次の日、学校の後、僕は再び公園を訪れた。桜ちゃんに会うためである。前の日の夜に僕は散々お母さんに怒られて、もう絶対に暗くなるまで遊び惚けたりしないことを誓わされた。だから、今日は明るいうちに桜ちゃんに会うことで帰るのが遅くならないようにしようと思ったのである。
公園に着くと、僕は遊歩道を進んで昨日桜ちゃんに出会ったあたりまで進んだ。明るい時間帯の公園は夜ほどには怖くない。僕はすいすいと公園の中を進んで桜ちゃんの木の下までたどり着いた。
目的地にたどり着いた僕はきょろきょろと周りを見渡して桜ちゃんを探した。だけど、桜ちゃんの姿はどこにも見つからなかった。もしかしてと思って桜ちゃんの花が咲いている木の枝を見上げてもやっぱりいない。僕はちょっぴり不安になった。前の日に出会ったはずの「桜ちゃん」はもしかしたら自分の思い込みの産物かもしれない。本当は桜の妖精なんていないのかもしれない。そう思ったのだ。
だって、僕以外に桜の妖精を見たって言う人はいなかった。実は、今日学校で桜ちゃんのことを話して友達に馬鹿にされたのだ。妖精なんているわけがないって、みんなそう言った。その時の僕は桜ちゃんはいるよって言った。自信満々に。だけど、こうして桜ちゃんが出てこないと、もしかしたら本当に僕は夢か何かを見ていたんじゃないかって気がしてきた。不安になった僕は、弱弱しく「桜ちゃん…」と呼びかけた。
「あ、はるとくん。どうしたの、そんな情けない声出して」
すると、僕の呼びかけに応えるように、桜ちゃんがすっと現れた。後ろから。僕は驚いて飛び上がってしまった。
「え、あ、桜ちゃん!」
「はいはい。桜ちゃんだよ」
僕の背後でにやにやと笑う桜ちゃんは昨日と同じ格好だった。桜色と白を基調とした淡い色の着物。着替えないのかな?と僕は思ったが、すぐに妖精の格好なんてそんなもんかと思い直した。
とりあえず、僕たちは場所を移すことにした。公園は寂れて人気が少ないとはいえ全く人が通らないわけではない。犬の散歩のために公園を使うおじいさんたちも何人か見えた。そんな中、虚空に向かって話しかけているところを見られたら大変だ、というのは桜ちゃんから指摘されたことだった。
「はるとくんが変な子扱いされるのはかわいそうだから」
そう言うことらしい。僕は桜ちゃんの案内に従って公園内の小島に向かった。池の中ほどに作られた小島は池の景観には寄与しているがそれ自体はあまり人気がない。わざわざ橋を渡って小島に行ってもうっそうと茂った杉の木以外特に何もないからだ。せめて桜の木の一本でも植えてあったら話は違ったろうが。ただ、僕たちにはそれが好都合だった。
「ここならいっぱいお話しできるね」
小島の縁のあたりに二人並んで腰かけた僕たちは色々なことを話した。学校のこと、家族のこと。公園に来る人たちのこと、姉妹と遊んだ時のこと。意外なことに、桜ちゃんはものすごく物知りだった。僕が学校の勉強のことを話したら全部知っていたし、カバンに入れたままになっていたテストの答案を見せると、僕が間違えた問題をすらすらと答えたりもした。
「お父さんが物知りだからね」
桜ちゃんはそう言った。お父さんとは桜ちゃんが咲いている木のことらしい。なんでも、公園に色々な人が来て色々な話をしていくため、桜の木はみんな物知りだとか。そして、桜ちゃんもそのお父さんから話を聞いて色々知ったということらしい。こんな寂れた公園に誰が来るのだろうとそのときは思ったが、考えてみれば公園も最初から寂れていたわけではない。きっと昔は本当に沢山の人たちが来たのだろう。
とにかく、桜ちゃんの物知りっぷりは中々のもので僕はすっかり感心してしまった。すると、すごいすごいと褒める僕に気をよくしたらしい桜ちゃんはなんだかお姉さんぶるようになった。桜お姉さんがはるとくんに色々教えてあげよう、なんて言って。なんでも、桜ちゃんは姉妹の中では末っ子だったんだとか。まあ、だからこそ最後まで花が散らずに残ったのだろう。とにかく、姉妹が姉ばかりだった彼女は弟妹という存在に憧れを持っていたんだとか。妹扱いはもう飽きたらしい。
僕としては、自分よりちょっと背が小さい桜ちゃんから弟分扱いされるのはちょっと違和感があった。ただ、一人っ子だった僕も兄弟姉妹というものには興味があったので特に文句は言わないことにした。なんだか得意げな桜ちゃんが可愛かったというのも、まあ理由の一つではあったのだろうとは思うけど。
その日、僕たちは夕日が沈みそうになるまでしゃべり続けた。最後はもっともっと桜ちゃんと話していたい気持ちになっていたけど、さすがに二日続けて帰るのが遅くなったらどれだけ怒られるか分からない。昨日以上に怒られるのは怖い。とても怖い。だから、とっても名残惜しかったけど僕は帰ることにした。ただ、最後に次の日も会おうねと指切りをした。
帰るとき桜ちゃんのほう振り返ってみると、彼女は僕と指切りしたほうの小指を眺めてなんだか不思議そうな顔をしていた。
***
次の日も。次の次の日も僕は桜ちゃんに会いに行って色々なお話をした。桜ちゃんは桜の花の妖精だけど思ったよりも動き回れるようだった。公園の中をぐるりと歩き回ることはできたし、公園の隣にある小高い丘に登ることもできた。一度どのくらいまでなら離れても大丈夫なのかと聞いてみたのだが、本人もそんなに具体的には分かっていないようだった。ただ、僕たちが遊び回るには十分なくらいの範囲には動くことができるようだった。
桜ちゃんはいつも僕の前を歩いていた。そして、あちこちの植物や野鳥を指差しては、あれはナズナ、これはメジロなどと教えてくれた。そのたびに僕はいたく感心していたけど、正直説明されたことのほとんどは覚えていなかった。ただ、桜ちゃんがとても楽しそうに説明するものだから、僕まで楽しくなってきたということは覚えている。僕たちはまるで本当の姉弟みたいに二人で野山を駆け回った。
「そういえば、桜ちゃんの花はいつまで咲いていられるの?」
ある日、僕はふとそんなことが気になって彼女に問いかけてみた。桜ちゃんと初めて会った時から花は桜ちゃんのもの以外すべて散っていた。少なくとも、僕が気づいた限りでは。だから、素直に考えれば桜ちゃんの花もすぐに散ってしまいそうなものだ。ただ、桜ちゃんはいつも元気で明るかったから、とてもとても彼女がもうすぐ散ってしまうとは思えなかった。だから、その時も僕はかなり気軽な気持ちで桜ちゃんに問いかけた。
「さあ。もういつ散ってもおかしくないわ」
だから、桜ちゃんからそんな答えが返ってきたときは心臓が凍り付くような思いがした。思わず彼女の顔を見る。しかし、その顔には自分が散りゆくことへの恐れといったものは欠片も見えなかった。最初にあった日、姉たちが散っていったことを話した時と同じ表情だ。
「…散ってなくなるのは怖くないの、桜ちゃん?」
「別に。桜は散るものよ。散って、また咲いて。そうやって循環していくの」
そういえば、桜ちゃんは会うたびに出てくるまでの時間がかかるようになっていた。それまでは桜ちゃんが意地悪をしていて、僕が彼女を探しているさまをどこかから覗き見て笑っているのだと思っていたのだ。桜ちゃんが出てくるとき、いつも僕のことを揶揄うからそう思っていたのだけど、実際は出てくるのが大変になっていたということなのかもしれなかった。
いやだ。僕の中にそんな思いが沸き上がった。それまでの数日の間に、僕はすっかりこの小さな姉が好きになっていた。物知りなところも、ころころとよく表情が変わるところも、僕の手を引いて色々なものを見せてくれるところも。桜ちゃんが散って。もう会えなくなる。そんなのは耐えられなかった。
「いやだよ。行かないで」
知らず、そんな言葉が口から漏れ出していた。それを聞いた桜ちゃんは、困ったような笑顔を浮かべて僕の頭を撫でた。
「…そうだね、私もはるとくんに会えなくなるのは寂しいな」
そのまましばらく、桜ちゃんは何も言わずに僕の頭を撫で続けた。僕も彼女になされるがままになっていた。そして、多分数分くらい時間が経った後、桜ちゃんは何かを決心したような表情でこう言った。
「よし、ちょっと頑張ってみる!」
それを聞いた僕は嬉しくなった。頑張ってみる、というのはもうちょっと一緒にいられるようにするということ。これからも桜ちゃんと会えるというのも嬉しかったし、それを桜ちゃんが望んでくれたというのも嬉しかった。
その日、僕はとても晴れやかな気持ちで帰路に着いた。桜ちゃんの「頑張ってみる」の内容なんて気にもしないで。まあ、もし知ったとしても結末は変わらなかったと思うけど。
***
結局、それから一週間以上経っても最後の一つの花は散らなかったし、桜ちゃんはいなくならなかった。