ふわふわと身体が浮き上がる様な感覚。或いは、体中に重りを着けられたような身動きの狭さ。否、頭の中が全て融けて流れ出してしまったかのような気怠い感覚。
UMP9が感じているモノは、彼女の電子頭脳に登録されている言葉では言い表せない言葉で構成されたモノ。
それでも、いま9が感じている感覚を言葉で表現するとしたらそれは。
――夢?
そう。夢。本来戦術人形、いや、機械が見る筈の無いモノ。もし見るとしても、それは断片化された映像記録達を繋ぎ合わせるための自動的な整理作業に過ぎない。
それなのに、今見ている9の映像はなんなのだろうか?9の見ているそれは、淡雪の様な真っ白な肌と髪の幼子が花畑で舞い踊る映像だった。
汚染された世界にあるとは思えない見渡す限り色とりどりの花々が咲く花園。その中心で幼子が蝶の動きに合わせるように舞い、目を回しては転び、花畑に寝転がる度に可笑しそうに笑う様な、何とも愉快な光景。
――綺麗……
9が抱いた感想は、花畑に対しての感想なのか、それとも一連の可憐な映像に対してのものなのかはわからない。けれど、9の中で迷いなく浮かんだ言葉はその二文字であった。
『……』
幼子は花をちぎって束ねたり、或いは茎を結んで何かを作ろうと試行錯誤を重ねる。何度も作っては思い通りに行かなかったのか壊して、幼子は何度も膨れっ面をしつつもまた作業に取り掛かる。
『……!』
その光景の観測者である9はその光景を児童向けのアニメーションか何かが自分の中で流されてるのかと思いつつも、幼子の行動を興味深そうに見つめる。
『……ン!』
……ウルサイ。先ほどから彼女の頭の中に何かが響いてくる。夢を見ている筈なのに、強い痛みを発する何か。
今の9にはそれが酷く邪魔だった。
『…イン!』
――ああ、ウルサイ。今の私は、あの子の行く先が見たいのだ。あの子がこれからなにを行動に移すのか見たいのだ。どんな表情を浮かべるのか知りたいのだ。私は興味があるのだ。だって私は――
『ナイン!』
はっきりと、頭に響く何かが何を発していたのかを、9は理解していた。それは、声だった。ずっとずっと、9の事を呼びかけていたのだ。その声は一つだけでは無い。高低様々な複数の声が交じり合ったモノが、9をずっと呼んでいたのだ。
――そう。私は夢を見ている場合じゃない
自分のやるべき事を彼女は思い出した。今の自分がやるべき事は夢を見る事じゃない。この夢から覚める事。
その事を意識した瞬間、夢の中は真っ白に塗りつぶされ行き9は――
体を包み込む気だるさと、重りを着けられたかのような体の重圧感を感じつつUMP9は再起動を果たした。
「ううん……」
防火シャッターの様に重い瞼に伝令を送りゆっくりと持ち上げていく。始めに彼女の視界に入り込んだのは、処理しきれない位の真っ白な光と視界の端に移るベージュの髪色。歯車がかみ合わない様なぎこちない首を動かすと、そこには彼女の指揮官が9の手を握ってうつらつらと船を漕いでいた。
9は上半身を起き上がらせると。夢うつつにいる彼の顔を見上げてみる。血の通ってほんのりと朱に染まった頬、男にしては長めの睫毛、薄らと生えた髭、直す時間がなかったのか所々跳ねている短い髪。
いつも見ている筈の指揮官の顔。その筈なのに、今は何故か彼の顔を構成する一つ一つが気になって、仕方ない。
――あれ?指揮官……
まじまじと彼の顔を見つめる9が一つの疑問を覚える。その時に、無意識に彼の手を強く握ってしまったのか、俯いていた彼の頭がゆっくりと持ち上がった。
瞼が開かれ、彼のブラウンの瞳が露わになる。水気を十分に帯びた彼の瞳は、小首を傾げる9の姿を眼球いっぱいに映し出した。
「あっ、ナイン……」
寝起きの為か、どこか舌足らずな口調の指揮官。謹厳実直な彼の隙だらけな姿に9は自然と笑みが零れる。
「おはよう指揮官」
「おはようございます9……」
彼女の笑みに応えるように、指揮官は目を擦りながら微笑み返す。彼の顔には若干のやつれが見えはするが、浮かべている笑いは9が良く知るそれと変わらぬモノ。
それに安心感を覚えたのか9は両手を上げて一度伸びをすると、動きが良くなった首を回して周囲を見渡す。
周囲にあるのは、簡単に直るような損傷の時に使われる工具と機械が溢れるいつもの修復施設では無く、品質検査の機械や大量のケーブルが所せましと配置された特別な修復室。
「うーん……私、完全破壊されちゃった?」
大掛かりな機械たちが並ぶ部屋に居るのを顧みて9が推測した答えが逸れであった。完全破壊された戦術人形は再び建造されるのではなく、この部屋で一から作り直される。元のモデルと同じような機体を作り、最後にとったバックアップをそのまま移植し、過去に行った最適化をそのまま行われ、また戦場に出ても問題ない様にそっくりそのまま作り直される。
「いえ。9の身体を精密に検査したんです。八時間前の作戦で貴女はショートしたんです。『ゲルダ』の記憶を解析している途中に……覚えてませんか?」
「うーん……」
9は記憶階層を探り八時間前の映像記録を呼び出そうとしたが、何故か解析中の記憶だけロックをかけられたかのように呼び出すことは出来ない。が、『ゲルダ』と呼ばれた幼い少女を模した鉄血指揮官機を第一部隊で追い詰め、45がゲルダの電子頭脳を破壊し、自分がゲルダの記憶媒体を取り出した所までは何とか思い出した。
「『ゲルダ』を追いつめた所までは思い出せたけど……」
「そうですか……。」
「ううっ……頭痛い……」
無理矢理映像記録を繋ぎ合わせてその時を再現しようとしたり、アクセスしようとすると、彼女の頭脳は再びショートしそうな位に強烈な電流が奔り、アクセスを拒んでくる。
「無茶はしないでください!」
傷む頭を抑える9の肩を指揮官は支える。
「あっ……」
そう、それだけの行為。指揮官が誰でもやるその行為。それだけの筈なのに9の痛みは即座に収まり、別の感情が彼女の中を満たす。
「大丈夫ですか?検査の結果、電子頭脳、記録媒体、CPU、回路、全てに異常は無かったようですが……」
「う、うん!大丈夫!私は元気だよ!」
指揮官の心配を振り払うように、バタバタと腕を動かして快調をアピールする9。その姿に安心感を覚えたのか、指揮官は胸をなでおろす。
「よかったです……。本当に……」
またまた心配そうに顔を歪める指揮官に9は困った様に頬を掻く。
再起動して色々なシステムが立ち上がってる最中だからか、彼女の頬は少々熱を持ち始めてた。
「ねぇ指揮官」
「何でしょう?」
「どうして、バックアップから再建造しなかったの?8時間も原因不明で機能を停止してたら、今の私を破棄して、バックアップから再建造してもおかしくないのに」
機械が止まって作業が出来なくなる。それだけであっても、人間にとっては致命的な不利益を被る事になる。ましてや、9の練度はこの基地の中では最高位の部類。彼女が動けない事で受注出来ない任務だって多々ある。
それなら、不具合が出たこの体は破棄させて、新しい身体と過去の記録を引き継いだ9を再建造する方がよっぽど効率的だ。
「決まってるじゃないですか」
指揮官は、彼女の疑問にさも当然だと言わんばかりに笑みを浮かべて。
「今の9を見捨てたく無いから、ですよ」
当たり前だとばかりに答えた。
「っ!!」
彼からの答えに、9の機関部は強く跳ね、排熱が間に合わなくなって全身が茹る様な感覚を覚えて一度息をのむ。
機関部の疼きが止まらない。それが何の意味を表しているのか、疑似感情モジュールも頭脳部も答えを示してくれない。息を吸って吐いてを繰り返し、外気による冷却を計っても、身体の中か燃え盛るようなそれは体が冷える事を許さない。
そして、彼女の身体は異常な行動を起こす。考えるより先に彼女の身体が動いたのだ。与えられた命令しか出来ない、与えられたアルゴリズムで思考した結果で動くしか出来ない機械が。
9は指揮官の腕を掴んで引き倒すと、彼の顔を腕の中に収めた。
「な、ナイン!?」
腕の中にいる指揮官が困惑の声をあげる。彼女の柔らかい胸部に埋もれながら戸惑った顔を浮かべる彼がなんとも―――
「ありがとう指揮官」
彼女の中に溢れ出た、感情を言葉と抱擁で彼に伝える。
「い、いえ……」
突然の行動で驚いたのか、それとも恥ずかしさを感じてるのか、腕に収まる彼は顔を赤らめてされるがままになっていた。
9は彼の髪に手を当てて緩やかに指を通す。硬質な彼の髪はチクチクと彼女の触角にささるが、不思議とその感覚に不快感を覚える事は無かった。
今、溢れ出ている想いは嬉しさなのか、それとも別の何かなのかは9にはわからない。だけれども、彼が『今の9を見捨てたく無い』と今の自分を大切に扱おうとしてくれる姿勢が嬉しくて、その温かさを感化されてしまったのは間違いない。
「この位、ヒーローであるなら当然でしょうから」
「うふふ、そうかもねありがとうヒーロー♪」
そのまま指揮官は9に身を任せ、9は指揮官の温かさを甘受した。
9の抱擁と手が弱まったのを期と見たのか、指揮官は9の拘束を破った。
「あっ……」
まだ物足りないと言わんばかりに口を開く9に指揮官は困った様に微笑む。
「ごめんなさい9、やることがあるのでこれ以上は」
「う、うん!そうだよね!ありがとう指揮官」
指揮官と言う立場の忙しさは9もよくわかっている。恐らく彼は、自分の仕事を後回しにしてでも9の事を優先してくれたのだろう。それならばもう、これ以上の我儘に振り回してはいけない。
そんな考えに至って無意識に伸ばしてた手を引っ込めて9はブンブンと手を振って笑みを作る。
「二時間前までは45も居たのですが……緊急の任務が入った為、そっちに行って貰いました。ごめんなさい。本当なら45も傍に居て欲しかったと思うでしょうけど……」
「仕方ないですよ。それが私達のお仕事なんだから。私、指揮官が居てくれて凄く嬉しかったよ」
「……よかったです」
指揮官の表情にあった陰りは幾分か消え失せ、彼は安堵した様に口許を綻ばせる。
「では、僕はこれで。本日はここで休んでも、宿舎の方に戻っても構いません。話は通しておきます。それと、45には任務から戻り次第、目が覚めた事を伝えておきますね」
「うん。ありがとう指揮官」
では、これで。指揮官は恭しく頭を下げると、出口の方に向かっていく。
指揮官の背中が遠ざかっていく。それが9に甚く致命的なモノの様に思えて、また彼を呼び止める。
「ま、待って?」
呼び止められた指揮官は、小首を傾げながら振り返る。
「あ、その……」
意図して発した物では無いので9は気まずそうに頬を掻きながら何とか話題を探し、
「指揮官、ちょっと痩せた?駄目だよ指揮官。体格が細めなんだからちゃんと食べないと」
そう、先程指揮官の顔を見つめてて思った事。指揮官の頬が、何だかこけてやつれていたような気がしたのだ
「ふむ……最近は忙しかったので……ちゃんと食べれてなかったのかも知れませんね。これからはもう少し気にする様にします。ありがとうございます9」
指揮官は自分の手を一度見ると困った様に笑いながら、9に解決策を伝え、部屋から去っていってしまった。
「あっ……」
誰も居なくなって静まり返った部屋。響くのは、大規模な機械たちが奏でる無機質な動作音。
生気も何も無い。物寂しい部屋に9は一人取り残されてしまった。
「寒いなぁ……」
唐突に9の身体は寒さを訴え始める。生身の人間が居なくなった事で、空調の設備が機械を冷やすことを優先し始めたのかも知れない。
9はゆっくりと体を丸める。先ほど抱きしめた指揮官の身体の感覚を思い出す様に、自分を抱きすくめながら。
「45姉が来たら一緒に宿舎に帰ろ……」
寒さに体が支配されたのか、彼女の身体はスリープモードに移行しろと命令を送り、頭脳部はそれを受諾して彼女の身体は再び倦怠感に包まれる。
目覚めてからの映像記録を保存していく内に、9の頭は過去からとある映像を引っ張り出してきた。
それは、指揮官が夢を語ってくれた時の事。夜の静まり返った施設の屋上で9と45だけに聞かせてくれた彼の夢を。
『僕はですね、ヒーローになりたいんです』
気恥ずかしそうに頬を掻きながら語ってくれた彼の夢の記録を。
「おやすみ指揮官、45姉……」
その記録を寝物語の代わりに、9の意識はスリープの闇の世界に飲まれていった。