体を起こそうにも気怠さが勝ってその気にならない。重たい瞼をなんとか押し上げてみる。どこかの中のようだが灯りがなくて薄暗い。光が差し込んでいることから日が昇っていることだけはわかる。
「知らない天井だ。……なんかこれ前にも言ったことあるような……、思い出せないからいいや。そこまで大事なことじゃないし」
軽く記憶を漁っても分からない。そして「知らない天井だ」という発言自体に、そこまで重要さもないからすぐに諦める。それよりも、目を開けて脳に情報を送り込んだからか、はたまた少しは喋ったからなのか、体の怠さがマシになった。だいぶ深く寝ていたらしい。
「テント……だな」
体を起こして周りを見渡してそう判断する。天井も壁も全て布だ。組み立てやすさを重視してるようだし、このテントは簡単に崩せるのだろう。遊牧民が使うやつに近そうだな。
目も慣れてきて意識も覚醒し始める。そこでようやく、俺は今一人じゃないことに気づいた。そいつは喋らないけどな。
「キリトもここにいたのか……」
車椅子に座らされ、片腕で大事そうに愛剣と青薔薇の剣を抱えるキリトを見つけた。復活にはまだ時間がかかるらしい。別に一人でもなんとかするが、キリトが起きてくれるに超したことはない。まず人を一人抱えながらってのが面倒だからな。
キリトから視線をテントの出入り口へと向ける。そこから入ってくるのは光だけでなく、
──テントがあるということはここは支援部隊の中。そこで戦闘が起きているということは、下手をすれば人界軍は後ろ盾を失うということだ。
「何が起きてるってんだよ……! クソッタレめ」
悪態をついて外に飛び出すと、近くで三人の人界兵と一体のゴブリンが対峙していた。その三人のうち一人は高性能そうな鎧を身に纏っている。つまりあの少年は整合騎士だ。戦いは任せて問題ないだろう。
一旦そっちから視線を外して別方向に目を向ける。他の箇所からも戦闘音と声が聞こえてくるが、どうやら人界軍が押し返してるらしい。どれだけのゴブリンが来ているのか分からないが、俺が手伝っても少し早く片付くか片付かないかのどちらかだろう。
戦闘が気になって飛び出したが気苦労で済みそうだ。近くで戦っていた整合騎士もゴブリンを倒したようだしな。どうやらあのゴブリンがリーダー格だったようだが。
「ジークさんお目覚めになられたのですね!」
「お目覚め……うん、まぁそうだな。ってそれよりも今どういう状況か、分かる範囲でいいから教えてくれないか?」
「分かりました」
「あの、こちらの方は」
「あ、レンリ様。こちらは私の友人の義兄で、ジークさんです」
紹介されたから俺からも一言挨拶をしておく。レンリという騎士は、整合騎士にしては頭が低い人のようだ。見た目は完全に年下だが、整合騎士は体の成長を止める術式を施される。そのタイミングはそれぞれのようだが、この人の場合この見た目の年齢の時に止められたのだろう。ショタだが年上だ。敬っておこう。
挨拶を済ませ、現状を可能な限り教えてもらった俺は、頭を掻きながら前線の方へと体の向きを変える。アリスも間違いなく向こう側にいる。具体的に何処なのかは分からないが、とりあえずあっちに行くしかない。
「アリスめ。まさか
思い起こされるのはその瞬間の出来事。そしてその時のアリスの表情。
『ごめんなさい……ジーク』
「ったく。
☆☆☆
雨縁の背に乗って上空でリソースを集め続ける。私の役割はたった一つだけ。そしてそれがこの大戦の第一戦を大きく左右する。
「……ッ!」
東の大門が崩壊したことで始まったこの戦争。人界で迎え撃つわけにはいかず、私達はダークテリトリー側へと踏み込んだ。すでに分かっていたリソースの乏しさ。そんな環境下でも何倍もの戦力差を覆さないといけない。そのための一手が大規模な神聖術。
かつてキリトはファナティオ殿の光線を鏡で跳ね返したという。その話を聞いたことで着想を得た手段が球体の鏡。発動するのはファナティオ殿のような光線。その威力を飛躍的に上昇させるために光を球体の鏡に押し込める。そして足りないリソースは
「ジークには……怒られるかしら……」
ぽつりと呟いた言葉は私の耳にしか届かない。雨縁にも聞こえているとは思うのだけど、何も返さずにこの高さで停滞することを維持し続けてくれている。あの母竜に似た優しい相棒。後でしっかりと労わないといけないわね。
意識を切り替えて、術式を発動するその時までこの球体を維持することに集中する。戦争に参加させたくないから、と半ば騙し討ちのようにジークを眠らせた。そのために作った術がどこまで効果を発揮するのか分からないけど、きっと嫌われるわね。騙して、その間に私は
「でも……これは私の決めたことだから」
★☆★
ルーリッド村でゴブリンとオークの混合軍を撃退した私は、北の洞窟の一部を崩落させることで道を塞いだ。時間をかければそれも意味をなさなくなるのだけど、そこに執着するほど相手も愚かではない。戦争の準備を進めることの方が賢明だと判断するはず。
私はキリトとジークを雨縁の背に乗せ、お世話になったガリッタさんや最愛の妹であるセルカに別れを告げた。また再会することを約束して。
「アリスが望むなら戦争に行かなくてもよかったんだがな」
「……私が参戦するだけで何かが変わるとも思っていません。ですが、私は整合騎士です。たとえこれが強引に与えられたものであっても、私はその使命を果たします。──私はこの人界が好きですから」
「そっか。ならこれ以上は言わないよ」
キリトを支えながら話しかけてきたジークに、私は振り向いて言い切った。自然と笑みが零れたことから、私は心からこの世界を好きでいられてるのだと確信できた。それがジークにも伝わったのか、彼も柔らかく微笑みを返してくれた。
雨縁に適度に休憩を取らせながら、可能な限り急いで騎士団の下へと戻った。私が戻ったことを多くの人は潔く受け入れてくれたけど、中にはそう思わない騎士もいた。正確には私ではなく、キリトやジークのことを。
「今はこの状態のようだが、こいつの強さはオレが保証する。なんたってこいつの相方であるユージオはオレに一人で勝ったんだからな」
小父様のその言葉に、周りにいた騎士たちの間で衝撃が走った。二人の最高司祭がいなくなったこの人界において、最強の人物は間違いなく小父様だ。その小父様が負けたと言ったのだ。何か策に嵌められたというわけでもなく、正面から戦って負けたと。
小父様が嘘をつくわけもなく、信じ難いことではあってもそれが事実なのだと皆が受け入れる。すぐに受け入れられる者は、二人と戦ったことがある人だけ。そうじゃない人は少し時間がかかった。
「ではその者はどうなのですか? 武器も持たぬその男は!」
「ん? 呼んだ?」
「ジークが話すとややこしくなるので黙っててください」
「ひっでぇ」
「ハハハ! ジークお前、アリスの尻に敷かれてやがるな!」
「小父様も余計なことを言わないでください!」
話が逸れるのを嫌う相手にこんなやり取りをしてはいけないというのに、ジークはそのことを知らないけど。でも小父様はわかってるはず、それなのにこんなことして……。
困った私を助けてくれたのは、騎士の中で唯一ジークと戦ったデュソルバート殿だった。ジークのことを擁護してくれて、十分実力がある強者だと。それでもそう簡単に納得してもらえず、小父様が一手打つことになった。ジークもそれに便乗したのだけど、お願いだから軽い調子で返事をしないでほしい。
「死んだら自分を恨めよ」
「ははっ、騎士長も手加減しないでくださいよ?」
「おう!」
気楽な様子で話していた二人の気配が同時に鋭いものへと変わる。小父様が本気でやるということが伝わってくるし、ジークもそれに応えようとしていることがわかる。小父様が目を開いた瞬間、二人の間で火花が散った。小父様が何かを仕掛け、ジークがそれを相殺できたからだ。
「小父様……今のは」
「心意を刃にしたってだけだぞ。《心意の太刀》ってとこか。同じことをジークにされたけどな」
「半年間何もしなかったわけじゃないですからね。武器が無くても戦えますよ」
「ククッ、恐ろしい小僧だな」
「ジーク……」
この瞬間に私はやっと理解した。ジークが何かと理由をつけて樵をしていたのは、この鍛錬をするためだ。《心意》は大きな力となる。それをジークは実感したから自在に扱えるように鍛錬をしていたのだ。それも全て私が戦争に参加するため。戦える力を身につけてしまえば、武器がないことを理由に不参加とはできない。
そんな私の懸念をよそに話が進んでいた。騎士団の中で誰が参戦するのか、ジークとキリトの扱いをどうするのか、戦略はどうするか。決める内容はまだまだ残ってる。その中でも、すぐに決められることから順に決まっていった。キリトは後方部隊のテントへ、ジークに関しては私に一任されるということに。
「──ッ! ……騎士長」
「あぁ。今一瞬剣気が広がって……消えたな」
「ダークテリトリー側で、それだけの力がある者が消えた。となると、それ以上の誰かがいると」
「そうなるな。……そのことは今は置いておこう」
私は気づけなかった。小父様だけが気づけて、それにジークも気づけた。それはつまり、ジークにもそれだけの能力があることの証明となってしまう。戦力となるのは間違いない、と。私に一任されているとはいえ、ジークにも何か役割をと考える騎士も当然いる。それでも、私は……。
「倍以上の戦力差があると推定されるダークテリトリー軍に正面から戦うことは無謀と言う他ありません。そこでアリス、あなたにやってもらうことがあるの」
「ファナティオ殿?」
ファナティオ殿の策はたしかに効率的だった。それを私ができるのか不安が残るけど、任されたからにはやりきらないといけない。そのことが今回の戦争を大きく左右するのだから。
それから開戦の日までは早かった。小父様は一般民に呼び掛け、衛兵を集めていた。集まった者たちに鍛錬を積ませ、戦えるようにしていた。私もそれを手伝おうと思ったのだけど、ファナティオ殿に託された役割を全うするための術式を考案しないといけなかった。
ジークは意外なことに一般民たちの指導にはいかなかった。ジークはジークで一人鍛錬を始めて、時折私の様子を見に来ては考えるのを手伝ってくれた。そのおかげで神聖術の考案も間に合ったことだし。
「もうすぐ壊れるな」
「……そうですね」
今日、人界とダークテリトリーを隔てていた東の大門の天命が尽きる。人界軍は既に隊列を組んで
視線の先には東の大門が。隣にはジークがいてくれている。不安は募るばかりだけど、時間は私を待ってくれない。
空間を裂くようにひび割れる音が聞こえてくる。とうとう天命が尽きるときが来た。一度ひび割れた音が聞こえ、少し遅れてから追いかけるように崩壊していく音が聞こえてくる。空へ届くのではないかと思われるほどの大門が呆気なく崩れていく。
崩壊前に一度現れた神聖語。それを私は理解できなかったけど、隣にいたジークはおそらくわかっていた。ブツブツと何かしら呟いていたから。
分かっているなら、あの文字の意味が何か聞くべきなのかもしれない。だけど、私はそれよりも優先することがある。
「ジーク」
「どうしたアリ──ッ!? かは……」
ジークに声をかけてこちらを向かせる。さっきの文字に意識がそれていたジークは、私に反応することができない。隙ができてるジークの溝内に本気の拳を叩き込む。ジークは私の肩に手を置いて、崩れ落ちそうになるのを耐えようとする。その姿に心がいたんだけど、ジークを戦わせないためにはこうするしかない。
「ごめんなさい……ジーク」
「アリ……ス……」
「あなたは眠っていて」
ジークの顔を覆うように手を翳す。ファナティオ殿に与えられた役割を果たすための大規模術式。それを考案する時に同時に考案していた神聖術。それをジークにかける。
淡い光がジークの中にスッと入っていき、すぐにジークの瞼が閉じる。意識が落ち、力が抜けたジークの体は崩れ落ちていく。それを支え、ジークをある二人に託す。キリトとユージオの傍付だった二人に。
その後すぐに踵を返して、相棒の雨縁の下へと駆ける。その背に飛び乗って手綱を握り、雨縁を上空へと旅立たせる。後ろを振り返らない。眼下の人界軍を目にして決意を固める。
「ジークには戦わせない。──私が人界を護ってみせる」