ヤンデレの病弱妹に死ぬほど愛されているお兄ちゃんは蒼星石のマスター! 作:雨あられ
しとしとと雨がようやく降り始めた。さっきまでも灰色の空が迫ってきていて、降りそうな気配はあったけれど何とか持ち堪えていた、しかし、それも限界が来たようだ。
張りつめていた水風船に針を刺したかのようにぽたぽたと、雨露が窓の向こうでリズムを刻む。ぽつん、ぽたん。ぽつん、ぽたん。ベランダの地面に小さな水たまりをつくるとその上に落ちた雫が跳ねたり跳んだり、波紋をつくる。
「あ」
違った。マスターの傘に似ていたから、もしかしたら、何て期待していたのに、そんなことはなくて、良く考えたらドアは反対側、いつもマスターは反対側の道から帰ってくるから、ここから見えるはずないのに。
「マスター。遅いね」
それは、私に振ってるのぉ?なんて言いそうな、人形は、今日はいないのだった。冷たい窓に手を当てて、後ろを振り向くといつもソファを占拠しているはずの水銀燈の姿はない。薄暗い灰色の部屋に雨の音と、時計の音だけが響いている。
洗濯物は早いうちに済ませてしまった。夕ご飯の支度はまだはやい。掃除はもう3回以上行った。ベランダの最近芽を出し始めた植物たちも、これ以上世話を必要としていない。
いつから僕はこんなにも寂しがり屋になったのだろうか。暗い部屋に居ると、マスターはよく、暗がりじゃないか。と言って電気をつける。その声を、今もずっと待っている。
マスターは、暇な時に部屋にあるものなら何をしても良いと言っていた。だけど、そんな暇つぶしよりも何か一つでもマスターに役に立ちたくて。
本棚まで近づくと、料理のレシピ本を開く、そして、その間に挟まった、小さなノート。マスターにも、水銀燈たちにも内緒で付け始めた秘密のノート。見られたら、恥ずかしくて死んでしまう。そんな僕だけの、秘密の日記。
「ただいまー。いや、突然カラオケに誘われちゃってさぁ。飲み会まで呼ばれそうになって参った参った」
玄関を開けて、少しつっかえもののある様な声を喉から出してそういうものの、いつもなら駆けてここまで来てくれる蒼星石の姿がない。はて、と濡れた傘を傘立てに入れて、靴を脱ぎ、リビングへと向かう。すると答えはすぐに見つかった。
「すー……すー…」
「蒼星石、珍しいなぁ居眠りなんて」
ソファの上でクッションを抱きしめながら丸くなっている蒼星石が目に映る。相変わらずこんなに暗いのに電気も付けずに。水銀燈や翠星石あたりがいたらつけるんだろうけど、どうも一人でいるときは最低限のことが出来る明りがあれば良いと思っているのか、電気すらつけない。健気だとかそういうものも感じるけれど、それ以上に心配になるからやめてほしい。電気くらい遠慮なくつけてくれたらよかったのに。
寝ている蒼星石の隣にコートを着たまま腰を下ろす。ソファが沈んで、蒼星石の寝ているところが少し傾いたが起きる気配は全くない。長い睫、上下している小さな身体、ちょっと涎の落ちそうな口元。こうしていると、本当に、ただの綺麗な女の子で…ん?
何だこれは。
ちゃぶ台の上に、料理の本とは別に、小さなノートが置かれていた。蒼星石が書いている途中だったのだろうかと、好奇心から、身体を乗り出してつい覗き込んでしまった。そこには、綺麗な字で。
○ 月×日 雨
朝、スクランブルエッグを作ると、マスターは口の端っこにケチャップを付けて朝食を食べ進めていた。僕がそのことを教えてあげると、慌ててティッシュでそれを拭って、ケチャップと同じように顔を赤くする。子供みたいで、可愛いと思う。
マスターが出て行った後、家事が終わってとても退屈になる。今日は帰りが遅いのかな。雨も寒そうだから、早く帰ってきてほしいな。
……これって、見てはいけない類のものだったんじゃ。ちらっと蒼星石の方に目を向けると、クッションを抱きしめたまま、ん…ますた……と、もにゅもにゅ何か寝言を言っていてが起きる気配がない。色々と破壊力高すぎる。着ていたコートを脱いでかけてあげると、蒼星石は無意識にそれに包まった。
それにしても、気になる。このノート。好奇心は猫をも殺すとは言うものの、あの、普段は少しクールな蒼星石の本心がここには書かれている。気が付けば、好奇心の赴くままにノートのページをめくっていた。
○ 月△日 晴れ
マスターが、この娘可愛いなーと言って、珍しく出ていた女の人を褒めていた。確かに僕とは違って、髪が長くて、明るそうな綺麗な女の人だった。マスターはああいう人が好きなのかな。僕みたいな、男の子みたいなドールはやっぱり可愛くないから…
と言ったネガティブなことが1ページに渡り書かれている。確かに、あの時ぽつりとそんなことを言った気がするが、そんなに蒼星石の中で大きなことだったのか。ちょっと可愛いなーって呟いたが、蒼星石の方が百万倍可愛いに決まっているのに。
…次のページをめくる。
○ 月□日 曇り
マスターが、僕と水銀燈のために、ケーキを買ってきてくれた。イチゴショートとチョコレートとチーズケーキ。勿論水銀燈はチョコレートをすぐに取っていって、僕とマスターでどうしよっか、って顔を見合わせる。一緒に悩んでいるだけなのに、マスターと目を合わせて考え事をしているだけで胸がほっこりと温かい。
でも、マスターが、俺は何でもいいから蒼星石が食べたい奴を選びなよ。と僕の頭を撫でてくれる。ちらちらと、イチゴのショートケーキを見ながらそんなことを言うマスター。本人はばれていないつもりらしいけど、凄くわかりやすくって、僕がチーズケーキを食べるって言ったら、目をキラキラさせて、そうかーと言っていた。マスターったら、僕のほっぺに付いた
「うわあああああああ!!」
「ぐお」
思いっきり、隣から押される、その拍子にノートを落としてしまったのだが、慌ててそれを拾い上げる、蒼星石。しまった、起きたのか。顔を真っ赤にさせて、息を荒げて、珍しく目が血走っている。ノートを胸に押し付けると俺の方へと指を差して目を白黒させる。
「み、みみみみみ、見たの?マスター?」
「見てないよ?」
「え、で、でも今」
「見てないよ。…蒼、これは夢なんだよ」
「ゆ、夢…?」
「そう、夢…まだ蒼星石は目が覚めてないんだよ」
そう言って、ゆっくり、蒼星石をソファの上へと倒していくと、コートをかけてぽんぽんと叩いてリズムを取る。こ、このまま、乗り切れるか?
「夢…」
「さぁ、目を閉じて」
「ますたぁ…マスター!」
ぎゅっと、突然こちらに抱き着いてくる、青い服。蒼星石。しまったと思ったが、そうじゃないらしい。
俺のお腹を枕にすると、幸せそうに目を閉じていき、その背中をぽんぽんと叩いてあげると、ますたぁ…とピンクの唇から甘えるような声が漏れて、そのまま、息を吸ったり、吐いたり…。
さ、日記の続きを…蒼星石のたれさがった、右手から、本を抜き取る。
それにしてもこれ、蒼星石の日記っていうか、俺の観察記録みたいな…
「ごめんね、マスター」
「え?」
朝、目が覚めると、いつも通りの日常がそこにあった。
昨日の夜、何かあったような。うーん、覚えて居ない。まるで、その記憶だけ何かで刈り取られたような…白いエプロン姿の蒼星石はそのショートカットを揺らしてご飯が出来ましたよ、と一旦部屋に来て、それからまたフリルを風になびかせながら出て行った。まぁ、いいか。今日のご飯はなんだろうか。