「すみません、ここは休憩所ではありません。」
ハッとして顔を上げる、図書室の職員が目の前に立っている。どうやら寝てしまってたようだ。
「すみません・・・」
「お疲れでしたら、ご帰宅されては?」
「あ、いえっまだ・・・やることが・・・」
「・・・」
懐疑的な視線を送ったまま職員は受付カウンターへ戻った。いけないいけない、講義に出るのがめんどくさいから自習していたつもりが寝てしまっていたようだ。とりあえず今日中には卒論を形にしておきたい、自宅では資料不足になるから図書室で作業をするのがもってこい。僕はペンを走らせる、するとまた目の前に誰かが立っている気配がして顔を揚げた。
「ちゃす!もりのくん!」
そこには年の離れた同級生が笑顔で立っていた。
「ゆんさんじゃないですか、ちゃす!」
ゆんさんは一度社会人になったけど、何か違うと言ってあっけなく辞めたらしい。本名は知らない、聞いても「難しい名前だから”ゆん”でいいよ☆」と教えてくれない。大学内の購買で知り合ってからというものの何かと僕に声をかけてくれる鬱陶しいようで鬱陶しくないというか何とも言えない絶妙な立ち位置の人だ。何を学びにここへ来ているのかは知らないけど、彼もまた頭が良いという噂はよく聞く。
「どうだい?卒論は?捗ってる?」
「まぁまぁ形にはなってきましたよ、図書室でやるのが一番捗ります。」
「もう講義出るまでもないのは羨ましいねぇ・・・俺とは大違い!」
「いやいや、何を言いますか・・・」
「今日は何時ぐらいに帰宅予定?」
「うーん、16時頃には自宅に戻りたいですねぇ。」
「あぁーそっか、どっか遊びに行こうかなって思ってさ、息抜きに」
珍しい人に誘われたもんだ。こういうことは今までなかったことだから気持ちが揺らぐ。
「えっと、何するんです?」
「ビリヤードかダーツとかどうかな?」
「いいですね、なら行きますよ。」
「予定変更しちゃって大丈夫?」
「大丈夫です、そのまま飲みに行きますか?」
「ほー!いいね!行こうか!」
「じゃあ、行きますか。」
「あれ?今から?卒論は?」
「大丈夫です、行きましょう。」
「君がそう言うなら・・・」
以前までの僕ならこういう誘いは断っていた。だけども、勉強尽くめの学生なんて面白くない。せっかく誘ってもらってるし、なにより気の合う人だし、と自分の中で言い訳を繰り返しながら荷物を纏めた。ゆんさんは携帯を触りながらどこにいこっかな~と上機嫌だ。
「やっぱ駅前のがいいよな、お店たくさんあるし。」
「お任せしますよ。」
「そういやもりのくんはお酒強いの?」
「弱いです。」
「よ、弱いのか・・・」
チューハイ一本でもう世界がハッピーになるとは言えない。僕たちは図書室を出て、大学をあとにした。
大学から歩いて20分ほどで駅前の商店街に着いた。ここの商店街は見た感じは古臭いのだがお店は最近の流行を取り入れているところが多く、ここへ来れば買い物は困らないとメイド達が言っていたのを覚えている。僕自身来たのは数回なので詳しくないのだがゆんさんは常連なのかどんどん歩を進めていく。
「ダーツバーは今の時間からは開いてないから、ビリヤードにしよう!」
「わかりました。」
ゆんさんはそう言って商店街の中ほどまで来た時に路地へ入った。するといかにも常連客の多そうな小さなお店を指差し、二人で中へ入った。少し暗めの照明が店内のビリヤード台を照らしている。
「いらっしゃい!ゆんさん、今日は男友達かい?」
ここの主と思われる白髪オールバックに立派な髭を蓄えたマスターがゆんさんに声をかけた。やはり常連のようだ。今日はというと普段は女性を連れて来ているのかな?
「そうなんすよ!彼を一回ここに連れてきたくて!」
「嬉しいねぇ・・・台は適当に選んでやっとくれ。何か飲む?」
「俺はいつもので!もりのくん何か飲む?」
「お、オレンジジュースを・・・」
「可愛いなおい!」
「かしこまりました、では用意するよ。」
マスターはバックヤードへ下がった。
「もりのくんビリヤードやったことあんの?」
「実はないんです・・・」
「よし、教えてやろう!でも難しいぞ?」
「よろしくお願いします。」
ゆんさんのビリヤード講座が始まった。他に客はおらず、邪魔もないのでスムーズに講座は進んでいった。気づけばキューを持って笑いながら遊戯する僕たち。傍らの小さなテーブルにはさっき頼んだ飲み物が置かれているのに気づいていいない。何度か遊戯する度に徐々にコツというか感覚が分かってきたきがした。これはハマりそうだ。
「いいね!もりのくん!センスあるよ!」
「いやいや、教えてくれる人が優秀だからですよ。」
「はっはっは!褒めても何も出ないぞ!」
「ホントのことですよ!」
こういった時間が人生において一番楽しいという事は人類みなわかるはず、何かを好きになり、何かに没頭して、何かの為に知識を得て、何かの為に努力する。それが人生だと僕は思う。縛られて何も出来ない人生は辛い、でもそこから脱出するのは自分でしか出来ないのだから、行動を起こさなくてはならない。やる気がでないならまず何かを好きになることから始めればいい。そんなことをゆんさんは教えてくれている気がした。勿論、口に出してはいない。
あっという間に時間が過ぎ、段々とお店にも客が増えてきていた。マスターも忙しそうに応対している。
「もりのくん、そろそろ飲みにいこっか!」
「はい!」
「マスターすんません!帰ります!」
「はーい!また来てねー!」
マスターの笑顔に見送られて僕達はお店を出た。今度は一人で来ようかな。
「おわっもう日が暮れてるじゃん、なに食べる?」
「ゆんさんの良く行くお店がいいです。」
「そこは行けないなぁ・・・ハハハ。」
照れながらやんわり断るゆんさんに僕は察した。
「じゃあ、今日は魚料理がいいです。」
「お、若いのに!じゃあ行くか!」
また商店街の中へ戻っていく、ビリヤード場からほんの数十メートル歩いたところにあった”マグロ”と”エビ”の専門居酒屋を見つけお店に入った。
「いらっしゃいまし。」妖艶な着物に身を包んだ美しい女性に出迎えられた。
「お二人様ですね?」
「あっハイ」
「どうぞこちらへ・・・」美女は僕たちを個室へ案内した。
「ゆんさん、ここ大丈夫すかね?高いんじゃ・・・」
「わかんね・・・外から見た感じだと普通の大衆居酒屋っぽかったけど・・・」
ひそひそ話してると今度は威勢のいい女性が現れた
「はーい!あっつあつのおしぼりだよぉ!
」投げ気味におしぼりを渡され二人して同じリアクションをする
「「アッツ!」」
「じゃあ、注文聞くけど、何にする?ア・タ・シ?」
「へ?」
思わず動揺した僕たちにさっきの着物の女性が飛んできた
「ちょっと!キーちゃん!ダメじゃないですか!ちゃんとやってくださいまし!」
「えぇー冗談なのにー」
「せっかくのお客様に対する態度がなってませんよ!」
「いいじゃん!フレンドリーに行ったら!固いよドラ子はさぁ・・・」
「星代です!」
呆気に取られて眺めていたら奥から店主がやってきた。
「ダメじゃないか二人ともちゃんとしなきゃ・・・」
その男は顔に大きな傷があり筋骨隆々。一目見て前職が分かる風貌、開いた口が塞がらないとはこういう意味でも使えるんだと悟った。
「お客さんすいませんねぇ、ご注文お伺いします・・・」
ニッコリ笑う店主に僕たちはなす術も無く
「とりあえず生2つください・・・あと適当につまみを・・・」
「かしこまりましたぁ!」
威勢よく返事をしたあと言い争う二人を脇に抱えて厨房へ戻って行った。
「ゆんさんココ大丈夫ですかねぇ・・・」
「だ、だ、だ、大丈夫だろ・・・」
しばらくしてドラ子さんがビールを持ってきた。
「お待たせしました、どうぞ。」
するとお通しを持ってきーちゃんがやってきた。
「あいよぉ!お待たせぇ!」
何だかこれはこれでアリなんだろうとも思い始めてきた。とりあえず乾杯をして一口飲んだところで僕の意識はそこで無くなっていった。