アリスといた《雲上庭園》は80階。このセントラル=カセドラルは100階まであるらしく、最高司祭アドミニストレータがいるのが100階。ラスボス感あって分かりやすい。つまり、俺はあと20階分上がればいいわけだ。ユージオが先行しているし、安全にとはいかないかもしれないが、着々と進めるだろう。
「走るのも面倒だし、歩いていくんだけどな」
内側からあの壁を見た限り、何ブロックも積み重なって、この塔が建てられているということは明白だ。ブロックとブロックの間も何も入らないほど密度があるわけでもなさそうだった。どういう手段かは知らないが、キリトとアリスも塔も着実に登っていると考えられる。《不朽の壁》の時には怯えて泣いていたが、それも次第に慣れていた。今回もたぶん大丈夫だろう。
だから、不安要素があるとすれば、俺が全くと言っていいほど知らないユージオの方だろう。キリトと共にここまで上がってきたのだから、ユージオもまた強い。それは雰囲気からも察せられた。だが、整合騎士はおそらくいる。何人かは知らないが、少なくとも一人はいると考えていい。
──あの剣の力なら何とかできるのかな?
なんせ氷を発生させる剣だ。アリスは《金木犀の剣》が氷の範囲外だったからすぐさま復活したが、そうじゃなかったらあれで負けてた。って考えたらあの剣最強武器なんじゃないだろうか。やるなユージオ。どこか不安定そうというか、心が揺らぎやすそうな感じがしたけど、誰相手でも勝てるんじゃね。
「それにしても、こうも階段続きだとこの構造にも呆れるな。無駄に高く作られてるというか、権威を示したいのかね」
昔から人間は権威を示すのに高さや大きさを利用する。いや、人間だけではないな。動物の多くがそうだ。敵を威嚇するとき、雌の取り合いをするとき、勝敗を決めるのに、自分の体の大きさが関わる場合がよく確認されてる。そして人の場合は建築物でそれが出る。日本なら古墳だ。前方後円墳でも大阪にある仁徳天皇陵が最大だな。エジプトはピラミッド。ピラミッドはエジプトだけでなく、南アメリカにもある。神話で有名なのは『バベルの塔』だな。こんな感じで天を目指して高く建てられていき、あまりにも高くなったことで神が壊したという塔。
この世界でも神はいるらしいが、リアルの神話のように塔を壊したりすることはないらしい。ま、神の存在なんてあやふやだからそれも当然なのかもしれないな。
「ん? 大扉か……これ俺開けれっかな」
一人で黙々とひたすらに階段を登るのにも飽きてくると、途中で座り込んで休憩もしていた。キリトとアリスと合流できるのは、当分先だろうからな。だってどう考えても壁をよじ登るより階段を上がるほうが早いのだから。
そうしてダラダラ登ってきたらやっと次の大部屋にたどり着いた。そしてやはり馬鹿でかい大扉。《雲上庭園》の時はデュソルバートに開けてもらったし、俺が一回開けようとしてめちゃくちゃしんどかった記憶がある。そして今回は他人の助けはない。リベンジマッチだ。
「ってわけでもないのか。開いてるもんな。ユージオが先に行ってるんだしそれも当然か」
人一人通れるように扉は開けられており、俺もそこを通らせてもらった。開けたまんまにしてくれるなんてユージオは優しいな。きっとあの甘い顔と裏のない優しさでユージオも一人ぐらいは落としてるに違いない。というかティーゼは絶対ユージオに惚れてる。超分かりやすかったからな。
部屋の中はどうやら大浴場のようだ。超広いし、湯気が部屋を満たしている。温度を確かめてみると、絶妙な温かさだ。まぁ、温度の高さは人によって心地良さが変わるんだけどな。だがこの温度は俺にとっては丁度いい。
「もしかしたら浴槽によって温度が変わるのかもな」
風呂屋とかで時たまあることだ。浴槽によってぬるま湯から高温の湯まである風呂。俺は40℃くらいがありがたい。そんなことを考えながら奥に進んだところで異変に気づいた。
「ユージオの……力、だよな」
アリスと戦った時の出力ならこんなことにはならないはずだ。範囲が格段に広がっている。考えられるのは三つ。ユージオの本来の実力ならこれができるということ。ユージオが覚醒か何かでもしたということ。そして、《武装完全支配術》よりも高位な技があるということだ。妥当なのはこの三つ目だろう。
そう考えた理由の一つはこの範囲だけじゃない。
「ん? 誰だあれ」
そこまで状況分析して、ようやく俺はこの浴槽の中に一人いることに気づいた。むしろなんで気が付かなかったのだと思うぐらい分かりやすいところに。その人はとても動ける状態じゃない。氷漬けにされた浴槽の中で
「たぶん整合騎士なんだろうが……、なんで風呂場でこんなことなってんだよ。こんなとこで戦うか? まぁそこは置いとくとして」
──石化している。それが問題だ
ユージオの剣の能力では石化などできない。おそらくキリトの剣も同様だ。そんなことができるのであれば、アリスとの戦いで使っていたはずだからな。そして当然整合騎士のアリスの仕業でもない。そもそもあの二人はまだ外だろうし。
当然ながら俺の仕業でもない。だって今来たところだし。つまり、俺たち咎人組でもなく、整合騎士でもない
それよりも、そうなると大きな問題が一つ発生する。この浴槽を凍らせたのはユージオだ。だがこの人を石化させたのは、味方ではない誰かだ。では、
「ユージオはどこだ?」
悪い流れが起きそうだ。
☆☆☆
「俺もユージオやセルカから聞いたことしか知らないんだがな。とりあえず俺が知る限りのアリスのことを話すよ」
「お願いします」
「君の名前はアリス・ツーベルク。ルーリッド村出身で村長の娘。小さい時から神聖術に長けていたらしい。君はある日、ユージオと共に北の洞窟に行きそこで迷子になる。出口だと思って進んだ先は反対方向のダークテリトリーだった。そこで君は整合騎士に負けた暗黒騎士を助けようとして躓き、コケたときに指先がダークテリトリーに入ったんだ。それで《禁忌目録》に違反したとして当時北方の警備をしていたデュソルバート・シンセシス・セブンに連行される。そして記憶を消されて今の君になったんだ」
「デュソルバート殿が!? ……そんな馬鹿な……」
「信じられないだろうが、これが君の真実だ」
信じられない。当然信じられる話ではない。デュソルバート殿が私を咎人として連行してきただなんて。そんな話聞いたことがない。デュソルバート殿からそんな話など……。
「整合騎士の誕生に関わる記憶は整合騎士であれ消される。だからあの人もアリスを連行したことなんて覚えてなかったよ」
「そう……ですか……」
「公理教会は……いや、最高司祭アドミニストレータは、自分を絶対に裏切らない忠実で強力か駒として整合騎士を作ってるんだ。偽りの記憶を与え、偽りの忠義心を作る」
「信じられません! そのようなことなど!」
「だがこれが真実なんだ! だから俺とユージオは整合騎士と戦ってでもここまで来た! 最高司祭を倒し、公理教会を正すためにも!」
キリトの目は嘘をついている者の目ではなかった。彼が語っていることはおそらく真実。でも、そんなの受け入れられるわけがない。私達の存在意義が揺らがされる。公理教会へのこの忠義心も偽りだなんて。
「いずれ戦争が起きる。それを迎えるのに整合騎士だけじゃ勝ち目なんてない。最高司祭は端から人界を守る気なんてない。最高司祭が守りたいのは自分なんだからな」
「……たしかに、騎士長も戦争のことを危惧していました。何度も最高司祭様に打診したとも……。ですが我々整合騎士がいなければ、すでに人界はダークテリトリー軍に攻め込まれているのも事実です」
「それは……」
キリトが言い淀む。おそらく、私達の存在ですら本来いない方が良かったのかもしれない。上流貴族たちが堕落したのも、公理教会という大きな存在があり、整合騎士という守護者がいたことが関係しているのかもしれない。
そこまで考えて、もう一度私の本来の記憶のことを考える。"セルカ"。大切な妹の名前。毎朝、毎晩呼んだ名前。思い出せないのに、その事は覚えている。自然と涙が頬を伝い始める。
「見るな!」
こんな姿など誰にも見られたくない。キリトに強く叫び、抱えていた膝に顔を埋めて嗚咽を漏らす。声を抑えようとしても完全には抑えられない。私の中に無いはずの妹を想う感情に従い、私は涙を流し続けた。
しばらくして涙も止まり、心もひとまずは落ち着かせられたところで私はキリトへと問うた。私はまたセルカに会えるのかと。
「……セルカに会えるのは……君であって君じゃないんだ。アリスの記憶を戻した時、今の君の人格は消滅する」
「そう……ですか……」
私がいなくなる。それはつまり、私はジークともう過ごせないのだ。共に過ごした時間は余りにも短い。もっと彼と話をしたいのに、もっと彼といろんな場所に行ってみたいのに。それを望んでは……いけない……。
「一つ……お願いがあります」
「ああ」
「記憶はすぐに戻さないでほしいのです。……遠目でいい。離れた位置から見るだけでいいので、セルカの姿を見させてください……」
「ああ。約束する。でも……その……
何がとは聞き返さない。キリトが躊躇いながらも言ってきたことが何を指してのことなのか、そんなの分かりきっているから。キリトたちの目的の一つに、私の記憶を戻すというものが入っている。だから彼らは実行するはず。
『アリスに会いたいからここまで来た』
──っ!
優しく笑いかけるように言ってきたジークの言葉が脳裏に蘇る。唇を痛いほど噛みしめる。ジークが無茶をしてまで会いに来てくれたのに、私はこの体を"アリス"に戻さないといけない。だから……。
「
「……分かった」
──ごめんなさい……ジーク
優先するのは私情じゃない。本来の持ち主に体を返す。当然のことをするまでのこと。もういいじゃないか。過ごした時間は短いけれど、その内容が濃かったのだから。騎士として生きてから今までの中で、最も濃くて暖かい時間を過ごせたんだ。これ以上欲ばってはいけない。
「私は今を持って騎士の使命を──ッ!?」
公理教会への疑念、最高司祭様への疑念。それらを考え、使命を捨てようとした途端に眼が焼けるように熱くなる。。激しい痛みで、まるで警告してるようなもの。それに、何か文字が見える……。これはいったい……。
「これも……最高司祭様が……?」
「おそらく違う。この世界を作った神の一人が作ったんだと思う」
「神……が。ふざけるな! 私は……私達は人形などではない! こんなものを作って、記憶も忠誠心も偽りで……思考まで奪おうなんて!」
「それ以上考えるな! 右眼が吹っ飛ぶぞ!」
私の異変に気づいたキリトが静止を呼びかける。この痛みに逆らうと右眼を失うのだと。なればこそ、私は公理教会への、最高司祭様への疑念を明らかにしないといけない。向き合って確かめなければならない。問いただし、最高司祭様の真意を知らなければ、人界のこの先について考えられない。
──だから!
「最高司祭アドミニストレータ! そして世界を想像した名も知らぬ神よ! 私はあなた方と戦います!」
意志を強く示し、そう宣言した途端右眼に耐えられないほどの痛みが走った。私が認知したのはそこまでで、私はその痛みに耐えきれずに意識を失った。
☆☆☆
私が眼を覚ましたのは、ちょうど《暁星の望楼》に着いた時だった。キリトに背負われてここまで来たらしい。一応礼を言って即刻下ろしてもらい、右眼に触れる。そこには布で作られた眼帯があり、それもまたキリトが付けたのだとか。
「ありがとうございます……」
「どういたしまして」
「おっ、やっぱここで合流できたか」
「ジーク! 怪我はありませんか?」
ジークが私達へと声を掛けながら歩み寄って来る。私もジークの方へと近づき、ジークの両腕に手を添えながら彼の体を細かく見る。見た感じ別れる前と違いはないのだけど、ジークなら見えないように隠してるかもしれない。それをジークに聞こうと顔を上げると優しく頭を撫でられた。
「ジーク?」
「よく頑張ったなアリス。
「っ! 知っていたのですか?」
「聞いただけだよ」
ジークの優しい手つきに目を細めていたけど、右眼のことを言われてすぐに目を見開いた。聞いただけというのは、ユージオから聞いたのだろうけど……。それなら全て知っていると考えた方がいい。だから、私はこの戦いが終わった後どうするのかをジークに打ち明けることにした。
「あのね、ジーク……」
「うん」
「私……
精一杯の笑顔でジークに私の決意を伝えた。私はいちゃいけない存在だから。勝手に奪ってこれまでの時間を使ってきた不届き者だから。それを元に戻すだけ。ジークならそれを分かってくれる。だってジークは──
「アリスはそれでいいのか?」
「え、うん。今そう言ったでしょ? これが私の意思で──」
「
「ぇ……?」
──やめて……
「なんで
「何……言って……」
──やめて……!
「アリスは嘘つくの下手だよな。三年前もそうだったけどさ。俺が分からないわけ無いだろ?」
「なんで……」
──私の心を暴かないで!
「アリスの本音は──」
「違う! 違うのジーク! 私は嘘ついてない! この体は
私の言葉が詰まった瞬間ジークに引き寄せられて抱き締められる。ジークの腕の中に収まって、ジークの胸に顔を埋めて。こんなことされたらせっかく作った壁が壊されそうで。
「アリス。なんで偽物は駄目なんだ? なんでアリスはいちゃいけない存在なんだ?」
「だっ、て……奪い取った……から、この名前も……私のじゃ、なくて……」
「アリスという名前はたしかにアリス・ツーベルクの名前だろうな。でも、アリス・シンセシス・サーティ。君の名前でもあるんだ。そして俺が知ってるアリスは、アリス・シンセシス・サーティ。君なんだよ。俺にとって今ここにいる
「ぁ……っ……」
なんで……なんでジークはいつも私に優しくしてくれるの。なんで私のこの心に優しさを、温もりを注いでくれるの。なんで私が欲しいものを与えようとしてくれるの。なんで……こんなこと……されたら……。
「整合騎士としての判断はさっき言ったことなんだろうさ。だから、今度は一人の少女としての
言っちゃいけない。私が望んじゃいけない。私は消えないといけない存在なのだから。
でも、ジークの瞳は吸い込まれそうで、それでいて私という重荷を受け止めてくれそうなもので。
──私は……
「きえたくない……わたし、きえたくない! もっと生きたい! もっとみんなと過ごしたい! もっと人界を愛したい! もっとジークと共にありたいです!」
私は全てを吐きだすようにジークに想いをぶつけた。ジークは暖かく微笑んでくれて、私の髪を撫でる。
「ああ。アリスはそれを望んでいいんだ。そのための障害は全て俺が壊すから。言ったろ? アリスは俺が絶対に守るってさ」
「うぁっ……ぁぁぁああ……!」
さっきいっぱい涙を流したのに、また涙が溢れてくる。私はジークに縋り付くように服を掴んで、ジークの胸で涙をこぼし続けた。そんな私をジークを力強く、でも優しく抱き締めてくれた。
「そんなわけだキリト。この戦いが終わったら、俺はキリトとユージオの敵に回る」