勇者パーティーから追放されたら、魔王が待っていました!   作:白千ロク / 玄川ロク

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【 まえがき 】

■追放された勇者と勇者を捕らえた魔王のお話
やまなしおちなしいみなし文
いろいろご都合的だと思われます

2019.01.29



本編 : 前編

「リーナ・グランベル。今日であなたを外すことにしたわ」

「へ……?」

 

 風呂上がりに髪を拭いていれば、部屋にふたりの〈勇者〉が訪れる。はいはいと招き入れたらば、このパーティーの立役者たる〈第一の勇者〉ベロニカ・ラウニにさらりと解雇宣言をされてしまった。ついで〈第三の勇者〉ユマイン・ローブルが不敵に笑う。どちらも女性でありオレよりふたつほど上だが、貫禄が違っていた。ほかにも〈第二の勇者〉サナシア・アルミスや〈第四の勇者〉アルヴィン・サイスという名の〈勇者〉もいるが、みんな〈勇者〉の名に相応しいほどに強くて気高い。

 

「役立たずがいては、うまくいくものもうまくいきませんから」

「あー……、はい、ですよねー」

 

 〈第五の勇者〉らしいオレことリーナ・グランベルはベロニカさんとユマインさんの言うことに納得した。ここまでを思い返してしても、盗賊や魔物、魔獣との戦いにおいてオレは一切手を出していない。たとえ〈勇者〉であってもだ。

 

 それには深い理由があるのだが、いまは髪を乾かす方が先であろう。濡れたままだと血の繋がらない弟が怒るんだよね。「風邪を引きたいの?」とか言って。

 

 話を戻して、解雇宣言だ。つまり、オレはパーティーから追放されるのか。それならばと魔力温存のために魔法で髪を乾かすことをやめ、タオルでわしゃわしゃ拭く作戦に入る。

 

「あなたに関わるものはこちらで回収しますが、異論はありませんよね?」

「ないです。ですが、髪を乾かす時間はください」

「そんな時間が必要だとお思いなら、ずいぶんと図太いですね、リーナ・グランベル」

 

 ――役立たずのくせに。そんな裏を読めてしまう言葉に、言い訳をすることもなく外した持ち物と装備を床に並べた。変わらずに髪を拭きながらだけども。なんてことはないショルダーバッグと武器と防具だ。武器は短剣と拳銃であり、防具はアーマーにローブである。どれも弟から貰ったものだが、回収すると言っているので大人しく渡す。

 

「ミラ様はこのまま同行すると仰いました。ランクは落ちますが、宿に止まれるお金ぐらいは餞別として渡しましょう」

 

 曖昧に笑いつつも「ありがとうございます」とお金を受け取る。たしかにランクは落ちるが、宿に止まれることもない金額か。

 

 弟とも離れるわけだし、これからは身一つで頑張らないと。魔力は人並みにしかないが、小さな傷は直せるから大丈夫かな。離れるのはいつまでなら堪えられるんだろうか。ちょっと想像ができないなあ……。

 

「では、さようなら。一行の仲間としては、無事に帰れることを祈って差し上げましょう。ああ、そのタオルは差し上げますね」

 

 男女別れて泊まっている二階の部屋――オレと弟は同室だから、合計三部屋借りている。弟の有無を言わさない態度にみんなが折れた結果であった――から追い出され、野宿できるところがあっただろうかと考えつつも一階に下りれば、「眠れないの?」と声がかかった。

 

「だ、大丈夫! ちょっとトイレに行くだけだからっ」

 

 心臓が飛び出るかと思えばそんなことはなく、声をかけてきた弟は「髪の毛が濡れたままだね」と髪に手を伸ばしてきた。「すぐに乾くから、大丈夫、大丈夫」と後退りつつ、「ミラこそどうしたんだよ?」と弟――ミラン・グランベルを見上げる。身長差があるので、これだけはどうにもならない。オレが風呂に入ると言えば、ひとりで時間を潰してくれてはいるが、どんな風に時間を潰しているのかはさっぱり解らなかった。おそらくは外でいろいろしているのかもしれない。ちょっと香水の匂いがすることもあるし。――いや、いまはそういうことは置いておかないとな、なんら関係ないんだから。

 

 考えを切り替えるように「どうしたんだよ?」ともう一度言いつつもじっと見据えた先、ミラは「少し飲み物を拝借しにね」と紫色の瞳を細めていく。きれいな色だと思うが、このまま見とれるわけにはいかないだろう。瓶の色からして果実酒かな。

 

「飲みすぎるなよ。じゃあな」

「――姉さん」

 

 出入口に向かいかけたところで腕を引かれ、「トイレは反対方向だよ?」と短く放つ。こういう察しのいいところは気に食わない。

 

「……夜風にあたってくるんだよ」

「そう。あまり遅くならないようにね」

「解ってるっつの」

 

 戻る場所はもうないけどな。そう呟いたオレには気づくこともなく、飲み物を手にしていたミラが二階に行くのを見送った先、急いで宿屋をあとにする。ボロが出る前に。

 

 

    ◆◆◆

 

 

 ギルド直営の宿屋は、ここのところの魔物の大量発生により大いに賑わっていた。冒険者たる屈強野郎の飲み食いは見ているだけで胃に悪い。オエ。

 

 お金の節約のためと思ったが、この分では空室はなさそうだ。野宿で決まりかと夜道を歩いていれば、ぽよんとした柔らかい感触があった。あ、なんかいま蹴飛ばしてしまったような……。「もひゅ!」と驚いたような鳴き声も聞こえた気がする。

 

「悪い! 大丈夫か!?」

 

 数歩先に転がる白い物体を抱き起こして解ったが、この子はモフだ。雪うさぎのフォルムをした小動物は、森の奥――といっても、この国ではなく魔族の国の森である――で営巣しているというのに、なぜこんな町中にいるんだろうか。いや、そういう疑問はどうでもいい。本当は全然よくないが、いまはいい。

 

「なんだこれ! かわいすぎるだろ! あああ~、ふわふわだなお前~っ」

 

 教科書のイラストもかわいかったが、実物には勝てやしないか。雪うさぎのフォルムはもうかわいさが満載だし、うさぎミミが垂れている姿――垂れミミのうさぎの代表格であるロップなんとかのミミと一緒――もなんとも言えないかわいさが溢れている。それに、ふわふわふさふさしている躯は抱き心地がたまらなかった。モフの方はなんだか嫌そうに「もひゅぅぅ……」と鳴いているが、気にしてはダメだ。

 

「怪我とかないか? あ、ちょっとミミの先が擦り剥いてるな……。さっき蹴飛ばしちゃったもんなー、ごめんごめん」

 

 これ以上抱きしめていたら嫌われるだろうかと、見計らって躯を離してやり身体検査に入る。といいつつも、大それたわけではなく、躯を見るくらいだ。擦り剥けたミミを治癒魔法で治してやり、もう一度抱きしめ直す。

 

「ん~……、あったかい」

「もひゅ~」

 

 さきほどよりは不機嫌さが消えたモフの背中を撫でながら、野宿はやめだと考え直した。モフが襲われでもしたら大変だしさ。

 

 閃いた考えによりこの町のギルドへと歩を進める。床でもいいから貸してくれと頼むつもりですが、なにか?

 

 

    ◆◆◆

 

 

 ギルドに入ると、一目散に受付へと向かう。受付のお姉さんは「こんにちは」と笑顔をくれた。「こんにちは」と返しながらもモフを置かせてもらい、スカートのポケットからカード型のギルド証を取り出して、その確認が終わればギルド証をポケットへと戻す。ランクはといえば、下の方ですよ。上がりもしないし、これ以上は下がりもしないという位置なわけだ。

 

「あー……、あのですね、こちらの施設で寝ることはできますかね? ギルド直営の宿屋は人がいっぱいでして、泊まることができませんので」

「そうでしたか。それでしたら、少々お待ちください」

「はい」

 

 上と話をつけにいくんだろうな。オレの短い返事を聞いたあと、受付のお姉さんはその場をあとにする。隣に立つもうひとりの受付のお姉さんに言付けて。

 

「はー、いつ来ても緊張する……」

 

 全然慣れないからなあ。ギルドに来てもオレが対応をすることはないし、対応できたとしても返事をするくらいだ。これで慣れろというのは無理な話だろう。

 

 ふぅと息を吐いてそのままモフを撫で回していると、お姉さんが戻ってくる。「こちらへお越しください」と案内されたのは、ひとつの会議室だった。室内は完全に応接室そのものだが、会議室というプレートがあるので会議室なのだろう。

 

「えっと……?」

「仮眠室はお貸しできない決まりですので、こちらをお使いください。いま毛布をもってまいりますね」

「あ、は、はい! ありがとうございます!」

 

 要はソファーで寝ろということだろう。いや、ソファーを汚すのはダメだから、床で寝なきゃならないか。

 

 お姉さんから毛布を受け取りつつふたたびお礼を述べれば、「さすがに野獣のなかには放り込めませんからね」と苦笑されてしまった。たしかに女の子ひとりでは危険しかないか。いくら中身が男でも、それを信じてくれる人間など少ないだろうしな。

 

「よい睡眠を」

 

 遅くまでお疲れ様ですと心のなかでお姉さんを労り、貸してもらった会議室の奥の床に腰を下ろした。モフは膝の上だ。そうして毛布を羽織り、「おやすみ」と目を閉じる。

 

 ショルダーバッグは回収されてしまったが、こちらには肌身離さず持っているギルド証とお守りがあった。ふたつともスカートのポケットに鎮座ましましていたりする。ギルド証がある限りは身分証明は問題ないし――ランクに関しては心のなかで笑われているかも解らないが――、お守りのなかにはマジックアイテムのひとつである〈転移の羽〉が入れてあるのだ。もしものときにとミラから渡されていたけれども、まさか役立つ日がくるとは思わなかったぞ。

 

 朝になったらそれで生まれ育った町まで転移すればいい。簡単なことだ。そもそも、はじめからオレなど必要なかっただろう。ミラのオプションだから優しくしてくれただけであって、人並みの魔力しかないオレにはなんの力もない。せっかく魔法がある世界に生まれ変わったにもかかわらず。

 

 学園にいたときだって凡人すぎて、ミラには恥ずかしい思いしかさせてないのかもしれない。こんな奴が義理でも家族だなんて、嫌だろうな。

 

 平凡を望んではいたが――あまりに平凡すぎて泣きたくなる。が、泣くのは家に帰ってからだ。誰かに泣き顔を見られるのは嫌だからな。

 

 

    ◆◆◆

 

 

 微かな鳥の鳴き声に微睡みが消えていく。「んー……、おはようございます」と躯を起こしてそのまま伸ばせば、違和感に眠気が飛んでいった。

 

「……あえ……?」

 

 オレは床に体育座りの格好で寝ていたはずだ。それなのに、起き上がったのはどうしてか。

 

「んん?」

 

 辺りを見渡して解ったことだが、どうやらオレは現在、豪勢なベッドの上にいるらしい。上流階級が持つであろうに相応しい華やかな天蓋つきのベッドである。かわいらしい寝間着姿――ナイトドレスというやつなのは意味が解らないが、着替えさせられたのだろうな。ご丁寧にミラから貰ったやつなのはなんでなんだ。裾がひだになったもので、シースルーの素材ね。オレが着るのを頑なに拒んだやつでもある。なぜって、誘ってる感ありありだからな。オレはそうじゃなくても、そう見えるのはアウトだ。そういうのは恥ずかしいにつきる。

 

「お~、ふかふか」

 

 現実逃避としてマットレスを手のひらで押したが、ものすごくふかふかしている。最終的には手のひら全体を包み込むように沈んでいった。家にあるのとは全然違うな。さすがは上流階級が持つであろうに相応しいベッドだ。

 

「そうだ! モフはどこに――」

 

 モフの存在を思い出してもう一度辺りを見渡すが、かわいらしい姿はない。ベッド下に潜り込んでしまったのだろうかと覗き込めば、「なにをしているの?」という声が降り注いだ。突然の声に驚き、「ふぇあああっ!?」とずり落ちそうになってしまったが、なんとか踏ん張って留まることができた。が、次の瞬間には何者かにより抱き上げられてしまう。誰だか解らずに躯が固まるが、「怪我はない?」という声に「んへ?」と間抜けな声が出てしまった。いやだって、よく聞いていた声だったんだよね。

 

「ミ、ミラっ?」

 

 どうしてミラがいるんだろうかと驚くオレを尻目に、ミラはベッドの端へと座り込む。もちろん離すことはなく、抱き上げたまま。オレはオレで口をぱくぱくさせることしかできなかったので、制止もなにもない。そのまま背後からぎゅっと抱きしめられるのはいつものことだが、今日は違う。

 

「も、もももっ、モフはっ!? 一緒にいたんだけど、見当たらなくてっ」

 

 迷子になっていたら大変だと気がついて慌てるが、ミラの方は慌てる欠片も見せずに淡々と「モフの心配はいらないよ」と言うだけだ。どうしてそんなに落ち着けるのかと「どういうことだよ!」との荒らげた声には、向かい合わせで応えられる。人ひとりを軽々と持ち上げられる体力と体格の差はどこでついたのか……。落胆する間に解ったことだが、ミラは怒っているようだった。それも、とてつもなくキレているらしい。見た目にはにこにこと笑みを浮かべているが、その笑顔が逆に怖すぎるんだよな。

 

「すみませんでした!」

「なにに対して謝っているのか、解っているのかな?」

 

 勢いよく頭を下げ――ることは難しいからとにかく「ごめんなさい」「すみません」と謝り続けると、ミラは嘆息を吐いた。「謝るのはいいけれど」と呆れながら。

 

「わ、解ってるし! ミラが怒っているのは、オレが勝手にパーティーを抜けた、からで……っ」

 

 恐怖と罪悪感とでごにょごにょ尻すぼみになる言葉にもかかわらず、ミラはそれ以上怒ることもなく一房掴んだ横髪の先に口づけ、「そうだね。それがひとつ」と口端を緩ませた。嫌がらずにキスをさせたからか、ちょっと機嫌が戻ったかな……? どうだろうかと顔を窺うが、まだにこにこしているから解らない。嫌がるといっても嫌悪ではなく羞恥からなのはミラも知ってはいるのだが、嫌がると機嫌を損ねるんだよね。

 

 いや、それよりも、「ひとつ」ってなんだ。

 

「ひとつって……、パーティーを抜けたこと以外になんかあったか?」

「俺を欺いたことと、夜に外に出たこともそうだね。ああ、あとギルド宿泊所で男たちにその姿を晒したことも許せないかな。それに、ギルドの方にいた男たちにも姿を晒したよね。――リーナのかわいさは俺だけが知るところにあればいいんだから、ほかの男たちに姿を晒すことは許されないよ」

「まだ言うのか、それ。毎日聞いて耳たこなんだけど」

 

 旅立つときから一日たりとも欠かさず聞いている言葉は頭がおかしいとしか思えないが、ミラは曲げることがなかった。防御の鉄壁といわれ、お値段がばかにならない真っ白いローブ――〈魔王のローブ〉でオレを覆い隠し、抱き抱えたまま移動や戦闘を繰り返していまに至るわけだ。

 

 甘いのか恐ろしいのか解らない行動に〈勇者〉一行は業を煮やした。ちなみに、魔王と名づけられたアイテムの多くは黒を基調とした色合いであり、魔王の姿形――美しい黒髪から取られているらしい。長きの和平による魔王の崇拝、はたまた畏怖することからつけられたというのが有力らしいが、ことローブだけは真っ白いのに〈魔王〉と名づけられた。ほかに類を見ない防御力の高さから。

 

 ミラの財力がどこから来ているのか謎であるが、魔王戦ともなれば〈魔王のローブ〉は喉から手が出るほどに必要なアイテムだろう。だから回収したのだと思われる。目をひんむきたくなるようなお値段であっても、ミラがオレ仕様に改造してしまったから、使いこなせるかどうかは知らないが。ついでに言えば、ショルダーバッグほか、ミラから貰ったものは全てオレ仕様にされている。短剣は使ったことはないけれども、拳銃はすごいぞと言い置いておく。

 

 というか、毎日毎日よく言い飽きないよな……。いや、ミラが()()()()()のには深い――ん、いや、そんなに深くはないのか? いやいや、やっぱり深いのか? まあ、とにかく、理由があるのだが、それにしてもそろそろ飽きてもいいころだろうに。

 

「もう聞き飽きた。聞きたくない」

 

 ぺちぺち肩を叩けば、「解らないようだから、何度でも言ってあげるよ、リーナ」と腰に回した手に力を込められる。「姉さん」ではなく「リーナ」なのは、まだまだ怒りが収まっていない証拠だろう。

 

「痛いってば! しかたがないだろぉ、武器や防具は回収されたんだからなっ」

「どうしてそう言いくるめられるかな」

「はあ!? 別に言いくるめられてはないしっ!」

「簡単に言いなりになっていたのはどこの誰だと言いたいよ、俺は。それにね、俺にひとことの相談もなかったのも気に入らないんだよね」

 

 口づけられても離されなかったままの焦茶(こげちゃ)色の髪に指が絡み、くしゃりと握られる。走った鈍い痛みに「痛いー」と顔を顰めればすぐに離すが、また髪を弄り始めていく。ミラのように髪質がいいわけでもないので触り心地はよくないはずなのに、ミラはなんだかんだで髪を弄ってくる。主に頭を撫でてきたりするのだけれど、ときには髪の先に口づけたり指に絡めたりと、いろいろだ。いまは怒りを鎮めようとしてくれているらしい。それは解るが、指先に髪を絡めたり唇を落としたり、それはもう兄弟ですることではないだろうよ。うう、恥ずかしい!

 

「言いなりじゃないってば! っもう、人の話を聞けよ! それにっ、ミラはこのまま同行するって聞いたから、相談の必要性がないと思ったの! 夜遅いのもあったけどもっ」

「相談は大事なことだから、些細なことでも言ってくれないと困るな。そもそも、俺がリーナのいないパーティーにわざわざ留まると思う方が間違ってる」

「お荷物がいなくなるからいいかなーって」

「リーナをお荷物なんて思ったことはないよ」

「ミラはそうだけど、ほかの〈勇者〉たちは違うんだよ。実際問題、オレは役立たずでいらない子なんだから。戦闘に参加しない奴なんていらないだろ……」

「リーナに怪我を負わせることは二度とないと決めてるから」

 

 じっとオレを眺める紫の瞳は細められるが、真意が読めない。楽しんでいるのか、からかっているのか、どちらになるんだろう。

 

「どちらでもなく、かわいがっている――かな」

「心のなかを読むなよ。プライバシーの侵害だぞ」

「そのプライバシーというのはよく解らないけど、リーナに個人的な時間はないよ」

 

 横髪を弄る手が頬を撫でて唇に触れる。「それはダメだ」と頭を振ると、「焦らされるのも一興だね」と暢気なことをこぼした。いつからこんな関係になってしまったのかはもう覚えてはいないけれど、求められるままキスをするようになってしまったわけだ。

 

 血の繋がりがないからセーフだと言い聞かせているオレの身にもなれと言いたいが、たとえ言ったとしても、だからどうしたという態度は変えないだろうことは解るから言わないだけだったりもする。さすがに「隠れてする背徳感はたまらないね」と囁かれたときには殴り飛ばしたが。痛かったのはオレの右手だけだったけれども。

 

 いまのところはキス止まり――キスにもいろいろあるが、どんなものかは教えてやらない――だけれど、先を求めないとは限らないから悩むんだよな。うん、いや、ね、正確には何度か先を求められたこともあるのだが、その度に「まだダメ」とか「まだ早い」とか「心の準備ができてないからやだ」で乗りきっている。オレはリードをする立場であったから、される側なんて解らないしな。ミラならうまくやれないこともないだろうが、やっぱり心の準備ができていないからアウトでしかない。

 

 これはそのうちに我慢の限界がきてしまうんだろうなとちらちらミラを窺えば、ミラは「どうしたの?」と問うてくる。言葉と同時に緩く首を傾げたとき、うなじを隠す黒い髪が首筋を撫でるのを見た。のちに、考えることを放棄する。そうしよう、それがいい。フェロモンに当てられる前に逃げてやる。

 

「あー……、いや、なんでもない。それで、ここはどこなわけ?」

「クロフォード城だよ。リーナにも解りやすく言うと、魔王城だね」

「は……?」

 

 え、こいつなに言ってんの? 悪い冗談でも言うようになったのか?

 

 なに言ってんだコイツというような顔でミラを眺めていれば、「失礼します」と寝室のドアが開けられる。メイドさんに抱え上げられたうさぎミミの垂れた小さな女の子が下ろされれば、「まおーさま」と上機嫌に走り寄ってきた。

 

 かわいいがしかし、いまのは幻聴ではないよな? 「まおーさま」ってちゃんと聞こえたよな?

 

「魔王、様……?」

 

 え、誰が? いったい誰のことを仰っているのかね。

 

「モフ、ご飯は残さず食べてきた?」

「お腹いっぱい!」

「え……、モフ?」

 

 え、誰が? たしかにうさぎミミという面影はあるが、いまは女の子だよね?

 

 え、えっ……ダメだこれ。頭がパンクする。

 

 ミラが魔王で、うさぎミミの垂れた女の子がモフなんてそんなこと、あり得ないだろー!!!!

 

 やっぱり脳の処理が追いつかず、あえなくオレはリタイアした。

 

 

    ◆◆◆

 

 

 ふと目が覚めて、ああと思い出す。オレは倒れたのだと。――あまりの現実に追いつけなかったから。柔らかな布団のなかでもぞもぞ動くが、誰かと一緒に寝ているということではなかった。あるはずの温もりがないのは少しばかり寂しくもあるが、いまはない方が安心する。しんと静まる寝室が(かえ)って心地よくもあった。それでも浸ることはなく、考えなければいけないこともある。なにをと言われたら、ミラのことしかない。

 

 ミラが倒すべき魔王であったなんて、どうすればいいんだ。どんな顔をすればいいのか解らない。オレがミラをどうこうするなんてできるはずもないのに。それほどまでに親しくなって――いや、親しくなりずきてしまったあとであるのだから。

 

 ――オレとミラが出会ったのは、いまから十三年ほど前になる六歳のときだ。前日から降りしきる雨のなか、裏庭にあたる菜園の様子を見に行ったときに倒れていたのがミラだった。円形に菜園をぶち壊して。それでも母さんは怒ることもなく、ミラの介抱に手を伸ばした。母は強しを地でいく人である。あ、意味が違うか、これは。まあ、いいか。

 

 雨に打たれていたというのに熱を出すこともなく翌日に目を覚ましたミラは、「社会勉強に来ました」と言った。父や母はあらそうなの、頑張りなさいねという態度で、ミラをすんなりと受け入れた。たぶんアレだ。ミラの容姿が容姿だったからだろう。黒い髪に紫の瞳――。和平の立役者たる第三代魔王に酷似していた姿は、この町では崇拝に値するわけだ。あと年齢を加味すれば、外に放り出すことができなかったと思われる。

 

 領主様と相談したあと、国王様へ謁見を希望した。オレは子供だったから相談内容はさっぱり解らないし、謁見に際したもろもろも解らなかったとつけ加えておく。

 

 謁見当日にミラとともに登城したのはいいが、なにをしたのかは緊張しすぎて覚えていない。気がついたら家にいたのだから。なんとなくミラのなすがままだった気もするが、覚えていないから解らずじまいだ。

 

 とりあえずの間は一緒に生活をするということになったようで、オレはミラとともに大きくなった。誕生日の関係でオレが兄となっていたが、兄としての威厳は皆無でしかない。いやだって元々兄弟はいなかったしさ、どうしたらいいのか解らなかった結果で甘やかしてしまうだろうよ。

 

 城下町にあるみっつのうちのひとつの学校――解りやすくいえば小学校か――を卒業したあとに、彼の魔法学園に足を踏み入れた。ついでにいえば魔法学園は大きな歴史を築いており、大国同士の真ん中にある国に建てられ、永久中立という立場をとっている。昔からずっと。

 

 聞いた話――要は風の噂では、ミラには早々に入学案内が届いていたようであるが、オレと離れないようにするためにわざわざ蹴っていたらしい。凡人のオレといてもなんにも利益がないのにな。ミラの感性は不思議だと、このときに強く思ったのが懐かしい。

 

 魔法学園の中等部から外部生として入学したが、数ある外部生のなかでもミラは異彩だった。大人びた姿形は当たり前であり、たとえば入学試験での満点。たとえばクラス分けのための魔力測定での測定不能。どれもオレは人並みでしかないが、ミラを助けるためならちゃんと動くことができた。

 

 ミラの魔力のお蔭で暴発した測定器――魔石製で棒状をしていたそれは、水晶棒と同じ形をしていた――は、突き飛ばしたミラに届くことはなくオレの背中を貫いた。痛かったのは一瞬だったから大丈夫。ミラの発狂したような叫びも聞こえてはいたが、オレはミラが傷つくよりはいいと思ったんだよ。ミラはこの学園で社会勉強をしなければならないのだから。

 

「大丈夫……、オレは、ミラと一緒に、いるから」

 

 魂は一緒にいるはずだから、寂しくはないよね?

 

 

    ◆◆◆

 

 

 聞こえてきた嗚咽に目を覚ましたとき、ぐしゃぐしゃにした顔が視界いっぱいにあった。誰か認識するまでには時間があり驚きはしなかったが、紫の瞳からは大粒の涙がこぼれていると気づく。

 

「あえ……? ミ、ラ……?」

「リーナっ! リーナ!」

 

 泣いているのかと声をかける前にはもう痛いくらいに力強く抱きしめられたオレは、ミラの頭を撫でることにした。「大丈夫」「大丈夫だから泣くな」と。落ち着いてきたらしいミラは「リーナ」と頬を擦り寄せてくるが、ここで最大の違和感が発揮されていた。「ちょっと待て」と引き剥がしたが、すぐさま抱きしめ直される。「離さない」とそう言って。

 

「離さないのは解ったけどさ、名前が違うぞ。オレはリーナルだ」

 

 不満に唇を尖らせれば、ミラは衝撃的な事実を口にする。曰く、オレは男としての生を終えたらしい。つまり、測定器が突き刺さったときが最期だったということだ。だがそうしたことで、オレは新しい生を持つこともできたようだ。性を転換することによってではあるが。いくら望んだとしても、創造神でもない限りは同じ性別で生き返らせることができないのが理なのだから、しかたがないだろう。それと、途中まではえ、それマジな話なの? と半信半疑だったことも致し方がないと思ってほしい。いやだって、信じられない話だろ。最終的に飲み込んだのは、話のとおり、オレ自身の性別か変わっていたからにほかならない。というか、なんだ、オレは現代日本と異世界とで二度の死を体験したようである。

 

 一度目は友人のワンコを助けるために命を()し、二度目は弟を助けるために命をなげうった。なんだかんだ、どちらも新たな命を貰ったようなものなのだから、オレとしては不満はない。たとえ性別が変わってしまったとしても、オレはオレのままあればいい。オレはオレでしかないのだから。

 

「そっか、そっか。まあ、命はあるからいいとするかな。ほら、女の子の生活も楽しいかもしれないしさ?」

 

 人並みでしかないオレでも、ミラが必要としてくれるのなら、第二の生も悪くはないのかな。なんて。

 

 親指の腹で涙を拭ってやりながらそう言えば、ミラは「俺が大切にする。大事にする。だから許して。姉さんを殺めてしまった俺を許して」とまた泣き出してしまった。

 

「なに言ってんだ、アホ。オレはミラに殺されたなんて思ってないよ。測定器だって、大量の魔力を注ぎ込まれてちょっとびっくりしただけだろうしさ。誰の責任でもないんだから、許すも許さないもないっての! でもそうだな、生き返らせてくれてありがとうとは言おうかな」

 

 続けざまに「ありがとう、ミラ」とこぼせば、涙に濡れた紫の瞳が見開かれる。が、それは一瞬のちに細められ、唇には柔らかいものが触れていた。え、いま――なにをされたんだ、オレは。

 

「――姉さんを一生大事にすると誓うよ、ここで」

「お、まっ……っ、それは解った! 解ったけどな、いまなにをした!? 吐け!」

「え、誓いのキスだけど?」

「ああああああああ! あえうあああああああ!」

 

 すんなりと言葉にされると混乱したくなってくる。実際にも混乱していたが、叫ぶオレの唇はそのあとにもミラの餌食となっていた。いつの間にやら涙を拭っていたのか、弱々しさの欠片もなくなっていた我が義理の弟は、普段どおりに戻っている。いや、違う、普段どおりではないな。「ほんとかわいい」とこぼした唇は――完全に緩まっていた。

 

 あ、これはちょっとマズイことになったかもしれない。

 

 その思いは的中し、ミラは過保護すぎるほどに過剰な過保護になってしまった。もともと甘いところがあったが、もっともっと甘くなってしまったのだから手に終えない。

 

 男女きっちり別れている寮だというのに――侍従持ちのお貴族様はまた別の寮があるので心配はない――、特別な計らいで同じ部屋、というよりかは、二階建ての一軒家に住むこととなってしまったし、朝の登校からはじまり、クラスが違うにもかかわらず昼や放課後は必ず迎えにきてくれた。卒業するまで毎日。オレはどこかのお姫様か、どこの箱入り娘かとツッコミたいぐらいだったよ。ちなみに、一軒家は元の家を模しており、部屋や家具の配置も一緒だった。どうやら寮を隔てる厚い塀の一部を破壊して建てたらしく、建てたのはもちろんミラであり、魔法で一瞬だから仕事が早かったようだ。プライバシーを守るためにこちらも頑丈な塀で隔てたが、ときおり侵入者が張りついていたのは驚いた。塀には侵入者避けの魔法を組み込んでいたらしい。ミラは面倒くさそうに剥がしていたが、侵入者がいなくなるのにそう時間はかからなかった。やっぱり張りつけの刑はきつかったんだろう。晒し者だしな。

 

 甲斐甲斐しいミラに負けじと「ミラには悪いから、オレも迎えに行くぞ!」と言ってみるのだが、毎回毎回「姉さんをほかの人たちに晒せと言うの?」のひとことで黙らされてしまっていた。しかしだ。行動に移すが勝ちだろうと、こっそりひっそりミラのクラスを覗いたこともある。特進科といわれる学園の最高峰のクラスを。

 

 作りはオレのクラスとなんら変わらなかったが、置いてあるものは一級品だった。うん、さすが特進科だな、金がかかっている。かかりすぎているとも言っていいか。総額がいくらかなんて想像できやしない。

 

 天井に浮かぶ蛍光灯、いや、シャンデリアもどきに目を奪われたときにはもう遅く、ミラの手に捕まっていたのは言わなくともいいだろう。

 

 抱え上げられた先、正面にある笑顔になにをされるのかと震えながら連れられたのは膝の上である。向い合わせで「はえ?」と目を丸めるオレに対し、肩から提げていた通学鞄という名のショルダーバッグを外してから「次はないから、覚えておいてね」と頭を撫でてくるミラはやっぱり怒っていたが、追い出されることはなかった。あー、よかったと安堵に胸を撫で下ろせば、こつりと額を合わせられる。

 

「うわっ、な、なんだよっ?」

「言っておくけど、俺が姉さんを追い出せると思っているのなら間違いだから。気持ちは嬉しいんだけどね、俺の許容範囲は狭いから許してほしいな」

「許すも許さないもないっつの。だけどな、心のなかをほいほい読むのは禁止にするぞ」

「ワカリマシター」

 

 まあ、見事な棒読みですこと。これはおそらく止めることはないな。これ以上機嫌を損なわれると大変だから、わざわざツッコミはしないけれども。

 

「解ったならいいや。今日来たのはさ、これのためなんだよ、これ!」

 

 言葉を紡ぐ間にも躯を捻って長机の上――学園の教室は大学の教室のような長机とイスでできていた――に鎮座ましましているショルダーバッグを手に取り、なかを探ってお目当ての物を取り出した。「じゃーん!」と高らかな効果音つきで。効果音といっても、自分で言っているだけなんだけどね。

 

「カップケーキだね」

「そうです、カップケーキです!」

 

 なんてことはない調理実習で作り上げたカップケーキだ。ふたつ一組でラッピング済みである。五つあるラッピング袋をショルダーバッグを置いた膝の上に並べた。甘い匂いとおいしそうな焼き色は食欲を誘う。ひとつをミラに「ほい」と渡せば、抱きしめている手に力を込められた。すかさず「わ、バカ! 残りのカップケーキが潰れるからやめろ!」とぺちぺち手を叩く。いくら自前の胸の分の隙間があろうとも、隙間が埋まるくらいに強く抱きしめ直されたら危うい。

 

 渋々といったような態度でも素直に離してくれたのは、カップケーキのお蔭だろうか。そろそろ眼下に目をやると、カップケーキは形を変えずに点在していた。どうやら変わったのは押さえつけられた胸の形だけだったようだ。

 

「お、大丈夫そうだな。調理実習で作ったんだけどさ、一緒に食おうと思ったんだー」

「それは、食べさせてくれるということかな?」

「まあ、食わせてほしいなら食わせてやるけど……、耳まで赤いぞ、お前」

「姉さんがかわいすぎるから。なんだろうね、喜び方がかわいすぎるよね、誘うのもうまいから頭が痛くなってくる」

「一ミリも誘ってないとは返しておくからな。あとな、いまはミラもかわいいうちに入るぞ。珍しいものが見れたなー」

 

 ぶつぶつ呟いたミラの頭を撫でてやれば、「そういうことを俺以外にしないでね」と頭に頬を寄せてくる。懇願に似たお願いを受けてしまえば答えはひとつだ。「ミラ以外誰にするんだよ」と答えつつ、右端にあるラッピングの封を開けた。この学園でのオレは凡人も凡人であり、陰口どおりにミラには相応しくもないが、それでもミラはオレの弟にほかならない。弟をかわいがってなにが悪いという話だろ。

 

「ん、ほら、あーん」

 

 紙カップを少し破り、ミラの口元へカップケーキを運んでいく。ふは、やっぱり真っ赤でかわいいな。

 

「おいしいよ」

「だろ! まあ、オレもちゃんと味見したし、うまいのは解る。うまく焼けた分は学園長に献上するのに取られちゃったけどなー」

「噎せるようなことを言うのはやめようか」

「大丈夫、大丈夫。オレが奪われたのはひとつだけだったし。ひとつは味見で食ったからなくなったけど、なかには三つも取られた子もいたんだぞ」

「奪われたそのひとつでも、リーナのものはひとつ残らず俺のもののはずなんだけどね」

「お前はどこの俺様なんだ」

 

 恥ずかしいからもう黙れと片手で持つカップケーキをミラの口へと押し込んでいく。もくもくと食べる姿に頭を撫でつつ、オレもオレで新しいカップケーキにかぶりついた。あー、うまい。あとは飲み物が必要だよなとミラに頼めば、カップをふたつ作り出し、小さなポットも作って紅茶とココアを注いだ。正確にはココアに似た味の飲み物であって、ココアではないのだが。

 

「やっぱり一緒に食うとうまいなー」

 

 飲み物と一緒に食ってもうまいが、ミラと食うならなにを食ってもうまい。

 

 頷くミラに機嫌をよくしたオレは、ココアもどきに口をつけていく。足をぷらぷらさせながら。アイスココアだから冷ます必要はないんだよー。

 

 あれ……? そういえば、誰の邪魔もないなーと気がついたときには遅く、まさかと思った矢先、残っていたミラのクラスメイトたちが悔しい、恨めしい、羨ましいといった視線を投げているのを視界の端で捉えた。防御結界の外では阿鼻叫喚か、これ。結界がなくとも、悪意ある視線を投げかけられるのは毎度のことだから慣れてはいるけどな。対処法は無視をするのが一番いい。変に絡まれても嫌だしね。

 

「ほらミラ、もうひとつぐらいは入るか?」

「食べさせて」

 

 はいよとほいほい食べさせてから一段落をつけるように、背中を預ける。「晩飯入るかなー?」という呟きには「少なくすれば問題ないよ」と返ってきた。

 

「そうだな、そうする」

 

 紡がれる甘言に甘えてしまうのはミラだからであるのだが、重荷にならない程度には気をつけなければなるまい。もう遅いなんて言われなくとも解ってはいるけれども、ミラにはミラの未来があるのだし、線引きはきちんとしないとな。たとえ一生大事にすると誓われても。

 

 なにせ、そのうちにオレ以外の人間に恋をする日がくるのだから。心配しなくとも、オレはちゃんと応援をするつもりだから気にしなくともいい。まあ、元男、それも義理の関係であるオレを気にしない人がいるのかは謎であるが。

 

「ミラ?」

 

 突如、手のひらで目元を隠される。なにも見なくてもいいと言われているような気にもなるが、これはミラ以外を見るなと言っている。ほかを見るのは許さないと。訪れた暗闇のなかで、「――俺とリーナが離れる未来なんて考えなくていいから」と囁かれた。

 

「離れるなんてそんなこと、俺は考えたことすらないよ」

「未来はどんな風になるかなんて解らないだろ。心の準備は大切なの。つかお前、人の考えを読むなって言っただろ」

「どんな考えに至るのか、リーナの顔を見ながら導き出しただけであって、読んでいたわけではないから安心して」

「マジか。え、オレそんなに顔に出てる?」

「出ているときは出ているね。解りやすくていいから、そのままで大丈夫だよ」

 

 目元を伏せられたまま「やだよ」と顔を背ければ、すぐさま元の位置へと戻された。「俺を見て」というふたたびの囁きとともに。――ずるい。

 

「もう一度言うから、よく聞いて。俺はなにがあっても離れないから。ああ、違うな。離れられないの方が正しいか――。リーナがどう結論づけようが、俺の方は離れるなんて考えは持ち合わせていないから、ちゃんと覚えておいてね」

 

 ミラはずるい。熱い思いをなんてことのないように言ってのけるんだから。聞いてしまえば、突き放すことなんてできなくなる。

 

「い、茨の、道になってもいいのかよ?」

「一緒に堕ちたら楽しいよ」

 

 ――ああ、本当に、ミラはずるい。いくら離れると考えることはできていても、実行に移せないことを解っているのだから。悔しいと、なんでできないんだと、オレは本当は必要のない人間なんだと、泣きたくなるような思いの隙間を埋めたのは――ほかでもないこの男だ。オレからはもう、縋ることしか叶わない。捨てられまいと必死になるしかない。

 

 オレがこの世界で生きるには、ミラという男がいないといけなくなってしまったのだから。

 

 

    ◆◆◆

 

 

 始まった甘い甘い夢にはもちろん、終わりもある。いや、終わりというには少々語弊があるか。言ってしまえば、学園からの卒業だ。

 

 首席近いミラとは違い、下の中の成績での卒業資格を得たのは言うまでもなく、そしてこの学園の卒業式は簡素なものだった。卒業生だけが講堂に集められ、学園長代理という若い男性からの「卒業おめでとう」という言葉だけで締めくくられる。厳かとは言いづらく軽い。卒業証書もなく、魔石と宝石とを合わせて加工したらしいカード型の学生証に卒業生と刻まれるだけだ。卒業式が終わったと同時に発動した魔法で。

 

 つまり、卒業式は三十分もかかっていない。なぜかといえば、その後に開かれる卒業パーティーが本番だからだ。その後といっても、卒業式を終えた当日ではなく、準備もあるので翌日に開催される。

 

 学園が用意した会場からの招待状を手に、予め用意した思い思いの正装に袖を通した卒業生たちは、それぞれにパーティーを楽しんでいた。立食形式ではあるが、休憩用かなんなのか隅の方にはきちんと何個かイスが並べられている。まあたしかに、長時間立ちっぱなしは辛いであろう。開催前にはいくつかの注意事項が伝えられたのだが、どうやら過去の卒業生――成績優秀であった者が数人呼ばれての講演もあるらしい。旅立つ若者の道標となるようにという思惑からのようだ。集められたりということはなく、拝聴は自由である。

 

 オレはパーティードレスというわけではなく、制服を改造したような上下に身を包んでいた。赤を基調とした多色のチェック柄のネクタイで作ったリボンに、襟や袖、裾、ボタン周りにはひだがあるブラウス、ネクタイと同じ柄のスカート、生地の薄いハイソックス、パンプスという出で立ちだ。ハイヒールやピンヒールでなくてよかったと心から思う。いまだってちょっと歩きづらいというのに、ハイヒールやピンヒールを履かされては歩けないからな。まあ、ファッションのことはよく解らないオレからしてみれば、ハイであろうともピンあろうとも、どちらのヒールも同じに見えるけれども。スカートはいわゆる二重スカートというやつで、なかの布はレースであり、その端が裾から覗く仕様だった。だが、ミラに着せられた〈魔王のローブ〉により全容は隠されている。いまのオレはどこの旅人かという格好なのだ。かろうじてフードは被らされてはいないが、どことなく注目されているのは解る。だって〈魔王のローブ〉だし。いやまあ、ミラはフードも被せる気満々だったが、食いづらいから無理とこちらが拒否をしたんだけどな。

 

 結い上げられた髪を留める髪飾り――バレッタも、ミラから贈られたものだったりもする。普段はシュシュもどきで整えていたからか、精巧に作られたそれに慌ててしまった。壊してしまったらどうしようと。ミラは「形あるものが壊れるのは理だから」と気にしていないようだったが、オレが気にする。抵抗はしたが、「リーナを飾るのはそんなに悪いことかな?」と囁かれて終わりを告げた。悪いわけではないから、返答のしようがなかったのだ。「ううぅー」と唸るオレはミラの知り合いだという女性により身支度を整えられ、食う専門に成り下がる。いつものことだが。ついでにいえば、オレが着せられた改造制服なこの服も、彼女が製作したらしい。仲睦まじい姿に衝撃を受けてしまい、どういう知り合いかは聞けなかったけれども。

 

 パーティー会場は広く、クラスごとに別れていた。問題が起きないように別行動は控えるようにというお達しもあったし、いまはオレひとりでもくもくと肉を――ローストビーフを食べている。さっと皿に取っては端のイスに戻り、もくもくと。正しく言えば、ビーフではない肉であるのだが、味はローストビーフに違いない。

 

 ……ひとりではおいしくないし、ミラがいないと寂しい。しかし、ミラの方はオレがいなくとも大丈夫なようだ。少なくとも、好意を寄せる人はいるようだしな。

 

「帰ろ……」

 

 楽しくないところにいても意味がない。イスから立ち上がり、ふらふらとした足取りで食べかけの皿を給仕係に渡して会場をあとにする。

 

「捨てられるのかな、オレ」

 

 あんなに仲睦まじい人がいるんだもんな。オレの必要性はもうないか。

 

「どこに行こうとしているの?」

「んー、楽しくないから家に帰ろうと思って」

 

 うつむき加減のままぽふりと誰かにぶつかったようだが、誰であるかはもうどうでもいい。ミラに捨てられるのなら、なにもかもどうでもいい。

 

「抜けるのが遅れたから怒ってる?」

「んへ……? あ、え……っ!?」

 

 ぽんぽんと頭を撫でられたあとに指が頬を滑ったとき、ようやく誰かを察する。勢いよく顔を上げれば、ミラは困ったように笑っていた。

 

「怒らせちゃったみたいだね、ごめん」

「あ、や、怒っているわけじゃない、から……」

「ならどうしたの?」

「ミラがいないと楽しくないから……、だから帰ろうと思ったんだよ」

「本当、かわいいことを言ってのけるよね」

「かわいくないわっ」

 

 なにを言うのかとぶうたれるオレの垂れた横髪を耳にかけた指で、もう一度頬を撫でてくる。一片(いっぺん)の迷いもなく。くすぐったいと漏らせば、また「かわいい」と宣いながら瞳を細めて、くすくす笑う。本来ならそういった笑いとともに悪意を向けられているから好かないが、そうであってもミラなら嫌ではない。完全に、「目に入れても痛くない」といった表情をしていたからだ。誰に見られているというわけでもないのに、羞恥で顔が熱くなっていく。思わず漏れた「バカぁ」という呟きにもまた、瞳を細めた。正確にいうと、ミラの瞳は見る角度によって色が変わっている。紫が強く出た赤や青といった具合に。おそらくは光の加減がかかわっているのだろうが、どれもきれいで見惚れてしまいそうになる。

 

 ああ、きれいだなあ。

 

「姉さんは――リーナは誰よりもかわいいよ」

「そっ、そういうことは、未来の彼女にでも言えっ!」

「だからちゃんと、未来の彼女に言っているんだけど」

「バカ! オレは彼女じゃないっつの! もっ、もうこの話はいいからっ、戻ろうぜ」

 

 変な雰囲気になりそうなところをすんでのところで回避し、勢いのまま手を取る。羞恥が湧くままにもうもう! と後ろを振り返らずに引きずるようにその場をあとにすれば、早々に抱え上げられた。いわばだっこである。抱えた男曰く、「歩幅が違うから」らしいが、それはそうだろうと納得してしまう。身長差があるし、足の長さだって異なっているのは当たり前なのだ。問題はまたまた湧き上がる羞恥についてだが、少ししたら治まるであろう。ほら、一応、何度も密着はしているしな。

 

「目立つから嫌だー」

「いまさらだと思うよ」

「それはそうなんだけど、そうなんだけどさあ! 卒業パーティーまで嫉妬に晒されたくはないんだよっ」

「いくら恋慕や嫉妬を抱いても、成り代わることはないと解らせてやらないとね。姉さんが泣いても、慰めるのは俺の役目だということを知らしめてやればいい」

「ばっ……、お前はすぐにそういうことを言うっ! つか、泣かないからな!?」

 

 なにもオレは泣き虫というわけではないんだぞ! 断固訂正を求めると拳で肩を叩けば、「姉さんの涙はおいしいよ。もちろん、涙以外もすべて――ね」と囁いてきた。予想だにしない言葉と前触れのない囁きに、「ふゎおっ!?」とこちらが肩を竦める結果となってしまう。

 

 涙は食い物じゃないんだが、そこのところは解って――はいるんだろうな。解っていてなお、そういうことを平然と言ってのける男だというのか。なんて男なんだ。この天然タラシ野郎!

 

 オレが女の子といてもこんな自然にはいくまいなという悔しさにぐぬぬと奥歯を噛みしめれば、「歯に負担がかかるからダメだよ」と空いた手で頬をつままれた。

 

「このっ、タラシ野郎が!」

「俺がたらし込むのは姉さんだけだから」

 

 しれっと言うところが憎らしいいいいい! やっぱり悔しいともう一度奥歯を噛んで、ふいと顔を逸らしてやった。「バカなこと言ってんなよなっ」という悪態つきで。

 

 ミラからは「本気なんだけどな」という言葉が返ってきたのだが、お前がたらし込んでいるのはオレ以外のすべての人だろうとわりとマジでそう思う。ムカつくけど!

 

 

    ◆◆◆

 

 

 行き着いた先は特進科のパーティー会場ではなく、普通科のパーティー会場でもない。ここはどこだと辺りを見渡すが、生徒はおろか教師も見当たらなかった。――ひとりも。いや、それは解っていた。近づくにつれても喧騒が聞こえてこなかったのだから、騒いでいる人がいないであろうことは予想がついていたのだが、事実、本当に誰もいないとは思わない。

 

「ど、どこなんだよここは……」

「特別会場だよ」

「えぇ……、そんな場所なんてあったか?」

 

 招待状には普通科と特進科のパーティー会場の案内しかなかったけどな。普通科は人数が多い分クラスごとに別れていた――クラス編成でいえば、普通科は六クラスあり、特進科は二クラスである――が、ただそれだけだ。

 

 困惑するオレはいまだに抱え上げられたままだったが、それでもこの空間をふたたび見渡す。たとえ静まり返る空間であっても、パーティー会場と同じきらびやかさがあった。というか、テーブル、その上の料理、端に並ぶイスと、設置されたものは見た目からしてパーティー会場と同じものであろう。変わっているところといえば、給仕係がいないことぐらいか。まあ、いなくとも自分たちでやれるから問題はないなと思いつつ、「下ろして」とミラに頼めばあっけなく下ろされた。とたん、どこから来たのか、足元にぬいぐるみがわらわらと集まってくる。二足歩行のぬいぐるみが。うさぎにねこ、あとはテディベア――くまだ。

 

「おぉう?」

 

 どうしたものかと一瞬固まってしまったのだが、手のひらサイズというかわいらしさにかがみ込んで、手前にいる一体のうさぎを手に取った。うさぎとねこが三体ずつであり、くまは二体という八体構成らしい。よくよく見るとどの子もタオル地のようで触り心地がよさそうだった。「かわいい~」と口端を緩ませれば、手のなかにいたうさぎがぺこりと頭を下げる。

 

「ふぁあぁっ!? ミ、ミラっ! いまの見たか!? すげえ!」

「喜んでくれたならなによりだよ。ここの給仕はこの子たちに任せるといい」

「え?」

 

 興奮ぎみにミラを見上げれば、ミラはなんてことのないようにそう言う。うまく肯定できないのはその小ささからだ。料理が乗った皿やトレーを運ぶにしても、重さで潰されるとしか思えない。たとえぬいぐるみであったとしも、小さな存在が潰されるのは不快感しか湧いてこないぞ。

 

「え、えぇ……、この子たちじゃ小さすぎるだろ?」

「姉さんが想像していることとは違って、なにもこの子たちが全力を使って運んでいるわけではないよ。そもそも、この会場の準備をしたのはこの子たちだからね」

「はぁあぁあっ!? こっ……、えっ、ここをたかだか八体でか!?」

「重いも軽いも関係ないんだよ。この子たちは魔導人形(ゴーレム)だから」

「え、でも、この子たちの素材はタオル地の布だぞ? 魔導人形って土でできてるんじゃないのか?」

 

 作製者の言葉は理解できているけれども、喋ることはできない忠実な部下――。実際にオレはそう習ったし。立ち上がりながらそう言えば、ミラは「それには然るべき理由があって、普通科では基本的な知識以外のよけいな知識はつけさせないようにしているから」と、なんでもないことのように返した。なんだそれは! いや、言いたいことはなんとなくは解る――要はいっぱいいっぱいのところで新しい知識をものにできるかどうかということなんだろうが、よけいな知識かどうかは自分自身が決めるものだろうよ。決められるものではなく。……とは言っても、ものにできるかと聞かれれば、オレは無理と答えるんだけどね……。矛盾しているが、そんなものだろう。

 

 ミラはいまだに手のなかにいるうさぎに視線を遣ったあと、続けざまに口を開いていく。「簡単にできあがるのが土や泥というだけであって、土にこだわらなくともいいんだよ」――と。

 

「込める魔力についてはそれぞれ違いがあるけれども、石や宝石といった自然物からでも、加工された金属やほかの人工物からでも作製は可能だから。ああ、あとは骨からでも作製できるみたいだね。骨の場合は死霊魔導士(ネクロマンサー)に喧嘩を売るようなものだから、あまり活用はされないようだけれど」

「はー……、そういうもんなのか。やっぱり特進科は進んでるんだなー」

「特進科ではそういう類いの実習がたくさんあったからね」

「え、ならこの子たちはミラが作ったってことか!?」

 

 かわいいかわいい魔導人形を! ミラが! いやでも、手先は器用だから、見本があればすぐにできあがってしまうか。オレもうさぎに視線を向ければ、うさぎは抱えている両手を両前足でくるくる撫でてくる。やっぱり手触りは抜群だし、かわいい。

 

「たしかに暇潰しに作らされたけど、俺の場合は実習は免除されているから違うよ」

「んっ? 免除? なんで?」

 

 なんかいま聞き捨てならないような言葉が聞こえてきたぞ? どういうことなんだ?

 

 こちらが単純な疑問を吐き出すと、ミラはまたしれっと言った。しれっと、悪びれもせずに。

 

「学園の実習にあたることはもう覚えているから」

「――はぁっ!? お前はなんて奴だ! 天才か!」

 

 類い稀な才能の持ち主だとは解ってはいたが、実際に口にされるとなんて奴なんだとしか思えない。これは嫌味でもなんでもなく、なんてすごい奴なんだろうかという素直な羨望の方だ。すごすきて嫉妬を凌駕している。「俺は天才ではないよ」と謙遜する姿さえも尊敬してしまうし、なによりも美しい。

 

 ……ということはなんだ、実習に挑む準備にあたる時間も免除されているはずだろうから、その間はなにをしていたというのか。さっきも言っていたように、魔導人形を作っていたりしたんだろうか。

 

「実習準備の間はなにしてたんだよ?」

「読書とかいろいろかな」

 

 『とかいろいろ』にはなにが含まれているんだよー。屋上で昼寝とかしてたんだろうか。考えられないが。あ、屋上は立ち入り禁止だったっけ……?

 

 そんなことを悶々と考えていれば、腹からすごい音が出た。手のなかにいたうさぎも小さく仰け反るぐらいの音である。オレだって驚いたさ。朝食は摂ったが、パーティー開始の時間的に昼食は食べずに会場に赴いて、ローストビーフもどきを少し食べただけだから、腹が鳴るのはしかたがないだろう。が、鳴り方が問題だ。汚い。汚すぎた。

 

「わ、悪い……」

 

 ぐぎゅるる鳴り続ける腹に対し、ミラは呆れるどころか口元を緩ませていく。

 

「話はこれくらいにして、食事にしようか」

「……おう」

 

 気まずいながらもおとなしく従ってしまうのは、腕を引かれてしまったから。

 

 うさぎとねこの魔導人形たちが運ぼうとしていたイスを「イスぐらいは運ばせてくれ」と頼んで――オレたちに対して意思の疎通ができているのかは怪しかったが、とにかく頼んでみた――自分たちで運んだイスを隣同士で並べる。向かい合わせは却下されてしまったからな。オレはローブ、ミラは正装の上着を脱いでから腰を下ろした。ついでにいえば、脱いだものはふたつともミラの背凭れに鎮座ましましている。いやだってね、ミラの手が伸びてきたんだよ。こういうまめなところがモテる秘訣なんだろうと思う。どうにもオレには真似ができないなと感心しながらテーブルを見遣った。ちまっとした物体を。

 

「え、と……、じゃあ、よろしくお願いします」

 

 テーブルに縦三体ずつ並んだ――くまは二体のままだが――魔導人形に緩く頭を下げれば、料理が乗った取り皿を目の前に運んできてくれる。くるくると踊るような動きで。いちいちかわいいな! 「ありがとう」と頭を撫でてやれば、魔導人形はそそくさと次の作業へと行ってしまう。嫌われてしまったのかと思ったがそうでもなく、三皿ほど運び終われば、魔導人形たちは待機するようにテーブルの端に並び始めた。ああ、そういう感じなのね。やっぱり主従がはっきりとしているというわけか。しかし、いくら手のひらサイズだろうとも、八体分もの魔力を込めることができるなんて、作製者はどれだけの魔力を有しているんだろうか。就職活動をせずとも、就職先は宮廷魔導士に違いないな。はー、羨ましい。老後も安泰か。オレなんて数多落ちたし、この際、冒険者にでもなろうかなんて思っているところだったり。もちろん、危ないところには行かない気ままな冒険者だ。薬草を摘んで売る男になってやる。

 

 とりあえずということで、「いただきます」と手を合わせたあとにローストビーフもどきを口に運びながら人生設計をしていれば、横から腕が伸びてきた。「食べさせてあげる」という楽しげな声とともに。

 

「んー、じゃあ、あー」

 

 ミラのしたいことをさせてやろうと促されるままに口を開ければ、さっそく残りのローストビーフもどきが運ばれ、咀嚼に入る。ひとりではおいしくなかったのに、いまはソースの味わいも解るほどにおいしい。ソースは甘じょっぱい味つけだったらしい。

 

 雛鳥のごとく、運ばれるままがつがつ食べ終えて空になった皿は、魔導人形たちが片づけていく。小さな姿でどう片づけるんだろうかと思っていたが、持ち上げた皿は頭の上でふよふよ浮いている。つまりは、魔導人形たちも初歩的な魔法を行使できているということだ。魔導人形が魔法を使えるなんてこのときに初めて知ったが、どうやら潰される心配はないらしく、ほっと胸を撫で下ろした。微笑ましい光景であるのだが、無言なのはなんだか寂しいな。そういうものであったとしても。

 

「喋れたら楽しいと思うんだけどなー」

「姉さんが望むのなら、少し弄るよ」

「は、え……?」

 

 弄るってなにをだと疑問に思う間にも、ミラは魔導人形たちを集めて指を鳴らした。ものすごくいい音だったなと感心していれば、魔導人形たちはオレに突撃してくる。「む!」「むっ!」「むむっ!」というかわいらしい鳴き声を聞いたあと、「姫様!」「姫様ー!」とはしゃぐ子供のような声も聞こえてきた。

 

「わ、わっ!?」

「姫様っ」

 

 姫様とはいったい誰のことなんだろうか。オレだとしたら、なにかの間違いなんだが。「オレは姫様ではないよー」と訂正するが、魔導人形たちは「姫様は姫様です」と言い切って、納得していないようである。

 

「きっとお姫様のようにかわいらしいということだよ」

「ミラに言われると正しい気もしてくるけれども、オレはお姫様って柄でもないからなあ」

 

 あとかわいくもないぞ。ミラからはかわいいと言われてはいるが、どこにでもいる人間だ。凡人だぞ、オレは。

 

 魔導人形たちはまだ「姫様」と呼んではしゃいでいたが、姫様はないな。心情的に。

 

「姫様はちょっと恥ずかしいから、名前で呼んでくれないか? ――って、オレの名前解るかな?」

「リーナ様ですっ!」

 

 重なる声に「様はいらない」と言って、ようやく「リーナ」となる。これなら呼ばれ慣れているから、困ることも別段ないだろう。いやね、「それはできません」と何度も渋っていたけどね。「お願い!」とごり押しした結果だよ。

 

「改めてよろしくお願いします」

 

 小さく頭を下げれば、魔導人形たちも「よろしくお願いします」と頭を下げた。うん、やっぱり意思の疎通ができるのはいいな。楽だし。

 

「俺もかまってほしいな」

 

 緩んだ頬のままに食事が再開されるが、少ししてミラは席を外すこととなった。どうやら誰かに呼ばれたようだ。一体のうさぎの魔導人形がミラの肩に乗ってなにやら耳打ちをしたあと、「ごめんね、少し席を外すから」と頭を撫でられたのだ。

 

「おお、いってらー」

 

 ひらひら手を振るオレに対し、「デザートもあるから、好きなように食べてね」と言い残して上着を羽織る姿はそれはそれはかっこよかった。たかが上着であるのだが、こんなにかっこいいのはミラしか知らない。オレが男のままであったとしても、ここまでかっこよく着直すことは難しいよ。

 

 耳打ちをした魔導人形はといえば、ミラが後ろを通りすぎると同時にオレの肩へとうまいこと飛び移り、頬を擦り寄せてきた。それにしても、「むっ」「むむっ」「むっ」という声しか聞こえてこなかったなー。なんだろうな、よほど聞かれたくない内容なのかね。まあ、誰であっても聞かれたくない話のひとつやふたつはあるだろうし、魔導人形がかわいいからいいけどさ。というか、「むっ」って、魔導人形(ゴーレム)の「む」なのかね?

 

「はい。リーナの考えるとおりですよっ。聞かれたくない話は変換されてしまうようですね」

「あ、そうなんだ。――っえ?」

「魔導人形たちはリーナの心のなかが読めるのです!」

 

 さらりとしたうさぎの魔導人形の言葉に、いまのはなんだと思えば、ねこの魔導人形がフォローしてくれる。

 

「おぉう、それは便利なのか不便なのか解らん機能だな」

 

 いや、やっぱり解りやすくていいのか? まあどのみち、顔に出るんだしいいかと気持ちを切り替えて、食事を再開させる。肉のあとはサラダにしようかなー。

 

 思ってすぐさま、小ぶりのスープカップと小皿に盛られたサラダが運ばれてきた。うーむ、参った。これは便利としか言いようがないな。スープは葉もののサラダよりも野菜たっぷりの野菜スープであって、肉の脂肪の憎々しさは帳消しになったのかもしれない。あんまり食べるとデザートが入らないからセーブするけど。

 

「デザート、デザート~」

 

 ローストビーフもどきをまた少しと、チキンステーキサンドと野菜スープを食べたあとは、お待ちかねのデザートに取りかかる。きれいな三角形に切られたフルーツタルトだ。正確に言えば、フルーツといいつつも、いちごタルトである。真っ赤ないちごがあふれんばかりに乗っている。これはたまらん!

 

「ミラはまだ話し合ってるのかね?」

 

 ミラが戻ってきてもいいように、タルトの方ははちまちまと口に運ぶが、終わりに近い。まあ、しかたがないか。かれこれ二十分ほど経っていたりするんだよなあ。

 

「ちょっと様子を見に行こう」

 

 口直しに水を飲んでそう言えば、食い終わったデザート皿はくまの魔導人形が運んでいってしまう。どこに運んでいるのかはまったくの謎であるが、その子はすぐに顔を出した。「リーナが行くならみんな行くの~」と。

 

「じゃあ、出発するぞ~!」

「待って、リーナ! ちゃんと着ないとダメだよぅ」

 

 ねこの魔導人形の声に対して、え、なにを? と思えば、魔導人形たちは背もたれにかけられたローブを手に取った。ああ、たしかに着ないと怒られるわ。ふわふわ浮きながら目の前に運ばれたローブを「忘れてたー。みんなありがとな」と手に取ると、魔導人形たちは「どういたしまして」と言ってぞろぞろフードに入っていく。

 

「みんなどうしたんだ!?」

「これなら、はぐれることなくみんな一緒に行けますから」

「あ……、あー、なるほどな」

 

 驚いたオレの声にうさぎの魔導人形がぴょこんと顔を出せば、納得せざるを得ないことを言ってきた。どうやら魔導人形というものは、オレより数倍も頭がいいらしい。それもそのはずで、ミラお手製だからな! もうさすがとしか言いようがない。

 

 オレも負けてられないなと、急いでローブを羽織って駆け出した――のはいいが、ミラがどこに行ったのかが解らないのでただ走っているだけである。

 

「主様の匂いがしますっ」

「どこからっ?」

「全方向からなので、特定は難しいです!」

「ダメなやつだなこれ!」

 

 わりと声がはっきり聞こえることから、おそらくはフードから顔を出しているであろう魔導人形たちが言うんだから、そのとおりなんだろう。パーティー会場にいたのなら、残り香ぐらいはあるだろうし。

 

 なんかもう、様子を見に行く前に迷いそうだと落ち込みかけたとき、「ここにいたのか、リーナ・グランベル!」と声がかけられた。前方から慌てたように駆けてくるのは先生だ。クラス担任だったグラムス女史。

 

「あえ? 先生、どうしたんですか?」

「ミラン・グランベルと一緒ではないのか!?」

「ミラなら、誰かに呼ばれたみたいなんで、一緒にはいませんよ?」

「どこにいるか解るか?」

「残念ながら解りません。だからオレも探そうとしていたんですよ」

「そうか……」

 

 グラムス先生の落胆はすごい。というか、あれ? 先生の服、脇腹あたりがズタボロになっているような……。破れた服から覗く健康的な肌に傷は見当たらないが、治したあとであるかも解らない。

 

「先生、なにがあったんですか?」

「上位種にあたる魔獣が現れた。教師や特進科の生徒たちであっても、かすり傷程度しか負わせられないらしい」

「あ、え……、えっ、それは本当の話なんですか?」

「現実に起こっていることだ」

 

 やばいぞ。上位種なんて普通科の人間に倒せるわけもないし、先生や特進科の人間でも歯が立たないのかよ。しかも数が多いとなれば、阿鼻叫喚、それも一方的な蹂躙になり得るだろう。そんななかでも、先生はミラならなんとかしてくれるかもしれないと思ったわけか。

 

「早くミラを探さないと!」

「その必要はないよ」

 

 ふわり抱き上げられた刹那――、「待たせてごめんね」と詫びつつもオレの頭に頬を寄せるのが誰かなんて、言われなくても理解できていた。ミラだ。優しげな声ですぐに解ってしまった。

 

「おっ、遅くなったのはいいんだけどっ、いまなんか大変なことに――」

 

 どこにいたのかと聞く前にあわあわしてしまったのだから世話ないが、ミラがいるということに安心してしまったのもある。なんとかしないとと、頭が切り替わってしまったのだ。

 

「そうみたいだね。話は聞いているから大丈夫だよ。なんでも、黒狼(ダークウルフ)が三十体現れたらしい」

「黒狼が三十体も!?」

「原因は不明。うち五体は魔法を無力化するみたい」

「ふぁえっ!? な、えっ、なんだよそれっ!?」

「その話はあとにしようか。――一体につき一回のキスで手を打つよ?」

「なに、え……、キスっ?」

 

 三十体でも死ぬほどの話なのに、魔法を無効にするとはどういうことなんだ? 無効にする魔法なんて、魔法式が難解すぎて扱える人間など聞いたことがないというのに、そこまでの域に達しているというのか。――魔獣が。嘘だろ!?

 

 混乱するなかではなにを言われたのか理解しづらかったが、魔導人形たちが「ふわああああ! キっ、キスですかあ!? 主様は大胆ですね!」とか騒ぎ出したので、なんとか冷静になれた。この緊迫した場面で、どうしてキスなんて言葉が出てくるんだろうか?

 

「俺は学園の言いなりにはならないから、リーナが命令して俺を動かして。その場合の報酬が、一体につき一回のキスになる」

「待て待て待て待て! オレたちは兄弟なんだぞ!」

「一時的なものだからなにも問題はないよ?」

「オレの心の問題があるから!」

 

 さらりと言うとおりであるのだが、一時的でも兄弟に変わりはないのだから、倫理的な面があるだろう。それを飛び越える気まんまんなのはなんでなんだ。恥ずかしいし、さきほどから黙ってはいるが先生もちゃんといるのだからそういうことはできない。「そんなの無理。無理無理無理」と頭を振れば、ミラは機嫌を害したように「なら、俺はなにもしない」と答える。

 

「あえ?」

「報酬がないのなら、なにもしない」

「なっ、なんでそんなこと言うんだよ!」

「リーナを馬鹿にする人間を助ける義理はないから。リーナも助けなくていいんだよ?」

「それはやだ!」

 

 ミラの言うことはもっともであろう。オレだってたくさん悔しい思いをしてきた。だが、それでも、目の前で死なれるのは寝覚めが悪くなる。ただそれだけの理由だが、これ以上にはしっくりこない。オレの独りよがりか助けられるであろう命かを天秤にかけた場合の結論なんか、決まっている。嫌々でもなんでも、助けてくれる者に――ミラに手を伸ばすんだ。気持ちよい目覚めを迎えられるであろう自分のために。意思をねじ曲げてでも。

 

「お願い……。ミラの言うこと聞くから、助けてあげてほしい」

「リーナは本当にお人よしだね。そういうところに弱いんだけどね、俺も」

 

 ミラは自嘲するような小さな笑みを浮かべたあと、指を鳴らす。目の前には四角い画面が現れ、会場の様子を映し出していた。ああ、本当に黒狼だよ、これ。威嚇をするような鳴き声も、抵抗する魔法の音も、バッチリ聞こえてくる。

 

「先生も安全な場所に送ってあげたし、問題はなにもないよね。――さてと、リーナ、命令して」

「んー、と……、倒せ、でいいのか?」

「それで大丈夫」

 

 目を細めたミラは「好きにしていいよ」と言って、魔法を放った。召喚魔法を。画面には魔導人形たちが横一列にちょこんと並んでいる姿が映る。現れた魔導人形に対し、黒狼はさらに威嚇をするような鳴き声を上げた。

 

「な、なに……? 魔導人形たちが移動したのか?」

「暴れたいみたいだったからね」

「えぇ……」

 

 大きさの差がありすぎて、踏み潰されないのか心配になってしまったが、それはただの空振りに終わったようだ。たしかに一体一体が黒狼をぼっこぼこにし始めている。ミラの攻撃魔法も合わさって、威力が凄まじいことになっていたりもするのだが、本人たちはだからなんだというように涼しい顔をしていた。会場にいる人たちは映っていないのでどういう顔をしているのかは知らないが、オレだったら唖然としていることだろう。上位種たる黒狼がここまで蹂躙されるなんて、驚くしかない。

 

「魔導人形の分も数にいれるけど、いいよね?」

「最初からそのつもりだろ?」

「よく解ってるね」

 

 唇が弧を描く間も、魔導人形とミラのお蔭か、一体、二体、三体と黒狼は姿を消していく。というか、魔法陣でどこか別の場所に送られているといった方がいいか。これはそういう魔法なんだから。とうとう残りは魔法を無力化する黒狼だけになると、ミラは「戻っておいで」と魔導人形たちを戻した。フードのなかへと。それはいいんだが、さっきから頭が痛い。ガンガンする。

 

「ミラ……、頭、痛い」

「上位種の魔力に当てられたのかもしれないね」

「そうだと、思う……」

 

 いくら画面越しであろうとも、魔力量の違いを見せつけられてしまえば、恐怖がぞわりぞわり湧き上がってきてしまっていた。どうしようもないくらいに。躯の震えも治まらない。それでも首に回した腕に力を込めれば、ミラは優しく頭を撫でてきた。「大丈夫だよ」と。

 

「――ミラの手、好き」

「そうなんだ?」

「うん……。うん?」

 

 なんだろうか。いまなにか頭に響いたような。

 

「んん……?」

 

 ――還りたい。還してくれ。そんな男の声が、頭に響くようにして聞こえるが、なんなんだこれは。

 

「ミラ、なんか……、男の人の声が聞こえる……」

「俺にも聞こえるよ」

「同じ言葉、かな?」

「どうだろうね。答え合わせでもしてみる?」

「じゃあ、せーので、言ってな。せーの」

 

 次の瞬間にミラの唇からこぼれた音は、オレに聞こえる声とまったく同じだった。マジかと驚いていれば、大きすぎる魔力に襲われてしまう。突然すぎて反射的にぎゅっと目を閉じつつ、「ひぅうっ……」と情けない声が漏れ出てしまった。

 

 ――怖い。怖い。怖い。怖い。恐怖に飲まれて錯乱しそうになるがしかし、すんでのところで「大丈夫。俺がいるから。ほら、目を開けて」という優しい声が耳に届いた。と同時に、カチカチ歯を鳴らすオレの背中を宥めるように撫でる手が、恐怖心を小さくさせていく。おそるおそる目を開けると、ミラは目元に口づけてきた。

 

「なっ、なにすんだよっ」

「リーナがかわいいから」

「うるせえっ」

 

 いまはそういうことを言っていい雰囲気ではなかろう。なぜなら、筋肉隆々な黒狼が視界の端に映っているのだから。五体横並びに。映像で見た黒狼はなんだったのかというくらいには体躯の差が歴然だ。

 

「――汝たちは、我らの声が聞こえるのか?」

「おおー! 流暢に喋るところなんて初めて見た!」

 

 恐怖心がすっからかんになると、今度は感動が湧き上がってくる。純粋にすごいと思ったわけだ。ここまで流暢に喋る魔獣なんて見たことがなかったし。学園の授業で見せられた映像では棒読みというか、カタコトみたいな喋りだったからさ。

 

「上位種は知能が高いから、言葉はきちんと理解しているよ。ただ――この子たちは『人の手によって作られた』から言語が滑らかだね」

「なんか、ミラは理由を知ってますー的に話をしてくるけどさ、そろそろオレにも教えてくれないか?」

「もちろん。ただし、長くなりそうだから場所を変えようか」

「え、そんなに長いのか?」

「おそらくは……?」

 

 ミラも長さを計りかねているのか、首を傾げつつ困惑ぎみにそう言うと、「着いてきて」と歩き始めた。促されるとおりに、後ろには黒狼が続く。首に腕を回したままのオレはと言えば、手を離すタイミングを完全に失ったらしい。

 

 

    ◆◆◆

 

 

 ふたたび特別会場へとやって来たあとは、魔導人形たちがフードから散らばって会場の整備をし始める。料理が並んだままであったテーブルは一瞬で消え、あとにはイスが二脚とローテーブルが残されていた。黒狼たちからは驚く素振りはなにもなかったけれども、見慣れないと不思議な感じがするよな。オレは現にいま、いやあ、すごいなあと感心していたりもする。

 

「どうぞっ」

「ありがとう。ミラもさ、もう下ろしてくれていいから。ここまで運んでくれてありがとうな」

「俺は離さないよ」

「なに言ってんだ。手が疲れるだろ。さっさと下ろせよ」

 

 座るようにと促したくまの魔導人形は押し問答におろおろし始めるが、「そっちのイスは魔導人形たちが使えばいいよ」という決着に落ち着いた。そう、オレは横抱きにされてミラの膝の上に下ろされたのだ。これには黒狼たちも言葉がなくなったのかなんなのか、一体の黒狼が「……汝は甘やかすぎではないのか?」とひとこと苦言を呈した。オレも黒狼と同じ意見であるのだが、ここにきて過保護が治るとは思わないので諦めに入る。触れられるのは嫌ではないからさ。

 

「かわいいリーナを甘やかさない理由なんてないよ」

「かわいくないから! 恥ずかしいからもう黙ってくれぇ」

 

 囁くように言うのは確信犯だろ、これ! 「うひぃ!」と情けない声を上げながら顔を覆えば、「執着するのは道理ということか」と、どこか納得したような黒狼の言葉が届く。黒狼さえも納得させるほどの力があるとか、ミラはすごすぎだろ。

 

「もうオレのことはいいからっ! は、話っ、長くなるならさ、黒狼たちにもなんか出してあげてほしい。あ、でも、皿とか近くにないか……」

 

 話を切り上げるために口を開いたが、失敗したかもしれない。なにぶん、片づけたあとだし、もう一度出してくれといってもすぐには用意ができないだろう。「どうしよう……」との呟きに返るのは、「問題はありません」といううさぎの魔導人形の声だった。隣のイスの肘置きにちょこんと立っている姿で。

 

「すぐに用意できるってことか?」

「はい。仰っていただければ」

「じゃあ……、お言葉に甘えて――」

 

 ミラと黒狼たちを交互に見遣り、「やっぱり肉だな、肉。肉と野菜と果物と飲み物がほしい」と指を折りながらうさぎの魔導人形に伝える。と、「畏まりました」とすぐさま頷き、肘置きからぴょんと飛び降りた。それに続くように残りの魔導人形たちもイスから飛び降り、黒狼へと歩を進めていく。後ろ姿もかわいいかわいいと胸を踊らせていれば、ほどなくして軽快な音があちこちから鳴った。と同時に、黒狼たちの前には水飲み皿と言ったとおりの物が乗せられたワンプレートが出現する。ここから見る限りではワンプレートと水飲み皿は同じ色でありつつも、肉はジャーキーっぽいやつだな。野菜はサラダのようであり、果物は皮つきだ。形としてはくし切りである。皮の色から判断してリンゴだろうか。

 

「ほかになにか欲しいものがありますか?」

「いや、十分すぎるほどだ」

 

 オレの言葉に緩く頭を振った黒狼がその場に伏せると、ほかの黒狼も同じく伏せていく。あー、なるほどな。リーダーは真ん中の黒狼というわけかー。そうひとり納得していれば、黒狼たちはさっそく肉にかぶりつく。豪快に。やっぱり肉はうまいよね!

 

 魔導人形たちは役目は終えたとばかりに一瞬でイスの上に戻ってきたかと思えば、並んでおとなしくしていた。なにがすごいって、この子たち自身も転移魔法を習得済みなのがすごい。おそらくはミラと同じような広範囲に対応していることだろう。思い当たる節はいくつかあるし。オレの方はものにできるまでに数年を要したというのに……。しかも範囲はかなり狭いという悲しい結果だけども。――うん、悲しいことは置いておいて、楽しいことをしようかね。

 

「食いっぷりを見てたら、オレもなにか食いたくなってきたなー」

「クッキーならすぐに用意ができるね」

「マジか、お願い!」

「飲み物はいつものでいい?」

「おうっ」

 

 短く答えたのちに、ローテーブルの上にはプレーンとココアもどき味という二種類のクッキーが乗った丸皿とココアもどきの入れられたマグカップ、コーヒーだろう黒い液体が入ったコーヒーカップが現れる。ミルクも砂糖もないところを見ると、ミラはブラックで飲める人間か。くっ、もう大人になっていたなんて知らなかったぞ、オレは。

 

「いつの間にブラックコーヒーを飲めるようになったんだよ?」

「前からだけど」

「紅茶派だっただろ! それをお前、一足先に大人になりやがってよー」

 

 前からなんてしれっと言ってはいるが、いつも紅茶を飲んでいたじゃないか。どういうことなんだと不満を漏らせば、「紅茶派なんていう派閥を組んだ覚えはないし、リーナも飲んでみればいい。おいしいから」と返された。声から察するに、呆れ半分といったところだろうか。口元を緩ませているところを見るに、残り半分はからかって楽しんでいるであろう。はははは、ココア派を舐めてもらっては困るな。ブラックコーヒーは大人の飲み物だと熟知しているココア派を。

 

「苦いから無理」

「そう。ならまた今度挑戦しようか」

 

 先に大人になっていたという事実に湧いた悔しさを、マグカップに手を伸ばす動きで散らす。そりゃあ、大人なんだし、たらし込むのも巧いわな! という憤りも一緒に。この体勢では取りにくいけどな!

 

「マグカップが取りにくいぞこの野郎っ」

「はい、どうぞ」

 

 どうやら改める気はないようであり、オレはこのまま話を聞かなければならないらしい。ミラの足が大変なことになりそうだと思われがちだが、そこは魔法が大活躍しているので問題はない。何度も言うが、問題なのは羞恥心だけなのだ。差し出されたマグカップを口につけつつ羞恥心よ去れと念じていると、「さて、リーナも落ち着いたことだし、話を進めてもいいかな?」という声が降り注いだ。たしかに落ち着いてきたけれども、だからといって人の心を読むなよと言いたい。まあ、座ったときからいつもと同じく横顔を凝視されているし、そこから判断したのかもしれないが。紫の瞳はずっと細められているからか、ものすごくこそばゆいけれども。

 

「リーナはどこから知りたい?」

「はじめから全部に決まってるだろ」

「教科書にもあるとおり、『前代の王が遺したものはいいことばかりではない』というのが通説だね」

「王政ばかりがどうのこうのではなくて、どこの世界でもだいたいそうだろうなあ」

 

 時代や世界が変わろうが、偉い人の遺産だけは不変なのだ。いいことも悪いこともあるというのは。その時代、その世界を生きる者がどうするのかも――か。あれだな、こう考えると、オレがいる世界のいま現在が平和なだけであって、どこの世界に生まれ変わっても同じかもしれないなあ。あ、いや、つらいのや厳しいのやひどいのはやっぱり避けたいわ。どう考えても。

 

「いまから三代前の人族の王は、魔族の王が治める土地も欲しがった。流行り病に倒れた王妃を救いたかったからだと言う。――それが始まりだよ」

「なるほどな。伝説の植物と言われている『月影草』が欲しかったのか、王様は」

「そのとおり。『月影草』を手に入れるためにと王は考えた。魔族に抗える者がいると」

 

 『月影草』とは伝説の名のとおり、不治の病を含むありとあらゆる病を治すと言われている植物だ。腕が吹っ飛ぼうが、足が吹っ飛ぼうが、全身が病に侵されようがなんだろうが、種族にかかわらず、治癒される側の鼓動が止まってさえいなければ治すことができるとも言われている。魔獣であっても同じであるのだから、医者というか、治癒師いらずだろう。ただし、吹っ飛んだ場合は吹っ飛んだ部分から再生されるので激痛つきらしい。そんなのもう、考えただけでぎゅっと目を瞑りたくなるよな。痛いのは嫌だよ、オレは。というか、誰だって嫌だろ。

 

 植物図鑑でも教科書でもイラストでしか載っておらず、そのイラストが正しいものなのかも解らないが、形はほおずきの姿だった。袋の色はオレンジ色ではなく、藤のような淡い紫色をしている。袋のなかにある実を使う用法のようだ。使えるのはなにも実だけではなく、袋も葉っぱも根っこも煎じたりすれば有効のようだが、実を使うよりは劣ると書かれていたな。そんな万能感あふれる月影草に難点があるとすれば、ひとつだけだ。土の影響か環境の影響か、魔族が治める国にしか生えないらしい。だから前代の王は、無茶なことだと解っていても止められなかったのだろう。そして、ミラの言葉どおりに魔族に抗える者を求めたということだ。

 

 王は匿名でギルドに魔獣の子どもを持ち帰るという依頼を出し、冒険者を使った。運よく弱った個体を見つけた者は多くの金を手にしたが、それ以外は散々だったらしい。そりゃあ、まあ、そうだろうなとしか思わない。黒狼に勝てるやつなんてそうはいないからな。黒狼は多産のようであり、少しでも弱った個体は見捨てる傾向にあるようだ。そうなれば、残された個体は弱肉強食で、となる。

 

 話の間にクッキーをかじろうかと考えていたが、どうにもそんな雰囲気ではない。真面目な話に水を差していいわけがなかろう。だが、ミラはオレの思考を見過ごすことなく口元へクッキーを運んできた。プレーン味のクッキーを。

 

「食べないの?」

「食う、けど、雰囲気がちょっとな」

「雰囲気もなにも、俺は昔話をしているだけだから。それに、黒狼たちだっておかわりをしているわけだし、なにも問題はないよ」

 

 おかわりとかなんだそれ、マジか、と勢いよろしく黒狼たちを見遣れば、肉の量が増えているように見える。性なのかなんなのか、肉食獣はやはり肉に勝てやしないようだ。

 

 よし、オレだけじゃないなら問題はないなと顔を戻して、寄越せやというような視線をミラに投げれば、細められた紫の瞳とかち合った。うおおう、その目は恥ずかしくなるからやめてくれないかね。やめる気はなさそうだけども。

 

 多少どぎまぎするがしかし、「はい」と促されるまま口を開けて、クッキーを受け止める。とたん、口内にじんわりとバターの味が広がっていく。さっくりクッキーはほろほろと崩れ、溶けるようになくなった。

 

「うまー」

「もうひとつも」

 

 ココアもどき味も食わせられたあと、「続きを話すけれど、食べながらでも聞いていて」と小皿に数枚移されたクッキーを手渡される。陶磁器のそれを「はいよ」と受け取ると、体勢を変えられる。ミラの足の間に収まるという体勢に。膝の上に座らされることが多いわけだが、この体勢もままあるのでもう慣れている。ミラの躯に背中を預ければ、なぜか魔導人形たちも移動してきて、オレたちの膝の上で寛ぎはじめた。「はー、リーナの傍は落ち着くです~」とのくまの魔導人形の声にほかが賛同するかのように頷く。「そっかー」とみんなの頭を撫でてやれば、オレもミラに頭を撫でられてしまった。

 

「王は秘密裏に研究所を作り、そこで魔獣の子どもを育てた。魔法でがんじがらめにして」

 

 ギリギリのところで殺生を回避していたようだが、魔法の檻から抜け出そうとする魔獣の子どもはいつしか変異した。魔法を無効化するという躯に。ここまでにも三年という月日が経っているのだが、王妃の病は治るどころか日に日に悪くなるばかりだったらしい。

 

 焦る王は魔獣を引き連れて魔族の国に旅立った道すがら、噂を聞きつけた魔王により月影草を渡されたようだ。しかも、「戦争をする気ならオレのいないところでやれ!」と怒られたりもしたらしい。

 

 必要性のなくなった魔獣はといえば、中立国に建つ学園の地下に閉じ込めたという。王はすまぬすまぬと泣いて魔獣たちを見送ったようだが、すぐさま国に帰っていったらしい。渋る当時の学園長を説き伏せたのも魔王だったというのだから驚きだ。いやまあ、説き伏せたというか、「嫌ならオレが変わってやるよ!」と啖呵を切ったようだが。怖いものなしですね、魔王様は。それから学園長は長らく変わっていないようなので、つまりは――。

 

「じゃあなにか、いまも学園長は当時の魔王様なのか?」

「そうだね。変わらずに三代目が務めているよ」

「学園長なら力はあるはずだし、黒狼を還すことはしなかったのか?」

「しなかったと言うよりは、できなかったが正しいかな。三代目は覚えるのが苦手らしいから」

「それはオレもだけど――って、それはよくて! ミラはどうだ?」

 

 死霊魔導士が形を変えて伝えたとされる高等魔法は自然に還すとされる魔法であり、一部では聖魔法とも呼ばれているようだが、魔法式が複雑すぎて習得している者はいないとされている。だが、ミラはどうだろうか? ミラならという期待は消えない。

 

「――できる、と言ったら、リーナはどうする?」

「還してあげてほしい」

「そうだね。黒狼たちは長い間そう望んでいただろうしね」

 

 視線の先には、空のプレートをべろんべろん舐める黒狼たちがいる。本来なら、この子たちは自然に淘汰されていたであろう。しかし捕まり、あまつさえ改造されてしまった。残酷な方法で。人間を恨んでも当然なのに、そうはならずに還りたいと願っている。ただひたすらに。そしていまようやく、還ることができるかもしれないところまできているわけだ。それならば、オレもできることをするまで。

 

 黒狼を倒す報酬がキスになるのなら、黒狼を還す報酬はオレ自身で大丈夫だよな……?

 

「ミラ、還す報酬がオレでいいなら還してあげて」

 

 顎に触れた手でオレを上向かせたミラに言えば、聞いたミラは「んっ?」という言葉とともに目を丸める。噎せる前のような声音に「大丈夫か?」と声をかけるが、「それはどういう意味かな?」と逆に声をかけられた。

 

「そのままの意味だよ。黒狼を倒す報酬はキスだろ? だったら、黒狼を還す報酬はその上をいくしかない。だからオレ自身を報酬にしたわけ。まあ、ミラが嫌ならほかの報酬にするけども――おおっ!? なんだよっ!」

「ほかはいらない。リーナがほしい」

 

 いきなり抱きしめてきたから驚いたがしかし、耳から伝わる真剣な声に顔が熱くなる。魔導人形たちは「リーナは大胆ですね!」とわきゃわきゃ騒いでいるようだが、オレの方は「うん、うん……そっか」と言うだけで精一杯だ。ミラの真剣な声なんてなかなか聞けないから、テンパるしかない。

 

「言うのは二度めになるけれど、大事にするから安心して」

「おー、よろしく」

 

 いままでだって大事にしてくれているから心配はしてないけれども、これ以上甘やかされるのはどうなんだろうという気にはなるな。なんにもできないダメ人間が製造される確率が極めて高いから。製造されたら製造者の責任だと言っておこう。

 

 「報酬も決まったことだし」と聞こえた声に意識をやれば、「手伝ってくれるよね?」と手のひらになにかが乗せられた。黒い小型のなにかが。

 

「拳銃、だよな……? え、ということは、黒狼に打っ放して消し炭にしろってことか?」

「えげつないことを考えているようだけども、そういう使い方をするんじゃなくて、空に向かって撃ってね」

 

 空というか天井かね。そう思いつつ見上げると、目の前には青い空がお目見えしている。雲に隠れた太陽はしかし、雲の先から光を滲ませていた。眩しさに眩まなかったのはよかったかもしれないが、天井はどこにいったというんだ。

 

「ミランさん、天井はどこへいきましたか?」

「一時的に消したよ。終わったら戻すから、心配しなくていい」

 

 あまりの行動に思わず敬語になってしまったが、「それよりも」と、オレの手を取ったであろうミラはその手を顔の前へと翳して囁く。「大丈夫、ちゃんと支えているから」と。操られたように空へと伸ばした両腕は、それでもしっかりと拳銃を握りしめていた。

 

「安全装置を外せばいい?」

「もう外したから、あとは撃つだけだよ」

 

 緊張する傍ら、あ、そうなのかと妙に落ち着いていられるのは、ミラがいるからだろう。ミラが大丈夫だと言うのなら、大丈夫なんだ。あ、でも魔導人形たちは大丈夫なのかとちらりと下を見れば、魔導人形たちは小皿とともに床にいた。感心するほど準備がいいよな、本当にさ。

 

 下げた顔を戻しつつゆっくりと、けれども確実に引き金を引いていけば、少しして大きな音とともに銃口から銃弾のようなものが発射された。反動で背中がぶつかるが、それでも目線は銃弾を追いかけていく。ひとつの軌跡を描いていた銃弾のようなものは天井を過ぎた辺りで幾重にも軌跡を描きはじめ――やがて空に大きな花を咲かせた。色とりどりの花を何個も。音もなく静かに。

 

「あ、えっ……花火だ……よな……?」

()()()()()()では花火と言うんだね」

「ああ、うん。でっかい音つきなんだけどな、本来は」

 

 呟いた声に返された言葉に小さく頷くと、「そうなんだ。こちらは音はないね。あくまで手向けだから」と説明される。手向けにしては大がかりすぎるのではないのかと疑問を漏らせば、「そうだね。ここまで大がかりなことはしないよ」と言われてしまう。

 

「え、ならなんで?」

「俺がリーナに触れたい建前なだけ」

 

 そうさらりと言ったミラは、「へっ?」と呆気にとられるオレの手から拳銃を回収して抱きしめ直すと、黒狼へと向き直った。と思う。なにせオレの頭のなかは「いつも触れてるだろうが!」という言葉が占めはじめていたから、ちゃんと見ていなかったわけだ。数分だけど。

 

「――君たちも苦労をしたね」

「その苦労も今日で終わるはずだ」

「そうだよ。終わらせてあげる。リーナがそう望んだから」

「なるほど。望まなければ、我らはまた閉じ込められるだけであったか」

「そうだろうね。俺としては、君たちがどうなろうと興味もないし」

 

 しれっと紡がれていく言葉はミラの本心だろう。オレがいてよかったと思わないはずがない! 自画自賛最高!

 

「リーナ、礼を言うぞ。我らを導いてくれたことに」

「いえ、お礼ならミラにしてください。オレはなにもできないので」

 

 魔法が発動したのか、光輝くなかで発せられた言葉にそう返せば、「やはり甘やかすのは道理か」との言葉がくる。今度は納得したような口振りで。

 

「そう。俺の興味はリーナにしかないんだよ」

 

 背後から伸びた手のひらが目元を隠すが、隙間から覗く黒狼は「そうか」と穏やかな顔をしていた。ほかの子たちも同じような顔をしている。なんだかんだで目元が明けたのはすぐだったわけだが、羞恥に死にそうになっているのはオレだけかよ。

 

「はっ、恥ずかしくなるようなことを言うなよなぁっ」

「嘘偽りのないことだし」

 

 ぐうう、どうしたものか。タラシ野郎に返せる言葉がないぞ! ないならそうだという閃きで腕をつねってやると、ミラはくすくす笑いながら「耳まで赤い」と囁いた。……オレの負けですわ。

 

「――魔王よ。汝の未来は明るいな」

「んっ?」

 

 どういうわけか、輪郭が歪みはじめた黒狼の声を拾ったのはオレだけだったらしい。ミラも魔導人形たちにも特段の反応はないのでそういうことにしたが、魔王とはどういう意味なんだろうか。いや、どういう意味もなにもなにのか。魔獣の上には魔王しかいないのだから……。つまりは、王に敬意を払ったということだろう。たとえその身を変えられてもなお。

 

「長い間お疲れ様でした。――さようなら」

 

 少しずつ光の粒となる黒狼たちへと唇を動かせば、頷きが返された。そうして五体の黒狼たちは還る。吹きはじめた柔らかな風とともに。光の粒子は渦を描きながら天に上りその姿を消していった――。

 

 高等魔法は芸術的な面もあるのか。いやはやすごい光景を見たなあと感動していた先、薄く開いていた唇へと指の腹が添わされる。と、感触を確かめるようにふにふにつんつん触れはじめた。

 

「感傷に浸っているところ悪いんだけど、報酬をもらうよ」

 

 艶のある声が耳に響いたあとはまあ、そういうことだ。感傷に浸っているわけではないぞという訂正をする(ひま)もなく、オレはなすがままとなる。小皿を浮かせた魔導人形たちが膝の上に戻るのを横目にね。そして――、回数が増えるばかりのキスが終わったとたん、言われたとおりに天井が元に戻ったわけだが、一瞬ってなんなんだよ。驚いたのは言うまでもなく、ミラを敵に回すのはやめようと思った瞬間でもあった。いまはものすごく上機嫌でも、どうなるかなんて解らないしな。

 

 パーティー自体は魔獣との戦いの指南をしたとかなんとかで終わったようだが、後日、国王陛下及び八団体ある騎士団長の連名で魔獣討伐に貢献した者に呼び出しがかかった。連名なので逃げることもできずに――実際、第一騎士団団長直々に迎えにこられたので逃げる(すき)など微塵もなかったが――、どうなるのかと不安げなオレとは対照的に、なぜか機嫌のよさげなミラとともに城へと赴けば、魔王討伐を言い渡された。パーティーが終わると同時に魔導人形たちとは別れを告げて――ミラが魔導人形たちになにやら言ったあとに魔法陣に吸い込まれていったから別れの言葉だったんだろうと推測している――、数日はなにごともなかったように過ごしていたわけだが、やはりそうもいかずに、お偉いさん方は動き回っていたらしい。

 

 あとの説明はもういらないだろう。魔王はミラで、オレはミラのものであって、やっぱりオレがミラを倒すなんて無理な話なんだよな。オレはミラを失いたくないんだから。過去を振り返ってもうひとつ解ったことだが、ミラがキス魔に変貌したのは卒業パーティーのときからだったようだ。嫌だと拒否できなかったばっかりに、いまもされるがままだよ、マジで!

 

「――どうしたらいい?」

 

 ぽつりと漏らした声に返るのは、「リーナ」という優しい声だ。目前の枕の端に手を置いた声の主は――ミラはオレを残る手で引き寄せ、「泣かないで」と頭を撫でる。

 

「悩んでるだけで泣いてないわ!」

「なにを悩む必要があるの?」

 

 腕を振り払ったオレを抱き上げると、相も変わらず膝の上に乗せてそんなことを言う。また向かい合わせで。話しやすいからいいけども。「リーナ」と先を促すミラには「オレは魔王討伐を言い渡されているからだよっ」と放つ。一番の問題はここなんだぞと。

 

「ああ、それね。リーナを連れ出すために協力してもらっただけだから、俺を倒す必要性はないよ」

「はっ……?」

「パーティー会場に魔獣を放ったのも俺だし」

「え、ちょっ、なに? はぁっ!? なんでそんなことを考えたわけ?」

 

 次々に飛び込んでくる言葉になにを言っているのかとパニックになりかけるがしかし、なんとか噛み砕いて声を上げる。理解したあとでもなにを言っているんだという思いは消えてくれないが、オレにはミラの考えを知る必要があるのでパニックに陥るわけにはいかなかった。

 

「黒狼を還すついでに、リーナに格好いいところを見せたいなあと思ったから。黒狼たちには人間を傷つけないことを了承させていたから問題はないだろうと考えてだけど」

「いやいやいやいや、待て待て待て待て! 待った! そっ、そんなことをしなくたってなあっ、ミラはいつだってかっこいいぞ!」

「――え?」

 

 間抜けな声を上げながら紫の瞳を丸めたミラは、そのすぐあとに数回瞬きを繰り返したのちに顔を赤く染めていく。顔というか、耳まで赤い。オレも顔が熱いから、お互い様だろうか。ミラの方は手のひらで口を押さえてしまったが。それでも、片手はがっしりとオレを支えてくれている。

 

「リーナは、いつも、そう思ってくれてたの?」

「悪いかよ! かっこいい奴が傍にいたら、誰だってかっこいいって思うだろっ!」

 

 なにも不思議なことではないと身振り手振りを加えると、最終的に肩口に顔を埋めてきた。

 

「ふぇあっ!? ど、どうしたっ?」

「リーナは、かわいすぎるんだよ」

「え、えぇ……、いきなりなんだよ? かわいくないし、オレは男だからな」

「どんなに意地を張ろうとも、リーナはかわいいし、男から女に変わったよ。――俺が変えてしまった」

「ミラのせいだなんて思ってないってちゃんと言った」

「うん。聞いたね。けれども、本当のことだから」

「それでもオレはミラのせいなんて思っていないし、納得済みだからもういいんだよ。はい、この話は終わり! 終わったことを蒸し返してなにがしたかったわけ?」

「事実確認」

「その確認は必要なのか?」

 

 いらないだろと口を開く前に、上向いた顔とかち合う。熱を持った紫の瞳は、ぞくりとするほどの色気をまとわせている。何度も見ているはずなのに、その度に逃げていたはずなのに――、いまは逃げることを許さないと言われているかのようだ。

 

「俺はね、リーナがほしくてたまらないんだ」

「ほしいもなにも、オレはもうミラのものだぞ?」

 

 呆れた声に返されたのは、「形だけになんの意味があると思う?」という問いだ。そんな言葉を返されるとは思わずに、「はあ!?」と声を荒らげた。あれだけキスをしておいて、形だけとはなにを言うか。

 

「形だけじゃないだろ!」

「どうしてそう思うの?」

「きっ、キスっ、してるしっ」

 

 上擦った声に返るのは噴き出す音と短い笑い声だ。「かわいいんだけどね」との前置きは朗らかだが、細められた瞳は熱を保ったままである。

 

「俺はその先を求めているよ、ちゃんとね」

「っ! そ、れはっ、心の準備がですねっ」

「準備の時間ならあげられるだけあげたあとだから」

 

 そう囁かれる声とともに視界が反転する。このあとになにがあるのかなんて、経験上嫌でも解っていた。思わずキスを待つ格好に身構えてしまったオレをミラが凝視している。

 

「な、なにもしないならなにもしないって言えよっ」

「なにもしないとは言えないよ。特にいまは」

 

 ――リーナを拐おうと思ったのは、もう覚えていないほどに昔だよ。リーナを貶める世界から連れ去って、リーナが安心して暮らせる世界に閉じ込めたいと思ったんだ。リーナに感づかれることなく国外に出るためには人族の王が不可欠だから、協力を仰いだんだよ――。

 

 そう語られる言葉は、堕ちてもなにも問題ないと思わせるくらいに甘くて優しい。ミラが誘うのなら、その誘いに乗らないわけにはいかないだろうとは思うが――、オレはいまもってたったひとつの隠し事さえ伝えていない。とはいっても、誰しも隠し事はあるだろうし、ミラも魔王であることを黙っていたのでお互い様で片づけられる気がするが、そんな気がするだけでやはり違う。性別が変わったのは成長してからであるが、転生したという事実は覆らない。

 

 前世を語り、気持ち悪いと思われたらどうしよう。前世の価値観でしか物を測れないオレは、どう映っているのだろう。転生しても魔力が人並みなオレは――ただの邪魔者だ。立派なミラの足を引っ張る愚か者だ。

 

「……嫌いにならないで……」

「俺がリーナを嫌いになるなんてことがあると思う?」

「わっ、解らないだろ……、聞いたら、気持ち悪いと思うかも、しれないし……」

「なにを話してくれるの?」

 

 頬をくすぐっていた髪を払う優しい手つきに、いままで我慢していたものがあふれだしていく。大粒の涙となって。本当はミラに我慢なんて強いたくはなかったし、オレだって流されたってよかったんだ。ただどうしても、「前世」が離れなかった。どうしたって前世を含めてのオレであって、思い出を捨てたくもない。大切な友人を、大好きな家族を、忘れたくはなかった。話して――ミラに嫌われるのが怖かった。

 

 わんわん泣きながら途切れ途切れにそう言えば、ミラは「話してくれてありがとう」と、ただひとことそう言って額に唇を落としていく。

 

「き、気持ち悪い……? オレのことっ、嫌いになった、か?」

「そんな気持ちはないよ。俺はリーナが「村井(むらい)紘夜(ひろや)」という名の男だったことも、どんな姿だったかも知っているから」

「……は、えっ? えぇえっ!?」

 

 どうして、なんで、意味が解らないとふたたび声を荒らげると、「俺のところには自然と情報が集まってくるからね」としれっとした声が届いた。そういうものなんだろうかと考えるが、いまいちよく解らないので、そういうことにしておこう。

 

「元の姿とリーナが男だったときの姿はあまり変わりがなかったようだね。ああでも、かわいらしさは変わっていないかな」

「か、わいくない……。オレは、冴えない男子高校生、だったんだよ……。も、モテなかった、全然」

「リーナ自身がかわいくないと思っていたとしても、俺はずっとかわいいとしか思ったことがないから。それにね、モテる必要もないよ。リーナの視線は俺だけに向けてほしい」

「すっ、すぐそうやって、恥ずかしくなるようなことを、言うっ」

 

 「あああ―」と悶えるような涙声を出しながら顔を覆えば、ミラが笑みをこぼす気配がする。ううー、タラシめぇ……!

 

「リーナにしか言わないよ。ほかの人に言う必要はないしね。――すぐに赤くなるリーナが悪いんだよ?」

「そ、そんなの、慣れてないからに、決まってるだろっ。それに、その……、みっ、ミラが、かっこいいからで、あってだな」

「そういう反応がかわいすぎるんだよ。俺には毒にしかならないと覚えておいた方がいい」

 

 すんすん鼻を啜る最中、目の前に迫る美しい顔から逃れるようにしてオレ自身の顔を背けるが、耳から届けられる甘い囁きに勝てるはずもない。何度囁く気なんだ、いったい。

 

「っ……、ミラはそんなこと、思ってたのかよ……」

「俺だけのものにしたいと思わせるぐらいには、狂わせているからね」

「こっ、後悔しても知らないからなっ」

「しないよ」

「おっ、オレはっ、一生離さないしっ、どんな結末になったって、責任は取らないからなぁっ」

「――リーナに捕らわれるなんて光栄なことだね」

 

 その言葉とともに口元を緩ませるミラに負けじと、最後の足掻きとして「バカぁ」と放てば、すぐに捕らわれた。それこそ噛みつかれる勢いをもってして。なにをなんて、いちいち言わない。長い長い年月がかかってしまったが、この日、このときに、ようやくオレのすべてがミラのものとなった。言葉どおり、すべてが。

 

 待たせてごめんな。その呟きに返ってきたのは、気にしてないよという漢気あふれる言葉である。

 

 現代の魔王様はなにもかも強すぎでしたよ、みなさん。

 

 

    ◆◆◆

 

 

 ふわりと香るミラの匂いが微睡みを蹴散らしていく。本人がいるのかと「ミラ……?」とのろのろ躯を起こせば、「まだ寝ていていいよ」という声をかけられた。あ、やっぱりいるのか。

 

「大丈夫、たっぷり寝たから……。ミラはどこかに出かけるのか?」

 

 躯のだるさはまだ多少残ったままであったが、ぴしりとした正装に身を包んだミラを眺めつつ躯を伸ばして目を擦ると、「届け物をね」と手に持つ花束を見せてくる。束といいつつも、三本ほどまとまっているだけだが、その花が問題だった。淡い紫色をしたほおづきなのだから。

 

「それって、月影草か?」

「当たり。これはね、渇れた谷底近くに根を張るんだ」

「おぉ……、すごいところに咲いてんな。さすが月影草だ。ミラが採ってきたの?」

「そうだよ。場所が解りさえすれば、採取の方は簡単だから。すぐに戻ってくるから、待っててね」

「はいよー」

 

 頭を撫でられて小さく頷くと、頬に唇が落ちてくる。予期せぬ行動に対し、思わず「うひゃ!?」と変な声が漏れてしまった。

 

「ふっ、不意打ちはやめろっ!」

「気をつけるよ」

 

 にこりと笑ったミラは踵を返し、部屋をあとにする。やっぱりミラはかっこいいよなあと感心しつつ、二度寝をしようとぽふりとベッドに戻り――あ、なんかいま変な感触がしたなと思えば、「もひゃあぁあ!」という悲鳴を聞いてしまった。「なにごとか!?」と勢いよく起き上がれば、持ち上がった掛け布団の端から白い躯がお目見えする。

 

「あぇえっ、モフぅっ!?」

 

 あの変な感触はモフを潰してしまったからか! 大丈夫かよ!

 

「モフ、モフぅっ、大丈夫かっ!」

 

 急いで掛け布団をひっぺがすと、躯を一直線に伸ばしたモフとその周りを囲むようにして魔導人形たちが横たわっているところであった。なんか伸びたおもちみたいでかわいいなあという感想が湧く。――じゃなくて!

 

「知らなかったとはいえ、潰しちゃってごめんな! 怪我してないか?」

 

 モフを抱き上げたらば、伸びきっていた躯が元の体積に戻っていく。ぽよんと。雪うさぎの見た目だからか、たとえ伸びきっていても数センチの誤差だろうけれども。一周するようにして躯を見てみるが、表面上に傷はないようだ。「もひゅ~」という鳴き声から察するに機嫌も悪くはないらしい。しかし、だ。内臓が傷ついていてもオレでは解らないので、どうしようもないけれど。

 

「大丈夫そうだけども、オレでは内臓までは解らないから、あとでミラに見てもらおうなー」

「心配はいりませんよ。モフに怪我はありませんから。強いて言うなれば、少し驚いただけです」

「あ、そうなの? それならよかったよ」

 

 起き上がったうさぎの魔導人形の言葉に対し、膝に置いたモフの背中を撫でると、モフは「もひゅ~!」と鳴きながら頬を擦り寄せてきた。「驚かせてごめんな~」と謝罪しつつそのまま撫でまくっていると、「リーナ、ただいま」と背後から抱き上げられた。モフごと。しかも、流れるように一度モフを下ろされ、掛け布団をかけられるという至れり尽くせりコースだ。背後から抱えられるいつもの体勢にされると、モフはまた膝の上に戻されたが、魔導人形たちも膝の上で寛ぐという形となる。おう、その場所が指定となりつつあるな、魔導人形たちは。オレの推測だが、別れたあとはこのお城で過ごしていたことだろう。

 

「ミラ、おかえり。マジで早いな」

「事前に連絡はしてあったし、今回は届けに行くだけだからね」

「どこに行ってたんだ?」

 

 わくわくしながら問うと、ミラはさらりと「人族の王のところだよ」と言ってのける。ということは、なにか。月影草は王族に渡ったということになるわけか。

 

「えーっと……、つまりは、協力をしてくれた見返りなのか、あれ」

「そういうことになるね」

「うえぇ……、怖いぐらいに抜かりがないな。まさかとは思うけど、月影草をちらつかせて脅したとかじゃないよな?」

「そんなことはしないよ。本当に協力を仰いだだけだから。まあ……、初めから屈していたからこちらとしてはなにも問題はなかったけどね。俺個人としては、リーナを手に入れるためならどんなことでもする気はあったんだけど」

「屈したというか、戦意喪失のほうが正しい気がするぞ……。それで、手に入れたあとはどんな気分だ?」

 

 躯を捩って見上げてみると、細められた紫の瞳が気持ちを雄弁に物語っていたが、「オレはふわふわしてるなー」と伝えてやる。なんか、夢みたいだと思ってしまうんだよな。肌を重ねた証拠はもちろんオレの躯にあちこち残されているが、やっぱり夢だったんじゃないのかと言いたいぐらいだ。

 

「この上なく高揚している――と言えばいいのかな。幸せだよ」

「それはミラの顔を見れば解るよ。オレも幸せだから一緒だなー」

 

 でへへへと頬を緩ませれば、「その顔は、俺以外に見せないでね」と言われてしまう。誰かに見せる気はオレだってないよ。締まりがない顔なんてさ。

 

「ミラだってそういう顔、誰かに見せるなよ。オレだけだからな」

「もちろん、リーナにしか見せないよ」

 

 あ、負けた。今回もオレは、囁きに負けるしかない。なんでこういい声を出すかなー……。熱くなる顔を手で扇ぎつつ、そうだと思い出して口を開く。聞いてほしいことはちゃんと言わないとな!

 

「オレさあ、ミラがいない間にいろいろと考えたんだー」

「どんなことを考えたの?」

「まずはなー」

 

 魔導人形たちを魔導人形と呼ぶのは誰が誰だか解らなくなるということ。オレたちが抜けたあとのパーティーがどうなかったのか気になるということ。ミラの彼女になっても、ぽっと出の人間が傍にいるのは周りが納得しないだろうということ。魔族の国に来たのなら、歴史とかも知る必要があるということ。「いまのところはこれぐらいかなー」と区切ると、相槌を打ちながら聞いてくれていたミラに「たくさんあるね」と頭を撫でられていく。

 

「魔導人形たちには名をつけてあげればいい」

「そうは言ってもさあ……、残念ながらオレには名前をつける能力がない! うさぎの魔導人形に名前をつけようとしても、「うー」と「さー」と「ぎー」しか出てこないんだからな!」

「かわいらしいと思うけどね」

 

 てっきりなんだそれはとバカにされると思っていたオレは、ミラの言葉に目を丸くさせてしまう。肯定されるとは思わないだろ。え、なんで? しかないわ。

 

「うさぎの魔導人形に! 「うー」と「さー」と「ぎー」だぞ!」

「かわいらしいよ。魔導人形たちも気に入ったようだから問題はないし」

「いやいやいやいや、安直すぎる名前でいいのかよ!」

「安直でもいいのですよ。本来であれば、魔導人形は魔導人形としか呼ばれませんから」

「あ、ああ、そうか……。そういうことならいいのか……?」

 

 うさぎの魔導人形の言葉に納得をしたが、それでも不安は残っていた。オレの名づけで本当に大丈夫なんだろうか。「安直でも?」と不安げに問いかけるオレの声に対し、力強く頷く魔導人形たちに自信を取り戻したのだから世話ない。とは思うが、安直な名前でも気に入ってくれたのならやっぱり嬉しくなるよなー。

 

「よしっ! じゃあ、ねこの魔導人形は「ねー」に「こー」に、あとはそうだな……、あー……、ねこだから「にゃー」?」

「リーナ、最後のをもう一度言ってみようか」

「最後のって……、にゃー?」

「もう一度」

「にゃー」

「もう一度」

「にゃー――って、何回言わせる気だよ!」

 

 「恥ずかしいっ」と肩を叩けば、「かわいいから」と返ってくる。だからどうしてそういい声なの。

 

「かわいくないっ! ミラはすぐにそうやってオレを負かそうとするっ」

「よく解らないけど、なんの勝負もしてないよ」

 

 くすくす笑われてしまうが、やっぱりミラだと嫌な気分にならないな。むしろ、柔らかな顔つきに安心すら覚えてくるのだから、ミラでないとダメなんだ。

 

「話を戻して、くまの魔導人形は「くー」と「まー」な!」

「はいっ」

「もひゅっ! もひゅーっ!」

「わ! どうした、モフ」

 

 頷く魔導人形たちの頭を撫でれば、モフが勢いよく飛びついてきて「もひゅっ!」「もひゅっ!」と必死になにかを訴えてくる。がしかし、オレにはさっぱり解らない。モフのつぶらな瞳とぶつかっても、解らないものは解らないのです。

 

「なんて言ってるんだ?」

「モフも名前がほしいようだね」

「モフもっ! モフも名前がほしいっ! と言ってます~」

 

 くまの魔導人形の言葉に、「ん、え? モフはモフだろ?」と言えば、モフはこれでもかと頭を振った。否定するかのように。長い耳がべちんべちん腕に当たるが、痛みは柔らかいから問題なし。

 

「もひゅ! もひゅうぅ!」

「違うぅ! モフはモフだけどモフじゃないの! と言ってます~」

「モフは生物学上の名前になるね」

「ああ、それでモフは否定してるのか」

 

 おおう、これはあれだ。名前被りは避けなければならないやつだな。

 

「モフモフしているからモフにしようと思ったけど、生物学上(モフ)個体名(モフ)では解りづらいかー。つか、いまもややこしいしな」

「言うとおり、ややこしいね」

 

 ミラにも肯定されてしまったし、悩むなあ。モフにも不安げに見つめられているからか、プレッシャーが半端ないです。

 

「んんー……、モフモフがダメならモコモコ……、モコモコのモコにしようかなー。モフモフもモコモコも似てるし、大丈夫だろ。モフの名前はモコでいいか? これなら間違いないし」

「もひゅぅっ!」

 

 ぱあっと明るくなったモフのかわいさよ! かわいいかわいいとわしゃわしゃしていると、「モフはモコ! と言ってます~」とくまの魔導人形の通訳が届いた。

 

「通訳も大変だろうし、オレにも解るようにしてくれないか?」

 

 「あのさ」とミラを見るとすぐさま「いいよ」と了解しつつも、額に口づけてくる。そういう意味ではないと、「ちょっ……! そういうことじゃないからな! つか、不意打ちはやめろってばっ」と慌てれば、ミラは「大丈夫、解っているから。そうは言ってもやっぱり、慌てる姿もかわいいけどね」としれっと言うだけだ。

 

「モフ――ああ、モコになったっけ。モコ、なにかひとこと言ってあげて」

「モフはモコになったの!」

「おお! ちゃんと解るー! なんだよなんだよ、そういうことかよー。ミラがキスしたいだけかと思ったわー」

「それもあるけど、手っ取り早い方がいいだろうと思って」

「手っ取り早いってどういうことだ?」

「解りやすく言うと、脳に近いところから魔法で干渉して言語中枢に働きかけるということだよ」

「まったく解らんですわ! もうそれ以上言わなくてもいいからな!」

 

 「ストーップ!」とミラの顔の前に手を翳せば、「要は、モコの言葉が解るようになったと覚えればいいよ」と言ってくる。そうだよ、そうだよ、魔法で干渉どうのと言われてもちんぷんかんぷんでしかないんだよー。まあ、どういう状況であっても、身につけられたらこっちのもんだ! という意気込みでいこう。

 

「これでモフ――じゃないや、モコとうーたちとたくさん話せるな!」

 

 魔導人形――うーたちは「はい!」と頷くが、名前をつけても見た目は変わらないから、どれが誰やら解らないな……。新たな問題が発生したぞ、いま。

 

「いま解ったけど、うーたちは色分けしないと解らないな。八体とモコとして、解りやすく虹の色の七色と残り二色でいこう。首にリボンでいいかな。モコは片ミミにリボンで大丈夫か? ミラ、できる?」

 

 モコが「だいじょぶー」と頭を擦りつけてくると、オレの頭をふたたび撫ではじめたミラに「残りの二色はなに色にする?」と問われた。

 

「まーとモコはどの色がいい?」

 

 見た目からはくーかまーかは解らないが、一体を手に聞いてみる。こういう場合では、オレの一存では意味がないからな。身につける本人に聞かないとね!

 

「まーはリーナと同じ髪の色がいいです」

「まーがリーナの髪の色なら、モコはまおーさまの髪の色にするっ!」

「決まりだな。ミラお願い。――はやっ!」

 

 もじもじしつつ答えたまーと、元気よく答えたモコの言葉に頷きつつもミラにお願いしてからの時間は、一秒もないかもしれない。「はい、終わり」と言われたとおりに、うーたちの首もととモコの片ミミには蝶々結びのリボンが飾られている。いわば、魔法製のリボンだ。便利すぎていけない。結び目は前面ではなく少し左側にずらされているらしい。

 

「じゃあ、虹の七色の順にうー、さー、ぎー、ねー、こー、にゃー、くーでいこうか! まーもモコも含めて、改めてよろしくなー。ミラもよろしくー」

 

 ひらひら片手を振ると、重なる「よろしくお願いします」が返ってくる。ミラは「かわいい」だけど。

 

「魔導人形問題は片づいたから、次はパーティーの現状が知りたい。教えてくれ」

「現状といっても、パーティーは解散したよ」

「あ、そうなんだ」

「もともとリーナを国外に連れ出すためのものだったしね」

「いまさらだけど、念の要りようが怖くなるなあ」

「それだけ離せないということだよ。ほかの勇者たちは悪いようにはしていないから安心していい」

 

 微笑むミラの言葉に「そっか」と頷く。オレはミラの言葉を信じるしかないから、ミラが言うならそういうことなんだよな。

 

「まあ、ミラがそう言うなら大丈夫か。次はそうだなー、いろいろ勉強したいから、今度図書館か書庫に連れていってほしい。ぽっと出のオレでもできるところを示さないと!」

「モコもリーナと一緒にお勉強するっ」

「うーたちもします!」

 

 ぴょんぴょん跳び跳ねる魔導人形たちと頭を擦りつけるモコに「おう、一緒にしようなー」と答えると、すかさず「リーナを誰かに晒すのは嫌だから、家庭教師でもつけようか」との言葉が降ってくる。ああー、ミラの過保護はここでも発揮されているのか。

 

「嫌だって言ってもさ、家庭教師はいいのかよ?」

「信用はしているからね」

「なるほど」

「俺のものに手を出すとどうなるのか理解できない者をこの城には置いていない――とも言えるね。それでも手を出すというのなら、きちんとした代償は払ってもらうし、問題はないよ」

 

 まだ怖いことを言う気か、この男は。まあ、オレの目の前で誰かをどうこうしたことはないから、秘密裏だろうけども。

 

「もういいから、怖いから。話を変えるぞ。と言っても聞きたいことは聞けたし、いい話題がないな――……あ! モコはどうしてあの街にいたんだ?」

「まおーさまに会いたくなったから、モコはメロディアスと一緒に飛んだの!」

「メロディアス、さんと一緒に?」

「そうっ!」

 

 メロディアスさんが気にかかるがしかし、いまは「そうなんだ」と背中をわしゃわしゃ撫でてやる。んへへ~と頬擦りするモコのかわいさに現実逃避をしたくなってくるのだが、こればかりは聞かないとならない。オレを好きだと言っても、ミラには仲がよさげな女性がいたのだから。

 

「そのさ……、ミラはメロディアスさんとどういう関係なんだ?」

「主とメイドの関係、かな。なにも特別なことはないよ」

「メイドさん……?」

「そう。ああいや、より正確に言えば、参謀兼メイドだね。森の視察に行ったときに傷ついたモコを発見したのもメロディアスだから」

「……ということは、あの美人さんがメロディアスさんなのか」

 

 メイドと言われて思い出されるのは卒業パーティーだ。たしかにあの女性はメイド服に身を包んでいた。緊張のためにあまり見られなかったが、美人さんだということは解ったし、ミラの隣がよく似合うということも理解した。残酷なまでにオレは邪魔者だということも。少しの時間であったとしても、そこには入り込めない空間があったのだ。だからパーティー会場から逃げ出した。ミラがほかの人と楽しむ姿に打ちひしがれたくなかったから。

 

 あのときの不安が顔に出ていたのか、ミラはオレの頬を撫でて「不安にならなくていいよ。俺が好きなのはリーナだから」と囁くように言ってくる。嘘だとは思いたくないから、「ん……」と頷いておいた。心配そうにオレを見ていたモコや魔導人形たちにも「心配かけさせてごめんな」と笑みを向ける。

 

「リーナ! メロディアスは優しいの! モコの手当てもしてくれたんだよっ?」

「うん。モコがそう言うのなら、ちゃんと信じるよ」

 

 モコの言葉も、ミラの言葉も、オレにとっては信じるに価する。何度も言うが、嘘だとは思えないからだ。それに、かわいいは正義だしな! だから大丈夫だともう一度背中を撫でると、モコは「うんっ!」と元気よく頷いた。と同時に、ウサギミミも踊る。

 

「モコのこともメロディアスさんのことも解ったからよかったよ。あとさ、もうひとつ聞きたいことができたんだけどもさ……、ミラがオレのことを好きになったのっていつ?」

「手のひらで熱を計られたあとの顔にやられたかな。「熱はないな。よかった」って安堵しながら笑った顔から目が離せなかった」

「あー、初めて対面したときからってことか」

「そうだね。一目惚れという認識で構わないよ」

「惚れられるような顔はしてなかったけどな」

「言ったよね、俺はかわいいとしか思えなかったって」

「聞いたけどさあ……。オレは自分自身を人並みとしか思っていないから、かわいいと感じるのはミラの欲目でしかないと思うんだよなあ」

「男としての感覚が残っていることを除いても、その見た目で人並みはあり得ないことだということをそろそろ理解しようか。俺がどれほど欲望に忠実な者を潰してきたと思ってるの?」

「おいおい、暗躍してたのかよ、びっくりだ」

 

 呆れを滲ませる声にマジかーとまじまじとミラを見ると、苦笑しつつも「リーナの考えとは違って、俺からは手を下してないよ。こちらが少し魔力量を高めれば、あちらは勝手に自滅をしてくれるしね」と続けられる。なるほどな、ミラの魔力に当てられたということか。

 

「あれ……? ということは、普段は魔力を抑えているってことか?」

「人族と魔族とでは、持っている魔力量に明確な差があるからね。生まれ持った性質の差は埋めることができないのが理だよ。まあ、慣れているであろうリーナの前……、家族の前では抑えてはいないけど。小さなころはうまく調整できていなかったしね」

「そうなのか。でも、黒狼みたいにはなってなかったな……。不思議と」

「そこは俺でも謎のままだよ」

「なるほど。まあ、不思議なことがひとつぐらいはあってもいいよな」

 

 完璧すぎるのも堅苦しいだけだろうし。そう言えば、ミラは「面白い考え方だね」と笑みを深めた。「だから俺はリーナに勝てないんだよ」と両手を軽く上げながら。お手上げと言いたいのだろうが、勝てないのはオレの方だっつの。「それはオレの台詞ですからー」と唇を尖らせれば、ミラは「そういう顔はダメだよ」と強く抱き寄せてきた。

 

「っ!?」

「無防備は俺の前だけにしてね」

 

 あー、もう、本当に、そういう顔をするなっての! 見てしまったらなんかこう、抱きしめたくなってくるだろうが。

 

「言い忘れてたけどさ、オレを捕まえてくれてありがとう」

 

 だから精一杯、感謝を込めて抱きしめる。おとなしくしているモコたちも一緒に。

 

「どういたしまして……?」

 

 驚きから解放されつつも、目を瞬かせる姿も愛しいから。今度はオレからきちんと言おう。

 

「ずっとずっと一緒にいてください」

「喜んで」

 

 ふわり笑う魔王様は、とてもとてもかわいらしかった。どうやら落ちたあとの順応性――顔に熱が集まるとか、胸が高鳴るとか、かわいく思ってしまうとか――は高いようで、自分でも驚くくらいだ。

 

 ミラとの新しい生活を始めてからもいろいろあるのだが、それはまた別の話である――。

 

 役立たずのオレが唯一の居場所を見つけられたのは、パーティーから追放されたお蔭かな、なんて思ったり。

 

 

 

 

(前編 - 終わり)

 




「本編 : 後編」はまた日を改めて!
ここまでお付き合いありがとうございました。
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