たった一つの小さな願い   作:moco(もこ)

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‐伍‐

「─こんなところでこんな時間にそんな格好でいたら、風邪を引きますよ」

 

 昼に言われたことが頭から離れず、どうにも寝付けなかったので寝巻きのままに宿舎の縁側に膝を抱えて座りこんでいたら。不知火さんがいつの間にか近くに佇んでおり、声をかけてきた。

 

「ここは夜、結構冷えるんです」

「……」

「眠れないのですか?」

 

 言葉では答えずに、小さくこくり、と頷くと不知火さんは少し考える素振りを見せ、そして静かに私の隣に座ってきたのだった。

 

「夜はいいですね。不知火は昼の海より夜の海が好きです」

「……」

「闇夜に紛れてより強大な敵を倒せますからね。血が滾ります」

 

 冗談なのか、本気なのか。相変わらずわかりづらい。だけれども、いつもより口数が多いのはきっとこちらを気にかけてくれているからだろう。眼光は鋭いし、先日の訓練で一瞬この身に受けた、息が詰まるほどの殺気を発したのも彼女なら、今ここで静かに寄り添ってくれるのもまた彼女なのだ。

 

「……不知火さんは」

「はい」

「なぜ、そんなに強いのでしょう」

「……強い、とは」

「どうして、死地で。そんなに心を強く保っていられるのですか」

 

 純粋に羨ましかった。駆逐艦とは、一寸先は闇ならぬ死。なぜそんなに勇敢に戦いに臨めるのか。なぜ、この人が駆逐艦で、私のような臆病ものが戦艦なのかと。こんなことを思ってはいけないのに、昼に私の弱い部分を見透かされたことでささくれだった心では、嫌でもこういった卑しい考えが頭をもたげてしまう。そして、そんな自身にまた自己嫌悪をしてしまうのだった。思わず膝に顔をうずめて黙っていると、しばらくして。

 

「─強くは、ないですよ」

 

 予想外の言葉が、隣から聞こえてくる。その意味を理解し、ゆっくりと彼女の方に顔を向けた。闇夜の中で、彼女の淡青色の瞳がゾッとするほど透き通っていて、吸い込まれてしまいそうだった。

 そんな私の様子をしばらく黙って見ていた不知火さんは、徐に左手の手袋を抜きとって。いつだったか、味方に撃たれたんですよ、と冗談を言ってみせた、その傷をこちらに見せながら。

 

「─不知火は。味方を見捨てた臆病ものですから」

 

 そう、淡々と。過去の話を、私にしてくれたのだった。

 

 

 ─ガァン!!

 

 耳をつんざく発砲音。遅れて伸ばしかけていた左手にじくじくと熱を感じて、どうやら彼女が撃った砲弾がかすめたのだ、ということを理解した。

 

「外すつもりで撃ったのに、当たるなんて」

 

 どう足掻いても疫病神ね、とか細い声が耳に届く。なにを、やって。なにを、言って。ジンジンと耳の奥がうるさい。うるさい、うるさい。

 

「なに、を」

「また、見ているだけだなんて。真っ平ごめんだもの」

 

 そう言って、今度はぴたりと。先ほど、不知火に対して発砲をした夕雲型駆逐艦、十七番艦の早霜は、こちらの額に主砲の照準を合わせてきたのだった。

 

「ねぇ、わかるでしょう?」

「……」

「ここで全滅したら、ダメよ。あなたが。生き残っているあなたが、帰ってこのことを伝えないと」

「あなた、だって。まだ、生きているでしょう」

 

 絞り出すように声を出す。その先を。お願いだからどうか。

 

「ええ。まだ、ね。……ねぇ、不知火」

「……うるさい」

「ごめんなさいね、私は」

「っ、黙れ!!!」

 

 どうか、言わないでほしいのに。

 

「……私は、助からないわ」

 

 静かに、淡々と。自身がずっと目を逸らし続けているどうしようもない事実を。どうしてあなたが、よりにもよってあなたが突きつけてくるのですか。

 

「ま、だ。諦める、には」

「わかっているでしょう。私は餌なの。味方をおびき寄せるための。……ああ、本当に嫌になるわ。私は早霜であって早霜じゃないのに。こんな時だけこの()の感情に引きずられてしまうのだから」

 

 因果なものね。そう言いながら、笑いながら流す涙はどちらのものなのか。

 やめて。お願いだから、やめて欲しい。こんなときに、この()の感情と自身の感情がない混ぜになってうまく頭が働かない。

 いやだ、いやだ。諦めたくない、見捨てたくない。だって、まだ、彼女は、早霜はここにいるのに、生きて、いるのに。今度こそ、救えるかもしれない、のに。

 

「─ああ、あなたも同じなのね。あなた、一見クールだけど根は優しいから。そんなところも不知火らしいわ(・・・・・・・)

「はや、しも」

「だからね、わかるでしょう」

 

 制御できない感情のうねりが涙となって溢れる。喉は焼けつくようにひりひりと乾き、思ったように声が出ない。それでも、彼女から。

 

「二度も目の前で。私を助けようとするあなたが轟沈する姿を見るなんて、ごめんよ」

 

 彼女のその、儚くも強い意志のこもった目から。自身の目を、背けることが、できなかったのだった。

 

 

「─早霜を含んだ行方不明艦隊の捜索。それが初陣でした」

 

 きゅ、と左手に白い皮手袋を嵌め直し、淡々と不知火さんが続ける。

 

「不知火が生き残れたのは、ほとんど幸運によるものです。それでも、彼女のあの判断がなければ確実に死んでいたでしょう」

 

 助けようとするなら。敵にやるくらいなら、私があなたを殺す、と言われました。その言葉はこの月明かりの夜に静かに溶けていった。

 空を見上げる不知火さんの横顔は、月に蒼白く照らされているせいか、まるで感情が抜け落ちているようで。その様はとても冷たく、そして恐ろしいほど綺麗に私の目に映った。

 

「陽炎型、夕雲型は後期に造られた駆逐艦なので。その性能面から、ろくな訓練も積まずに前線に駆り出されることがほとんどなんです」

「……」

「呉の同期で生き残っている陽炎型駆逐艦は、おそらく雪風だけですね。あの子は天才ですから」

 

 元気にやっているといいのですが、と月を見上げながらぽつりと不知火さんが呟く。

 

「後にも先にも、あそこまで艦魄の中にいるあの()が感情的になったのは、あの()の感情が一方的に流れてきたのはあの一回だけです。この()は早霜を助けようとして彼女の目の前で轟沈した過去があるので、その時と重なって見えたのでしょうね」

「……」

「後悔しか、なかった」

 

 口を挟むことなど出来なかった。戦争をしているのだ。砲弾が飛び交い、目の前で仲間が沈んでいく。それが、当たり前。当たり前であるということを私は知識としては理解していても、この、不知火さんが語るような生々しい現実を本当の意味では理解していないのだということを、突きつけられた。

 

「だから一体でも多く沈める」

「……え?」

「敵を全滅させれば、味方を守れるでしょう。それに、そうしなければ。……気が狂いそうでした」

 

 金剛さんとの演習で垣間見えた、不知火さんの戦闘スタイル。いくら駆逐艦とはいえ、あそこまで肉薄し、死なば諸共、といった気迫すら感じられるほどの殺気で相手を屠ろうとするその姿を、思い出す。

 あの時は、日頃の金剛さんの行いに鬱憤が溜まっていたのだろうと苦笑いすらしていたけれど。本当は、そうでは、なかったのだ。あれは、あの戦い方は、彼女の身に染みついてしまったものだったのだ。

 

「聞こえるんです」

「なにが、ですか?」

「沈んでいった、あの娘達の声が。ダブるんです。敵の姿が、あの娘達に。だから、聞こえる前に、見える前に沈めていった」

「……」

「とうとう狂ったかとあの時は思ったものですが。雪風も聞こえると言っていたので、案外本当に敵は沈んでいったあの娘達かもしれませんね」

 

 人型の深海棲艦が多く観測されるようになってから、まことしやかに囁かれている噂。深海棲艦は、沈んでいった艦娘かもしれない─。火のない所に煙は立たない。きっと、多くの前線を駆け抜けている艦娘達が不知火さんのように確信めいたものを感じているのかもしれない。

 

「あなたも、そうなんじゃないですか?」

 

 それは、質問というよりかは確認するかのようだった。

 

「……なにが、でしょう」

「海に。誰かに、呼ばれているのでは、ないですか」

 

『─姉さん』

 

「……不知火さんは。怖くは、ないんですか」

 

 絞り出すように内心を吐露する。周りからの期待。艦娘として、こんなことを思ってはいけないという理性により、内にずっとずっと押しとどめていたものを。この人になら、話してもいい気がした。

 

「ええ、そうです、呼ばれるんです。夢で、海で。日に日にその声が鮮明になっていくようで」

 

『─ナンデ。ナンデ、ソッチニイルンダ?』

 

 くすくすと。あの笑い声が、耳を離れない。あの時だけではない、海に出れば。夢の中に落ちていけば、聞こえる。

 

「……私は、海に出るのが、戦うのが怖い。人でなくなってしまうことが」

 

 一瞬で深海棲艦を爆発四散させる火力。自身の力を自覚すればするほど、この身は人ではないなにかのように感じ。

 

「あちら側へ、引きずりこまれてしまうのではないかということが」

 

 お前は、こちら側だろうと囁く声が、とても。

 

「……怖い」

 

 内に溜まっていた、どろどろとした恐怖心を。誰にも打ち明けることのできなかった苦しさを、吐き出すかのように言葉にした。

 その言葉を受け、しばらくじっとこちらを見つめていた不知火さんが静かに口を開いた。

 

「不知火も怖いですよ。戦うのは、死ぬのは。……あちら側へと堕ちてしまうのではないか、という思いは。怖いです」

「じゃあ、なぜ」

 

 同じものを抱えているはずのあなたは。

 

「不知火さんは、戦うのですか」

 

 前を向いて、進んでいけるのですか。

 

「生きるためです。仲間と共に」

 

 その言葉は、とても力強く。はっきりと私の耳に届いた。

 

「……もっとも、そう思えたのはここに来て、陽炎と出会ってからなんですけれどね」

 

 そう言って。ふ、と彼女は表情を緩めた。

 

「呉にいた頃は、なるべく誰とも馴れ合わないようにしていました。どうせ、いつか沈むから、と。情が湧いたらいけないから、と一定の距離を保って。艦隊を組んで戦っていても、結局はひとりで戦っているようなものでした」

 

 そんなある日のことです、と彼女は続けた。

 

「呉の提督に呼び出されて。お前は使えないからクビだ、と、ここに飛ばされたんですよ」

 

 少し過同調のきらいもありましたからね、と顔を歪めながらそう語る不知火さんの横顔を見て、呉の提督は昔も今も変わらないな、と思いながら続きの言葉を待った。

 

「命令とあらば逆らえません。ここは見ての通り非常にのどかなところですから。正直、最初はここも、陽炎のどこか楽観的な考え方も、好きではありませんでした」

 

 それを聞いて意外に思う。今の二人はどこからどう見ても仲のよい姉妹艦だ。そんな姿はちょっと想像ができなかった。

 

「色々ありました。本気の殴り合いの喧嘩をしたり」

「え」

「頭突きは中々効きましたね」

 

 駆逐艦は手が出るのが早いんですよ、とどこか懐かしむように不知火さんが笑った。

 

「陽炎に言われたんです。そっちばっか見てんじゃないわよ、こっちを、生きている私の方を見ろって」

「……」

「提督が言っていました、陽炎は練度も低いし砲撃なんて目も当てられないけれど、艦隊に一人は欲しい存在だと」

「それは、なぜですか」

 

 私のその言葉を聞いて。不知火さんが、今までに見たことがないほど穏やかな表情で答えた。

 

「あの子がいると、なんとなく皆を生きて帰してくれそうだから、だそうです」

 

 まぁ、いつもボロボロにはなるんですけど、と言ってちょっと困ったかのように笑っている不知火さんは。私と同じ恐怖に苛まれているはずの彼女は、とても眩しく見えた。

 

「一人で向き合おうとするから無理が出るんです。不知火はそれをここで学びました」

「……」

「もっと周りを頼ってくれていいんですよ。そうですね、手始めに大和さんが向こう側にふらふらと行こうとしたら、この不知火がぶん殴って止めて差し上げましょう」

「それは……ご遠慮、願いたいですね」

「そうでしょう。なら、おとなしく生き残ってくださいね」

 

 そう言って、不知火さんは静かに立ち上がった。

 

「戦え、とは不知火の口からは言えません。でも、逃げても結局は後悔するんです。悩んで、悩んで。それから答えを出すことは、悪いことではないですよ」

 

 強いな、と。そう思った。私が今直面している問題を乗り越えた彼女は。強くて、優しくて。それでいて美しいと思った。

 

「夜更かしは体に毒ですよ。もう、寝ましょう」

「……そうですね。ありがとう、ございました」

「さて、なにがでしょう」

 

 ああ、これはおどけているのだな。なんだ、この人はよく見ればきちんとその心を私に開いてくれていたのだ。閉ざしていたのは、私自身。

 

「ああ、それと」

「はい?」

 

 二人並んでそれぞれの部屋へ向かっていると、ふと思い出したかのように不知火さんが声をあげた。

 

「金剛さんにも、相談してみるといいですよ」

「金剛さん、ですか?」

「ええ。あの人、普段はちゃらんぽらんですけれど、曲がりなりにも日本最古の戦艦ですから」

「……意外です」

「なにがですか?」

「失礼ですけど、その。嫌いなのかと思っていたので」

「ええ、嫌いですよ」

 

 さらりとそう言い切って。

 

「むかつくくらい、頼りになりますからね」

 

 笑いながら、おやすみなさい、と私に言って。不知火さんは自室へと消えていった。

 

 

 あの日から数日後。執務室の扉が控えめにこんこん、と叩かれた。

 

「どうぞ」

「……失礼します」

 

 扉の向こうから現れたのは、案の定。決意と共にここを訪れたのはわかったが、その顔はどことなくまだ迷いがあるようだった。

 

「その様子だと、まだ迷いは晴れていないようですが」

「そうですね。私はずっと、迷っています」

 

 迷っている、と素直に認める言動におや、と思う。以前の彼女はその心の内を晒さぬよう、義務感でコーティングされた言葉しか発さなかったけれども。男子三日会わざれば刮目して見よ、というけれど、この娘もどうして中々。

 

「戦うのは怖い。でも、ここから逃げ出すには。私は、なにも知らなすぎる」

「……」

「これは、大層なものではないです。言わば私の、ちっぽけな矜持。私は」

 

 迷いの中にあって、どうして中々。

 

「理由もわからず。大和に拒絶されたのが、気に食わない」

「……」

「だから、もう一度。チャンスをください」

 

 その目の奥に宿る強い意志。そんな言葉がまさか飛び出てこようとは。

 

「……ぶっ、あ、はははは!!」

「ちょっと、提督!笑い過ぎです!!」

「だって、ねぇ!ふは、結構、結構!どうして中々、好感が持てますよ!」

 

 要はこうだ。大和が自身を拒絶する理由を、あやつをふんじばって吐き出させてやると。可愛らしい顔をして、まぁ勇ましい。そして私は、こういう娘が嫌いではないのだ。

 

「─いいでしょう。全力で我々はあなたの安全をサポートします」

「あ、ありがとうございます!!」

「大和をぶん殴るなりなんなりして、自分の納得のいくものを手に入れてください、ふは」

「もうっ!提督!!」

 

 ああ、こちらが素か。なるほど、どうして中々。可愛らしくて好感が持てる娘だ。

 

 

「防御障壁をかませてっから、前とはちょっと感覚が違うかもしんねぇ」

 

 カチャカチャと最終的なチェックを終わらせ、おやっさんがこちらにヘッドギアを差し出す。それを、今度は迷いなく受け取る。

 

「大丈夫です、安全なんでしょう」

「いや、まぁそうなるように全力は尽くしたがよ」

「なら、大丈夫です」

 

 本当はまだ少し怖い。それでも、ここで尻尾をまいて逃げるのはかっこ悪いから。まだ、私はなにも知らないから。そして。

 

「おやっさんなら、大丈夫でしょう?」

 

 この人の仕事を、私は信じている。

 

「……お前、そんな性格だったかぁ?」

「ふふ、さて、どうでしょう」

 

 座席へと向かい、頭にそれを被る。

 

「何かあったら、すぐに遮断しますから。大和を殴れなくても文句は言わないでくださいね」

 

 最初はなんとも頼りない人だなぁと思っていたけれども。今まで会ってきた上司の中で、この人だけは私を大和(へいき)ではなく、一人の人間として心配してくれた。きっとこの人も、約束は守る人だ。そう思えば、こんな軽口も心地いい。

 ─大丈夫。私は、一歩、前へ。

 

「─御武運を」

 

 もう、進めるはずだ。

 

 

 ザザザザ、と砂嵐のような視界と不快なノイズ。若干の不快感を越えて、私は大和になる。あの日。あの場所で。

 

「くっ、いいぞ、当ててこい!」

 

 大和(わたし)の妹が、沈む様を。ただただ、見届けるしかできなかった、大和に。

 

「─私は、ここだ!!!」

 

 シブヤン海で。飛行機の擁護がない中、米軍機の猛攻に晒される、武蔵を。

 それは自身の命運を理解していても、最後まで衰えを見せなかった彼女の矜持。

 

「まだだ…まだこの程度で、この武蔵は…沈まんぞ!!!」

 

 吠えるように。せめて他の艦艇の分までこの身に攻撃を受けてやるのだという気迫と共に。今まで沈んでいったどの艦艇よりも多くの弾をその身に受けながらも沈まず、海に佇む。その姿は、まさに素戔嗚尊(すさのおのみこと)の如く。

 それでも、それでも見てしまったのだ、大和は。沈むその瞬間。悔しさで表情を歪めた、あの子の姿を。

 

 ─ザザザ。

 

 大和船内。頭を抱えて座り込む若者がいた。突如、その男が腕時計を引きちぎって投げ飛ばす。

 

「おい」

「嫌んなるぜ……秒針の音が、嫌に耳に響く」

 

 思わず仲間が咎めるような声をあげると。その男は吐き捨てるようにそう言った。

 

「……このまま。死ぬのか」

「……」

「何も。何も知らない。酒も、煙草も。俺は、なんのために」

「俺は。家族のために戦うぞ」

「……」

「俺がここで戦うことで、家族が助かるんだ」

 

 自分に言い聞かせるように。逃れられぬ、死という運命に心が挫けぬよう、静かに仲間がそう言った。

 

「……そうかぁ」

「……」

「じゃあ、俺は。仲間のために、戦おう」

 

 その声は、啜り泣くようで。深く、深く帽子を被り、その顔を隠しながら。それでも。男の、自身の最期の矜持なのだと言わんばかりに。彼は、不格好にも笑ったのだった。

 

 ─ザザ、ザ。

 

『左舷に攻撃集中!!』

『左舷傾斜二十度ォォオ!!』

 

 ─沈む。色々な人の、大和の感情や映像がごちゃ混ぜになってゆく。

 何も出来ていない。この特攻に、意味はあったのか。いやだ、死にたくない。

 重油にまみれた海でもがき苦しむ人々。駆逐艦から救助用のロープが落とされる。必死に掴むも、這い上がれるほどの力が残っておらず、海へと沈む。一つのロープに二人がつかまる。一人が、落とされる。

 こんな、ことが。こんな最期が。

 

『─一億総特攻の、(さきがけ)となれ』

 

 この特攻に。沈んでいった仲間達に。何が、残るというの。

 憎悪、悲しみ、悔恨、苦悩、死への恐怖。それらが洪水となって押し寄せる。だめだ、飲まれる。もがきながら、救いを求めて手を伸ばす。暗い、暗い。寒い、寒い。海の底はこんなにも静かで。静寂という名の恐怖が大和に襲いかかる。

 

「─?」

 

 それは救いを求めるあまりの幻覚か。光が、一筋差した気がした。藁にもすがる思いで、必死に手を伸ばす。それは。これは。

 

 ─ザ、ザ、ザザザザ。

 

「─いって、参ります」

 

 呉の軍港で、その(ひと)とすれ違う。生まれる前から、ずっと大和に寄り添ってくれていたその(ひと)と。

 もうここに帰ってくることは、ないだろう。だからこそ、最後にその(ひと)に挨拶がしたかった。

 

「……」

 

 ああ、そんな顔をさせたかったわけではないのです、大和は。極秘裏に建造されていたとき、周りからの期待と重圧で不安になっていたときに、優しく、慈しむように見守ってくれていた、あなたに。

 

「……ええ、いってらっしゃい」

 

 最後に見るあなたに、そんな顔をさせたかった、わけでは。

 ああ、何と言えばよかったのだろう。自身の後に竣工された娘たる航空母艦達が次々と沈んでゆくのをただ、ただ静かに見送り。涙を流さず、ただ己の中で深い悲しみに暮れるあなたに。

 何を、言えば。

 ─ああ、できることなら、大和は。

 あの人の笑顔を。もう一度、あの人に。ただ、─と。言いたかっ───ザ、ザ、ザザザザザ!!!

 

 

「大丈夫か!!!」

 

 急に視界が開ける。光だ、と思わず大きく息をついた。

 

「っ、は」

「大丈夫ですか!」

「は、い」

 

 どくどくと、鼓動が嫌に耳に響く。それでも、前回よりも自分を保っていられていることを自覚し、安堵する。

 

「大、丈夫です」

 

 息を整え、二人を見返す。その様子に二人はほっと息をついた。

 

「よくやった。大和の艦魄が微かに反応している」

「本当ですか」

「ああ、まだ実戦に出せるレベルじゃねぇがな」

 

 大和の記憶を覗き見た。ただ、それだけだ。果たしてなにが認められたのかわからずじまいだったけれども、それでも進展があったことに喜びを感じていたら。

 

「─」

 

 バッと工廠の開け放たれた入り口を振り返る。

 

「おい、どうした」

「……いえ」

 

 あれは。あの、声は。

 

「体力を消耗しているでしょう?続きをやるにしても、また別の日にしましょう」

 

 提督のその言葉に頷いて。また、入り口へと視線を戻す。

 

『─マッテイルゾ。姉サン』

 

 海風に乗って、今までより鮮明に。海からの呼び声が、聞こえた。

 

 

 一人、海上を緩やかに航行していく。

 

「……こんな任務ばっかだと、体がなまっちまうなぁ」

 

 ぼやいたところでそれを拾うような相棒は居ない。そりゃそうだ、この海域には滅多なことでは深海棲艦は現れない。このくらいの簡単な任務なら一人で十分。

 

「くそっ」

 

 こんなところでまごついている場合ではないのに。左目を失ったことで、色々な不都合が出てきた自身を上はこの腑抜けた平和な泊地へと追いやったのだ。もう、オレは戦える。片目を失うことによる距離感の喪失を補えるよう、五感を死に物狂いで研ぎ澄ましたのだ。早く戦場に、龍田のところへと戻らねば。

 

「─なんだぁ?」

 

 違和感を覚えて立ち止まる。この辺は小さい島とも呼べぬ陸地が点々と存在するのだが、その一角に深い霧がたちこめていたのだ。

 

「……」

 

 妙だ。この天気で、あそこに霧が発生しているのは、明らかにおかしい。念のために提督にあらかじめ信号を送っておき、慎重に近づく。

 

 ─ゾクリ。

 

 自身の肌が粟立つのと同時に、主機を一杯まで叩き込んでその場を急加速で離脱する。それは、常に戦場に立ち続けた己の経験。ここにいては、まずいという感覚。

 

「─!!!」

 

 直後。轟音と共に、自身の体が吹っ飛ばされた。

 

 

 宿舎の外に備え付けてある木製の丸テーブルと椅子。外で紅茶が飲みたいと駄々をこねておやっさんに作ってもらったものだが、無骨な見た目に反して繊細な感性の持ち主の彼によって作られたこのテーブルは、それこそテーブルクロスでもかけてしまえばまさに英国式ティーパーティにふさわしい可愛らしさを兼ね備えていた。

 そこに一人腰掛け、のんびりとひなたぼっこを楽しむ。さすがに一人で紅茶を飲むのはさみしいというものだ。昔はそれこそ比叡達と頻繁に飲んでいたものだけれど。あの娘達は元気だろうか。あの頃からもう十数年経っているから、もう世代は入れ替わっているだろうけど。

 

「金剛さん」

 

 目を閉じてうとうととしていたら、声をかけられたのでそちらへと顔を向けた。

 

「ハーイ、大和。今日は日差しが気持ちいいですネー。一緒にひなたぼっこでもどうですカー?」

 

 にこやかに話しかけるも、大和は緊張した面持ちで黙って立っているだけだった。その様子を見て、ぽんぽん、と空いている椅子を叩いて着席を促す。

 

「紅茶はありませんが。良ければお話しまショウ」

 

 そう言うと、こちらの言葉に従って彼女は静かに椅子に座った。

 

「ここは穏やかでいいところデース。不満があるとしたら紅茶仲間が全然いないことですネ。みーんな飲み過ぎだと言って付き合ってくれないんですヨー」

「……」

「鳳翔は緑茶派デスし。テイトクはコーヒー。さみしいもんデース」

「……金剛さん、は」

 

 沈黙があまり好きではないので、ペラペラとどうでもいいことを喋っていたら、大和がゆっくりと口を開いた。

 

「声を。聞いたことは、ありますか」

「声、デスかー?」

「はい。海に出ると、呼ばれているような、気がするんです」

 

 そう言ってこちらを見つめるその顔には、微かな怯えが見て取れた。

 

「……毎回じゃないデスが。ありますヨ」

「それは」

「ワタシ達は表裏一体、引き合うのは必然ですからネー。宿命というものデース」

 

 あの娘は、大和の生まれ変わりではないですか?その言葉がストンと胸に落ちた。人の身でありながら、妙な懐かしさを感じるのも、そういうことなのだろう。

 

「それは、どういう」

「この金剛はとーっても優しいので。特別にミナサンが知らないことを教えてあげまショウ!内緒ですヨー?」

 

 この娘には、知る権利があると思った。こちら側に、知らず知らずのうちに迷い込んで来ているこの娘の、道しるべとなるものを。

 

「深海棲艦、とは、その実態を悟られないよう名付けられたものなのデース。モンスターっぽい名前デショー?中々うまくカモフラージュしてくれていマース」

 

 この娘を守るために。あの不器用な友人を悲しませないために。

 

「……何を、言って」

「─その本質は。ワタシ達が艦魄に閉じ込めているモノと一緒」

 

 知恵を。与えなければならないと。

 

「深海棲艦とは、堕ちた艦艇の神々。要は艦艇の付喪神が祟り神となったものデース」

 

 その上で、彼女に決断をしてもらわねばと。思った。

 

「海域を切り開けば切り開くほど艦娘の種類が増えていくのは、祟り神の浄化に成功し、艦魄が手に入るからなんですヨ」

「……」

「艦娘達の。ワタシ達の攻撃は、彼女らへの手向けなのデース」

 

 だから人じゃ倒せないんですヨ、と告げて、ぐっと伸びをする。さやさやと心地のいい風を堪能していると、大和がその重い口を開いた。

 

「……あなたは。なんなのですか(・・・・・・・)?」

「察しのいい娘は嫌いじゃないデース。そうですネー、端的に言えば神様デース、そこにいるのと同じ」

 

 大和の首にある金属輪を指差す。

 

「このことは内緒でお願いしマース。お供えなんかよりも自分でギンバイする方が何倍もスリリングでエキサイティング!」

「……まさか、艦娘はみんな」

「あ、それは違うヨー。ワタシのような存在は始まりの四隻と呼ばれている四人だけデース。現に大和は人間デショー?」

 

 もっとも、あなたは割とこっち側ではあるけれど。それを言う必要はない。

 

「それでも。艦娘自体は普通の女の子であったとしても。艦艇同士の縁というものは、その娘達を巻き込む程に強いんですヨ」

 

 同型艦は、姉妹艦はお互いに引き合う。例え他人同士であったとしても何か通じるところがあり、そして時には艦艇の辿った歴史をなぞるように追体験するような娘すらいる。天龍が事故で左目を失ったのも、そういったものが多分に関係するだろう。

 

「縁が、お互いを手繰り寄せる。声が聞こえると言いましたネー?」

 

 大和の艦魄が引き上げられたとき、予感はあった。姉妹艦は互いに互いを求める。それは、向こう側にいようが、こちら側にいようが関係ない。

 

「きっと大和を呼んでいるのは。……大和型戦艦二番艦。戦艦、武蔵、ですネ」

 

 思い当たる節があるのか。大和は顔を強張らせて固まってしまった。これは、思ったよりも時間がないのかもしれない。隠居生活も割と気に入っていたけれど、まぁ仕方がない。

 

「戦わないという選択肢ももちろんありマース。でも、この宿命からは逃れられない」

「……」

「巻き込んでごめんネ。逃げても責めはしないデース。大和の運命は、人の身には重過ぎる」

 

 推定魚雷二十本以上。被爆十七発以上、至近弾二十発以上を受けてもなお航行能力を保った不沈艦と名高い戦艦武蔵。少々荷が重いどころではないが、それをこの少女一人に背負わせようとしている上層部の好きにはさせない。これは自身が戦艦であることに対しての矜持ももちろんある。

 

「なんたってここには心強い味方がいっぱいいますからネー!大和一人いなくたってへっちゃらデース!」

 

 半分は強がりだ。あの不沈艦を相手に取るには、あまりにもこちらの戦力は心もとない。それでも、怯えず、引かず。

 

「……それでも。大和がワタシ達の仲間になってくれるのだとしたら」

 

 仲間を信じ、自身を信じ。

 

「その時は、私達が。全力で、力になりまショウ!」

 

 あなたを、信じて待つだなんて。自分勝手もいいところだけれど。仕方がない、だって。

 

『─泊地内にいる艦娘は、候補生関わらず速やかに執務室へ集合せよ』

 

 けたたましい警報と共に、テイトクの声が響き渡る。

 ─敵は。相手は、こちらのことを待っては、くれないのだから。

 

 

 ここにこんなに艦娘が集まるのはいつぶりだろう。元々そこまで広くもない部屋だ、寿司詰めのぎゅうぎゅうである。そして、みんなの顔には一様に緊張が見て取れた。当然か。

 

「天龍。報告を」

「遠征からの帰りに、新型の深海棲艦を見つけた」

 

 ところどころに擦り傷、衣服の破れ。その損害は小破程度ではあるが、彼女の顔には悔しさと怒りが滲んでとれた。

 

「戦艦…いや、超弩級戦艦だな、ありゃ。一発、当てこすり程度の攻撃をして。オレを追うこともせず、笑ってやがった」

 

 あいつ、あえて見逃しやがった、と吐き捨てるように彼女が続けた。

 

「ご苦労。これより、当泊地は新型深海棲艦に対して迎撃体勢へと移行します」

 

 ざっと皆を見回す。これから私は酷なことをする。この瞬間はいつだって好きになれない。それでも、やらねばならないのだ。己の、仲間のために。

 

「討伐艦隊。旗艦、金剛。その他、陽炎、不知火、鳳翔とします」

「おい待てよ!!」

 

 言い切った瞬間に天龍が噛み付いてくる。

 

「オレも連れてけ!!」

「ダメです。入渠してきてください」

「こんなんかすり傷だ!いいから、オレを!」

「─入渠を」

 

 圧をかけて、黙らせる。わかっている。やられっぱなしは、戦いに出られないのは辛かろう。それでも。

 

「悪いようには、しません」

「……」

「信じて、もらえませんか」

 

 あなたは十分に強い。戦力外通告を受けてここに流れついてきたけれど、ここはあなたには似つかわしくない。すぐにでも龍田のいる最前線へと戻すつもりだった。それくらいには、あなたのことを戦力として認めているのだと。その気持ちを言葉に込める。

 

「……くそっ」

「ありがとう」

 

 そして、またぐるっと見回して言葉を続ける。

 

「討伐艦隊は以上。残りは待機です」

「ま、待ってください!!」

「私達も戦えます!!」

 

 うん、それも見越していましたよ。異議を唱えた二人、若き艦娘の蒼龍と飛龍に目を向ける。

 

「ダメです」

「なんでですか!!」

「私達も艦娘です!!」

「あれは、初陣を飾るべき相手では、ない」

 

 これが普通の討伐であればもちろん戦力に入れていた。それくらいにはうちの戦力は逼迫している。だけれども、相手は恐らくあの戦艦武蔵。むざむざ死なせに行くことはできない。

 

「あなた達のことを弱いと思ったことはありませんよ。でも、あなた達まで出撃したらここは空っぽですよ。候補生達には荷が重い」

「……」

「だから。彼女達が帰るべきこの場所を、守ってくれませんか」

 

 悔しさで唇を噛みながら押し黙る二人。ごめんなさい、と心の中で謝って、視線を他方へと向ける。

 

「それと。鳳翔、金剛両名に改式、改二式許可を与えます」

 

 引き出しから小箱を二つ取り出し、机にことりと置く。この中には指輪が納められている。もう使うこともないと思っていたけれど。金剛の顔がこわばった。それを視線でなにも言うなと釘を刺す。なぁに、高々一回の艦隊決戦。高々二人の神様の高次元艤装を保つくらいの霊力も、一々小煩いこの右手も、御してみせる。

 

「作戦は追って指示する。本作戦はヒトヨンマルマルより決行。以上、解散!!」

 

 私の号令に相反して、皆がそれぞれの思惑を抱えて佇む、その中で。

 

「─」

 

 ただ一人。足早にこの場を後にしたその娘を。私は、黙って見送った。

 

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