翌日、指定の場所、指定の時刻前にメイベルは現れた。
「あら、早いのね」
と声を掛けるテュカ。
「集合時間には五分前の五分前に準備を終えていなければならぬ。海軍では遅刻は敵前逃亡と見な
され、死刑で銃殺じゃからな」
冗談とも本気ともつかぬことを真顔でいうメイベル。テュカか困惑した表情を見せるが、その心
は"ゴフンマエって何?"である。知っている人は知っていると思われるが、五分前行動、なる教訓
は多様な組織で示されていると思うが、"五分前の五分前"は海上自衛隊独特のものである。
そんなことより気になったのが、なんかこう物々しい、違和感を覚た。よく見てみると格好が少
し変に感じたのだが、さしあたって一番気になったことから聞くことにした。
「左後ろに留めてある手巾は何?」
帯に安全ピンで留めてある布を指さした。
「"テヌグイ"というニホンの手巾じゃ。手巾ゆえ使い道は様々じゃが、煙などを吸わぬように口を
塞ぐ、というのが有益な使い方じゃろうな」
「腰カバンの右側から出ている手袋は?」
「"グンテ"作業用の手袋じゃ。手は怪我しやすいので、保護した上で作業をしなければならぬ。つ
まらぬ怪我をして戦力を減じるのは愚かじゃからな」
「その靴は知っているわ。ジエイタイと同じものでしょう?」
「かの者達は公僕故、官品という支給された物じゃが、躬はアメヨコで購った物じゃ。軽くて丈夫
、さらに履き心地着の良い物じゃ」
テュカは"そうじゃなくて"と言いたかったが、メイベルが得意げに胸を張って答えたため肝心な
疑問点を聞けなかった。準備が万端であることは理解したが、テュカの質問の趣旨は"それは何の
意味があるの?"ということだったのだが。
知っている人は知っていると思うが、これは海上自衛隊の"戦闘服装"というものをメイベルなり
に準じている格好なのだ。本来はズボンのベルトに手拭いを通し、左のポケットに入れる。使い道
はメイベルの言うとおり消火活動時に煙を吸わないように口を覆って後ろで縛る。ガスが発生した
時も同様。右側のポケットには軍手、又は革手袋を入れておく。あらゆる作業は手袋直用のこと。
それは自衛隊に限った話ではなく、現場作業の職業では一般的な安全則だ。そして安全靴の着用と
ズボンの裾を靴下にインする。そうすることで突起物等に引っかかったり挟まれたりすることを防
ぐ。ちょっと見た目を気にする人は"足ゴム"と呼ばれるゴムでズボンの裾を内側から留める方法も
ある。
テュカは見た目が奇抜、というか奇妙な事について質問したのだったが、メイベルは気にかける
風もなく胸を張っている。"準備は万端"という主張である。テュカ達はその珍妙な格好が海上自衛
隊由来の戦闘服装であることは知る由もないが、"恐らくは"誰かに感化されてのことだろうことは
想像し得た。そこを茶化したい衝動に駆られたが、これまでの様子から皮肉の通じない相手と見え
たので黙っていることにしたテュカたちだった。
「準備ができたら出発する」
レレイは人員が揃ったことを確認する。テュカ、ヤオ、村長、そしてメイベル。個人の準備は完
了している様なので、馬車、水、糧秣、そして自衛隊から借りた通信機の感度を確認する。
「メビウスー3レコン、コダ村へと出発する」
レレイ一行乗せた馬車は昼過ぎに到着した。通信機で到着を報告し、作業に入ると告げた。
「具体的には何をするのじゃ?」
レレイの説明によると村の資産、公共施設、周辺状況の確認。具体的には村の住人の家屋、物置
、納屋。家畜小屋、放牧地の柵。井戸、村長宅、共同の貯料施設。即時使用に耐えるか、修理の必
要の有無、程度。主の有無(主のないものは炎龍遭遇時の被災者)。村の生活、運営を始めるため
の下調べという。
村長立会いのもと、村の広場に近い家屋から始め、滞りなく調査を進め日暮れ近くにその日は終
了とした。村長の自宅兼村役場にて宿泊させてもらうこととした。
夕食の準備である。野営ではなく住居の竈があるので自炊することとした。自衛隊から支給され
た缶飯等のレーションもあったが、切迫した状況でもないので使わないこととした。
鍋でスープ。メイベルがもってきた米と村長の自宅に残っていた大麦で米を炊く。干し肉、チー
ズ等携行保存食を合わせると、結構豪華な晩餐となった。
「このチーズは日持ちがせぬ故、食べてしまわねばならぬ。皆も食ってくれ」
と持参のチーズをメイベルが振舞った。各々それに手を伸ばす。
「あら、香りがちょっと独特だけど美味しいわ。葡萄酒にあいそうね」
とテュカが同意を求める。と、周囲を見渡すと小さめの瓶から透明の液体を小さめのカップに注
ぎ、ちびちびと舐めるようにあじわうメイベルを見つけた。
「何それ?」
「これは薬湯じゃ。先日来ちょっとだるい故、用心の為飲んでおる」
「薬が一瓶って多くない?」
「苦いゆえ薄めておる。これはこれで大変なのじゃ」
見咎められたことに対する言い訳に見えた。テュカはピンときた。
「その瓶に書いてある文字は薬っぽくないけど?」
テュカはカマをかけてみた。瓶のラベルには感じが書かれていたが、少し理解ができる風を装っ
た。
「"〆""張る""鶴"というのが名前なら、薬湯ではないはず」
一呼吸おいてレレイは続ける。
「それとも"般若湯"とでも書いているの?」
「 !!! 」
メイベルはいろんな意味で戦慄した。この世界の誰より(少なくともこの場では)ニホンの諸事
情に精通していると思っていたが、そんな言葉まで見知ったものがいるとは!
「ちょっと貸しなさい!」
二人のやり取りが意味不明で呆気にとられていたが、メイベルに一瞬の機能停止の隙を突いてテ
ュカは当初の目的を達することができた。
おもむろにコップの中身の匂いを嗅ぐ。
「これはお酒ね!」
と言うが早いか一気に飲み干した。
「ああ、勿体無い!そんな飲み方をするでない!」
「美味しい!しっかりと味があるのにすっきりしてる。後味はフルーティですらあるわ」
「くいくい飲むな!アテをつまみながら味わって飲むのが嗜みというものぞ!」
「チーズもいいが、干し肉のような塩辛いものにも合うな」
ヤオもいつの間にか口にしていた。
「分けてやるから返すが良い!」
やっとの思いで五合瓶を取り返す。メイベルは別の"クリームチーズ"を取り出すと、皿に盛り、
何やら柔らかい筒から絞り出した緑色のペーストをチーズに乗せてかじり始めた。
「今度はなぁにぃ?」
とイイ感じで酔いの回ったテュカ垂れかかってくる。絡み酒のようだ。
「試してみるか?辛いぞ」
小指ほどのペーストを乗せたチーズをテュカに渡すと一口で頬張った。
「 !!! 抜ける!鼻から!なんかキツい!!」
「じゃから辛いというたであろうが」
緑色のペーストの正体はワサビ。初めて、しかも大量摂取とあっては堪らない。かなりのダメ
ージを負ったテュカはそのまま討ち死に。程々に腹を満たしたところでお開きに、テュカ以外の
面々は明日に備えて就寝とした。
村の調査を始めて三日目。130件程の家屋を調べ終え、残り後数件程となった。村の中央広場
から比較的離れた家を調べ始めた時だった。
「戸締りがされていない」
レレイが皆に告げた。場の空気が張り詰める。
当時、炎龍襲来の報は急にもたらされた。慌てて出ていき、戸締りをしなかった可能性もあ
る。
「板を打ち付けた跡がある」
何者かが戸板を外し、内部に侵入した可能性が出てきた。この家の一家は炎龍に襲われた際
、全員が死亡している。家人が帰ってきたという可能性はない。
レレイは目で皆に合図した。中野様子を確かめるというのだ。
メイベルはレレイの10歩程後ろにつけた。屋内に害意を持つ者の存在を想定し、無言で合図
し体制を整える。ヤオはメイベルのかなり後方に位置し、クロスボウを構える。テュカもコン
パウンドボウに矢を番える。村長は馬車で待機。レレイは全員の配置を確認した。
扉の取っ手に手をかけ、そっと開き戸を開けた。
ゆっくりと開いた扉が半分程開いた時。
「 ! 」
中から青白い細い腕がぬっと出てきて、レレイの持つ杖を掴んだ。
レレイは咄嗟に空気を炸裂させる魔法を発動。姿の見えぬ手の主に放った。
「 ...!! 」
声にならないうめき声と、昏倒したのか床に打ち付ける音。
「レレイ、下がられよ!」
レ例は飛び退いた。魔法の呪文の詠唱をしようとしたが、メイベルが鯉口を切りつつ走り
込んできた。
家の中から青白い、子供程の背丈の怪異が短剣を振りかざしつつ飛び出してきた。ゴブリ
ンだ。
剣を突き出したゴブリンの腕を、メイベルは抜き打ちに斬った。
痛みに悶絶し、もんどりうって倒れるゴブリン。
メイベルは横に飛び退き、射線を開けた。
テュカとヤオの放った矢が、倒れたゴブリンに吸い込まれるように突き刺さる。
ゴブリンはそれっきり動かなくなった。
続いてレレイの杖を持ったゴブリンが飛び出してきた。
杖の長さを利と見たか、大上段からメイベル目掛けて振り下ろす。
下段の構えから、刀の峰で杖を弾く。
体勢を崩し、たたらを踏むゴブリン。
メイベル、中段から刀を引き、手を添えて構える。狙いを定め一気に踏み込む。
"片手平突き"
ゴブリンの予想よりも遥かに伸びた切先は、心臓を深々と貫いた。
刀を引き抜かれたゴブリンは力なく崩れ落ちた。
止めの矢は飛んでこなかった。
刀の血糊もそのままに、メイベルは構える。
「討ち入る、後詰めを!」
「承知!」
とヤオ。
「待って、明かりを入れる」
レレイが短く呪文詠唱すると、フワフワと浮かぶ光球を発生させた。その光球
はメイベルの背丈よりも少し高く浮かぶと、スルリと家の中に入って行った。
「参る!」
メイベル、下段に構え、踏み込んだ。ヤオもサーベルを構える。
更に奥の部屋、闇に何か蠢く。テーブルを避け、光球を先行させ、奥の部屋に踏
み込もうとした時。
"バタン!"音とともに奥の部屋に光が差し込んだ。
"蠢く者達"がその光源に駆け上った。
メイベルが踏み込んだ奥の部屋の窓が開き、二匹のゴブリンが外に飛び出す。
窓からこぼれ落ちるように飛び出してきたゴブリンは、よろめきながら逃走を
図る。
テュカは矢を番え、放った。正確無比にして、エルフならではの速射。ゴブリ
ンはたちまちハリネズミのようになり、絶命した。
ゴブリンのうめき声が絶えたあと、静寂が訪れた。
それは怪異が全滅したことを告げた。