夜闇に輝ける灯火
オータムサンドはビルだらけの近代都市であるという。そのことに間違いはない。
だが、本当に
オータムサンドは広い街だ。聖杯戦争をする為には、ビル群以上に広いスペースもなければいけない。
聖杯戦争の為に作られた街――オータムサンド。この場には全てが揃う。
さらには夜の外出禁止令が存在し秘匿はほぼ完璧と言っても良い。
そして此処は街の一角に存在するサッカーグラウンド。ここでランサーは魔力を放出し続けている。
つまりは釣り餌である。聖杯戦争の勝利を求めるマスターには、無視する事は出来ない。だが、馬鹿正直にサーヴァントを戦わせる事もしないに違いない。
しかし、いずれ倒さねばいけぬ相手。ランサーのマスター――セシーリアの予想では、一体くらいは戦う相手が出てくるであろうとの事だった。
「……マスター。あとどの程度此処にいればよいので?」
『うーん。あと一時間で来てくれればいいですわね。挑発もしましたし、分かり易いとは思うのですけれど……』
彼らが話すのは念話。実体化ではない霊体化時や現在の様に遠くにいて会話のできるもの。魔術的な
その数十分後、ランサーとって待ちに待った存在が現れる。空から。
縦に数十メートルはあるであろうサッカースタジアムを飛び越えたかのようにそれから落ちてきたのだ。
「……っ!」
現れたのは、まるでボディビルダーかと錯覚する様な男。身体中を余す所無く鍛え上げたと思わしき存在。茶髪を乱雑に切り取った青年。そのクラスを、ルーラー。
「む? 気になってきてみたが、戦っとるわけじゃないんじゃな」
「……何者だ?」
「ああ、攻撃せんでくれ。儂はルーラーじゃ。聖杯を奪い合う気は無い」
ルーラーは聖杯を奪い合う戦争には関与しない。聖杯が人類を脅かす目的に使われるのを阻止する。もしくは、聖杯戦争そのものを管理するための存在だ。
故に、争う七騎のサーヴァントはルーラーを捨て置く。味方にするならばともかく、敵にすれば恐ろしい事この上ないからだ。
だが――。
『――ランサー、殺しなさい』
「……イエス。マスター」
「なっ……!?」
ランサーはルーラーに槍を向けた。
ルーラーも驚愕する。ランサーが放つ一撃を、完全に避ける事はできなかった。
その一撃はルーラーの右腕へと命中し、赤い血が迸る。
ランサーは槍を抜き、ルーラーは距離をとった。
他のサーヴァントを従わせる事も可能なルーラーに喧嘩を売るなど自殺行為に等しい。ルーラーに恩を売りたいマスターは多くいるのだ。
『――ですが、そのルーラーが本物である保証などありません』
「マスターであれば、クラス名程度わかるのでは?」
『それが偽りである時もあります。その様なスキルを持つサーヴァントもいるでしょう』
ランサーは距離を詰め、ルーラーは距離を開ける。ランサーなど常時目を閉じているにもかかわらず、ルーラーの存在を確実に捉えていた。
ランサーの木槍、更には彼自身の胸に刻まれた文字が光る。
その瞬間ランサーの速度は著しく上昇し、ルーラーとの距離を完全に詰めた。
「くっ……!」
『そして――』
目と鼻の先。ランサーの美しい木の槍を突き出せば届く距離。当然、この瞬間をランサーは見逃さない。初撃よりも明らかに近づいた距離。より強力な一撃を喰らわせられるであろう事は想像に難く無い。必殺に限りなく近い間合い。
だが、そこは
「ふんっ!」
『――この聖杯戦争の何処に、
マスターが語るその言葉を脳裏に、ランサーは翔ぶ。片側のゴールポストにいたはずが、既にもう片側まで届いていた。
現代で見ても大して大柄で無いランサーの槍と恐ろしい程の巨漢であるルーラーの拳の間合いは、ほぼ変わらないと言っていい。さらにルーラーは攻撃の時明らかに巨大化した。そして、ルーラーが殴る時に使ったのは、
故に、ランサーは見誤った。
「攻撃が重い……」
ランサーは血を吐き、ルーラーが流すはずの血は既に無くなっていた。奇襲の有利は消え、ランサーには不利だけが残った。一瞬の有利は、それこそ一瞬で返される。
ならば――。
「仕切り直そう」
ランサーの自分に言い聞かせる声。ゴールポストを突き破り、壁にめり込んでいたランサーは体を起こした。槍に刻まれた文字の一つが光り輝き、ランサーの傷は一つ残らず消え去る。
条件は振り出しへと戻った。
「これは、離れるべきかのぅ」
「逃がさない」
「実に手厳しいわい」
ランサーとルーラーは互いに距離を詰め、槍と拳を打ち合わせる。どちらも金属では無いにも関わらず、硬いものがぶつかる音が響く。一合、二合、三合とぶつかり、その衝撃波ですら常人が卒倒するほどだ。
例えるなら、神話の戦い。そうで無くとも、人外同士の戦闘だ。夢か現実かの境さえ、曖昧になっていく。
ルーラーはランサーと戦う理由などない。本来、この場を離れるべきなのだ。だが、このランサーこそが自分が呼ばれた理由ではないかとルーラーは考えた。
前述の通り、ルーラーと戦うのはリスクが大きい。まともなマスターとサーヴァントはルーラーとの戦闘を選択しない。
だが、このランサーはそれを選択した。そして、マスターもそれを望んでいるのだろう。その者は――危険だ。
そのマスターは
故にルーラーは、相手の真意を知るべく拳を打つ。本来参加者の不利を行わないルーラーにしては、実に珍しい事だろう。
なにせ聖杯戦争における始めの戦いが、ルーラーとランサーであるのだから。
一分足らずの攻防、まるで決着は付かずにいた。
どちらが不利かと言われれば、ランサーであろう。ルーラーは他のサーヴァントを制する事も可能な強力な存在だ。ランサーは殺す気でやっているにも関わらず、ルーラーは必要以上に潰さないよう加減をしている。明らかに地力が違う。
さらには――。
「目が見えぬのか……」
「……!」
ランサーがずっと目を閉じている事が、ルーラーには不思議でならなかった。一応ルーラーのことを捉えているようだが、観察すれば完全ではないことがすぐにわかる。遠近感、知覚範囲、命令系に伝わるまでの速度、その全てが視覚の消失というペナルティを負っていた。擬似的な感覚では限界もあるのだろう。
この時点で、ルーラーに負けの目はなかった。
――そして、一人の乱入者が現れる。
「――やあやあ! 我こそはライオンの騎士! クラス名ライダーである!!」
本来サッカーチームの入場するであろうゲートから現れた騎兵。簡素なロバに跨る貧相な騎士。白髪を持ち、全盛期はとうに過ぎた英霊には見えぬ存在。――ライダー。三騎目の英霊が、姿を現した。
***
「ライダー。三体目の英霊。想定より、遅いですわね」
この街で五指に入る程の巨大なビルの屋上にて、セシーリアは呟く。
その右目に光り輝く文字は、街に入る時に使ったものとは違う。さらには左目は閉じられ、顔は戦闘の場を眺めている。
右目には擬似的な千里眼を生み出すコンタクトレンズ。千里眼といっても、視力を極端に上げるだけの目新しくはないものだ。言ってしまえば望遠鏡。完全に監視用。この様な物見場所が無ければ使えるものでもない。
そして左目は、ランサーの擬似視界とリンクしている。セシーリアの力によって、ランサーが擬似視界を手に入れているからこそできる芸当だ。
「ランサー。標的を変更。ライダーを襲いなさい」
『イエス、マスター』
この場においてもルーラーにこだわり、共闘でもされれば厄介極まりない。だが、ルーラーを捨ててライダーを攻撃すればルーラーも度を越して追っては来ないだろう。
つまり、ライダーとほぼ一対一となる。
仮にルーラーがランサーを攻撃し続けるなら、それもまた良し。令呪を使わずに撤退させる手段は確保している。
そう思考して、セシーリアは視線をあげた。左目を開き、コンタクトレンズを外す。
「――こんばんは。お姉さん、
セシーリアの背後から声をかけて来たのは黒髪の少女。浅黒い肌に肩を軽く越す黒髪と白いワンピースの対比がよく似合う。稀に見る美少女であるという事を除けば、何処にでもいそうな少女であると言えるだろう。もっとも、この夜に出歩いている時点でマトモではないが。
「どちら様ですこと? わたくし、あなたの様な方は記憶にございませんが?」
「嫌だなぁ。会ったじゃない、午前に」
「午前? 観光をしていましたが、何処かですれ違ってでもいましたか?」
セシーリアは記憶を探る。だが、
「酷いなぁ。本当に忘れているの?」
そう言いながら少女は何処かからカップを取り出す。三人の少女の描かれた特徴的なものだ。何らかのブランドのものだと推察出来た。
だが、それをセシーリアは覚えていない。
「ホントーに酷いねぇ。お姉さん。まだ思い出さないんだぁ。これは本当に、覚えていないっぽいなぁ」
少女はそう言いながらコップを逆さにする。当然、コップの中の液体は地に落ち、周りに飛び散らかした。紫色の、鮮やかな液体だ。
「ごめんなさいね。全く覚えていないわ」
「ひっどいなぁ。人の事覚えてないとか、サイテーだよ?」
少女は子供らしく、セシーリアを罵った。だがその言葉は冗談めかしている物で、誰が聞いても怒りを覚えることはないだろう。
セシーリアは思考する。やはりこの少女はマスターの一人であろう。この場にセシーリアがいる事にも不審に思っていないというのもその推理に拍車をかけていた。
何より、
「しょうがないなぁ。自己紹介してあげる」
「ええ。お願いしますわ」
「あたしはこの街に最近できた店『ムナカタ』の看板娘の一人で、トリー二っていうの」
セシーリアはその名に聞き覚えはない。だが、『ムナカタ』という店名には見覚えがあった。確か、可愛らしい少女達と中毒性すら存在するジュースが売りの店だ。一度通り、声もかけられたが混んでいるので素通りした。
そう言われてみると、その少女と眼前の少女は同一人物である気がする。とセシーリアは思った。
そこで、フラッシュが焚かれる。
目の前を見れば、トリー二がスマホのカメラをこちらに向けていた。
「……何かしら?」
「いやー。お姉さん本当に
トリー二がナイフを取り出す。紫色で覆われた奇妙なものだ。セシーリアも戦闘をすると考え、懐の礼装に手を伸ばす。
そして、トリー二はナイフを投げる。
愚直な一投。速度こそ常人には脅威であろうが、セシーリアには問題にもならない。
セシーリアは即座にナイフを弾き飛ばす。
「あー。流石に舐めすぎたかなぁ? じゃあ、次は真面目にっ!」
トリー二が次のナイフを投げる直前、前のナイフの落ちた位置――トリー二の足元にセシーリアは目をやった。
そこではナイフが
視線を戻せば二本のナイフがセシーリアを外れて地面へと刺さった。防御する必要などない程の完全な外れ方。
セシーリアはこれ幸いと攻撃用の魔術を発動させようとする。
だが、二本のナイフは
「なっ……!」
「アハッ! 潰れなさい。その綺麗な顔がグッチャグチャになれば良いのよ!
セシーリアは立つ場所を失い、重力に身を任せざるを得なかった。
だが、セシーリアは最後に
その表情を不思議に思ったトリー二はセシーリアの視線先を追った。そこにあるのは、トリー二には理解出来ない
「
「……っ!」
ビルの最上階に広がる炎海。現代の魔術ではそこまで簡単には出ないであろう火力。景色の良い屋上全体に広がる紅い灯火。まるでビルが一つの蝋燭であるかのように、常闇の世界を赤く染めた。
三騎目の英霊――ライダーがスタジアムに姿を現した時、また一つ戦いの場に近づくモノがいた。
重々しい動きでノロノロと動作を確認するかの様に動く存在。
腰に付けられた、刀と思わしき
その存在は一歩、また一歩と歩みを進める。
与えられた命令をこなす為だけに。
ゆっくりと、戦いに近づいて行く。