もう十年ぶりにもなる懐かしい公園の雰囲気にふっと頬を緩ませる。子供のころはそれなりに恐ろしく感じていた公園の雰囲気も今となってはちょっと暗いかなと思う程度だ。そのまま歩みを進めて、あの懐かしい桜の木に近づく。散らない桜として一時期ちょっとだけ有名になった桜の木だ。
久しぶりに故郷に帰省した僕は散歩がてらに近くの公園を久々に訪れてみた。帰ってくるときに近くを通り過ぎて懐かしさを覚えたのだ。この公園にはさして思い出があるわけではないはずなのだが、なぜかあの散らない桜は何度も見に来た記憶がある。ある時など夜中に家を抜け出してまで見に行った記憶まである。いや、あの日は気付いたらベッドの中だったから夢かもしれない。あの頃はこの公園を、特に夜のそれを怖がっていたはずだから不思議なものだ。まあ、子供のころなんて何に興味を持つか良く分からない。多分、当時の自分にとっては心の琴線に触れる何かがあったのだろう。覚えてないけど。
「…まあ、こうしてじっくり見てみると本当に何の変哲もない木けど」
改めてみてみると本当に何の特徴もないただの桜の木といった風情である。他の木より大きいわけでもないし形が整っているわけでもない。思い出相手に言っても仕方がないが面白みのないことこの上ない。
視線を上に向けてその木の枝を眺める。桜の時期は少し前に過ぎてしまっているので桜の花はもう散っている。くまなく探してみても桜の花は残っていない。知ってはいたが散らない桜なんてものはあの時限りの奇跡であったのだろう。そう考えれば、散るまでの間に熱心に公園に通った僕は結構賢かったのではないか。覚えてないけど。
ふと、池のほうに何かがいるような気がして、そちらに視線を向ける。確かにこの公園には鴨が住み着いている。ただ、今感じたのは鳥とかそういうものではなく、子供か何かがはしゃぎまわっている気配であった。ただ、視線の先にはもちろん誰もいない。当たり前だ。ボートか何かがあるならともかく、人間が池の上にいるはずがない。あと、池の下にいても大問題だ。
なんて、真面目ぶって考えてしまう自分に苦笑する。そもそも、気配を感じて振り返るだなんて漫画みたいだ。多分、最近忙しくて疲れているから神経過敏になっているのだろう。懐かしい公園を見に来たもののそれほど感動的な何かがあったわけでもない。今日のところは家に帰って早めに寝てしまおう。
身をひるがえして公園を後にする。今週は兄弟全員が返ったということで母がだいぶ気合を入れて夕ご飯を作っている。すっかり外食に慣れてしまった身としては久々のおふくろの味は実に楽しみである。都会の食事はおいしいが味が濃すぎるものが多いのだ。
公園の入り口辺りに着いたところで、一度桜の木のほうを振り返る。こんな時期だからわびしい見た目になっているが、花見の時期のこの公園はとても華やかになることをよく知っている。そういえば、もう何年も花見なんてしていない。来年はちょっとタイミングを見計らって、久々にこの公園でお花見を楽しんでみるのもいいかもしれない。散らない桜なんぞなくとも自然に咲いて散る桜があれば花見は十分に楽しい。団子なり弁当なりを持ってきて桜の木々の下で食べれば格別であろう。
ぐう、と腹の虫がなって我に返る。花見の妄想をしていたら余計に腹がすいてしまった。花より団子とはこのことか。いや違う気がする。絵に描いた餅?それも違う。じゃあ何と言えばいいのか。
「桜ちゃん、教えて」
知らず口を出たその言葉にますます頭をひねる。やけにするっと口を出たので、聞きなれたか言いなれたかした言葉だと思う。ただ、心当たりがない。アニメか漫画のセリフだろうか。妙に気になる割に全く思い出せない。のどの奥がむずむずする。
その時、公園のほうから子供たちの笑い声が聞こえてきた。それに気づくと独り言に頭をひねっていることに恥ずかしさを感じてしまう。誰かに聞かれたりしていないだろうか。自意識過剰だと思いつつもつい周りを見回してしまう。幸い、周りには誰もいなかった。ただ、道の端に一枚の桜の花びらが落ちているのに目が留まった。
何となく気になってその花びらを拾い上げる。自分でも気になった理由は分からない。ただ、もう一度捨てるのもなんとなく気が引けたので、それを抓んだまま家路へ着いた。良く眺めてみると、落ちていたとは思えないほどにその花びらは綺麗だった。そうだ、これだけ綺麗ならせっかくだから押し花にでもしてみよう。考えてみれば押し花もある意味散らない花なわけで、散らない桜の公園で拾った花びらを保管するには洒落が効いている気がする。ついでにそれを栞にでもすれば読書の役にも立つだろう。これは我ながら名案である。そうと決まれば善は急げ、これは急いで帰らねばなるまい。そう思って、僕はえいやと駆け出した。