の建物を見るんだ。その屋上に、彼がいる。

 

 頭は混乱したままだけど、わたしの眼は言われるままに右下の建物を見た。

 すると、驚くほど鮮明に数百メートル先の光景を見る事が出来た。視力には自信があるけれど、これではまるで望遠鏡でも使ったかのようだ。

 そこにハリーはいた。見ていると、彼の直ぐ後ろにダンブルドアを殺した男が現れた。ゲラート・グリンデルバルドだと、ニュート先生が言っていた。傍には人のような姿の奇妙な生物を引き連れている。

 

「危ない、ハリー!!」

 

 この距離では届く筈もない。それでも、叫ばずにはいられなかった。

 グリンデルバルドはハリーに杖を向けている。彼も気付いたようだけど、間に合わない。

 ハリーが殺されてしまう。そう思った、次の瞬間だ。いきなり、ハリーの体から少年が姿を現した。

 

「……え?」

 

 その少年はグリンデルバルドの周りにいた奇妙な生物を細切れにすると、再びハリーの中へ戻っていく。

 そして、ハリーはグリンデルバルドに死の呪文を放った。

 

 ―――― 見たかい?

 

「なに、あれ……」

 

 あまりにも奇妙な光景だった。ハリーの中から飛び出してきたのに、彼自信は動じた様子を欠片も見せない。それが余計に不気味だった。

 

 ―――― あの少年こそ、ヴォルデモート卿だよ。

 

「はい……?」

 

 何を言っているのか分からなかった。わけの分からない事ばかり言ってくる謎の声だけど、今度のはとびっきりだった。

 

 ―――― 正確に言えば、ヴォルデモート卿の分霊だね。彼の存在こそ、ハリー・ポッターの規格外な能力の正体さ。

 

「ど、どういう事……?」

 

 ―――― 教えてあげるよ、ジネヴラ・ウィーズリー。君はすべてを識るべきだからね。

 

 その言葉と共に、わたしの意識は遠のき始めた。

 そして、気がつくと赤い部屋にいた。

 

 第九十四話『オリジン』

 

 どこかと思えば、そこはグリフィンドール寮の談話室だった。

 だけど、人の気配はない。それに、全体的に赤い。まるで、誰かが赤いペンキをぶちまけたかのようだ。

 

「ジネブラ」

 

 声を掛けられた。あの謎の声だ。

 振り返ると、思わず息を呑んだ。そこには一人の青年が立っていた。真紅の外套を羽織った、まるでお伽噺に登場する王子様のようにハンサムな人だった。

 

「自己紹介させてもらおう。ワタシの名はゴドリック。ゴドリック・グリフィンドールだ」

「……ゴドって、ゴドリック・グリフィンドール!?」

 

 思わず目を丸くしてしまった。ゴドリック・グリフィンドールと言えば、ホグワーツの創設者の一人であり、グリフィンドール寮の名前の由来にもなった人物だ。

 前に彼の肖像画を見た事があるけれど、そこに描かれていたのはヒゲモジャなおじさんだった。それに、ゴドリックは千年程前の人物だ。この時代に存在している筈がない。

 要するに、彼の名乗りは嘘なわけだ。驚いたのは、そんなあからさまな嘘を堂々と吐いてみせた彼の素っ頓狂振りに対してだ。

 

「おや、信じていないね?」

「当たり前じゃない! そんなあからさまな偽名を使って、馬鹿にしてるの!?」

「まさか! 君は賢い女性だ、ジネブラ。馬鹿になどする筈がない」

「だったら、本当の名前を言いなさいよ!」

「うーん、困ったな。本当にゴドリック・グリフィンドールなのだけど……」

「まだ言うの!?」

 

 この期に及んで、まだ嘘を突き通す眼の前の男にわたしは言葉を失った。

 

「……あー、とりあえずだ。ワタシの事は置いておこう。ここに招いたのは君にハリー・ポッターの真実を伝える為なのだからね」

「ハリーの……って、そうよ! わたしは建物の屋上に居た筈でしょ!? その前は秘密の部屋に居たわ! それなのに、次から次へと、なんなの!?」

「ここは精神の世界だよ、ジネブラ。あるいは、生と死、夢と現実の狭間にある世界。グリフィンドール寮の談話室になったのは、ここが君とワタシにとって共通する思い入れの深い場所だからだ」

「……意味が分からないわ」

「分からなくても構わない。この世界の事も重要ではない。そろそろ、話を本題に移しても構わないかな?」

 

 まるでわたしが駄々を捏ねたみたいな言い草にカチンと来た。

 

「あなたね! さっきから重要じゃないって言ってるけど、こっちは何が何だか分からないのよ!? 説明しなさいよ!」

「……いや、説明はしたじゃないか。ワタシはゴドリック・グリフィンドールで、ここは精神の世界だと……」

「わけの分からない事ばっかり言わないで!!」

「これ以上は説明のしようがないのだが……」

 

 困ったような表情を浮かべているけれど、困っているのはわたしの方だ。

 彼がゴドリック・グリフィンドールである筈がないし、精神の世界なんて意味がわからない。

 

「……重要じゃないと言ったのは、君にとっての話だ」

「わたしにとって?」

「君はそんなにもワタシやこの空間の事を知りたいと思っているのかい? ハリー・ポッターの事よりも?」

「それは……」

 

 本音を言えば、目の前の男の正体などどうでもいい。この空間の事だって、そこまで気になっているわけでもない。

 

「……分かったわよ。聞いてあげるから話してみなさい、自称ゴドリック・グリフィンドールさん」

「なんだか、ワタシがすごく可哀想な人間みたいに聞こえるのだが……。とりあえず、聞いてくれる気になってもらえて嬉しいよ」

「あなたの気分の事もどうでもいいわ」

「分かった。無駄話はやめよう。……モルドレッドはもっと物分りが良かったんだけどな」

「なにか言った?」

「いいや、なんでもないよ」

 

 自称ゴドリックはコホンと咳払いをした。

 

「さて、君も知っての通り、ハリー・ポッターはスリザリンの継承者だ。けれど、真の継承者ではない。彼は偽りの継承者だ」

「はぁ?」

 

 何を言い出すかと思えば、またわけの分からない事を……。

 

「ハリーは継承者でしょ! 現に秘密の部屋を開いて、中に潜んでいたバジリスクを従えているじゃない!」

「ああ、その通りだ。けれど、ハリー・ポッターにはサラザールの血が一滴も流れていないのだよ」

「……どういう意味?」

「サラザールは血を重視していた。要するに、家族を大切にしていたんだ。特に、娘のイザベラを溺愛していた。秘密の部屋は彼女を守る為の物だった。中のバジリスクも含めてね。だから、サラザールは自らの血を継ぐ者にしか扉を開けないようにした」

「で、でも、ハリーは開いたじゃない! 蛇語を使って! 蛇語を使えれば開けるのだから、血なんて関係ないでしょ!」

「そもそもの話になるけど、蛇語(パーセルタング)はサラザールの固有能力だったんだ。彼の血を継ぐ者が遺伝出来るように、ロウェナが知恵を貸した。決裂する前の話だけどね」

「……だったら、やっぱりハリーはスリザリンの血を引いてるんじゃないの? だって、彼は蛇語を話せるわ!」

「違うんだ、ジネブラ。真の継承者はトム・マールヴォロ・リドル。ヴォルデモート卿という名前の方が、君には馴染み深いかな?」

「ヴォルデモート!?」

 

 自称ゴドリックは頷いた。

 

「ハリー・ポッターは蛇語を話す。そして、悪霊の火はヴォルデモート卿と同じバジリスクの姿を象る。更に、秘密の部屋で見ただろう? 彼の瞳が真紅に輝く様を……。アレはサラザールや娘のイザベラ、そして、ヴォルデモート卿が怒った時の特徴だ」

「な、何が言いたいのよ……」

「言っただろう? 彼がグリンデルバルドの攻撃を受けそうになった時に飛び出してきた少年はヴォルデモート卿の分霊だと」

「え、ええ……」

「それが答えだよ」

 

 彼は言った。

 

「ハリー・ポッターは赤ん坊の時、ヴォルデモート卿の死の呪文を受けた。けれど、母であるリリー・ポッターが命を代償に掛けた保護呪文が死の呪文を撥ね返した。その時、彼の額には稲妻の形の傷跡が残り、それは今も消えていない」

 

 わたしは驚きの余り言葉を失っていた。

 ヴォルデモートが赤ん坊の時のハリーを殺そうとして、返り討ちにあった事は誰もが知っている。

 だけど、実際にその時に何が起きていたのか知っている人は誰も居ない。

 それなのに、彼はその時の事を見ていたかのように語っている。誰も知らない筈の真実を語っている。

 

「あの傷跡は、ハリー・ポッターという少年がヴォルデモート卿の分霊箱になっている証なのだよ」

「ハ、ハリーが分霊箱!?」

 

 分霊箱の事は知っている。ハリーが公表したからだ。

 人を殺した時、魂が引き裂かれる。その引き裂かれた魂を器に封じ込める事で、本体が死んでも、その魂は分霊箱によって現世に繋ぎ止められる。

 

「ここまで言えば、そろそろ分かって来たんじゃないかな?」

「な、なにが?」

「ハリー・ポッターの正体さ」

 

 息が出来なくなった。

 なんとなく、頭の中で嫌な考えが纏まり始めている。

 だけど、そんな筈はない。あり得ない。

 

「か、彼はヴォルデモートを何度も倒しているわ!」

「ああ、そうだ。引き裂かれた魂は、一つに戻ろうとする。だからこそ、分霊箱は本体が死んだ後、あちらの世界に向かおうとする魂を繋ぎ止める事が出来る」

 

 嫌だ。

 これ以上は聞きたくない。

 わたしは後退った。

 

「ハリー・ポッターは己を殺そうとした魔法省に対しても、自らの運命を捻じ曲げたアルバス・ダンブルドアに対しても殺意は抱かなかった。けれど、ヴォルデモート卿に対しては一途に殺意を抱き続けている。それは、彼が分霊の魂を求めている証拠なのだよ」

「……黙って!!」

 

 わたしは叫んだ。耳を塞ごうとした。それなのに、腕が動かない。

 

「ハリー・ポッターが蛇語を使えるのは何故? 悪霊の火がバジリスクを象るのは何故? 瞳が赤くなったのは何故? ヴォルデモート卿を執拗に殺そうとするのは何故? 彼の中からヴォルデモート卿の分霊が飛び出したのは何故?」

 

 突きつけられる疑問はわたしが脳裏に浮かべている疑問だ。

 答えは明白だ。だけど、信じたくない。

 

「認めたくない気持ちは分かる。けれど、それが真実だよ、ジネブラ」

 

 彼は言った。

 

「ハリー・ポッターという少年の正体は、ヴォルデモート卿の分霊だ」

 

 その言葉に、わたしは目を見開いた。そして、声にならない悲鳴を上げた。

 嘘だ。信じない。あり得ない。そう、必死に叫ぼうとしたけれど、声が出てこない。

 

「七つに引き裂かれたヴォルデモート卿の魂は、互いを喰らい合い、今再び、ハリー・ポッターという器の中で一つに戻ろうとしている」

 

 黙って欲しい。これ以上、言わないで欲しい。

 わたしは涙を零しながら、声が出せない代わりに心の中で必死に懇願した。

 

「七つの内の六つ。すでに器は満たされつつある。残る一つはワタシが押さえているが、いずれは彼も気づくだろう。分霊同士は惹かれ合うものだからね」

「……最後の一つが器に注がれたら、どうなるの?」

「魔王の復活だよ。……いや、覇王かな。闇の帝王と呼ばれていた時代よりも、遥かに強大で邪悪な王として、彼は世界に君臨する事になる。それは世界の破滅の始まりと同義だ」

「……そんな、こと」

「残念ながら、これは真実だよ。疑うのなら、君に見せてあげよう。ワタシが確保している分霊を通じて、ハリー・ポッターという少年が辿ってきた軌跡を投影する事が出来る」

 

 そう言うと、彼は談話室に飾られている額縁を指さした。

 そこに、影絵のようなものが映し出された。

 

『おい、ハリー!! 一発殴らせろよ!!』

『物置から出る事は許さんぞ!!』

『その目はなんです!! 誰のおかげで生きていられると思っているの!?』

『汚らわしい!』

『お前の両親はまともじゃなかった!!』

『お前なんて、何の価値もないじゃないか!』

『イカれてるんだよ、お前は!』

 

 影絵は一人の少年を二人の大人と一人の少年が罵っている光景を映していた。

 

「なに、これ……」

「これはハリー・ポッターという少年の終わりであり、はじまりだよ」

 

 影絵は徐々に色を持ち始める。

 割れた丸い眼鏡を掛けた小柄で痩せこけた少年。わたしが知っている彼からは想像も出来ない程に卑屈な表情を浮かべている。

 

 目を覆いたかった。

 耳を塞ぎたかった。

 止めろと泣きたかった。

 巫山戯るなと叫びたかった。

 

 けれど、わたしには何も出来ない。

 明瞭になった映像は無情に流れ続ける。

 それは、ハリー・ポッターという少年の心が壊されるまでの軌跡だった……。


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