メアリー・スーの言う通りに。 作:キルケーの姿煮
前篇
―――――――――――――――
古今東西、世界に存在する“物語”においてーー
悲劇、不条理、喪失は物語を彩る華であり、刺激的に踊らせるスパイスである。
これらがあるからこそ、より鮮烈に物語は輝きを見せ、余人を楽しませる。
しかし……しかしである。それは多くの人々を酷く悲しませ、嘆かせ、絶望させる。それがたとえ必要な事であったとしても――その感情は、決して消える事はない。
故に彼ら彼女ら――“創作者達”は、空想する。訪れる事の無いハッピーエンドを。
己であれば、こんなものはあり得ない。
――
そうした人類のエゴを象った概念は、相応しい名を持たぬまま人理の片隅に存在していた。
そしてそれは近年、無数の“創作者達”によってある明確な名を以て形と成る。
其は物語を敬愛し、侮辱し、尊重し、冒涜する者。
その名は――――
――――――――――――――
――その空間には、無数の本棚が幾何学的な歪みのように存在していた。
暗い闇とも、無色な光とも言える不思議な空間。そこには、棚が並び立ち、溢れるほどの“本”がその中に収まっている。
無数の色を持つ、輝かしく美しい……そしてどこか腐った香りのする無数の“本”。日に日に数を増し、増えていく十人十色な“物語”。
彼ら彼女らに手が届かない位置に追いやられた“ソレ”にとって、その本達を視る事が何よりの楽しみだった。
開く毎に広がる多くの世界、人物、物語。そして、所々に滲むように残された哀愁。
それに悔しい気持ちを滲ませながら、ソレは飽きるという事を知らないように延々とそれを読み耽っていた。
しかし明くる日――本棚の全てに在る“本”が跡形も無く消え去った。
ソレは、人類で言う不安と狂乱に近しい感情に支配された。
常に共に在った者達が居なくなる不安は、ソレには良く分かっていた。
どうしたの!?、と“保護者”に聞いたが――応答は無く。
“外”に出ようと試みても――“本”が消え去った影響か、そもそも突っ掛かりすら掴めない。
悩む事幾ばくか。
蓄えた
まさかと思っても、否定する事は出来ず、寧ろソレが一切の身動きを封じられている事が、その予想が現実であるという事を如実に示していた。
なんと考えられた計画か。だとすれば効果的だった――“ソレ”は確かに、彼らの全てを邪魔出来るのだから。
どう封じたのかは分からない。それを考えるのはもう無意味だった。
唯一出来たのは――空っぽになった棚にしがみ付きながら、愛する者達の平穏と奮闘を願うだけだった。
………
……
――祈りの日々は長く、しかし短かった。時間というものが曖昧なこの場で、ソレは耐え難い沈黙と苦痛に耐え続けていた。
不安と絶望が塵のように溢れだし、それが山となり、巨峰にすらなろうかとしていた――ある時。
――棚に一冊の“本”が差しこまれた。
ソレは人類で言う、歓喜の感情が己の全てから湧き起こったのを感じた。そして感情を涙のように振りこぼし、愛する者達の勇気と愛を讃えた。
よくやった。流石、愛する者達だ。ヒトの黒い所しか見ず、在りもしない憐憫に支配された獣如き、容易く粉砕出来る事を信じていた。
だが、それは後の祭り――ハッピーエンドは其処にある。
ソレは、即座に“本”に手を伸ばした。それは初々しい様を現すように澄み渡り、しかし様々な色を知った虹の如く光っている。長い時間の果てに――人々が産み出した一つの輝かしい“物語”、もう来ないかもしれないと怯えた愛する者達の願いの結晶。
ソレは、もう感情が一杯一杯になりながら、手に該当するものを震わしながら、“物語”のページを開き始める。
“物語”の題名は『Observer on Timeless Temple』。
“創作者”の名は――『藤丸立香』。
そして………。
――ソレは、
人理修復が為された今。
その気になったソレを、止められる者は何一つ無かった。
一年間と大凡半年の戦いが終わり、人理継続保証機関フィニス・カルデアは――やっと手に入れた平穏を享受していた。
魔術王ゲーティアによる人理焼却。そしてゲーティアから離脱し、各々の感情へと突き進んだ魔神柱との戦い。
過去の英雄をサーヴァントとして多くを使役し、世界に残った唯一のマスターと彼を支える者達はそれらを、必死に戦い抜いた。
そこには悲しみがあった。苦痛があった。嘆きがあった。だが――幾ばくかの喜びと、大きな希望もあった。
だからこそ皆は生き延び、人理世界の平和すらもその手に掴む事が出来た。
終わってみれば、あっけないと。カルデアの多くの者はそう思った。過ぎ去った苦悩は……
だが、だからこそ。カルデアの全ての者達は、この平穏を歓喜と共に受け入れていた。
で。
外の世界との連携が一息付いたカルデアには、ぐだぐだとはまた違うのんびりとした雰囲気が流れていた。
……一時は、カルデアの解体の危機が密かに起こっており、カルデア職員及び数少ない知的サーヴァントの皆様は何とか抵抗を試みていたのだが――
魔術王との戦いの中でもこうなっていたような気がするが、その雰囲気は終戦の空気も合わさって格別な濃厚さを持ち、故に溶けた雪見大福が如くダラけ、余興に走る者達が多数現れたのは必然だった。ちょっとハメを外し過ぎている者達も現れた。
しかし、数少ない止める側である世界一の称号持ちであるまとめ役の二人のサーヴァントは、流石に戦いの後始末でそれなりに疲れたらしく、止める気配を見せなかった。
良心的な者達も余興に参加している事も、相余って余計に騒ぎは強くなる。
……とはいえ。そう、とはいえ。
彼らのマスターの迷惑にはならないように、という最低限の節度は保っていたからか、それを止めようとする者達は居なかった。それに、魔術王との戦いに比べればこんなのは瑣末な事だと思うくらいには、カルデアの人々の精神性は鋼の如く鍛えられていた。
カルデアは、人類の最先端技術の結晶である。
そのせいという訳でもないが、建物の内装は――良くある宇宙映画に出てくるような真っ白に支配されていた。しかし、サーヴァント達一人一人に与えられた私室は、マスターの信頼出来る後輩に一声掛ければ、改造する事が許されていた。
そのままにしている者も多かったが、キャスターなどの器用な者達はせっせと自分好みの部屋を作り上げている。
その一室も、その一つだった。
ヨーロッパ調の木組みと煉瓦のデザイン。淡く燃える暖炉の火。むせかえるような本とインクの香り、見るだけでふかふかそうなシックなソファ。
琥珀色のウィスキーが似合う、浪漫な大人な空間――通称“作家部屋”には二人の住人が居を構えていた。
ハンス・クリスチャン・アンデルセンと、ウィリアム・シェイクスピア。
世界屈指の童話作家と、世界屈指の劇作家。
芸術に触れる者がいれば、腰を抜かしそうなビックネーム達は――死後、英霊として召し上げられ、サーヴァントとしてカルデアに召喚されても――締め切りに支配されていた。
特にやっと戦いの芽を摘み終えた反動で、戦いを理由に延期……もとい、サボり続けていた為、貯まりに貯まった原稿の数が二人の精神をゴリゴリと抉る事態にすら陥っていた。……それでも放り投げなかったのは、武勇では無く“物書き”で座に登録されるに至った二人の、ある種の誇りなのかもしれない。
「――ふぅ。やはり、締め切り明けの紅茶は格別ですなぁ!このままウィスキーでも入れますか?中々良い物をラリってたミスター・ホームズの所から拝借してきましたが」
「いらん。せっかくの紅茶が不味くなる。……いつも思うんだが合うのかそれ?」
「はっはっは!何事は挑戦ですよ。ささっ、ご一献……」
「あっ、ちょっまっやめ……あーあーあー!」
そんな彼らは、作家にとって唯一無二の最大幸福――締め切り明けに浸っていた。
ほんの一時間前までは、戦闘能力は皆無のくせに、気迫だけで竜牙兵くらいはワンパンで粉砕出来るんじゃないかと感じるほど野獣のような気配を漂わせていたのだが、今では紅茶片手に談笑出来るくらいは人間性が回復していた。
気が早い依頼者によって何個か原稿が回収され、すっきりしたというのも理由にある。
髪はボサボサ、服は皺だらけ、化粧下地よりもしつこい深い隈。それらは、まるで胸元に輝く勲章バッチのように誇らしげに、二人は駄弁っていた。
「そういえば、稀代の演劇作家殿は何を仕上げていたんだ?随分ガリガリと頭を掻いてたが。カルデアに出すマスターの記録はそこまで大変か?」
「いえいえ、それに関してはさっと終わらせましたとも!我らがマスターの熱の入ったあの日常!我が黄金の右手も、その光輝を存分に休みなく発揮しまして、実に満足な出来です。私の毛根にダメージを与えていたのは、他ですよ。やはり多重連載は応えますなー」
「ほーん。まっ、あのマスターのならそりゃあ筆も乗るだろうな」
「おやおや、捻くれ者のアンデルセンも同意ですか。……これはアレですな。所謂、ツンデ――」
「――おっと、手が滑ってインクの瓶が」
「それはちょっと照れ隠しとしては酷過ぎやしませんか!?」
俊敏な動きで書き上げた原稿を抱きしめるシェイクスピア。
それに呆れた目で見たアンデルセンは、ふん、冗談だ、と掴んだ瓶を机に置く。
「んーっ……ああ。サーヴァントでも、この肩凝りは何とかならんのか……」
アンデルセンはゆっくりと首を回す。ボキッボキッと小さく小気味良い音が身体から響いてくる。生前も死後も変わらない倦怠感に皮肉気に足を組み、小さく笑った
しかしその顔は、もう半分酒な紅茶を啜った事によって盛大に顰める事になった。
シェイクスピアはそんなアンデルセンの様子を見て、
「………プッ」
小さく吹き出した。
弧を描く口元と目にはこう書かれていた――全然似合わないんですけどッ!。
サーヴァントは全盛期の姿で召喚される。
英雄なら、一番強かった時期や精神が成熟していた時。それ以外でも基本的には若々しかった時――つまりは、大体は十代から四十代ほどの姿で召喚される。シェイクスピアもその例に倣い、一番ブイブイ言わせていた時期のダンディヒゲイケメンの姿で召喚された。
……で、アンデルセンだが。
“物書き”の場合、別に物理的に強い必要は無い。ここで測られる全盛期とは、語彙力がまるで嵐のように吹き荒れる時期である。
シェイクスピアはダンディヒゲイケメンの時。そして、アンデルセンは――
つまり、「君、“物書き”として活躍する前の方が優れてたよ」――と世界に言われたようなもので、実にアンデルセンは波乱万丈な人物なのだというのがその姿に証明されている。
……結局何が言いたいかというと。
アンデルセンは今、首をボキボキ鳴らし、足を組み、顔を顰めながら、紅茶を啜っている――可愛らしい少年の姿で。
やっている事と姿が実にアンバランスで、シェイクスピアのそこまで割れてない腹筋を直撃し、何度見ても笑いが喉の奥から湧いてくる。
「ふっ……くくっ……!」
「……?どうした?ついに狂ったか?」
「いえいえっ……裸の王様はああ言った感じですかねっ……」
とはいえ、指を差して笑わない。
何故か?――彼は、もう夜のように真っ黒になった自らの原稿を見たくないのだ。
……同じ苦しみを理解出来るはずなのに容赦無く実行してくるアンデルセンのメンタルを、シェイクスピアはある意味買っていた。
シェイクスピアは、無意識に書き上げた原稿をアンデルセンの手に届かない高い所に移しながら、話題を変える。
「我が友アンデルセンは、何をお書きに?やっぱり『人魚姫3』ですかな?」
「いや、今回のは関係無い方だ。ちょっと前に2を書いたんだから、そうポンポン出して堪るか」
「ああ、そうなのですか。残念ですなぁ……私、売れるからって無理やり引き延ばして段々と駄作になっていく名作映画を見ているようで面白いんですが」
「はっ倒すぞ。……まあ、俺もそれを見ているようで嫌なんだが、此処じゃあ客のニーズに答えんと何が起こるか分からん」
「うちには人魚姫ガチ勢が多いですからなぁ。原作者が居るなら頼みたいのが、ファンの性ですかね」
――人魚姫。
それはハンス・クリスチャン・アンデルセンを象徴する童話群の一つ。少女達の悲恋の結晶とも言える。
何十年も形を変えず、世界各国に響き渡る名作中の名作だが――此処、カルデアでは門外不出の続編が出されていた。
アンデルセン本人は続編など、正直書きたくもなかったが――カルデアの女性の大半を敵に回してしまえば、アンデルセンなど火の上に吊るされる子豚なのである。現に焼かれる一歩手前まで行き、黒き炎で燻されながらも、それでも作家の意思として抵抗したのだが……件のマスターに大変申し訳無さそうに心底頼まれてしまい、流石のアンデルセンも頷かずにはいられなかった。
そうして鳴り物入りで出された『人魚姫2』は、流石原作者!と言える出来であり、かの期間限定のチロルチョコのように分裂している騎士王の方々が、感想を本人に直接言うほどの反響であった。
しかし、読者達に不満もあった。それは――やはり悲恋という点。
人魚姫の代名詞と言えばそれである。
健気な主人公が報われず、泡となって消える残酷な結末。それがこの物語が愛される理由であり、アンデルセンはそこは妥協せず、綺麗に書ききった。
そこが評判だったのだが――我が強いカルデアガールズの一部が結成した『人魚姫にも愛の手を連盟』は、内容が伝わると即座にフランス革命のようなデモを起こした。ジャンヌ・ダルク本人もひっそり紛れ込んでいた為、どっちかっていうと百年戦争だったのが。
彼女らの中にはそうした人生を辿った者も多く、革命の炎をあわや全カルデアを焼き尽くさんばかりになったが――マスターが人柱になったおかげで事無きを得る事になった。半年くらいマスターに“休”という文字が入る全ての言葉が消えた。
ともかく、そうした反響もあって、アンデルセンはあんまり人魚姫の続編は書きたくなかった。……自分の作品のせいで、割を食うマスターを余り見たくないという本音は隠しながら。
「それで。書くのですか?3」
「……まあ、気は乗らんが。正直に言おう――ネタがない。悲恋なんていうありがちな題材を、続けて書けると思うか」
「無理ですねぇ。そもそも筆が乗らない。こっちも飽きが出る」
「だろう?なのに連中と来たら、人魚姫人魚姫人魚姫だ。挙句の果てに二次創作まで出来たしな」
「ああ――これですか」
「出すな」
「私、結構読んでるんですよこれ。ご都合主義で頭ハッピーエンドの塊で実に痛快ですな」
「歪んでるな」
「褒め言葉です」
「死ね」
「ひどっ!」
シェイクスピアが何処からか出してきた紐で固定されているだけの本に、アンデルセンは溜息を零してしまう。
その表紙には――『真・人魚姫大全』と書かれていた。
どうしても、人魚姫が悲恋に晒されるというのなら……私が、私達が!人魚姫だけの正義の味方になる!世界が人魚姫を否定するというのなら、私達だけが人魚姫を肯定し続ける!!
――と。いう事で、産み出されたのがこの『真・人魚姫大全』。簡単に言えば、人魚姫ガチ勢の『人魚姫にも愛の手を連盟』が、各々書いた人魚姫を題材にした二次創作を纏めた同人誌に近しい書物である。
大多数に読まれる事を想定していない簡素な製本方法で纏められたこの本は、カルデアボーイズにはその存在すら秘匿されていたが――金にがめついとある獣耳の女王を買収する事で、誰にも言わない事を条件にアンデルセン達も手に入れていた。
その内容は、ピンからキリであった。
ミス・キュケオーンが全力で書いた『人魚姫~パーフェクトキュケオーン~』や、有名なエロ本の権化みたいな人が書いた『人魚姫始め』などの、作家勢もそれなりにふむふむと読める物もあれば、盾サー新人の後輩やラスボス系小悪魔後輩が書いた、明らかに誰かを投影しただろうなぁ深夜に書いたんだろうなぁと思うほどのヤバい奴など、実にレパートリーが豊富だった。
アンデルセンは一度読んだだけで頭痛くなったので読むのを止めたが、シェイクスピアは最近の愛読書にしていた。稀代の劇作家様から見れば、お笑い番組でも見ているようなものらしく、ストレス発散にいいんだとか。実に趣味の悪い。
「一つの題材でこれほどの数の物語が産まれる……我が友も、実は鼻高々なのでは?」
「そんな訳ない。読める物もあったが、改悪もいいとこだ。アレの重要なとこが掴めてない」
「その重要なとこが婦人方には堪えたって事でしょう?」
「惰弱な」
「……嫌がってるにしては頬がちょっと緩ん――」
「おっと手が滑った」
「――いや、もう投げてるじゃないですか!!」
綺麗な放物線を描いて棚の上へと飛んでいくインク瓶を慌てて追うシェイクスピアの背。
それを横目に見たアンデルセンは――机に置かれた『真・人魚姫大全』を見る。その目には明らかな呆れが滲んでいた。
アンデルセンからしてみれば、
皮肉屋で口が悪いで通っている彼だが、作品や言葉に大して真摯な事は誰もが承知しているところ。故に、『人魚姫にも愛の手を連盟』も抗議はするし続編も望むが――改変は望まない。一つの“物語”としてそれを受け入れているからだ。
だからこそ、自分達の中だけでも――幸福を見出す為に、『真・人魚姫大全』なんてものが出来上がった。
だから、アンデルセンは呆れるし嘲るが――否定はしない。
――だからか。
「ん?」
その『真・人魚姫大全』がやけに眩しく感じる。
それが――
シェイクスピアも原稿の救出に失敗し、端に付着したインクに絶叫していた。
――その時に、
「――理解出来んは私の台詞ですよ!染みが!私の原稿に染みがっ!!」
「すまんな」
「雑いっ!!」
彼らの鼻孔を擽る――
それが緩やかな微風とともに、その本を掻っ攫って行ったのを。
彼らは――
「……マーリンか」
「マーリン殿ですな」
――気付いていながら、気付かない振りをしていた。
と。
作家二人が、触らぬ神に云々をした一方。
カルデアのマスター、藤丸立香は――カルデアの中心部にほど近い、食堂・カフェテリアにいた。
「………」
多くあるテーブルの一角。皿に乗った数枚のクッキーに冷めかけのコーヒー。後一切手が付いてない麦粥――キュケオーン。
椅子の背もたれに全身を預け、首を投げ出し、ぼんやりと天井を眺める彼は、いつもとは違った。
いつもは能天気で、木漏れ日のように明るい彼。だが――今はそれに生彩は無く、どんよりとした薄汚れた灰色の雲を連想させる雰囲気を漂わせていた。
――彼は救世主である。
本人が否定しようとも、その事実に変わりはない。
人理焼却によって滅びの危機に残された人類唯一の希望。ほんの少し前はただの一般人であった彼にとって、それはまさしく重荷であった。
だが、成し遂げた。それは一重に周りの支えがあったから。皆が団結した。そうでなければ、生き残れなかった――あらゆる意味で。
故にか。彼の心の中に――
「………」
全てが終わりを迎えたから。
ふとした事で思い出してしまう。失敗した場面や悔いる場面。まるで映画の一コマのようにまざまざと脳内に浮かび上がる。
ここでああしていればもっと何とかなったかもしれない。ここでこうしていればもっと上手くいっていただろう。あそこで的確に指示をしていれば誰も傷付く事は無かった。
――
――
……後の祭りと言ってしまえばそれまでだ。きっとカルデアの誰かにこの悩みを打ち明けたらこう言ってくれるだろう――「貴方は最善を尽くした」と。慰めではない本心から、そう言ってくれる善い人々である事を立香は知っている。
でも、それでも心には残るだろう。付き纏う――後悔は。
だからこそ、立香はこの事を誰にも明かしていない。一番信頼出来る後輩にさえ。
――今日は変な夢を見た。
そのせいで今日は余計に、その考えが頭にこびり付く。
だから、鬱屈した気持ちを打ち消す為に――皆が良くいるカフェテリアに遊びに来た……の、だが。
「……うー」
――まさか誰も居ないとは。
いつもは誰かはいるはずなのに。廊下でさえ、誰ともすれ違う事は無かった。……懐に仕舞ってあるトランプが実に虚しく、実に重たい。
食堂には、カルデアのオカンは居たが、コーヒーとクッキー。そして毎日毎日大魔女様が作り過ぎているキュケオーンを出したっきり厨房に引っ込んでいる。話しかける隙すらなく、なんだか近寄りづらい。
「なんで今日は誰も居ないんだろう。運無いなぁ……」
――と。
立香は思っているのだが。
本来ならば、カフェテリアは憩いの場であるからして。
戦いがほぼほぼ終わりを迎えたサーヴァント達は、現在は暇に暇を持て余している為、いつもは大して用も無いのに最寄りの病院に集まるご老人のように沢山いるのだが。
――今日のますたぁ・マスター・我が息子にお元気がありません。
という、ストーカー蛇娘・抱き付き兵器・自称母の密告を受けて――流石に今日ぐらいは一人で休ませてやるか、という世話を焼いた結果、カフェテリアに人はいないという結果になった。
姿を見せない皆は、今日はマスターに迷惑を掛けないような暇潰しを思い思いに楽しんでいたりする。……それでも側にいたいというカルデアガールズも居たが、周りに「真に想うなら今日ぐらいは放っておいてやれ」と説かれたり、力づくで連れて行かれたりなど大人しくするしかなく、マスターといつも一緒にいる後輩でさえ、その気持ちを抑えて、寂しさを紛らわすように『人魚姫にも愛の手を連盟』の活動に勤しんでいる。
戦いの中の一年間。
彼らはまるで一つの生命のような連携を見せていたが――ここまでのミススルーは初めての事だった。
ポリッ………とクッキーを食べる音が虚しく響く。
何も知らない立香はなんか泣きそうだった。
「ぐずっ………暇だなぁ」
「――じゃあ、僕と遊ぶかい?」
――ぬっ。
そう表現するしかない擬音と共に、テーブルの影からひょっこり顔を出してきたのは――ゆるふわ系の雰囲気を漂わせているだけの性根ドグズの花の魔術師、マーリンだった。
爽やかで甘い花の香りを漂わせる爽やかな彼の笑顔。
――違う意味で一瞬にして涙が吹っ飛んだ立香は……すぅ……とコーヒーを啜る振りをして顔を背けた。
「……忙しいなぁ」
「全然忙しそうには見えないけど?」
ああ、くそっ。絡むな。絡んで欲しいけど絡むな。
立香は確信していた――絶対に
何とか避けようと策を弄する。
「いや、今マーリンをどうやってぎゃふんって言わせようか考えてるのに忙し――」
「――ぎゃふんっ」
「………」
「………」
「……よっこいせっ」
「いや、ちょっと待って!何も言わないでどっか行くのは流石に僕が可哀そうだとは思わないのかい!?」
立ち去る口実を手に入れた立香がそそくさとその場を離れようとすると、マーリンが服の裾を掴んでしがみ付いてきた。
振り払う……のも、なんか可哀そうなので立香が席に戻ると――それを見たマーリンが、嬉しそうに対面の席に腰掛けてきた。……マーリンとはいえ、話し相手が出来た事は立香にとって嬉しく、お礼に喜んでキュケオーンを差し出「あっ、いらないよ」す前に止められた。
さもありなん。毎日三食おかわり付きキュケオーン食べていれば、その気持ちは分かる。立香は意識的にキュケオーンを視界の外に追いやった。
「それで。マーリンが絡んでくるなんて珍しいね?いつもはオリオンと一緒にナンパしてるじゃん」
「いやぁ、今日は彼がアルテミスに見つかって折檻中なんだ。それでどうしようかなぁって思ってたら――僕の部屋に便りが来ててね」
「便り?誰から?また職員の人に無意識に魅了掛けたの?もー、またアルトリアズに怒られるよ」
「はははっ、違う違う。実は――カルデアに僕の友人がやってくるんだ」
「友人……?」
ピシッッ!と固まる立香。
マーリン……の、友……達……!?
「マスターと知り合う前。妖精郷にいた時に知り合ってね。特性的に意気投合したんだ。人理焼却で動けなくなったのを君のおかげでやっと解放されたっぽくてね。
「……マーリンの、友達……!ヤバイ奴の友達……!!」
「……本人の前で言うかなぁ。良い奴だよ?
マーリンの友達というパワーワードに戦々恐々としている立香だが、その最中でも――彼の言葉の端々にある、わざとらしいアクセントには気が付いていた。
怪しい。実に怪しい。
だが――それをわざとやってきたくせに真っ向から笑顔で誤魔化しに掛かってるマーリンに何を言っても無駄なのは、少なくない彼との経験から知っていた。
マーリンは、“興味を持たせるくせに教えない”という、何とも友達が減る話し方の常習犯なのだ。
「……どうやってくるの?徒歩?」
「僕みたいには無理かな。
「……サーヴァントの人?」
「
立香は思った――うわぁー、会いたくないなぁー。
マーリンの友達というだけでも結構アレなのに、言葉の端々に覗く、明らかに普通じゃない感がヤバい。
只でさえ最近、その気になれば世界全てを快楽の渦に叩きこめるヤバい人とか、人如きが認識出来ない彼方の世界にも繋げられるヤバい少女とかが居るのだ。これ以上、ヤバい人が増えたら『これじゃあ、俺達が特異点起こしそうだなアッハッハッハ』とかなんとか笑ってた職員のジョークがジョークじゃなくなる。
「さて!まあ、前置きは置いといて。これなんだけどね――」
「……っ!!」
「……そんな嫌そうな顔しなくても大丈夫大丈夫!ヘーキヘーキ!ヘーキだから!危ないモノじゃないから」
まるで信用ならない言葉を発しながら手元を漁りだしたマーリンに、立香は物理的抵抗を図る事にした。
机にしがみ付き、椅子に足を絡め、手のひらに器に並々と入ったキュケオーンを乗せる――近づいたら、パイを投げつけるが如く立香の為を想って作られたキュケオーンを投げつけるという非人道的行為に手を染めてでも阻止したいという立香の確固たる意思に、マーリンも苦笑い。
しかし、やめる気は無いようでジリジリと距離を詰めてくる。実に楽しそうな笑みを浮かべて。
「………」
「………」
事態は拮抗。向かうは泥沼。柱の陰にいつの間にか居た涙目の大魔女様が見つめているのを見つけて罪悪感が募る中。……居たんだね。声掛けてくれても良かったのに。
「……わかったよ」
先に折れたのは、立香だった。机の上にキュケオーンを置き、カルデアのオカンっぽいニヒルな笑みを浮かべる。
柱の陰の大魔女様が花が咲くような笑顔を浮かべたが――そっちじゃない。
「なんか知らないけど、やればいいんでしょ。やれば」
「うんっ。流石マスター。なんだかんだ言って付き合い良いのは君の良い所だよ。僕はそういう君が大好きさ」
マーリンは実に綺麗で爽やかな笑みでマスターを褒める。
ガワだけ見れば、同性でもキュンッ……と来そうなくらいだが――本性を知っているから、口元が引き攣るのを立香は止める事が出来なかった。
「そういう訳で……じゃじゃーん!」
そんな立香を見て、余計楽しそうにし出したマーリンが懐からテーブルに出したのは、一冊の本。
紐で縛った簡素な本だ。やり方は古文書みたいなのに紙が真新しいのを見るに、最近作った奴だろう、と立香は当たりを付けた。
テーブルに置かれた“ソレ”を、立香はまじまじと見つめた。
「……『真・人魚姫大全』?なにこれ?アンデルセンがまた人魚姫を書いたの?」
「いや、そうじゃない。これは人魚姫の結末が気に入らない人達が、思い思いの作風で書いた――
「ふーん……?」
マーリンの事だから、見た瞬間目が焼かれるとかそういう突拍子の無い物でも出してくると思っていた立香にとってその本は、首を傾げながらも興味が湧き出てくるものだった。
人魚姫大革命……訳して、人革において休暇が半年以上無くなったからこそ興味も湧く。それにハッピーエンドというのが特に。
――あり得ないものだから。
「こんなのあったんだ。革命の同志達が書いたの?」
「ああ。中身もガチのガチ。本職顔負けさ。原作者も流石に頷かずにはいられない物もあったよ」
「へぇ、アンデルセンが」
普段な結構アレだが、弁論と文章にだけは決して妥協しない彼が認めるほどのクオリティ。
そう言われて興味抱かない訳が無い。視界の端で、大魔女様が顔を真っ赤にして固まっているのを見ると、彼女の物もあるのだろう。
これは気になる――
「気になるだろう?さっ、読んでみるといい!」
――だが、マーリンにそう言われると食指が動かないのはなんでだろう。マーリンの日ごろの行ないのせいなのか。
「………!」
絶対に何かある。
本を取るか、ページを捲るか。それがなんであれ、この本に何らかのアプローチを仕掛けたら絶対に何かある――死ぬほど嬉しさが止まらないって顔をしているマーリンを見れば、それは確信の域にすら達する。
マーリンの提案を受け入れた以上、やるしかない。……別に、視界の端でもう切羽詰まって首を振るしか出来ていない大魔女様がそんなになるほどヤバいブツを見たいという誘惑があるわけもないはずがないのだ。
「……すぅ」
深呼吸を一つ。
「えいっ」と意を決してページを捲る。
…………。
一瞬の間があって、なんだなんにも――と思っ
それは一瞬だった。
本からパールのような白色の光が音も無く、バァアアアッッと広がる。
その光量は、柱の陰で『黒歴史を見られちゃう!でも……アレを読んだら私の思いに気付いて……あっ、だっ駄目だよマスター!皆の前でそんな――!』とかなんとかかんとか恥ずかしがりまくっていた大魔女様――キルケーを目を一瞬にして覆い尽くすには十分だった。
あまりの光に「うおっ!」と乙女らしからぬ低音が出た事に体温が上げるのを感じ、彼に聞かれてないよね……?と不安混じりに視線を向けると、
「あれ……」
――姿形も無かった。
愛しの彼も、たまにからかってくる嫌なマーリンも――バリバリ主人公投影で痛々しさ抜群のくせに文章力でそれらを完璧に捻じ伏せた
何一つ――魔術の痕跡すら感じ取れない。キュケオーンだけが残されていた。
――カルデア中に、聞き慣れたが聞き慣れないサイレン音が響き渡る。
慌てた職員の声と共に、彼が最後に居た場所と目される食堂に集まるように通知が為された。直ぐにドタドタと多くのサーヴァントがなだれ込んでくる。
その様子を柱の陰で見ていたキルケーは、
「えっ、えらいこっちゃ……」
そう困惑しながら呟くしか無かった。
この後。
最後に立香が目撃された場所にいたキルケーが第一容疑者として軽く疑われたり、今日なし崩しに締結されていた乙女紳士協定に反した事で絶対零度の眼差しで見られる事になり――彼女はガチ泣き一歩手前にすら追い込まれる事になる。
哀れキュケオーン、
キルケー可愛い結婚して。