ヤンデレの病弱妹に死ぬほど愛されているお兄ちゃんは蒼星石のマスター! 作:雨あられ
「………」
近い、近いのに…遠くて…
「……う…」
足りない、もらったものでは、全然足りない…
「………んだ」
欲しい。もっと欲しい!
「どうしたんだ、雪華綺晶」
「マス…ター……」
もっともっと「 」が欲しい
「しかし、お前も隅に置けないやつだよなぁ」
「何だよ、藪から棒に」
待ちに待ったカツカレーを口に運ぼうとした時、ずるずるとラーメンをすすっていた彰のやつがこちらに向かって、ねぎのついた箸を突きつけてくる。人に箸を向けるなよなぁ。
周りはがやがやと騒がしく、席が空いていないか探し歩く学生、もくもくと学食を口に詰め込む学生、待ちかねた昼飯の乗ったプレートを持って席にやってくる学生と、どこをみても、授業を終えた空腹の学生であたりはごった返していた。そして、それは俺と彰も例外ではなく、講義を終えて適度に空いた腹を満たす為にもここ、食堂にやって来ていた。小さな画面に入った雪華綺晶も一緒に……
今、彼女は俺が授業中相手をしてくれないことを知ったからか、見慣れた茶色いあの鞄を出してきて、眠っている。授業を聞いていなくて恥をかきそうになった件もあるし、流石にずっと構ってはいられなかったのだ。画面に映った無機質な鞄だけの映像が、何だか彼女が拗ねているようにも思われた。
「なぁに、この前の学祭の時、お前、金髪美女を連れて、しかも子連れで歩き回ってたって話じゃん。何、隠し子?」
「っぶふ!?っげほ!げほ…んなんじゃ、ぐ、ない」
食べていた口に入れたカレーのルーがが器官に入りかけた。てか、入った。ど、動揺してるわけじゃないが、不意打ちすぎて変なところに…
「んだよ、しっかりしろよ」
「あ、あぁ…」
見かねた彰が水を勧めてめてくれたので、それを一気に飲み干すと、ふぅと、幾らか楽になる。しかし、落ち着いてくると徐々に焦りも出て来る。俺の知り合い何てそう多くないと思っていたが…まさか彰に情報が行くとは。何か、誤魔化す手は…
「あいつは、幼馴染で、そんで、連れていたのは……親戚のおじさんの妹の子供だよ」
「それって、ほぼ他人じゃん……つか、幼馴染ねぇ……」
じろじろと、こちらを懐疑的な目で見てくる彰。
「なんだよ」
「いんや、今時そういうの珍しいと思ってさ」
納得したのか、考えるのが面倒になったのか。どちらかはわからないがずずずと、豪快にラーメンのどんぶりを傾けてスープをすする彰はこの話題に早くも興味を失くしたらしい。蒼星石や水銀燈たちにと言うよりも、三葉の方に興味があったのだろう。そう思うと、学園祭に目立つ三葉が居てくれて助かった。
とりあえずと、俺自身はご飯にカレー、それから、大胆にもその境界線に乗っているカラっと揚がったカツをまとめてスプーンで掬い出すと、一気に口の中へと放り込む。
一口噛めば、さくっとして、じゅわっとして、辛くて…うまい。
口を動かす速度が自然と早くなっていく。そういえば、カツにカレーを乗せるだけなんて、そこまで複雑な料理じゃないよなぁ、むしろ、どっちも主張が激しいから組み合わせ的に合わない気すらする。スプーンでカツってのも…食べにくい。
なのに…なのにだ…なーんか、良いんだよなぁ。
豪華って言うか、普通のカレーを頼むと損してる気がするって言うか……普段家で食べないからついつい頼みたくなってしまう感じだ。続いて彰が話し始めた妹自慢に適当に相槌を打ちながらカツカレーの不思議な魔力に吸い込まれるようにして、黙々とカレーを口に放り込みはじめたのだった。
「あれ、珍しいな、デザートなんて?」
「最近嵌ってるんだよ」
「ふぅん」
カレーを食べ終えると、何か口の中が落ち着かなかったので口直しに、クリームの乗ったプリンを買った。というのも、どちらかといえば甘いものは水銀燈の好物なのだが、水銀燈があんまり美味そうに食べているのを見て、つい自分も食べたくなり、つられて食べているうちに段々と好きになってしまったのだ。
「ちょっといれ」
「いっといれ」
思い立ったかのように席を立つと、彰のやつは荷物も置いてトイレに向った。それと、誰かからの視線を感じたのはほぼ同時だった。
『ん……』
膝に乗せていたスマートフォンを眺めてみると、閉まっていたはずの鞄が空いていて、そこから腕を伸ばして背筋を伸ばしている雪華綺晶の姿が映る。プリンを持った自分の姿を改めて思い直し、やばい、と思ったが時既に遅し、俺が何かを食べているのを見て、眠そうに擦った目が大きく開く。そして…なんか、期待に満ちた目でこちらをみるのだ。
『鏡にご飯でも入れてみたらどうかしら?』
ふと、朝の時間に真紅が紅茶を飲みながら言っていたことを思いだす、とても、こんな小さな液晶にこの手に持ったスプーンが入るとは思えないのだが……まぁ指も入ったし…
幸いと言うか彰のやつは今いない。ちらっと、周りを見渡したが、俺を見ているような物好きな奴も…居ない。…やるなら今だ。
「いるか?」
にこっと笑ったので、素早くプリンを掬い、スマホを机の下で縦に持ってこちらに向ける、そのまま、ゆっくりと、スプーンを近づけてやると……
波紋のように画面が波打ち、思った通り、スプーンが入っていった。雪華綺晶が小さな口を開けてそれに食いついたのだが……今この姿を見られたら相当変な人にみられるだろうと思うと複雑だ…って!?
なんでそういう食べ方をする!
『ん……』
雪華綺晶は一度口を離すとスプーンの裏側を赤い舌でなめあげる。
『ちゅ……おいしい…』
そして、口の周りについたクリームを、白い指に付け…キスをするように、目を細めてせつなそうに舐めとる……嬉しそうだがそれ以上になんていうか…エ…
「そういや、お前、クリスマスはどうすんの?」
「!?あ!?ああ!ク、クリスマスな」
「ん?」
慌てて前を向く、あ、危ない危ない、本当。彰、帰ってたのかよ。見られてない…よな。
「そうだなぁ、ま、バイトじゃないか?」
「はぁ!?いやいや、流石にクリスマスまでバイトはないっしょ。」
「ウチ、人いないしなぁ…つっても今からクリスマスなんて、気が早すぎないか?」
「んなこたぁない!いいか?クリスマスなんてのはな、彼女の居ない、部活やサークルにも参加していない俺たちには今の内に予定を入れても遅すぎるくらいだって!
気が付いたらあっと言う間に周りのやつらは予定を埋めていき……家族と……なんてのは、大学生的にどうよ」
「そういうもんか?」
「あったりまえだろ!」
いつもに増してテンションの高い彰の言葉には妙な説得力があった。こいつのことだから、てっきり妹の由奈ちゃんと過ごしたいとか言うと思ったのに…その後も、何だったらパーティーでもするかとか、いっそのこと合コンを!なんていう空想に近い話をしながら雪華綺晶に隠れてぷりんをやって昼休みの時間はすぎていった。
クリスマスなぁ……今年は、どうなるんだろうか。
ぶー、ぶーと、マナーモードにしていた携帯が震える。一度ではなく継続的に振動しているそれがメールではなく通話であると言うことがわかる。相手はもちろん、非通知。それに何のためらいもなく出る。
「あー、もしもし」
『マスター。マスター…』
「ん?」
『来て……』
少しだけ暗い帰り道。彰と別れ、今日最後の授業を受け終えた俺は大学の門をくぐったところなのだが……先ほどから画面の中の雪華綺晶はずっとこの調子である。何やら電話をしてきて、それから来てくれ、来てくれと言い続けているのだ。来いって言うのは…nのフィールドにだろうが……この時間は。
「雪華綺晶、これからすぐに夜までバイトだから無理なんだよ」
『マスターお願い、来て…』
「それに、俺が入るにはこの画面は小さすぎるって。また後で行くから」
『マスター……ほしいのに…』
絶望。と言う言葉を表すならこんな顔だろう。今の雪華綺晶は眉をひそめて今にも瞳を揺らして泣き出しそうである。
そんなこと言われたってなぁ、周りにはいまだに通行人の目があるし、この画面に向って話をすることすら怪しい行動なのにそんな目立つこと。
「あ、おい、雪華綺晶」
画面が暗転した。かと思えば、普通通りの液晶がついて、そこに雪華綺晶の姿は…なくなっていた。
黒い待機画面には現在時刻と、雪華綺晶がいじっていったおかしいバッテリー残量の表記、それから、開いたままの鞄があるだけなのだ…拗ねちゃったのだろうか。
ポケットに携帯をしまうと、曇った空を見る。
雪華綺晶。指に付いた薔薇の指輪を撫でると様々な思考が交錯する。蒼星石は、比較的落ち着いていて超が付くほど真面目な性格だ。水銀燈は、唯我独尊で、きまぐれな猫のような気難しい性格。しかし、雪華綺晶は…どうなのだろう。初めて俺の前に現れた雪華綺晶は、妖艶で、狂気的ともいえるどこか底が見えない存在だった。対して、今日の雪華綺晶は子供のように落ち着きがなくて、来て、来て、と何度も俺の事を呼ぶ声は、純粋に甘えているようにすら見えた。だのに、未だにどちらの雪華綺晶が本当の姿なのか、俺にはわからないのだ。あるいは両方そうなのか、どちらとも違うのか…俺は、あまりに雪華綺晶の事をしらなさすぎる。
「うお!」
ききーっと車がブレーキを踏んでぷー!とクラクションを鳴らして目の前を通り過ぎて行った。信号が赤のまま横断歩道をわたってしまいそうになったのだ、慌てて数歩下がる。い、いかんいかん、ぼーっとし過ぎた。背中にはうっすらと冷や汗が流れていく。しっかりしないと。ぱちんと両の頬を軽くたたいた。
「エビのリゾット、バジルとナスのパスタ、後、フルーツジュレのサラダセットでお間違いないでしょうか?」
「はい」
「ありがとうございます」
営業スマイルを作ってメモをした伝票を持ったまま厨房へと足早に進む、今日はお客さんもそこそこに多くて大変だ。この厨房とホールの行き来だけで嫌になる。
その上レジの担当、キャッシャーまで任されてしまったから周りに特に目を配らなければいけないのがつらい。気が抜けるところがない。
「エビリゾット、バジルパスタ、ジュレサラダお願いします」
「はいな」
「ああ、柿崎さんそこにあるのお願い」
「はい」
店長や他の厨房スタッフの人たちも忙しなく手を動かして活気を見せている。賑わっているのはバイト的には給料の割に忙しいので複雑な気持ちだが、あんまりやることがなくて突っ立ってるだけってのも暇なので、これくらいの慌ただしさが心地よい気もする。出来た料理をいっぺんに肘まで使って持つと、それぞれをお客さんの所へ……
「あ、先輩、お手伝いしますよ!」
「ああ、いや、体制崩すと落としちゃうから、飲み物お願い」
「はい!」
入れ替わりで厨房に来た後輩の女の子にそう告げて、自身はバランスを保って厨房を出る………!!?
「きらっ!?」
声を飲み込む、窓、暗くなって、鏡のようにこちらを映していた店の大きな真っ暗な窓には、先ほど消えた……雪華綺晶の姿があったからだ。
手まねきをして、来てくれ、と言っているようにも見える。
「先輩?」
「おっととと」
「わ!!」
後ろから掛けられた声に驚いて、ぐらぐらとよろめいたがすんでで、ふんばる、そして、窓の方に背を向けて雪華綺晶の姿が見えないように、ブロックする。な、なんでここまで。
「だ、大丈夫ですか?先輩?」
「あ、ああ、ごめんよ」
「そんな、私も運んでる途中に声なんかかけてしまって、不注意でした」
ちらっと、後ろを窓を見ると、そこに雪華綺晶の姿は無い。って、うえええ!?
後輩ちゃんの持っている飲み物に映り込んだ雪華綺晶が、こちらを見て笑っている。や、やばいって。
「え?この飲み物、どうかしたんですか?」
「え?ああ、いや…」
しまっ…
「ああ!?ほ、本当です、良く見たらコレ!オーダーと違うやつでした!うぅ、店長にまた怒られちゃう…」
「あ、あはは、まぁ、気付いて、良かった」
雪華綺晶はまた、移動した。どこだ、どこに行ったんだ。兎に角、この料理を出してしまわないと落ち着けない。戻って行った後輩ちゃんに背を向けて、早速オーダーの合ったものを持ってくる。6番テーブルに2番テーブルか。
「お待たせいたしました、シェフの気まぐれサンドとクラムチャウダースープになり…ま!!……す」
「お、来た来た!」
い、る。いる!!主婦3人のお客さん。視線は全てこちらに集まっているからばれてはいないが、テーブルの上、ステンレスの洋食器であるスプーンには光の反射だけでなく、こちらを見て口を吊り上げる雪華綺晶の姿が目に飛び込んでくる。
お客さんが皿を受け入れるために、テーブルから身を引かせたその一瞬をついて、ぱっと素早く皿を並べ、そのスプーンをさりげなく影に隠す。鏡、反射、そう、反射しなければ、雪華綺晶は映らない、はずだ。ただ、少し動作が速すぎて、お客さんたちは俺にきょとんとしたような目を向けて驚いてしまっている。
「それでは、ごゆっくりどうぞ」
なるべく、愛想よく笑って礼をして次のテーブルへ。未だに動悸が速い。
異常事態ではあるが、それでやることが少なくなるわけではない。足早に持っている次の料理をグラサンした髭のおっさんと、露出の多めの服を着ている化粧濃い女というよくいるタイプのカップルの元へと運ぶ…
「お待たせしました、あさりのボロネーゼに…なり、ま…す!」
うおお、また窓に!!?しかもデカい!人間の少女と同じくらいの雪華綺晶の姿が窓には映り込んでいた。そして、うっかりしたことに、俺が窓を凝視したものだから、ボロネーゼを頼んだであろう強面のおっさんまでもが窓を向いて、同じようにぎょっとする。
「な!?」
「ん?どうしたのー?」
ぱっと、消えた。女の人が窓へと顔を向けたとたん、先ほどまでと同じように雪華綺晶の姿は幻だったかのように雲散する。
「い、今、女の子みたいな幽霊が窓に…、な?兄ちゃん」
「え?さ、さぁ」
「女の子~?もうまたそんなこと言って」
「いやいや本当なんだって!」
「ええっと、ボロネーゼになります。では、ごゆっくり…どうぞ」
そそくさと、逃げる。っというか、もう限界である。どこか、鏡、鏡に行かなければ!あるとすればトイレ。何とか、あのあまり大きくないトイレの鏡からnのフィールドに行くしかない。
「あ、ごめん、俺ちょっと、10番に…」
「はい!」
見つけた後輩ちゃんに一言、トイレへ駆け込むと伝える。幸い、誰も使っていなかったので、大慌てで駆け込み、鏡を見るとやっぱり、先回りした雪華綺晶の姿が映っている。洗面台を行儀悪くも踏み台にすると、鏡に向かって思い切ってダイブする。と言っても、ぶつかったら痛そうなので、そっと…と言った感じに近いが…気分は全力ダイブだ。体は、ずぶっと入り込み、前に来た時と同じような奇妙な結晶の空間に転がり込み、尻餅をつく。いたたた…
「マスター!」
雪華綺晶は、俺の姿を見ると、嬉しそうに飛びついてきた。が、それだけではない!手に、足に、いつかを思い出すかのような白い薔薇と茎が絡みついてきて俺の自由を奪ていく!な、何を…
「雪華綺晶」
「……来てくれた…!うさぎのあな探しは楽しかった?…マスター?」
座った俺と、雪華綺晶の目はちょうど同じくらいの目線で、雪華綺晶は俺の頬に両の手を添えて、うっとりと目をとろませて微笑む。ぐるぐると狂気が渦巻くその金色の目で。
「き、雪華綺晶、俺はまだバイト中で」
「バイト?…そんなもの必要ない…ここに居て、ずっとここで暮らしましょう。マスターは、ただ、私を…ぎゅっと……その胸に抱くだけで…」
話が通じる気がしないこの感じ、まぎれもなくめぐと同じだ!くちゅりと、首筋に雪華綺晶の唇が触れるとびくりと体が反射的に跳ねた。そして、チュウっと吸い上げられると、痛いと言うかくすぐったい。最後にちろっと舌を這わせられると変に高ぶったような気持ちがこみ上げてくる。い
「いい加減にしろ!バカ!」
「!?」
唯一、動いた頭を振って思いっきり頭突きをかましてやった!
自分も痛いが、ふらふらとよろめいている雪華綺晶はもっと痛いはず。後ずさりして、拍子に手足を縛っていた薔薇の茨も緩んだので抜け出す。
「いいか、雪華綺晶。確かに俺はお前のマスターだけど、何も46時中一緒に居られるわけじゃないんだ。暇な時なら兎も角、やることをやらなきゃいけないときもあるしな」
子供をしつける様に、いつもより語気を強めて、手を引いて目を合わせる。雪華綺晶は未だに何が起こったかわからないのか口を半開きにして俺の目をただ覗き込んでいる。
「ア…アァア…」
「はっきり言って、バイトの邪魔されるのも、一生ここに磔にされるのも、どっちも嫌だ。おことわりだ」
「やめて…私を……!
否定しないで……」
俺の言葉を聞いて、耐えきれないとばかりに手を振りほどこうとする、雪華綺晶。しかし、今手を離してしまうわけには…いかない。
震える手を引いて
強張った身体を思いっきり抱きしめて
子供をあやすように、なるべく優しく髪を撫でるように努める。
「あ…」
「あたったの、ここか?ごめんな、痛かったな」
頭を撫でると、雪華綺晶の興奮は次第に収まって行きやがて、さっきまでと違いすごく大人しくなった。
「別に、雪華綺晶のこと否定何てしないさ。その、なんだかんだ言って今日一日雪華綺晶と居て俺も楽しかったし、色々と新しい顔も見れて、嬉しかった。だけど、やっぱり他の人に迷惑を駆けたりするのは駄目だし、ずっと、この空間に居るって言うのも、人間の俺には多分無理だ」
腕の中に雪華綺晶を抱いたまま、顔を上げる。そして改めて辺りを見回す。この空間、このnのフィールドは結晶以外は灰色で、広くて、寂しくて広すぎる場所だった。そこに、雪華綺晶は今までずっと一人ぼっちだったのだ。他人との付き合い方なんて、知るはずもない。そう思うと、ようやく俺は「雪華綺晶」の行動原理が理解できた気がした。
ただ、寂しくて、孤独で、悲しくて、知らない。そう、知らなさすぎるのだ、彼女は色々なものを。自然と彼女を抱く腕の力が強くなってしまう。
「なぁ、雪華綺晶、もっと、話をしよう。いろんな話」
「おはなし…?」
肩を離して目線を合わせて笑って見せる。
「そう、くだらないこと、楽しいこと、これまでのこと、これからのこと…
もっともっと話をしよう。雪華綺晶はこの世界のことを知らないといけないんだ。そして、俺も雪華綺晶のこと、もっと知りたい」
「…いろんな話…」
「例えば、今日食べたクリームたっぷりのあのプリン。実は水銀燈の好物なんだ」
「黒薔薇のお姉さまの?」
ちょっと驚いた風な雪華綺晶に、頷いて見せる。
「あいつはああ見えて甘いもの大好きなんだよ。蒼星石も、金糸雀も好きだし、きっとローゼンメイデンはみんな甘いの好きなんだと勝手に思ってる。な、雪華綺晶は、甘いもの好きか?今日食べたプリンみたいなの」
「私?私……好き」
笑った。先ほどまでよりも、少し、恥ずかしそうに。
「やっぱりなぁ」
「マスターは…マスターは、好きですか?」
「好きだよ」
両の手を合わせて、雪華綺晶は先ほどよりも更に嬉しそうに笑う。
それから、また、話をする。向かい合って座って、目線を合わせて……
話と言っても、好きなものを互いに質問しあうだけの幼稚園児のような会話。だけど、雪華綺晶は目を輝かせてどんなことにも興味津々で。ずっとずっと笑っていた。
「うわ、そろそろいかないと」
ポケットに入っていた携帯電話を覗き込むと、もう15分はここに居る。あの忙しい時間帯にさぼり過ぎた。すっと立ち上がって入ってきた少し光の漏れている四角い窓枠に近づくと、しゅるしゅると、薔薇の格子が表れて出口を防ぐ。振り向くと、雪華綺晶がこちらをじっと見ている。
「雪華綺晶、また、来るから」
「……」
何も、何も言わずに雪華綺晶は俯いた。
「もっとお話をしたいです」
「またバイトが終わったら来るから」
「今」
困った。こんな直球に我が儘を言われてしまっても…、本当に時間がないというのに…
雪華綺晶も立ち上がって、俺の手を引くと先ほどと同じ場所に、座らせようとしてくる。
「雪華綺晶、じゃあ、後で何かデザート買ってあげるから」
「デザート?」
「何か甘いもの。俺が外に出ないと買えないし、バイトをクビになっても買えないぞ」
「……」
物でつる、なんてのは教育上よろしくない気がしたがしゅるしゅると出口に絡んでいた茨は解かれて、ようやく外に出られるようだ。
ここからだと良く見えないので顔を突っ込むと、見知った男性用トイレの個室が目に映る。人は…いないな。
また、出ようとしたら今度は袖を引かれた。振り返ると、やっぱり雪華綺晶で。
「あの、早く…」
「また後でな」
ぽんと頭に軽く手を置いて。一気に抜け出る。やばい、やばいぞ、抜けすぎた!ホールは大丈夫なのか!?
「マスター…うふふふ、うふふふふふ。マスター…」
目を閉じて、身を抱いて、思い出す。
初めて、誰かに叱られた。初めて、ぎゅっと抱きしめられた。初めて、初めて!
「マスター……」
初めて、誰かに愛された!!その事実だけで…私は…