『ワンダーランド』本拠地倉庫、ダイニングキッチンルーム。寝ぼけ眼のアリスとディー&ダムが、おぼつかぬ手でグレイビーソースがかかったパンケーキという妙ちきりんな食べ物をもそもそと食している。その横では、普段通りの黒スーツを身に纏ったホワイトが、かなりの速度でシーザーサラダを口に運び続けている。
「よォ野郎共、アンハッピーバースディ!」
「んん……おはようハッター……。」
いつもの低い声ではなく、年相応のかわいらしい声で、アリスは部屋に入ってきたハッターに挨拶する。ハッターはアリスの向かいに座り、既に手元に置かれていたアーモンドミルクを飲み干し、アリスに話しかけた。
「お嬢ー。やっぱアンタそのまんまでいた方がいいぜ、何かとよォ。」
「んー……。いざとなりゃ猫被れるし……。」
「意識あるんだな……。あ、マーチ! 俺スクランブルエッグな!」
キッチンに立っていたエプロン姿のマーチが手を振って応答すると、ハッターは背もたれに大きくもたれて、今度はホワイトに話を振った。
「ホワイト、今日の予定はどんな感じなんだ?」
「今日は特に用事は無いな。強いて言うならドルフィン嬢に会いに行く程度か。」
「げぇ、ミス・ドルフィンかァ……。そりゃまたどうしてだよ?」
「FOL社の最新式ガンシップを入荷したらしい。ついでにハインドでも買えれば重畳だな。」
「置く場所あんのかァ?」
「地下ならまだある。」
マーチがハッターの前にスクランブルエッグが盛られた皿を置くと、いったんそこで会話をやめ、ハッターはスクランブルエッグをトーストに乗せ、速くもなければ遅くもないスピードで食べ始めた。
そこへ、バンダースナッチを連れた、アゲハ柄の着流しを片肌脱ぎで身に纏う、アジア風の顔立ちの青年が現れた。
「あぁ、ラルヴァか。珍しいな。今日は一番遅かったぞ。」
ホワイトにそう言われ、青年は手にした煙管をすぱ、と吸い、微笑んで見せた。
「夜更かしが過ぎてしまったものでね。」
彼は情報戦や敵情偵察などを担当する日本人、『ラルヴァ』。自称ニンジャである。ラルヴァは戸棚からドッグフードを取り出してステンレス製のフードボウルに盛り、バンダースナッチに差し出すと、自身は冷蔵庫から白米を取り出し、レンジで温め、生卵をその上に割り、醤油をかけたものをさくさくとかきこんだ。
「ラルヴァ~……。いつも思うけど、それうまいの……?」
「おいしいよ。日本人のソウルフード、『卵かけご飯』さ。」
「ジャパニーズのソウルフードはスシなんじゃねぇの?」
「アメリカ人が毎日ハンバーガー食べてないのと一緒だよ。」
眠そうなアリスの質問にも律義に答え、食べ終わった食器を流しに置き、ダイニングキッチンを後にする。
「アリス、目が覚めたら僕の部屋においで。今日は数学と体育だよー。」
「んー……。」
鷹揚な返事を受け取り、ラルヴァがドアを閉めると、各々食事の終わったホワイト、ハッターもマーチに食器を渡し、部屋を去っていく。結局、最後まで残ったのは、食事中に寝落ちしたディー&ダムと、舟をこぎながらパンケーキを食べるアリスだけだった。
アリスは「学校」と名の付く教育機関に入学した経験がない。それでも今こうして何でも屋のリーダーとしてそこそこ立派にメンバーを引っ張っていけているのは、その天性のカリスマもあるが、ジャックドッグのスラム集落、ストリート・ザ・ボッグで、死にかけのアリスを助けたラルヴァが直々に勉学を教えているからでもある。
「……アリス。」
「……んだよ。」
そんなアリスは、ペンを弄りながら、今まで自身がノートに書きこんできた中学生レベルの数式を睨んでいる。ラルヴァは呆れ笑いを浮かべながら、煙管片手に数式の相違点を指摘する。
「ここ、計算が違うよ。」
「うっせぇ! んなもん言われなくてもわかってんだよッ!」
「はいはい、それじゃ正そうね。」
アリスは彼女らしくもなく青筋を立てつつも、素直に消しゴムを使って数式の一部を消し、また書き直した。
「……ん、できた。」
「はい、正解。よくできました。」
アリスが大仕事でも終わらせたかのように大ため息をつきながらどっかりと椅子に深く座りなおした時、アリスの背後のドアが開き、アリスはイナバウアーのような体勢でそちらを見た。
「授業は終わったか、ラルヴァ。」
それは、黒塗りの高級セダンのカギを指でくるくると回すホワイトだった。
「うん、今しがた終わったよ。」
「わかった。アリス、ドルフィン嬢のところに行くぞ。」
「マジ!? 行く行く!」
アリスは目を輝かせ、椅子からぴょこんと飛び降り、ホワイトを追い越し、車庫に走っていった。ラルヴァとホワイトは顔を見合わせ、やれやれと肩をすくめるのであった。
副流煙が充満する車内で、アリスはひとりいつもの悪役のような含み笑いをしていた。後部座席では、ディーとダムが通称『指切りじゃんけん』で遊んでいる。じゃんけんで負けた方が指を一本切り落とされるという、狂気の遊戯だ。再生能力が異常に高いフシギを持った二人だからできる芸当だろう。
「その血しぶき、誰が掃除すると思っているんだ……。」
ホワイトのため息もスルーして、アリスは本日十二本目のタバコに火をつける。
「いいじゃねぇかよ、ホワイト! 子供は風の子元気の子、ってラルヴァも言ってたぜ!」
「本当にドルフィン嬢の元へ行くとなると機嫌がよくなるな、アリスは……。」
陽気に鼻歌を歌いながら、アリスは何度も話題に上がる『ミス・ドルフィン』の滞在するホテルへと向かう。
ジャックドッグ一の歓楽街、リングホールの一画にそびえ建つ高層ホテルの地下駐車場にセダンを停め、一行が下車すると、そこには角刈りの金髪の青年がいた。身長はホワイトと同じくらい高い。マガジンポーチ付きの防弾ベストを身に着け、M16を装備した青年は、アリスに向かって気さくに挨拶した。
「ヨッ、アリスちゃん、元気してたか?」
「レグルス、毎度思うけどよ、んだよそのフル装備! 別にわたしら相手に警戒することもねぇだろ!」
「アリスちゃん、こいつが俺たちの仕事なんだよ。俺ひとりで出迎えしてる時点でかなり警戒してないんだぜ?」
『レグルス』というその青年は、エレベーターホールまで一行の先頭に立ち、まるでボーイのように、最上階のひとつ下の階のスイート・ルームまで案内した。
「ドルフィン! アリスちゃん御一行がご来店だぜ!」
レグルスが呼びかけると、部屋の奥から、アリスと同年代ほどの少女がひょこっと顔を出した。
「やぁアリス!」
「よぉミシェラ!」
沈みかけの夕日のような赤毛の少女は、アリスの元へ駆け寄り、盛大にハグをする。
「アリス、ホワイトさん、ディーちゃんダムちゃん、ようこそミス・ドルフィンの武器商店へ! あいにくと散らかっちゃってるけど、まぁとりあえず座ってよ! ティーポット! みんなにお茶出して!」
そう言ってアリスとホワイトを窓辺のソファに案内するこの少女こそ、何度も一行が口にしていた、『ミス・ドルフィン』、若き天才武器商人である。
ソファにアリスとホワイトが腰掛けると、『ティーポット』と呼ばれた細い眼をした黒人の大男が、三人分の紅茶を出す。見回せば、部屋のあちこちに老若男女問わず、十二人の人がいる。彼らはミス・ドルフィンの護衛であり、私設傭兵集団『イルカ座』のメンバーである。レグルスやティーポットもそのうちのひとりだ。
「さて、先日連絡した通り、実はFOL社の最新式ガンシップが本社のほうに入荷してねぇ、やっぱ最初はイチバンのお得意様であるアリスたちに売ろうかなと思ってさ!」
「武装は?」
イルカ座の面々にお菓子をもらったり遊んでもらったりしているディーとダムを見守るアリスのかわりに、ホワイトが交渉に応じる。
「四連対戦車ミサイルポッド二基、7.62ミリミニガン二基、赤外線探知カメラとステルス機能、おまけに今なら小型レールガン一基付けちゃうよ!」
「案外普通だな。」
「はっはっは! ボクが売る武器が普通だったことが一度でもあった?」
「まだ何かあるのか?」
「対放射線、対戦車くらいじゃビクともしない防弾性、おまけにセ氏六百度までなら耐えうる耐熱装甲、さ。」
「メチャクチャだな……よくそんなものを開発できたものだ。」
「お褒めにあずかり光栄だね。」
ミス・ドルフィンがタブレット端末でガンシップのカタログをホワイトに見せている間、アリスはイルカ座のひとり、最年長の壮年傭兵、『アルディ』に話しかけていた。
「何でまたこの街に来たんだ?」
「ちっとソルフィスタンの兵隊サンに武器売ったらよ、敵ゲリラ残党の間でミス・ドルフィンの心臓に賞金かけられちまってな。ジャックドッグにトンズラ中なのさ。」
「ハッ、ご苦労なこったなぁ、わたしらが護衛してやろうか? 料金はまけるぜ。」
「オイオイお嬢、俺たちがただのミス・ドルフィンの愉快な仲間たちだと思ってんのか? 俺たちだって『ワンダーランド』に負けず劣らず精鋭部隊だって自信があるんだぜ?」
「ここにダンテがいなくて良かったな。」
売買交渉が終わったらしいホワイトが、紅茶をすすりながら呟く。
「恐らくそのゲリラ集団はダンテが元々所属していた組織だぞ。あいつもソルフィスタン出身だしな。」
「そういえばダンテくんが見当たらないね。いつも一緒だったじゃないか? あれ? ボクの思い違い?」
「いや、アイツならトランクの吸血鬼だぜ。」
一行がスイート・ルームを後にしようとしていた時、ミス・ドルフィンが、アリスを呼び止めた。何かを思い出したように部屋の奥に走っていくと、数分して、銀色の何かを抱えながら戻ってきた。
「これこれ! 本社で開発された最新式のガンソード! ……の、試作品。」
「ガンソード?」
それは、グリップ部分にトリガーが、鍔付近にシリンダーが、七十センチほどの片刃の刀身に沿うように銃身が装着された、銃のような剣だった。
「ま、見りゃわかるでしょ? 実は今本社で強化人間計画が進められててさ。まぁ人体改造によって身体能力が向上した人間がコレを持つと、半端ない破壊力が得られるんだって。で、テストしようにも本社の理事会が人体実験を嫌っててさ。要は人間の限界を無理矢理ぶっちぎらせるための実験だからさ。」
「長い。三語で言え。」
「Please participate in our experiment (実験に付き合ってください)!」
「オーバーしてるじゃねぇか。……わたしは実験なしでも強化人間みたいなもんだから、ってか?」
コクコクと頷くミス・ドルフィン。アリスは利用されることに苛立ち交じりのため息をつき、ガンソードをひったくった。
「アリスアリス! つけられてる!」
「アリスアリス! 追跡されてる!」
その帰途。後部座席のディーとダムが、緊迫した声をあげた。
「ホワイト。」
「あぁ、すぐ後ろのマツダだろう。わかっている。」
「ガキ共! どこのどいつかわかるか!」
双子がリアガラスから後部を伺い、運転手の人相を確認する。
「アリスアリス! 中東系!」
「アリスアリス! ソルフィスタンのゲリラ組織のマーク!」
「チッ、わたしらをミシェラの仲間だと勘違いしやがったか……。」
「ドルフィン嬢のほうも今てんやわんやだろうな。」
次の瞬間、ディーが鋭く悲鳴のような叫びをあげた。
「Ak-45!」
そして、自動車の後部から、カンカンという金属音が響いた。
「降伏勧告ってかよ。こちとら防弾性だっつの。ガキ共! そこどけ!」
アリスが後部座席に移り、改造によって無理矢理付けたガラスハッチを開け、セダンの屋根から上半身を出す。手元にはミス・ドルフィンからもらったガンソード。後方の車の後部座席の窓から身を乗り出して小銃を構える中東系の男に向かって引き金を引く。
しかし、その瞬間アリスの眼の奥部に激痛が走った。
「っぐぅううあああ!!?」
弾倉に入っていた弾は発射されず、弾倉自体も回転しない。激痛に呻きながら、銃弾の嵐の中を、車内に戻るアリス。
「アリスアリス! しっかりして!」
「アリスアリス! 気をしっかり持って!」
脂汗を垂らし、肩で息をする。ディーとダムに背をさすられ、眼を押さえながら、シートにもたれかかった。
「ミシェラの奴……不良品かましやがった……。」
「いや、そのガンソードは強化人間に対して使うと彼女は言っていた。フシギを起動していないアリスは一般人なんだから、拒否反応が出たということなんだろう。」
ホワイトの推論に、アリスは舌打ちし、ついに激痛の中で意識を失ってしまった。
「ディー、ダム。敵は何人だ。」
「運転手ひとり!」
「射手四人!」
「……ダンテ! 出番だ、起きろ!」
ホワイトの号令の後、セダンのトランクハッチが勢いよく開き、バレットM82を手にしたダンテが現れた。しかし、そこで銃声が止み、スナイパーライフル特有の重い射撃音も聞こえない。代わりに、何やら聞きなれない言語の怒号が飛び交っている。
「ホワイト、ダンテが何か話してる。」
「ホワイト、ダンテの話してる言葉、何?」
「ペルシャ語だな。彼の母国語だ。――恐らく、過去の仲間だったのだろう。」
「ホワイト、危なくない?」
「ホワイト、ダンテ裏切らないかな?」
「……お前たちはダンテを見くびりすぎだ。あいつは、そんな奴じゃない。」
そうホワイトが言った直後、四発の重低音が響き、最後に一発、そして、背後で爆発音が轟いた。ガタガタと揺れるセダンの、トランクハッチが閉まる音がする。
「よくやった、ダンテ。」
ホワイトの賞賛に、ダンテの小さな声が応える。
「……オレには、もう家族がいるんだ。」
何があったのかはあえて聞かず、ホワイトはただ、本拠地へとセダンを走らせた。