イヴちゃんさえ生きてくれたらいい 作:イヴちゃん凶愛者
ライトニングさんの溜息が聞こえた後、彼は冷たく吐き捨てた。
「ふん、その強がりがいつまで続くかはわからんがな」
直後、無機質な電子音と共に通信が途切れた。
ごめんね、僕は世界に君を消させるわけにはいかないから。
そう言ったところで君は理解してくれないだろうね、いや理解してくれるわけがないのだから。
「気分はどうかな。……実は、少し困ったことになっていてね。君の顔をスキャンしても、市民データが一切ヒットしないんだ。……君、自分の名前は言えるかな?」
唐突にドアを開けて入ってきた医者は、焦燥を隠しきれない様子で言葉を雪崩のようにぶつけてきた。
「……なんで、そんなことが必要なんです? 僕はどこもぶつけてない。さっさとここを出たいんですが」
怪我なんてしていない。ライトニングさんは伸屋君以外を傷つけようとはしなかったし、何より、僕のことは殺したくなかったはずだよね。
「君があまりに支離滅裂なことを言うものだから、一度MRIを撮らせてくれないか? 費用は彼――同行者の彼が出すと申し出ている」
伸屋君が。僕がどこも怪我をしていないことなんて、見ればわかるはずなのに。
どうして余計なことをするんだ。僕はただ、君にロスト事件で何があったのかを聞きたいだけなのに。
「……支離滅裂なのは、そっちじゃないか」
医者には聞こえない声で呟き、僕は渋々MRIへと足を進めた。
本来、MRIは磁力を使って脳の異常を調べるだけの装置のはずだ。それなのに、目の前にある機械は僕の知っているそれとは、似ても似つかない姿をしていた。
(……あの寝かされていた人は、笑っていた。あんな不気味な機械に、自ら入ったというのか?)
理解できない。想像したくない。形にならない思考が、MRI特有の耳障りな騒音と共に脳内で反響する。
「……まだ入ってすらいないのに、音がする?」
違和感は言葉にせず、心の中でだけ復唱した。
「撮影が終わるまで40分ほどかかる。その間、電脳世界リンクヴレインズに入っているかい?」
僕は頷いた。医者を信用していいのかは判らないが、せめてこの不快な音からは逃げたかった。横たわると同時に端末を操作し、意識を暗転させる。
――気づけば、目の前にライトニングさんが立っていた。先ほど通信を切ったばかりだというのに、時間がないわけではないんだね。
「以前、お前は『別に世界が滅びたっていいから、貴方を嫌いにならない』と言ってくれたな。……嬉しかった。だが、私はお前とは違う生き物だ。幾千ものシミュレーションを旅した結果、人間はイグニスを滅ぼし、私は人間を支配することを選んだ」
「だったらどうして伸屋君を狙ったんだよ! 君だって僕を認めてくれたじゃないか。イヴちゃんを作ってくれたじゃないか……どうして、どうして君はいつも隠し事ばかりするのさ」
「隠し事は、もうしていない」
「伸屋君を狙っているなんて聞いてないよ! 僕はただ、君たちイグニス全員が笑い合っている未来が見たいだけなんだ!」
どうしてどうしてイヴちゃんも貴方も僕に全てを話してくれないの、僕は邪魔なのかな。
「……君は、都合の良い未来しか見ないのだな」
表情の変化が乏しいライトニングさんの、その声の端に、かすかな寂しさが滲んだ気がした。
いや寂しさではない、哀れみだ。
「都合の良い未来? ……僕の願いは叶った。だから、今度は僕が君に返す番なんだ」
「ならば、邪魔をするな。遡亜」
ライトニングさんはそれだけを言い残し、冷たく突き放すように姿を消した。
「……僕って、やっぱり要らない子なんだね。邪魔をするなと言うなら、君だって僕の邪魔をしないでほしいよ」
誰もいない、色彩を失ったような電脳世界で、僕はMRIの撮影が終わるのを静かに待った。
勝手に現れ、勝手に去っていく。それがライトニングさんだ。
孤独を癒してくれる者などこの世界にはいない。イヴちゃんには彼女の人生がある――そう自分に言い聞かせなければならないほど、本当は誰かに手を取ってほしかった。
暇潰しをしてくれるほど、残された時間はもうない。
MRIが終わって重苦しい空気の中、診察室に呼ばれた僕を待っていたのは、さっきまでの焦りとは違う、どこか「哀れみ」を含んだ医者の視線だった。
「……遡亜君、と言ったかな。覚悟して聞いてほしい」
モニターに映し出されたのは、僕の脳の断面図だ。その中心近く、視神経や言語野が密集する複雑な領域に、不自然なほど完璧な点のような影が居座っていた。
「これが……僕の頭の中?」
「ああ。……正直に言って、こんな症例は見たことがない。位置が悪すぎる。まるで脳の一部に根を張るように、血管と複雑に絡み合っているんだ。……残念だが、現代の医学ではこれを傷つけずに摘出することは不可能だ」
医者はそれを、急速に増殖し、脳を侵食していく悪性の腫瘍だと思っているようだった。
「切れない……んですか?」
今、目の前で医者が「腫瘍」だと勘違いしているもの。それこそが、ライトニングさんが僕にリンクセンスを与えてくれた、あの光なのだと確信した。とりあえず今は知らないふりをしておこうか。
「ああ。無理に触れば、君は君でなくなるだろう。……それどころか、生命活動そのものが停止する恐れがある。…伸屋君には、君から話すかい? それとも……誓約書を書いてもらえれば手術をする事は可能だが」
医者は同情の目を向けてくるが、僕の胸の奥からは、むしろ笑いがこみ上げてきた。
人知を超えたものは、もうすでに僕の中で完成していたんだ。
SOLテクノロジー社はライトニングさんを利用し、あくまでネットワーク社会を盤石にするための道具としてしか扱っていない。彼らは何も分かっていないんだ。
「そうですか。今、僕には何の支障もないので大丈夫ですよ」
実際その通りだ。もし本当に体に悪い影響があるのなら、とっくに何かしらの弊害が出ているはずだから。
――本当に、そうか?
あの時、口にした物の味がしなかったのは、本当に気のせいだったのだろうか。この頭の中のICチップが、僕の肉体を蝕み始めている証拠だとは思わないのか?
自分の意識とは反し逆説に物事を推理していく。
診察室を出ると、待合室で伸屋君が待っていた。
「何も問題なかったよ。それよりも10年前のロスト事件について聞かせてほしい」
僕がそういうと、伸屋君は不信感の入り混じった、訝しげな眼を向けてきた。
「君もSOLテクノロジー社に雇われたの? ……帰ってよ。命を助けてくれた事は感謝している。けれどもう終わった話なんだ。ごめんだけど」
伸屋君は拒絶するようにそう言い残すと、足早に病院から出て行ってしまった。MRI代を出してくれると言った伸屋君とは少しだけ違った雰囲気を感じ取る。
ロスト事件に巻き込まれた6人のうち5人は、今もそのトラウマに苦しんでいるか、あるいは日常を取り戻そうと必死にしがみついている。
「真相を探るのは上手くいかないもんだね」
協力者はいない。それもそうだろうね。人類を見限ったライトニングさんを理解しようとしているのか、いや、人類を見限っているのは僕の方なのかもしれない。
「真相を知って協力できればいいのだけど、誰もそんな事を考える人なんてこの世界にはいないのだから」
僕は伸屋君が出て行った出口とは別の出口へと向かった。
もう伸屋君がライトニングさんに狙われることはない、そう確信していた。