洗濯物がどっさりと入った籠をよいしょ、と抱える。呉に比べればここにいる人達は少ないとは言え、訓練生を含めれば結構な量になる。
「助かります、私だと何往復もしなければならなくて」
「いえ。これくらい、お安い御用です」
対話はしばらく中止。艤装の調整ももう少しかかる、ということでやることが全くなくなってしまった私は、鳳翔さんのお手伝いを買って出たのだ。
手伝い始めて思ったのだけれど、この人働きすぎじゃないだろうか。朝は誰よりも早く起きて朝食の準備。洗濯や掃除を間を縫うように行い、昼食を振る舞い、日中には蒼龍さん達の訓練。夜は遅くまで次の日の仕込みをして…一体、いつ寝ているのだろう。いつか倒れるんじゃないだろうかと本気で心配になる。
働かなければ。ただでさえ穀潰しのような存在なのだ、せめてこの人の負担を減らしたい。気合いを入れて物干し竿がある砂浜の方へと歩いていく。
「……あれ?」
ざっざ、と乾いた白い砂浜の上を歩いていると、遠目に桟橋に腰掛け、ぷらぷらと足を揺らしながら海を眺めている陽炎さんを見つけた。なんとなく立ち止まって見ていると、何かに気づいた彼女はぴょん、と立ち上がってめいいっぱいに両手を大きく振り出した。その先に視線を移すと、海の向こうから水飛沫をあげながら近づく人影が。
「しーらーぬーいー!!」
ぶんぶんと両手を振り続けながら陽炎さんが声をはりあげる。不知火さんはとっくに気づいていたのか、一直線に陽炎さんのいるところへと滑り込んだ。
「おかえり!」
「……ただいま」
不知火さんが桟橋に上がった瞬間に勢いよく陽炎さんが飛びつく。結構な勢いだったと思うのだが、不知火さんはそれを涼しい顔で受け止めながら淡々とこたえている。
「怪我してない?」
「問題ない」
「そっかそっか」
端から見ると陽炎さんが一方的に絡んでいるようだけれど、それに相槌を打つ不知火さんの横顔がいつもより柔らかく感じるのは気のせいではないように思う。何事か話しながら去っていく二人の背中を見送っていると、いつの間にか隣にいた鳳翔さんが口を開いた。
「ああやって、時間が合えば任務から帰って来た人を出迎えているのよ」
「そうなんですか」
「ええ。元々、ここは彼女一人だけでしたから。初めて自分が海から帰って来たときにおかえり、と言ってもらえたことが嬉しかった、って言っていたわ」
そう言って、鳳翔さんはどこか遠い目で海の先を見つめていた。
「……海に出れば。また、帰って来られる保証はないですから」
「え?」
「だから、おかえり、って言うんですって。生きて帰って来てくれて、ありがとう、って」
そう言ってこちらに笑かける鳳翔さんは、どこか、儚く。思わず言葉に詰まってしまった。
「さぁ、洗濯物をかたしちゃいましょうか。そろそろお昼の準備もしないと」
そう言って歩き出した鳳翔さんは、端から見ればいつも通りで。結局、私は何も聞くことができず、ただ黙ってお手伝いをするしか、なかったのだった。
※
ここに来てから早二週間。鳳翔さんのお手伝いにも慣れてきた頃、ようやっと大和の艤装の調整が一段落ついた、とおやっさんから報告が入った。
「簡単な航行と、砲撃訓練をやってもらいたい。やったことはあるか?」
「呉で、一応は」
手渡された神衣を着込んで両足に
ひょこひょこ、と妖精さんも数人乗り込んでくる。主砲の角度調整の手伝い、風向きなどの情報の伝達をしてくれる彼らは力強い味方である。今日は何回か工廠を訪れた際に懐いてくれた妖精さんに手伝ってもらうことにした。
全ての艤装の装着を終えると、無線を手渡された。
「じゃあまずは指示通りに航行してもらえるか」
「わかりました」
桟橋から滑るように海に出る。今日は天気も良く、波も穏やかなので特に問題もなく海上に立って指示を待った。
『両舷前進原速』
指示通りに進み出す。ああ、なるほど。まだ調整の初期段階だというのに、私は陽炎さんの言っていたことを理解した。確かにこれは、よく馴染む。艤装は艦魄ときちんと同調できていれば手足のように動かせるようになると言われているけれど。マニュアルモードだというのにこれだけスムーズに動かせるのだから、素直に凄いと思った。
『Q方』
後方に白い
『両舷前進原速、黒十五』
主機の回転数を上げて速度を調整する。その後も何度か指示を受けながら、海上を航行した。
『慣れたもんだな』
『そうでしょうか。基本的な航行ですし』
『……マニュアルモードだぞ』
『はぁ』
そんなことを言われても、こちらはそもそもマニュアルモードでしか操作をしたことがないのでなんとも言えず、言葉を濁した。
『まぁいい。その先にある攻撃目標、見えるか』
『……なんですか、あれ』
『深海棲艦の模型だ。見りゃわかるだろ』
案山子が海を漂っているようにしか見えませんが。
『じゃ、砲撃開始』
あの間抜けな顔の案山子相手だとなんとも気が抜けるけれど。気を取り直して、距離と方位を測定する。キリキリキリ、と妖精さんが射角の微調整をしてくれる。不思議なもので、お互いに言葉を発さなくても次に何をどうしたいのかきちんと通じ合っているように思えた。
「─てぇ!!」
体全体にズドン、と重い衝撃が走る。砲弾は弧を描きながら飛んでいき、そして。
『ああ゛?』
ドォオオンと鼓膜にビリビリと響く轟音と共に。大きな火の柱が立ちのぼり、模型の残骸が燻りながら木っ端微塵に四散した。
『……ちょっと、待ってください。これ、実弾』
『チッ、初弾命中』
『話を聞いてください!』
『実弾に決まってんだろ。訓練は実戦のように、実戦は訓練のように。常識だろ』
『せめて最初に教えてください!!』
呉で使ったのはあくまで模擬弾。しかも一回きりで、それ以外はVR 装置による訓練しかしてこなかったのだ。何もかもが違う。威力が。その、殺傷力が。音で、匂いで、五感で感じる全てが、何もかも。
『……体、なんともねーか?』
『特に、問題はないです、けど』
体は問題ない。ただ、心が。自身の砲の破壊力を目の当たりにして、怖じ気づいてしまった。
大和はなにをどうしようとも、運用まで持って行かねばならぬ。この火力があれば。この装甲があれば。より多くの深海棲艦を屠ることが可能であろう。ずっとずっと、そう、言われ続けてきた。お前は人類の希望なのだ、期待には応えねばならぬと。だというのに、これはどうだ。この身は。これは、ただの、殺戮兵器では。
「─」
何かが聞こえた。ハッとして辺りを見回すも、それの発生源と思われるものは見当たらない。
「─」
今度は、よりはっきりと耳へと届く。その意味を理解するよりも先に、体が恐怖でこわばった。
『─おい。おい!聞こえてんのか!!』
耳元から怒鳴り声が聞こえて我に返った。
『やっぱどっか怪我してんじゃねぇだろうな?』
『だ、大丈夫です。初めての実弾だったので、ちょっとびっくりしてしまって』
『そうか。続けられんのか』
『大丈夫です、やらせてください』
クスクスと。先ほど聞こえた女性の笑い声を振り切るように。
『─正面砲戦!!』
訓練へと、打ち込むのであった。
※
訓練を一通り終えて汗をさっぱりと流した後、私はあてもなく歩いていた。
あれは、なんだったのだろう。落ち着いてしまえば再度頭をもたげるのは先ほどの不気味な声。海風を空耳したのだろうといえばそれまでかもしれないが、どうにも嫌な感じが拭えなかった。最近夢見もあまりよくない気がするし、疲れているのだろうか。ここの方が何倍も呉より居心地がいいのに、贅沢になったものだ。今日は訓練があるならお手伝いはいいですよ、と鳳翔さんに言われたけどどうしよう、と思っていたら、向かいから陽炎さんが駆逐艦の候補生三人を連れて現れた。
「これから訓練ですか?」
「そうそう。金剛さんと不知火のお手本を見て貰おうと思って」
私が陽炎さんに話しかけると、候補生の娘達が少し離れたところで立ち止まり、ぺこりと挨拶をしてきた。艦娘となった蒼龍さん達と比べ、こちらの候補生達はまだまだ新人なようで、緊張がその全身から滲み出ていた。
「あの」
「ん?なぁに?」
「良ければ、なんですが。私も見学させていただいてもいいですか?」
純粋にどんな訓練をしているのかという興味半分。先ほどの嫌なことを忘れるための気晴らしになればいいな、と思ったのが半分。私の急な申し出にも関わらず、陽炎さんは快く受けてくれた。
「おっけー。そしたらはい、無線」
「……これは?」
「不知火達の会話を拾う用。チャンネルはもう合わせてあるから」
そう言うと、じゃ、行くわよーと後ろの候補生達に声をかけ、歩き出す。その横に並んで彼女に話しかけた。
「今日は何の訓練なんですか?」
「回避運動と駆逐艦の浪漫、魚雷の使い方ね。まぁ陽炎型と睦月型じゃ構造違うんだけど、雰囲気を感じてもらおうかなって」
なるほど、候補生達はみんな睦月型なのか。ちらりと視線を後方に向けると、長い金髪と、同じく金眼が印象的な快活そうな女の子と目が合う。慌ててその子が会釈を返す。あまり気を使わなくていいのだけど、と思いながら、むしろ呉ではこれが当たり前だったことを思い出す。随分と思考がここに染まってしまったようである。
「金剛さんは何の役なんですか?」
「標的よ」
訓練場に着くと、金剛さんと不知火さんが既に待機していた。金剛さんを円の中心として一定の間隔で浮標が浮いているけれど、あれはなんだろう。
「はい、じゃー今日は回避行動の基本、
陽炎さんが候補生に話しかけながら無線のチェックをする。どうやら問題ないようだ。
「主砲は貧弱で装甲は紙。だからといって悲観することはないわ。自慢の足とこの魚雷。これが私達最大の武器。うまくやれば戦艦だって沈められるんだから」
そう言って自身の艤装にセットされている魚雷を指し示す。
「金剛さんの周りにある浮標、あれが魚雷の射程圏内を表してるから。見学が終わったら実際に魚雷撃ってもらうからね」
じゃあお願いします、と陽炎さんがマイクに話しかける。それに呼応して、不知火さんが動き出した。
『ではまず之字運動。金剛さんはちゃんと当てる気で撃ってくださいね』
『ラジャー!』
不知火さんが金剛さんに対して横に、右へ左へとジグザグに海上を滑っていく。之字運動を続ける不知火さんに対して金剛さんが砲撃をするが、徐々に加速し、予測不能な動きをする不知火さんには中々当たらない。外れた砲撃によって大きな水柱が乱立し、一瞬不知火さんの姿を見失った。その時。
「─っ!」
ぞくり。背中を駆け抜ける悪寒は一瞬。たち込める水柱の一柱から水飛沫をあげて不知火さんが金剛さんめがけて一直線に速度を上げながら突っ込んでいった。
『え、ちょっと!?』
隣で陽炎さんが焦ったような声をあげ、その声がマイクに拾われ無線へと乗った。聞こえているのか、いないのか。彼女は口の端を上げ、笑ったように見えた。
そんな彼女に対して、金剛さんは微動だにせず、表情すら変えずに淡々と副砲を打ち込んでいく。至近弾も何発かあった。その度に彼女の体は衝撃波で大きく揺さぶられ、水柱が彼女の目の前に何度も立ちはだかるというのに、彼女は怯むどころかどんどん加速していく。そして、候補生達にわかりやすいようにと設置されていた魚雷射程範囲を表す浮標を飛び越え、さらに前へ、前へ。不知火さんの背中のアームが動き、魚雷発射管が金剛さんを捉えた。
『─沈め!!!』
左手を振り切るようにして、不知火さんが魚雷を発射した。雷跡が四条、扇形に広がりながら金剛さんに襲いかかる。
『甘いデース!!!』
無線から、場違いなほど陽気な声が届く。と、同時に彼女は自身の手前に砲弾を打ち込んでいった。直後に今までで一番大きな轟音と共に瀑布のごとく激しい水飛沫が上がり、こちらまで飛んできた海水に思わず目をつぶる。
目をつぶっていたのは、果たして十秒か、それとももっと長かっただろうか。恐る恐る目を開ければ。飛沫で視界がけぶる中、傷一つない金剛さんと、所々に傷を負っている不知火さんが互いの額に主砲を突き合わせて立っている姿が見えた。
『フッフーン。主砲同士のガチンコ勝負なら負けないネー!私の勝ちデース』
『……信管を意図的に起爆させましたね?』
『イエース。その後不知火がきっちりとどめを刺しに突っ込んでくるのも読めてたネー。不知火は熱くなると動作が単調になりがちデース、悪い癖デース』
『……』
『もっとブゥレインを使わないとー、このスーパープリティーパーッフェクトな戦艦金剛には勝てませんヨー?』
なるほど、自身の手前に砲弾を打ち込んでいたのはその衝撃で信管の誤作動を狙ったのか、と感心したのも束の間。金剛さんの言動が段々と不知火さんを煽るものなっていき。押し黙る不知火さん。そして。
『でぇええい!!』
『それも読めてマース!!』
スパァアン!と小気味のいい音が無線に乗る。不知火さんがきれいな右ストレートを金剛さんに打ち込み、それを金剛さんが片手で受け止めたのだ。最早私と候補生達はポカンとそれを見ていることしか出来ない。
『沈める!!』
『やってみろってんですヨー!!』
前代未聞。戦艦と駆逐艦の掴み合いの喧嘩が海上にておっぱじめられた。
『……ちゃ、』
隣を見やれば、陽炎さんの眉間に青筋が。あ、これは本気で怒っている顔です。直後。
『ちゃんと言われた通りのことしろぉおおおおお!!!!』
耳の奥がキーンとなるような怒声と共に陽炎さんが海へと飛び込み。最終的には三つ巴の喧嘩の様相となった。うん。
「あれは、真似しちゃダメですよ」
「真似したくても出来ないよ……」
悪い影響を受けたらいけない、と隣の候補生に話かけると、呆れるようにその子が答えた。
※
「こんなことは、あり得ねぇ」
執務室に入ってくるなり、おやっさんが大和の訓練データをまとめた書類を机に叩きつけてきた。
「はぁ。優秀ですねぇ」
初弾命中。その後も動く攻撃目標に対して数回の砲撃で
「そこじゃねぇ」
「えーじゃあどこですか」
「マニュアルモードだぞ、これ」
「もっとわかりやすく」
「赤ん坊が自家用ボートに乗り込んで楽々操縦しているようなもんだ」
「天才じゃないですか!」
「馬鹿野郎そうじゃねぇ。あり得ねぇっつってんだよ」
いいか、とこちらを睨みつけながらおやっさんが続ける。
「艦娘つっても艦魄の力が得られなけりゃただのガキだ。手足のごとく艤装を扱えるなんてあり得ねぇ」
「まぁ、そうですねぇ」
「ついでに言うとな、神衣自体にもある程度防御結界が組み込まれてるっつってもそりゃ必要最低限だ。俺は砲撃であいつがひっくり返るもんだと思ってたんだがな」
神衣には厳密に言うと二種類の防御結界が組み込まれている。一つは、艦魄と同調せずとも常時発生している微弱なもの。もう一つは、艦魄と同調して艤装回路に力が流れ込むことで発生する強力なものである。海上を普通に航行する分には前者だけでも問題無いが、深海棲艦と撃ち合いをするためには後者が必須だ。なぜならば前者だけでは砲の反動に体が耐えきれないからだ。特に、戦艦クラスとなれば。
「……それわかってて撃たせたんですか?」
「死ぬわけじゃねぇからな。防御結界も見直したからそれのデータも欲しかったってのもあるが」
無茶苦茶である。艦娘を思ってのことなのだが、こういったギリギリのところを試すのは彼の悪い癖だ。だから干されるのに、私みたいに。……言ってて虚しくなってきた。
「艦魄反応もチェックしたがもちろんゼロ。どーなってんだ」
「うーん」
それはむしろこっちが聞きたい。ない知恵を絞りながら、今までの情報を整理していく。
「艦魄反応がないのにまるで艦魄反応があるかのような動きだった、ってことですか」
「おぅ。十パーセント前後くらいの低同調状態に感じたな。煩雑なマニュアルモードを操作している自覚はあるが、なんとなく感覚で動かしている、ってレベルの」
「じゃあ、あるんじゃないですかね、反応している艦魄が」
「あん?どういうこった」
「例えば」
そこで言葉を切る。思いつきだったけれど割と的を射ているように感じた。
「彼女自身が、艦魄の代わりになっているとか」
「はぁ?」
「─あなたは私」
対話をさせたときに彼女が発した言葉を思い返す。
「それが、その通りだとしたら?」
「……何が言いたい」
「神々の分け御霊が胎児に混入するなんて、まぁある話じゃないですか」
前世の記憶、というものはそういったものによるものだ。もっとも、強い未練、後悔などの感情を抱えていない場合、その前世の記憶を思い起こすことは滅多にない。だから人々はそんなバカな、と笑い飛ばすことも多いのだが、それは間違いなく彼らの魂の記憶の一部なのだ。
「まぁぜーんぶ憶測ですけど。もしかしたら。もしかしたら彼女は、あの大和の生まれ変わりなのかもしれない、とか」
「……んな馬鹿なことが」
「ギンバイして女の子から締め上げを食らう神様もいれば、深海棲艦もどきの人間だっているんですから。この世はなんだってありですよ」
そう言って手元のコーヒーを啜ると、おやっさんが苦々しい顔で言い放つ。
「オメーらがおかしいんだよ」
「はて。なんのことやら」
しらをきっていると、おやっさんは大きなため息をついてガシガシと頭をかいた。
「まぁ、だとしてもだ。今のままじゃ前線に出せないのは間違いねぇ」
「そうですね。あっちの方はどうですか」
「防御障壁三枚かませた。大丈夫だと思うが」
「そうですか」
ずずず、とコーヒーを全部飲み干して、思わず一言。
「そりゃうまくいきませんよねぇ」
「なにがだ」
「だって自分の内面と話しているようなもんですよ。見たくない部分もまるっとお見通し、ってやつです」
私だったら絶対にごめんですね。酷なことをさせているのかもしれない。戦艦大和としてのプレッシャー。そして。
「……あんな最期、ですし。そう考えると艦魄の中の大和が向こう側に堕ちてない方が奇跡かもしれませんけれど」
もしかしたら。自身の最期の瞬間を思い出して、心が挫けてしまうかもしれない。
「あー、提督業なんて嫌な仕事ですよホント」
「引退したらどうだ」
「出来るならしてますぅー」
「ふん、思ってもねぇ癖に」
ニヤニヤとこっち見ちゃって、まー感じが悪いったら。引き出しから件の箱を取り出して押し付ける。
「はい、はい。さっさとこれ浄化しちゃってくださーい」
「お前な、人にものを頼む態度か、それ」
「いつも感謝してまーす」
そういうとこだぞ、お前、とおやっさんがため息をつく。
「あー、早く引退してくれねぇかな。こっちの体がもたねぇよ。いつまで働かせる気だ」
「なに年寄りぶってんですか、同い年でしょ」
「バァーカ」
「バカって言う方がバカなんですぅー」
まるで子供のように言い合いをする。同期もほとんど引退して、まともな知り合いといったらこのおやっさんと呉のあの若造くらいだ。なんだかんだ付き合いがいいおやっさんには感謝してもしきれないけれど。
「ちょうど入ってきた間宮の羊羹、あげませんよ?」
「あ、てめっ、ずりぃぞ!!」
まぁそんなのを面と向かって言うには少々気恥ずかしいくらいには、長い付き合いになったものだ。
※
艤装の試運転に付き合ってしばらく経ってから、また工廠へと呼び出された。工廠の中に入っていくと、妖精さんが何人か寄ってくる。そいつらはもうお前専用だなぁ、とおやっさんがぼやきながら本題を切り出した。
「対話装置に防御障壁をかませた。精神攻撃を食らっても脳に異常が出ないよう俺達が見張るし、前より安全だ」
腕を組みながらじっとこちらを見つめている。暗に、やれんのか?と聞かれているようだった。
「……わかりました」
前回の意識がバラバラにされるかのようなおぞましい感覚が込み上がるのをぐっと抑えて、そう続けた。私は、このためにここに来ているのだ。断ることなんて。
「いいんですか?」
ヘッドギアへ手を伸ばすと、横にいた提督が静かに声をかけてきた。
「え?」
「だってこんなこと言われても、次どうなるかわからないじゃないですか」
「え……っと」
「本当に、やりたいですか?」
提督の言わんとすることを図りかねて困惑する。その様を見て、提督は眉をハの字にしながら言葉を続けた。
「ごめんなさい、困らせたいわけじゃないんです。ええと、なんて言えばいいですかね」
うーんと考え込みながら、提督が言葉を選ぶようにして口を開いた。
「例えばですね、戦わねばならない、と戦いたくないは両立していいんです」
「え?」
「私は、提督です。この陸地で優雅にお茶なんか飲みながら艦娘達に死んでこいと言うのが仕事です」
そう、淡々と続けている。おやっさんは隣でじっと黙って聞いていた。
「明日には、あの娘は死んでしまうかもしれない。私の指揮が悪かったから、死んでしまったのかもしれない。戦わせたくなんかないんですよ、できることなら」
「……じゃあ。なぜ、提督は、提督をしておられるのですか」
「うーん、そうですねぇ」
困ったように笑いながら提督が頭をかく。いつも穏やかに、艦娘達に囲まれにこにこと笑っているこの人にも。抱えているものが、あるのだ。
「最初は憧れだったんです」
「憧れ、ですか」
「ええ。若い頃にね、船に乗っているときに深海棲艦に襲われたことがあるんですけど。その時にとある艦娘さんに助けて頂きまして。幸い適性もありましたからね、志願したんです。近くで支えたかった、というとちょっとおこがましいかも知れませんが」
なぜだろう。どう見たってこの人は若いのに、そう思い出しながら語る提督はまるで老兵のような趣があった。
「私はぶっちゃけて言えば戦いたくないです。でも、この職業から逃げたところで、私の見えないところで彼女らは傷つき、倒れていくんですよ」
それだったらね、と。ひとつひとつ、私に言い聞かせるように。
「私は、私の出来る範囲で出来ることを頑張りたいんです」
ここには、自分の意志でいるのだと。そう、語った。
「私は、私の意志で提督業をやっています。……あなたは?」
「え?」
「あなたの意志は、どこですか?義務感は自身の心を隠します。そして、義務感だけでは人は前に進めません」
大和だから。みんなの期待に応えなきゃ。
「義務ではなくて。あなたは、戦いたいと、思いますか?」
だって、戦いたくないなんて。言えるわけが、ない。だから、戦いたくないなんて気持ちは。こんなものは。
「……ちょっと、時間を置きましょう。あなたは責任感があって、真面目でいい娘です。だからこそ、私は潰したくないんですよ」
本当に対話を受けてもいいと思ったら、声をかけてくださいと言われ。私は、その場でなにも言うことが、できなかったのだった。